子供が「わざとだもん」と言って責めてくる時、ホントは根っこに
他の子と遊んで寂しかったり「ズルい」って思ってることがある気がする
で、実は大人の世界でも同じことが起こってるかもしれなくて…
収録日:12月12日
シュウの個人Podcast:シュウの放すラジオ( https://anchor.fm/sakashushu )
しょーまの個人Podcast:父のたわごと( https://anchor.fm/82933 )
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サマリー
子供たちの「ズルい」という感情の背景にある心理や社会的状況を探求しています。特に、少数派としての立場がどのように悪として認識されるのか、その影響について考察しています。このエピソードでは、子供のズルさの背後にある心理を探ります。ズルい行動は少数派の意見を反映していることがあり、個々のコントロール欲求がその行動に与える影響について考察します。
子供の感情の本質
シュウとショウの未知の理への道のりです。
シュウとショウの未知の理への道のりです。
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に適当に好きなことを話しながら
未だ知らないことあり、つまり
未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人のむちっぷりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き
本当の根っこは
ジンナンくんとだけ遊んでみたいな話だと思っていて
これは、小野たちでみっちゃん、こうちゃんもよくそのワードを言うなと思っているのが
ズルいって言うので
ので たぶんその時の長者ちゃんはずるいと思ったことが
わざとだもんっていうワードを使って 許さないってとこに
うん 持っていきたかったですね
それも本当に もう子供たちの理由づけというか
何かしらの自分の なんかやりたい方向とか希望にそぐわない現象が起きたときに
ですね うん
主張するために 理由づけしてるというか
まあそれは子供の話だけど大人の社会でもそうできてしまう
こともあるかなとか思っちゃって
うーん わざとじゃないって分かってるけど
恋だっていうことにしてしまって裁判で勝つみたいなことができてしまう
ですね その本当はね子は恨みだったり
恋と裁判の難しさ
するかもしれないしみたいな
確かにその恋かどうかみたいなのが結構な争点になりますもんね
情揚釈量とかっていう 言葉もありますけど
これがおそらく恋みたいな まあ本当に証明しようはないけども
裁判員の人とかその うそこで評価する人たちが恋と思うか恋なんてないと思うかで
全然 違いはするもんね
まあまあそのこと自体は全然 悪いって言うつもりはないんですけど
難しい自分で言っておいて難しいな
そういうふうな それが人情だよねとも思ってるっていうか
そこがだからそういうふうになる なっちゃう
人間の性質みたいなのがあるけどそこを
利用されうるような登場になっていると
それにみんな気づいてないと危ないんじゃねーのみたいなことをおっしゃりたいのかなと
それの例として今の裁判とかの話 恋は本当は恋で仮に恋じゃなかったみたいなのが真実だったとして
恋みたいな形にさせられた
変な使い方というか 概念自体がですね
っていうのは確かに意識しておかないと
そもそもそれ自体が本当に証明でき得るものでない 本人しかわかんないし
っていうところも踏まえて 一歩引いた見方をしておかないといけないっていうのはわかりますね
またちょっと
弁護家ができなさそうなのに 喋り始めてしまうと
さっきのサイコパスってアニメの シビラシステムっていうのが
犯罪係数を判定してそれであらかじめ逮捕してしまう まあ下手したら爆発させちゃうんだけど
数値以上超えたら嫌悪なしに 殺害できてしまうような
でもそれは
未来の話 まだやってないのにっていうのは行動ベースの判断基準だよなと思って
今の社会であっても過去のことをさばいてはいるけど
内心のことって本当は絶対わかりようがないのに 裁くじゃないですか
最終的には
状況証拠なり
あーなるほど
結果的に裁くからその意味では一緒だなとか思っちゃって
面白いな確かに
確かにその
未来のことはわからないから裁けるはずないんじゃないかっていう風な
アニメの一方で今も未来のことじゃないけど実際
本当の真意みたいなのはわからない状態で裁く
確かにそうですね
裁くみたいな
機関が存在しないとコミュニティの中で現状
それぞれが欲望のままに動いた時に
うまく成り立たなくなってしまうから裁くっていうのはどこかで多分
基準をつけないといけないことなんですよね
それがそれの一つが
実際
本当にどうかっていうところはもう状況証拠から推察せざるを得ないけど
悪と少数派の関係
裁く対象としては絶対何かしら害を及ぼしたっていう行動
自体が確実にその人がやったみたいなところが
あれあればそこが論拠となるっていうのはですね
そこをよりどころにするしかないっていうのはあるんでしょうけどね
そうですね確かに
この中では完全にわからないけど
本当はそこを裁き得ることではない
だからそこは形式的に
国だったりコミュニティだったりで
別のちゃんと回るコミュニティみたいなのが絶対存在しないから
そうじゃないかもしれないですけど
法的に裁くというものと
裁くっていうことのシステムを持ちずに
うまく回るコミュニティみたいなのは
それって結局動物たちはそうじゃないですか
人間たちは知性があるし
欲望があるがゆえにそういう性質があるから難しいなと思いますけど
人間でも仮にそういうのが絶対ないか絶対そうじゃないと思うんですけど
今の世界はそれがベースになっていて
そういう風になっているから
そこに普段の生活で生きている僕たちも
そういう裁判ごとみたいなのは
普段はそんなに関わることないけど
そのシステムの中で生きているから
そこからの何かしら考え方だったり
受け取っていると思うんですよね
だからこそわざとだったら
わざとじゃないならどうのこうのみたいな
多分価値観があると思うんですけど
そこの裁判だとかそういったところは
実際本当は心の中は分からないけど
裁かざるを得ない
コミュニティを維持するために
システムとして維持するために得ない
っていうところがあるけど
実質生活においては
多分そんなことはない
一応そのシステムの中で生きているから
我々はそういう価値観が植え付けられている
そこで裁くのは
コミュニティを維持するために
絶対裁くということをしないといけない
という判断になっている
そこから植え付けられている価値観を
私生活の範疇で同じように
捉えないようにしないといけない
言いたいこととしては
結局そこでは平田くんが言えば
わざとだったら罪が重いとか
いうふうな感じなんですけど
私生活において
わざとだったらとかわざとじゃないとか
っていう考え方を元に
裁くあるいはジャッジメントするみたいな
スタンスっていうのは
同じ構造で考えるべきものじゃないな
同じ構造というか
わざとだったらみたいな考え方を
それが根付いちゃってるんで
そういうふうに思うんですけど
それを持ち出さない
だからそもそも
悪いことをしたら裁かないといけないみたいな
そもそも裁けるっていうところで考えたときに
これはおかしいよね
でもここはおそらくコミュニティを維持するために
裁かざるを得ないっていう前提があるけど
普段考えてる生活してる範疇で
そこを裁かないとどうにかなっちゃうかといったら
いやそこの前提ないよねみたいな
こっちとちょっと構造が違うじゃないですか
アナロジーがあって
だからそもそも裁く必要があるかとか
ジャッジメントも含めてですね
だからわざとだったらみたいなのに引っ張られて
ジャッジメントとか裁くみたいなことを
してしまいそうな自分をちゃんと認識して
そこを念頭に置いとかないといけないような気がしますね
感覚としては僕も社会の
何を維持するためっていうか
人権を維持するためにっていう視点はあんまり持ててなかったけど
それだからそうであるに関わらずというか
普段の生活であっても何でも
そこを常に認識しとくみたいな感覚なんですよ
裁かないほうがいいとか
行為を基準にしないほうがいいとか
そういうことを言いたいわけじゃなくて
そういうふうな挙動になりがちな位置を
そとして捉えていて
固定しないほうがみたいな感覚なんですよね
コミュニティを維持するために今は必要ってことになっているけど
そこすらまだ僕はちょっと懐疑的なのかもしれなくて
そこは僕も
喋りたい原動力としてがそこを疑っていきたいみたいなのがある
さっきのこのアニメのサイコパスと同じことが
結果的に一部では同じと言えてしまうみたいなことであれば
その裁くっていうことも正しいからではなくて
多数派が自分たちのコミュニティを
それこそコミュニティの話でいうと
コミュニティを維持するっていう都合
自分たちの都合を
数の力で成し遂げている
どうしたって僕が
公理主義みたいな感じになるからですね
3回コミュニティとかってなってくると
そもそもコミュニティを維持するっていう都合の下で捌いている
っていうのがありますよね
だから少数派を揉み消している意識をみんな持った方がいいっていう
動機な気がしてきました
マイノリティリポートはまさに
マイノリティのリポートを探しなさいって言われる
それだったかな
それだった気がします
ダサんをしているように感じたかもしれない
面白い回収の仕方ですね
偶然ですけど
ダサんじゃないけど
これは口で言ってるだけかもしれないですね
その意味でも
悪じゃなくて少数派なんだよなって感じることが結構多いんですよね
なるほど
悪いとされてるけどただの少数派なんだよなみたいな
ざっくりすぎて伝わんないかな
結局悪いみたいなのも
勝てば勘軍と同じですよね
そうなんですよね
誰か被害を被って
被害者と加害者がいたとして
加害者に賛同する人が多いか
被害者に賛同する人が多いかでしかない
そうなんですよ
やってるんですよ
そりゃそうでしょね
だからそういう人を
僕はなんかこう
自分のHSPBBDとつなげていつも話すと
僕は力で捻じ伏せるんじゃなくて逃げるっていうスタンス
どうしようもなくこの機質だからそうするしかないからそうしてるけど
意外とそうした方がみんないいんじゃないかって思ってるところがあって
一時的に悪と判断されるようなことをした人
未来英語はそうだとは限らないし
そういう人から電力で逃げとけば本当に逃げ切れないときには
もちろん命を守るために何らかの反撃が必要になるかもしれないけど
そのすげえ遥か手前で
ガチガチにルールで決めつけられてる感じがしちゃって
そこの流動性の無さにいつも違和感を持つみたいな
多分悪がないっていう話をもっと覚えたかったのと
恋っていうのに常々なんか
うん?うん?みたいなちゃんと英語ができてないけど
うん?って感じてたんですよね
ずっとそういうトライブダウンできましたよね
仮にだからなんで人間が今その
こういうのは良いこととか
それぞれに感情があって
これは良いこと悪いこととか
好きか嫌いかとかも含めて
共感できるできないとかっていうのも
人それぞれじゃないですか
仮にですよ
仮にそれこそもう本当
動物たちを虐殺するような
人がいたとして
社会的にそれがすごく賞賛されるような
全然想像はできないですよ
今そんなものじゃないし
そんな社会じゃないし
自分が共感できるわけでもないんですけど
仮にそうだったとしたら
それが悪にはならないですもんね
そうですね
多数派に多分なっちゃうから
そこだけの違いで
特になんで今自分たちの中に
これは共感できる
あえて正しい悪いっていう言葉を使うと
これは正しいって思うっていう風な
ズルさの心理
印象のことからが根付いてるんだろうみたいな
その疑問はありますよね
そういう風になってるのか
なんでそういう風に
生まれた時に全然そういうの分かってないのに
なんでそういう風になってるのか
その時点でここ
この人間の社会っていうのが今構成されて
そこに生まれてきてる時点で
正しさみたいなのは植え付けられてる
ような感じはしますよね
しますね
時代によっても日によっても
違うはずなのに
植え付けられてる気がしますね
まだおっきりしてないけど
鳥の編集力の本は僕読めてないけど
読めないでいいですかね
その話ちょっと録音終わってから
またしたいなと思ってるんですけど
それなのにっていう
ただ枕言葉で聞けたかっただけなんですけど
問いを持ち続けたいなと思うし
聞いてる方々よかったら持ってほしいな
みたいに思いますよね
ちょっと道のりで出すし
どことも繋がらないかもしれないけど
昨日僕とサンティに泊まらせてもらってて
収録も途中から
おふれこの話題が多かったから
期待と甘えの関連
途中で止めて
深い話のところは全然録音できてないんですけど
コントロール
人をコントロールしたいコントロールの話とか
あとは期待とか甘えの話とか
そういうのが絡んだ話になったんですけど
そういうコントロールしたいみたいなもの
みたいなのが
法律みたいなものに形を変えて現れてるような
気もするし
間違いなくそうですよね
それでしかないっていうのに気づいた上で
本当はどうしたいかっていうのを
多くの人が感覚としても
言っていけば
本当はそんなおかしなことにならない気がしてて
例えばカングの話みたいなものも
そのために勝たないといけなくなるから
やっぱりここで力を使いたくなると思って
数だけじゃなく数の力以外にもいろんな力があって
とにかくでも力を使うことで
相手の意思に関係なく
自分の意見を吸って
なりがちだと思ってて
いろんなところに
違和感を感じたんですよね
だから僕はあんまり討論とかがそんなに好きじゃなくて
ちょっとまたこれも言い過ぎなんですけど
わかります
そこの文章で正しいかどうかじゃないんだよな
みたいな感覚が
同じ意味かもしれないですけど言葉としては
討論って言うとちょっとあれなんですけどね
グッズって書きますよね
確かに
たぶんやりたいディスカッションですかね
ディスカッションとか
議論って言うと肩苦しいかもしれないですけど
まあ本当に平たく雑談ですよね
雑談だったらいいんですけどね
何かしらの目的とか
何か目的があって話すっていうことを
別に否定してるわけじゃないですか
わけじゃないじゃないですか
そうですね
だから僕もあまり争うことみたいなのは
そんな方じゃないので
ゲームとか好きですよ
ゲームはまさに争ってはいますけど
ある部分の中で
あれはそれを楽しむものとして考えてるから
あれですけど
伊津野さんの大元にあるビビリっていうのは
分かりますね
争うというか
衝突しなくていいんですよね
衝突とか摩擦みたいなものを
避けるための手段じゃないですか
逃げるっていうのは
自分のやりたいことみたいな
自分の希望はありつつ
そこは抑えつつ
全部が逃げるわけではなくて
通すところは通すんだと思いますし
衝突せざるを得ないときもあると思いますし
不必要な衝突と摩擦は別に
みんな避けていけば
ジグソーパズルじゃないですけど
変なことにはならないんだろうなっていうイメージは
そういう風な感じなんかなっていうのは受け取ってます
それぞれがただのピースで
この方たちは面白いねとか
同じ話題で話すにしても
討論的じゃないと言うとまたあれですけど
結論あり
それを全体として共通の結論を出さないといけない
みたいなのが
あくまで先にジャッジがあるんですよね
何にしてもいろいろ話されてる中で
ジャッジみたいなのが出てくると
それが議論に関係ある人たちに対して
ラベル付けをすることになりますし
そうしたらそういうことじゃない
みたいなことでまた
思考の重要性
変な負のエネルギーが生まれますしね
決めつける
固定させてしまう
流動性がない
全般的に言えることですよね
流動性があって常に動く
それを受け入れてやれるならいいんですけど
多分人って固定した方が落ち着くから
コンフォートゾーンって言われると思うんですけど
快適というか
快適領域の英語にしただけですけど
自分が快適なところにいたい
ところからすると
今までの普段の生活をわざわざ変えたくない
今で別に不満がないから
影響しないとか
そういう時に出てくる言葉ではありますけど
それって結局
思考しなくていい
思考って大変エネルギーを使うから
思考しない方向に
省エネの方向にどうしても行っちゃう生き物
何にしても省エネの方向に勝手に行くようになってると思うんですけどね
そういう動きがある中で
意識的にエネルギーを使って
考えて
うごうめく中で
何かしら自分を保つ
っていう意識はかなり大事だと思いますね
ネガティブケイパビリティとか
話も多分それの一種で
固定化するんじゃなくて
わかんない状態にしておく
みたいな話ですしね
そこで決めちゃうと
そこで思考も止まっちゃうし
何かしらガチッと決まっとくと
効率はいいんですよね
効率はいいし
楽だからっていうめんどくさがりなんで
もともとこの道のりを始めるきっかけみたいなところ
具体は全てに共通するような
心理じゃないですけど
考え方みたいな
そういうのを見つけたいなみたいなところが一つ
覚えてますよね
第一話で正馬さんが
これだけ知っとけば大丈夫よ
っていう言い方をされたのに覚えてます
そういう風なものを求めてるっていうの自体が
固定化しようとしてる表れなんですけど
そうなんですよね
表れなんですけど
だからジレンマではありますよね
そうですね
ジレンマですけどね
何にもないとですね
目指すものがというか
それこそゲームみたいにして
一旦これを目標に
それを得ようと頑張って楽しんでみるみたいな
そうですね
そういう意味で僕のそういう風なものっていうのの中の
ポイントのワードとしてはバランスっていうのとか
バランスっていうのが固定されたバランスじゃなくて
常に変動した状態での調和みたいなところの
イメージがあるので
今の話っていうのは
そこにだいぶ通ずるところはあるんですけどね
そうですね
そうですね
昌磨さんとは通じちゃうから
どこまでそれが言語化が
僕の方がですけどね
それを僕の言葉で多分解釈して
こういうことですよねって言って擦り合わせればいいんだろうけど
それが出ないから
出ないのに多分分かった気になっちゃってて
聞いてる人に伝わんないかなとか思いながら
今までも徐々にかな
何かしらでも伝わってるとは思うんですけど
スタート地点はそこだったし
もしかしたらまた何か具体例が出た時に
これも言いたかったって出てきそうな気はしてるんですけど
今の持てる言語化力の中では
ある程度言いたいことのところまではパーッと来た気がしますね
この話題では一旦これで聞いておきますかね
どっちにしても多分2時間みたいなのは丸々時間的に無理なので
今ちょうど1時間ちょっとでしたね
一旦これでありがとうございます
31:55
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