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はい、ということで始まりました。おしゃれの呪いトークラジオ。本日で485回目の配信でございます。
この番組では、あなたに巻きつくファッションへの思い込み、イコールおしゃれの呪いをバサバサと解いていきます。
服装心理学をベースに、おしゃれを持つ楽しみ、自分を変えるコツをお届けしています。
お相手はパーソナルスタリストで、後任心理師のヒサノリサです。本日もよろしくお願いいたします。
6月ということで早いもので、年が明けてから丸5ヶ月経ったわけですが。
当たり前ですね。6月ですからね。
5ヶ月ということで、年明けぐらいから新しいことを始めようという感じで、
うちのパーソナルスタイリングを初めて申し込みいただいたりとか、
あとは心理カウンセリングを申し込みいただいたりするケースが、
春先と秋口が新規の方がすごく多いんですけど、
その中で、2022年年明けから始まったスタイリングのお客様とか、心理カウンセリングのクライアントさんが、
一旦区切りがついて、一旦終結というケースが増えてきてまして、
私の中でも一旦満足していただいて、終結ということで、
ちょっと区切りの時期でもあるのがこれぐらいの時期なんですけれども、
パーソナルスタイリングも心理カウンセリングも、ジャンルは違えど、
悩みがあって、その悩みの何らかの形での解決をしたいということで
申し込みいただくことが多いんですけど、
終結ということは、そのある程度悩みが整理されて、
じゃあ一旦ここで区切りにしましょうということになるわけですけど、
じゃあその悩みを一旦は解決を見た、一応は解決を見た、
その現在、現時点での感想をね、クライアントさんとかお客様に伺うと、
やっぱり当初思っていた感じとは違ったっていう方が結構多いんですよ。
悩み解決されたのかな、これは。
でも実際には、悩みが解決されるってこういうことなんだな、
みたいな、何て言うんだろうな、何か想像と違ったな、みたいなのがあって、
それは別にネガティブな意味じゃなくて、こんなもんなのか、みたいな感じで。
というのも、すっきり悩みごとがきれいになくなる感じじゃないんですよね。
悩みって結局、自分の生活環境と、あとは自分の考え方の癖と、
みたいなことから、いろんな複合的な要因でできているんですけど、
その要因を全部取り除けるわけではないので、最終的に悩みが解決されるときって、
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うまく付き合っていけるようになったっていう感じなんですよ。
悩みが全部消えたではなく、特に自分の考え方の癖に原因があるものだったりすると、
その自分の考え方の癖に気づいて、考え方にうまく付き合えるようになっただけで、
その考え方がまるっきり変わって、別人のように、あの頃思い描いていた全く悩みがない、
新しい人間に生まれ変わったかのようになれるっていうわけではやっぱりないけど、
なんかこんなもんだなっていう、すごく現実味のある感じになるので、
こんな感じなんですねっていう感想がすごく多いんですよね。
その悩みが解決されるときって、やっぱりこの番組で何度もお話ししている、
人は変えられないっていう言葉を深く実感するタイミングでもあるのかなと思うんですよ。
それはその人というのは、自分も含めてね。自分もそうそう簡単に変わらないし、
相手なんかもっと他者が変えることができないしっていうことで、
人はそう変わんないんだっていうことに気づくっていうことがあって、
それはネガティブな感じじゃなくて、どっちかっていうと、それはそれでスッキリさっていうか、
こんなもんでも生きていけるよねみたいな、したたかな柔らかい強さを持っている瞬間でもあって、
それが一番逆境に実は強かったりするんですけどね。
人は変えられないな、人は人だなって気づける瞬間、
この人は人、自分は自分で気づくっていうことも、悩みの解決に向けて、
それに気づいたことでスピードが上がるっていうのも本当によくあるケースなんですね。
この人と自分の違いに気づく、しっかりそこに線を引くっていうことを、
自他協会なんていうふうに心理学では呼んだりするんですけど、
自分と他者の境界線ですね、自他協会。
この自他協会をしっかり持ちましょうっていう言い方をしたりもします。
この自他協会を意識するだけで悩みが解決されるとか、
悩みにある程度整理がつくっていうことがすごく多くて、
今回年明けから担当させていただいた案件、いろいろカウンセリングも、
パーソナルタイミングも、結構自他協会がキーワードになっている方が多かったんですよね。
人は人、自分は自分って思えないことが、より悩みを深めてしまっている。
何ならそれが悩みの原因だったみたいなこともすごく多かったんですよね。
これ何でかっていうと、やっぱり自分と他者が違うなんて当たり前じゃないかって、
皆さん思うかもしれないですけど、実はそこにしっかり線を引けてない人って多くて、
例えば自分と他者は違う、当たり前ですよね。
考え方も違うはずですよね。
にもかかわらず、例えば自分が友人に対して、
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何か自分にはこうして欲しいっていう期待があった時に、
それが裏切られた、もしくは自分の想像もつかないような行動を友人にとられた時に、
なんであの人あんなこと言うの?っていうふうに怒ってしまったりしませんか?
自分と他者が全く違う人間である考え方から、
何かが全然違う人間であると思うことが心からできていれば、
たとえ友人に自分の意に沿わないことを言われたとしても、
友人が自分の期待通りに動かなかったとしても、
そんな怒りは湧かないはずなんですが、
やはり人間なかなかそこをしっかり境界線引くのは難しい。
友人だったらこうしてくれて当たり前。
夫婦だったら、パートナーだったら、こうしてくれて当たり前。
部下だったら、部下のためにこれしてくれて当たり前。
部下だったら、上司の言うことをこういうふうに聞くのが当たり前。
っていうふうにどうしても思ってしまいがちなんですよね。
その瞬間がまさに自宅境界が曖昧になっている習慣であると。
このことで、なんで私はこういうふうに考えているのに、
あの人はあんなことをするんだろう?っていうふうに思ってしまうと。
そうすると、私はこのことについてすごく嫌なのに、
この人がこういうことをしてくるってことは、嫌がらせしてるんじゃないか?
とかって思っちゃったりするわけですよ。もっといくとね。
でも自分との差が違うってことがわかれば、
相手がこちらがそれを嫌がるってことを知らない可能性が高いわけで、
到底嫌がらせというふうな考えは浮かばないはずなんですけど、
そこも自宅境界が曖昧になっちゃっていると、
そういう考え方に至ってしまうということですよね。
またこの自宅境界がないと逆に、
自分の中に人がズンズン入り込んでくるのも許さなきゃってなっちゃうんですよ。
例えば、どこかでファッションアドバイスを受けて、
ニヤ服の診断を受けたりとかファッションアドバイスを受けて、
自分が好きじゃない服をこれがいいよって勧められた時に、
自宅境界が曖昧だと他者がそういうふうに自分の好みまで言及してきて、
これを着た方がいいっていうアドバイスをしてくれたことについて、
いや、私の好みは違うからっていうふうに跳ねつけることができずに、
せっかく言ってくれてるんだからこの教えを守らなければならないとかね、
これをちゃんとやらないと相手が怒るのではみたいなふうになってしまって、
この好きなものを我慢しちゃうみたいなのも自宅境界の薄さ。
自分は自分、相手は相手っていうふうに線を引けないっていうことになってしまうわけですよね。
やっぱり自宅境界って、そういうふうに他者との線を引くっていうことで、
ある種、自分を守るものでもあるわけですよね。
なので、エヴァンゲリオン見た方は、
急激シリーズっていうのかな、
私最新版見てないんですけど、まだ。
真心を君にっていうサブタイトルの映画でね、
最後、ATフィールドっていうのがパーンと弾けて、
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登場人物が全員溶け合っていくみたいな、そういうシーンがあるんですよ。
エヴァンゲリオンって非常に心理学的でね。
あのATフィールドがまさに、
自分のエヴァンゲリオンではまさにその体の膜のように、
体を覆う膜のようなイメージで使われてますけど、
まさにあれが心理学でいう自宅境界で、
それが弾けて溶け合ってしまった方が一層のこと、
いいんじゃないかっていうふうに思ってしまう人がいて、
でも実際溶け合ってしまったら、
確かに他者に拒絶することもないし、
自分と他者が交じり合うことで拒絶されることもないし、
拒絶されて傷つくこともない代わりに、
自分しかいなくなるっていうね。
それは本当にいい世界なのかっていうことですよね。
自分の他者がいるからこそ拒絶されて傷つくこともあるけれど、
他者と違う人間にも関わらず理解し合えた幸せみたいなのもあるわけで、
それはATフィールド、自宅境界がなければ味わえない幸せなんですよね。
現実的にはそのATフィールドが弾けて、
人類が全員溶け合うなんてことは無理なわけで、
自宅境界は否定しようが嫌がろうがあることには間違いない。
自分と他者は違うっていうのは厳然だる事実なわけで、
それを受け入れなきゃいけないわけですけれども、
それがあるからこそ自分が守られる。
違う他者として一対一の人間として交流して、
わからないなりに理解し合おうとする喜びっていうのもあるっていうことがわかってくると、
そこで初めて自宅境界でのしっかり認められて、
他人は違う人、自分も違う人っていうのを認め合うことで、
初めて自己肯定感っていうのは生まれていくんですよね。
だから自分と他者が違う人って思うっていうのは、
一見寂しいことのように感じるかもしれませんが、
それは非常に自分も他者もお互い需要し合う温かい交流が生まれる、
実は第一歩なんですよね。
この間、第482回の配信で、
YouTubeや雑誌のバックの中身企画の良さがわかんないっていうお便りをいただいて、
それについてどう思いますかっていうアンケートを、
ディスコードで副送信ラボの面々に聞いたときにも、
こんなにバックの中身の企画っていう一つのネタで、
こんなにみんな考え方が違うのかっていうね、
これはまた自宅境界に築けるきっかけでもあったので、
そんな風に意見を否定されず、
いろんな意見を言い合える場を持てると、
いい感じで自宅境界に築けて、
自己肯定感を上げていけるんじゃないかなという風に思うんですよね。
ぜひそんな場を持てるように意識してみてください。