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今日はですね、第302回の配信ですね。おとといかな?の配信。タイトルは
若く見られたいと思うのは時代錯誤で悪いこと?というタイトルで配信した回にね、
絵の感想兼ご質問ということでメッセージいただきましたので、そちらを取り上げていきたいと思います。
久野さん、こんばんは。いつも楽しく拝聴しております。ラジオネームクロと申します。30代女性です。
第302回のファッションの多様性に関するお話を聞き、ご質問させていただきます。
職場の年下女性社員で、いつもミニ丈ワンピースを着てくる子がいます。
ミニ丈すぎて前鏡になった時のときに、いつもパンツが丸見えになっています。
身長が高く、かつ足が非常に長く、そしてモデルのようにスリムなので、
体に合う服がなく、スカートはすべてミニ丈になってしまう、と彼女は言っていますが、私は非常にモヤモヤしてしまいます。
こうあるべき、という従来までの規制概念は取り払って、個々人の趣味・思考を尊重するのが現代らしい考え方かもしれません。
また、社会人として適切な服の基準もないし、常識のラインも、世代によりギャップがあるとは承知しています。
ちなみに、彼女と私は4歳違いますが、どちらもアラサーです。
しかしながら、彼女がミニ丈ワンピースが好みとわかっていても、好きな服を何でも会社に着ていってよいとは私は思いません。
スカートを履きたいなら、適度な丈にすべきですし、それがかなわないならパンツにするなど、脇前でべきだと考えます。
彼女はあたかも、それしか選択肢がないかのように言いますが、考えなしに着たいものを着ているようにしか思えないのです。
人のファッションに口を出すのは余計なわせ場であることは、過去回で話題に出ており承知しておりますが、彼女の服装がこのままでいいのか、非常にモヤモヤ、ハラハラします。
このモヤモヤをすっきりさせたく、久野さんのご意見をお聞かせいただけましたら幸いです。
長文になり、大変失礼いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。
今日はこの問題についてお話ししていきたいと思います。
それではスタートです。
始まりましたおしゃれの呪い特ラジオ、今回で305回目の配信でございます。
この番組ではあなたに巻きつくファッションへの思い込み、イコールおしゃれの呪いをバサバサと解いていきます。
服装心理学をベースにおしゃれをもって楽しみ、自分を変えるコツをお届けしています。
お相手はパーソナルスタリストで、日本服装心理学協会代表理事の北野理事でございます。
本日もよろしくお願いいたします。
ラジオネームの黒さん、ありがとうございます。
これはまた難しい問題ですよね。
黒さんがグーグルさんに聞こえたかな?
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うちのグーグルフォームが反応したっていう。ごめんなさいね、聞こえてたら。
これまだ難しい問題ですよね。
やっぱりファッションに限らないと思うんですけど、
やっぱり多様性を認めるというのと、
公共の利益っていうんですか。
これはぶつかりますよね、常に。
常にぶつかるから、そこはずっと調整していかなきゃいけないし、
答えが明確にある問題でもなければ、
あったとしても時代によって変わり得る問題でもあるので、
非常に難しいですよね。
一つの答えを出すことがなかなかできない問題なんですけれども、
ファッションの多様性を常に全て認めた方がいいかというと、
やっぱりそういうことではないわけで、
やっぱりその都度都度、ケースバイケースってことになっちゃうんだと思うんですよね。
個別案件で考えていくしかないんだと思うんですよ。
ここから先は絶対ダメみたいな決まったラインっていうのは引きがたいんだと思うんでね。
今回のこの黒さんの悩みに関しても、
この個別案件で、この案件についてはどうかということで、
やっぱり一個一個私たちは真摯に考えていかなきゃいけないと思うんです。
ただ、この案件については、
限りなくこれは多様性の範疇外なんじゃないだろうかという気が、
私個人的にはしておりますが、皆さんどうですかね。
まず、いくらファッションが多様性が認められているとはいえですよ。
公然売出罪でしたっけ?っていうのも刑法っていうのがあって、
個人の自由もやはり刑法では制限ができるということになっておりますわね。
日本社会はね。
いくら自由だって、服着ないで外を歩いたら捕まるわけですよ。
これは決まっていて、そういうものだねということで、みんなで合意をして生活をしているわけですよ。
これはいくら私は裸足なんだ、裸で歩きたいんだって言ったところで、
ほとんどの人が他人の裸を見ることが不快であるということが理由で、
公共の利益を守るために法律で裸で歩いちゃいけませんよ。
裸で歩いたり、出したらいけないところを出したりしたら捕まりますよということが定められているわけで、
やっぱりこれは日本で生活する以上は守らなきゃいけないということになっているわけですよね。
じゃあ、今回の件ですよ。下着はどうかっていうことなんですけど、
私は専門家ではないので、弁護士さんとかではないので、
ちょっと自分で調べられる範囲だけなんですけど、
明らかに裸とか見せていかないところ、整形だったりとかを露出するというのは犯罪で、
日本国内どこに住んでいても犯罪ですよとなんですが、下着に関しては条例レベルらしいんですよね。
だから住んでいるエリアによって異なるということなんですが、
ただ、ある一定のエリアで条例があるということは、
やはり下着に関しても裸と同様に露出されたら不快であると思う人が多いという判断があるという客観的事実はあるわけですよね。
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そう考えると、やっぱり下着を見せて職場という環境でいるというのは、
これはちょっとファッションの多様性で許すべきには当たらないんじゃないかなというふうに私は感じますね。
やっぱり多様性を認めるときに、やっぱりその人にとってどうしようもないことであるということも、
また一つ認める理由として大事なものとしてあると思うんですけど、
このミニタケワンピースの社員さん、いくらやっぱり背が高くて足が長い細いからといって、
パンツが見えるような洋服しかないということはありえないと思うんですよ。
他に選択肢がないということはありえないと思うので、もし本当に他に選択肢がないのであれば、
その選択肢を増やすことを考えるべきであると思うんですけど、いたずらに責めるのではなくて、
選択肢がないことはないですよね。
こんだけワンピース、ロングタケ流行ってますからありますよ。
やっぱりその理屈も通らないということは、やはりこのミニタケワンピースの方ご自身の選択肢として見えるようなものを着ているというふうに判断せざるを得ないわけで、
そうなってくるとやっぱり、ちょっとこれは多様性というよりは公共の利益的にどうなんだというアプローチから、
やっぱり改善していただくというのは全然無茶なお願いではないとは思うんですよね。
ただやっぱり法律違反ではない以上は、ここから先はやっぱり話し合いにならざるを得ないと思うんですよ。
やっぱり明確に会社でね、就業規則がないのであれば話し合いにならざるを得ない。
その時に向こうがね、相手がミニタケワンピースを着てくる自由を訴えられるのと同じように、質問者さん、黒さんも下着が見えることによる不快感を訴える自由もあるわけですよ。
これがファイトってことで、戦いってわけないんですけど、話し合いで決めていくしかないわけで、
その不快感は表明してもいいと思います。
してもいい、する自由があるという前提で、さあ黒さんがどうするかっていうことは、もちろんそこから先も黒さんに委ねられている、黒さんの自由なわけですけど、
それが不快感を表明して、黒さんが例えば多様性を脅かす人という判断にはならないんじゃないかなとは思うんですよね。
ただ、その表明するときに、あなたのために言ってるんだよっていう言い方をしちゃうとこれはまずいと思います。
それは、それこそ相手の自由を脅かす発言になると思います。
そんなね、パンツの見えるようなスカートを履いたら、あなたが痴漢に合うかもしれないし、あなたが性的な目線で異性から見られてしまうかもしれない。
それを心配して私は言ってるんだよ、こういう言い方はまずいです。これはまずい。
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ほっといてくださいと言うと一言になっちゃうんでね、まずい。
そうではなくて、やっぱり私はあなたの下着を見たくないと、私が不快である、そこからならないですよね。
やっぱり、よく新年学校の世界でもアイメッセーリーって言ったりしますけど、やっぱり主張は、私はこう思うにするべきだと思うんです。
私はこう思う、私にとっての利益はこれだ。
もう一方で、相手にとっての利益はこれだ。
このお互いの利益がぶつかるってことは当然あるわけで、それはぶつかり合う中で話し合って、お互いに譲り合ったりして決めるべきなんですけど、
あなたにとっての利益はこうでしょっていうその論法はやっぱりよろしくないわけですよね。
正々堂々と私の利益対私の利益で話し合いをするべきだと思うんですよね。
だからそういう感じで話し合えるかどうか、それが話し合えない、黒さんが言い出しづらいようであれば、やっぱり黒さんが我慢するしかないっていうね。
ここは自分の利益を守るためにやっぱり自分が動かなきゃいけないというところは厳しいながらも、やっぱり厳然たる事実としてはあるのかなっていう気はしますよね。
会社が動いてくれない以上はね。
これってやっぱり多様性と公共の利益って難しいですよね。
最近多様性の方が謳われることが多いし、もちろん公共の利益を拡大解釈しすぎて同調圧力になってしまった過去があるからこその今なので、
よろしくないと思うんですけど、やっぱりさちょうどいい場所、ちょうどいいバランスって難しいですよね。
やっぱり同調圧力がまずいって多様性に今度行きすぎると何でもやっていいのかっていうとファッションに限らないですよね。
じゃあ発言の自由があるからって言って誰かを傷つけるような発言を平気でしているのか。
そうではないわけですよね。
あと最近のネタで言うとさ、公衆衛生の概念っていうのも私もう1回教育するべきだと思うんですよ。
やっぱり多様性の方に教育も語りすぎてる気がしていて。
公衆衛生の概念がない人がマスクをせずに外を歩いてしまったりとかっていうことがあるんじゃないかと思うんですね。
若いから重症化しないだろうし、私は別にかかってもいいからマスクしないんです。
それは多様性、個人の自由という観点からすると一見正しい理屈のように聞こえてしまうんですけど、
でもマスクをしないことで人に移してしまって、人を重症化してしまうっていうのは公衆衛生の概念じゃないですか。
集団で生活する以上はそっちも大事っていう、その両方を考えて、でも両方は絶対にぶつかる。
公共の利益と公衆衛生、そして個人の自由は絶対にぶつかるので、そこをうまく話し合って考えてできるだけみんなが良い方向にやっていこうよねっていうのが、
集団で生活する以上必要な、みんなに必要な努力なので、すごい難しいんですけど、話し合うしかないですよね。
私の利益と私の利益でぶつかり合う。話し合ってみてください。
すいません、こんな回答しかできませんが、その後どうなったかぜひお聞かせ、よろしければお聞かせくださいね。
また皆さんからのお悩みもお待ちしております。ぜひマシュマロからお寄せください。