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2025-01-24 28:37

リノベの時間2024.2.15:株式会社オガール代表取締役 岡崎正信

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ゲストは、株式会社オガール代表取締役 岡崎正信さんです。

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 1972年岩手県生まれ。大学卒業後、地域振興整備公団(現・都市再生機構)入団。 東京本部、建設省都市局都市政策課、北海道支部などで地域再生業務に従事したのち、2002年、家業である建設会社、岡崎建設株式会社を継ぐために退団。 故郷の紫波町で企画立案から携わった「オガールプロジェクト」は官民連携まちづくりの注目事例として全国的に知られる。 現在は、株式会社オガール代表取締役としてオガールを切り盛りする傍ら、地域振興事業のコンサルタントや講演などで全国各地を飛び回っている。 岡崎建設株式会社専務取締役、一般社団法人公民連携事業機構理事も務める。 

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是非最後までお聞きください!

 

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はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思います。
今晩は、僕も初めましてのゲストの方に来ていただいてて、聞きたいことちょっと山ほどあるので、早速どんどん行きたいなというふうに思います。
じゃあタイトルコールを行きたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、
建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションをやってます。美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
ですね。
噛んでましたね。
自分の言葉噛んでますね。どういう状況?
初めて聞きましたけど、緊張されてる。
今日は、いろんな意味でね。
初めましても含めてですし、
頭、妄想だいぶ広がってますので、聞きたいこと山盛りです。
この番組は、全国のリノベーションと街づくりで活躍する
多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
それでは早速、本日のゲストをご紹介いたします。
株式会社オガール代表取締役、岡崎正信さんです。
こんばんは。
よろしくお願いします。
ようやく僕は会えました。
リノベーションの時間の絶叫ですげえな、やっぱり大阪やるなって感じでした。
初めましてなので、語弊なく誤解があるとあれなんで、あんなキャラクターではないとご認識いただけると。
僕はもちろん、オガールっていう名前と何やってるのかとか、
僕は前からもちろん知ってます。岡崎さんのことももちろん知ってるんですけど、
一方的に知ってるので、いろいろ聞きたいことありますし。
ありがとうございます。
ちょっとさっきも話してましたけど、僕社内メンバーでオガールに視察というか、
やつ生かしてもらって。
議員さんとかが結構来るとかって。
来てます来てます。
去年の2023年1月から12月までで、行政視察件数が某雑誌調べで3位全国。
コロナの前は3年連続、17、18、19は3年連続で日本一。
だいたい半分以上が議員さんですね。
実はあの話のスキームって、オガールってサイズもでかいし、
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いろいろすごいことあるんですけど、
僕はたぶん議員さんたちが見たものじゃなくて、
違うところの凄さを僕は感じてるので、
それを今日、明日、来週で話し聞かせてもらえたらなと。
楽しみですね。
掘り下げれたらなというふうに思うんですが。
ぜひレベルの高い質問を。
岡崎さんのご紹介をお願いします。
早速ゲストのご紹介をしていきたいと思います。
1972年岩手県生まれ、大学卒業後地域振興整備工団入団。
2002年、家業である岩手県の建設会社、岡崎建設株式会社を継ぐために退団。
故郷の志和町で企画立案から携わったオガールプロジェクトは、
官民連携まちづくりの注目事例として全国的に知られる。
現在は株式会社オガール代表取締役としてオガールを切り盛りする傍ら、
地域振興事業のコンサルタントや講演など、全国各地を飛び回っている。
この、何て言うんですかね、経歴では多分語れない厚みというか、
72年生まれということなんで、僕ちょっと中学かぶらんけど大学かぶってるぐらいの年の差ぐらいのギリギリのイメージで、
なんですかね、なんでこんな厚みが出るんだろうっていう、
今もここ来る前に吉本の、前会長になるんですかね、大崎さんと普通に話をしてた。
普通に言ってるけどだいぶおかしい話ですから。
なんかですね、育ちがそもそもユニークな家庭だったんじゃないかなと思いますね。
生まれは?
生まれは岩手県志和町です。
地元の地元なんですかね。
志和町なんだけど、やっぱ父親がね、父親はほんと51で死んじゃったから、それで私30歳で帰ったんだけど、
なんていうのかな、山形出身なんですよ。山形県の朝日町っていうね、ほんとにどいなかです。
山形は岩手の上になるんですか。
下、下、下。
上は青森か、下です。
やべえやっぱ大阪来てるわ。
これ東北の記録聞いたらマジでほんと大変な問題になりましたこれ。
でも行ったときに、なんか話かみ合えんなと思ったら秋田と岩手がミューラーの中では逆に出たんですよ。
出た。
あれ岩手?
結構ね。
出た。
東北?
東北は割とね、割と俺の元嫁も横浜から岩手にとつぐときに、最初になんか荷物を送った先が青森県志和町って書いてて、どこにとつごうとしてんだよっていうくらいそんなもんなんですよ。
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でその山形県のほんとにどいなか出身だったんですけど、5人兄弟の末っ子だったんですよお父親。
で戦後すぐに生まれたんですけど、その父親の父親だから私にとってみればおじいさんが厳しかったんでしょうね。
あの末っ子であるうちの父親を10歳のときに東京に一人追い出したんですよ。
厳しすぎません?
いわゆる末っ子だからどんなに厳しくしても周りが知恵を増やするって言って。
で一人追い出したわけ。
10歳?
10歳ですよ。
まあまあですよね。
まあまあですよ。
それで揉まれるわけですよ東京で。
揉まれまくったんですよね。
揉まれまくったわけ。
で大学卒業して、大学まで行ったわけ。
大学まで卒業して、でゼネコンに入ったわけ。
でゼネコンの最初の赴任地が岩手県志和町だったわけですよ。
そこの現場事務所の事務員をやってたのがうちのおふくろ。
ほんならゼネコンで働いて志和町をやって、でそのままそこで独立したってことでしょ?
そのまま独立した。
でそこの親父に生まれたのがもちろん岡崎さんですね。
だからその育ち方が、育て方か。
父親の育て方がとにかく外に出ろだったんですよ。
なるほど。
外に出ろ、外に出ろ。
でそれでやっぱり教えがね、なんとなく理解できたのが父親が癌で死んだんですけど、
やっぱり病院の先生にね、もって3ヶ月って言われた後、
それ5月の第3週だったよね。
その1ヶ月ぐらいで死んじゃうんですけど、
その日曜日でしたよ。
それでうちの母親と父親と俺が呼ばれて、
余命宣告されるわけ。
そしたら親父もがっくりしてね、一人は歩いてその個室の病室に行くわけですよ。
母親泣いてるし、で俺はもう先生にやっぱダメですかみたいな確認をして、
ダメだったから泣き崩れてる母親を肩で抱いて、
ちょっと親父心配だったから先に帰っちゃってから部屋に。
で行って、親父心配だからちょっと早く行こうって言って、
だから親父悲しんでるんだろうなと思ったら、
日本ダービーの予想してて。
競馬ね。
5月だから。
こんな親父いるのかと思って。
それで携帯で馬券が帰り始めた頃かな、
パタパタ買って、
それでボソッと言ったのが、
俺よ、さっき先生に死ぬって言われたじゃんって。
今の感情は何かって言ったら、今までやってきた失敗とか全く後悔が全部消えて、
もうやりたかったことをやってこなかった後悔がうわーって出てきたわって。
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だからいいがお前ってやりたかったらやれって。
なるほど。
それをやっぱ1ヶ月後に死ぬ親父に言われたのが、
当時俺たちが25歳だったんだけど、本当に変わった生き方。
25でそのことがあって。
それで警察会社やってたじゃん。
ちょうど親父が死んだ時って平成9年なんだけど、
これ結構街作りの話に大事な話なんですけど、
バブルが弾けて大変だったでしょ、平成9年って。
だけど地方都市はバブルが弾けて、その後宅職銀行が破綻したりとか、
重点問題が出たりとかって金融不安になったわけ。
だから政府はこれ以上金融不安させたら本当に日本がダメになるって言って、
相当金ばらまいたんですよ。
当時平成9年の時に建設国債っていう国債を発行して、
たぶん16兆円くらい発行したはず。
建設会社は地方の建設会社、実は平成9年平成10年めっちゃ売り上げ上げてるの。
利益出したの。バブルが崩壊したの。
なのでその時が地方都市のほとんどの地方都市の税収のピークなんですよ。
そっからダババババババって減ってったわけ。
だから親父が死んだ時が一番良かったわけ。
だから帰ってこなくていいだった。
その5年後に会社もちょっと大変だって言って、
ついでの母親だったから、ちょっとヘルプっぽい電話が入って、
ちょっと自分の今の仕事も父親の遺言を忘れるくらい5年経っちゃってて、
好きなことやりたいことやれって言われてるの。
やれてないなっていう自分もあって、それでもうバサッと辞めて岩手帰ったわけ。
ちょっと巻き戻すと、お父さんは10歳で掘り出されて、
学生時代の時って、25に聞くときって多分働いてたと思うんですけど、
大学行く前とか学生の時って今の仕事をするイメージなんていうのは全然なかったんですか?
ないないない。だって俺本当に開けても暮れてもバレーボールやってたから。
そうですよね。そうだそうだ。
バレーボールやってたんだけど、高校3年生のインターハイ前までは、
複数の大学からバレーボールで来ないかって誘われてたの。
独体制とか。だけど大怪我しちゃったんですよ。3年生の春に。
だからもう一切そういう話がなくなって、それで最後のインターハイにも出れてなくて、怪我で。
その時に思ったことが、結構勉強も頑張ってたわけ。
だから今バレーボールね、子供たちに教えてる機会があるんだけど、
バレーボール一生懸命やったけど勉強も一生懸命やれってよく言うのは自分の経験上。
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バレーボールがもうなくなってて、勉強もしなかったら、たぶん今こうやってここに座ってることもなかった。
そうですよね。
やっぱ二刀流って大事です。これ言いたかったんですよ。いわてだし。
なるほど。
たぶん大学で、普通親父が建設会社をやってるってなったら、なんとなくそっちに行くんかなみたいなイメージも。
なかった。
なくはないがよく多いけど、ゴリゴリに体育やってバレーやったんで、学生時代もバレーをやって、ダメになって。
それで勉強し始めて、そしたら行きたい大学が東京商船大学って、商船。今は東京海洋大学ってなってるけど。
船ですね。
船船船。東京商船大学に行こうと思ったら、これ身体検査があったんですよ。
そしたら軽い四季角以上、目の病を持って先天的な。それでダメだったの、処理専攻で。
俺ダメダメって来て、ダメダメって来た時にBS放送で、当時の映画で高倉健さん主演の海峡っていう映画をやってたわけよ。
もうダメダメってなった時に、ぼーっと見てたわけよ、勉強する気もなくて。
そしたら海峡っていう映画がやってて、高倉健さんと三浦智一の、いわゆる青函トンネルを掘る。
あれで、もう気づいたらボロボロ泣いてて俺。土木屋かっこいいって思って。
それで、親父と同じ日本大学理工学部土木工学科に入ったんですよ。
その時点で建設を結構。
イメージしちゃう。
だけど、都合とは思わなかった。
あれは親父が作った会社だし。
だから景気も悪かったの。俺が就職するときに超氷河期って言われてる時代だから。
やっぱり役所とか公務員とか公営企業がすごい人気だったのね。
俺も景気が悪いってなると周りに流されて、工団っていうのを受けさせてもらって、それで運良く採用されたっていう。
大学に行って、具体的に仕事は何をしてはったんですか。
地域人口整備工団っていうね。今で都市再生機構って言うんだけど、言ってみればその通り地域の街を元気にするっていう工団。
で、その手法が超古典的で、一つは工業団地を作って元気にしましょうっていうことと、もう一つはいわゆるニュータウンを作って元気にしましょうっていう。
郊外型開発だった。
だけど、私が、俺が配属されたところは、今までやってきた大規模開発じゃなくて、
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もう駅前が、地方都市の駅前がもう全然ダメになってきた。
駅前の再生、どっちかっていうと今の街づくりに近い方の再生の方を担当したんですよ。
だからそこでまた、今思えば運良くね、僕の上司っていうのは、工団としては初めての試みの仕事だから、私の上司って外から来た人ばっかり。
プロパー職員が一人もいなかったの。
そのほとんどが建設省のキャリア管理をだったんですよ。
知識者ですね。
そうそう。知識者の下でいきなり土木屋が入って、知識者にいわゆる鍛えられるわけよ。
本当鍛えられたんですよ。
2年後には東京本部の採用者っていうのは、2年後には必ず地方都市に転勤っていうルールがあったんだけど、
なんと2年経って3年目にお前建設省に来いって言われて、その人たちに。
建設省で働くことになっちゃう。
だったらもう本当マジで地獄よ。地獄。
今さ、ブラック企業とかって言うでしょ。
俺どういう生活してるかって言って、今若い奴言っても全然えーとかって信じてくれないんだけど、俺始発で帰ってたからね、毎日。
終電で帰れれば早い方。始発で帰ってたの。
具体的に何やってたの?
法律作ってたの。これがまた後で繋がってくるんだけど、中心市街地活性化法っていう法律作ってたの。
それの法律を作るタコ部屋っていう部屋があるの。
法律作るスペシャルチームだけが集められて、そこに詰め込められるの。そこに詰め込められて、もう人としては扱えない。
すごいだって差し入れがね、いわゆる栄養ドリンクとカップラーメンなんだよ。
そこでもう昼夜寝ずに仕事して法律作って、そういう生活してた。
オガールって、たぶんむちゃくちゃそぎ落とすと、菅と民が連携してやるっていう、なんか今っぽいお話じゃないですか。正直。
違うよ。だって中心市街地活性化法っていう完全に行政主導、いわゆる菅の菅政まちづくりだから、当時は30年前は。
菅政まちづくり、いわゆる行政が決めて街を作るっていうのが主流だったわけ。都市計画決定だったらそうだし。それが当たり前だと思ったの。
そして俺が大きな間違いを、間違いしたってまた当時一緒に働いてる人が怒られるけど、中心市街地活性化法っていう作って、
じゃあ中心市街地どうやって活性化させるかって話なんだよ。
でそれの一つの柱になってるのが、いわゆる商店街を再生させれば、商業を再生させれば街は再生するっていうロジックなわけ。その平成9年に作った。
だけどそれじゃあ、その法律にのっとって言われてることが、今まで5兆円金ばらまがれたわけよ。地方都市に。
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じゃあこの25年間の間に、地方都市どうなりました?って話。
今一個疑問思ったんですけど、その法律って、作ってたタコベアに入って岡崎さんがやっていたんですけど、そもそもそれの計画立案を考える人って誰がやってるんですか?
議員立法。つまり地方都市の議員さんたちが、もう大変だと。
結局だからもう、そういうことです。
お金を取るために。
なるほど。しょうもないですね。
しょうもないですよ。あの法律はね、当時建設省、通産省、国土庁が幹事省庁だった。他、自治省とか、それがつくついに11省庁の合同提案の議員立法なんですよ。
今あれですよ。それこそ兵庫県出身の西村元大臣。これが当時通産省の立地政策課の補佐だったんです。毎晩の夜競技してたんです、あの人と。
これは結局でもそこで、ちょっと我がために予算を取るために、自分の地盤のところに、これやったらちょうどええんちゃうかでつくったみたいな話をした。旗振ったのは議員さん。中身詰めたのがプロ。
そこに実務させられるタコ部屋があったのが小崎さん。そりゃ鍛えられますわ。議員さんからも言われるわって各省庁ととなわりだから法律づくりっていうのは。調整もめちゃくちゃですよ。それを寝ずにやるんですから。人格崩壊しますよね。
だからブラック企業とかって今ね、うちの周りの田舎でも言うけど、これからすればオフホワイト企業ですよ。グレーにもなってないですよ。オフホワイト。日に焼けたくらい。
そういう前提があって。
官僚的な仕事やってきたわけでしょ。それが地方都市の建設会社の社長業をやれって言ったって、今まで頭下げたことがないやつが営業なんかできるわけないの。そんな楽な仕事じゃないですよ。もう嫌になっちゃってすぐに。
何やってたかって言ったら30で帰って、33の途中くらいまで、朝行ってきますって夕方帰って、結婚して子供もいたんだけど帰ってくるまでほぼパチンコ屋でヨシムネ売ってた。
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ヨシムネ売ってた。
建設研究者なんですけど、もたにさんから1本のメールが来て、岡崎くんさ、受注型の建設会社なんか岡崎くんが会わないよって。あなたがやらなきゃいけないのは街元気にする建設会社だって。
仕事をもらう建設会社じゃなくて仕事を作る建設会社になったほうがいいんじゃないかというアドバイスをくれたのが34歳の時。
そろそろちゃんと考えなきゃなと思って、そしたら東洋大学のほうに社会人大学院で公民連携専攻いわゆる。
帰ったんだけど、金ないじゃんもう。パチンコで負けすぎてて。パチスロでも出るはずが。出るはずが出るわけないよ。それで母親である社長にもう1回勉強し直したいと。しからば金貸してくれって言ったら母親が、社長がいくらだって言うから500万貸してくれって。
うちの母親って本当に俺小学校3年生の時に福利計算を教えた母親だからね。お前500万貸していくら返すんだって言われて会社に。本当に契約するのが大変なんですよ。そういう家なんですよだから。
貸したものは返す。借りたものは返せっていう原理原則がある会社なんで。いくら返しますって約束して500万もらって預かって、それで毎週金曜日土曜日一泊二日で東京に帰って。
勉強するに至ったのは仕事を行政からもらう建設会社じゃなくて、仕事を作る建設会社になりなさいっていう言葉をもらったから。東洋大学の公民連携専攻に行くに至ったところはどんなやったんですか。
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もたにこうすけさんがそういう風にアドバイスをくれて。そこまで行ってやったらってことですか。そこの根本さんっていう主任教授がこれももたにさんの元上司なわけよ。紹介してあげるからって。根本先生紹介してもらって入学試験を受けて入ってそこで衝撃を受けるわけ。
どんな衝撃を受けるかって言ったらアメリカで実際に起こられてる街づくりのスキーム。これがいわゆるちょっとアレンジしたのがオガールになるんだけども本当に合理的だなと思ったわけ。商業さえ復活すれば街が復活するってそれっぽく聞こえるじゃん。だけど実際は何も起きなかったわけでしょ。そういった頭があったからどうすりゃいいんだろうなって思った。やっぱり勉強するってすごい大事だなと思いました。
でそれで大学院に通ったのは結果1年セメスター制だったんで1年半1年6ヶ月通ったんだけど最後の6ヶ月間はアメリカに何度も行ってアメリカの実際に見てヒアリングして論文まとめたの。
なんか僕今回言ってね。例えばですけどPFYっていう言葉は教科書では見ます。公民連携の素晴らしい仕組みとしか書かれてないですよね。覚えます。試験で書きますみたいな話ですよね。とかSPCもそうですしいろんないわゆる単語が教科書で見たやつが知ってる知ってるなんですけど言葉も理解できる。
でも実際にあるのがオガールなんだに気づいたんですよ。でそれがアメリカでやられていた仕組みってことなんですか。
基本的にアメリカのまちづくりっていうのは不動産開発なんですよ。けど日本って不動産開発として見てないわけ。不動産イコールなんかうさんくさいってイメージじゃん。違うよ。不動産開発なんですよ。不動産開発としていかに土地の価値を上げていくかっていうアプローチなわけ。それが本当のまちづくりだっていうことをアメリカ人。
だって土地の価値を上げれば税収増えるのは当たり前なんだよ。そこに日本のまちづくり業界は行政は単なるばらまきでしか思ってなかったのかアプローチしてこなかったよね。不動産イコールなんかバブルを想起させてしまうじゃん日本って。違うんですよ。アメリカに行って不動産っていうものに対して本当真摯に向き合うっていうのは大事だなって気づいた。
そのスキームを勉強してそれを持って帰ってやったのがしわちょうどオーガナルとアレンジも加えて。つまりいよいよこれはエンディングなのこれ。
でもスタート地点には一応勝ったんですよね。なるほどってことはアメリカにも行ってそれを吸収して持って帰ってこられてオーガナルを作った。なるほど。
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けど一筋縄じゃいかないんですよこれが。
そりゃそうですよね。
こっからが。
こんなことあったと思うんですよね。
これ来週。
来週ね。
続きはじゃあ。
そうですね。また来週にということで。
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リノベの時間Xからもお気軽に感想DMなどお待ちしております。
またアーカイブ毎週月曜日6時にYouTube Stand FMにて配信しております。
これまでのゲストの方々のアーカイブも残しているのでぜひぜひご視聴ください。
はい。
実際見に行って、僕ら見に行ったじゃないですか。
多分三浦さんは普段企画側なんで。
そうですね。
どう見えたとかちょっとまだ違うと思うんですよ。
なのでどっちかっていうと冒頭あった深み意味のある質問をしてよっていう。
パソコンを来週はちょっと聞いていきたいですが。
ただ法律を作っていたっていうのを聞いてちょっと怪異ある。
そうですね。
思ってるんで背伸びしながら聞きたいんですけど。
むちゃくちゃ聞きたいことたくさんあるんですよ。
どんどん聞いてください。
ようやくスタートラインに立ったっていう。
なんか当たり前だけど法律って人が作ってんだよって思いましたね。
作った人がね。僕見てますので。
来週その辺の話を聞いていけたらなと思います。
お願いします。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
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