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2025-01-24 28:37

リノベの時間2023.10.5:株式会社ワークヴィジョンズ 代表取締役 西村浩

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ゲストは、株式会社ワークヴィジョンズ 代表取締役 西村浩さんです。

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建築家/クリエイティブディレクター 東京大学工学部土木工学科卒業、同大学院工学系研究科修士課程修了後、1999年ワークヴィジョンズ一級建築士事務所(東京都品川区)を設立。 土木出身ながら建築の世界で独立し、現在は、建築・リノベーション・土木分野のデザインに加えて、全国各地の都市再生戦略の立案にも取り組む。 2014年には佐賀市呉服元町に同社佐賀オフィス兼シェアオフィス「COTOCO215」を構え、2020年にはベーグル専門店「MOMs’ Bagel」の事業主となり、 マイクロデベロッパーとしても佐賀のまちづくりにも取り組んでいる。 岩見沢複合駅舎(北海道岩見沢市)では、日本建築学会賞(作品)、2009年度グッドデザイン賞・大賞等受賞。 近年では、神水公衆浴場(熊本市)にて、2021年度グッドデザイン賞・金賞、日本空間デザイン賞2021の最高賞KUKAN OF THE YEAR、10数年に渡りエリア再生に取り組んできた佐賀市呉服元町では、2021年度土地活用モデル大賞/国土交通大臣賞など、分野を超えて数多くの受賞歴がある。

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是非お聞きください!

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はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今晩は、地方と首都圏、上から建築とリノベーションという形で、
2拠点、それから2刀流みたいな形でやっていただいている西村さんに来てもらっています。
それでは、いろいろ聞いていきたいなというふうに思っております。
じゃあ、タイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓察し断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、
建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションや松づくりをやっています。美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの本です。
よろしくお願いします。
今日はですね、圧倒的に声が出にくくて、
地区の方がね、再発しちゃいまして、出にくい中でやっていこうかなというふうに思いますので、よろしくお願いします。
この番組は、全国のリノベーションと町づくりで活躍する
多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
はい、じゃあそのままご紹介お願いします。
それでは早速、今日のゲストをご紹介します。株式会社ワークビジョンズ、代表取締役西村ひろしさんです。
こんにちは。
こんばんは。よろしくお願いします。
どうも。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
こんな声ですいません。
なんかね、ういういしいスタートで。
鼻がこんなに詰まると、なかなかしゃべりにくいですね。
そうだね、ほんと。
いやいや。
大丈夫。
こんな日にそういうことになってすいません。
大丈夫よ。台風来てるしね、今日ね。
なんか今年台風に僕すごく追いかけられてるイメージなんですけど、結構多いですよね。
そうそうそう。
またでも13とか14なんで、大体20代ぐらいが強くなるイメージなんですけど。
俺も結構ついてくんだよね。
ほら九州じゃん、拠点。九州と東京じゃない。九州行くと九州の方に台風来たり、今東京に来たり。
はいはいはい。
俺のせいかもしれない。ごめんね。
あれですね、二拠点の話を聞く前にですね、西村さんのご紹介を。よろしくお願いします。
はい、ゲストのご紹介させていただきます。
西村博史さん、建築家、クリエイティブディレクター、東京大学工学部土木工学科卒業、
同大学院工学系研究科修士課程終了後、
1999年ワークビジョンズ一級建築士事務所東京都品川区を設立。
土木出身ながら建築の世界で独立し、現在は建築イノベーション、土木分野のデザインに加えて、
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全国各地の都市再生戦略の立案にも取り組む。
2014年には佐賀市五福本町に同社佐賀オフィス兼シェアオフィスコトコ215を構え、
2020年にはベーグル専門店マムズベーグルの事業主となり、マイクロデベロッパーとしても佐賀の町づくりにも取り組んでいる。
岩見沢複合駅舎、北海道の岩見沢市では、日本建築学会賞、2009年度グッドデザイン賞、大賞等受賞。
近年では桑水公衆浴場熊本市にて2021年度グッドデザイン賞金賞、日本空間デザイン賞2021の最高賞区間オブザイヤー。
10数年にわたりエリア再生に取り組んできた佐賀市五福本町では、2021年度都市活用モデル大賞国土交通大臣賞など、分野を超えて数多くの受賞歴があります。
長かったね。ここで10分くらい使ったからね。
受賞歴で言うと2003年ぐらいからずっと何かしら賞を取られてて、やっと貼るんですよね。
ありがたいことに。
僕、西村さんのことは一方的に2016年、17年ぐらいに西村さんのことを知って、きっかけは大島さんだったりなんですけど、
協議会の流れで、僕もちょうどそれぐらいに街づくりの文脈とかエリアをリノベーションするとかっていう定義がある、
気づかずそんなことをやってたんですけど、そういうくくりの分野があるんだっていうことを知って、西村さんを知りました。
僕の中では西村さんは、街づくり塾、エリアリノベーションの人。
戦時通りでももう2年3年前ぐらいですけど、大和氷山で事前講演来ていただいたときに、
西村さんが来る、でもうちょっと西村さんのことをちゃんと知ろうと思ったら、いやいやゴリゴリの建築やないかってなって、
で一気に興味が湧いたみたいな。
ありがとうございます。
っていうところで、ちなみに地元は佐賀。
出身が佐賀ね。佐賀の佐賀市。
佐賀はそうしたらいつまで佐賀に住んであったんですか?
僕は小学校までなんだよね。小学校まで行って中高長崎に行って、
寮生活と下宿生活してたんですよ。
それは何でですか?スポーツとか?
いやいや、進学して、受験して進学して長崎に行ったんですよ。
缶詰にされる中高に行ったの?
当時は56歳だからちょうどそういう時代で、中1から中3まで寮生活。
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高1から下宿に出て3年間過ごすんだけど、寮生活すごかったよ。軍隊ですよ。
出身が東大なんで、進学校っていう意味で。
そうそう、今もあるけど。
何人ぐらいの人が?
中学校で150人、高校になると100人入ってくるから250人。
250人で何人ぐらいが東大に行くんですか?
僕らの頃はまだ10人ぐらい。
エリートですね。トップやったってことですね。
でも浪人したからね。そこで浪人して東京に行ったの。
生まれ差が、青春はないけど長崎に置いてあって。
中高長崎で、浪人で東京に行った1年間。
それこそここに出てくれた大島さんが事務所を構えている東中に住んでたの。すぐ近くに。
浪人して東大に入る。
その時って高校の時にもう建築やるみたいなイメージあったんですか?
なんかね、よく覚えてないんだけどぼんやりだね。
ただ、現役で受験した時も、どこ受けたんだっけな。
早稲田の建築受けたのかな。
三浦さんですね。
早稲田の建築と東大の理科一類っていう工学系に受けたんだけど、
両方落ちたんだよね。
なんでよく建築受けようと思ったのって言われたんだけど、
なんとなくだけど、うちの母方のおじいちゃん。
親っていうかおじいちゃんだね。
おじいちゃんが棟梁だったのよ。
大工さん。
大工さんで、たぶん子供の頃から作業場で遊んでたんだよね。
たぶんそういうのがあるんじゃない。
実家も建てる時も手伝ったりしてたし。
それでなんとなくなんじゃないかなと思ってるんだけど。
理系やったんですね。
そうそう理系は理系だった。
東大入ったら選択肢って後から選択すよね。
そうなのよ。
だから浪人して一浪して入ったじゃない。
理科一類。
僕ずっと小学校は少年野球。
ずっとやってて。
小3から6年生までやってて。
長崎の中学校行って野球やろうと思ったら野球部がなかった。
野球部がなくて。
あの時代衝撃的なんだよ。野球部がないとかあんだと思って。
しょうがないから友達がバトミントン部だったから一年間だけバトミントンやってたよ。
バトミントンやってた。
一年間だけ。
めっちゃ個人スポーツになるじゃん今度。
俺個人スポーツ頑張ったんだけど向いてねえなと思って。
一人でやるスポーツ。
中2からバスケ部に移ったのね。
バスケ部に移って大学4年までバスケやってた。
バスケなんですね。
大学4年まで。
だからローンにして一年やらなかったけど東大の理科一類に入ってバスケ部に入って。
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そっからしばらく4年生ぐらいまではジャンソーか体育館にしかいない人だったのよ。
勉強の学生時代はあんまり。
全然してないね。
全然って言ったら怒られるけど。
土木に行ったあるじゃないですか。
3年の時にね。
1,2年で教養学部に入ってそこの点数で振り分けられるわけですよ。
選べないってことですか。
選べるんだけど応募して応募した人たちの点数が高いと落ちるって。
なるほど。
当時建築とか土木って割と社会の状況をすごく反映するんだよね。
人気がどっちが上かなみたいな。
その時にバスケ部だったし勉強してないし点数が結構怪しかったわけよ。
テストの用紙に先生に僕はバスケットで頑張ってるので通してくださいみたいな書いて出すみたいな。
ということをバスケ部の先輩に教わって書いたら通るよみたいなことをしてたりしてて。
これ建築行きたいけどどうなんだろうと思って悩んでたら土木の先生がリクルーティングに来るわけですよ。
うちに行きませんからみたいな。
その時に土木の世界でもデザインがあるって話聞いたの。
当時ちょうどどういう時代かっていうと瀬戸橋とかアクアラインとかの設計してる頃よ。
でっかいの。
でっかい橋よ。
今日本中もうなくなっちゃったけどああいうプロジェクトが山のようにバブルの最後の頃だからあって
こんなのデザインできるんだったらめっちゃ面白いじゃんと思って土木に応募して土木に通ったんです。
なんとなく建築物っていう大きい概念で橋梁とか橋の方の大きいのに当時は興味を持って行ったみたいな感じですね。
まあ半分よく分かってない。
まあまあそうですよね。
なんか地図に残る仕事とか言われるとさ。
同じことを土木やってる人みんな言うんですよね。
どっかのゼネコンのキャッチコピーだから。
まあでも実際に飛行機僕よく乗って移動するじゃない。
で上から見てるとめっちゃ見えるよね。
赤石海峡橋だね。
あんなのデザインできるって言ったらもうすげえなと思って。
ってことは大学院も土木をやってで。
橋梁研究室ってとこにいたんです。
そっからどうなるんですか就職というか。
そこから僕はデザインをしたくて土木に行ったわけ。
土木のデザインですね。
橋梁のデザインとかね。
で行ったんだけど実は行ってみて分かったことは
土木の世界にデザインをやってる人がいなかったんですよ社会に。
なんでかっていうとやっぱり土木っていうのは道作ったりインフラを作るじゃないですか。
公園作ったりとか結構スケールの大きな都市を再生するみたいなことやるんだけど
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それって実は戦争に日本あったじゃない。
で日本中やけの原になったでしょ。
でその時にその前までは大正時代とかは日本の役所の人たちがヨーロッパに勉強したりして
すごいデザインをしてた。
昔のダムとか例えば墨田川の橋とかね。
ああいうものを勉強して帰ってきて役所のエンジニアの人がすごい勉強してデザインしてた。
ところが日本中やけの原になって何が起こったかっていうと
そんなちまちまやってる場合じゃないってある。
だから役所だけじゃなくて間に合わないからアウトソーシングするために
土木のコンサルタントっていうのができて。
でその時技術者いないじゃないですか。
だから国がこの標準的な設計みたいなものを作ってデザインしなくても橋が架かるっていう。
できるようにマニュアル化しちゃったんですか。
そうマニュアル化しちゃった。で今でもあるんだよ標準設計。
この橋のデザインの標準設計があってそこにちょっとこれこうしとくかぐらいがデザインってことですかね。
だから当時はそうだったの。
だからもともとデザインだから戦争でやけの原になった後はなくなったの一回。
なくなっちゃってみんな標準的な設計しかできなくなっちゃって。
そこにデザインがあるよって大学の先生たちはやんなきゃいけないと思ってるからリクルーティングに来て。
行ったら社会何もしてない誰もいないじゃん先輩が。
そんでこのままここにいても建築界はスターがいるわけじゃん。
あの当時は牧文彦とか磯崎原田とか安藤忠夫とか今マフィアみたいなところにいらっしゃる方々がいて。
これやっぱ建築行かないとまずいわと思って大学院に行ったときに。
院で気づいたんですねそれに。
ちょっと前から気づいてたけど4年まではしょうがないじゃん。
でもそのまま研究室に残ったんだけど院にいたときに建築学科に入り浸ったんです。
入り浸って大学院の学生なんだけど建築学科の学部の授業を単位的に半分の単位なんで倍の数取って大学院卒業したんです。
建築の院も。
建築の学部の単位で土木の大学院を卒業したんです。
ルール的にオッケー。
倍やれよってことですね。
設計制度とかも受けさせていただいて学部の生と一緒に変な大学院してきたなみたいな土木の。
それで卒業したら半分建築のチーム入りつつ半分土木のチーム入りつつで社会に出ていくみたいな。
だからそれができたのは僕の協力研究室の藤野先生って先生がいたんだけど本当に振動とかの先生なんだ協力とかのね。
その先生に僕ねこの前明かされたんだけど言ったことがあっていや僕この研究室にてその振動の勉強とかはしたくありませんって言ったらしいんだよ。
建築家になりたいんでって言って建築学科の授業を受けたいって言ったらわかったと。
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そこまで本気で言うんだったらやれと。
その代わり学生の後輩の面倒見ろって言われて。
ギブアンドテイクで。
でもねそうやってね今本当にどっか他の大学の学長さんとかになってる先生なんだけど今おっしゃるのは大学っていうのはなんかこう研究室に行って専門性がどんどん濃くなっていくじゃない。
大学院とかドクターとか行き出すとどんどんね。
でそういうのも大事なんだけどでも研究室っていうのはいろんな学生がいるからいろんな刺激があってなんかいい研究になったりなんか新しい刺激がもらえるからその方がいいんだってこの前言ってくれたんですよ。
その先生が先生の話ってことですね。
先生が言ってくれた。
で当時そう思ってやってくれて僕を自由にさせてくれた。
だからここにいるよ。
今日呼ばれてんのよ。
いやいやいや。
本当に。
っていう大学院生があり社会に出た一歩目はどういう風になったの。
だからそう大学院の2年ぐらいにバイトとかをし始めて設計事務所とかでバイトするんだ。
それまでバスケ部の時は本当に左官の仕事とかプールの石積みをモルタルで作るとかそういうのをやってたんだけど。
でも大学院に入ってから設計事務所で勤めて建築の。
でドロドロになりながらほとんど学校いずバイトばっかりしてる生活してて。
それはどっち系ですかいわゆるアトリエ系。
アトリエ系の建築事務所でやってて。
僕就職の時に建築の設計事務所に勤めたいと思った。
で当時は就職するのに今インターネットで何百社も入れるじゃない。
で僕らってハガキだったんだよ。
僕も送ったらこんなのがガーンてくる。
冊子にハガキがついててそれでエントリーするみたいなやってる時に設計事務所とかに出したのよ。
そしたらことごとく断られるのよ。
要は自分の専門土木の出身だから自分の専門部屋で頑張ってくださいって帰ってきちゃうわけ。
いやそういうもんなんだと思って。
で元々そのバイトしてた設計事務所にそのまま就職させてもらって。
だからボス二人と俺しかいないっていう。
独立したばっかりの事務所だったからボス二人と僕しかいなくて。
それで建築をそっからもうずっと。
5年半その事務所でもうひたすら建築。
しかも谷口芳生さんのOBの事務所だったの。
OB二人。
だから僕土木の世界は本当飛行機から見えるぐらいのスケールなわけ。
何キロとかダムとか川とかもさ。
ところが谷口芳生さんの建築ってもうコンマ5ミリとかの図面を描くわけ。
でコンマ何ミリの世界に。
当時は手描き。
手描きもうディテールの世界にずっとハマっててめちゃくちゃ面白かったのよ。
18:05
ここにあるじゃんこういう時計のさガラスがこことどう収まるかとか。
今日ね。
今日ちょっとご承知ありますけどメラミンの小口がミリぐらい出るじゃないですか。
出る出る出る。
あれについて話をしてたんですよ。
分かる分かる。
今日その話聞いたらええんじゃないですか。
最近中が同じ色になったからやりやすくなった。
この間近代の宮部先生に話を伺っているときに建物のどこまで最終設計で見えてるんですかっていう。
極端な話だったら例えば軒の裏かここの収まりのここまで線描くんですかって。
それは描くでしょっていう話があって。
僕らはそのイメージが全く持てなくて設計する人ってそういうのを見そうなんやっていうのが多分今の話かもですね。
経験によるだろうけどね。
でもずっとやってるとこうなるとあそこで絶対問題起こるなって分かっちゃう。
そこに目が行くんで。
でもだんだん建築やってるとそういう細かいところに目が行くんだけど。
でも一方でだんだん町づくりとか都市の話になるんだけどその延長上に何キロがあるんだよね。
これとこれが別物じゃないってやっぱり僕は同国だからだんだん思い出すんだよね。
それが僕にとって大きかったね。
本当にミリ単位のやつをやってたところから。
多分時系列で言うと5年やって。
5年半勤めて独立。
独立されたんですか。
でワークビジョンを作って1999年にね。
独立したときはいわゆる普通に設計をされてたってことですよね。
1個の住宅だけ持ってね。
当時みんなそうだと思うけど独立するとき。
全く食えない。
1年目って年収50万ぐらいだったよ俺。
やべえこれもう生きていけねえみたいな。
だからすごい当時はアルバイトの冊子があったじゃん。
アルバイトニュースとかフロムイエーターとか。
それを見てなんかやれる仕事ないかって探して。
いろいろやってたよオフィスの移転作業とかね。
ある保険会社の熊本支店に移転する設計と作業みたいな。
開業したんは1999年。
東京ですか。
東京東京。
基本ずっと東京なんです。
そこからずっと東京なんですね。
どこで今のところになるのかっていうところのターニングじゃないんですけど。
いわゆる先ほどおっしゃってた元々は数キロ単位の話。
でもミリ単位のところでその間は別物じゃないよねって気づいたところの話ってどんな感じが。
そうだよねこのままいくと3時間ぐらい話してる。
そっから住宅で食えなくて本当困ってたの。
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でも事務所の移転作業とかで既存の建物を実測したりみたいなことって。
リノベの話になってるんだけどやったり経験したりして。
実はつまらない仕事だったかもしれないけどめちゃくちゃ経験的に良かったんだよ。
そっから食えないなと思ってたら大学の先生が今度警官の先生篠原先生っていう先生がいらっしゃるんだけど。
その先生が俺が食えてないことは多分わかってて。
そんで長崎に水目の森公園っていう公園があってそこに運河があってそこに橋ちっちゃい歩道橋を5,6個かける仕事があると。
お前長崎出身だよなと地元にお前恩返ししろって言ってくれて仕事をくれたの。
その設計料が800万円ですよ年収50万の男が。
それで生き返ったんだけどそこで土木の世界っていうのにもう1回関わることになったの。
それは建築じゃなくて建築物だけど概念としては土木として。
土木の橋を作るっていう。
どれくらいのサイズ?
15メーターぐらいじゃない大きくてもぐらいの大きさの歩道橋が5つぐらい。
土木の15メーターの歩道橋はちっちゃいっていう感覚だね。
めちゃくちゃちっちゃい。
建築側からすると小建て住宅がメインだって15メーター乗ったらでかいなって感じですね。
15メーターとか20メーターワンスパンで飛ぶからね。
それが橋梁なんだけど橋梁のデザインをするみたいな話で関わらせてもらった時に
俺はその時に1回土木に幻滅してるわけ元々。
とんでもないこんな社会だったらデザインの勉強できないと思って建築に入り乱ったじゃない。
でもう谷口さんすげーとか牧さんすげーって思いながらディテールめちゃくちゃ勉強して土木に揺り戻されて
そこで作った橋はめちゃくちゃ建築的なのよ。
すごい細かいことまで。
これ今まだあるんですか?
31歳くらいに作ったんだけどようできてるなって正直思う自分で。
なんでそう思うかっていうと土木の世界でそんな細かいところまで設計して作った経験がないのみんな。
だから僕がその設計をして橋を作ってくださいって設計して現場に行くとみんなポカンとすんのよ。
これなんですか。
この細かいミリってできないんですけどとか。
で土木ってやっぱりそんなミリまで工事もしないのよ。
1000ですね、10,000ですね。
よく知ってるな。
1,000、2,000っていうのは円にも似てないゴミのような単位っていう意味だからセンチだってゴミなんで。
だからメートルなんで基本的に。
そこになんか狭割りがとかさ書いてあるわけ。
でそれであそうかこんなに土木と建築違うんだと思って。
ということは同じものづくりなのにこれもうちょっと擦り合わせないと土木もうちょっと頑張らないとできないねって言って。
土木の中でももっとデザインできるんじゃないかって細かいところまで詰めてやってったわけよ。
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揺り戻しですね。
でやってたの細かいところまでそれからしばらくいろんなプロジェクトで土木の細かいところまで設計してやってできるんだけど。
そういうのがねできてからなんかねよそよそしいんだよねそういう土木の世界に。
フィットしてないってことですか。
要はね年スケールの中にドンと置かれたときに。
なるほど。
例えば何ミリで設計しましたみたいなことってさもう大したことじゃないのよ。
しかも雨風さらさてそんなのすぐぶっ壊れるしさ。
でバットで殴るやつとかいるわけ土木空間って。
わかる?
公共ですからね。
そうそう。
だから作るのはいいんだけどそういう環境にあるとか使われ方されてることをちゃんと意識してね。
しかもさ土木の空間っていろんな人が歩くじゃん。
例えば田舎ですごい田舎でピンピンにとんがった橋を作ったわけ。
はいはい。
手すりがね。
そしたらそこに歩いて行ったらさモンペ履いてるおばあちゃんがとぼとぼ歩いてるわけよ。
でセロを見たときにいやこれ違うなみたいな。
作れるけどやっちゃいけないんだなっていうのがあったわけ。
建築だと割と閉じた敷地の中で自分の作品みたいなところがあるからピンピンに尖っても意外とそうでもなかったりするわけ。
でも土木空間って開かれてるから境界がないんで。
他と比べて比較して目立つなってなるんですよね。
だからやれるけどそのディテールをキンキンに0.5ミリまで作れるけどあえて作らないっていうことをできなきゃいけないなと思ったのよ。
ただよく若い人にさ学生さんとかに言うのはできないのになんか崩しましたっていうのやめろと。
一回できるとこまで行ってからやるかやらないかの選択肢でやるときとあえてやらないときっていうのをやれるようになれよって。
めちゃくちゃ話ですよこれ。
なるほどね。
そうするとだんだんどこに落とすかみたいなことは街のことから決まるんだみたいになってくる。
それでだんだん都市に馴染んでいけ僕も。
独自社当初は土木の仕事をもらったときは建築と土木の仕事が両方もらえるんだったら生きていけるかもとしか思ってなかった。
両方できるっていう。
確かに当初はそういう価値で評価してくれたり両方やってる人がいるよみたいな。
いないからね。
そんな人材生まれないからって言われてたんだけどだんだんその両方やるっていうことの意味がやっぱりそれが融合していろんなスケールをきちんと自分の中で思考の中で判断しながらコントロールできるっていうことが一番の価値なんじゃないかなみたいな。
そうやってここに来てる感じかな。
建築とまちづくりの間に土木っていう概念があったんですね。
僕の中ではそれはすごい大きかったね。今振り返れば大きかった。
いやでもそのディテールにめちゃくちゃこだわった橋梁橋、歩道橋はめっちゃ見てみたいですね。
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長崎行ってください。
見に行ってきますよ。
水目の森公園っていうのが。
なんとなくルーツはイメージが見えたんで、来週そこのコネクトしていくところのもうちょっと具体的な話をお聞かせいただけたらなというふうに思いますね。
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またアーカイブは毎週月曜日18時にYouTube Stand FMにて配信しております。
これまでのゲストの方々のアーカイブも残してますのでぜひお聞きください。
長崎って僕多分九州めちゃくちゃ行くんですけど、長崎だけ多分行ったことないと思うんですよ。
佐賀は?
佐賀あります。
珍しいね。
大体佐賀に来たことないって。
佐賀はねサガントスサッカーの絡みで。
試合だけ見に行っただけなんで。
行ったと言わんかもですけど。
ぜひ行ってください。
そうですね。長崎行ってそれを見てやっていきたいなと思います。
来週また引き続きよろしくお願いいたします。
お願いします。
ありがとうございます。
28:37

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