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はい、えー、というわけでね、今晩もリノベの時間をやっていきたいなと思うんですけれども、
実はですね、今日があの2周年、2周年じゃないな、2年目1回目っていう感じになってます。
記念すべき、えーと、2年目の1回目って言ったらいいんですかね。
で、今日からのアシスタントがね、日替わりっていう形になってますんで、
三浦コテイからね、いろんなアシスタントが入ってくるような感じでいきたいと思います。
それではタイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓サッシュ断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、
建築建材といえば株式会社リプシルの提供でお送りします。
はい、えー、こんばんは。大阪港区でリノベーションをやってます。美想空間大島です。
こんばんは。アシスタントの野本です。
よろしくお願いします。
野本、初めましてね。
初めまして。
いつも通り元気にね、やってもらって全然ええかなと思うんですけど、
いつもの感じと違ったんで、若干戸惑いましたけれども。
よろしくお願いします。
じゃあ行きましょう。
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、
トークセッションでお送りする30分です。
じゃあそのままね、ゲストさんご紹介ください。
はい、それでは早速今日のゲストをご紹介します。
有限会社ハートビートプラン代表取締役、泉秀明さんです。
泉です。よろしくお願いします。
あのー、2年目の、一発目のゲストということで。
嬉しいですね。
いつもの感じとちょっと違うんで、若干の戸惑いはありましたけれども。
よろしくお願いします。
ちなみに、あれ、手前を打った時。
折れてましたね。
折れてましたですよね。
復活しました。
復活しました。
あれっていつぐらいですかね。
あったのはもう2ヶ月ぐらい前ですか。
2ヶ月ぐらい前、多分その時が実はね、始まりましたね。
始まりましたね。
大阪でこれだけご一緒させてもらいながら、なかなか接点がなくて。
会ってなくて嬉しいです今日。
あのー、ちょっとじゃあ泉さんのね、経歴をご紹介お願いいたします。
はい。
1971年、東京都生まれ有限会社ハートビートプラン代表取締役。
2004年に有限会社ハートビートプランを設立。
ディープな大阪を案内する大阪旅目鏡や川床を作って水辺の景色を楽しむ北浜テラスなどを仕掛け、
6年間にわたりスイート大阪のプロデューサーとして事業推進。
大阪南波、西梅田、豊田、大阪崎、姫路、気仙沼の街中再生や公共空間のプレースメイキング、
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山口県永戸湯本温泉地再生などに関わる。
長所2、都市を変える水辺アクション、共編著、学芸出版社、民間主導、行政支援の公民連携の教科書、共著日経BP社。
はい。
紙ですね。ありがとうございます。
2004年に今の会社を起こされたっていうことなんで、
そうですね。
2010、今ぐらい。
19年経ってるんですね。
19年ぐらいですかね。
全く、ゆずみさんの経歴、多分感覚的になんですけど、大阪地元、関西じゃないですよね。
そうです。
のも含めて。
どんな感じで今に至るなのか聞きたかったんですけど、
生まれは東京、これだけ情報をいただきました。
そこからどんな、今に至るまで。
高校までは東京にいたんですよ。両親は九州なんですけど、東京に2人がいて、東京で生まれて高3まで東京に行って、大学から大阪に来ましたって感じなんですけど。
高校から、東京から大阪の大学に来るって結構珍しいですよね。
もう一人だけだし、親からもちょっと反対されて、ちょっと怖いところはやめときなさいと思う。
友達からもちょっと大阪に行くんみたいな。一人だけだったし。
わざわざは勉強しにとかなんですか。
勉強しにでもないんですけど、高校の時結構手塚治虫が好きで、手塚治虫も読んでたんですけど、結構有名ないろんな鉄の頭とかリボンの騎士とかあるんですけど、だいたい500冊ぐらい全部であって、マニアックなやつが結構いっぱいあるんですよ。
それ結構地球環境のことを書いてるんですよ。将来人間がどうやって滅びていくかとか、このまま行ったらみたいなの書いてあって、
それは興味があって、環境をやってる大学ないかなって調べたら、たまたま大阪にしかなかったんですよ。
で、大阪に行こうと思ってきたら、受けたら受かったから大阪に来たんですよね。
今泉さんって、ご紹介させてもらった経歴論の中にもありますけど、まちづくりの再生とかそういった領域でやってるじゃないですか。
これのもともとは環境問題に一番興味があるってことなんですか。
そうなんです。
環境論は何を勉強してたんですか。
大学行くまではすごい環境興味あったんですけど、行ったらバイトとバックパック旅行に忙しすぎてほとんど勉強してないんですけど。
ほとんど勉強してないんですけど、興味あったのはやっぱりこのまま行ったら食料どうなるのとかエネルギーどうなるのとか。
一応その昔30年ぐらい前も温暖化の話とかあったんで。
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そういうのがどうなるのかなっていうので、そこ行ったら僕はNGOとかそういう環境のところで何かやりたいなって当時は思ってたんですよ。
大学に来たと。
大学に来てバックパッカーが忙しくて勉強ができずにその次はどうなるんですか。
その次はですね、まともとチャリンコが好きで中古の時からチャリンコツアーをいろいろ行ってたんですけど。
バイクを大学になったら手に入れるじゃないですか。バイクで日本一周とかやってるうちに日本もいいけど海外も行きたいなと思って。
大体そのバイトして金貯めて1ヶ月海外行くみたいな生活になってたんですよね。
大学になってから。
それでやっぱりいろんな世界を見るといろんな街があってその街に興味があるようになってきて。
環境で興味がスタートしたけど街に興味が出てきて。
興味がどんどん出てきて。
プラス大学3年生の時に授業に来た非常勤講師の先生がいて。
それがまさに都市計画の事務所のボスだったんですけど。外部から来てたんです。
その人の授業が面白すぎて。
それが街をどうやって再生するかとか。
授業が面白すぎてってどんなんなんですか。
授業って大体面白くないですけど。
僕全て出た授業って1個もなかったんですけど。
大体寝てたか休んでたか。
出血をやるだけですね。
それが相当面白くてですね。
いろんな世界の都市がどう作られたかっていうのもあるし。
じゃあ街を例えば再開発するとかどういうふうに街を再生していくかみたいな授業があって。
その中でレポートが出たんですね。
レポートはその先生が書いてたレポート。
レポートを書きなさいっていう宿題が出たんですよ。
自分の街1つ決めてその街のことを調べてこいって言って。
どういうふうに地域の人とか専門家とか行政がどういうふうに関わってるのかとかいうのも。
その調べて街をどういうふうに再生するのかっていうのをレポート。
どういう経緯があったかとそれの感想を書けっていう簡単なレポートなんですけど。
それで僕は金沢がすごい好きだったんで金沢に行っていろんな人に聞いて。
金沢の街。
幸林坊っていう街があるんですけど中心部のところ。
そこの再開発っていっていろんなお店があったのをそこはたまたまビルにしてるんですけど。
もともとの八百屋さんとかうどん屋さんがそのビルに入っていたりとかしてるんですけど。
その人たちの話を聞くとか僕みたいな専門家といった人の話聞くとか行政の話聞くとかいうのをしたんです。
公共空間、街のリノベーションみたいなやつですね。
そしたら僕は街って大体誰かが作ったというよりは、
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作ったというか能動的に関わるっていうよりはできたものを僕ら選ぶじゃないですか。
ここ旅行しようとこの街景観いいし、この街面白いしとか。
選んでそれは消費する対象みたいな感じで思ってたんですけど。
自分自身で街を変えていくとかいうのがあんまりなかったんです。
そういうことができると思ってなかったし。
普通そうですよね。
普通なマンにもいるからできないなと思ってたんですけど。
まさに自分で作ったっていうことを全ての人がそれを言うんですよね。
インタビューしたら。
その人がやった。
踊屋のおっさんとか、コンサルタントの人とか、修行生とかもそうだし。
地元のおじさんおばさんが自分たちがこれは作ったからっていうのをみんな言うんですよ。
自分がやったっていう。
自分が。
この街をこういうふうにしたいから私たちはこういう活動をして今こうなってますみたいな。
それにちょっと驚いて。
あれ、街って自分たちで関わってもいいものなんだとか。
誰かが作るもの、殿様か誰かが勝手に作るもの。
行政含め。
こういう一人一人の人間がそれに関わって俺が作ったっていうのはこれかっこいいなと思ったんですよね。
環境ってやっぱりすごい世界で。
それが大学の3年ときのレポートで街に興味を持ち出したみたいな。
そういうのがすごい持ち出したきっかけです。
先生の専門は何やったんですか。
都市計画。
街づくりを学生のときに勉強するってことですよね。
何を学ぶんですか。
僕らは環境工学科で6つ学科があって一つ都市計画で建築、熱力学、流体力学、水がどう流れるか。
経済システム、微生物。
大体そういう感じなんですよ。
難しいからわかんないですよ僕もそんな。
微生物は例えば水をどういう風にきれいにするかっていうことだとかゴミをどういう風に分解するか。
それを微生物を使ってどういう風にやっていくか。
熱力学とかは全体が温暖化したときにどういうシミュレーションをしていくのかだとか。
大学の同級生とかは結構研究職に行ってるみたいな感じなんですか。
2割ぐらいかな。
あとはプラントを作ってる会社とか。ゴミのプラントを作ってますとか。
いろんな水処理してます。水をきれいにする処理の民間の企業にいますとか。
建築設計やってる人もいるし。いろいろですね。
環境に興味があったところからマチを調べたらマチが面白いなって。
大学を卒業するタイミング、就職のときはどんなやったんですか。
就職するときはまさにさっきの都市計画のボスが来てたんですよね。
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非常勤。そのときにすごい面白かったからすぐバイトさせてくれって言ったんですよ。
バイトしてたんです。
ちなみにそれはなんて先生なんですか。
石崎さんって石崎康生さんっていう先生なんですけど。
康生一緒ですね。
すごいよかったからバイトさせてもらってそのまま入れてくれって言って入ったんです。
加藤さんと全く同じパターンですね。
同じパターンですか。
加藤さんも大学で先生に弟子入りしてそのまま就職したんです。
そこではマチ作りを事業としてやっていて。
そこにもそのまま働き出した。
それが東京からこっちに出てきてたまたま関西だったからそのまま関西にいるみたいな感じなんですか。
そうなんですよ。たまたま大学もそうだったし就職も大阪でしちゃったし結婚も大阪でしちゃったんでもう逃げられなくなってる。
戻りたいんですか。
戻りたくないです。
そういう感じですね。
それから会社でいろいろやりつつ独立するっていうふうに至ったみたいな感じってことですかね。
そうです。10年経って独立して今19年目ですね。
働いてた時はどんなことをやってたんですか。
リノベーションとは関係ないかもしれないですけど入った年の1月に阪神青時代震災が起きて全部壊滅的に。
大阪は生きてたんですけどね。
阪神艦航部が大変なことになったのでその震災復興とかにもその関西県のこういう都市計画のメンバー多分ほとんど全員借り出されてると思うんですけど。
そのマンションを再建するだとか国勢入りっていうのがあるんですけどその道路とか公園作るのに合わせてそういう事業のバックアップですね。
僕高3の時やったんですよ。
泉さん何歳の時ですか。
僕が22ですね。
働き出したタイミング。
出した年。
どんなやったんですか。
大変でした。大阪はね僕が住んでるところでもガーンってきたんで寝てる時に。飛び起きましたけど。
地震は僕も記憶にあるんですよ。
地震は記憶にあります。
降参なんでね。
野本は。
生まれてません。
生まれてない。
いいですね。
なるほど。もうそんな前なんですね。
そんな前ですよね。
実際それ僕も友達の家とかそれこそ足屋に原地ありで救援物資運んだりとか痛みがグシャンってなってんのとかを通って見てたんですけどそれを仕事するっていう概念では見てないので。
ですよね。
どんなんやったんですか。
どんなんやったんですか。
町づくりの人間が借り出されてるって。
一番最初は阪神館から高原塚ぐらいまでまでエリアをほとんど全域を一軒一軒それはもう学会とか全体のレベルなんですけど建築学会都市教育会とか全体のレベルで僕らもプロのメンバーも仕事やってる人も入って一軒一軒まずは倒れてる倒壊の調査をする。
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赤札貼ったりするやつですね。
そうそう。
あれをまずボランティアでやるところからスタートしてまさか仕事でそんなやると思ってなかったんですけどその時に。
で赤黄色緑っていうのをつけていくんですよ。
でそれからだいたい神戸でどういうところが重点エリアで町づくりやっていこうかとかいうのが決まるんでそこの一部に入ってくださいとかあとはマンションが倒壊しちゃって重点エリアじゃないんですけどマンションが倒壊しちゃってその管理組合の人から相談があって僕にじゃないですよボスにですけど相談があってこれを何とか再建したいんだけどどうしたら自分たちだけじゃできないかどうしたらいいか。
どうしたらいいかっていうのを入ってほしいとかそういうやつですね。
重たいですねいきなり。
いきなりそういうのがあってそれ以外はあとは行政のいろんなその都市計画どうしましょうっていうマスタープランとか公園とかどういうふうに配置していきましょう公園住宅をどういうふうにやっていきましょうとかそういうプランニング系ですね。
あとは中心市街地活性化の法律ができたんですけどその頃に中心市街地をどう再生していくかっていうのはボスが高松にずっと関わってたんで高松で僕もずっとカバン持ちで行ってて市民の人とか商店街の人とか会議所行政の人たちとどういうふうにしていくかみたいな話とかだいたいそういう感じが起こったですかね。
なんか2つあって多分僕は建築リノベーションをやりてる流れからだんだん古い建物を活用するでそれが面になってエリアっていう概念で携わるっていう感じなんでどっちかっていうと画流でエリアが面白くなったらいいよねっていうスタンスでやってきたんで。
でも多分泉さんはもっと俯瞰して都市計画とか勉強もしたことないですしそこからやっていってるから多分ようやく今たどり着いたみたいな感じなんかなって思ったんですけどね。
それでようやく出会うことができた。
僕らも昔の都市計画の事務所とかは僕はもう全然ダメだと思うんですけど10年経ってそれはあかんと思ったから独立したんですけどやっぱりそのプランニングとかも行政の立場でプランニングとかしてもどんどん遅らいになるんですよ。
誰がそれやるんですかみたいなのが決まってないのが多すぎて行政プランニングしてももう公園とか道路いりませんみたいな話なんですよね。
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市営住宅ももういりません逆に相手にはどうしましょうかって話なんで。
今までのやっぱりどんどん人が増えていくのとは違う方法で本当はプランニングしなきゃいけないけどそれができてないもうバブルの前のが引きずったりとか人口が増えてるのを引きずったやり方だったんでそれに限界をちょっと感じたっていうのがありますね。
だから本間はその僕らの都市企画とやってる人は一番最初から一つ一つのリノベーションとかに入っていかなきゃいけないんですよ。
でもそういうの最初やってなかったんですよ。
それをやってなかったのかやれなかったのかやりたくなかったのかできなかったのかというとどれ?
やり方がねもう少し取りのめで見るっていうやり方だったんです。
ここにはいかないってことですね。
それで違うなと思って自分でやりだしたってことなんですか?
それもありますし実際でもその10年の間で実際リノベーションとか僕もいろいろみんなとやって経験はしたんですけどしたとか
あとはその大正の知りなし側のところで合法的に水上レストランを仲間とやったんですよ2週間くらい。
そういうのもあっていろんなプランを提案書を出すとか提言出されてるっていっぱいあるんですけど。
今やってるあの動きとはもうまったく遥か昔の話ですよね。
2003年ですね結構前です。
その2位のメンバーでそれをやったんですけどそこもいろんな提案が大阪の水辺こうあるべきみたいなの結構あるんですけど
結局誰もやってないってさっきの話と一緒でプランニングしても誰がやるか決まってない。
提言もあるけど誰もやらないみたいなのが結構多いなと思ってたときに自分たちでそれをやって見せてみるとすごいなんか共感を生む。
こんなのがあったりと思って単位やってる人結構いっぱいいるみたいなのがあって
そのやっぱり見せてみて共感を得て次に進みましょうとか制度を変えましょうっていうとすごいうまくいくんですよ。
でもなんかこうあるべきとか言っても全く変わらないっていうのも実感して。
それってもともとね多分策定政策を作るでこういうふうにやったらいいんじゃないのかっていう対象は行政ってことですよね。
そうそうそう多いところですよ。
プレイヤーはそこにはいてなくて誰に向けてそれ提案してるんですか。
やらない前提でそれが出来上がってることがちょっとよくわかんないんですけど。
そうでしょ。
昔はでもそれでもどんどん開発主体もいたし住宅メーカーディベロッパーでその作る人がいっぱいいるんですよ。
で作ったら大体そこにもう人が入ってくるんですよ。
山切り崩すとかいろんなその土地も覚醒して田んぼを住宅地にしたら大体誰かが家建ててくれて人が入ってきて
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で学校も作らないといけないよねとか公園もいるよねとかそういう話にどんどんなっていくんですよね。
でもそれは今の大洋さんとか野本さんの世代だったらありえないじゃないですかそういうこと。
でも昔のやり方ってそうだったんでそれのちょっと延長があったんですよ。
71年やから。
僕らはもうそのバブルの後なんで社会人になったのは。
だから僕らの前の世代ぐらいまでのやり方がまだ残ってたんです。
ボスがやってたのはその時代はそれで良かったんですよねきっと。
でそれの最後に乗っかってやってきたけど時代にそぐわなくなってきたっていうのを感じ張って。
で自分で事業の主体を取ってやっていこうで今の会社を立ち上げられた。
でやってさっきのリバーカフェの話とかもそうですけどやっぱりプランニングするだけじゃなくて実際に入って地域の人と一緒に事業化するとか
どうやったらそれがその次の続けられるような状態になるかとかそういうのを一緒にやるとほんまに根付くなっていうのが分かったし
プランニングだったら遅らいりするけど。
どっちもなるほどこうやったらいいのかっていうのも経験したしこれであかんっていうのも経験したっていうのがあって
そうやったら新しいやり方でプランニングする。
事務所作ろうと思ってワクワクプランっていうそれがハートビートなんですけど
ワクワクするようなプランを作っていこうっていうので独立したっていう感じです。
それが10年間かかったんですけどね。
そこにたどり着くのです。
なるほど。それでいうとあれですね聞きたいなと思うのは
とはいえ泉さんがプレーヤーとしてやるってなった時ってやれる数の限界って絶対出てくるじゃないですか。
ありますあります。
これは地元に落とし込んでいくみたいなんとかもともとそういう人をイメージしてやってるとか
多分当初と今とでも違うと思うんですけど
当初は多分自分で事業を立ち上げてやる。
でも限界が来てとかがあったと思うんですけど
昔と今ってどんなんなんですか。
自分でやろうっていうのは水上レストランとかは
それは17日かな2週間ぐらいを自分たち仲間で
全部船借りてくるところから行政の接種とか
メニュー作りとかどうやって収支合わせるかみたいなことをやってましたけど
あとは大体それをやる人と一緒にやってるって感じですよね。
例えば北本テラスだったらあれは別に仕事ではないんですけども
あれは公共空間の河川区域を使えるようにするとか
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それ行政と接種をするとか
建物オーナーをくどいてそこに出しませんかっていうのを言っていくとか
いうことをするんですけど最終的に運営するのはやっぱりレストランの人ですよね。
僕らが直接事業主体になって運営するわけじゃない。
昔からですか。一番最初にこのやり方違うなと思って独立された時から
絵は描いてやるけどそこに入ってくる自分でやるっていうわけではないってことですか。
そうです。それはでもやる人と一番最初から企画を練るっていうことはすべて共通ですね。
何が言いたいかっていうと
逆に僕の単純に相談になってるかもなんですけど
例えば僕ら今大阪の秩序というエリアでやっています。
築港の中でも企画がいっぱい立ち上がるじゃないですか。
これに対してももちろんお皿を回していく状況になっています。
だし地方都市で同じようなことをやっているので
月から日曜までしかないのでもうこれ以上回せないになってるんですよね。
それでどんな人があるのかなと思って。
それは僕もそうですよ。だからもうだいたい3つ以上。
事務所では10ぐらいやってますけど
僕はもう3つ以上やらない感じですし
関わるエリアは年間に同時並行でいくのは。
やっぱり地域に相当入り込んでるんで
5年から10年はずっと地域の人と一緒にやるんですよ。
何かもできない。だからさっきのに戻るんですけど
自分がプレーヤーになって事業を起こすんだったら限界があるから
やりたい人をまず探して
やりたいと思ってるけど今はできてない。
いろんな理由がハードルがあってやりたいことがあるけどできないってありますよね。
お金がないっていうのもあるかもしれない。
本業忙しい。地元の人がたぶんコンセンサス取れない。
いろんな規制があってできない。いろいろあると思うんですけど。
でもこの人はこういう思いがあるんだっていうのを
僕は組み取るとすごい人と話をしていくんで
この人とこの人とこの人がやっぱりこういうことをやりたいっていうのを
どうやったらできるかっていうのを僕は考えてそれを実行する側のサイドなんですよ。
なるほど。
だからそのゴールは僕が何かそこで事業を成功させるってのはゴールじゃなくて
この人たち地元の人たちとか外から面白いって来てくれる人もセットですけど
その人たちはここで事業が成功できて
この街が面白くなるっていうのがゴールなんです。
なるほど。
それに足らないやつとかを自分のこのブレーンとかで呼んできてやったりとか。
てことで一番最初って
あれですね。これちょっと来週聞きたいですね。
一番最初どんな感じで依頼があってそこに持っていくのかみたいなところを
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ちょっと来週。
来週お願いします。
聞かせていただけたらなというところで。
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どうでした。
結局一言も入ってくることもなくやったですけど。
すいませんこっちが振らないといけない。
お話が集中しておりました。
大体いつも仕事に行く前の学生の時代で終わってしまうとか。
大学に入学できない人もいてたりするんで。
大学まで行きましたね。
大学は行って卒業はして。
ちょっと飛びですけど。
10年間ぐらいは行ってました。
来週はその辺の話を聞けたらなというのと。
加藤さんもですけど自分の会社のことをボスって言ってました。
引き続きよろしくお願いします。
ありがとうございました。