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2024-11-13 16:40

意見を出すとは、組み合わせること

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シゴクリラジオ
こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、テーマとしては意見、考察ですね、考えなども組み合わせだなと。
いわゆるアイディアっていうのが既存のものの組み合わせだということを言われていますし、
僕もその通りだと思うんですが、意見とか考えも僕の中ではアイディアだと思ってまして、
それを実感というか、痛感したという話を今回していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマは意見、考えも組み合わせだよと、そんな話です。
実はですね、あるレポートをですね、教養系の学び、それはある美術、美術士かなに近いんですが、そういう講座を受けてました。
それですね、あまり最近というかね、経験してないんですけど、レポートがあるんですよね。
レポートというのはですね、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、大学などで講義を受けますと。
講義を受けたら、最後に課題ですね、試験のようなものですかね、学びが何で、何か述べようと。
全く講義とか関係ないこともあるんですが、別に今回、形式というかですね、レポートというのは形式ですね。
要はタイトルとかつけて、自分の考えを問いですね、質問に対して述べようというのなんですね。
そういう形式が多いと。文字数はですね、そんな多くないんですが、そこそこ書くと。
1ツイート140文字とか400文字とかね、そういうレベルじゃなくてもう少し多いものとなっていました。
久しぶりですね、そのレポートというのを書きまして、そこでですね、いくつか感じたというのが今回のテーマというかね、話になっていきます。
つまり、まずですね、レポートというのは何を求められるかというと、問いとしてはその講義の内容を簡単にまとめてくださいと。
要約であったり、その講義をちゃんと受けてますか、聞いてますか、要はインプットの方ですね、正常ですかというのがよくないな、適切ですかということですね。
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これ分かります。もう一つが僕がポイントだと思ってまして、僕がですよ、あなたの考え、感想ではないですね、考えですね、意見とか考えとかを述べてくださいというものなんですね。
2つあるわけですね。つまり一つはその講義をちゃんと聞けてるか、理解できてるか、もう一つはそれに加えて考え方、考えがあるかどうかということになります。
それだけ出して終わりということで、特に何も気づかなかったんですけど、これ面白くてですね、総合評価ができたり、もしくは自己採点というのもありまして、自分の出したものを見て考えるわけですね。
ちなみに僕が自己採点した自分のレポートを見たときに、ちょっとその講義の内容を踏まえているかというと、結構雑にまとめたというのがあるんですが、そっちいいかなみたいな、ざっくりいいかなみたいな風に個人的に思いまして、それはもうしょうがないです。評価が低かったらしょうがない。
もう一個の考えですよね。考えの方をいろいろ述べようかなと思ったんですけど、自分で見てもそこまで面白くはないかなっていう。ただその人なりに何か考えようとしているのは少しわかったかなと。
作品ではないんですけど、このラジオもそうですけど、今回何かうまくはまったなっていう時もあれば、何かまとまらないなみたいなのもありますから、そういう意味では何かちょっとまとまらないかなみたいな感じでした。
実際に嘘をつくわけにもいけないので、感じていないことを感じたとか、思っていないことを思ったらそれはダメですよ。自分が思ったことは、要は面白かったという部分を違う例を挙げたりして、講義の内容にひも付けようとしたというところは別にチャレンジとして、僕は自己採点してもいいかなと思いました。
ただ、それがきれいにまとまるか本当にそうかなみたいなところを考えると、そこまでは言えないかなみたいなね、そんなことを思ったんですよ。
ちょっと長くなりましたが、そこで意見とか考えっていうのを求められるわけなんですけど、これはまさに組み合わせなんじゃないかなと思ったんですよね。つまり講座とか講師の人の考え方とか、その事実もしくはその考えですよね。事実とかあると。
それに対して受け取った自分がまずいますよね。さらに受け取るには当然ですが、僕自身の経験とか体験とかがあるので、本当にその講義の内容の中で自分が考えたものと日常生活とかと組み合わせていって、こういうことが言えるんだかもしれないなっていうのがいくつか思い浮かんだり、
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出てくるようになればいいわけですね。その瞬間に出てくるってことはなかなか難しいんで、ちょっと時間を置いたりする必要はあるし、当然面白いかどうかが大事だと僕は思うので、あまり面白くなくダラダラ聞いてたら、本当に講師の人が言ってたことはそうだねとか、講座の内容はそうだねっていう、
ようやくまとめの部分はポイントは高いけど、その人の考え方が全然出てないっていうレポートになるっていうだけなんですよね。それが悪いというよりも、そういうレポートはちょっと点数が低くなるっていうだけなんですよね。
組み合わせだなと思ったのは、自分も相互評価みたいなことをしてて、他の人のレポートを見てたんですよね。別に出されている方ってまとめが悪いとかひどいとかはないんですけど、この考えとか意見になると結構弱くなるというか、
それは自分の意見じゃないじゃんとか、その自分の意見を入れているみたいなところがなかなか見られづらいと。これはですね、いろんな方のピックアップしたいくつかのものでしかないんで、偏っているとは思うんですが、意外ないのかなと。
それって今やSNS、だいぶ前ですよね。一億総SNS時代と言われているのかわかりませんが、様々な人が自分でスマートフォンとかパソコンとか何でもいいんですが、自分の意見を言える時代になったのかなと思うんですよね。
これは異論はないかなと思います。デバイスとしてはある。だけど、自分の意見と言った時にはたらと困るわけですね。ここで自分の意見というのじゃなくてもいいんですが、自分がやりたいこと、自分の考え方って何だっていうことでもいいかなと思います。変わらないです。
それってリスナーのあなたはどう出します?もしくは出てきます?ここでですね、やっぱり僕は組み合わせだと思っていて、さっきの話を繰り返しになりますが、講座とか講義の中の話と自分がやりたい、体験しているものと組み合わせてそこで出てくるかっていうのがまさに意見かなと思ったんです。
まさにこれはアイディアの図式と一緒で、僕自身もインプットしたものと自分の感覚と掛け算してこういうふうになったら面白いかなっていうのをアイディアとして出す、メモして仕事にしている、もしくは提案しているっていうような形なんですよね。ということは逆に言えばですよ、アイディアが出ているということは意見があるし、意見がないということはアイディアがないとも言えるかもしれないなと考えました。
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なので、ここで多分なんですが、いったことを要約したりまとめるっていうのはうまい人は多分結構いらっしゃるんじゃないかなと思います。もちろん今AIでできる部分もあるんですけど、その要約が適切かを判断する人がいなきゃダメなんで、AIに任せられるわけでもないのかなという時代ですよね。うまく使えばいいということです。
なぜかというと、それはトレーニングを積めば別にアイディアを出すとか意見を言うことも全然できるんですけど、その需要ですよね、キャッチする側、ニーズじゃなくて受け入れる側として意見を聞きたいんだっていうのが一時的に少ないんじゃないか。
もしくはよくある自粛としては、大学ぐらいまでの教育では、高校ぐらいまでは意見なんて求められなくて、大学になって今のレポートみたいなもので意見を出せって言われるんだけど、そんなのないよみたいなことになっていくと。
そこである程度自分の意見はこうです、ああですって言っていけば話が変わっていくんですけど、そうではなくて、そのまま社会人になったりして判断して自分で考えてやってくださいって言われる。
でも考えてやるって何かわかんなくて、どういうことですかってなる。もしくは自分で考えた結果こうした方がいいからって言ったらなんか怒られたりすると。
考えが深まらない、もしくは自分の考えを出すっていう機会があったとしても、出すとダメなんだみたいな。これは結構あるんじゃないかと思ってまして、自分の考え、ここまさに意見アイディアを出すと否定されたり違うよって言われてしまうんですよね。
これがですね、ものすごい微妙というか、いいことないんじゃないかなって思ってまして、もちろん間違ってるとか明らかに違うこととかもありますよね。法律とか社会的にNGとかね、そういうのもあるんですが、そういうことってそこまであるのかなみたいな話で。
例えばよくあるのがマナーとかルールみたいなのがあって、例えば電車の中で大声出さないでくださいみたいなのがあると。でも大声ってどこのレベルですかって言ったら、デシベル単位でデシベル計が付いててチェックするんですかみたいな。
こういう話はどこまで伊藤マーがつきないってやつですね。キリがないわけですね、明らかに。っていうときに空気を読めっていうことではなく、考えってなんだろうなみたいな話なわけですよ。
例えば誰かが人が倒れてたら大声あげませんかみたいなね、誰か助けを呼ぶっていう。それときにルールで大声を立ててあげないといけないっていう、その判断。これが判断だと思うんですよね。
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つまりルール上はそうなんだけどそうじゃないときもありますよね。でもルールとしては違いますよね。これが尺子定義でガチガチにすると批判されますが官僚であったり大手企業とかもそうかもしれませんが、ルール前例主義みたいになり、何て言うんだろう。
自分で考えるんじゃなくてルール通りに則って行うと。これはすごく評判悪いというか、それだから行政とか役所を嫌がる方いらっしゃると思うんですが、確かにそういう面は出てきてしまっているのはあるんでしょうね。
つまり話が脱線しましたが、戻していくと、結局レポートを書くということに対して自分の意見って何だろう、自分の考えって何だろうというときに、僕がその場でいい意見を出せたか、自分が納得するね、これはなかなかないかなっていう、まさにアイディアなんですけど出せたかというとそうでもないんですけど、
とはいえ自分の心というか考え方というか思考というところですね。動きはまさにアイディア出しと一緒だなという話でした。
なので、自分の意見がないという人って結構いらっしゃるんじゃないかなと思うんですけど、多分そのインプットが、まさにアイディア出しと一緒なんですけど、インプットが足りてないか、そのインプットしたものが眠ってて引き出せない。
これはね、社会的な課題だと僕は思ってるんですけどね、勝手に。出したものが否定される、要はアイディアとか意見を出したら否定されるんで、もう出しませんよっていう、引き出しがついてるんだけど引き出せないみたいな、分かります?引き出しに入ってるんだけど引き出せない状態があって、非常に良くない状態なんですけど、そうなると僕も出さないんで、じゃあ入れとこうみたいな、しまっとくっていうよりもしまっとこうって。
でですね、ある日突然ではないんだけど、引き出していいよ出してっていうような職場であるとか、もしくは仕事であるとか、もしくは仕事では無理なのはプライベートであるとか、それこそVTuberじゃないですけど全然違うようなことをやったときに出していいっていう場に来ると出せると、そこが自分らしく振る舞えるみたいなね、コミュニティみたいなものもありますが、
そういう風になってくるのかなと。だからあんまり良い話じゃないんですよね、出せてないって僕は思います。みんながみんな言い出すとまとまらないから自分は黙ってるみたいなね、そういうポジションを取るっていうやり方も全然否定しないんですけど、自分の意見を出していくだけがやり方じゃないんですが、
まとめた方がいいよねって言ったときに、そのまとめていったときに、じゃああなたはどうですかって言葉、やっぱり僕はですね、考えていった方がいいかな、その度合いはどうあれ。でないとですね、例えば今回のような、別にそのレポートね、講義受けてレポート書けってことじゃないんですけど、そういうときにですね、はとと気づくわけですね、自分があれどういう考え方を自分はしたんだろうか、もしくは考えているんだろうか。
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それはですね、日々のインプットもそうですし、それに対して出すアウトプットですね、考えを出す。そのときの心の動きっていうのは、ここでは何度も言ってますし、アイディアもそうなんですが、やっぱり面白いとか、それは何だろうと疑問に思ったり、
そんな考え方があるんだ、視点の地形とか、知らなかった未知なこととかね、そういうことでやっぱり脳にですね、襲撃を与えていくことが、一つの意見を出す、考えを出すっていうことになっていく。それはまさにアイディアを出すということと同義なんですが、そんなことを感じたという話となります。だいぶ長くなりましたが、今回は以上となります。
ぜひですね、皆さんレポートとかね、もし書く機会があるかないかわかりませんが、自分の意見を言うことに対して少し意識されてはどうかなというところです。そのときの動き、心の動きですね、もしくは頭の動きが何かと何かに組み合わせるんじゃないかっていうのが僕らの一つの考え方でした。
多分そんな感じじゃないかなとは思いますが、じゃあ何と何を組み合わせたんだろうなみたいなことを意識されると、実はそれがアイディア出しにそのまま使えるんで、日常生活で練習できるということにはなっていくかなと思います。
以上となります。四国リーダージオ大橋よりでした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。
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