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2019-04-18 39:28

第五回:Tak.さんと発想法について

第五回:Tak.さんと発想法について
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はい、うちあわせCast、今回第5回ということで、ゲストは再びたくさんに来ていただいております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回テーマにしたいのが発想法なんですけども、発想法といってもジャンルは広いんですけども、
少なくとも本とかコンテンツを作る上で、何かしら頭の動きを刺激するノウハウっていうのは多分必要になってくると思うんですよ。
素材があってそれを並び替えたら完成というわけにはいかなくて、
いわゆる一般的にアイディアみたいなものが必要になってくると思うんですよね。
なりますね。
それはたぶん執筆のスタートの時点からゴールの時点まで、どのプロセスにおいても必要で、
しかもその必要になってくるアイディアが、プロセスごとにたぶんちょっと違うと思うんですよね、きっと。
違いますね。
とりあえず、まずスタートとして、どんな企画案を考えるのか、作るのかっていうのがまず発想。
それも発想法じゃないですか。
たくさんこれまで書かれてきた、セルフパブリッシング、商業出版、シロソン、
企画の出発点ってどのように見つけられます?
企画の出発点。
僕の場合、倉下さんと違ってそんなにたくさん本を書いたわけではないので、
いわゆる温めていた企画みたいな話とかはあんまりないんですよね。
逆に次の本どうしようかなっていう企画を考えるっていうこともあんまりしたことがなくて、
今初めてしてるぐらい。
なるほど。
最初のKDPで出したアウトラインプロセッシング入門という本は、
あれはもともと書こうと思っていたとしか言いようがなくて。
それはブログにアウトライナー系の記事が書かれていて、
それをベースとかいうか土台にして、アウトライナー系の本を書くっていうイメージはあったと思うんですけど、
本にするにあたって、コンセプトというか切り口というか何かを決めなければならない。
その辺はどのようにアプローチされました?
あの本に限って言えば、ブログでずっと書き溜めてきた記事があったんですよね。
それを全部抜き出してきて、一箇所に並べてみて、それを上から全部読んでたんですよね。
引き抜いたのは本当に全てですか。
書いた順番に全て。
一旦全部目を通した後で、仮アウトラインを作ったんですね。
その仮アウトラインは、抜き取ってきた原稿を並び替えたんですか、それともアウトラインを書き下ろしたんですか。
新たに。
抜き取った原稿を並べようとするとダメなんですよ。
03:00
はい、わかります。
ただ、全部目を通して何を書いてきたのかなっていうのを一応思い出したうえで、
これで本を書くとしたらどういうアウトラインになるかなっていうのを、まずプレーンにアウトラインを。
いわゆる普通に思う意味でのアウトラインを仮に作りますと。
その仮アウトラインの中の該当箇所に抜き出してきた記事を入れ込んでいく。
そうすると使えないものは余る。
順番とは関係なく該当箇所に入れ込んでいって、
入れ込んだら今度は上から順番に読んでいくわけですね。
上から順番に読むと当然ただ入れ込んだだけなので、つながりが当然悪いので。
そこがうまくつながるように、なんとなく仮出し直しながら上から読んでいく。
仮出しているうちに、ここはこの説明がいるよなと思ったときに、
最初入れ込まなかったあまりのものたちがいるわけですよね。
その中を見ると、これ使えるじゃないかみたいなのが出てくるんで、
それをまた持ってきてそこにスポットはめると。
逆に読んでると、これは別々の記事だったけど同じこと言ってるよな、
一個選んねえよなみたいなのが出てくると、
それを下にミシオっていう見差しを立ててるんですけど、
その下に落とすというようなことを、
ひたすら何回も繰り返しながら整えていくっていう感じですね。
その繰り返していくと、徐々にアウトラインプラス本文だったものが本文になっていくわけですね。
全体としての流れのある本文になっていくわけですね。
流れのある本文になってきます。
その流れのある本文にする過程で当然アウトラインが変わっていくわけですよね。
そうですね。
だから最初のアウトラインは本当に最初から仮のつもりで。
いわゆる叩き台というか。
叩き台。
結果的にそれが成功していることになるわけですけど。
そうですね、そういう書き方ですね。
つまり、いわゆる一般的に発想法と言われてるような刑事法を代表とされるような
ノウハウがどこかにあるというよりは、
プロセス全体がシェイクに巻き込まれているような感じですね。
そうですね。
だからいわゆるKJ法だったりとか、マインドマップとか、
情報カードを並べるみたいなことは一切してない。
そうですね。そのプロセス全体で発想法と言えるのは、
最初の本文を全部読んだ後に書き下すアウトラインが多分発想法の一つですね。
06:07
ただし、そう考えてみると、
その一個一個のブログの記事がカードに相当すると思えば相当するんですよね。
そうですね。そういう位置づけにできる。
刑事法と同じではないしろ、刑事法がやっているプロセス。
つまり、全部の風船を見て、一つずつ地下地の近づけていくっていう、
近づけては言ってないですけど、
全体を眺めてから構成を立てるっていうのは似てますよね。
そうですね。だからKJ法というよりは、
無理やり言ってしまえばヌーメサオさんの知的生産の技術に出てくるあのカード。
コザネ。
コザネじゃなくて。
普通の情報カード。
ヌーメサオさんがメロンブンと呼んだ、後に兄弟式と呼ばれるようになったカードでやってることに近いんですよね、たぶんそこ。
まあそうかそうか。
もともと完結した記事だったものを並べて、
ただそれを並べて構成を作るんじゃなくて、
作った構成にそこから引っ張ってくるっていう。
そう、ここがポイントなんですよね。
アウトライナー状に本文を入れると、前もこの話したんですけど、
コザネであり情報カードで、情報カードでありコザネになるんですよね。
そうです。
ここの感覚はたぶん、両方押してないと伝わらないと思うんですけど。
ただ上から読んでいって整えるっていう作業をしているときはコザネなんですよ、やってることは。
まあそうでしょうね、おそらく。
だからアウトライナーって結局、階層によってのみ構造が規定されるので、
上のほうの階層はカードに相当するし、下のほうの階層はコザネに相当するっていうことになるわけですよ。
だからあれ、たぶん分かれてるのはアナログツールだったから。
っていうところも多少はあるでしょうね。
僕はそれ多少だと思ってて、やっぱり原理的に見れば別にテキストファイルで表現できるんですけど、
やっぱりサイズの違いっていうのは結構あって。
サイズっていうのは物理的なサイズですね。
コザネを前にするときと兄弟式カードを前にするときの心持ちってやっぱ違ってくるんで。
だからあれは分かれてるほうがたぶんいい。
さくさんはたぶんアウトライナーに慣れてるから、たぶんそんなにも感じないでしょうけど。
逆にその感覚が鈍ってるのかもしれない。
鈍ってるかどうかは分からないですけど。
やっぱりツールのサイズ、提供されるサイズが人がそこに何を紡ごうかっていう気持ちとか、操作の感覚が変わってくると思うんで。
だからあれはたぶん分かれてるほうがいいです。
09:00
だからやっぱりスクラップボックスとかもテキストエディターと違う感じなんですよね。
スクラップボックスも書きながら下に増えて、領域が増えていくんで、やっぱり小さいサイズでOKかなっていう感覚になりやすいんですけど。
書きながら下に増えていくっていうのは、リンクで浮かび上がってくるやつが下に増えてくるっていう意味ではなくて、
カードの各領域の幅が下に増えてくるってことですよね。
白紙のエディターだと全面まだ空白じゃないですか。
あ、そうかそうか。そういう意味の幅ですね。
ここまで書いてもいいよっていうのと、書かなければいけないよっていう訴えかけがあるんですよね。
だから短文を書きにくい、書き止めにくいっていうのがあって。
だからスクラップボックスもどっちでも使えるんですけど、よりカード的ではあるでしょうね、あれはね。
なるほどなるほど。
加減じゃないんだけど、下の線が表示されてるっていう違いありますよね。
そう、それ結構大きいんですよ。
それはあるかもしれない。
スクラップボックスってちょっとしたことを書きやすいよねって話をよく聞くんですけど、
やっぱりそこのへんのUIの関係はあると思うんですよね。
確かにテキストエディターだとこの下に無限につながってるんですよ。
新規のテキストエディターを開いて3行だけ書いてメモするって、
結構何か間違ったことをする必要があるんですよね。
なぜかやりにくいですよ。別にやっていけないことはないんですよ。
ないはずなんですけどね。
逆に倉下さんは、いわゆる各作業と発想する作業って分けます?
まあ異なりますね。
特に企画を考えているときと、本文を執筆しているときと、
構成しているときは僕の中ではかなり別の作業をしてる感じですね。
それは明確に区切りがあるんですか?
そういうわけではない。グランデーションをいつかくぐり抜けてたみたいな。
いつの間にかトンネルをくぐってたって感じで。
最後の構成の段階では、発想のプロセスはほぼ死んでるんですよね。
死んでるというか止まってるというか。
むしろ新たに発想しないようにしてる。
そういう抑制もありますね。
だからそこにある本文をいかにきれいに整えるかであって、
新しい構造を見つけるのは、たぶんシャットダウンされてると思いますよね。
本文を書いてる段階の序盤線は逆に、
そこにある構造が全て叩きライトしか見えなくて、
新しいものがないかっていうのをずっと探す感じですね。
そこで本当にいろんなツールを使うんですけど。
企画を始める前は、わりかし紙ツールを使うことが多いというか、
ほとんど毎回紙ツールで考えてますね。
そうみたいですよね。
てか僕も今まで何回かその話を倉下さんに聞いてるんですけど、
倉下さんすごい紙ツールを使うんですよね。
その初期の段階ではよく出てきますね。
12:00
それはなんでかと思うと、
やっぱりそれはデジタルで大体できない何かがあるわけですか。
2つあって、
例えばデジタルが提供するツールって基本的に縦型のリストなんで。
縦型のリスト、そうですよね。
軸が一つしかないリストなんで、
僕は平面配置を結構したいと。
平面配置をしたいときに、
例えばキーノートを立ち上げないといけないんですね。
そういうことをしようと思ったら。
キーノートでメモを連続していくのはあんまり向いてないと。
あんまり向いてないですね。
で、僕は自分で一緒にバレットアイディアっていう、
なんかその付箋用のツールをウェブサイトで使えるツールを作って、
それは結構いけるんですけど、
やっぱり思ったのはね、画面サイズがいくらでも広がってしまうんですよね、それやと。
そうですね。
そうすると、まとめようっていう頭の働き方にならないんですね。
常にいつまでも広げようみたいな。
これはやっぱりね、企画って急遽どこかに線引きすることなんで。
そうですね。完成品を作ろうとしたらどこかで線引きしないと。
だからやっぱりサイズが決まってる1枚の紙に情報の流度を上げていって、
ここに1枚にまとまるようにするっていう頭の働き方のほうが、
企画案は立てやすい印象ですね、やっぱり。
そこでいう企画案っていうのは、
どのレベルまで、要するにコンセプトが書かれただけというようなものなのか、
それともある程度構成というかアウトラインまで考えたのか。
まあ小レベルまでは。
小レベルまであるんだ。
だいたい最初に企画の切り口、いわゆるコンセプトみたいなものを考えて、
それを基にしてA4用紙のコピー用紙を横にしたのに、
マインドマップ的なんでもなんでもいいですけど、小立てみたいのを並べると。
それが機能しそうであればそのまま進めるし、機能しないならば1回コンセプトのほうに戻ってっていうことを繰り返すんですね。
そこである程度の確信が持てないと次には行きにくいですね。
結局そこで立てた小立てもまた変えることになるんですけど、
でもやっぱりその、何かこれは行けるなっていうのを掴まない限り次のステップにはちょっと行きづらいですね。
なるほど。
細かい入れ替えはあったとしても、メッセージは多分そんなに変わらないんですよね。
はいはいはい。
それを多分僕は最初の段階で見つけようとしてるんやと思います、きっと。
あ、その変わらない一番コアになるメッセージみたいなものを確立してから、
次々進むっていう。
じゃないと書きたくない。
多分書けないですし。
書けない。
結局その大改造が起こってしまうでしょうから、そこが変わってしまうと。
そうか。それがもしかしたら違うかもしれないですね。
僕それがよくわかってないうちに書き出してますね、たぶん。
そうか。
僕はどうであれこの対象読者さんに何を伝えたいのかとか、
15:01
どんなふうになってほしいのかっていうのを一通り固めてから次に行きますね、やっぱり。
ああ、やっぱりそういう感じなんですね。
そうでないと配置が決められへんっていうのもありますし、
さっきも言ったように大手術の可能性がかなり上がってしまうんで。
それはそうなりますよね。
だからある程度細かい、小立ての中までは考えないですけど、
1章と2章に3章に何を配置して、話の運びをどうするかを決めて、
まあ無理なく破綻なくいくなっていうのを見てから次に行きますね。
そのメッセージっていうのは、わりに明白に文章になってたりするんですか?
それともなんとなくモヤモヤっとした感じは。
まあ本によりますね。
本によりますけど、はっきりしてるときもありますし、
言葉にはならないけど、おそらくこういうことだろうっていうのをまま進めていって、
構成案を立て直すうちに、自分が言いたかったことはこういうことだったってわかる場合もありますね。
でもその最初の発想段階で、あれこれやっていたってあるとき、
あ、これやなーみたいな感じでわかったりする。
そうですね。
今回、僕らの生存戦略って本も、
結局その企画案が小立てレベルではまったく固まってないんですけど、
つい先日手書きノートとかをいろいろ使って書いてたら、
はっきりしたことがあって、
この本は自分の中にある知識を誰かに教える本ではないなということに気づいたんですよ。
今までの本で、僕が経験してきた知識とか整理してきた知識とかを、
人にわかりやすい形で教えるっていうのが一つの目的やったんですね。
そのために、話の流れを立てて論理立てて、
理解の階段を上がりやすいように構成するっていうスタイルやったんですけど。
実用書、ビジネス書ってそういうもんですよね。
ただ、僕の生存スネークっていうのは、そういう本ではないなと、
僕が知っていることを教えてあげますよっていう本ではないなっていうことに気がついたんですよ。
その気がついたのは、
結局、なぜ僕が今新しい書き方をしようとしているのかっていうのをずっと考えてて、
結局今までの書き方では、たぶんやりたいこととずれがあったんですよね、きっと。
はい。今回のやりたいこととずれがあった。
だから同じ方法論で小立てしても、
たぶん僕が納得するものにはならないんですよ。
つまりやりたいこととずれてるんで。
こういうふうに方法論を固めていくうちに浮かび上がってくるメッセージっていうのはやっぱりあるんですよね。
逆に言えばメッセージと方法論がある程度つながってるってことですよ。
僕はそう思いますけどね。
それは面白いですね。たぶんその通りですよね。
これは結局、マック・ウルファンが言ってるメディアメッセージであるっていうのとまだ似てると思うんですけど、
伝えたいことと伝え方っていうのはこれは密接にかかってくるんで、
同じ方法論ではたぶんダメだなっていうのが今の現時点の理解というか学びというか、それですね。
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じゃあ発想段階でやることって今までのやり方と違ったりします?
そうですね。おそらく違う。使うツールは似てますけど、
とりあえずロジカルに組み立てることは放棄したほうがいいなっていう結論には至りましたね。
その理解の階段を設計するのがたぶんこの本の役割ではないなというところですね。
理解の階段を設計する場合って、要するに相手がこの話をどう積み上げていけば伝わっていくかってことを考えればいいだけ。
考えればいいってそれもまあ難しいですけど、考えるだけなんですけど。
今回は違う何か、ロジックじゃない何かがいるなっていう考え方ですね。
ただ手法は変わってないわけですね。やっている手法というか。
今んとこは変わってないですね。今んとこは変わってないですけどわからないですけどね。
どうやってアンチロジカルに組み立てたらいいのかがまたわからないんで。
今は先ほどたくさんが言われてたように、僕スクラップボックスに企画案を並べてるんで、
あれを上から下までずっと読み込んでいって、
ふわっと浮かび上がる何かがないかなっていうのを期待してるんですけど。
それをうまくいくかわからないですが。
ちなみにスクラップボックスの話が今出たんですけど、
スクラップボックスをみっちり使うようになってから、やっぱり本の書き方って変わりました?
おそらく変わる……ってか、みっちり使うようになったのがここ何ヶ月かなんでわからないですけど、
たぶん次の次ぐらいかな。
要するに材料集めがまだ全然できてない本に関してはたぶん変わると思いますよ。
本の書き方というかね、企画の立ち方。立てるというよりは立ち上がり方というか、
僕の中に浮かび上がってくるものがたぶん変わると思います。
そうすると今の話してる発想段階の部分が結構変わってくるかもしれないってことでしょうね。
おそらくそうでしょうね。おそらくそうやと思います。
今までの企画の立て方って、先に、今回でいうと断片からの創造みたいな、
いわゆる大ぐくりのハッシュタグを作って、そこに関連する情報は絡めとっていくみたいな感じだったんですけど、
今はもうそれを破棄してるんで、
先に素材のネットワークを広げたのち、そこから浮かび上がってくるコンテキストを探すみたいな形になると思うんで。
だから今現実で命名できる何かを持たないんですよね。わからない。
集めてみるまではわからないみたいな感じです。
たぶんこれが自然な形だと思うんですよね。先に命名できる場合ってことは少ないと思うんですよ。
そうだと思いますよ。
たぶん命名できる方法を、こういった方法とかって命名してから始めると絶対できないような気がします。
たぶんそのほうが、より僕の評価では面白いほうになりそうな感じですね。
つまり、企画案を先に立てた場合に比べると、
21:06
越境性が高いというかコンテキストが混じり合った本になると思うんですよ。
つまり今までの本をやったときは、仕事術の情報は仕事術でまとめる。
適正さに対して適正さにまとめるって感じでしたけど、
その境界線がない形で、その情報同士がつながってる形でまとめることになると思うんで。
たぶん出来上がる本はわかりやすいかどうかは別として、僕から見たら面白い本になりそうな予感がありますけど。
聞いてるだけで面白そうな予感がありますが、大変そうな予感もあるんですか。
大変そうな予感もありますけどね。
でもやっぱり越境のある情報の集め方って今まではなかったんで、
どうしても先にくくってしまってたんで、だから楽しみですね。
ああ、でもそういう越境性みたいなものが作られやすいかもしれないですね、スクラットフォースで。
そうですね。自然に。
勝手に越境するみたいな。
そうそう、勝手に越境する感覚はあるんですよね。
今も断片っていう言葉を自分の中でアイデアを思いついたものと、
読書で見つけて、断片って言葉を誰かが使ってたらスクラットフォースに転記するみたいなことをやってるんですけど、
やっぱりいいですよね、そういうことができるのは。
そういうことができるのはね、そうなんですよね。
これ同じ機能がオウトライナーにあったらとよく思いますね。
単語ごとに全部シャープマークつけたら済む話なんですけど、なかなか難しいですね。
難しいですね。
発想方、だから発想段階って分けられないんですよね。
シェイクのプロセスが全部入っていないとそうなるんですよね。
そう、最後まで発想段階といえば言えないことはないんですよね。
そうですよね、確かに。
僕はどっかで、今はこのタームみたいなのがあるんで、
始まりは徹底的に一番最初は広げといて、企画のスタートラインで一回絞めて、
文章を書きながらまた広がって、出来上がってきたらギュッと絞るみたいな流れですね、きっとね。
もちろん今までの中にはそれこそKJ法的なことをやってみようとしたりとか、
伏線を並べてみたりとかやってるんですけど、
やったことはもちろんあるんですけど、ことごとくうまくいかないというか。
やっぱりいかないんですよね。
で、本来の発想法じゃないけれども唯一うまくいったのがフリーライティングですよね。
ああ、なるほど。
だからフリーライティングというのは、自分の中ではアウトライナーの使い方の中に取り込まれちゃってるので、
フリーライティングが発想法といえば発想法なんですけど。
ちなみに、完成した本のタイトル付けってどの段階で行われます?
それはもう、最初の段階で仮タイトルがあるんですけど、常に考えてますね。
24:01
ギリギリまでいいのが思い浮かぶのを待ってるっていう感じ。
タイトルを付けるために何か発想法を行うってことはなくて。
ないですね。
浮かび上がってくるのもあると。
僕も結構そこでも発想法を使うんだけどね、発想法というか。
思い浮かぶキーワードを一紙に並べて、いろいろ組み合わせて変えるみたいなことはしますね。
コピーライターさんがよくやってるような。
そうですね、まさにそういうことですね。
それで決まらないことも多いんですけども。
タイトルもね、決まったタイトルがいいタイトルかどうかは別として。
でもね、どこかでこれ以外にはないなっていう感じがする時があるんですよね。
ただ後で振り返るといや違うようなものがあるんですけど。
結局それはもう決められない。
後々まで絶対に大丈夫なものを作ろうとしてもできないので。
本のタイトルって文章を書くレベルに合わせれば究極の見出しをつけるってことになるんですけど。
ただ問題は、それがプロダクトの名札でもあるんですよね。
そうですね。
だから上手い見出しをつければそれがいいタイトルと限らないという問題があって。
そうなんですよね。
ある種のキャッチーさっていうふりかけみたいなのが、多少なりとも必要とは言いませんけど。
いや、必要だと思うんですよね。
売りたければ、広く呼んでもらえたければそういうのは必要なんですね。
多少本文から反復を介入したとしても必要になってくる場合があるんですよね。
商品名でもありますからね。
そうそう、商品名でもあるというのが。
だからその広告、コピーライティングの技法が役立つときがあるんですよね。
そうですね。
そのジレンマにずっと。
たくさん行産本を作れば感覚を麻痺してくると思いますよ、おそらくは。
だから初心者なんですよ、きっと。
大抵の人が初心者なんですよ、この作業は。
実際、今度書き手でも自分だけ本のタイトルつけてる人って小説家以外は少ないんじゃないですかね、きっと。
まあ大抵は編集者さんとか出版社さん、編集会議で決まったりすることが多いですからね、実用書は特に。
そうかと思いますね。
逆に言えばそこまで真剣に自分で考えなきゃいけないのがセルファブリシックという本になりますよね。
確かに。全責任を負わなきゃいけないからね、そこは。
しかしこのセイクで話を聞いててずっと思ったんですけど、
最初にアウトラインを立てて、本文を読む。で、本文を読むっていうキーワードが何回も出てきてるんですよね。
27:04
本文を読む、はい。
で、本文を読むっていうのが要するに、高さのモデルで言うと一番低い地点。
一番低いですね。
ボトムアップというとそこがゼロスタートのとこですね。
そこが常にあるんですよね。それが多分行ったり来たりってことの意味だと思うんですけど。
だからその字の文を書くだけじゃ多分ダメなんですよね、きっと。
僕が思うに。書いたものを読まないと多分ダメなんですよ。
ああ、そうですね。それはそうだと思います。
この文を書くはね、まだコードが少し上にあるんですよね、あれ。
読むレベルが多分一番下なんですね。
これがね結構重要で、結局だからそれは機械的には絶対にできないっていうことなんですよ。
そうですね。
人間が読むものを作る以上、人間が読む過程をどっかに入れていかないと、
行ったり来たりにならないんですよね。
だからこれは多分、機械学習が進んだところでどうしようもない問題だなと僕は思うんですけど。
そう思いますけどね。
それも上から順番に読むっていうのが結構大事な気がするので、
パートごとに読むんじゃなくて、順番に読むことが結構大事だなと思っていて。
もちろんその本のタイプにもよると思うんですけども。
もちろんね。辞書やったら話は別ですけどね。
辞書とかの対前タイプのものだったら違うんですけども、
自分が対前タイプの本を書ける日はきっと永久に来ないので。
そういう意味では、上から順番に読んでいったときに、
次にこれが来てほしいとか、次にこう来たらおかしいなとかっていう感覚が浮かんでくるときに、
そのギャップを埋めるために回復するなり削るなりするわけですよね。もしくは入れ替えるなり。
そうなんですよね。読んだときに来る感じがボトムアップなんですよね。
それを繰り返していると知らないうちにアウトラインが変化してくるんですよね。
僕はアウトラインをアウトラインとして意識しながら変えることがあんまりないっていうか、
そういう言い方は変ですけど、
本文を読みながら直していくうちに自然にアウトラインが変わっていくっていうほうが多いんですよね。
はいはいはいはいはい。
ただ自然に変わっていったアウトラインっていうのは全体のことを考えないで変わってるんで、
変になるわけですよ。
変になってるのをどこかでまとめてぐちゃっと直すときに、
そこで初めてアウトライン全体のことを考えながらアウトラインを変えるっていう作業が入ってくるんじゃあって。
あくまでも普段はアウトラインというよりも本文を直しているうちにアウトラインが変わってくるんですよね。
逆に言うと本文をいじってる間は、いわゆる上位概念のことはたぶん無視というか、
一旦シャットアウトしてる。
30:01
シャットアウトまではしてないにしても、あんまり変えないとか本文を優先して考えながら。
ぶつかるとたぶん作業混乱するもんね。
なるほどなるほど。
本文をやりながら全体のことを考えようとするとダメなんですよ。
あれダメですよね。僕スクリブナー使ってるときに必ずそうなるんですけど。
ごめんなさい、次スクリブナーの話しますね。次っていうか次の。
わかりました。スクリブナーの話次回しようということで。
ほんとスクリブナー使いたいんですけどね、使うと使えないんですよ。
文章を書くときはフルスクリーモードというか拡張モードかな、
エクスパンドモードにせえへん限りは書けないんですね。
なんでスクリブナーってあんなに書けないんだろうっていう。
志は素晴らしいと思う。
でもあんだけ人気ということは、いわゆるパラグラフライティングが素直にできる人はたぶんあれでいけると思うんですけど、
おそらく、予感では。
パラグラフライティングと言う割にはパラグラフの発想ないんですよね。
ただのリッチテキストエディターなんですよ。
ワードのほうがよっぽどパラグラフライティングに向いてるんですよ。
そのへんのスクリブナーのコンセプトっていうのがいまいちわからないというか。
僕ら二人は論文を書かないんでわからないけど。
パラグラフライティングを真剣にやったことが僕はないんですけど。
結局論文は構成が始めから決まってるタイプに中に内容を埋めていくっていう書き方をたぶんすると思うんで。
ただスクリブナーがそういうのを施行してるかっていうとそうじゃないんですよね。
結構切り刻む、分割することをすごく重視してるし。
でもその分割した段ペンにタイトルをつけなきゃいけないっていう。
そうか、なるほど。
まあ自動的に入るんですよ、タイトルが。
1行目入りますけどね、最近は。
ただあれでプロの作家の方でもスクリブナーを使ってる人たくさんいますし。
そうですね。作家さんでも学者さんでも、あと脚本家の方でもよく使ってると思いますよね。
よく文章のIDEと言われたりするような。
単にエディターだけじゃなくて、書くたびに必要ないろんなものが周辺に全部揃えてくれてあるっていう。
そういう便利さはすごくなんか羨ましい感じがするんですけど。
でもたぶんたくさんはそれを必要としないでしょうね、きっと。
そう。まあ必要じゃないのかもしれないけどね。
だから何か写真とかを見ながら書くとか、僕はアウトラインを見ながら書くことがまずないんで。
ああ、そうかそうかそうか。
33:01
だからほぼ必要ない。
僕はだからフルの、他に何もないまっさらなエディターがあそこにあればいいんで。
だからそこまでの機能を必要としないとも言えるし。
まあそうですね、確かに。
ごめんなさい、脱線したんですけど。
今ふとスクリブナーの話に脱線したじゃないですか。
はいはいはい。しました。
脱線させたんですけど。
書いてるときもそれと同じようなことが発生するんですよね。
起こりますね、はい。
で、今このぽこっとスクリブナーについての話っていうのが塊がいきなりできちゃったわけですよ。
で、それをこれが発想じゃないかという気がするんですよね。
いや、まあもちろんそうです。
これが発想、だからどう言ったらいいんやろ。
発想法っていうのは、ある種の脳の働きのエンパワーメントって言っていいかな、これは。
強化してるというか、押し出してるというか、強調してるようなものであって、
僕たちは日常的にずっと発想してるわけですよね。
で、問題はそれが発想の発想が、さっきも言ったように、
ここでスクリブナーの話をするんじゃなくて別のことをしなきゃいけないっていう制約とぶつかることなんですよね。
そうなんです。
で、例えばお役所的文章では、もう脱線はほんまに脱線でしかないから、
書いてはいけないぐらいのレベルなんですけど、
そうじゃない文章のほうが世の中には多いんですよね、割り返しね。
だから今もうスクリブナーの話しましょうよって僕がつい言ってしまったことを抑制しなきゃいけなくなるわけですよね。
このポッドキャストに時間の枠がはまっていて、35分でやめなきゃいけないと。
決めたネタしか喋っちゃいけないっていうことが仮にあったら、そこを抑制するわけですよね。
でも抑制すると、逆にスクリブナーの話じゃないことまで抑制しちゃうんですよね。
広がらないように自分を抑えていくんで。
実は全体の喋り方のトーンとかも変わってくるし。
喋り方のトーンって文章で言えば、文章の文体とまで言えないのもいけないかもしれないけど、
ノリは変わってくるよね。
勢いが変わってきたりとか。
変わってくるですよね、きっとね。
どれくらい枠がはまってるかはまってないかってすごく影響していて。
アウトライナーっていうのは、枠を取り外して書いても大丈夫な道具というか。
あとでいくらでも枠にはめられるから。
書くときは枠にはめなくてもいいっていう。
それが実は発想を生んだり、楽に書けたり、勢いよく書けたりっていう、
副産物としてそれをもたらしてくれるっていうところがあるんだと思うんですね。
だからナチュラルですよね。
ナチュラル。
構成が決まってるっていうのは抑制なんですけど、
抑制が働いてるって普通は思わないんですよね、多分。
36:00
普通って何人ぞって普通かわからないですけど。
その通りに書くものやという認識があると、
ナチュラルな発想が抑制されてるという感覚がなくて、
ただただ苦しさがそこにあるだけなんですよね。
そうですね。
なんで俺は書けないんやみたいなことになるんですけど、
書けないのが当然やぐらいのところがスタートラインなんですよね、本当は。
そうなんですよ。
まあ書ける人もいるんですけど。
書けない人も書けない人のせいではたぶんない。
ないですね、もちろん。
連想的に思考が広がる人は脱線しないと書けないですね、間違いないと。
それはもう。
逆に脱線するのと言われたらもう書けなくなる。
でもその辺は、前回の山間さんが本を書いたときの山間さん。
最初はアウトライン作ってそれにはめて書こうとしたけど、
お行儀良くなっちゃったんで、まさにそれが起こってるわけですよね。
まさにそのことですね、それは。
だからいつものように書けるように、クローズドなブログを作ったんでしたっけ、山間さんは。
オープンにとりあえず派手なブログを作って、記事のように書いたって。
記事のように書いたんですね。
だから枠を取り払って自分のやり方で書ける。
アウトラインを考えないようにしたっていう、見ないようにしたって言うと同じことですよね。
だから山間さんもまさにそういうタイプだと。
そういうタイプなんですよね。
あのノリは計算では書けないですから。
あれ計算で書いてたらすごいですよね。
やっぱりその文体とその時の連想をきっちり拾って書くタイプの人でしょうからね。
逆に堀さんとかは書けるんじゃないかな。
そうだと思いますよ。堀さんは多分いけると思います。
勝手にいけるんじゃないかなとか言っちゃったんですけど、でも書けるような気がしますね。
でも対前物の書き方はあらかじめもうセクション作っといて、文字数をはじめ決めといて、
中身を埋めていくって書き方をされたようで、これできっちり本になってますからね。
すごいと思います。僕から見たら圧倒的にすごいと思います。
すごいなーと思う。
そういうことなんですよね。
だからその辺のノウハウとツールと相性は見極めなきゃいけないですよね。
発想法に関しては、この辺の話はいくらでも話せますね。
結局文章を書くこととは切り離せない問題ですからね。
一瞬のうちに45分経ってますからね。
とりあえず今回はこんな話をいただきまして、次回はスクリブナーの話にしましょうか。
まあしなくてもいいですけど。
39:02
いやスクリブナー批判をするつもりは全然ないんですけど。
僕も大好きなツールですからね。ただ僕には使い切れないというだけであって。
ただスクリブナーとかユリシーズとか普通のアウトライナーとかの違いと目視と向かない人について考えるのはすごく面白い。
批判とかじゃなくてね。
はい、そうですね。
はい、じゃあということで第5回はここまでとしておきます。
ありがとうございました。
失礼します。
39:28

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