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サマリー
今日は10月15日の日曜日に放送されるラジオキャンパスサンデーです。今日のエピソードでは、パリオリンピックの代表選考マラソンや私の父親の話、そして札幌の冬季オリンピックの誘致断念についてお話しします。札幌はあまり盛り上がっていませんが、スノボーやスケボーの施設を整備することで冬季オリンピックの招致を本気で取り組むアイデアを提案しています。札幌の冬一郎君は散歩中に快適な天気と冷たい空気を楽しんでいるようです。寒さも増してきており、次回の配信も楽しみにしています。
00:18
スピーカー 1
はじめるラジオキャンパスサンデー 今日は10月15日日曜日です。
シーズン3が始まって、18回目のエピソードになります。
今日もはじめるラジオキャンパスサンデーをお送りしてまいります。
今日は日曜日ですので、第1コーナー人生いろいろ、第2コーナー思い出の一曲、
第3コーナー今週の札幌、第4コーナーはザ・冬一郎散歩でお送りしてまいります。
今日はですね、パリオリンピックの代表選考レース、マラソンですね。
男子と女子、先ほどスタートして、今男子は雨の中走ってますね。
そんなマラソンを横目で見ながら収録していきたいと思います。
日曜日の配信は、本当は早朝に行うつもりでいたんですが、
ちょっと前回から少し遅れ気味で、お昼ぐらいまでに配信という形になります。
水曜日にも配信してるんですが、水曜日の方は夜までに配信という形でお送りして、
週2回の定期配信でお送りしているはじめるラジオキャンパスサンデーとウェンズデイです。
今日は色々ありますが、最後までお聞きいただければと思います。
はじめるラジオキャンパスサンデー、10月15日。
人生いろいろ第一コーナー
スピーカー 1
今日が18回目の配信になりますが、人生いろいろ第一コーナーですね。
スピーカー 2
4回目のエピソードで少し父親の話をしたんですね。
スピーカー 1
それからもう一つはシーズン1のエピソードの7で、私自分の人生を振り返り始めるという配信をしているんですが、
少し今日は父親も絡めながら私の幼少期の話をしようかなと思っているんですね。
スピーカー 2
うちの親父は、前回もお話したんですが、東京で終戦を迎えて、
スピーカー 1
その後、終戦直後には、とある私鉄電車の会社に勤めて、電車の運転手までやって、
その後、いろいろ身体、いろんな手術をしたこともあって、
その私鉄が経営するデパート勤務を定年まで続けたということなんですが、
スピーカー 2
勤務先はずっと新宿だったんですね。新宿にずっと60歳まで勤めたということです。
スピーカー 1
まあ50代半ばぐらいからは、あと何年通えば終われると言ってね、
とにかく指折り数えて早く定年なんないかなと言ってたことを思い出しますけれども、
そんな私も今月60歳になるということで、
昔であればもう60歳でリタイアで、年金も60から満額もらえてという時代だったんですが、
今は65歳にならないと、年金もらえないと、私の世代はね。
しかも前倒しでもらうと金額を減らされてしまうという話ですよね。
ただ昭和37年以前に生まれた人は0.5%、毎月ね。
繰り下がるごとに0.5%減額されるんですが、私の世代は、私昭和38年生まれなんですが、
0.4%ということでちょっと有利になってますね、前倒し受給がね。
そんな形ですけれども、本来であれば満額だったのが65なんないと満額にならない。
それがまあ減額されると。
スピーカー 2
年金ということで言うとね、我々の父親の世代ぐらいがやっぱり一番恵まれてましたかね。
スピーカー 1
父親の年金額、それから母親が、基本パートはやったことあるけど主婦をやっていたわけですが、
その年金額の方が私がもらう額より多いわけですよね。
私の方がよっぽどたくさん、額面で言えばたくさん稼いだんですけども、年金は少ないというね。
日本の年金制度どうなってるんだろうと思いますが、先行きはもっと不透明になってきますけどね。
それはちょっとさておき。
新宿にずっとうちの親父は通っていたということで、私は東京都町田市で生まれたんですね。
スピーカー 2
町田に2歳まで過ごしたんです。記憶はほとんどありません。町田の記憶はさすがにないですね。2歳までの記憶は。
スピーカー 1
桜美林高校のすぐ近くに住んでたっていう話なんですけどね。私はちょっととにかく町田の記憶はほとんど全くないと。
私の幼少期の記憶は神奈川県の秦野市。秦野市って知ってますかね。小田原まで行かないんですけど、相模原線でちょっと行ったところなんですね。
とにかく新宿に通いやすいと。それでも1時間弱ぐらいかかったんじゃないですかね、通勤にはね。
ただ都内に住んでいるよりも、少しのんびりしたところで育てたかったんでしょうね。
それで、いわゆる郊外、首都圏郊外に引っ越したということですね。
引っ越したときは兄貴と私といて、秦野で弟が生まれたと。弟が生まれたときの記憶はすごく残ってますね。
いっぱい残ってますね。いろんな思い出がありましたけど、詳しく話しませんが。
とにかく父親は神奈川の秦野から毎日新宿に通っていたと。
スピーカー 2
当時はまだ電車の運転手とかやってたので、結構不規則な勤務だったので、家にいないことが多かったですね。
スピーカー 1
その後、鉄道勤務ではなくデパート勤務という風に変わるというのと合わせて、母親の実家がある栃木に引っ越すことになったわけです。
スピーカー 2
栃木におじいちゃんの田んぼがあって、もう田んぼをやらないからそこの土地に家を建てろということで、引っ越したわけですね、栃木の田舎に。
スピーカー 1
これもいろんな思い出がありますけれども、うちの親父はその栃木から新宿まで毎朝通ってたと。
父親の幼少期の話
スピーカー 1
ただ勤務時間が定時になったので、それでも朝5時、6時前に出て、夜帰ってくるのは9時10分ですね。
これはよく覚えてますね。
よくお迎えに行ったので駅まで。9時10分に家に帰ってくると。
スピーカー 2
朝は6時前に出て行って、夜9時10分ぐらいに帰ってくると。
スピーカー 1
勤務時間は9時〜5時だったんだと思いますけれども。
そんな生活を何年やったんでしょうね。結構やりましたね。
スピーカー 2
栃木に引っ越したのが私が10歳の時なので。
その時父親はまだ40ちょっと超えたぐらいですから、やっぱり20年近くは新宿まで通ったんですね。
スピーカー 1
とにかく通うしかなかったので通ってたということなんですが。
栃木の思い出もあるんですが、それはまたいずれ話すとして。
むしろ東京ですね。やっぱり東京にはよく行ったんです。新宿もよく行きました。
なにかっていうとやっぱり東京に遊びに行って。浅草はもう庭みたいなもんでしたし、新宿もよく行きましたしね。
だから結構東京都内のことはよく知ってますね。東京行っても迷子にならない。
一応、生まれは東京ということですね。
新宿界隈とか渋谷、原宿、四谷、日暮里とか、赤羽はもう埼玉入っちゃいますけどね、あの辺りも含めて結構詳しいですね。
上野も詳しいですし、普通に都内は歩けるということなんですが、私が東京に出入りしていた、というと変ですけど、
幼少期はまだまだ戦後の名残、高度成長はだいぶ進んでいましたけど、
やっぱり1970年前後ですので、私の記憶にあるのはね、1960年代後半から1970年代前半ぐらいが一番記憶にあって、
その頃は東京はそれこそ三丁目の夕日みたいな時代ですよね、映画でいうとね。
スピーカー 2
あんな雰囲気が漂っていたのでね、当時の東京ってはまだまだ少し雑然として、少し戦後の名残もあってみたいなね、そんな時代の中、
スピーカー 1
とにかく人がいっぱいいるなぁというね、ゴミゴミしてるなぁと。それから当時は東京の水道の水がまずかったんですね。
川が汚染されて、水を浄化する技術もそこまで追いついてなくて、東京の水は臭いなと、ドブみたいな匂いがして飲めないなと。
飲むと腹壊すぞ、腹壊すなっていうね、そういう記憶がとてもあって、東京はやっぱりちょっと住みたくないなぁっていう記憶がありましたね。
スピーカー 2
ただやっぱり、都会の魅力というか、雑然とした部分も含めて、いろいろ好奇心をそそるものはたくさんあったので、
そういう意味では東京への憧れっていうのはあったんでしょうね、幼少期なりにね。
スピーカー 1
でもどちらかというと、神奈川の郊外、新興住宅地ですね、それから栃木というど田舎でしたね、当時はね。
駅からその実家まで電灯がありませんでした。もう真っ暗闇、本当にもう一寸先は闇という、そういう時代でしたね。
スピーカー 2
駅のホームも木で作られてましたし、平気で線路の上歩いてましたしね、そんな時代でした。
スピーカー 1
それから20年、30年、40年と、まあ時が経ってね、今はまあどこに行っても小綺麗な街になりましたね、日本中ね。
何の話してるんだか分かりませんけれども、とりあえず東京、新宿というのは一つ私にとっては、
なんだろうな、まあ馴染みのある、そういう街だったということで。中身がないですね、今日はね。
今東京マラソン、男子マラソン、女子マラソンが走ってるんですね、ちょうど予選会の真っ最中で、ちょうど中間地点ぐらいに、
を過ぎたあたりのとこなんですが、まあマラソン眺めながら喋ってるとこんな放送になっちゃうかなと思いますが、
とりあえず人生いろいろ、私がちょっと移り住んだ土地の話しか結局できずに、父親の話もあんまりちゃんとできてませんが、
まあこんな回もあっていいでしょう、ということで、
思い出の一曲、この曲を聴きください。
札幌の冬季オリンピック誘致
スピーカー 1
はじめるラジオキャンパスサンデー第3コーナー、今週の札幌ですが、
第2コーナーでは思い出の一曲としてサザンオールスターズの東京ビクトリーを聴いていただきました。
ご存知の通り東京オリンピックが2020年に開催予定だったのがコロナの影響で翌年開催になったということなんですが、
むしろこの東京ビクトリーはオリンピック応援ソングとして作られたんですけれども、
ちょっとコロナ禍でね、コロナに負けない応援ソングみたいなね、そんな風にも聞き取れたりするかなと思います。
思い出の一曲ということで流してみました。
というのも、世間の空気はパリオリンピック2024年ですかね、もう来年なんですよね。
ちょっと1年東京オリンピックが遅れたことで早いですね、オリンピックイヤーがね。
来年はもうパリオリンピックということで、まあそれでサッカーにしろバレーにしろパリオリンピックのね、
予選。出場をめぐっていろんなスポーツを楽しませていただいているんですが、
今日はマラソンということで、男子マラソン女子マラソンをテレビで消音にして横目で眺めながら収録しているんですけれども。
今週の札幌ですけど、オリンピックといえば札幌が2030年の冬季オリンピックの誘致に手を挙げて、かなり早い時期に手を挙げてやってきたんですが、断念するというニュースがつい先日流れまして。
2034年に向けてと言っていたところ、IOCが、国際オリンピック委員会が2030年と2034年の冬季オリンピックは同時に一気に今度もう決めちゃうという発表をどうやらしたらしいということで、札幌は2030年断念したことで2034年も絶望的になったということで、
冬季オリンピック招致が絶望的になってきたということなので、さあどうするということなんですね。
今週の札幌はちょっと冬季オリンピックの話をしようと思うんですが、実はこの話、私コミュニティFMでラジオパーソナリティやってたときに一回取り上げたことがあって、札幌2030年は無理ですよという話を実はしてたんですね。
その理由も挙げました。いろいろいくつか理由があるんですが、一つ大きな理由は2018年が平昌、それから2022年が北京ということでアジア開催が2回続いたんですよね。
今度はミラノ、2026年かな、やるわけですけれども、そうですね、間違いない。
今度は2030年と2034年がもう一気に決まっちゃう。札幌は旗を下ろしちゃったので、これはもう無理だという話なんですね。
それが一つ。ちょっとアジアの順番としては少し厳しいんじゃないのなんて話をしていたわけですが、もう34年まで絶望的になったと、さあ札幌どうするんだと。
札幌の招致状況
スピーカー 1
札幌の市長ですね、秋元市長って言うんですけど、秋元市長どうするんだっていう話ですね。
もう一つ実は内部的な要因というか、札幌自体がやっぱり盛り上がっていない。オリンピック招致ということで一つになりきれていないですね。
むしろ反対する声もあって、そんなの今更やるもんじゃないと、東京オリンピックで汚職問題もあっただろうと。
金もかかるしね、何もメリットないみたいな話も出てて、住民投票やれという動きが起きたりとかして、これもそんなに盛り上がってるわけじゃないんですけどね、反対運動の方もね。
そんな形でちょっと暗雲が立ち込めてきた部分もあるんですが、ただそれよりむしろやっぱり札幌市のやる気があんまり感じれなかったですね、私はね。
本気で招致する気あんのかというのが正直なところで。
ちょうど2年ほど前にもコミュニティFMでこの話題取り上げさせていただいたときに、やっぱりちょっと札幌市の本気度がないので、まあ無理じゃないのという。
これは市民の理解を得ることもそうだけど、むしろ施策として。
単に招致してますだけなんで、その招致するために何をやってます、の何の部分が全く見えない。
私がそこで提案したのは札幌はやっぱり雪もあるしね、それからスケボー、スノボーといったものが、特にスノボーですよね。
冬季オリンピックでは注目を浴びているわけです、日本選手とかもね。
だからむしろ、例えばスノボーをやるような施設をもっとちゃんと整えるとかね、新しいウィンタースポーツの部分でもっと目立つような施策をしてしまえと。
で、特に札幌はね、スケボーをやる人も多いんですよ。
スケボーをやる人はスノボーももちろんやるんですけれども、スケボーをやる場所がないんですね、あんまりね。
実は豊平川の河川敷、私よく冬一郎君と散歩してるんですが、土地いっぱいあるんですよ。
で、無駄にパークゴルフ場と野球場とテニスコートがあるんですよ。
そんなに使われてるわけじゃないんです。
だったらあそこにスケボーの施設を作りゃいいじゃないかと、そう金かかるわけじゃないんだから。
だからスケボーのメッカを作るとまず一つはね、そしてスノボーもできるようにすると。
いうのをちょっとね、一つ二つパークゴルフ場を一つ潰してでも、むしろスケボースノボー
これまあ言っちゃ悪いけど、パークゴルフやる人は大体年配、年寄りの方で年金生活してる方がほとんどで。
じゃあ若者がそういったことをやる場所があるのかっていうと意外とないんですよね。
もっと若者にお金をかけるべきで、やっぱりスケボースノボー
ちょっともう本当に世界的にもここでしかできないぞぐらいのものを作ってみるとかね。
そんなにお金ないんだからそれぐらいしかできないと思うんだけど。
例えばそんなことをやってみるとか、少し何か施策をしないと話が始まらないだろうと。
しかもそれオリンピック来なくてもね、いろいろいいことあるわけですよ。
つまり札幌出身の方とか、あるいは札幌っていうのはスケボースノボーをやるにはとてもいい土地だと
言って全国から集まる可能性あるわけですね。
コミュニティFMでお話したときに引き合いに出したのが中京大学のスケートリンクの話です。
あそこはスケートリンクが2つもあるんですね。
私ちょうど中京大学の体育学部で非常勤講師をやってた時期があって、
それこそ室伏広治さん、今は文化庁の長官になっちゃいましたけども、
彼が学生時代、大学院時代、彼がハンマーを大学のグラウンドで投げてるのを見てましたので、
私は授業をやってたわけでね。
それからスケートの真央ちゃんも中京大学にちょうど入学したときは私は大学の先生をやってたので、
非常勤で教えてたので、真央ちゃんも身近に見てますし。
それからスケートリンクね。巨大なスケートリンクを作ったわけですよ。
もう日本で本当に一番いいぐらいの施設を作って、
そのスケートリンクを作ることには学内では色々反対があったんですよね。
やっぱりお金かけてそのスケートだけに、お金かけてそんなものを作ってどうするんだって言ったんですけど、
あれはもう大成功で、そこがもう日本で一番、それこそ昌磨君とかも含めてね。
もうみんな集まるわけですよ、そこに。金メダルを取る人たちが。
だからそういうものを例えばスノボで札幌で作っちゃうとかね。
いうことをやればいいと。さすがにスノボ大学で作るとかないと思うんで、
札幌でやればいいと。それを一個目玉にしてね。
とにかく冬季オリンピック呼ぶんだったら何か目玉作らないと話は始まらないだろうと思うんですが、
それが一切ない。いかにお金をかけないかしか語らないっていう、
それではちょっと呼べないだろうみたいな話を昔々コミュニティFMでしたことがあります。
本当はその音源も流したいんですけどね。今日はやりませんが。
そんな話でですね、とにかく残念なことに、今週の札幌、東京オリンピックは2034年まで来ない。
だからあと10年は来ない。その次のチャンスは2038年だけど、
なんとなく絶望的になってきましたね。
とにかく一から仕切り直しということで、この数年の招致運動は何だったんだということで、
中途半端なことはやるもんじゃないと。やるんだったら本気でやってほしいと思ってますけどね。
そんな話ですね。もう一個だけ言っておくと、ちょうど何年前かな。
スノボーとスケボーの施設整備
スピーカー 1
5、6年前かな。6、7年前かな。
私が札幌のとある大学の学長をやってたときに、そのオリンピック招致でイベントがあったんですよね。
それこそ大倉山のオリンピック記念館とあるんですけど、
スキー、ジャンプ。ジャンプも見せてもらいました、ここで。
夏のジャンプでしたけどね。有名な選手もいっぱい来てましたけれども。
スキージャンプも見せてもらって、その後ちょっとした立食パーティーがあって、
札幌に冬季オリンピック招致するんだと言ってちょっとね、やってたんですが、
集まった人数も少なかったし、ちょっとあまり勢いなかったんですけども。
私はそこで、僕はもう、何だろう。
オリンピック自体はまあ、そんなに賛成ってことでもないんですけど、
むしろやっぱりやった方がいいと、札幌にとってやった方がいいと。
なぜなら札幌は国際的なイベントがもう冬季オリンピック以来何にもできてないんですよね。
だからそういうのをちょっとやらないと、話始まらないと。
オリンピックじゃなくてもいいんだけど、何か国際的な何かイベントをね、
一つ持ってきた方がいいという話を、そこでは結構してたんですけどね。
まあそんなことも虚しく、なんとなく本気のスイッチが入らないまんま、
ずるずると断念に至り、なおかつIOCの方は30年34年一気に決めるということで、
もう札幌はそこから外れてしまったということで、
まあ本当に失われた何年、失われた10年ぐらいになってるのかな、7,8年になってるのかな。
もったいないなと思ったりしています。
そんなことで今週の札幌、愚痴みたいになっちゃいましたね。
それでは最終コーナーは、ザ・冬一郎散歩のコーナーです。
はじめるラジオキャンパスサンデー、10月15日の配信です。
冬一郎君は朝の散歩を終えて、うんちもいい立派なうんちが出て、今はぐっすり寝てますね。
だいたい午前中はこんな感じで寝てますけどね。
今日はなかなか散歩から帰ろうとしませんでした。
やっぱり涼しくなったので、私にとっては寒いんですけれども、
散歩が心地よいんでしょうね。
とにかくよく歩きます。
まあありがたいことですけども。
そんな形で横になって寝てますね。熟睡中の冬一郎君ですが、
昔々というか、6回目の配信で、はじめるラジオキャンパスサンデーですね。
6回目の配信で冬一郎君との慣れそめについてちょっと語っているんですね。
そこで実は冬一郎という名前をつけた理由についてちょっとほのめかして、
いずれクイズを出してもいいんじゃないかと。
冬のイチローって書くんですけど、
もうこの名前しか思い浮かばなかったということでこの名前にしたんですけれども、
この名前には実はいろんな由来があると。
これ当てたらすごいよと。景品出してもいいぐらいだと。
冬一郎クイズ、まあいいやなんて話をしているんですね。
これ6回目の配信で。
冬一郎と冬季オリンピックの由来クイズ
スピーカー 1
ということで、そろそろ冬一郎クイズを出し始めようかなと思っています。
冬のイチロー。
よく冬に生まれたんですかって言われますけども、違います。
この子は5月生まれです。
今2歳5ヶ月になりました。
冬という字をつけたのはやっぱり北海道犬なのでね。
冬が似合うだろう、冬が大好きだろうということで。
それが一つの理由ですがそれだけじゃないんですね。
冬イチロー、冬イチロー。
冬イチロー。
実は非常に当てるのが難しい名前の由来があります。
これ当てた人はすごいですね。
一つは北海道犬に関連している。
有名な北海道犬がいましたよね。
某携帯電話の会社のコマーシャルでCMで有名になった
某北海道犬
とも関係があります。
それから私は結構パソコンとかも好きなので
パソコンともちょっと関係があります。
そんなものが絡みながらの由来がもう一つあるんですね。
これ当てたらすごい。本当に景品あげます。
もしクイズに回答される方はリッスンのコメント欄ですね。
これリッスンじゃなくてスポティファイから配信してるんですが
スポティファイでもいいですね。
スポティファイのQ&Aの感想欄でもいいですし
それからリッスンのコメント欄でもいいので
回答を寄せいただいたらそれをまたネタにしばらく引きずりながら
この冬一郎君の名前の由来クイズを続けていきたいと思っています。
そんなわけで今日のザ・冬一郎散歩
10月12日木曜日、13日金曜日、14日土曜日の朝の散歩の音源がありますので
それをお聞きいただきますが
12日は久しぶりにコーギーの仲良しの兄貴分のコーギーちゃんね
冬一郎より1歳ちょっとお年上かな
本当に冬一郎はこんなまた手の平に乗るぐらいの時から
仲良くしていただいている冬一郎の兄貴分ね
久しぶりに出会ってその後の感想もちょっと喋ってますので
それも含めて3日分の朝音源をお聞きください。
10月12日朝の7時15分
豊平川河川敷
今日はコーギーのカイト君
名前言っちゃった
と久しぶりに会って
冬一郎君の兄貴分みたいなね存在なんですが
冬一郎はまだこんなに手の平に乗るぐらい小さい時から知っているという
コーギーちゃんですけど
そのコーギーちゃんは大きさ変わらないのに冬一郎だけがどんどん大きくなっていって
今は冬一郎のが大きくなっちゃったというね
いうことで兄貴分のコーギーちゃんはちょっと対抗心を燃やしてたりするんですけど
冬一郎君の札幌散歩
スピーカー 1
でも2人というか2匹仲良く並んで歩くという仲のいいワンちゃんですね
とちょっとだけ遊んで冬一郎君は満足げに今
スピーカー 2
河川敷の階段で休憩中うんちも出たし
スピーカー 1
昨日の夜中2時頃にお散歩に出てうんち出て
また今朝うんち出てよく出るね冬一郎君ね
快便快便ということで
1日2回のうんちは続くという感じですけどね
そんなわけで今日は青空が広がって雲がちょっとだけ浮かんでますが青空ですね
空気は冷たい冷たいもうひんやり冷たくて気持ちいいですね
日差しは暖かいということでそんな札幌、秋深まる札幌でした
続きですけどなんと今朝の気温は10度、10度だそうです
涼しいはずですね冷たくて心地よいですね
そんな朝の札幌でした。冬一郎君ははぁはぁ言ってないね
はい全くなんとも言ってません落ち着き払ったもんですね
ということで空気の匂いくんくんくんくん嗅いでますね
はいではまた
スピーカー 1
朝の6時58分、河川敷散歩
大好きなおじさんに久しぶりに会ったんですが冬一郎君はおしっこ優先うんち優先で
ちょっと遊んだ後もうさっさと行っちゃいますね
多分うんち場所探してるんでしょうね、うんちしたくてしょうがない
そんな朝です今日は10月13日金曜日ですね
札幌は冷たい空気、風はなし
快晴雲一つありません藻岩山が綺麗に見えてます
日差しが明るくてってますが日差しがないと寒いですね
日陰は寒い、日差しポカポカ気持ちいいと
そんなちょっとキュッとしまった冷たい朝です
ということでお散歩続けます
10月14日朝の7時5分もう14日になっちゃいました
早いね。朝の河川敷、冬一郎君
おしっこいっぱい溜まってたみたいで、いっぱいおしっこしてうんちもして
今元気に歩き回ってお腹も空いてるからお家に帰るのかな
今日も気持ちのいい札幌です
冬一郎君今からゴロンだなはいゴロンゴロン
ゴロンしたらお家に帰るサインですね
あれゴロンしないねじゃあお家帰ります
ということで3日分の冬一郎君の朝散歩を聞きいただきました
冬の札幌とエピローグ
スピーカー 1
まあとにかく札幌寒くなってきました
寒いです。これから本当にどんどん日に日に寒くなってきますね
初雪はまだちらつかないでしょうけど
11月中下旬には初雪ちらつくんじゃないでしょうかね今年はね
なんとなく急にどんどん寒くなってきた札幌です
相変わらず冬一郎君は元気です
快食快便、散歩もいっぱいしてますね
それから冬一郎クイズ名前の由来ね
これぜひ奮って回答をお寄せいただけると嬉しいなと思ってます
今後ちょっとヒントもね出していこうかなと思ってますけれども
どんなヒントが出ますかね
いろいろとやりとりができればいいんですが
何にもリアクションなかったら勝手に進めたいと思ってます
ということで今週も元気な冬一郎君でした
今日も最後までお聞きいただきありがとうございました
それでは最後エピローグ、エンディングですね
もお聞きください
はじめるラジオキャンパスサンデイ10月15日の配信をお送りしてまいりました
今日は結構ダラダラとね
あんまり中身のないことをいろいろ話してしまいましたけれども
第一コーナーではちょっと私の幼少期と新宿の思い出をもうちょっと語りたかったんですが
新宿の思い出を語る前に終わっちゃいましたね
それから今週の札幌はちょっとオリンピックネタで
ちょっと愚痴っぽいことをいろいろ喋らせていただきました
最後までお聞きいただいた方、どれだけ出るかわかりませんが
お聞きいただいた方ありがとうございました
次回はですね10月の18日水曜日
10月下旬ですね
もう間近ですね
10月18日水曜日の配信となります
まあなんとなくちょっとねここ1週間ぐらい
ちょっといまいち元気が出ない。私事ですけれどもね
ずっと元気が出ないな
そんな形でやってますけれども
とりあえずね決めたことは
淡々とね、やっていく部分も必要かなと思って
まあこんな日もあるという形で
少しいろいろちょっといろんなことを今考え始めてるんですけどね
それは今後の展開をお楽しみにということで
とりあえずはじめラジオキャンパスサンデー
シーズン3、18回目の配信はここまでにさせていただきたいと思います
また次回もお聞きいただければ嬉しく思います
ではまた
40:08
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