1. はじめる radio キャンパス
  2. cpl. s1 #7 自分の人生をふり..
1963年10月生まれ。ことし還暦を迎えます。
残りの人生なにをしようか。なにをすべきか。なにをしたいか。
自分の人生をふりかえることで見えてきたこと。そんなお話。

#7-1 こんな人生もある
#7-2 幼少期から大学入学まで
#7-3 マジメちゃん卒業/わがまま宣言
#7-4 自分探しと根源的な問いかけ
#7-5 根源的で反抗的な大学院時代
#7-6 そして音大へ/音楽と政治学
#7-7 音大改革の21年/学長6年
#7-8 そして札幌へ/学長4年/リタイア


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サマリー

はじめるラジオキャンパスシーズン1のエピソード7では、高橋はじめさんが自分の人生を振り返り始めることをテーマに話しています。彼の生い立ちや学生時代に触れられ、自由な大学生活が彼にとっての転機となったことが明らかになります。このタイトルのセグメントでは、大学生活を終えて大学院に進学し、根源的な問いを考える時間を過ごしたこと、それから音楽大学で新たな世界に飛び込むことになったことについて話されています。高橋さんは音楽大学で21年間勤め、最後の6年間は学長として学園改革に取り組みました。しかし、音楽大学の問題点や大学運営の難しさに直面し、札幌の音楽学科と美術学科を持つ大学の学長に呼ばれることになりました。このエピソードでは、高橋さんが自分の人生を振り返り始めたことについて話されています。

はじめるラジオキャンパスシーズン1のエピソード7
はじめる ラジオキャンパス シーズン1のエピソード7、7番目のエピソードを作ります。
自分の人生を振り返り始める。
高橋はじめは 1963年の10月に生まれたんですね。
今年が2023年ということで、10月には歓歴満60歳を迎えます。
これ昔の数え年でいうと、もうすでに正月に歓歴を迎えていることになるんですよね。
なので、ちょうど60歳、60年ということで、人生昔は60年ぐらいで終われたんですけど、今は
人生100年とか言ってますけど、まあでも 男性はね
やっぱ70代か、長生きしても80ちょっとぐらいですよね。 なので、そんなに長く
生きたいという気もあまりしていない。75ぐらいまででいいかなと、本人は思ってるんですけど、こればかりは
自分の意思でどうこうできるものではないので、わかりません。
いずれにしても60年生きてきたということで、ちょっとは自分の人生を振り返り始めてもいいのかなと思ったりしてるわけです。
実は今年の正月あたりにそんな思いを強くして、
それで実は
オンラインの世界ではノートという SNSに目をつけて、そこをプラットフォームにここに自分を表現していこうと
いうふうに決めたわけですね。しかもオンライン上のコミュニケーションのベース、 オンライン上のコミュニティのベースをこのノートを中心に置こうと決めたわけです。
そこではもう60になったので、 過去を隠してもしょうがないので、いろんなことをすべて書けるものは書いていこうと
いうふうに思ったわけですね。 そこで最初に書いた記事が
こんな人生もあるということで、 私の幼少期からの
なんでこんな人間になってしまったのかということを、結構1万5千文字ぐらい書いたんですかね。
こんな人生もあるということで、自分の反省を振り返ってみたわけですよね。
それでちょっと見えてきたことっていうのは、書くことでね。 見えてきたことはちょっといくつかあって、これまで漠然と
感じてたことではあるんですけど、やっぱり文章にしていくと、 とてもそれが改めて自己認識ができるというか、客観化できるということですよね。
文字にして書くってことは、自分から一回切り離して、 文字という外の世界に表現するわけですから、他の人も読めるように表現するわけですから、
客観化する、客観視するという、そういう作業でもあるわけですよね。 文章にする、文字にするということはね。
だからそれを自分の振り返りとして、人生の振り返りとして、 やっぱり書くべきだなと思ったので書いてみました。
書いているうちに1週間ぐらいかかって、1万5千文字ぐらいになっちゃったんですけれども、 やっぱりそのことでいろいろ見えましたね。
次に自分が何をやったらいいのかということも逆に見えてきました。
残り15年ほどになるかわからない人生、何をやろうかという時に、 やっぱり60年間を振り返ったことで、見えてきたかなと思っています。
まあそんなことで、このエピソード7、ラッキーセブンということで、 これはもう自分の人生を振り返り始めるという、そういうエピソードにしましたので、
これからこの話を少しね、していこうと思います。 興味のある方は聞いてください。ではまた。
自分の人生を振り返り始める
はじめるラジオキャンパス エピソード7
自分の人生を振り返り始めるということで、ラッキーセブンということでね、 自分の人生の振り返りをエピソードにするわけですけど、
最初のセグメントでは、歓歴迎えたこと、それからノートにね、
自己分析の、こんな人生もあるっていう記事を1万5千文字以上書いたよ、なんて話をしたんですけど、
書くことで、やっぱりね、この次、残りの人生やることも、ちょっとは見えてきたかな、なんていう話をしたんですけど、
まあせっかくなのでね、実際に人生を振り返ってみたいんですけど、
まあ私、1963年にね、3人兄弟の真ん中ですね、男3人の真ん中です。 これ男3人の真ん中ってなかなか大変なんですよ。
上との関係、下との関係ね。
常に調整役になる、上からのプレッシャー、下からのプレッシャーね。 まあこれ、
3人兄弟の真ん中の人はね、 おそらく共有してくれると思うんですけど。
で、高校の成長がまだ続いている時期に生まれたわけですよね。
で、我々の世代は、ちょうど共通一次世代。 あとは新人類なんてね、呼ばれたのが僕らの世代ですね。
昭和で言うと38年組ですね、38組とも呼ばれたわけです。
で、まあ僕自身はとにかく 何でしょう、宿大も大っ嫌いで勉強があんま好きじゃなかったんですけども。
幼稚園も嫌いだったし、小学校行くのもあんまり好きじゃなかったんですが、 なぜかね勉強だけはちょっとできたので、まあそれはだから
まあ唯一学校に行く 動機づけになってたのかなと思います。
ただ何か小っちゃい頃からね、一つのことを極めるというよりも、 とにかくいろんなことに関わるという
もう小学校時代から始まってましたね。 なんか一つのことに集中してやるっていうタイプでは全然なくて
まあいわゆるマルチタスクな人生は小学校時代から始まったってね。 だからまあ自分はスペシャリストにはなれない、専門家にはなれない。
むしろジェネラリスト的な体質なんじゃないかなっていうふうに。 まあその頃からやっぱり思ってましたね。
要するに平均点の子供ですっていうね。 ドリフターズの歌もあったんですけど、まさに平均点の子供でしたね。
で中学高校時代はとにかく勉強せずに部活ばっかりやってましたね。
宿大もやらない、家に帰っても勉強しない。 授業中以外は勉強したことなかったですね。
で中学高校の時も結局高校受験の時も受験勉強した。 最後までやらなかったですね。ギリギリになってちょっとやりましたけども。
大学受験に関してもやっぱりあんまり受験勉強は してなかったんで成績がどんどん下がって
さすがにちょっとこれじゃまずいと思ってね。 ちょっとガリ弁を
高校2年の終わりから高校3年の頭まで 3、4ヶ月だけガリ弁をしたということですけど、それで成績がちょっと戻ったのでもうそこからまた
辞めちゃったという受験勉強ね。 そんな感じでしたけど意外とそういうところは
何でしょう、さらに上を目指すというあんまりモチベーションというか そういうインターレストは働かない人ですね私はね。
で名古屋の大学国立大学に進んでなんとなく法学部に行って 学生時代やっぱりいろんなことがありましたね。これはね
でもやっぱり一番大きかったのは一人暮らしをして 24時間自分
がすべて 自分の頭で考えて使うという。これはやっぱり大きかったですね。
学生時代は本当に自分の自由でやりたいことをやる ただこれがなかなか一言でやりたいことをやると言っても
逆に困ったのは実際自分は何がやりたいのかがわかんなくなっちゃったんですよね。 それまではなんとなくまあ
そこそこの成績をとってそこそこの評価を受けてそこそこの 満足を得ていたので、そうやってレールに乗ってたのが大学に入って
まあそのままレールに乗るということでもよかったんですけどやっぱり自由が与えられて ある意味レールを外れて走り始めたという
レールを始めて走り始めたらどこに走っていいのかわかんなくなっちゃったっていうのがね これが私の学生時代ですね
なので大学は結局 6年間いましたね
まあ留年をしたというその辺の話はまた次のエピソードで 学生時代の話をしたいと思います
ではまた 始めるラジオキャンパスシーズン1のエピソード7
ラッキー7ということで自分の人生を振り返り始める という
テーマで話しているんですけどもその3つ目ですねセグメント3ということです
学生時代と自己の発見
ちょっと学生時代まで話は来た学生時代ですね 私は結構その
小中高とやっぱり真面目だったんですね自分で言うのもなんですが名前ははじめ って言うんですけども友達から真面目ちゃん真面目ちゃんと呼ぶ人も
結構たくさんいましたね 真面目なクソ真面目な優等生
でもこれはですねある意味本当の自分ではなかったというか 結局
その自分の過ごす学校が主ですけどその社会の中で ある意味ちょっと仮面をかぶってクソ真面目にしていたということなんですよね
今から考えると もうそうするしかなかったということなんです
まあその理由はねいくつかあるんですけれども
これは大学に入ってそのことに気づいたわけですよね 一体自分はなんて
何がしたくてどうやって生きて 生きたんだろうということですね
つまり 僕本当に学校とか幼稚園とかあんまり好きじゃなかったんですよねそこに縛られているのがすごく嫌で
縛られている時間はもう我慢するしかないから そこで歯向かってもしょうがないのでだからある意味
クソ真面目にしていた 並風立たないようにね
そういうことだったんだなあっていうことに気づいたのは これやっぱり大学生になってから
しかも大学入って2年目ぐらいからですね なんでそれに気づいたかっていうと
結局もう家で縛られ 学校で縛られ時間に縛られ
自分の自由はやっぱり効かないというねそういうのに従っていくしかないっていう そういう世界だったのが
大学に入って結局一人暮らしして 意外と自由な大学だったんで授業もあんまりだんだん出なくなって
そうするともう24時間 全部自分の時間になるんですよね 何をしてもいいと
つまり社会の決められたルールや時間に従わないでも生きていけると そういう状況に置かれて初めて気づいたのは
一体自分はじゃあそういう外からはめられた枠の 時間やルールや規則がないときに
どうやって生きていったらいいんだろうっていう それがあったから
あのその枠内で生きてこれたのがそれがなくなった瞬間に わかんなくなっちゃったんですよね
で結局一体自分は何がしたいんだ
ということを考え始めちゃった その一番の
きっかけは失恋なんですよね まあ大学入ってちょっとねやっぱり自由になって一人暮らしだから色々興味もあるわけですよね
そういう女性と付き合うということにもね それでちょっと付き合った子がいたんだけれども
それがなぜか振られてしまったわけですよねしばらく付き合った後に それが何で振られたのかわからないっていう
いくら考えてもわからない そんなにダメな人間じゃないと思うんだけどなんで振るんだろうと
でその時はもうそのことばっかり考えてたわけですよね 結局自分は
何がしたくてどうやって生きていくんだっていう でそれから
なんていうのかないわゆる周りの枠に従うのをちょっとやめようととにかく1回 とにかくもうとことんやりたくない時はやらない
いろんな
時にもう社会のルールに必ずしも従わないと で行ったのがわがまま宣言ね
わがまま宣言っていうのをしたってねこれから僕はわがままに行きます でも真面目ちゃんはやめますと
言っても自分の やりたいようにやるとところがこれはそう簡単にうまくいかないわけだよねそれまで
レールに乗っかってきちゃったわけだから これ前の話でもちょっとしたレール外れた電車はどこに走っていけばいいのかわからない
ということで相当5年間ぐらい暴走し続けましたね どこ走ってるのかわからない
状態が実は続いてた そんな中でなんとかこう
もう一度こう自分の接点 世の中との接点っていうのを
あるいは自分の皮膚感覚とか体の感覚 本音の部分っていうのを確認しながらね
つなぎ直す作業っていうのをやった5年間でしたね 抽象的でわかりにくいかもしれないんですがこの辺の話ね
話すと長くなるので これぐらいにしたいと思いますがまあとにかくそんな感じで学生時代は送りましたね
まあこの話はまたちょっとあれですねエピソード改めて話したほうが良さそうですね これだけで結構膨らみを持っちゃいそうですということでとりあえず今は自分の人生を振り
帰るということでまぁ学生時代はそんな感じだったなぁということだけに留めておきたいと 思いますではまた
学生生活と根源的な問い
始めるラジオキャンパスシーズン1のエピソード7ラッキーセブンですね エピソード7は自分の人生を振り返り始めるということでまぁ今まで3つの
セグメント 送りしてまいりました4つ目ですね
まあこの前の話としてはまあ結構ずっと真面目 クソ真面目に生きてきてしまったけどそれは本当の自分じゃなかったということにまあ大学に
入って気づいて そこから始めたのがまあわがまま宣言
というね話をしたんですが まあやっぱり大学に入って結局
そこから始まったことはまあわがまま宣言はいいんだけれども じゃあどうわがままにしていいのかが今度わからないわけですよね
とにかく始めたのは なんで
どうしてまぁ いろんなことに対してこう
疑問根源的にというかな なんでだろうまあ突き詰めて考えるよう
なってたし周りに対しても まあみんなそうしてるけどそれはでもなんでどうして
別にそうじゃなくてもいいんじゃないかいうそういうこうなんていうのかな ちょっと雨の弱敵にいろんなことを疑問に
付していくっていうかなそういうことを始めたんですよね それはなんでそうなっていったかというと結局
自分の意見 っていうのがないことにこれ入学してすぐですよね
あの意見を求められたんだけどありきたりのまあ要はその辺に転がっている みんなが言ってることしか
考えてなくて 自分の意見
ものがない ほとんど気づくわけねそれまで
まあいろんな 場面でまあこれがいいとか
こういうのが好きとかいうのあったけれどもそれやっぱり自分の意見じゃなくて 単に好みであってね本当に自分はこう考えるからこうなんだ
みんな世間はこう考えてるけどもいや自分はこう思う そういう意見がねやっぱりあんまり作ってこなかったんですよね
当時私1982年に大学入ったんですけど ちょうどこう日本社会ちょっと価値観揺らぎ始める時期なんですよね
フェミニズムなんかも出てきた時期なんですが 出てきたとかそれ以前にもあったんですが結構破綻になった時期なんですけど
当時流行った言葉でこれ上野千鶴子とかも言ったしいろんな人言ったんですが自分探し っていう言葉がね
流行り始めたのがこの1980年代ですよね 1980年代やっぱり男女間の関係とかも含めてですけど
大きくやっぱり世の中が縦型の社会からちょっとフラットな社会に変わっていくようなね 人間の関係性が変わっていくようなそういう時期でもあったと思うんですけども
ちょうどそういう時期に学生時代が来ることになって 私はとにかく
そもそも人生って何とかね 人間って何とか人類社会って何
いわゆる哲学的な問いですよね これはまあ昔だったら学生みんなそういう根本的な問いを考えるとしたら一手すいたんだけど
最近あんまりそういう人は見かけなくなっちゃって これが良いのか悪いのかよくわかりませんが
とにかく私は大学に入って 失恋もきっかけなんですがとにかく自分の存在っていうものをちょっと根源的に
根本からいろいろ問い直すみたいな作業を
結構やったような気がしますね だから本も
高校まではそんなにたくさん本読まなかったけど やっぱり大学に入ったら授業出ずに本ばっかり読んでたし
いろんな人と議論ばっかりしてたし そこではとにかく
根本的な根源的な問いかけで突き詰めて考える そんなことばっかりやってましたね
それが大体学生時代で
そんなことやってたもんだから いわゆる一般企業に行くというか
就職活動もちょっとだけはやったんですけども
それよりも大学院もちょっと考えたいなと
やっぱり結論出てないまま社会に出れないなって思ったので 内定はちょっともらったんですけど
それが断って 断ってなかったらまた違う人生になってたんですが断って
1年大学院試験の浪人をして それで大学院に進学したっていうね
大学院に入って そこからは研究者人生ということになるんですけれども
大学院時代助手時代の話 そしてその後は僕の音大人生が始まるわけね まさか25年も続くと思わなかったんですがその後に
私の音大ライフが始まるわけですけれども
まあその話はまた次の機会に ではまた
はじめるラジオキャンパスシーズン1のエピソード7 ラッキー7ですね
自分の人生を振り返り始めるというタイトルの セグメント5つ目ですね
このエピソードはちょっと長くなりそうですね 学生時代を終えて大学院に進学したんですね
でまぁなぜ大学院に行ったかっていうと まあ
この前の放送でお話しした通りやっぱりこう いろんなものを根源的に問い直すということになっちゃったんだよね
いろんな意味でね 人間について社会について世の中について 私の専門は政治学だったんですけど
そういう意味では政治について まあ政治ってのは人間が行う
かなり重要な営みなんですけど結構 難しい領域なんですよね政治学っていうのはね
それでまあ人間の
行うことのいろんな面を
まあいろいろ考えるわけです根源的にね 大学院時代は
まあ ある意味楽しかったですよねその
もう時間
のある限り考えていればいいとね 他の実践をしなくても基本的にはこう考えていればいいと
ここでいわゆる理論理屈と実践という問大出てくるんですが 私はまあ理屈っぽい部分もあるんですけど結構実践的な
性格なんですよねやってみなきゃ気が済まない まあそうは言っても大学院時代は結構やっぱり研究室にこもってね本ばっかり読んで人と
議論ばっかりしていろんなことを根源的に問い直すということをやりました だから政治学だけじゃなくて記号論とか言語学とか哲学とかね
歴史とか社会学とか心理学とか 人類学的なものとか
とにかくありとあらゆるもの ねその自分の問いに答えてくれそうなものはとにかくジャンル関係なく
分野関係なく読み あさり人と議論し
ね違う分野の人とも議論をしてた そういうタイプですね
音楽大学への挑戦
まあそういう意味ではね意外と学者に向いている部分もあるんだけども学者っていう のは意外とね
あんまり根源的に問いすぎては各社は勤まらないというところがあってね その辺はちょっと割り切ってこう論文を書かなきゃいけないんですけれども
根源的に問い詰めすぎるとね論文が書けなくなる
で例えば終始論文書いたんですってこれはとても 評価されてよかったんですねもう僕ももうこれで認められなかったら大学院やめて
やろうぐらいの 勢いで書いたので
そういう意味では自分の存在をかけてちょっと書いた部分があって当時ですね でそれが非常に評価を受けたわけね
その論文を指導教官とか持ってってその後アルバイト家庭教師に行って で大学戻った大学戻ってきたんじゃない先輩から電話があって
高橋研究室の前に指導教官先生の張り紙があるぞ すぐ怒られたし
これはねきっと論文を読んでこんなんだめだと言って怒られるんじゃないかと思っていたら で恐る恐る電話をしたのね先生
そうしたらいや良かったよ あれでいいよここどこだけ直しなさいと偉い褒められてすごいホッとした記憶があるんですが
その後その終始論文を 今度はもう勝ちにしていいといわゆる論文集起用って言いますけど大学
起用に乗っけていいと終始論文そのまま乗っけていいってなかなか滅多にないんです けど
で乗っけろと言われたの私は拒否したんですね まだ満足いかないで乗せませんとこれが私のちょっと道を誤った
最初の一歩かな まだ自分としては納得いかないんで
勝ちにはしません それでアメリカに行って
ちょっと1ヶ月ぐらい調べごとしてでそれを持ち帰ってきたらまた根源的な問いが続いて しまってなかなか書けない今度はね
結局助手論文までまともに書けなかったんじゃないかな3年間ね そんな
思い出がありますね でであと途中で大学院の博士の2年ぐらいのときかな
その指導教官の先生がアメリカでこういう留学の話あるから行かないかって言われてそれも 拒否したんだよね
いやですと私のやりたいことと違います これもね
だからまあ今ちょっとねここまで人生を送ってきて60年 思うのはあの時活字にねああそうですかありがとうございます出させていただきますと
ね余計な抵抗せずに素直に出してで留学の話もね わかりました行かせていただきますと言ってれば
別の大学で別の形で別の 政治学者をしていたんじゃないかなと未だに思いますけどね
まあそれはさておき大学院時代助手時代はかなりどっぷりとね根源的なことばっかり考えて 生きていれた
ある意味贅沢な時間でしたね でその後私は助手3年大学院5年助手3年終えて
音楽大学に就職してこれがまた運の月だったというね 運の始まりとも言えるんですけど運の月だったのか運の始まりだったのかこの次の
セグメントでお話したいと思いますではまた 始めるら始めるラジオキャンパス
シーズン1のエピソード7ラッキーセブンですね ラッキーセブンは自分の人生を振り返り始めるというタイトルにしたんですけれども
これはこのエピソードは長くなりますね さすがに60年生きてきたのでようやく大学院助手時代が終わって
これがセグメント6つ目6個目のセグメントですがようやく私は音楽大学という 世界に
飛び込むことになるわけですね
私の専門は政治学でしかも法学部という一番その文系の中でもさらに理屈っぽい ね
学部で過ごしてきたわけですしかも それが何年間だ
15年ぐらいいたのかな 法学部にねどっぷりと15年ぐらいいたわけですよね
それがん まさか音大という世界に
入ってきた これはまあちょっと天と地がひっくり返るぐらいの衝撃でしたね
言葉が通じないと最初思いましたね 理屈が通じない言葉が通じない一体どうやって喋ったらいいんだろう
まあそれまで法学部の 大学院の連中とあるいは大学院の先生とかともう理屈っぽい話が数通過で通じる
わけですよね それがもう普通になっちゃってたわけで
そんな私が音大という世界でそこの音楽の先生方とか学生とか 話をしても通じないなんでこっちは当たり前のことを言ってるのに通じないんだ
向こうからするとね相手からすると何このした理屈っぽく偉そうにね 喋ってんのかしらなんてね思ってたみたいですけれども
これは非常に困りましたねコミュニケーションが取れない 最初の1年は相当悩みましたね
でまぁで私は最初はだからいやこれはもう 愛はちょっとダメだなぁと
いくつも通じないしまあ大丈夫かといろんな意味でね思ってしまった わけでところがね1年ぐらい過ごしているうちに
意外あの意外とじゃなくてあの要するに自分が 自分がずっと暮らしてきた世界の方が実は世界
世の中全体日本社会全体から見ればむしろ特殊な世界で 生きてきたのは私の方かもしれないと
で音大で生きている人も結構特殊な世界で生きているなと思ったけどお互いに 特殊な世界で生きてきただけだというふうにちょっと妙な割り切りができてね
しかも音楽っていう世界と政治学音楽と政治ともある意味真逆のようなところが あるんですがところが実は音楽と政治と密接に結びついてたりも
するんですよね 私は政治学は人間社会のアートだって言ってるんですけどね
音楽は別の意味であるんですよね どちらもリベラルアーツとして古代ギリシャからの起源を持っている
政治学哲学音楽ね それからいわゆる美術ね
天文学数学っていうのは本当に古い歴史を持つリベラルアーツ学問の起源を成してて その中の一つなんですよね政治学で私は結構そういうリベラルアーツ的なところ
政治学とか哲学とか天文学とか数学とかねそして音楽とか あるいは絵を描いたりするっていうことも好きでしたしこれは全部つながってんだと
大元人間にとってはとても大事な大元の学問大元のこう なんだろうな
知識というか学問っていうのはやっぱり 音楽も政治学も同じように並んでたんだね
あと体育ですね だからこういったリベラルアーツっていうことで見ればもう全部身につけなきゃいけないし
古代ギリシャ人は全部身につけてたんだっていうふうにまあ一つ割り切ったんですよね だからそこでコミュニケーションが取れないと相当どちらも人間として偏っていると
いうような妙な 感覚ともう一つが
私政治学者だったんで 日本社会とか世界の政治とか論じてるくせに
問大一つ変えられなかったら政治学者 配慮しなきゃいけないなっていう
政治学を語る以上はここの問大自体が 動向できなければその政治学とはもう理屈だけで頭の中だけで現実に役立たない政治学じゃないかっていう
これもまた妙な思い込みをしてしまったわけですよね だから政治学者としてのプライドをかけてこの問大なんとかしてやるというふうに思っちゃったのが運のつきだっていうことですね
音楽大学での学園改革
ということでその後何があったか 本大に就職して
15年後には学長になってしまったんですけれども 何があったのかって話はこの後話していきたいと思います
ではまた アシメルラジオキャンパス シーズン1のエピソード7
ラッキー7は自分の人生を振り返り始める これは私の人生60年経つので長くなります
今セグメントこれが7つ目になりますね ちょうど問大に就職したっていう話をしてそこで出会うね
いろいろ思ったことをお話ししたんですが その音楽大学
私は
まあ できれば3年長くて5年で次の大学へ移ろうと
就職した当初は思ってたんですが そうもならずにどっぷりと使っていって結局21年間勤めることになってしまった
最後の方の6年間は学長という 立場で音大に関わったわけですね
まあ何があったのかということですけど私がその問大に就職したのは1996年 その頃はもう少子化が2000年に入るとやってくると
いうことでまあすでに始まってたんですがそれ以前の時代はもうとにかくある意味 何もしなくても受験生が来た時代が終わって
まあいわゆる定員割れがささやかれ始めた頃ですよね で音大も何か変わらなきゃっていう気持ちはあるんだけれどもどう変わっていいのかが
わからないあるいは 変わることに対する抵抗もあると
いう中でとにかくその時期に遭遇してしまったわけですよね まあたまたま
まあ私と一緒に その問大に就職した
先生がまあ私より30歳上なんですが 1年後には学部長になり3年後には学長になりと
6年間学長になったんですが その時に
結局私は一緒に問大改革に取り組む形になるんですね これはもうとにかくありとあらゆることをやりましたね
まあカリキュラムからコンピューター関係 コンピューター教室作る新コースの設置
それからいろんな定員の問大 大学院改革それから建築問大ですねキャンパスがもう本当に
何も考えずに建増ししてきたという 迷路みたいなキャンパスで学生の同棲も何も考えていない
でこれをとにかく再開発しなきゃっていうのはもう就職してすぐ気がついたんです けど
でまぁ図面 キャンパスの図面に勝手な絵を描いてたんですがまぁそれが
10数年後には実際に実現していくわけですけどまぁとにかく とにかくありとあらゆることというかほぼすべてのことに関わりましたね
まあ すごかったです
21世紀に入る時それから入ってからですね その後は学生募集やら
そして学園全体の仕事にも関わっていくとかなりどっぷりと関わっていきますね そんな動きの中で
学園全体もやっぱりねいろいろ危機の時代を迎える中で新しい方向を目指そうとして またまた私がいた音楽大学は
他に美術系の大学ともう一つは福祉系 仏教系の大学をもって3つの大学を持って
るってちょっと珍しいんですよね普通は一つの 学校法人で大学はまぁだいたい一つ多くて2つ
3つ持ってたと これやっぱり音楽大学という看板それが美術造形大学という看板
これが 必要だったんですよね当時ね
立ち上げの時期ではねその看板をどうすんだっていう つまり3つ持つのは不効率だっていう話になってきて
これを一本にしよう という話が出てきてこれが統合問大ですね
札幌の音楽学科と美術学科
この統合問大が起きたから まあある意味私は46歳で若いうちに学長に押し上げられた
こともあるんですよねこれはもう本当に学園にとっての危機というかキロですよね そこに完全にはまってしまって
この統合問大の解決 に学長を6年のうちの最初の2年は完全に
すべてのエネルギーを奪われてそれがまあ終わってよしこれから飛躍だということでね まあいろんなことをやりました
音楽祭を始めてみたりホームカミングでを始めてみたりね まあそれまでにもいろんなことやってきましたけど
まあとにかく今に続く いろんな礎はね
その問大21年勤めたことでたくさん残せたんじゃないかなと まあ私自身は思ってますねでちょうど学長任期の終わりがけには
創立50周年の記念式典も無事に終わって まあ
まあ私のやることはまあほぼ終わったなと思ってたところに 札幌のとある音楽や美術を持っている大学から学長として来てくれという
話声がかかっちゃったわけですよねこれはやっぱり名古屋での音楽大学での 私のやってきたことっていうのはまあ何らかの形で伝わってたんでしょうけどね
まあとりあえず音大時代は語ることいっぱいあるんですけども これでその話は終わりにしてまた別立てでね
問大の話をしたいと思いますが札幌に そして移ることになったっていうのはこれ次のセグメントでお話したいと思います
始めるラジオキャンパスシーズン1の エピソード77番目のエピソードですね
自分の人生を振り返り始めるの8つ目のセグメントになります まあ名古屋の音大を
の後ね 学長を辞めて1年音大にいたんですけど
札幌の音楽 学科を唯一
持っている北海道の大学 からまあ学長として来てくれという話があって
これは 結局音楽系美術系
芸術系ですよね大学って結構難しいんですよね あの
まあこういう時代なので少子化も進行し経済先行き不透明ということになると まあ音楽美術デザインやってればまあデザインはまだいいけどね音楽美術やってる
場合じゃないだろうっていう話にもなりかねない やっぱ職業とね
未設に結びつけて大学進学進路を考えるとはほとんどなので特に 親ですよね親がやっぱり子供の心配してそういう
進路選択を あまりさせたがらないというね
音大美大ってどうするのという話になりがちなんですよね まあそういう問大もあるしもう一つは
日本の音大の未来を有料するという エピソードでも喋ってる通り
特に音楽系まあ美術系もそういうとこあるんですけども やっぱりこう大学として
特に音楽ですねやっぱり狭く 専門分野を捉えすぎてることで
ニーズに応えきれてないという問大があったりしてなかなか大変なんですよね美術系 音楽系芸術系の大学運営っていうのは
まあそういうこともあって まあ札幌
でまぁなぜか呼ばれたわけですがここで結局 札幌大学はね学科が4つあったんですけど
私が一番やっぱり気になったのはその4つの学科がそれぞれバラバラでバラバラだ というね
壁を取り払い新しい可能性を生み出す
結局もっとお互いに壁を取っ払って 分野超えていろんな
相乗作用シナージ以降がね生み出せばいいのにそうじゃなくて自分の専門領域に 閉じこもってしまう
むしろ他の学科を批判するという
どこが足引っ張ってるとかそういうレベルの話になってくる これは実は音大でも経験したことで学科の壁専攻の壁っていうのは結構あったんです
よね 過去の話ですけど最初びっくりしましたね
なんでこんな狭いとこで足引っ張りやってどうするんだという ふうに思った
でこれは名古屋でも札幌でも体験したことで私の役割は壁をぶち壊すことですね 壁を壊すことが
まあ僕の役割だと思ってそれはもう名古屋でも経験したことなので 壁さえ取っ払えばだいぶ新しいものが生まれるし新しい可能性が生まれるし
学生も生き生きしてくるしねでその壁を誰が作ってるかっていうと教員と職員 教員は学科専攻の壁を作り
職員は部署ですね の壁を作ると
学生に対しても壁を作る場合が多いですね職員ね 今はだいぶ状況変わったと思うんですけれども
やっぱ学生を中心において学生のために教員も職員も働いているんだっていう当たり前の姿を やっぱり実現するでそのためにはいらない壁は全部取っ払う
部署間の壁 学科間の壁 こういった壁はもう学生にとっては迷惑でしかないので 全部取っ払うということが大事だと思って
まあそういうことを結局札幌でもやりました あとは
各学科ごとに新しいコース作れという話をして必ず作れと言って それは何でかというと同じ領域だけでやっててもダメだししかもそれが全然
普遍的じゃないので もっとウィング広げないとダメだということで それに応えた学科と応えなかった学科と無理矢理従わせた学科だったんですけども
まあでもそれでちょっとね生きながらえたと 延命措置だけは施したかなと思ってますけどね
よく言うのは首の皮一枚繋がってないよという風に言ってやってきて 首の皮だけなんとか繋げて 首の皮だけじゃ困るんで 血管何本か繋いで
でも首本体が繋がったかっていうと微妙ですけどね それは後の人に任せるしかないと思ってますが
まあそんなわけでとにかく4年でやることやったので
まあしょうがないですね あとは後の人でやるというので じゃ頑張ってやってくださいと言うしかなかったことですけどね
まあこのあたりの戦はまた詳しく話すこともあるでしょう とりあえず今は札幌で無職でお金もなくわんこと暮らしてるというね
そういう人生になってるんだけどこの先 まだ60なので最近はみんな80、90まで生きるんだよね
あと20年も30年もあんまり生きたくないなと思いながらも まあどうしようかと
年金をもらい始めるかどうしようかと ミンパクトいってもね そうそう
ねということだし まあどうしましょうかね いろいろ考えてますけれども
自分の人生を振り返り始め
まあそんなラジオです 自分の人生を振り返り始めるということ まあいろいろ振り返って
振り返っているばかりじゃしょうがないので前を向いてですね まあ私にできることをいろいろやっていこうかなと思ってますので
まあ何か こういうのやってくれとかこういう仕事あるよとか
あれば言ってくださいね オンラインで対応できるのが一番嬉しいですけどね まあそんなことで自分の人生を振り返り始める
エピソード7 まああのポッドキャストとかラジオ配信あるいはノート配信はまだまだ続きますので
まあこれからもまあちょっと人生とかキャリアとかに絡んだ話でいろんな 皆さんの
なんだろうね関心のあるテーマに応えられるものがあれば取り上げていきたいなと思いますので ぜひ
あのスポッティファイの方は投票機能ってあるのでね 投票とかもちょっとポチって言ってほしいですしあとは感想も書けるのでね
感想書いてくれると嬉しいです まあそんな感じでライブもスタンドFMで始めますので
まあしばらくはこんなことをやりながら 何かにつながればいいかなと思っているのが
現時点ですねということで このエピソードはコンプリート自分の人生を振り返り始め
ではまた
50:27

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