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さあ始めましょう。平野文のRadio23club、第12話です。
時刻は23時を回りました。こんばんは、ラジオDJの平野文です。 今日はどんな1日だった?
誰かにありがとうって言ったかな? いろいろあった人も、そうでなかった人も、これからのひとときは一緒にのんびりゆったり、深夜のラジオトークいたしましょう。
さあ、始めましょう。時刻は23時を回りました。23は日本語でフーミーと呼ばれるので、この番組は平野文のラジオ23、違う、ラジオフーミークラブと呼ばれます。
こんばんは、フーミー平野はラジオDJです。 今日はどうだった?誰かにありがとうって言ったかな?
今から、深夜のラジオトークを一緒にしましょう。
平野文のRadio23club、この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤガーさん、お二人のサポートでお送りします。
この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤガーさん、お二人のサポートでお送りします。
どの頃というか、以前からですけれど、この間ねって言っても、その話って2、3年前のことだったり、つい半年前のことなのに、遠い昔のことのように感じたり、私だけですかね、この時の捉え方が大雑把というか、
もともと先のことしか考えていないので、そのせいなのかもしれませんけれど、2024年、今年もシバスの後半に入りましたので、私なりのこの間ね、というようなことを振り返ってみると、
やっぱり今年もですかね、彼が悲願を渡ってしまったレジェンドの声優さん方が多かったです。
近井しんすけさんもいらっしゃらないのですが、私がNHKのおしゃべり歌謡局をずっと一緒に生放送、夜ラジオをしていたとき、お父様がちょうどお亡くなりになって、
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番組の中で、「あの世に行った人が戻ってくるのは、この世でその人を思い出しているときなんだ」とおっしゃって、
お父様のことを好きだったんだなあ、というふうに私もそのとき感じていましたが、いい言葉なのですごく覚えているのですよね。
なので、ちょっと機会があるごとに私はこの言葉をよく言っているのですが、
今は映像や画像も気軽に見て思いを寄せる機会が増えたので、
みなさまが本当にいなくなっちゃったんだなというより、まだいらしてくださってますよね、という思いの方が私は強いかな。
もちろん寂しいですが、ありがたいことに本当に一緒に仕事をする機会が20年以上できたので、
一世代上の方々といろんなことを言葉ではなく、ちょっとした仕草や生き様から教えていただきました。
いわゆるそれが私の財産というか、本当にありがとうございますとありがとうの気持ちがいっぱいです。
今夜は私がいつもより思い出して、その方々にずっと寄り添っていただこうかと思っています。
さて、それぞれみなさまも思いのあることを思い出させていただきたいと思います。
さて、それぞれみなさまも思いのある声優さんたちがいらっしゃると思いますけど、
私はまず声優としては一番はやっぱり増山英子さんですね。
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6月にお亡くなりになりましたが、つい最近増山さんが最初にお出しになったアルバムの英子賞、いわゆる知恵子賞みたいな、
英子賞というタイトルのアルバムがCDで再発売されるメモリー版というようなことで発売されたので、
ありがたくも恐れ多くもですけど、私そのCDに関してのうれしいコメントというのを書かせていただきました。
その時に書いたのは、とにかく増山さんの、なんといっても私はもう美音藤子一択なんですよ、増山英子さんといえば。
美音藤子の色っぽいんだけど、悲鳴のあるお声ですね。
今までの暮らしぶりな生き様が全部反映されているという、真似のできない唯一無二のお声であって、
私がだから思いがけなくも初めてルパン3世に出していただいた時の、生でそのお声を聞いた時のときめき以上の震えですかね。
もう忘れることできないですね。マイクを通しているのとまた違うんですよ。
同じ声ですよ、同じ声ですけども、やっぱり生声の威力ってもうたまらないですよね。
ルパン先生の収録ってほとんど死後がないんですよ。
もう皆さん大人の方々なので、演出の加藤敏さん、キャッツアイなども演出なさっていた、私の大好きな演出の音響監督さんですけど、
穏やかにここはね、みたいなふーっとスタジオにテストの時に戻ったのをいらして、
でもレギュラーの方にはほとんど何にもお話なさらず、ただそのスタジオの、私なんかもちろん緊張はしてますけれど、
どんなお顔をしていらっしゃるのかってやっぱり覗きたいじゃないですか。
だからなんとなく見るともなく、安倍さんとか清さんとか、
安倍さんはおしゃべり歌謡曲の後に、近井さんの後に私一緒にやってたので、親しいというか死後をかわす機会もあったし、
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清さんは清さんと同じ事務所だったから、清さんなんですよね。
松山さんは事務所も違ったから、しかも私の一番の憧れだったから、もうど緊張でしたけれど、
そのお二人の、安倍さんや清さんの雰囲気から醸し出すものは、
松山さんはルパンのマドンナ、本当に大事にされてて、かわいがられてという言葉はちょっとおかしいかもしれないですけれども、
すごいやっぱりマドンナなんだなって憧れてるっていうか大事にされてる。
だからそのお声がアニメにそのものに出てらしたなと思いますね。
いやー、あのマドンナ童話すごかったです。
で、清さんたちの世代ではもう一方、木宮良子さん、女性でいらして、木宮さんも同じ事務所だったので、
お話しする機会があって、もう松山さんとは葬壁の低音のあるとのお声で、
「縁下の花道」のナレーションをずっとなさっていました。
あの方で、はしゃぐとか笑うとか、そういうお顔を普段も見たことがないぐらいの方だったんですけど、
事務所に行くともう、狭間美鳥さんとか上達屋さんとか中村翔さんなんかも、
もう良子良子って言って、木宮さんのことを、松山栄子さんがマドンナであれば、木宮さんはもう姫。
いやー、でも本当に素敵でしたね。
そういう方々がいることによって、男性陣がテンション上がっているというか、それに値するだけの、やっぱりマドンナと姫だったかな。
私の憧れでもありましたね。
大人の可愛さとか、品がいいんですよね。その品位というのを松山さんに教えていただいたかな。
今年は答えたのは、6月に松山さんがいなくなって、7月に小原紀子さんがいなくなって、どうしようかなと思いました。
小原さんの声もすごいでしょう。松山さんとまた違う色っぽさが。
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こっちはやっぱり、いろんな役をやっていらっしゃいますけどね。少年役もやっていらっしゃるけれど、
アニメではもう、私の中ではうる星やつらの尾行さんしかないんですよ。アニメでは一択。
とにかく、クールビューティーでしょ。尾行さん、フーじゃない。
スーッとした、なんとも透き通っている、冷たいんだけど色気があるっていう。
尾行さんの声を生で聞いたときは、しかもいつも小原さんは私の隣にいてくださったので、
普通のお話の声もあのままなんですよ。もう、参っちゃいますよね。
やっぱりだから、松山さんと同じように、暮らしぶりのたたずまいの中に品のある、
それがフーッとお声に出ているという方で。
ただ、私が尾行さんを初めて知ったのはアニメじゃなくて、ラジオなんですよ。
私、高校、大学の頃だったかな。
FM東京で、ワールド・オブ・エレガンスという30分の昼の番組があって、
それは、グランドファッションのワールドがお送りするワールド・オブ・エレガンスというタイトルも尾原範子さんが読んでいらして、
本編では、細川俊幸さんが声優さんではないけれども、
イケボの本当に典型的な、でも全然キザじゃなくて全然わざとらしくない、
普通にしゃべっていたらそのお声という、もう全然お作りになっていらっしゃらないお声なんです。
その方が音楽をかかって、いわゆるポエムを読んで、ちょっとしたシャレたエピソードを言って、
そのワールドというのが服飾メーカーなので、タイトルと間に入るCMがお洋服のお話をして、
こうやって着飾ってパリの街を歩いたら素敵だったとかそういうナレーションがCMなんですけど、
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そのワールドのお洋服の宣伝を兼ねているおしゃべりです。
それが最初は私、どのアナウンサーさんがお読みになっているのだろうかしら。
FM東京でシャレた方がいらっしゃる。
でもこのおしゃべり方はアナウンサーさんじゃないな、どなただろうなってしばらく、
もう毎回聞くたびに憧れていて、それが尾原さんってわかったときに、
うわー、なんて素敵なんだろうと思っていたので、文字通りエレガントな番組ですね。
アメリカではなく、やっぱりワールド・オブ・エレガンスなので、
それこそヨーロッパっぽいとかパリっぽいお話を、シャレた感じの、
だから木座一遍倒でも細川さん全然素敵みたいな。
当時は昼のワールド・オブ・エレガンスで、夜のジェットストリーム、
それくらいのラジオで、覚えていらっしゃる方も多いと思うんですけど。
夜のジェットストリームはこれもジョー・タツヤさん。
ジョーさんも背景でずっと一緒だったので、憧れて憧れて大好きで、
エレガンスじゃなくて、こっちはジェントルマンですよね。
本当に昼のワールド・オブ・エレガンスで、夜のジェットストリームで、
これが私の当時好きだったラジオ番組の東西というか昼夜でしたね。
ジョーさんから教わったのは、僕は声のイメージを壊したくないから姿は出さないんだって当時ずっとおっしゃってた。
すごいジェントルマンの本当に素敵な方で、やっぱりお声通りの立ち振る舞いをなさる方で、
おしゃれた方でしたね。
若い時になんでこんな素敵なラジオ番組を作ってくださったんだろうと、
それこそFM東京に感謝感謝ぐらいなんですけど、とにかくいい番組がありましたね。
おはらのりこさんのお話を戻すと、私が最後におはらさんにお目にかかったのは、
あれはだから10年くらい前になるのかな、10年以上か、
中井さんのテレビの番組で私たちがゲストに出ることになって、
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楽屋と一緒だったんですよね。
一緒に観光費でも買いに行きましょうか、あるいはお手洗いでも行きましょうかみたいな感じで、
楽屋を出て二人で歩いていたのね。
もちろんそれもうる星やつらが終わってからの話ですけど、
久しぶりです。
その時にポツッと、「私ね、いくつだと思う?もう76なのよ。」っておっしゃって。
全然見えない、全然見えなかったです。
でもその時に76という響きを聞いたときに、全然若いな、もうそれしかなかったですね。
自分が76歳になったらどうなるんだろうなというのももちろんふと思っていましたね。
ちょうどだから今だとどうなんだろう、歳ちゃんぐらいになっているのかな。
そう思うとやっぱりすごく若いでしょ、声を使う方ってそうなのかな。
もちろん私もそうなりたいと思っていますけれど。
それで3年ぐらい前に私はアンパンマンの黒原女王のお役をいただいたんです。
それを小原紀子さんがずっとなさっていらっしゃったので。
監督さんにお役を継ぐにあたって、小原さんにご挨拶に伺ったほうがいいでしょうかって伺ったら、
いや構わないです。それ以上は語らなかったので、
もうお目にかかれるような状態じゃないのかなとちょっとその時に思っていて、
お手紙とかそういうのも一切必要ないですっていうことだったので、
そのままになってしまったので、
その時の私も76なのよっていう時の会話が小原さんとの最後になりましたね。
すごくでもその時のお声も澄んでいらして、ちょっとも変わらなかったですね。
まあ私のいつも及木さんと隣にいる。
それがさ、まだうるせえつりやりたての頃かな、私ドラえもんに呼ばれたんですよ。
ドラえもんでさ、かまどに火をくべるのに竹筒で火を起こすっていうのを田舎の女の子の役だとかそれをやってたのね。
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で、ふーっと本当に息吹くとさマイクに当たってボンとなっちゃうじゃない。
だから私なんかよくわかんなくてふーとかって声出してたのね。
そうしたらさテスト終わってから、ふみちゃん違うでしょ。
火を起こす時にはふーって言わないでしょ。
ふー、ふーじゃないわよ、ふーって言うのよって言ってさ、
その手を輪っかにして唇につけたらふーっていうね。
それをマイクからちょっと外してふーってこうでしょって実演してくださって。
いやいやいやそうですね、本当にそうですねって言ってありがとうございますってね。
それが仕事場でのね、小原さんとの初めての出会いで。
もうその頃私ワールドオブエレガンスのことしか頭になかったからなんか全然さ演技も何も上の空だったのかもしれないですけど。
そんなことを教えていただいて、アニメの場合っていろんなそういう仕草が。
例えばこうマスクなんかしているような時なんていうのは、手でマスク代わりに覆って喋ったりとか。
あとなんか鎧かなんか被っている時は誰かさんがね紙コップを口にして、
喋ってたとかね。
あとは葉巻きを加えながらっていうのはね、自分の持っているペンをね、口に加えておしゃべりしたりとかね。
なんかいろいろね、声優さんってそういう工夫をなさってて。
そういうのは私たちは先輩のを見て、こうするんだっていうのを覚えて教わったっていう、そんなのですよね。
でね、私ね、さっきお話ししたね、地下医師しんすけさんはね、すごくもう忘れられないというか、もうこの方はね恩人というかさ。
あの、私、ほらアニメをやったらどうですかって走れ歌謡曲のその新放送の時に葉書いただいて、
ああできるかもしれないと思ってアニメやりたいんですって事務所に行ったら、
うちはそういうテリトリーがないから他に行くんだなって言われたのね。
で、私はだからさ、なんか葉書でそういうふうに言われたから、できると思い込んでるみたいななんか、
あれってずーずしいと思うね、根拠のない自信って本当ずーずしいと思うんだけど、あ、そうですかって言ったら、私その事務所辞めたのよね。
で、そうしたら3月で辞めたら、その時にその走れ歌謡曲の方も辞めさせられちゃったわけ。
私はだからアニメもやりながら深夜放送も一緒にやりたいと思ってたら、
え、なんで辞めさせられるんだろうって、理由もなく辞めさせられちゃってさ、
で、その辞めさせられちゃって、その辞めさせられちゃって、その辞めさせられちゃって、
え、なんで辞めさせられるんだろうって、理由もなく辞めさせられちゃってさ、
ただ考えてみれば、そりゃさ事務所、その事務所が持ってきた仕事なわけだから、契約を切れたタレントにそれをやらせるっていうのは筋じゃないわけじゃない、事務所から言わせれば、だからバッサリっていうさ、
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私そんなこともわからないで辞めちゃったから、辞めさせられちゃったらどうしましょうみたいなさ。
そうしたら、いわゆるフリー、当時は事務所を辞めたら半年ぐらいは少なくともフリーじゃなきゃいけないみたいな不分立というか暗黙のルールがあって、
だから次の事務所も探さないでいて、その間はね、なんだかんだね、なんか皆さん助けて、このみちゃんこの仕事するって言って助けてくださったり、
あとそのNHKのおしゃべり歌謡曲のラジオの方はずっと続けてさせていただいたので、その当時はね、確かね走り歌謡曲やってる当時はね、そのおしゃべり歌謡曲はね、
私浜村隼さんとやってたんですよ、大阪の。浜村隼さんが大阪の大レジェンドのおしゃべり手の方で、その方がね映画のお話がすごい詳しいので、なんか邦楽の話をずっとするので、私はもう本当に劇役のアシスタントみたいな感じで。
浜村さんが東京通いきれないっていう感じだったのかな、それで今度近井志信介さんと私と一緒にやりますよっていうことでNHKにそういうふうに言われて、
で、私近井志信介さんは佐々木さんのマスオさんよりも、こんにちは近井志信介ですっていうTBSの関東ローカルだったんだけど、朝ワイドをずっと近井志さんなさってらして、私それが大好きだったのね。
あのドクマムシサンダユーさんが外の中継に行ってて、でも独舌を吐くんだけど、それをうまくこうね、や笑いであしらってくださって、二人のコンビがすごい素敵だったり、そのラジオのリスナーの方にすごい寄り添ってる、はいじゃあ次行きましょうみたいなさ、なんかねこう親しみのある。
あ、だから最後に近井志さんがほら初めてのお使いなさってたでしょ、あのテレビのナレーションで、あの感じのものすごい砕けた、まあ言ってみればこう庶民的なっていうね、ラジオの朝ワイドらしいおしゃべりをなさって、もうそれが大好きで大好きで、で、そしたらもうおしゃべり歌謡曲でもそのような感じでやってくださってたんですけど、
初めてその近井さんにお目にかかった時に、あのね、スタジオに行ったらさ、ラジオのスタジオってミキサーさんの部屋があって、そんな広くないのね、で向こうにガラス越しにお部屋があって、そこで二人が迎え合ってしゃべってるっていうのはね、そういうのなんですけど、
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そのしゃべる方の録音室の方で近井さんさ、一人でお弁当を召し上がっててさ、で、マネージャーが入ってらして、いやちょっと昼を食べてなかったんで今近井さんの食べさせてるんでとかって言ってみて振り向いたらそのマネージャーがなんと、私が劇団こまどりでお世話になってた時のもう保護者みたいな、
その保護者がね、その近井さんのマネージャーさんだったわけ。で、お前今何してんだって言うから、アニメやりたいんだけど深夜放送をやめさせられちゃって、今事務所いなくてフリーなのっていう話をしたらさ、それじゃあうちに来いよって言われたのよ。それが廃墟だったの。近井さん廃墟にいらして、
で、その廃墟に行ってのすぐのオーディションがうる星やつらのラムちゃんだったから、近井さんとのおしゃべり歌謡曲がなかったら、かつその相場ちゃんが劇団こまどり、まあそれは定年度お辞めになって廃墟のマネージャーにお入りになってたんだけど、そこでの出会いがなかったら、私今うる星やつらもこの仕事もやってないっていう。
もうそれくらいの近井さんどうもありがとうっていうのなんですよ。もうね、とにかくもうこのことは私本当にもう忘れられない。そこのね、入ってた時のスタジオのその向こうでお弁当をね、あのあれよ、本当コンビニ弁当みたいなそうなんだのよ。
それをね、一人でね、召し上がってたそのなんか横顔が忘れられなくて。だから、なんかそういうこう気さくな感じの、でかつその、やっぱりだから私はそのマスオさんっていうよりもおしゃべりの、こんにちは近井晋作ですっていうそのラジオのこう親しみのあるしゃべり方はもう絶対威張らない。
で、かつその、嬢さんとのそうへきな感じじゃない。夜のダンディーなこう語りと昼のこう庶民的な、でも同じ、同じ両方ともリスナーさんに寄り添ってるんですよね。
なので、そのなんかラジオの基本って、やっぱり両面を持っていなくてはいけないと思ってるので、嬢さんと近井さんにも教えていただいたし、
増山さんにはもう大人のキュートさとかかわいさをもうみんな藤子一択でバンと見せつけられてるし、小原紀子さんのはもうエレガンスが漂う話し方ね、あのクール、クールな、もう増山さんとまた違う感じ。
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で嬢さんのはその声のイメージを裏切らない生活をしなさいみたいなところだし、近井さんはもう人として気取らない思いよりのある正直な話っぷりですよね。
本当に楽しかったんだけど、皆さんやっぱり誰に対しても平等な対応であっても絶対威張らない、なんかそういうことを皆様方に教えていただいての私、やっぱり今があるかなと思うので、それはもう幸せですよね。
尊敬できる方々がいるって、それはだからご自身にとってもご良心であるかもしれないし、私はだから仕事場での保護者みたいな激難小戻りからずっとキスを教えてくれた園場ちゃんっていうマネージャー、今もお付き合い続いてるんですけど、その方からの近井さんで、近井さんだからうちに来いよって言って廃墟に入ったら全部いらした。
木宮さんも城さんも狭間さんも近井さんも中村翔さんも小林教授さんも、とにかく昔のテレビ映画を録音の付き換えをなさっていた方がユニオンを作ろうって言って、声優の事務所みたいなことでの一番最初の大元の大幹が東京俳優生活協同組合なんですね。
だからそこから皆さんマネージャーさんが協同組合だから自由にできないことがいろいろあるので、そこから出て青鬼が最初出ていって、そこからまたバオバブあったりエイティーマンあったりっていう風にしてどんどんどんどん枝葉があって事務所ができていったっていう声優の中の事務所の構図みたいになるんですけど、
その根幹である廃墟にそういう良い時代にレジェンドの皆様がたくさんいらしていた時代に私は一瞬することができたので、感謝しかないですね。
本当にありがたかったなと思いますし、その教えていただいたことっていうのはこれからも伝えていかなくてはなぁと、あんまり私昔振り返ることはしないんですけど、
でもちょっとこの番組では色々と思い出しを思い出して何かお伝えというか残していこうかなぁと思っています。思い出話などなんか私の今の話から、そういえばこの子だったなっていうようなことがあれば是非ともお知らせください。メールお待ちしてます。
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ひらのふみのラジオふみクラブ第12話、そろそろお別れです。時間が待ち遠しいですね。お相手はひらのふみでした。そしてサポートはスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、そしてウェブエンジニアの八川さんのお二人でした。この続きは次週の木曜日、また23時からね。ではまた。
ふみのクラブでお会いしましょう。またすぐにお会いしましょう。良い一日をお過ごしください。お湯木さんが来るから特に温かくお過ごしくださいね。バイバイ。