1. 平野文 Radio23club
  2. 第13話「レジェンド声優の思い..
2025-02-02 33:07

第13話「レジェンド声優の思い出よあなたは強く優しかった2 ビューティフル・メモリーズ」2024/12/26 #Radio23club

📻 Radio23clubについて

ラジオDJ 平野文がお送りする深夜ラジオみたいな番組です。毎週木曜23時よりYouTubeで配信します。ListenではYouTubeのバックナンバーをアップロードしています。

https://www.youtube.com/@23club

※声優/ナレーター・平野文の公式YouTubeチャンネル。
 

🍀 Clubhouseについて

平野文のマイクの向こう側(毎週金曜23時)
https://buff.ly/4faBfMj

 

👫 スタッフ

技術:ヤガー(ニサンガロク)
https://creazy.net/

https://twitter.com/yager

https://www.youtube.com/@YagerJP

企画・編集:コグレマサト(ニサンガロク)
https://netaful.jp/

https://twitter.com/kogure/

https://www.youtube.com/netafull

サマリー

第13話では、平野文がレジェンド声優プロジェクトについて振り返り、特に七川雄二さんの思い出や影響について語ります。クリスマスの時期と年末の慌ただしさを交えつつ、懐かしい出来事が共有される温かいトークが展開されています。さらに、有名な声優たちの思い出やキャリアについても振り返り、特に布川さんの特異なお墓の形状や仲間とのエピソードが語られ、懐かしさと感動が込められています。このエピソードでは、安部さんとの思い出や声優たちに対する感謝の気持ちが伝えられ、リスナーには新年の抱負や悩み相談が促され、心温まる交流が感じられます。

年末の思い出
さあ始めましょう。平野文のRadio23club、第13話です。
時刻は23時を回りました。 こんばんは、ラジオDJの平野文です。今日はどんな一日だった?
誰かにありがとうって言ったかな? いろいろあった人も、そうでなかった人も、これからのひとときは一緒にのんびりゆったり、深夜のラジオトークいたしましょう。
さあ始めましょう。時刻は23時を回りましょう。23は日本語でふうみと呼ばれるので、この番組は平野文のRadio23と呼ばれています。
違う、Radioふうみクラブです。 こんばんは、これはふうみ平野のラジオDJです。今日はどうだった?
誰かにありがとうって言ったかな? ここからは深夜のラジオトークをしましょう。
平野文のRadioふみクラブ。この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤガンさん、お二人のサポートでお送りします。
この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤガンさん、お二人のサポートでお送りします。
さて、今夜は2024年のクリスマスと最末の狭間ですね。
どうでしょう皆様、この1年、楽しいことがどれほどありましたかね。
まず新年があって年度変わり、ゴールデンウィークがあって夏休みがありました。
秋のない今年でしたが、イベント的にはなんか秋はハロウィンイベントからのまたクリスマスっていう感じで、世間はね、イルミネーションキラキラしてますね。
クリスマスケーキは美味しかったですか?
まあ我が家はですね、クリスマスケーキはね、小川小市が築地豊洲の市場で仕事しているので、
あの、量販店さんからね、ノルマンが来るんですよ。クリスマスケーキ買ってって。
それで我が家はホールケーキが二つきましたね。一人で、一人でワンホール。
ただ最近のクリスマスケーキってそんなに大きくないのよね。だから、まあ、がぶりと一ホール。
まあ、私は結構いっぺんに食べちゃう。翌日になるとやっぱり味が落ちるのでね。
それなりに、はい、そういう楽しみが毎年ありますが。
それを終わると、まあ部屋を見渡してね、新年に向けてやらなければいけないことが何かあるかもって思いますものね。
あの、新年といえど単なる来月でしょうっていう人もいますけど、私はやっぱりこうね、12ヶ月で、まあ星座の人もありですけど、
あの、ちゃんと区切りをどこかでやっておかないと自分の中でも、まあけじめっていうか、その思い思いのなんかこうジエンド、ジエンド、ザ・ネクストみたいなのがないとつまらないのでね。
私はこの祭末の感じは嫌いじゃないですね。なんかみんな忙しい感じで。
あの、紅白はまあ見るともなく見てるという感じですかね。
このところ井上直哉選手とかなんか面白い試合を、祭末に向けてやってくれてたので、ね、今年はちょっとないのかな。
まあ、でもそんなので、テレビはまあ一応は、あの、昔はね、翌年来る年みたいのでNHKにだいぶ呼ばれてて、
昔はその祭末、年末年始はチャンネルが限られてるんで、仕事があるのはありがたいと思えみたいなことを言われて、してましたけど。
今はもう、それこそね、アニメの収録でもなんでも前倒しの前倒しで、早め早めでしたので、
年末年始は、まずは家のことをやって、お正月からゴルフを、ね、趣味ですからね、これはもう人に言われようが何しようが、もうやるのだ、みたいになってますね。
あの、家は、そうです、みなさま、水まわりとほこり、これがもうメインですから、毎日やってれば別に祭末に慌てることはないと。
あの、私が楽チンしてるのは油汚れですかね、レンジフードのところ、油物なんかお台所でやっぱりやるので、レンジフードフィルターっていうのがあるじゃない。
だからあれを毎月、もう月末になれば、ベッと剥がして、貼り直して、レンジフードってほら、磁石がつくから楽なんですよね、あれでピーピーピーってピューっと、やっとけばいいので、
しかもね、最近はもう本当に、100円ショップで簡単にお安くこういう消え物は買えることができるので、
毎月これやってると本当に、年末の油汚れの掃除は単なるスポンジで洗うだけなので、非常に楽チンですね。
あの、海外で、欧米はやっぱりね、クリスマスがメインだから、大掃除を最末にするなんてことはなかろうし、
あの、スプリンクリーニングっていう言葉があるそうで、昔はやっぱり暖炉があったから、それのすす払いということで、
冬がちゃんと終わってから、春に向けて綺麗にしましょうというので、スプリンクリーニングという言葉が、まあそういう習慣になっているとは聞きましたけど、
私の知り合いは欧米に、まあアメリカにいるのはみんな日本人なので、彼女たちはやっぱりあれですね、クリスマス終わったらツリーの片付けも兼ねてのお部屋のお掃除をしているというのはいつも伺ってますので、
まあ習慣ってね、どこに行こうが、なんか自分の中での昔からの習わしみたいなものが擦り込まれているんでしょうね。
七川雄二の影響
どんな楽しいことがこの一年あったか、ちょっと皆様もそれぞれ振り返りながら、今日は過ごしていこうかなと思ってます。
何があったかを思い出さなきゃいけないことがあるかもしれないですね、金曜日に毎週23時からやっているClubhouseの平上のマイクの向こう側のところでもお話に上がったことがあるんですけど、
この時期になると予定表どうしてるっていう感じで、みんなのことをちょっと気になるんですよね。
まあノートに予定表にしているのか、ウェブなりスマホ一択、あるいは両方使い。
ここの2、3が6のスタッフのコグレさんやヤガーさんはもうほぼほぼスマホインプットだそうです。
もう書くということはほぼほぼしないっていうのをその時に話を聞きましたけど、私はだからそれまではもう予定表一択だったんですけど、
そっかと思って、わりとこう3ヶ月ぐらい先の定期検診、先生のところ、歯医者さん行って次の予約はみたいにしてやるじゃん。
だからそういうのはスマホのカレンダーの方に入れるようにして、それをちゃんと自分の手書きの方にも写すっていうふうにはしてるんですよね。
やっぱり紙物はどうしても私なんかは外せないので、毎月レフィル、中身だけ変えるという形にしてますけど、
スマホを横位置にして見開きにした感じですかね。だからスマホのサイズで月曜日から月火水、下の方が木金土、日曜日が土日で一緒になっているという感じの独分割の予定表ですけども、
それだといつっていうよりも曜日で頭の中にポッと浮かびますね。だから日にちあんまり自分の中で意識がなくて、
今日なんか木曜日の夜ですから、26日って言うと見開きの下の左側のところに26って書いてあって、あそこの夜でシャープ13レディオフミクラブって書いてありますからね。
そんなのが頭の中にポンと浮かぶというような条件反射になりますね。
予定表、いろいろ最近はもうデコやったり色変えたりっていう人たちが多いので、文房具リマも非常に楽しいですが、
私は仕事を黒字で書いて、プライベートは青字。青字も消せるようにフリキションのライトブルーで使っていて、
なくなったら消すみたいな。ちょっと気になるものは赤ですね。
なので今年はやっぱりこのレディオフミクラブが始まりましたので、10月そこのところは赤丸でレディオフミクラブって丸をしてましたね。
あと、私は毎月25日の2号の下に赤線を引いてあるんですよ。
それは、七川雄二さん、スタジオピエロの創設者で、
七川雄二さんが22年の12月25日にお亡くなりになったんですよ。
2年前ちょうど、早すぎちゃって、もうこんなになっちゃうのと思っているんですけど。
七川さんはやっぱりうる星やつらで、最終的に平波にしましょうという最高決定権みたいなところでいらしたので、
もう本当に恩人ですので、七川さんのことはもう本当に忘れられないですね。
一番最後は一緒に関わってくださったのは、私が古川敏夫さんと一緒にレジェンド声優プロジェクトをやりたいんです。
今の私たち上の世代の方たちにインタビューして、形に残したいのでという話を。
雑談でですけどね、俊夫ちゃんもいたんですけど、その時にしたら、ああいいですねって言って、
そうですね、七川さんのああいいですねっていう一言からやっぱり形になったですのでね。
ただそのね、コロナ禍に入っちゃって皆様にそのライブ公開でイベントができなくなったっていうのは非常にタイミングがあまりよろしくなくて、
じゃあちょっと仕切り直してって言ったら七川さんいなくなっちゃったので、本当にこれはもう答えましたね。
プロジェクトの進展
レジェンド声優プロジェクトはまだ形には残って、ウェブ上でもあるので、
清水麻里子さんから小山真美ちゃんまで、前美ちゃんもそうだけど、いろんな方々にちゃんとしたインタビューをできて、
対談の録音もちゃんと井上真希夫さんもお出になってくださったり柴田勝利さんもですし、
これはもうお声の対談の方の音声も残っているし、文章もまとまって今ウェブ上に公開まだできているので、
これをもう少し何かの形でって言って、七川さんのお嬢様の舞子さんがこれはよくわかってくださってて、
どうしますかねって言って、そのうちでも私たちも本当にレジェンドのレジェンドみたいになっちゃったりして、
そうならないうちに、皆さんもまだ現在のうちにもう少し仕事をしたいなと思っているのですが、
とにかく七川優次さんが25日に、月明日ということで、私は毎月25日の2号の下に赤線を引いているのです。
お墓が外苑前の梅荘院というところに、梅と窓の院と書く梅荘院、
入り口も本当に竹林で、とてもきれいなモダンなところで、
そこに奥様曰く、もう亡くなる前に両親の山口家の酒田のお墓をこっちに持ってきて、
自分のお墓を作っちゃってて、本当に良い人だったんだからと静香さんがおっしゃっていたのですが、
そのお墓は、普通のお墓は縦長の四角錐のお墓です。
しかし、布川さんのお墓はものすごく線が低くて、横長のお墓です。
そうしたら、布川がテレビ画面を意識して、こういうのを作ったのだと思います。
アスペクト比というか、たぶん16対9の、
いつも我々が見ている映画やテレビやネット動画でおなじみのああいうサイズのはずです。
ものすごく黒の磨き石というか、艶感のある、
写真を撮ろうかしらと言うと、ちゃんとそこの布川系と書いてあるスクリーンに自分が映っているくらいの黒い艶々の破壊石で、
そうやって映像人だったんだなという思いをそこに託して、
下にピエロのマークが入っている、ちょっと本当にモダンなお墓で、
いつもお花が絶えないんですよ。静香さんや舞子ちゃんがいらしているのかなと思って。
私も月に2回ぐらいは行っているんですけど、必ずお花があって、他のお墓はそんなことはまずないのでね。
布川さんお幸せだなと思っているんです。
山田康夫さんの想い出
クリスマスにというのはちょっと出来過ぎじゃない?と言って、
今年は25日に私は18時まで仕事があったので、23日の踏みの日にお線香をあげに来ましたが、
私の予定表の中では25日のところにした線香が踏みの日に続いてなんですけど、
1月が本当に早くて早くて、これは子どもの頃から1月早いなと思っていたんですかね。
それともやっぱりいろいろ仕事をするようになって、いろんなしがらみもあったりしてやらなきゃいけないことがいっぱいあるから、
心が荒れるその忙しさ、忙しくなってまた踏みの日が来た、もう踏みの日が来たとか25日って思っちゃうのかなって。
どうでしょう、去年の今頃何をやっていたかなんて言って、遠いことのようであっという間だったというのです。
今年はちょっと寒波が思いがけず来て、雪を見舞い申し上げますと私たちは言うしかないんですけど、
東京人は雪降ったら歩き方が下手だからみんな変なところで転ぶでしょ、それを見てみんな何をやっているんだって、雪国のプロの方は思っていると思いますけど。
とにかく私もみぞれだったら絶対車は出さない、歩き方も上から踏みつけるように一歩一歩歩いて、
東京行きたいという番組でだいぶ雪国の方も鍛えられて歩き方も教わったし靴も持っているので、
雪に対しては都会で降ってもどうにか、いまだに転まないで住んでいますけれど、
お正月なんかどうなるんですかね、雪降ったら本当に東京は何もできなくなっちゃうのでね、土下雪がたまに来るでしょう。
私は土下雪というと必ず思い出すのが山田康夫さんで、
NHKでおしゃべり歌謡曲、地下石信介さんとずっとやっていて、その後山田康夫さんにバトンタッチだったんです。
地下石さんがお辞めになった理由というのは、お芝居をなさってらしたので、劇団東苑という劇団をお持ちで東の苑と書く。
やっぱり地方公演があるので、毎週のラジオをずっと生でやっていたので、それがあるとちょっとつらいのでというその理由だったんですよね。
だから体調とかそういうことではなく、単にそうやってやっぱり劇団のトップでいらっしゃったから責任感もありで、
やっぱりトップがいない地方公演ってあまりよろしくないでしょうね。
だからそういうので、やむなく拘板という形だったんですよね。
ただ終わってからしばらくぶりでお目にかかったとき、
ふみね、地方に行くと言われるんだよ、しゃべりかよう曲聴いてましたって言って。
NHKでしたので、どこででも聴かれる状況だったのでね。
それに反して山田康夫さんはね、車に構えてるっていうか別に意味で手編んでって感じでさ、
何やってもいいだろうみたいなさ、すごい自由奔放なおしゃべりっぷりだったから、
それはそれでね、すごい面白かったのね。
だから、日野寺雅さんがゲストにいらしたときはさ、ガラス越しにね、日野さんとおしゃべりしてるじゃなくて、
ガラス越しに奥様がね、聴いてらしたのよね。
そしたら、あれは彼女だあれって、いやいや、うちのワイフですって。
ああいいよ、こっち呼んじゃうよ、おいでおいでよとか言ってさ、
打ち合わせとか何にもそんなのいなくてさ、生放送なのにさ、おいでよおいでよって奥様にさ呼んじゃってさ。
で、何かその音楽のこととかお家のこととかのね、日野さんのことをね、おしゃべり、
4人になっちゃってさ、きっともうスタッフがあたふたしてたと思うんだけど、
ちょっとそれは発展向こうなところもあって、すごい面白かったのね。
で、去年だったかな、日野寺雅さんとさゴルフすることがあってね、
で、ご飯食べてるときにさ、いや、実は私はラジオで日野さんに出ていらっしゃったことがあって、
実はこれこれでこうやって山田康夫さんがね、ガラス越しの奥様をこっちに迎え入れてね、
スタッフあたふたしちゃったときがあったんですよって言ったら、
ああ、そんなこともあったっけね、でさ、その時の奥さんって何人だったって日野さんおっしゃってさ、
いやいや、なんかね、アメリカ人の、アメリカの方だったので、
もう片言の英語というか、日野さんがね、通訳してくださって、そこでね、楽しかったんですけど、
あの、アメリカの方ですよって言ったら、あ、そうか、じゃあ3人目かな、とかなんとかさ、日野さんがさ、おっしゃってさ、
タクシーの中での思い出
なんか二人とも豪快な方だったんで、
ね、山田康夫さんと日野寺雅さんが生放送で会話してる、しかも隣に奥様がいてなんてすごい、
ね、想像ができないでしょうけど、ただ山田康夫さんはジャズがものすごくお好きだったので、
そんなのでは、あの、リズムがあって、
あの、ルパンの喋り方もそうでしょ、こう、ふーじこちゃーんみたいなさ、そういうのがあったと思うね、
っていうのはあれはもう必ず、やっぱり音楽のセンスがなきゃああいう感じって出てないのでね、
でも山田康夫さんはね、康夫さんはね、本当にロック音の時、あの、ルパンの時は直立不動で、
全く動かないし、手のアクションもほぼほぼなかったかな、
一番、まあ私たちからスクリーンに向かって一番左端のところで、
今の栗冠さんもね、やっぱり今一番端のマイクを使ってらっしゃるみたいですね、
ラジオの時はもう安部さんと私はもう向かい合って、
そんなこうね、部屋の中で向かい合ってっていうようなそのシチュエーションっていうのは、
多分安部さんの中にもそんななかったんじゃないかなと、毎週だったんですからね、
でね、いつも安部さんはタクシーを全部使ってらっしゃって、
いつもその、お迎えのタクシーも運転手さんが決まってらっしゃったみたいなのね、
ただね、帰る時はね、NHKでいつも帰る時は同じタクシー会社なんだけど決まった方じゃないので、
今玄関に並んでいるタクシーを拾って、いつもそれぞれ帰るんですけれど、
ある日さ、本当のどか行きでさ、帰りのタクシーがもう全然来なかったのね、
で、どれくらいあの時に会ってたんだろうな、2人で、他にも行列ずっと後ろにもあってさ、
だから夜はあれ9時半頃終わってたから、それからよねもう1時間ぐらい、小1時間ぐらいきっと待ってたんじゃないかな、
で、やっと1台来たから、じゃあ乗ってけという話になると言ったら、
あの、俺が送るから行きよって言って、2人でね、その1台のタクシーに、
で、ただ私のところと安部さんのお住まいのところって東京の端と端だから、
一旦端に行ってからまた渋谷経由してね、安部さんの家みたいなものすごい距離になるので、
いやいやいや、いいですいいですって言ってたんだけど、結局やっぱりもうね、後ろ来なかったからというので、
1台のタクシーでもうノロノロよ、ほんとにノロノロ。
で、ただまあおかげで、その間ずっと要するに1台のタクシーの中で、
2時間もかかったかな、とにかくノロノロだったから、それでお話ができたので、
私としてはなんかそれがすっごい思い出で、ただね、私降ろしてからお帰りになるのに、
どれほどの時間がかかったんだろうなと、ちょっとそこがまあね、気がかりだったっていうのはあるんだけど、
なんか私どか雪になって、アスファルトにタイヤの跡がこうね、ベアーっとついてるじゃん、
安部さんとの思い出
あれをね、見るたんびにね、やっぱり安部さんのこと思い、その時のことをやっぱり乗ったけよ乗ったけよって言って送るから送るからって言って、
2人であのタクシーに乗ったのはもうなんか忘れられなくて、まあいい、それこそ雪が降れば思い出すっていうぐらいのかな。
でね、今考えるとやっぱりね、とってもそんなことを体験できたっていうのはもう幸せなことで、
あの、あのよね、それこそ、あの安部さんと、まあね、死後をかわしてそういう番組をね、持つことができたっていうことだけでも本当に画期的なことであったなと思うんだけれども、
なんか当時どれぐらいやったのかな、半年ぐらいもやったのかな、あの、今みたいにね、こうアーカイブでも残ってたら、
まあね、私はなんかちょろちょろいい加減な返事なんかしてキャッキャ笑ってただけだったと思うんだけど、
安部さんのこう普段しゃべりみたいなのってね、そんなになんか残っていないと思うので、
あんなのがアーカイブであったらね、とってもよかったなっていう記憶、まあ思い出はありますね。
なんかちょっとこう、あの生声のいわゆる死後っていうの、普通のプライベートなお声をまあ聞いてみたいなと思うけれど、
雪がほんと降るたび、私はもう安部さんのことをやっぱり思い出しますね。
えー、まあ残すところあと何日かになりましたけれど、私はとりあえず新しい予定表をとりあえず来ました。
はい、それで、えー、今年は25日で普通の仕事が終わって、まあ26でしょうで、27、明日、
Clubhouseを配信して、えー、24年の私の声を出す仕事は終わりになりますね。
どうでしょうね、やっぱりね、私はこういうラジオみたい、深夜放送みたいな番組でおしゃべりするのが、
まあ皆様のお便りが便りですけれども、こういうことが一番好きだったので、コグレさんにお声掛けいただいて、
うーん、よかったなと思いますね。えー、まあ今日はね、お葉書を紹介するというのもなく、
ちょっと地下医師さんと山田康夫さんの思い出話をしましたけれど、
えー、皆様もまあレジェンド声優の方に対しての思い出、それからまあね、
自分のまあ来年から始まりますからちょっと、なんかいつもはやんないけどちょっと抱負みたいなことを考えてみましょうみたいなさ、
真面目な普通のよ、普通の真面目なお便りもいいのではないかと、まあ日々思うこともありますでしょうし、
まあ悩んでる方もいらっしゃるのでね、なんかこの間もXの方で人と比べないようにして生きるというのはすごく難しいって言って、
ちかちゃんがつぶやいていましたけれどね、そうやってちょっとこう壁に当たったりしていらっしゃる方もいると思うので、
まあね、それ明日ちょっとClubhouseでお話しようかなと思うけども、こちらの方でも何ぞ悩みなぞございましたら、
私でよければ何か聞いて差し上げることもできるのではないかと思いますので、何でもどうぞ。
画面の右上にお便りという名のメールを送るアドレスが書いてあります。
どんな2025年を迎えるんでしょうね。穏やかな年末年始でありますように。
ひらのふみのラジオふみクラブ第13話。
2024年最後の放送。そろそろお別れです。
休みになった途端風邪ひいたなんてことにならないようにね。
お相手はひらのふみでした。そしてサポートはスタッフチームニサンガロクのブロガーの小群さん。
そしてウェブエンジニアのヤガーさんのお二人でした。
3月日はお休みをいただきますので、この続きは休み明けの木曜日9日になるかな。
また23時からね。穏やかな年末年始をお過ごしください。ではまた。
次回はふみのクラブの3月5日にお会いしましょう。
暖かくしてください。またすぐに会いましょう。
良い一年をお過ごしください。
バイバイ。
33:07

コメント

スクロール