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はい、おはようございます。
本日の放送は、2022年の10月3日、月曜日です。
本日は、第218回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県郡町在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が響きになったことをだらだら話をしていくという番組です。
そんなおやじの人々を気になりまして、もしもあなたの心に何か残ってしまったら、ごめんなさい、我にはなかったんです。
他の方にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
今日10月3日はね、超時空要塞マクロスの放送を開始した日なんですね。
マクロスってバリキリーっていうね、あの戦闘機が非常に魅力的でしてね、ちゃんと変形できるおもちゃがね、すごく人気だったんですよね。
でも高くてね、自分買えなかったですからね。
マクロスとね、プラモの方を販売していたのはね、宝だったんですよ。
バンダイがね、ガンプラでね、非常に人気の頃にですね、プラモ業界へね、新規に参入してきた会社です。
ダグラムだとかボトムズとかね、まあその頃に参入してきましてね、マクロスで人気だったんですが、
まあガンプラのね、人気が落ちてきた時ですね、プラモ業界からね、撤退したという感じの会社でしたね。
というわけで、宝についてのお話です。
宝って言うとですね、ダッコちゃん、リカちゃん、人生ゲーム、GIジョー、チョロキュー、トランスフォーマー、フラワーロック、ビーダマン、ベイブレードなどなどを作ってきた会社です。
現在はですね、プラレールとかね、トミカでお馴染みのね、トミーと合併いたしまして、宝トミーという会社になっておりますけどね、現在でもですね、おもちゃ業界ではですね、非常に大手であります。
その元のおもちゃ会社である宝、その創業者がですね、佐藤康太さんという方なんですよ。
いわき氏の宮町生まれの方なんですよ。
父親はね、製材業をね、しておりましてね、6人兄弟の末っ子として生まれてきたそうなんですね。
動物がね、非常に好きな子ということでね、または工作と漫画が大好きだったというね。
というので、製材所から出てきます木のハエンね、そのハエンを使ってですね、よく模型飛行機などを作っていたという話なんですね。
当時ね、読んでいた漫画はね、冒険団吉だったそうです。
いわき中学校を卒業してね、米沢高等工業学校、そちらの方に進学します。
現在のね、山形大学の工学部ですね。そちらの方ですね、応用科学を学ぶんですね。
で、その学んだ応用科学の力を使いまして、1955年にですね、佐藤ビニール工業という会社を作るんですよ。
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その会社がね、まあ後で名前をね、宝ビニール工業という名前に変えるんですが、
1960年にですね、作ったのはね、ダッコちゃんなんですよ。
かつて読んだね、冒険団吉にね、登場するね、南の島に住んでいる人たちのね、そのイメージから作ったんですけどね。
それがですね、若い女性を中心に一大ブームとなるんですね。ダッコちゃんブーム。
もともとはですね、木登ウィンキーというね、名前だったんですね。ところがいつの間にかね、ダッコちゃんというね、名前がね、知られるようになりましたね。
その後ね、その名前で販売するようになったそうです。
で、次はですね、リカちゃんなんですけども、1967年にですね、リカちゃん人形を発売するんですね。
マテルシャのね、バービー人形というのがあるんですが、日本に持って来ようとするとね、日本の家の大きさに考えてみるとね、かなりですね、大きすぎるんですね。
というわけで、日本にあったね、人形が必要だろうというのでね、デザインしたそうです。
顔はですね、当時ね、人気の少女漫画家であるマキミヤコさんね、そしたらの方の方に真似をしまして、目に星とかつけたんですね。
マキミヤコさんってね、松本レイジさんの奥さんの子ですね。
そしたらですね、それが非常に大人気で、たくさん売れたそうなんですね。
で、現在もね、ご存知の通り知名度のある人形です。
これですね、本家のマテルシャに乗り込もうとしたらですね、マテルシャの人はね、不審があるんですね。
何不審があるかというとですね、なぜリカちゃんの人形なのに、お父さんとかお母さんの人形もあるの?ということなんですね。
というので、拒否されたそうなんですよ。
ママもと遊びする時にお父さんとお母さん必要ですよね。
というわけで、アメリカの子供はね、ママもと遊びしないのかな?ちょっと不審なんですけどね。
で、次はですね、人生ゲームです。1968年ですね、アメリカのゲームを元に、もうすぐライセンス契約して日本で発売したのが人生ゲームです。
今もね、いろんなバージョンがね、作られて売られてますよね。
最近でもね、鬼滅の刃の人生ゲームだとかね、呪術返せの人生ゲームなんてのも作られてるそうです。
これも非常にね、人気でよく遊びました。
次はGI状です。1969年ですね、リカちゃん人狼の男の子版としてね、というので、判件を取得してね、GI状ね。
アメリカの会社から判件を取得しまして、日本国内でGI状を販売します。
1972年ね、変身ブームが起きるんですよ。
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というわけで、いろいろね、変身できる変身細胞を作るんですね。
外側の顔だけ変えるとね、ウルトラマンになってきたりとかね、別なキャラクターに変身することができるというキャラクターです。
で、それがね、人気だっていうので、次には少年細胞具っていうのを作りまして、
さらにね、小型絵っていうんで、ミクロマンっていうシリーズが出てきます。
そして、ミクロマンシリーズからですね、リアル路線に行きましてね、ダイヤクロンシリーズとかそういうのを作られていくんですね。
というので、そのダイヤクロンシリーズだとか、ミクロマンの新シリーズのニューミクロマン、そういったのからですね、乗り物がね、ロボットに変形するんですね。
そしたらの方をですね、シリーズ化したのがトランスフォーマーシリーズなんですね。
というわけで、もともとはですね、スパイとして潜入するためにね、カモフラージュするためにね、乗り物に変形していくっていう設定なんですね。
それから先ほど言った、1980年代プラモ業界に潜入してくるんですけどね。
というので、そのように潜入してくるんですが、同時にですね、その後別な業界にも潜入するんですね。
ミニカーなんですよ。トミカのね、後に合併するトミカのね、そちらもね、非常にシェアを始めてるんですが、
そこにですね、参入するためにね、他社と差別化するために、動力付きのね、ミニカーにしようというふうに開発するんですね。
というので、当初はですね、豆ダッシュっていう名前だったんですかね。
ですが、それではなかなか売れないというんで、チョロキューっていう名前に変えたところですね、非常に売れたと。
で、現在もね、いろんなものが売られてますよね。
それからあと、人気があったのはですね、ボンバーマンっていうのがありますけどね。
もともとはハドソンのゲームのボンバーマンっていうのがありましてね。
それにですね、古くからね、日本で遊ばれているビーダーマン遊び、そういう組み合わせたものがニューボンバーマン。
で、そのボンバーマンのやつをですね、元にしたい話に進めたのは、ボンバーマン、ビーダーマン、爆外伝っていうのでね、昔アニメーションとかそういうのになってましたね。
その後、スーパービーダーマンとなってっていうんで、まあビーダーマンシリーズはね、進んでいくはずですね。
で、そんな感じで1990年代にきまして、1993年にですね、福島県の田村郡の小野町、そちらの方にですね、リカちゃんキャッスルを作るんですね。
というわけですね、とにかく子供たちをですね、常にずっとおもちゃでね、魅了し続けてくれた会社なんですね。
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それを作ったのが、福島県のね、いわき市出身の方なんですよね、ということですね。
で、1996年にね、もう年だからっていうのでね、長男にその会社を渡してね、自分は会長に引退したんですね。
ところがですね、長男はですね、別な仕事をしたいっていうので、その会社をね、退職しまして、別な会社へ行くんですね。
というわけで、自分がまた少年から社長をするしかないっていうんで、社長を続けまして、2002年になりましてね、ようやく次男にその社長の座を譲りまして、ようやく退社という形になります。
ちなみにその次男さんなんですけども、2006年にね、トミーと合併いたしまして、副社長になっちゃうんですね。
そして、まあ2005年にね、アニメ業界でね、こう、低迷してきちゃったタツノコプロ、そちらの方を買収しましてね、そして2010年にタツノコプロの社長さんになっちゃうんですね。
で、2012年に宝の、宝トミーの会社とタツノコプロの会社を辞めたそうなんですね。
で、安田さん自身はですね、退職した2002年からですね、いわき市のね、サンシャイン大使っていうのでね、フルスターといわき市を盛り上げるための活動を揺るがされてたわけですね。
そして2007年にですね、83歳で昔でね、卒業しまして山形大学の工学部、そちらの方の大学院に入学するんですよ。
83歳で大学院に進行きましてね、そして2010年に博士、工学を授業されるんですね。
この頃ですけどね、実写映画トランスフォーマーリベンジがね、上映されたときですね、そちらのワールドプレミアっていうところに出席いたしまして、
25年前に作ったロボットがね、まさかこんな映画になるなんてね、で非常に歓喜だっていうことをね、コメントしております。
そして2019年に浪水で94歳で亡くなりました。
すごい人生ですね。この方がいなければね、日本の子供たちはね、非常につまらなかったでしょうね。
こんなね、いろいろと楽しませてくれた人は、福島県のいわき出身だとね、ぜひしてほしいなと思ってるわけですね。
はい、それではまた次回よろしくはぴょんきさんお宝の話をお付き合いくださいね。本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。