1. ポイエティークRADIO
  2. 第八十三回 Hey, welcome to ..
2022-01-31 1:15:25

第八十三回 Hey, welcome to Zombieland──雑談・オブ・ザ・デッド5 ゲスト:Ryotaさん

Ryota さんとのゾンビ談義第五弾! 今回は前回の「しみったれゾンビ」から一転、「たのしいゾンビ」について。『ブラック・シープ』、『ウォーム・ボディーズ』、『ゾンビーズ』について語ります。

00:30
はい、こんにちは、ポイエティークラジオです。
本日は、雑談・オブ・ザ・デッド第五回
ロメロのゾンビで言うと
あれ?ロメロのゾンビで言うと何?どれだ?
ダイアリー・オブ・ザ・デッド?
ダイアリー、ダイアリーです。
ということで、いよいよ終わりが見えてまいりましたが
ということで、本日のお相手は、私柿内正午とこの方です。
Ryotaです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
というわけで、いよいよ第五回目のゾンビ会ということで
早いですね。
早いですね。あっという間の感じなんですが
なんかあれなんですね。竹花さんの新刊で早速言及がなされてるんですね。
2回ぐらい。
たぶん去年の10月、11月あたりじゃないですか。
その第1回と第2回が
雑談・オブ・ザ・デッド
その時にちょっと聞いた感想とかが
竹花さんの最新刊で
さわやかな記憶という本に記述がありまして
柿内さんの名前と僕の名前が
入っておりますので。
すごい。なんか嬉しいですね、そういうの。
嬉しいですね。
僕も買わなきゃまだちょっと
ゲットできてないからな。
本全体としても素敵な日記本だったので
ぜひ皆さん、お読みください。
雑談・オブ・ザ・デッドでお便りをくださったでお馴染みの竹花さんの新刊が出ております。
ヘビーリスナー。
ヘビーリスナー。
この前、奥さんとの会の時に
竹花さんはゾンビ界以外も聞いてくれてるのかなみたいなことを
チラッと言ってみたら聞いてますよみたいなリアクションを返してくださっていたので
ありがたいなと思いながら
今日は
それこそあれなんですよ
今日のゾンビ界の趣旨としては
前回の第4回が
いわゆるしみったれゾンビについての話を
させてもらって
シリアスなというか
しみったれたゾンビの話をしたんですね。
なので今回は
もう少し
楽しいゾンビの話をしようというところで
03:02
いろいろな作品をピックアップしていて
その中で竹花さんがお便りで教えてくださった
ブラックシープと
ウォームボディーズは
今回はチェックをしていて
あとは
ツイッターで教えてもらった他のゾンビ映画というところで
ディズニーのテレビ映画なのかな
あれは多分ディズニーチャンネル用なのか
テレビ映画的なジャンルだと思います
劇場公開はもしかしたらされてないかもしれない
ディズニーのゾンビズっていう
映画と
その辺りのチェックをしてきたぞというところで
なんとなく今日は
ウォームボディーズとゾンビズの話が
メインになりそうだなという予感がありつつ
せっかく見たので
ブラックシープの話を
まずちょっと
しながらかなという気がしていますが
ブラックシープはね
アマプラに今入っているので
プライム会員の方だったら
そのまま見れると見放題のサービスで見れると
いうようなところなんですが
いやーちょっと僕は奥さんと見て
奥さんとの録音でちょっと話しちゃったんですけど
ちょっと話しましたね
いやーいい映画でしたね
前回のポッドキャストで
竹原さんからのメッセージにもありましたけど
羊がゾンビになる
この牧草地というか
ゾンビを飼っている牧場
あと羊を飼っている牧場と
その周辺を舞台にして
ゾンビ騒動みたいな感じなんですけど
なんか意外と
羊がゾンビにみたいな色物枠かと思ったら
ちゃんと兄弟の格室みたいなところとか
なんか急に社会派の
それこそSDGsじゃないですけど
環境テロリストみたいな人たちが
環境へのメッセージを言う時だけ
正面からカメラ撮るんですよね
カメラ目線で
環境向けのメッセージの時だけ
カメラ目線になるみたいな
そういう撮り方がされていて
割とすごいふざけた映画なのかなと思いきや
ストーリーとかは結構シリアスなところも
語ろうとはしているし
映像としても面白い部分もいっぱいあって
結構見応えありました
そうですね
本当に
僕やっぱりその
出落ちっぽいようなテーマ設定なんだけれども
実はかなり成功法で
綺麗な映画の撮り方をするみたいな映画が
06:03
多分大変好きで
すごいこう
ブラックシープはそういう
なんて言うんでしょうね
ジャンルものへの
セオリーへのアイディアであったりとか
なんかもういろいろな
映画好きなんだろうなみたいな感じが
かなりする映画だなと
いうふうに思っています
それこそヒッチコックの鳥とか
すごい参照元っぽくて
それこそ車の周りに鳥がびっしりみたいな
描写は確かあったと思うので
今回のブラックシープでも
まさに車の周りを羊がいっぱい囲んでて
身動きが取れないみたいな
描写とかもあったりして
割とそういった動物パニックの
古典みたいなところも
抑えての作りだったと思う
そうなんですよね
やりたいことがいろいろやれてる映画なんだな
そうですね
あとやっぱりある意味
名作の風格を持つホラー映画って
基本的にホラーの恐怖体験によって
主人公がトラウマを克服したりとか
トラウマと改めて向き合うみたいな
一つ軸が入っていることが
多いなというのを勝手に思ってるんですけど
割と明確に最初に羊自体が
怖くなっちゃってるっていう
主人公のトラウマが設定されて
そこからまた物語が始まっていくっていう
導入もかなり上手いなというか
僕は見てる間割と画面がずっと
もふもふしてるので
可愛らしい気持ちも含めて見るんですけど
それが主人公にとっては最初から
非常に恐怖の対象でしかないっていう
その設定の仕方も含めてかなり
上手いなという気がしましたね
そうですね
ちゃんとドラマ性をね
しかも変に
あの時は悪かったみたいなセリフで
和解するんじゃなくて
トラウマの現況であるお兄さんは
最終的に全然和解しないの
そういうことではなくて
ちゃんとアクションとか
羊のトラウマになった原因は
お兄さんが羊のね
死体みたいなの被って脅かしてきたのが
結構元の原因だったのは
主人公がちょっとクライマックス近くの展開で
自分が羊のフリをして
ちょっと紛れ込むみたいな展開があったりとか
そういうなんか展開の中で
ちょっとずつトラウマが克服されるみたいな
バランスになってたりとか
意外とちゃんとしてるっていう
そうなんですよ
ちゃんとしてましたね
あとやっぱり個人的には
なんて言うんですかね
09:02
吐き溜めの悪魔っていう映画があるんですけど
ひどい映画なんですけど
なんだっけな
ひどい映画ばっかり作ってるところの
制作の名前忘れちゃったな
いやすぐには出てこなそうなんで
あれですが吐き溜めの悪魔っていう
いやこれはゾンビ映画じゃないんですけど
スラム街で飲まれてる安い酒の中に
マジでやばい薬品が入って
混入してしまって
そのスラムのおっちゃんたちがその酒を飲むと
体がドロドロに溶けていくっていう
映画があるんですね
映画自体はものすごいひどい映画なので
全くオススメはしないんですけど
その中に屈指の迷信というのがあって
それがスラム街で
立ちしょん弁をしていたおっちゃんの
男性機がひょんなことで切断されてしまって
それを他のスラム街の仲間たちが面白がって
その切断された男性機で
アメフトみたいなのを始めるっていうシーンが
あるんですね
それがもう本当にそこだけでいいなっていう
映画なんですけど
すごい僕はそのブラックシープを見て
すごいそのこうなんて言うんでしょう
ホラー映画における男性機描写の
もう一つ完成形を見たなっていう
ありましたね
気がしましたね
ピラニア3Dとかもよく出てくるんですけど
やっぱりちぎれる男性機って
一つ謎のカタルシスがあるなっていうのが
個人的な見どころでしたね
あと元気なおばあちゃんが出てくるっていうのは
大事なことですね
あのおばあちゃんは最高ですね
ああいうおばあちゃんが一人出てきて
暴れてくれるだけで
映画としての評価が
もうプラス10点みたいな感じになりますよね
だからキャラクターの設定もかなり
デフォルメが効いていて楽しいし
すごいこう
めちゃくちゃ面白いですよ
羊のちゃんと不気味さというか
振り返ると羊が見に来たって
こっちを見てるみたいな描写があって
ゾンビの羊と普通の羊が
ちょっとパッと見だと見分けつかない
12:00
だからこれどっちだみたいな
怖さがあったりとか
あと多分ブラックシープの予告編とか流れたと思うんですけど
すごい遠景から
羊の新しい品種みたいな発表する発表会と
その奥に芝になってる坂が
遠景から撮ってるショットがあって
その坂を羊の大群がめちゃめちゃ大量に駆け下りてきて
その品評会というか発表会の会場に向かっていくっていうシーンが
すごい良いショットなんですよ
いやもうそうなんですよね
すごい迫力あってね
ああいうショットがあるだけで
拡張以降上がってるなと思って
そうなんですよね
結構何て言うんですか
ゾンビ羊映画
舐めてかかってる
割と面白い
いやそうなんですよ
古典の風格さえ漂ってますからね
そうそうそうそう
すごい良い
良いしオチもね
一番最後の犬のオチもね
すごい良い
良いオチ良いオチ
本当にブラックシープは
何て言うんでしょうね
本当に安心してお勧めできるというか
普通のっていうか
映画が好きな人であれば
良い映画見たなって思えるものになっていると思うので
これはちょっと
素朴にお勧めできますね確かに
そうですね
微妙にいびつなところというか
羊を使っているからこそ
店舗のもたつきみたいなものもあったりして
そこも含めてすごい
変なスピード感のバランスの悪さとか
それを
まとめてあまりあるロジカルな作り方みたいなのが
エドガーライトの作品を
ちょっと僕は思い出したりもして
刑事物であったりとか
ゾンビ物であったりとか
ジャンル物に対して
多少ひねりを加えてみたりとか
批評性みたいなのを
加えつつも
最終的にめちゃくちゃロジカルに作るっていう
ところがあるので
このブラックシープの監督さんが
他にどんなものを作っているかは
調べきれていないですが
これから新しいのが楽しみだなっていう感じですね
調べたんですけど
同姓同姉の有名なプロデューサーみたいな人が
別にいるらしくて
その人の作品が出てきちゃうんですよね
だからなかなかちょっと
調べきれない感じがあるんですよ
15:03
ちょっとブラックシープの監督の情報があれば
続報があれば
知りたいですね
そうですね
ブラックシープ自体も日本で公開されたのは
去年とか一昨年みたいですけど
2006年の作品なんですよね確か
だから
まだ他にもいろいろとってるはずなので
見れたら楽しいなという感じですね
そうですね
やっぱり竹原さんゾンビーバーの話に
かっこつけてというか
教えていただきましたけど
確かに
なんていうのかな
動物ゾンビ者としては
設定としては近いところがあるというか
気づいたらゾンビになるだけじゃなくて
動物に近づいていくというところも含めて
あったかなと思いつつも
ゾンビーバーは単純に文句なしのB級映画ですけど
ブラックシープはかなり
ハイカルチャーの映画だったぞっていう
そうですね
B級だと思ってみるとあれっていう
意外性がありましたね
そうですね
普通に面白いぞっていう驚きですね
ところどころこれ羊がいないところで
後付けで撮ってるなみたいなカットが
バレバレなカットが結構あるんですよ
それも含めて
そうですね
楽しい
そこも楽しい
そんな感じでしたというところで
今日は
あとはなんだっけ
さっき自分でこれ見たぞってつぶやいた時なんか忘れちゃいました
ウォームボディーズと
ゾンビーズと
あと僕はゾンビーノ見たんですけど
ゾンビーノはちょっとね
与太さんちょっと前に見てっていうところ
そうだいぶ前に見たのあんまり覚えてないです
でも今日は多分ウォームボディーズとゾンビーズの話が
結構僕はしたいなと
はいはい
どっちから行こうかな
多分順番的にはウォームボディーズからの方が
じゃあウォームボディーズから
ウォームボディーズはニコラスホルトかな
子役から始まってマッドマックスで
最近だと
最近つってもちょっと前ですけど
また復帰したような感じのある
お目目がクリクリなかわいい男の子が主演の映画なんですけど
基本的には見てない方なんとなくググってくれれば
それでいいよって感じなんですけど
概要だけ説明すると
ゾンビの男の子が生きてる人間の女の子に恋をしてしまって
18:00
だんだんだんだんとその子
人間味を取り戻していくというか
その人間との交流を通じて
新しい自分に変わっていくような
わりと話としてはストレートな恋愛映画なんですけれども
これはだからそれこそセーラーゾンビ界で僕がちょっと話していた
意思疎通が取れちゃうゾンビってどうなんだみたいな話だったりとか
前回のしみったりゾンビ界だったキュアードにおいて
そもそもゾンビ同士でコミュニケーション取れるっていう設定自体がどうなんだろうみたいな
僕がわりとこうもやもやするパート
あとはそれこそ走るゾンビとかも含めて
全てやらかしてる映画ではあるんですが
でも楽しい映画だなという感じもありつつ
そうですね
感じでしたね
ゾンビとまとめて話し合う感じになるかもしれないんですけど
ゾンビズも似たようなというか
ゾンビなんだけれどもめちゃくちゃ喋るんですよね
喋るだけじゃなくてディズニー映画なので歌って踊るんですよ
みたいなところもあって
基本的にそれを何ていうのかな
競技の意味でのゾンビかと言われるとも
なんかもはやゾンビでも何でもないじゃんみたいなところから始まりながら
映画としてどちらも生きている人間とゾンビというものを
かなり異質な他者とのコミュニケーションだったり
強制みたいなものが可能なのかみたいな話のフックとして使われる映画で
なんていうのかな
頑固なゾンビ好きとして言うと別にゾンビじゃなくてもいいじゃんというか
やってることは要するにヒックとドラゴンとかと一緒だろうみたいな
だから別にゾンビでもドラゴンでも何でもよかったんだろうっていうような
気持ちはありつつも
どちらも僕結構あれなんですよね
ホームボディーズはちょっともやもやしたんですけど
ゾンビズはすごい好きだったんですよ
僕も結構一緒です
多分ホームボディーズの段階よりもディズニーの方が
あと時代的に多分ゾンビズの方が2018年とか最近なんですよね
ホームボディーズが2013年とかそれぐらいだと思うんですけど
その中でこの6,7年ぐらいの間
21:02
ホームボディーズからゾンビズにかけての間でも
かなり人権意識的なところやったりとか
他者とのコミュニケーションとか
差別構造に対しての意識的な捉え方の深さとかが
多分アップデートされたんだと思う
それがすごい如実に作品として
ホームボディーズとゾンビズを見比べると
明らかにゾンビズの方がそういった差別構造とか
他者との融和みたいなことに関しての思考が深くなってるんで
その分ホームボディーズって今ネットとかで調べると
結構ウェブの評価とかレビューだと点数高いんですけど
多分今の映画としてこのホームボディーズが
例えば新作ですって言ってこのまま公開されちゃうと
ちょっと描いてる内容が古くないっていうところは多分
映画になってしまっている感じはします
確かにそれはあるかもしれない
それこそこのホームボディーズとゾンビズのちょうど間ぐらいに
ズートピアがあるんですよね
ゾンビ映画じゃないですけど
2016年のゾンビ映画でゾンビズ見た時に
最初に思ったのはこれってゾンビ映画の後なのか先なのか
どっちだったんだろうみたいなことが気になって
見るとゾンビ映画の2年後に作られているので
なんかある意味逆に意地悪なこと言うと
別にディズニーからするとゾンビ映画でやったことを
割とそれを繰り返してるだけってだけなんだよなみたいなところは
ありつつも割と安易に分かり合うとか
そういうことではないところで
共感しきれない他者であるとか
そもそも理解しきれない他者っていうものと
それでもやっていくにはどうしたらいいんだろうか
みたいなところに問いが非常に鋭く問われているなっていうところに
やっぱりさすがディズニーだなっていうふうに思いましたし
やっぱりなんだろうな
キュアードを見てすごい悲観的になってしまうというか
苦しくなってしまう部分に対して
安心のディズニー節で救われた部分があるというか
やっぱり既存の差別構造みたいなものに対しての
話をするのであれば
ディズニーぐらいっていうか
子ども向けのアニメで理想を語ってくれるぐらいじゃないと
やっぱりやりきれない部分がでかすぎるなっていうのを
改めて僕は感じたりもしたんですけど
なんだろうな
そういう意味ですごいだゾンビズはものすごい今の映画というか
24:05
今割とディズニーだったりとか
アメリカ映画を主要に作っているリベラル層が
もう一つの今の世界というか今の理想というものを描いている映画だな
っていう感じが
現在の水準だとこういう描き方になるよね
っていうことを考えるとちょっとウォームボディーズは
多分今よりも前の水準で描いている感じが
すごいある
例えばウォームボディーズでいうとですね
ゾンビと人間がいて
一応住んでいる世界を区切っていて
人間たちはゾンビと対処するために
若い人たちが殺しに行って
みたいな中で主人公とヒロインの女性が出会う
これは劇中あからさまにロミオとジュリエットのパロディーが入っているんですけど
主人公の名前がアールっていう名前が付けられて
ヒロインがジュリーなので明らかに
ロミオとジュリエットをやりたいんです
その中で
最終的にゾンビ側の方も
意識が芽生え始めてきて
人間たちと協力していくみたいな展開になっていくんですけど
その時にゾンビと人間の
共通の敵としてガイコツっていう第三の
生物というか存在が出てくる
このガイコツっていうのは何かっていうとゾンビがもう完全に皮と骨だけになって
完全に意識を失った状態
本当に凶暴性しかない意思疎通が全く取れない存在であるガイコツ
っていうのがいると
ガイコツっていうのが人間社会に襲い掛かろうとしてくるのを
止めるために人間とゾンビが
協力して対処するみたいな展開になっていくんですけど
これって要するに対立している2社が
より強大な敵が現れることによって
協力するっていう構造になってるわけですよね
それを考えると今
ネットフリックスで話題になってる映画の一つに
Don't Look Upってあるんですけど
あれって巨大隕石が
3ヶ月後ぐらいに地球にやってきます
でもぶつかったら100%人類滅亡するだろうということが
分かったんですどうしましょうってなった時に
みんながみんな自分の利益とか都合を
優先しだして結局誰も協力しないっていう話です
でもこっちの方がリアルだよねっていうのを
27:03
Don't Look Upの監督がやってて
第3社の強大な敵が現れた時に
じゃあみんなが一致団結してそいつに対処しようっていう風に
なる方がファンタジーじゃないのっていう風に
Don't Look Up的にはカッパしてるんですけど
現状の社会的なそれこそコロナの対応とか見てると
だよねってなる時に
人間とゾンビに対して骸骨が現れて
ここで一致団結して対処して
それをきっかけに融和するっていうのが結構もうかなり
感動的っていうところから
協力して戦うことが感動的っていうところが一個もう
今から見ると入ってしまってる感触がある
っていうのと加えてこの骸骨っていうのは
さっき言ったDon't Look Upだと全く関係ない隕石
全く関係ない外部からの進行なんですけど
ウォームボディーズにおける骸骨っていうのは結局は
ゾンビがなれの果て的に
骸骨になってしまうということは人間とゾンビと骸骨っていうのは
グラデーション的に本来はつながってるはずなんですけども
あいつらは意思疎通ができない骸骨ですっていう風に
言って人間とゾンビが共同して骸骨を倒してしまう
っていうのは人間があいつらはゾンビですって殺してることと
実はそんなに変わっていないっていうことで言うと
結構
それを割とゾンビたちが
骸骨が死んじゃったことをあいつらは仕方ないよね
みたいな感じで結構映画内で処理しちゃうのは
今の水準で見ると結構まずいんじゃないかな
そうですね 燃やる感じに見ることになってしまうんです
まさしく僕も同じところで燃やって
そもそも
敵と味方を
分けることで初めて共同体っていうものは結束するんだっていうのは
それこそ政治理論であったりとか
の中では割合ずっと言われ続けてることですけど
それに限界が来てる
それは僕ちょっとDon't Look Up見てないので
分かんないですけど 共通の敵がいたって
団結できないじゃないかっていう冷笑的なものは
それで僕はあまり好みじゃなくて
そこはどっちでもいいんですけど 団結のために
外部の他者を利用する外部に
敵を作ることで
30:00
一つの融和を実現するみたいな発想自体が
そもそも圧力を生みすぎているというか
もうそんな外部なんかないんだと
いうところから始めていかないといけないでしょっていうところで言うと
安易に外側の敵を作っちゃうっていう構図自体に
乗れないんだなっていう感じがすごいあってですね
すごい途中から戦わなくていいじゃんっていう
気持ちで見ちゃってたんですよね
逆に言うと人間とゾンビが融和するっていう
きっかけの理論を作り手たちは
第3の敵を作ることでしかセッティングできなかったんだな
と思いながら見てしまう感じがあって
そこはやっぱり今見ると大きくぼやっと
するポイントの一つではありますね
だからDon't look upの方法が
見てないのに悪口言うのもあれですけど さっさと
思うんですけど
共有できるところとしてはやっぱり外部に敵がいても
外部に敵を作ることでの融和みたいなものは考えてもしょうがないんだ
っていうところは
前提になっていくところだと思うので
それは本当にそうなんですよね
なんていうか
今見るとこのボディ図はだいぶぼやぼやが
残るんだよなっていう
もう一つの大きなもやつきポイントとしては
最終的に
ゾンビ側だった主人公が完全に人間になってしまう
そうですね
そこもちょっともやっとするポイントなんですよ
非常にもやっとしますよね
美女と野獣最後に野獣が人間になっちゃう問題
加えて結局
人間側になってしまうっていうことは
差別を受けてた者がこっち側になりゃいいじゃんって
差別してた側から言われるみたいな
それに乗っかってしまって
僕はめでたしめでたしだみたいな感じになってしまう
結構その着地はまずいんじゃない
そうですね
ウォームボディ図だと一番最後のクライマックス
ある程度人間とゾンビが融和になりました
主人公の友人のゾンビの
はいはいありますね
33:01
雨が降ってきてもう人間とゾンビが一緒の世界
その時雨が降ってきた
ゾンビの友人は手がゾンビ指って言ってましたけど
手がゾンビだから硬直しちゃって
動かないから雨が降ってきても傘が開けない
って時にたまたま通りかかった人間の女性が
手伝いますよって傘を開いて
その後にその通りかかった女性っていうのは
自分が急に雨が降ってきたから傘持ってない
上着を頭にかぶって行こうとするところ
傘入ってきますかありがとうって言って入って
あれがすごく素敵じゃないですか
そうですね
ある種の障害を持っている彼が通りかかった
誰かからケアを受けるケアを受ける一方
ただ受けるだけの一方ではなくて相手が困っていたら
こっちがケアをする側にも回ることができる
お互いに困った時はお互い様じゃないですけどケアを
され合いし合う関係としてお互いに
コミュニケーションをとって異質な他者同士が同じ傘に入る
っていうものすごい素晴らしいワンシーンを
撮れるのに取れるのに主人公のアール君は
人間になって君と新しい生活を生きていくんだ
みたいな新しい人間になったんだ今までの記憶なんて
他思い出したら仕方ないからって感じで言って
めでたしめでたしになっているのを見ると
あれなんかその傘のエピソードと
主人公の結末とって
マッチしてなくないっていう思いがあるんです
そうなんですよだからやっぱりウォールゴデイズに関して言うと
アールのお友達のおじさんゾンビが一番
よくて本当に傘のシーンの良さを
たるやっていう感じのあのシーンは本当にいいなと思っていて
何よりその傘に傘を開くのを人間が
助けゾンビが傘に人間を招き入れ
っていう相互にお互い様が往復した後に
おじさんが女の人を口説き出すじゃないですか
君は美人だねっていう時にどうもありがとうみたいなことを
言った後におじさんが僕にはそういうこと僕は綺麗だって言ってくれないの
みたいなことをあなたも綺麗よとは
言ってくれないんだねみたいなことを返すじゃないですか
生きな返しであるみたいなこと以上にやっぱりそこに
その美衆の判断であったりとか
これが良しとされているみたいな価値観を
やっぱりまだ聖者の側だけが握っていると思っているの
36:01
みたいな一つの問い返しでもあると思っていて
そこで言うとやっぱりあのシーンってすごい
ただ単純に助け助けられるだけじゃなくて
美の基準であったりとか
何かしらのそういう価値判断をする側
だったりその価値基準というものがどちらか片方にだけ偏っている
みたいな疑問がそこにはあったりしませんかみたいなところまで
割と鋭く踏み込んでいるやり取りだと
いう風に結構読める部分もあって
あのおじさん主人公にして撮ってくれれば
そこがあのワンシーンでそんなに描けるのに
作品全体は割とあの着地なんだっていうところに
なんかちょっと乗れなさい
そうですね
一つでも先ほどりょうたさんも
指摘されてましたけど基本的にロミオとジュリエットの本案
みたいな話ではあるじゃないですか
自分の本来の名前は別に知りたくないよってラストに
一周するのって要するにもうロミオは古いぞと
最後結ばれないで悲劇に終わるような
恋愛っていうのはもう古いぞっていうようなやり取りなのかな
っていうところもありそもそもにおいて
映画においてというか現実においても恋愛ってものすごい社会の
敵じゃないですか恋愛が持つ反社会性
みたいなものってのは必ずあると思っていてそれはなんだろうな
わかりやすいところで不倫者とかって現行の婚姻制度
っていうものを揺るがせにするであるとかロミオとジュリエットもまさにそういう
話ですよねその当時の社会において
家というものが何よりも大事であってその家同士の対立
みたいなものを無化するようなパーソナルな恋愛関係
みたいなものっていうのは非常に破壊的なものであるとだからこそ
当事者っていうのは全て身を滅ぼしていくんだっていう話なんですけれども
それに対して恋愛というものは社会を
破壊するものなんだっていう枠組み自体を残しておきながらも
だったら社会の側が壊れればいい
っていうつくりなんですよ
それはなんて言ってしまえばそういう
対策映画にありがちな
やり方というかわりとニューヨークの街はめちゃくちゃに
破壊されまくってるんだけど最後なんかチューしたらハッピーエンドみたいになって終わる
みたいなのはありがちなところなのでウォンボディーズだけにある
話ではないんですけど一つロミオとジュリエットの本案として
作っているっていうところで言うと最終的に恋愛における
破壊性っていうものは自らの身を滅ぼすんではなくて
社会を破壊していくんだとそれはポジティブな意味では
39:01
社会変革っていうものにも繋がり得るんだみたいな
取り方をしているのかなっていう
頑張って攻撃的に解釈するような
話があったりしてそれで
それだったら単純にいろこい沙汰だけの話にして
外骨出さなくたって社会破壊できたじゃないかっていう気がやっぱりしちゃうので
そこにあえてアクションシーンが撮りたかった
みたいなところを差し挟むことによって
おかしくなっちゃってる感じがあるんですけど
いろこい沙汰によって
現行の精度がめちゃくちゃになっていくみたいな話は好きなので
トリフォーとかそういう映画ばっかり撮ってると思ってるんですけど
そういうような意味では
すごいだからもっと面白くなりそうだしだからこそおじさんと
人間のラストシーンの
メグライアンのラブコメのような会話に
こそ可能性を感じてしまうんですなみたいなところが
あってやっぱり
今この時代にとるゾンビと人間の恋愛ものを
見てみたい気がしましたね
ちょっと早すぎた設定な感じがありました
もうちょっとブラッシュアップしたものが
見たいというかね
今だとそもそも恋愛じゃなくてもいいじゃん
みたいなところもあったりしますからね
個人主義的なイデオロギーとして
恋愛というものをもて早すぎても結局それはそれで
あんまり幸せな未来は描けないよなみたいなところも
結構ある気もするのでそれはそれで別なんですけど
なんかこうあるなっていう感じがして
そういう意味でもゾンビーズは非常に良かったなと思うんですね
ゾンビーズはそれこそ多少恋愛っぽいような雰囲気は出しつつも
明確に最終的に
恋愛として
あったかっていうと結構
微妙な描き方をしていると感じていて
単純にバディものっぽさというか男女間の友情みたいな
ものとして割とこの主人公のゾンビと
女の子とのやりとりっていうのが描かれている感じが
あったのでそういう意味でもすごいだからズートピアを思い出すんですよね
みたいなところがあってその辺のバランスの取り方が
結構ウォンボディーズとゾンビーズを続けてみることによって
計らず2つともそういう
個人的な人間関係っていうものが既存の社会システムというものを
42:00
揺るがせていくっていう話であるという意味でも
何て言うんでしょうね
良かったですね
ゾンビーズは大きいところで言うと
ディズニー映画なのでまず人が死なないというものがある
ゾンビ映画の中でもしかしたら初めてかもしれない
人が全く死なない
なんなら血も出ないっていうゾンビ映画にもなっていて
その上でウォンボディーズとの対比で言うと
分かりやすく外骨のような敵対する外部の敵みたいなものがなくて
どちらかというと意地悪してくるチェアリーダーのリーダー
みたいなのがいるんですけど彼も怪神してしかも
いい感じの怪神の仕方をして
基本的に全員悪者にならずに終わる
っていうところがある
ズートピアとの違いもそこだと思う
ズートピアは一人明確に犯人が立っちゃうじゃないですか
そこが不満なんです
そこと比べるとゾンビズは最終的には意地悪していた
心持ちを改めて
最終的にはハッピーにみんなで歌い踊る
という展開になっているというところでは
ウォンボディーズから見ると覚醒の感がある
すごい進んでる話が気になります
ゾンビズは
オープニングの街並みからして
パステルカラーのピンクとブルーで統一された
集合住宅みたいなのが郊外の街が続いていく
みたいなところから明確にシザーハンズで
あったようなものすごい同調圧力の強い
街での話だというのがまずあり
ものすごい
ウォンボディーズと同じように壁で人間とゾンビが
隔てられているだけではなくて
実質的にその壁の生き生きが自由化してからも
ゾンビを断りのカフェの張り紙があったりとか
割と明確に人種的な隔離政策みたいなものに対しての
露骨な想起させるような描き方をしていたり
学校の入り口も別々だったりとか
というところがまずありつつも
なんていうのかな
そこはディズニーの危うさでもあるんですけど
ゾンビ側の差別されている側の
文化みたいなものだったりとか
文脈みたいなものをゾンビであることは君の個性だから
45:02
みたいなところにどうしてもやっぱり一つ
持っていってしまうところには
危うさも感じつつも
ディズニー出してないみたいなところで
一人一人の個性が素晴らしいものなんだよ
みたいなメッセージに転化していくっていう
話になっていて
どうぞ
すごいあれなんですね
いわゆる人種差別的な
社会的な差別構造の話が一方にあり
もう一方で学校内とかそういう狭いコミュニティの中での
周囲と自分の個性とが
一致しない不安であったりとか
あるいは周りにちょっと違う子がいるからいじめてしまう
みたいなそういう個人レベルの話とが
そうですね
ゾンビの方でいうとゾンビ発生が50年前
そうですねすごい重要ですよね
主人公たち世代はゾンビに襲われた経験もなければ
噛まれた経験もない
おじいちゃんが耳をかじられたらしい
みたいな話だから要するに歴史的に
構築されてきたイメージによってあいつらは怖い
みたいな恐ろしいみたいな感じで
恐怖心から思っているけど実は本人自体は
別にゾンビから危害を加えられたことはないのに差別心をずっと持っている
みたいなのが人間たちである
なのでそういった差別構造の問題が
一個ありつつヒロインである人間の女の子は髪の毛が真っ白で
カラー剤をかけても髪の毛が染められないから
ウィッグをいつもかぶっていて
そんな真っ白の髪の毛だと町で浮いちゃうからという風に親に言われていて
頭でウィッグを隠していて
その個性をずっと隠したまま
でもチアリーティングというある種の花形に
行こうとするみたいなそういう風な対比が
両方にあって
個人の個々それぞれの違いを認め合う
ということと人種とか
あるいは例えば身体の障害であったりジェンダーであったり
あるいは大きく趣味が違うとかタイプが違う
コミュニケーションが取れないみたいな相手に対しても
仲良くしましょうみたいなところが結構同じ
延長線上として
48:02
置いてあるっていうのがゾンビの特徴になっていて
加えて言うと
見てて思うというのが
学園モノにした理由をあって
あれなんですよ人間側は
主人公チアリーダーで
チアリーディング部長みたいな人でちょっと偉そう
もう一人友達でチアリーディングオタクの
ちょっとぽっちゃりした女の子なんですけど
この子を割と部長は落ちこぼれ的な扱いで
みんなしている
一方でゾンビ側は主人公はアメフトというある種
アメリカ学スクールモノだと花形なんですけど
パソコンオタクとまともに会話ができないけど
音楽とかアートに精通している
アメリカハイスクールムービー文脈でいう
ギークナードポジション
ゾンビ側の方はギークナードとアメフト部が仲良くしている世界
人間側っていうのは
スクールクラスとかパッキー分かれている世界みたいな
人間側にギークっぽい人はあまり出てこない
チアリーディング部がめっちゃパソコン使えるっていう
謎の展開
本当に僕としては
キュアドとゾンビズって同じようなことやってると思ってるんですけど
ゾンビズの方が大人の映画だなって思ったんですよ
逆説的に
ゾンビパンデミックの収束後50年後とかなので
ある意味だからそれこそ
古い時代のゾンビとか
ゾンビの映画とか
昔の映画とか
昔の映画とか
昔の映画とか
古い時代の文脈をいい意味で
引きずっていない若い世代が
レガシーを捨て去っていくっていう話になっていて
キュアドはまだまだレガシーが作られていく黎明期の話なので
そもそもそこを純粋に比較するのはフェアではないんですけど
とはいえやっぱり人というのは結局のところ
差別をしてしまうであるとかあまり過去を生産できない
であるとか共生っていうのはそもそも無理なんだみたいな悲観に寄っていくよりも
やっぱり多少乱暴なというかディズニーの悪癖として
社会構造の部分と個人の心掛けをあまりにも
同一視視しちゃう部分があるんですけどとはいえやっぱりそこを
51:02
変えていけるでしょっていう楽観を書いていく
っていう態度で言うと僕はやっぱり後者の方が
現実主義だなっていう気がやっぱりするので
そういう意味でもすごいゾンビズは
良かったなっていう風に
思うんですよねなんかゾンビズの好きなところの2つは
ちょっと僕はそのりょうたさんとちょっと解釈が違うかもしれないんですけど
チェアリーティング部の部長がすごい嫌なやつで
割と保守的なというかゾンビ差別をするやつ
なんですけどこいつがラストに改新したかっていうと僕はあんまり改新を
してないんじゃないかなっていう気がしていて割と利己的な振る舞い
というか自分それこそだから
今の時代においてはあんまりそういうこと言い続けて
そういう態度取り続けているとむしろ自分の人気が
なくなっていくばっかりだからいい格好しようっていう
意味で実はあんまり改新はしてないというか
利己的な計算によって今はこいつらと一緒に
肩を組んだ方が人気になれる
元々チェアリーティング部の部長ってものすごい
愉快なナルシスト野郎として描かれている
自分が人気チヤホヤされるのが一番
キャラクターじゃないですかそういう意味で言うとそういう自分が今
チヤホヤされるためにはこういう振る舞いをした方がモテるみたいな
ところでの振る舞いにしかなっていなかったと思っていて
それが良かったと思ったんですね
いいんですよ計算で計算でいいし
腹の底でどんなこと思っても別に何でもいいからやっぱり
表面上は仲良くしないといけないんだって察知してそれをする
っていうその振る舞いに割と僕は
大人だなというか単純にあそこで
極端に言うと一昔前のディズニーだと泣きながら詫びるとか
最後までは詫びないで死んじゃうとかそういうような形になる
気がしていて彼は単純に勝ち馬に乗っただけなんだっていう
描き方になってた感じが僕はすごい好きだったなという
リーダーがやるとなみたいな感じで出てくるんですよね
なるほどしかもそこが結構ビターなのは彼が最終的に
出てくることによって彼をもう一度
ゾンビ側が一度自分たちを追い出そうとした彼に対して
呼びかけることによってその同調圧力の強い
街の中でのマジョリティたちに対して僕たちは
敵じゃないですよっていう最終的なメッセージを
決定づけるのはやっぱり彼の登場なんですよみたいなところに
結構それはビターな部分があるというか
アメリカンユートピアにおけるデビッド・バーンが
Black Lives Matterについて歌うことっていうのが
54:02
もやもやするんだけどとはいえデビッド・バーンが歌うからこそ
白人のある意味高齢者層に届くみたいなところの意味でいうと
あのシェアリーディングの部長はデビッド・バーンなんですよ
あーなるほどそこで彼を取り入れて
彼と一緒に盛り上がるってことは一つの結局は既存の構造における
特権的な立場にある人をスポークスマンとしないと
結局物事は変わらないのかというか物事は
結局トップダウンでしか変わっていかないのかみたいな
無理不可を強化することにもなるんですけど
でも一つ苦さも含めて
非常に真面目にどうやったら今のこの状況が変えられるんだろうか
みたいなところを真摯に考えた結果なのかな
っていう感じが僕は感じて
そこがやっぱりゾンビズにおいては割と
ディズニー部心に
コテコテにコーティングされてはいるんだけれども
割とビターな現実認識から始まっている映画だな
っていうところを感じたのがまず一つと
もう一個はゾンビが結局のところ
ディズニーのセオリーからすると隠された
本当の自分っていうのは最終的に解放された方がハッピーなんだっていう
ところにメッセージとして割と打ち出していくし
シェアリーティング部の主人公の女の子に関してはそれこそ
神の色っていうところで明確にそこを分かりやすく欲張って
解放してっていうプロセスがあるんですけどゾンビに関しては
本当の自分になりすぎちゃうとダメなんですよね
人食べちゃうね だから首輪によって
アップルウォッチみたいなリストバンドによって本能を制御しているんですよ
それによって一つのコミュニケーションが図れるし
人を襲わないで住んでるっていう
ある意味かなりディストピア的な管理がなされているんですけど
それに関してもそれをリストまで壊してしまって
あるがもので行こうまでは行かなくてもいいんだというか
いうところに僕は
よかったなっていう感じがしてもともと話がずれちゃいますけど
最初の検討されてたプロットって肉食獣の首に
それこそ本能を抑制するような
首輪が付けられていて
草食動物による徹底的な管理社会というのが
出来上がっているみたいな話がもともとのプロットであったらしいんですけど
ゾンビっていうものに対して
強制を考えていくときに一つそういうリストバンドっていうものが
付いているっていうのは割合なんだろうが悪くない
メタファーだと思っていてというのもそこにおいては
ウォームボディズにおいては外骨的な形で
57:02
外に出していた敵みたいなものを
ゾンビはそのままでいると友達のことを食べてしまうかもしれないんだっていう
内側の危険に置き換えたっていうところに
重要性があると思っていて
やっぱりチェアリーディングの部長が会心していないと思いたい
理由も重なってくるんですけど
健全な社会においては建前が機能していればそれでよくって
内側にどんな食欲であったりとかどんな情報を持っていても
美しい世界を作っていけるんだっていう
メッセージになっていると思ったんですよ
実はそこで心から会心しているであるとか
身のままありさえすればそれで全てはうまくいくんだっていうような
安直なメッセージにはせずに
どうやったらみんなでいい社会を作っていけるかっていうのを
考えようっていうところに抑制的に語られている
っていうところに僕はすごい
ディズニーやるなじゃんみたいな
すべてをさらけ出すともう部長は
部長で最悪だしゾンビたちは
暴走してしまうともう目も当てられないそれこそ
ロメロ映画みたいな結末になってしまうけれども
そこであえてある種の建前であったりとか
何か制御する
マシンなり装置っていうものを一個かませてそれを建前的に
機能させることによってうまく社会と
溶け合うと
それが一方的に管理するために
抑えつけるための機能ゾンビを
抑えつけるための機能っていうところから
人間とコミュニケーションを従前に取っていくための
方策なんだっていう
ところに読み換えればかなり
管理社会的なやだみではない
形での社会の風通しの
いい動かし方としてチェアリーディングは最終的に
着地できるんじゃないかと
かなり際どいんですよバンドによって管理しているのは
かなり際どい描写なんですけど大事なのは
ゾンビ側の主人公のお友達にいるパソコン
クラブのアドっぽい女の子が
リストバンドの制御の具合をハッキングして
動かしていくんですよねあれが実はかなり
大事だと思っていてそのバンドによって制御しているのは
誰のためなんだってあるとかこのバンドの主体は誰なんだ
っていう時にあの女の子の
1:00:03
パソコンクラブの友達がいることによって主体になるんですよね
自分がコントロールしているんだ
ゾンビ具合っていうのをコントロールしているんだって
それを人間がチェアリーディング部にコントロール権を奪われた時に
悲劇は起こるっていう描かれ方になっているのでそもそも
テクノロジーの主体って誰なのっていうところを割とちゃんと抑えているからこそ
ちょっと危うい
設定なんだけれどもあまりそこに嫌さを感じなかったのは
それなのかなって
ゾンビ図見た時に結構気になったのはそこだったんですけど
今の話を聞くとだいぶなるほどというか飲み込めやすい感じがありますね
要するに誰かと接する時に
自分を抑える分のその抑え方を他者が
設定すると他者の抑圧によって設定されると狂うけど
自分が従前に相手とコミュニケーションを取るために
抑えるべきところを抑えるっていう
自分主導でやる分にはすごくそうやって社会は回していくんだよね
っていうところのかなり考えて
作られた設計をディズニーがやっている
そうですねディズニーやるな
ずっとピアの時の肉食につける首輪
みたいな設定がなんかすごい怖かったのはやっぱり
それの主導権が草食動物にあるからなんですよね
そうじゃなくて自分たちで選んでここまでは
受け入れるんだっていう意味でそれこそだから
イリーチのコンビビアルというか自立強制的な道具の使い方に
結局最終的に人間の開発だと思うので
完璧に理想化するのは危険なんですけどとはいえ割と描き方として
テクノロジーというものを単純にいいものとして描くのでもなくて
悪いものとして描くのでもなくて
使いように寄るんだみたいな安直な精神にするのではなくて
そもそも誰が主体としてそのテクノロジーを使うのかっていうところに
割とちゃんと踏み込んでいった描写だったのかなっていうところに
かなり意味を感じたというか
本当に単純にゾンビ図は
ディズニーらしい歌って踊って
みんな生命力が強そうで
ゾンビたちすら強そうで
イケてる人しか出てない
映画という意味では割とキラキラしすぎて
見ててつらい部分もある人もいるかもしれないですけど
割と大真面目に語る余地も
ちゃんとあるような映画で
僕としてはゾンビじゃなくてもよかったじゃんっていうところは
1:03:02
変わらないんですがとはいえ
すごいいい映画だったなというか
かなり好きでしたね
逆に今めちゃめちゃ大真面目に語ってますけど
すげー楽しい映画だっていうことを言っておくと
最高の特に色彩設計
色彩設計さっきも言ってた色彩設計がやっぱり
本当に素晴らしい
特にゾンビ側の主人公と人間側のヒロイン2人が
学校内にゾンビと人間共学って言ってる割に
ゾンビから逃れるためのセーフルームがあるんですよ
もうその時点で構造として古いものを
引きずってる学校なんですけど
2人がお互いの愛情深め合う
いうようにして歌うパートがあるんですけど
そこの壁は真っ白
ゾンビ側と人間側
それぞれカラーリングを分けてあるんだけども
そこの後ろの壁は真っ白の中で
それぞれ色分けされている2人が交流を深める
本当に素晴らしいよくできた画面
やっぱりディズニーってミュージカル撮るの上手いですよね
めちゃくちゃ上手いし
ミュージカルシーンが楽しくて仕方なかった
振り付けのアイディアの多彩さ
ここは影を使って動きを見せて
部屋の中をプラネタリウムみたいな照明にするために
バケツみたいなのをかぶせてくるくる回して
星が綺麗みたいにするみたいな
そういうめちゃくちゃ上手いし
装置から導線から完璧だなって思います
そんなロマンチックな2人の交流があったんだけど
そのセーフルームを出るとお互いちょっと知らないフリをしながら
でも我慢ができなくて歌ってしまうみたいな
ところまで本当によくできてる
本当に素晴らしかったですね
僕はトム・フーパーのミュージカル映画がすごい嫌いなんですけど
急に悪口になりますがアップを多用するんですよ
ミュージカル映画において表情とかだけ抜くのってものすごい僕は嫌いで
やっぱりこうもともとやっぱり舞台芸術発祥なので
やっぱり引きで撮ってほしいんですよね
やっぱりそうじゃなくて
非常に最初から構築的な世界として
演出がしっかりつけられた
移動の面白さみたいなものを撮ってくれる
1:06:02
その上できちっと主人公たちの表情を抑えるための
寄りのショットも効果的に撮ってくれる
その上できちっと主人公たちの表情を抑えるための
寄りのショットも効果的に使われつつもそれは特に長続きはさせずに
むしろ切り返すことによって両者の交流として
ショットを使って繋いでいくっていうところも含めて
本当にやっぱりディズニーのミュージカルというのは
大変いいものですねっていう
みんな知ってるよみたいなことを改めて思いましたね
2018年なおディズニーはすごいぞ
ちなみにあれらしいですよゾンビ図は続編が
2もありますね2は狼人間が出てくるらしい
そうなんですよ僕ちょっと心配なんですよね
大丈夫かなそれガイコツみたいなことになってないかなって
そこがある意味僕もちょっと心配
ディズニー頑張ってほしいなもう公開されてるんでしょうから見ようと思いで
そうですね3も制作決定したみたいなニュースがありましたからね
どんどんいろんな怪物が出てきて
怪物くんみたいなことにならないと不安です
本当にもうだから狼人間出てくる時点でゾンビ図はゾンビじゃなくて
よかったんだなっていうところはありますが
その辺はね
しかし必見ですよねゾンビ図は必見ですね
ゾンビ好きとしてゾンビ好きとして進める映画ではなく
単純に個人的に好きな映画として進めたい
作品としてはもう一押しです
すごいよかったですね
楽しいゾンビ
そうですね楽しいゾンビとしては
そうですね
ゾンビ図が一番面白くてゾンビ映画好きとして
一番推せるのはブラックシークだというところですね
あとはそれこそゾンビでミュージカルといえば
アナと世界の終わりっていうゾンビ映画も
この前しらっとちょっと話したのかなもありますが
これも割と本格ゾンビ映画をミュージカルでやるとすごい変な映画になるっていう
そうですねちゃんとプロットはゾンビ映画
の王道というか
その王道をゾンビ映画の王道にすることによって
ミュージカルとは合わないなっていう結論になるっていう
でも俺はクラスでゾンビを殺すのが一番上手い
最高の歌がある
すごい難しいんですよねゾンビ映画におけるミュージカルを
単純にそのめちゃくちゃ楽しいバカらしいものに振り切るのか
1:09:00
中途半端にシリアスを残すのかみたいなところで
かなりバランスの取り方が難しいなっていうのは
アナと世界の終わりを見ていると思うんですが
もうちょっと楽しいようにしても良かったんじゃないかなっていうのは個人的には
そうですね
まあでも人が死ぬから難しいですね
そうですね
ゾンビ映画ぐらい振り切ると本当にミュージカルとしてめちゃめちゃ楽しいものになるんだけども
ゾンビである意味は薄れてしまうけど
ゾンビであることを意味を持たせようとするとどうしても人が食われたり
殺されたりしなければいけないっていうところで
難しいところ
一つでもそこでそういう人の歴史にも進めて
ものすごい軽率に
おもちゃにしていくんだっていう態度もやっぱりホラー映画だったりゾンビ映画だったり
一つの伝統だと思っていて
さっき話した吐き溜めの悪魔とか
みたいなひどい映画もそうですし
あとそれこそ僕この前見たゾンビの
なんかもわりとひどい映画なんですよね
倫理観ゼロというか基本的にひどいんですよ
そういう意味ではなんですけど
面白いよねというかそういうのもあっていいよねっていうところもありつつ
どっちもあっていいんですけど
真面目に歴史にやるとゾンビはつらいので
たまにそういうめちゃくちゃ馬鹿らしいというか
ひどいものが
あってもいいよなっていうのは間に挟んでもいいよなっていう
ゾンビはいろいろやれるなっていう感じですかね
そうですね本当に楽しいのから
しみったれたのからひどいやつからちょっと倫理的なやつまで
っていうところで何でもあり得ますからね
やっぱりそれはすごい大事なことだと
あとやっぱり僕は岩沢ひろきさんっていう
心霊ドキュメンタリーの作家さんを大変好きなんですけれども
岩沢監督が心霊たま手箱ってご自身のシリーズの中で
心霊ドキュメンタリーっていうのは人の生きしみを扱う作品だからみたいなことを
明言してるシーンがあって
やっぱりそれすごい今ちょっとレオドさんの発言で思い出したんですけど
すごい大事なことだなというか
それを別にだから真面目に扱えっていう態度に必ずしもならなくてもいいんですけど
1:12:00
やっぱりそこに生きしみの扱いがあるんだっていうところによって
見るこっち側が嫌悪なく読み取ってしまうものであるとか
嫌悪なく何かしら連想してしまうものっていうのは必ず出てくるはずで
そこがあるからこそ
どんな馬鹿らしいゾンビ映画でさえも
なんとなく大真面目に話そうとも話せてしまうであるとか
そういったところがディズニーの中で
ディズニーのように明確にその場で人死んでないはずなんだけれどみたいな
ものも含めて真面目に語れてしまうみたいなところも
一つの全部魅力だなという気はしていますね
ジャンルとしての懐の深さでもありますか?
そうですね
こんな感じかなだいぶ満足したな
気づいたらもう1時間ぐらい喋ってるんですか?
喋れたかもって思うともう1時間過ぎてるんですよね
難しいな時間に収める
次回第4回
一応最終回
最終回はどうしましょうね
状況が状況であれですけどあれだったら僕りょうたさんの
ご自宅にDVDをお送りするので
次はゾンビの原点に
立ち戻ってみたいと思っていて
ロメロ以前のゾンビをいくつか見て
そもそもゾンビとは何だったのか
っていうところをちょっと学びつつ
余裕があったらゾンビ2とか見て今のゾンビというところで
今昔をやれたらなと思っています
本当にゾンビというものが
どちらかというとブードゥー教であったり
黒人文化というものに対する白人の
歪んだ眼差しというものがダイレクトに反映されている
時代のゾンビ映画というものをちょっと見つけて
いきたいなと思っています
第6回の最終回にめちゃくちゃ大学のシラバスぐらい
わりとちゃんと明確に最初から糸のある
大学のシラバスが
大学のシラバスの中で
大学のシラバスが
大学のシラバスの中で
大学のシラバスの中で
最初から糸のある
こんな感じでやれたらなと思っております
1:15:02
わかりました
来月のどこかになると思いますが
お楽しみにというところで
雑談オブザレットはここまでとしたいと思います
ありがとうございました
01:15:25

コメント

スクロール