00:29
ポイエティークRADIO、本日は渡辺拓哉さんの
『飯場へ』という本について、がっつりとお話しする回にしようと思っています。
お相手は、私柿内正午とゲストでこの方です。
南森町三郎です。よろしくお願いします。
南森町さんとは、日常的実践のポイエティークに続いて、
本についてがっつり語る回というところで、
ご一緒できればと思っていますが、
ちょっとこれ先に録音する前にも言ってるんですが、
もしかしたら遅らえりにするかもしれないっていう中で、
どんどん過激な発言を遠慮なくしていければなっていうところなんですが、
一応録音しているので、最初の5分ぐらいは公開できる程で、
ざっくりと販売という本の概要の説明をしておきますと、
楽北出版という、多分京都の出版社なんでしょうね。
ツイッターでこの前ちょっとやりとりをしたんですけど、
ホホザ浄土実験さんが近所だっていうふうにおっしゃってたので、
京都の楽北の出版社さんから出ている本で、
ここの楽北出版社さんは、
最近ピエール・クラストルの
社会は国家を持たぬように勤めてきたっていう本を、
多分去年の新刊に出してたりとかしている、
大変かっこいい出版社なんですけど、
そこから出ている本で、
暮らしと仕事を記録するっていう副題がついているんですが、
この渡辺拓哉さんという方が社会学の方なのかな。
この方が大学生、大学院生の頃に、
ハンバっていう、何て言ったらいいのかな。
肉体労働者の方が、
一定期間の契約に基づいて住み込みで働く、
住み込みで寮みたいなところに入って、
そこから都度都度必要に応じて、
いろんな現場に赴いていくような、
その労働のあっせん状みたいなもののことを、
ハンバって呼ぶんですけど、
そこに実際にこの著者の方が入って、
フィールドワーク的な形で、
いろいろと実際にその場で労働する中で、
いろいろと労働とは何だろうかであるとか、
そもそもどんな形でそういう、
03:04
労働の現場っていうのは回っているのかみたいなところを、
研究されているっていうような本になっています。
僕が買った版だと、
帯の背拍子のところに、
他人と共に働くことの喜びといいわ、
っていうふうに書いてあって、
表紙には仕事ができない自分が悪いのか、
っていうふうに書いてあるんですね。
同じやつですね。
同じやつですかね。
はい、同じものですね。
帯ですね。
っていうようなところで、
ちょっと話をしていきたいなと思っていて、
まずなんでこの本で話をしたいかっていうと、
僕が社会人になってから、
会社勤めをしてから、
いろいろと尊厳であったり自信であったりを喪失していったな、
みたいな気持ちがある中で、
なんとなく自分の中で適度な図太さだったりとか、
適度なふてぶてしさを取り戻すにあたって、
すごいポイントになった本が、
この前南尾美松さんとお話しした、
セルトの日常的ティッシュのポイントと、
この販売っていう本だったんですね。
みたいなところもあって、
割と自分が働いたりとか、
社会の中でやっていく中で、
何かしらしさを得た本だな、
みたいなところを思っていて、
そういう本について、
逆に言うと僕は思い入れが強すぎるので、
一度冷静に人と話してみたかったなっていうところで、
今回やらせていただきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
どうしましょうね、
まずざっくりと、
南尾美松さんの全体的な感想みたいなところから、
聞いていくのがよいかな。
では、全体的な感想からお話ししたいと思います。
この本を実は初めて知ったのは、
柿内さんのプルストエム生活を読んで初めて知ったんです。
その中でも結構濃い目に取り上げられてたんで、
ぜひ機会があったら読みたいなと思いながら、
やっと去年の冬頃に読めたというところで、
始めがすごいエスノグラフィーっていうか、
個人エスノグラフィーかな、
なんかちょっと不思議な言い方されてますよね。
自分史みたいな言い方をして、
指摘エスノグラフィー?
指摘エスノグラフィー、そうです。
初めに自分、著者の渡辺さんが版場に入った時の体験記みたいなものが、
06:03
3分の1がっとあって、
それを後半分析していくっていう本で、
初めのエスノグラフィーがすごい面白いんですよね。
あと、すんごく面白くて、
ちょっと視点が上に寄っていって、
次は渡辺さんを始め、その労働者が何をしてるのかっていう話をまとめた後に、
もっと大きい制度みたいな話を最後にするっていう。
なので、ちょっとエスノグラフィーが終わった後に、
じゃあお仕事何してるの?ってなったところで、
ちょっとだけ面食らったんですよね。
いきなり話がもう108度以上変わってた気がして。
なるほど、なるほど。
だからそこが結構戸惑ったのと、
あと結構この本って難易度高いと思っていて、
初めの指摘エスノグラフィーを普通に物語として読めてしまう分、
次の理論編っていうのはすごいつまみ食いって言い方よくないですけど、
渡辺さんは当然わかっていることなので、過剰に説明しないんですよね、理論について。
なるほど、なるほど。
で、当然わかってるでしょっていう体で、小出しに出ていくんで、
その社会学的なバックボーンがないと、かなりこう、
何て言うんでしょうね、要所要所しかわからないみたいな気持ちになっていく本なので、
すごいこの難しい本でした、本当に。
なるほど、なるほど。面白い。
絶対にはそんな感じです。
確かにこの最初の150ページぐらいがハンバー日記っていうタイトルで、
実際に渡辺さんが初めて入ったハンバーでの生活を日記形式で綴っているっていうところで、
ここは本当にもう読み物としてめちゃくちゃ面白いんですよね。
そう、そうそう。
ある意味それこそちょっと成長物語のようでもありつつ、
割と素直にいろいろとあのおっさんムカつくみたいなことを素朴に話していたりするっていうので、
かなり親しみも湧くし、本当にそこに一人の人間がそこで働いてるんだなみたいなのがあるんですが、
確かにその後の第2章以降かな、に関してはいきなりその概論的なというか、
そのハンバーという場所がどういうような業態で営まれていてみたいな話だったりとか、
さらにどんどんどんどん抽象度が上がっていって、第6章以降はより文化史みたいなところからの切り口みたいなところでの話になっていくので、
確かにモードがガラッと変わっていく本ではありますね。
そうそう、そうなんですよ。
僕は本当にまずこのなんだろうな、僕もやっぱりこの最初の日記でめちゃくちゃ引き込まれた部分があって、
09:03
割合その後の理論編のところもそんなにつまみ読みじゃないけれども、書く論に関してはそんなに気にせずに、
つまづかずに割と通読できた雰囲気があって、コラムが一番難しいんですよね。
難しいですね。
コラムが一番専門的な話になってくるので、コラムは結構ちょっと、今回再読するときにがっつり取り組んだけれども、
当時は結構読み飛ばしてたな、みたいなところがありつつっていうような感じで、
割とこの一冊の本の中でも難易度だったり読み口が全然変わっていくっていうのはその通りですね。
そうなんですよ、なるほどなるほど。
そう、どっから話していこうか。
どっから話しましょうね。
今日先に見取り図的な感じで、今日僕が話したいなと思っていたのは、
やっぱり南森町さんと僕とでも多分いろいろと、働くこと自体に対するスタンスみたいなものが多分異なっていて、
南森町さんが読まれたときのツイッターか何かで、
著者個人の体験と、私たち労働者という複数の労働者というものとの間の問題に確立があるんじゃないかみたいな話をしていたのもあるので、
そもそも今回この話をする僕たちの間にも労働感って割と違っているだろうなって。
主にそれは勤勉であるとか有能みたいな言葉との距離の取り方みたいなところに、
何か一つヒントがあるんじゃないだろうかっていうところをちょっと話せたら面白いかなっていうのが一つと、
もう一つもちょっとでかいんですけど、
それも南森町さんのツイッターで書かれてたんですけど、
労働者を不当に搾取するような、基本的にゲームとして労働者が不利になるような構造がまずあるっていうことに気づくっていうことと、
それに対して個人の実践に結局最終的に還元されちゃうみたいなところとっていう、
そのバランスの危うさというか、
全部を全部構造のせいにして、だからといって個人が何もできないんだっていうのは、それはそれで無力感が募るし、
とはいえ構造が悪いんだってことに気づいた上で、
でも個人個人でやれること頑張っていこうだけだと、いつまで経っても構造は何も変わっていかないみたいなところとの、
バランスをどう取っていけばいいんだろうかみたいなところが、
多分この本を読んでて一番、
そういう話が、余裕があったらというか、できたら面白いかなっていうところと、
12:00
あとは素朴に南森町さんのその、
この販売の中では、その肉体労働のあり方の中でその現金と契約っていう区別があって、
契約っていうのはその販売に実際に入って何日間働きますっていうようなやり方なんですけど、
現金っていうのはその日その日にフラッとこう行って、
その日一日働いて働いた分だけお金をもらって帰ってくるっていうような、
いわゆる日雇いみたいな働き方なんですけど、
なんかそこの現金的な働き方の体験談みたいなものを、
知ってましたね。
なんかその話がちょっと聞けたら面白そうだなっていうのと、
僕自身は割とその学生時代に釜ヶ崎にボランティアで入ったことがあるんですよ。
そうなんですか。
そうなんですよ、みたいなところで、
そういうその、いわゆる半端日記的な個人がたりじゃないですけど、
お互いのそういう経験談みたいなところから切り込んでいくのが面白いのかなっていう、
トピックとしてこの辺りが話せたら面白いんじゃないかなみたいなところを、
なんとなく思っています。
そうですね、すごいいい感じだと思います。
どれから行くのがいいんだろうな。
どれから行きましょうね。
まずでも最初にあれですね、きっと、
僕らが労働に対してどういうスタンスでいるのかっていうところから突っ込んでいった方が、
この後の話の聞き方が分かりやすい。
いい気もするし、
多分僕らの中で一番最初にそこで大げさに言えば衝突というか、
何かがあるんじゃないかなっていう気もするので、
その話からできたらいいかなと思います。
はい、分かりました。
どちらから行きましょう。
どうしようかな。
まずどうしようかな。
南森町さんから、
労働というものへのスタンスというか、
その販売の話とか絡めても絡めなくてもいいので、
こういう形で労働と付き合っているぞみたいなところをお伺いできたら嬉しいです。
分かりました。
ではですね、ある程度、
詩的な話にもなるんですけど、
大学卒業後にですね、
就職したところというのがスーパーの店員という、
正社員で入って、
そこ、その前大学時代バイトとかしてたんですけども、
やっぱりスーパーのある程度大きい店舗の店員の正社員の一番大きい仕事って、
人間関係の調整なんですよね。
個人で何か効率的に仕事をするというのが求められるんですけど、
例えば刺身が切れるとか、
肉を薄く切るとか、
あれの正社員がガッツリやるっていうのは本来あまり良くなくて、
それを慣れない人にも優しく教えていけるように、
本来技術を全破するとか、
15:01
統制するっていうのが役割として求められているんですよ。
なるほど、なるほど。
そういう業界に始めたので、
まず労働っていうのはどうしても他社と好きじゃない他社がいる場所でも、
それなりの妥協をしながら生きていく場所というか、
活性化手段であると。
そこにどうしても嫌をなく他社が変わるっていう価値観はそのあたりで生まれてですね。
いろいろあって辞めて、
ヒアトイ労働みたいなことをするんですけど、
そこでも基本一人でやる仕事っていうのはなくて、
かなり文化の違う人たちと、
後でお話しすると思うんですけど、一緒にいて、
あまり居心地良くないですよね、福留園も酷いし。
そういう中で嫌をなくお金のため、
でも我慢できないけど辞めりゃいいっていう気持ちもあったので、
あんまり労働っていうのが積極的に何か気持ちいいものを求めるっていうよりは、
不快を減らす方向に全員が努力、
というか私は努力して、
かつ、必要最低限の労力が一番いいというふうに思ってですね。
これは労働者側というか使われる側の意見だと思っていて、
スーパーアンティメットとかやってたんで、
使う側の意見からしたら、
喜んで積極的に働く人間が一番嬉しいというのは、
半端にも書いてますけど、
自主的に真面目にやろうとする人間っていうのを、
どうしても求めるし作り出そうとするっていうところに対しては、
かなり嫌悪感があるっていう。
かなり搾取されてるっていう被害者意識が強くあります。
労働感でしょ、そうですね。
労働は最低限で済ませたいし、
基本的には搾取につながるものっていうのが労働感ですね。
なるほど。
長くなりましたか?
いえいえ、とんでもない。
すごい面白いです。
多分、南森まちさんと僕の労働スタンスの基本線はかなり似ているというか、
できればしないで済ませたいけれども、
必要に迫られてやらなきゃいけないことで、
必要に迫られてやらなきゃいけないことなんだったら、
必要最低限の労力でこなして、
さっさと終わらせてしまいたいっていう。
多分そこの思いは、ある程度共有できるところかなっていうのは思っていて。
もしかしたら違いがあるとすると、
なんだろう、販売の中でも出てくるんですけど、
割と今、南森まちさんがおっしゃった、
積極的に自主的に働いてしまう労働者っていうのは、
なんで自主的に働いてしまうかというと、
実はわかりやすく、可烈に鞭打たれて、
18:00
無理やり働かされているわけではなく、
むしろ勤勉であることはいいことであるとか、
自分の有能さっていうものを示したいみたいな、
そういう現場の中で自己効力感の満足を得るために、
積極的に働いてしまうことが、
結果的に使用者というか、
雇用主の利益につながっていってしまってるんだっていうような、
指摘がなされていくんですけれども、
割と僕これを読んだときにかなり、
素朴な言い方をするとびっくりして、
というのも僕はすごい、
そういう意味ではめちゃくちゃ、
勤勉っていうものに憧れている部分があったなって思ったんですよ。
なので、僕もある程度は、
基本的には働きたくないっていうのがベースにあったはずなのに、
いざ現場に出てみると、
仕事ができたほうが楽しいんですよ。
何かできてくると、
なんか俺今この場でイケてんじゃね?みたいな気持ちになれるのか、
ちょっと気持ちがいいぞみたいなのを、
ちょっと味を占めていってしまって、
気づいたら勤勉の論理に追い立てられていってたような感じがあり、
なおかつ僕はちょっとそれに、
今でもちょっと浸っちゃってる感じがあるんですよ。
というのも結局どんなに嫌がっても、
一日の中に占める労働の時間のパーセンテージを、
自分の力だけで変えていくことがそんなにできないのであれば、
せめてその長い時間をちょっとでも楽しいものにしておきたい。
ちょっとでも楽しいものにするためには、
ある程度有能感であるとか、
勤勉な自分みたいなものに酔っ払っていたほうが、
もしかしたらトータルではハッピーかもしれないみたいな気持ちが、
どこかにあるんですね。
そこが多分なんとなく、
完全に使用者憎しというか、
みたいなところになりきれない、自分の。
もしかしたらそこで結局その有能さや勤勉さを感じられることっていうところに、
素朴な労働の喜びっていうものはあるんじゃないか。
そもそもその労働の喜びみたいなものは、
フィクションなんじゃないかっていうことを、
販売の中でも何度も何度も繰り返し言われはするんですけど、
その中で指摘されているのもやっぱり、
労働研究というものの中で、
どうしてもその労働自身自体に意味や喜びを見出してしまいたいっていう気持ちを、
数々の研究者が持ち、
そこに流れていってしまうんだけれども、
いやいや待てっていう流布を何度も何度もつけないといけないっていう、
そこの勤勉であろうとすること、
有能感を得て楽しくなることっていうことに対して、
21:02
いやそれは結局使用者の作品の構造を強めていくだけなんだ、
再生産するだけなんだっていうのを指摘しながらも、
とはいえ一生懸命汗水垂らして働くことって、
ちょっと楽しかったり満足があったりするよねっていうところで、
由来でいる様に、
僕はこの販売の読みながら、
すごい共感するじゃないですけど、
勤勉っていうものに対しての、
個人のスタンスの取り方ってめちゃくちゃむずいなっていうのを、
すごい感じているんですよ。
僕もちょっと長くなっちゃいましたが。
なるほど。
あるその、なんて言うんでしょう、
職場においてある程度有能として振る舞えた方が、
とても楽しいっていうのはすごく分かるんですよ。
なんかだいぶ人生遡りますけど、
小学校だったり中学校で、
体育でサッカーとかね、球技が苦手で私が。
球技をみんな楽しそうにするわけですよね、
上手な人たちって。
つまらないし下手な人たちからすれば、
あれはすごく苦痛な時間で、
何せよ授業自体がそんなに大したもんじゃないって思えば、
別に苦痛に終わっても楽しく終わっても、
一生と言えば一緒なんでしょうけど、
でも楽しく振る舞っている方が、
なんかいい感じっていうのはすごく分かるんですよ。
ちょっと離れた方がいいんだろうな、
ひねくれもあって、
そういうのはよく分かります。
振り返ってみると。
そうですよね。
有能に振る舞う方がきっと、
こういう誰ですけど、
多分ね、昇進しやすい人ってそっちの人だと思うので、
仕事つまんないって人は、
あんまり昇進できないイメージもあって、
一つのあれですよね、
生き方の、
職場における生き方の一つとしては、
かなりポピュラーなものなのかなと。
そうなんですよね。
でもそれこそ今、
南森町さんが体育の授業のたとえを出してくださいましたけど、
僕すごい体育の時間苦痛だった子供だったので、
でもやっぱりその労働の現場におけるその有能さだったりとか、
金弁と怠けっていうものの二軸でそれを語ってるんですけど、
要するにあれってできるやつとできないやつを分けて、
できるやつがある意味できないやつを排除することによって、
自分たちの肯定感を高めていくというか、
自分たちのこれでいいんだっていう現状の維持であったりとか、
満足感みたいなものを再生産していくっていうような構造があるんだって話して、
まさしく体育の授業における動けるやつは常に楽しいし、
24:02
動けないやつは誰からもなんかあいつなんかダメだよなっていう目で見られるっていう、
子供の頃から連綿と続く地獄は結局ずっと続いてるだけだみたいなところも確かにありますよね。
そうですね。
そうなんですよ。
結構これそうなんですよね。怖いですよね。
僕は何が怖かったかって、最初はわりと入社してすぐの頃に販売を読んだんですけど、
その頃僕まだ入社して右も左も分からないような時期だったので、
それこそ販売の中で怠け者とレッテルを貼られるような、
あいつは使い物にならんって言われる側として、
現場でどんどん排除されるガス抜きする側に。
僕も現場が売り場があるようなところの本部スタッフみたいなところの立場でいることが多いので、
わりとだからそれも現場の鬱憤を、
あの無能なスタッフのせいでっていうような悪口を言われ続けることによって、
人間関係を調整していくみたいな仕事だったので、
やっぱりそこである意味自分はやっぱりどうしようもなくダメなんじゃないかとか、
実際確かに使い物になってないんですよ、僕は現場で。
みたいなところで、すごい落ち込んでた時期にこれを読んで、
僕がそういう酷い目にあっていることには、
ある意味構造的な必然性があったんだっていうことに、
気づくことでちょっと楽になったっていう部分があったんですけど、
今読み返すとさっき言ったように、僕は気づいたら勤勉の側に、
転がり落ちたのか、登ってしまったのかわかんないですけど、
映ってしまっているなっていう感じもあったりして、
それも含めて労働に対するスタンスであったり、逆に言うと労働倫理みたいなものに
どれだけ組み込まれてしまったかみたいな、
自分の状態を突きつけられる本になっている感じがあったんですよね。
あれみたいですね、タイムマシーンじゃない?
小学校の校庭とかに売れるやつ、何でしたっけ?
タイムカプセルですか。
タイムカプセルみたいですね。
そうですね。
読むとかつて現場で無用だった自分が、
恨めしくこっちを見ているみたいな気持ちになりました。
怖いですね。
怖いですね。
私はもうだいぶ最近読んだので、
あんまりその価値観で、昔の自分みたいに思うことは、
本当にひやとり合ってた頃を何となく思い出すっていうぐらいなんですけども、
確かに大学院生でも聞かないのかっていうシーンは結構笑えまして、
27:00
そうですね、そうそう。
学歴は結構ね、何というか、
あるあるですよ。
言いづらい雰囲気はちょっとありましたね。
そうなんですね。
何となくそうなんですよ、そういう雰囲気を勝手に感じてた節はあって、私は。
実際そんなことなかったかもなんですけど、
なるほど、なるほど。
みんな反応したように、赤丸って言って丸ぼろの赤いパッケージですね、
を吸って缶コーヒー飲んでました。
ちょっとびっくりしましたね、本当に。
やっぱりそれも何だろう、自分のコーヒーだけ買うと怒られるんですか?
飲むときはみんなで飲むんですよ。
酒はみんなで飲むんですよ。
一人の仕事が終わったからって言って、
いかにもお暇ですっていうのは、あんまり奨励されてないタイトルというか、
あくまでチームでいるんだっていうのは、
チームないんですよ、基本。
現場現場で人変わるんですけども、
とはいえみんなで来てるでしょっていう雰囲気は常にある。
なるほど、なるほど。面白い。
なんか本当に、この本のほぼエッセンスは最初の半ば日記に凝縮されているとは思っていて、
僕は最初にダメダメだった新入社員の時に読んだ時に、
大学院生のくせに全然使えないなみたいなこと言われながら、
全然気が利かないみたいなこと言われているところでの、
本人も僕は気を利かせたりとか、体を動かすことに関してはめちゃくちゃバカなんじゃないかっていうのを反省していくじゃないですか。
そこで自分の無能感を募らせていく様に、すごい自分を重ねて読んでいた部分があって。
でもそれも実は、それこそ後半で示される、
使えないやつっていうものを現場の中で作ることによって、
自分の使える具合を自ら進んでアピールしていくように、
みんなが一生懸命働く環境を作るための一つの構造的な必然性があってのことだったんだっていう気づきにつながっていったりもするんですけど、
結構自分は無能なんじゃないかっていうところの切実感というか、
現場の中での心細さだったり、
どうしようもない気持ちみたいなものをすごい感じながらも、
割とこの著者の方、仲良くなるんですよね、いろんな人と。
そうですね。
割と最終的にお前も頑張るよみたいなことを言われながら、
温かい交流をしていくみたいなところも、
これもやっぱりリアルで、
使用者の思惑通りに働いちゃうみたいな意地悪な言い方もできるんですけど、
30:05
実際その現場でなんで頑張るかって、
やっぱりあの時よくしてくれたこのおっちゃんに認められたいとか、
みんなでこの現場で苦し思いしてるみんなの中で力を合わせて頑張ることで、
ちょっとでも早くこの苦しみを終わらせようだったりとか、
割とそういう血の通った人間関係というか、
信頼関係の中で敷かわれるものであったりもするんだけれども、
一生だけ取り出していくと、結局なんかこう都合のいい労働者、
使いやすい労働者になっていくことと、
イコールになっちゃったりするみたいなところの、
この割り切れなさというか、
どっちを取ってもなんかこうもやもやするんだよなっていう、
見え切れなさがすごい、
なんだろう、
リアルだなって思ったんですよね。
分かります、それは。
ある意味個人の労働者の主旗だけとか、逆にその理論編だけだと、
お前現場入ったことあるんかって理論書だと思っちゃうし、
主旗だけだとそれはそれで何かとは言ってもねみたいな、
ところを感じちゃったりするんですけど、
それが両方ハイブリッドで入っているからこそ、
多分次の構造と個人の話にも繋がってくるかもしれないですけど、
見え切ることができないというか、
全体の構造を見通すこと自体はできる。
しかしこの目の前のおっちゃんと一緒に働くということに対して、
実際何がしかの満足を感じている自分もいるみたいなところの、
そこの割り切れなさが、
すごいぐっと迫ってくる感じが個人的にはあって。
なんかあれなんですよね、もう半ばから帰るんかって言われた時に、
まだ10日しかいないってことですよね。
そうなんですよ。
1週間ちょっとでそんなに人間関係できちゃうんだっていう。
ほとんどの人の現金だとしたらもう永遠に合わないわけですよね、人によっては。
そうですね。
10日もしかしたら半ばにおいてはかわわすっていうのは、
かなりそれで大事なんかを超えてるのかもしれないですね。
そうですね。
仲間というか。
そうなんですよね。
だからまずそれこそ現金と契約の分断みたいなものがあって、
契約の時点である程度一目置かれるじゃないけど、
こいつはちゃんとやる気あるんだなみたいな扱いを受ける感じが実にありますよね。
実にありますよね。
ありますね。
すごい理不尽だけどわかるなって思ったのが、
33:02
隣の人がいきなり不機嫌になって戸惑う場面が中盤くらいあると思う。
ありましたね。
なんでかって言ったら、
すごい辛い現場に行ったってこの著者は知ってたはずなのにって向こうが意識を持っていて、
それに対してこっちは風呂は上がるかな、風呂入るかのんびりしたとか見せるっていうのが、
そうそう気が利かなかったんだって気づくシーンがあって、
そんなあってもじゃないですか。
そうそう、あれすごいですよね。
いきなりこう、
なんか着替え途中だったか顔洗ってるかなんかで、
相手がちょっとこう、なんか作業中だったから、
挨拶しないで通り過ぎようとしたら、
お前挨拶もしないでなんだてめえみたいな感じで呆然と怒られ続けるっていう。
怖いなと思いましたね。
そうですよね。
でもあれも本当にだから、面白いですよね。
僕絶対挨拶しないで怒られるタイプだなって思いますね。
あそこ気づけるのすごいなって思いましたね。
いや、あれすごいですよね。
いや、そんな疲れてるときに新人がなんかもうお仕事終わったみたいな顔したら、
それは腹立つよなっていう気づきがすごいですよね。
そうなんですよ。
すごいと思う。
あるあるがすごい身に迫るというか。
そうですね。
それこそハンバーっていう特殊な場所での話っていう風にあんまり読まなくても、
割とどんな労働現場でも割とあり得る理不尽だったりとか、
割とあり得る構造的ないびつさみたいなものが書かれてる感じもあるので、
読んでるとすごいだから、労働の現場あるあるみたいな気持ちになる部分もありますよね。
だいぶなりますね。
うん。
読んでるといろんな人の顔思い出す。
あいつあの時あんなこと言われたなみたいな。
フルエネルレしか思い出せないですね。
あとなんか、なんでしょうね、軽トラの荷台乗った頃とかしか思い出せないですね。
あー、なるほど。
なんかね、この本ですごい面白いと思ったのが、気遣いを求められる話あるじゃないですか、ハンバーにおいて。
そうですね。
廊下通る時とか、ご飯食べる時とか、クラ入る時とか、確かヒアトイにもあって、
基本的には同じチームを組む時もあるし、組まない時もあるんですけど、
ほとんど他人っていうのが当たり前の現場において、見ないほど怒鳴らないんですよね。
うんうんうん。
うちは、私が入ってたところは、もうちょっとぬぐいところだったかもしれないですけど、
しかも、厳しさっていうのが言うほど理不尽じゃなかった。
理不尽さをぶつけても、もうやめるだけなので。
なるほど。
そうそう。
ある程度、他人との距離感において遠慮がかなり大きいっていうのは、
36:04
遠慮ができない奴はちょっと微妙っていうか、気の強さもそこにあったと。
ああ、なるほど。
いうのはすごく当時のことを思い返すとあった気がします。
面白い。だからその現場の、ハンバーにおいて描かれる気の使い方っていうのは、
どちらかというと、相手がしてほしいことというか、今のこの現場における最適化を指して、
自ら自主的に動けっていうところに気を回せっていう圧力が強い現場の話が描かれてるんですけど、
今のお話だと南森ましさんが見てきた現場はどちらかというと、
だからスーパーの時と同じような人間関係に対する気遣いだったり、
気配りみたいな、配慮みたいなものに、コミュニケーションにまつわる配慮みたいなものの方に比重が置かれてたみたいな。
そういうよりは、私があまり作業がそれほど得意じゃなかったので、
コミュニケーション面を頑張ってたっていうところがあります。
得意分野で頑張ろうみたいなところがあります。
実際は結構テントを建てるのにみんなパイプを担いだり、
なので販売っていうのは本当にチームワークというか、
いろんな人間がいる中でその流れの中で作業するっていう作業が多かったんです。
テントを建てたりする作業をよくやってたんですよ。
比較的に少数で完結する作業が多くて、
そういう意味では全員のその流れを見極める力というよりは、
少数の中にいかにこう波風というか、
うまいこと労働時間やっていくかっていう方に比重が置かれたっていうのはあります。
それは確かにありそうですね。
人数の規模も関係もしるかもしれないですね。
そうですね。結構販売はマンションだったり商業施設建設みたいなところだから、
多分本当に全体感を本来把握するのは不可能なんじゃないかっていう現場の中で、
なぜか把握することを求められる。
その無茶をジャンプするためにとりあえず止まるっていう方法が使われているみたいな感じですね。
そうですね。
なるほど。面白いですね。
エスノグラフィーのあたりはそんな感じですか?
そうですね。
本当にだから最初の方、1日目2日目とか自分はバカなんじゃないかみたいなのを書いてるんですけど、
終わりにいくにつれてだんだんすでに現場の監督とか、
使用者に対しての愚痴がむしろあいつらがダメなんじゃないかみたいなことを書かれてるのがすごい面白いですよね。
39:06
慣れてくるとむしろ人のせいにできるようになるというか、
人のせいと全部を全部自分のせいにしないで済むようになっていくみたいなところも、
この短い日記の10日間の中ですでにこう、
ちょっとこう、何て言うんでしょう、
ふてぶてしさを取り戻していっている様みたいなのが結構頼もしいなって思いながら。
なんかすごくふてぶてしそうですよね。結局今最後の方読み返してて、
128ページくらいで、発電機を一人で持ち上げて携帯に積んだら筋肉がついてきたねって言われた。
そうなんだろうかっていうところがあるんですけど、
この人、働いてまだ8日か9日しかしてないから、
そうなんですよ、そうなんです。
筋肉がついたのかもしれない。えーって。
すごい。いいな。
ちょっと穂出されてると。
面白いな。
いや面白いですね。結構その素直さというか、
なんか多分、人の言うこともそうだし、
割と何でも一旦素直にそうかもって思える人なんだろうなって。
そこがやっぱり一つこの著者の魅力というか、
現場に入った時に関係性を作っていく一つの特性なんだろうなって感じは、
日からだけでも伝わってきますね。
そうですね。
ちょっとあれなんですよ、これ別の本の話になっちゃうんですけど、
エスノグラフィーで言うと渡辺卓也さんという人が、
多分青木秀夫さんという人の話をしてると思うんですけど、
ホームレススタディーズっていうホームレス研究のかなり有名な人がいて、
多分そこのゼミの人に岸正彦さんだったり、
私がちょっと最近読んだ丸山さとみさんという女性ホームレスの研究者がいたりして、
あの人たちの、あと内越正彦っていうヤンキーと。
ヤンキーと地元。
あの本の人たちのエスノグラフィーの書き方、聞き方が神がかってるんですよね。
そうですね、ヤンキーと地元もめちゃくちゃ面白かったな。
なんていうか、これはテンプの祭なんじゃないかと思うぐらいの、
そういう聞き方というか物語の組み立て方をされるので、
あれはもう一種の祭だなと思って読んでます、いつも。
いや本当にすごいですよね。
何気なく拾えるというよりは、かなり熟練というか、
すごいなと素直に思うような。
そうですね。
単純にそころに入る云々とかそういう話じゃなくて、
一回ちゃんと相手の論理で考えられるようになってくるんですよね。
あれだから、さっきの何で怒られたか悟ることができるとかもそうなんですけど、
あれはだから本当にすごい力だなっていう。
そうですよね。
42:00
海乾燥の方法論とかでは多分どうしようもないところにあるんだろうなっていう。
だから。
どうぞ。
そうそう、そういうところすごいなと思って、これはもう他の、
例えばですね、職場のいわゆるおじさんと言われる年齢の人たちが、
狭い通りにすれ違ったり、トイレの扉に当たったりすると、
すごい変な絡みをしてくる人って言うと思うんですよ。
ああいう人たちって喧嘩を売りたいとか難癖をつけるというか、
あれが一種のコミュニケーションなんだなって思うので、
だいぶ後になってから気づく。
はいはいはい。
その手のことをこんなふうにこう、改めて整理されると、
なるほどなーと思ってこう。
すごい、そう思いました。
そうなんですよね。
事例としてはすごいあるあるって思いつつも、
ここまでなんだろう、ある意味クリアに気づけていただろうかって思うと、
全然気づけてなかったなっていう。
散々不快な気持ちの果てにやっと、ああーって思って。
こっちはそうか、その理屈でいうと、確かにこっちはああいうふうに怒られるわみたいなのを。
そうです。
だからやっぱり速さはすごいですよ。
すごいです。
そうですね。
そうですね。
最初の日記はそのあたりかな。
ぐらいでしょうか。
あと真ん中は、真ん中結構お話ししづらいんですよね。
真ん中はそうですね、たぶんそのなんだろう、
すごいこうまとまりとしては、
まとまってるというか、それこそこれを読めばある程度そのこう、
どういう形で仕事を探して、
実際仕事をすればいいかみたいなのが、
わかりそうなところはあるんですけど、
そういうハウス的な部分というか、
繁馬労働にまつわる実務的なマニュアルとしても使えそうな側面もあったりはするので、
こういう職場というか、こういう働き方があるんだなっていう。
読むとめちゃくちゃ面白いんですけど、
語るとなると結構。
そうなんですよ、本読んだほうが早い。
そうなんですよ、これは読まないとわからない。
話すとしたら、本に書いてあることそのまま喋るしかないみたいな。
この辺りを初めて知りましたみたいな話が。
そうですね、こうなっちゃう感じが。
エスノグラフィーのところにとんこっていう用語出てきましたっけ?
出てきたかな、出てきたはずです。
とんこって頭に残るんですよね。
45:01
残りますよね。
とんこしようかかっていう。
あとやっぱりその真ん中の方読んでると、
現場におけるいろんな知識だったりがまとまっていくので、
柄出しとか、ステコンとか、ユンボとか、
現場で使われる語彙みたいなものに、
なんかちょっと一旦詳しくなる感じが。
そうですね。
ちょっと面白いですよね。
ちょっとだけそうですね。
毎度始めたての頃の、とりあえず一旦テーブルの番号を覚えていくみたいな。
そういうときの。
一番、二番、はいはい。
新しい語彙を獲得していく楽しさみたいなものを追体験できる感じが。
そうですね、本当に。
第2章ぐらいがX建設っていうのが結構出てきて、
ここの本で著者は、A建設、B建設、C建設、半ばに入るんですけど、
宿泊所に入るんですけど、
X建設だけは現金としてその日雇いみたいに。
そうですね。
言ってるはずなんですよ。
ここはメインが、
正社員がいる下に中国人研修生、実習生かな。
技能実習生の人たちが。
技能実習生の人たちがいて、かなり隔絶を感じるっていうようなところをたびたび書くんですけど、
こここそ、もうちょっとSの語彙を読みたかったと思いました。
そうですね、それはすごい思いました。
かなりうっくつとしてる記述が目立つんで、X建設の話は。
一番荒んでる感じがするんですよ。
このときどう思ってたんだろうっていうのはかなり思うんですけど、
そこはあんまり取り上げてくれなかったっていう。
そうですね。
結構その技能実習生に対するまなざしみたいなものって、
ちょっと名前忘れてたな。
2つの日本とか書いてる、餅月なんとかさん。
その移民問題みたいなところで、日本のそういう話をされている方が。
ゆうだいさんかな。読み方がゆうだいであっているかわからないが。
みんな本とかが出ていく以降は、技能実習生であったりとか、
留学生の人たちの過劣な作詞みたいな話とかって、
わりと問題として前傾化してると思うんですけど、
たぶん販売が出た頃ってあんまりまだそういう、
技能実習生周りの問題みたいなものが、
どちらかというと安価な労働力としてだけ表彰されていて、
むしろ国内の労働市場における一つの変数みたいなところで扱われてたんじゃないかなっていうのを思っていて、
48:04
販売を今の時代に書かれていったら、
もう少しとのX建設の技能実習生たちに対する突っ込み方っていうのが変わってるんじゃないかなって。
どうしてもやっぱり販売の中ではまだ中国から来ている技能実習生たちへの眼差し、
結構だから遠い他社に対する眼差しなんですよね。
そこは確かにもっと突っ込んだ話を見てみたいなっていう感じはしますね。
届くといいなって思います。
そうですね。今のところは多分公開できそうだから。
渡辺さん多分聞いてくださるんじゃないかな。
渡辺さん、よかった。ぜひ。
ぜひ。
そうですね。その辺りは確かに当時のという感じもしますし、
本当に面白いなと思ったのが、近辺と怠けの倫理というのが後半でどんどん話をする前に、
X建設のその明らかに近辺の倫理を便宜的に纏っている人たち。
明らかに近辺側に立った方が得をするってのが分かった上で、
特にその後の何かを考えるのでもなく、近辺の場合に立っている人たちっていうのが
中国人技能実習生。
そうですね。
というのにもう前半、終盤でも出てきているっていうのが、
全部読んだ後だとなんとなく分かってきた。
そうですね。
結構この、ある意味大きく3つのエスノグラフィーのパートと、
その概論的なパートと、最後の理論編みたいなところというのが、
それぞれ独立してかなり味わいが違うんだけれども、
割とこう綿密に響き合ってくるんですよね。
全体を読み終わっていくと。
そうですね。
技能実習生相手に、仕事できるやつにだけ、
コンビニでコーヒーをおごる嫌なタイミングが出てくるんですよね。
そういう、近辺側に動機づきを露骨にしてくるっていう、
X建設のやり口の酷さみたいな。
分断って結構みんな気軽にやるようなと思いますよね。
そうですね。
やっぱり6章以降の話になってくるかもですけど、
分断っていうものが、
割と必要悪じゃないですけど、
いびつな労働の現場っていうものを保持するためには、
割と必須なものなんだ、みたいなところが、
やっぱりこの本において、僕は一番面白かったというか、
グッとくるところで。
51:01
日々働いていると、なんでこんなに嫌な人間がいるんだろう、
みたいなびっくりすることってあるんですけど、
実はそういう嫌な人間がなくならない理由って、
そういう人間がいないと組織が成り立たないからというか、
労働の現場が成り立たないからなんだな、みたいなことを、
ある意味理論的に明らかにされていくパートだったなっていうのは、
そうですね。
感じますね。
すごい引きになる絵ですけど、
たまに上司とか同僚への愚痴を言うときのその愚痴って本来、
言っても言わなくてもっていうのはずっと思ってるんですけど、
その愚痴が完全にもう構造にガチとはまっちゃってるっていうのが、
自分で自覚されましたね。
そうなんですよね。
嫌な気持ちですらもう組み込まれちゃってるっていう。
そうそう。
最低な気持ちになりましたね。
そうなんですよ。
だから現場におけるそのなんか、
愚痴とかいじめとか、
いじめとまではいかないけど、
理不尽な何か分断みたいなものっていうのが、
結局ある意味、計画からはちょっとこぼれ落ちてしまうような、
余剰部分に対する調整弁として、
組み込まれているっていう。
はい。
そうなんですよ。
ひでえ話だなっていう。
そう、本当に。
ひどさを丁寧に分解されてると、
もう一層うっとりしますけども。
そうなんですよ。
だからこれ読んでるとすごいだから、そうかみたいな。
その手つきの鮮やかさにこう。
見とれちゃうんですけど。
じゃあどうしたらいいんだろうみたいなことになってくると、
結構頭抱えちゃうんですよね。
だいぶ抱えますね。
そうですね。
じゃあ後半いきます?
いきましょう、いきましょう。
後半、はい。
後半というか、そうですね。
後半というか、残り3分の1。
そうですね、残り3分の1。
だいたい勤勉と怠けというワードで括られる。
ここめちゃくちゃ好きなんですよね。
これ元になった論文まで検索して探し出して読んじゃいました。
同じようなこと書いてあるんですけど。
私あれですよ、ホームレススターリー使ったんで。
そこにたぶん。
はいはいはい、載ってますね、たぶん。
これが同じの載ってます、たぶん。
そうなんですね、そうかそうか。
そこにもやっぱりちょっと渡辺さんの誇りなのか、
実際に現場に行って研究したのは私が初めてだと結構強調されてて。
はいはいはいはい、なるほど。
かっこいいと思いました。
かっこいいですね。
でも本当に社会学というのか、
僕もその辺のふわけがあんまり詳しいわけじゃないんですけど、
54:01
実際に現場に行ってる人の境地というか、
実際に俺はそこで見て、そこである程度の時間を生きてきたんだぞっていう、
あの強靭の持ち方すごいかっこいいですよね。
うん、かっこいいです、本当に。
理論だけで頭でっかつにやるんじゃないんだっていうところのスタンスがいいな、
すごく素朴な感想です。
素朴に、いや本当に、でもアプリングマネージャーってなかなかえげつないよなって思う気持ちもあるんで、
私は何がいいのかって思いますけど。
そうなんですよ、だから普通に自分の職場のことを考えていくと、
現場から叩き上げで来ているマネージャー層の地獄ってすごいので。
それみたいなもんだなと思うとちょっとげんなりするとこもありますけど、
とはいえ読み物としては素晴らしい。
そうですね。
ここ本当にいいですよね。
いやここすごいいいですよね。
ここ鮮やかなんですよね。
ここで、何て言ってたんだっけな。
ちょっと今忘れちゃいましたけど、
僕本当にこの6章、具体的なことを積み重ねていった後の、
禁弁と怠けっていう2項によって、
ある意味組織の中で円滑に回すための分断っていうものがどんどん、
自動的になされていってしまうみたいなところが明らかになっていくところに、
すごいおおーって思いながら読んでたんですけど、
南森町さんが読んでたときの読書メモみたいなものをツイートされてたときに、
結構何て言うのかな。何て言ってたんだっけな。
著者個人の労働に対するスタンスがどこにあるんだろうみたいなことを書いてたのかな。
ちょっと今ふわっとしか覚えてないからなんだけど、
何が言いたかったかっていうと、
割とそこで、そもそも分断が煽られてしまうっていうのは、
言ってしまえば使用者側の計画のずさんざとか、
そういうふうに調整を現場でしなきゃいけないような、
雑な仕事をしている使用者側の責任のはずなのに、
それを現場の人たちがすべて引っかぶらなきゃいけないっていうのは理不尽なんだと。
その理不尽を突破するための一つのキーワードとして、
怠けというものがあるんだという話をしていて、
ある意味怠けることによって、
使用者側の仕事の雑さであるとか、
自分たちに本当は責任がないはずなのに、
57:00
俺たちが理不尽に責任をすべて引っかぶっているっていう状況を、
ある意味問い返すような契機として、
怠けることを、過剰に勤勉になってはいけないんだと、
怠けるべきなんだみたいなことを書いていくのが、
すごい僕としては感動的なんですけど、
とはいえ、やっぱりとはいえ何か、
労働者の中での連帯というものは、
個人個人がその構造の不正に気づいて、
何かこうしていくことが必要なんだという話になっていったりとか、
そこの構造自体のいびつさであるとか不正みたいなものに対して、
気づいた、気づくこと、
そこに対してものすごい鮮やかな手つきと、
じゃあそれに対して個人として何ができるんだろうっていう時の、
一旦は怠けるんだっていう結論が出たように見えながらも、
何かどこかでやっぱり、
勤勉の倫理みたいなものを捨てきれない部分を、
どこか感じてしまったりとか、
なんだかんだ言いながらも誰でもできる仕事を素朴に一生懸命頑張るってことは、
それだけでやっぱり美しいことだみたいなところが、
ちょっと見え隠れする部分もあったりして、
そこの理論的な操作の鮮やかさと、
だからこそのリアルな個人としてのスタンスの、
確かに読んでいる間に、
渡辺さんっていうのはこういうスタンスを取っているんだなっていう、
一つの、定義できない、
掴みどころのなさみたいなものとっていうのが、
確かにこの6章以降の読書体験としては、
かなり対照的に両方あるんだよなっていうのを感じて、
どこまでが南森さんのツイートに即した意見で、
どこからが僕がそこから妄想した話かもわからないんですけど。
たぶんね、私そんな長文書いてないですね。
普段からその手のことを言うときがあるんで、
それで引っかかったのかも。
たぶんね、それっぽいことを言っているのは、
この本の400ページぐらいで、
結局としてはほどほどに働く人生観を求めようって、
改めて書いているところに結構驚いてしまって、
結構それが当然の労働感で、価値観で生きてきたので、
なるほど、なるほど。
一生懸命働く必要ないよっていう、
この400ページまで読んで改めて言われるっていう。
はい、はい、はい。
うん、してましたっていう気持ちになるっていう。
なるほど、なるほど。
それと458って終わりにのところに、
結局いろいろあるけども、
労働者の共同性を広げていけるかどうかは、
僕たち自身の生き方にかかっている。
うん、うん、うん。
すごい雑な漫画の締めくくりみたいなのが出てきて。
1:00:01
そうですね、俺たちの戦いはこれからだという感がちょっとありますね。
どういうことですかっていう。
うん、うん、うん。
言いたいことはわかるんですけどね。
そうですね、言いたいことはすぐわかるんですよ。
わかるんですけど、すごいあっけに取られるというか、
ここでそれを言われるのかっていう。
そうなんですよね。
ちょっとびっくりしちゃったっていうのはありますけども、
でも確かに指摘エスノグラフィーのところで既に
渡辺さんは労働に対してそれほど嫌悪してないんですよね、
初めから。
そうなんですよね。
だから結構勤勉にガツガツ働くことに対しては、
距離を感じてないタイプの人なのかもしれないなって思ったんですよね。
そうですね、うん、それは思いますね。
うん。
それこそ岸さんとか内越さんとかも含めて
わりと多分勤勉な方だと思うんですよね。
岸さんもね、すごかったです。
なんかあの講演聞きに行ったんですよ、京都で。
はいはいはい。
3回ぐらい講演されてて、
それでもすごいエネルギッシュな人でしたし、
内越さんはヤンキーと地元読んだらすぐ分かるんですけど、
すごいんですよね、バイタリティが。
いやめちゃくちゃすごいですよね。
ちょっと体大丈夫ですかっていうぐらいの動き方されるんで。
そうですね。
いやーすごい、人たちは本当になんかもう
体が動くタイプの発想するなっていう。
いやそうですね、本当になんかバイタリティ第一みたいな世界なんだろうなって感じがします。
そうです。体力仕事ですよね。
だからこそそういうそのバイタリティ溢れてる方が
最終的な結論としてそんなに真面目にやりすぎてもしょうがないというか、
適度に怠けた方がいいという結論になるっていうのは結構なんか重要な気はしましたね。
なんか最初から特に動きたくねーなーみたいなこと言って
人がただ怠けたいって言うよりは
単なる個人的な必要から言ってるわけではなくて
理論的な機械としてこの怠けっていうのが出てくるっていうのは結構
勝手に励まされる部分がありますね。
そうですね、それは
450ページくらい読んでてそこにたどり着くと
そうですね。
怠けていいんだって。
今お話ししてて思いましたけど多分僕が
渡辺さんのスタンスを掴み切れてないって思った理由って
僕が普通に怠けたいのが
それこそ南織馬さんと同じで
怠けたいのが当然という価値観の中で
いたので
勤勉であれる
普通にしていればってわけじゃないんでしょうけど
勤勉であることにそんなに抵抗がない
価値観のあり方みたいなものを
あんまり想像の裸違いにあったんだなっていう
ことに気づいた気がします。
確かに私もそうです。だから愕然としたっていうのがあります。
そうですね。
1:03:00
逆に言えばここに至るまでにそこを気づかなかったんだと思うんですよね。
全然違う価値観の人間が書いてるんだってことに対して
気づかないまま用意するんですよね。
そうですね。それはあるかもしれない。
肉体労働の現場の日記の中でも
早くそれこそ終わってくんねえかなとか
いう話は書いてるじゃないですか。
そういうところで素朴にそうだよねみたいな
早く就業時間来てほしいよねって気持ちだけで
読んでいたのかもしれないというか
リアルにその場で肉体的にめっちゃ疲れてるみたいなところまで
実はそんなに想像せずに
単純にこう、労働時間は早く終わった方がいいっていう
気持ちだけで読んでたのかもしれないなっていうのに
気づきますね。
そうなんですよね。
あとは別の本になっちゃうんですけど
丸山さとみさんってさっき言った人の
女性ホームレスとして生きるっていう本を
最近読んで
買っただけでまだ読んでないんですよ。
女性ホームレスのエスノグラフィーが
メインで紹介されてるわけじゃないんですけど
それを紹介しつつも
従来のホームレス研究っていうのが
自立した健常者男性を主体として
考えてきた制度であったし
それを研究するホームレス研究っていうのも
同じように考えちゃってたというのを指摘する本だと
いう中で
理論と実践をねじれまくって
つなげようとする凄まじい実践の本だったんですよ。
はいはいはい。
エスノグラフィーと
それに最後つながる理論編っていうのが
すごいアクロバティックな感じで
くっついていくところがすごく面白いと思うんですけど
理論と実践を両方
打ち立てようとする人の
こういうさまじさというか
ろう作というか
それを本当に女性ホームレスとして生きるでも思いましたし
販売でもすごい熱量っていうのは
感じましたね。
女性ホームレスとしていけば読まないとだな。
それ読んだらまた別でやりたいかもですね。
まだ読んでないから。
やりたいですね。
本当にいい本でした。
今のお話もそうなんですけど
理論で実は無味乾燥なというか
人の血が通っていないような
冷徹なものでは実はなくて
理論もやっぱり人が練り上げていくものなので
何かしらそこに切実さとか
1:06:00
アクロバティックな職人芸っぽさであったりとか
やっぱりこういう
個人由来の必然性みたいなものって必ず宿る
はずなんですよね。
やっぱりそこがこの社会学圏の分野だと
特に顕著なの。
あとは精神医学とかそのあたりの本とかを読んで感じるのも
やっぱりそこの
パッと見だと飛躍にしか見えないようなものだったりとか
パッと見だと相矛盾してそうな要素っていうものを
いかにつなげていくかっていうのが
そこに感動するみたいなのがあるんですよね。
そうですね。
そこに至るところが特に見えていると
よりというのは思いますけど。
そうですね。
本当にそうなんですよね。
そういう理論っていうのは割と生活実感から来てるんだぞっていうのが
すごい販売は読んでいて
感じるというか
それこそ6章以降ですもんね。
X建設のコンクリートでの
中国人技能実習生の
事例が詳細に
描かれていくのって
実はその理論編入ってからなんですよね。
入ってからですね。
そこも結構好きというか
大変刺激的な。
ここめちゃくちゃ面白いです。
コミュニケーションを取りづらい人が
すごいお互い
距離感というか
作業ペースが分からない中で勝手に動かれて
いきなり怒鳴られるという。
あまりにひどい理不尽というか。
そうですね。
第8章かな。
X建設の話が
詳細にされるここも
すごい面白くて。
排除と淘汰っていうのは
別問なんだみたいなところが
やっぱり面白いな
というふうに思っていて。
もう少し前の6章7章から
言われている内容って要するに排除というものと
淘汰というものはセットなんだっていう
話がなされていくわけじゃないですか。
何かを排除
自分の組織の中にある矛盾みたいなものを
その組織内で排除することで
見えなくするっていうこともあれば
逆に淘汰するっていう形で
内側にそれを
持って保持しておくっていうことも
実は両輪でセットなんだっていう。
なんで
こいつは怠け者だっていう人を作ることによって
1:09:01
より自分は怠け者じゃないっていうことを明かし立てるために
みんなが勤勉に働くっていうような
関係があるっていう話の後に
ある意味そういった
自分が勤勉にさえすれば仲間になれるかもしれない
っていう余地すらも
持てない在り方として
この淘汰
それこそ急に水の中に投げ込んで
泳げたらそのまま生き延びるし
溺れちゃったらそれっきりみたいな教育の仕方なんだ
っていうことが書かれていますけど
やっぱり排除よりも淘汰
っていう理論の方が
ある意味より可烈なんだというか
連帯する余地がない
在り方なんだっていう
書き方がされていて
実はある意味この第8章というか
X建設だけがちょっと
異質なんですよね、この本の中では
この本の中で練り上げてきた理論みたいなものっていうのが
ちょっと通用しない部分があるというか
より一層取り尽くし間がないような
現実としてこのX建設の
淘汰の理論っていうのは描かれている
気がしていて
そうですね、このX建設の事例があるからこそ
半場でおけるある意味あったかい人間関係も
X建設における
明らかに放り出されているのに
怒られ続けるっていう
疎外観のある現場も地続きなんだっていうのが
よくわかるっていうのはやっとそこで
だからX建設の話がなければ
A建設のエスノグラフィーなんかは
ちょっといい話で終わっちゃったかもしれないですよね
ある意味地続きの地獄の別の側面であるんだ
というのがここではっきりわかってくるという
巧妙というかかなり
人にとって結構悲しい構成があって
そうなんですよ、だから結構ここが一番
つらいところというか
A建設からC建設までの現場に関しては
働きすぎずに怠ければ
ちょっと怠けた方がいいよっていう話が
輝いてくるというかそれがお守りのように
機能していく部分が絶対にあるんですけど
今X建設的なTOTAの
溺れるか何とか泳ぎつくかみたいな
世界で
懸命に働いている人からすると
怠けたくても怠ける余地がないわけじゃないですか
もう溺れないように必死でそこで
足掻かないといけないっていう現実がある
1:12:00
ある意味ここの8章で書かれている
X建設のあり方って一つの救いとして
描かれていた怠けの必要みたいなものが
機能しなくなってしまう現場
そうですね
であるような気がしていて
実際じゃあ今の現状において
本当にまだ怠けの余地って
残されているんだろうかみたいなことを
考えだすと
一回ちょっと怠けだみたいな気持ちになるものが
ふっと影が差すというか
今俺がいるのはどっちだ
ABCがXだか
みたいなことを
そうですね
すごい巧妙な
ちゃんと
ABCも人によってはXなんだっていうのが
そうですね
それこそ看板の建設か
どこかの現場でうまく動けない人に対して
あいつはどっかしら悪いんちゃうか
みたいなことを言うみたいな話が出てきますけど
やっぱりそういう何かしら
体調の不良だったりを感じている人からしてみれば
十分にトータの場所に
なっているわけですからね
あとこれちょっと自分でメモしたところで
ページ忘れたんですけど
小宮さんという人から
柿田さんという人と著者が
一緒に休もうとするようなやゆされる場面で
その筆者は小宮さんという人が
筆者と柿田さんの2人とも
やゆしたんだという風に受け取った
場面があるんですけど
他の人の読みでツイッターで拾ったものなんですけど
筆者に対して小宮さんは
柿田と筆者お前は違うよな
瞬別の場面だったんじゃないかと
そこで筆者に対して
あなたはこっち側かそっち側か
あそこで
僕は柿田さんと違いますよって言ったらこっち側になるんですよね
ここでどう反応したか
明言はそんななかったと思うんですけど
もし
ここであるいは積極的に
柿田さんの悪口を言うと
完全にこっち側になるという
結構寒いというか
162ページ3ページですね
そこで柿田さんと一緒に
からかわれたことに対して
著者は明らかに僕を分別しようとしていると
しかもそれが他のメンバーの前で言われていることで
自分と柿田さんを笑う
他のメンバーと自分たちっていうところに
分断を
1:15:02
はっきりさせているんだみたいなところを書き方を
されてますけど実はそうじゃなくて
お前は本当はどっち側なんだっていうことを
そこで問われているっていう
それすごいリアルですよね
僕も
覚えがある気がします
こういう試し行動をされた
それは
本当に労働の現場だけじゃなくて
小学校とかの頃にも
あると思うんですよ
クラスの中でイケてるグループのやつから
普段僕が一緒にお昼ご飯食べている
少しオタクっぽい子たちの一人の悪口を
クラスでそいつがいないときに
オタクっぽいよなみたいなところで
僕に話を振ってくるみたいな
そこで僕がどう答えるかで
そのクラスの中での僕の立ち位置が決まっちゃうみたいな
そういうのって確かにあったなというか
じゃあお前はどっちにジャンプしてくるんだっていう
本当に排除と考説の
瞬間みたいなものっていうのは
確かにそういうものかもしれないという感じがしますね
もう晒し者になるんですよね
そうですね
それはリアルというか
かなりシビアな世界ですね
すごくシビアな世界です本当に
やっぱり半ばの特殊性というか
それこそさっきもたった10日ぐらいいただけで
すでに何か感動的な交流が
なされるとかもそうなんですけど
ある意味小学校だったら6年間とか
会社だったらもう少し長かったり短かったりする時間の中で
ある意味ゆっくりと進行していく
そういう内と外の区別の
され方みたいなものが
すごい濃縮されて
圧縮されて起きていく場所なんだなという感じは
ありますね
そうですね
なかなかそれは特殊な現場だともいえるしという話なんですね
そうですね
面白いな
面白いです本当に面白い試し読みもあるんですね
初めて知りました
知的エスノグラフィーの
一番初めのところから読めるんですね
朝早く起きて土屋街に行って
遅かったからトラックなんもないみたいな
17ページも読めますね
ぜひまずそれを試し読みで
読んでみて
それからぜひ
読んでほしいですね
ご購入を検討ください
1:18:02
たぶんそれこそ労働の中の怠けの役割
っていう論文自体は
PDFでGoogleで検索すれば
出てくるはずなので
僕が見た2年くらい前だと出てきてたので
もしかしたら
ちょっと論文口調で固くなっているかもしれないけれども
もしかしたらそういうエッセンスだけだったら
そういうとこでも読めたりするかな
そうですね
読めると思いますよね
そのあたりを見つついいなと思ったら
ぜひ1冊の本のパッケージとしてかなり
完成度が高いというか
かなり考えられている本だと思うので
すごいね
本棚に飾ってもきっとかっこいいでしょう
この想定もかっこいいんですよね
ラクオック出版さんのホームページとか見てると
結構他の本もある意味一目で
ここの本だってわかるような
雰囲気があって
なのに
想定はラクオック出版編集って自社でやってるっぽい
なるほど
たぶん文字組みとか中の
付け方とかのルールも割と多分独自で
決め込んでやってる感じは
他の本も見てると思うので
そうですね
ここの本多分
全部面白そうなんですよね
この本でいうと最近じゃない
去年か2年前ぐらいに読んだのは
二を引く獣たち
砂浦テイラーって人も確か
人の本を読んでかなり面白かった記憶があります
ちょっと
砂浦テイラーさん
これですね
いわゆる障害者として長年生きてきた著者が
障害者の表彰
表現される方法っていうのはかなり動物に近い
っていうところから
人間とは一体何なんだという話を
人間は何だと思ってこの世界を回ってるのか
っていうところからかなり
私結構怒りとか案があって
いろんなものがふんとする本がすごく好きで
この本はすごくそういう意味では好きな本でした
いいですね
結構この目次のあり方とか
第2部のタイトルとか見てると
結構強いこと
きついです結構
書き方はかなりきついんですよ
叩きつけるような書き方
本なので
それは元気があるとき
1:21:04
僕はずいぶん前ですけど
ホームページ上だと2006年に出たのかな
何も共有していない者たちの共同体
っていう本が
タイトルがめっちゃいいなって思って
10年くらい気になってるんですけど
なんでいよいよ買おうかなって
この機械
あがり薄そうですね
確かにボリュームがそんなに
すごい面白いです
連帯ってものの不可能性じゃないですけど
何か共通項で
ワンイシューでまとまっていくのにかなり限界を感じる
みたいなのはずいぶん
長い間自分の中で感じているところなので
このタイトルに
ものすごい惹かれるものがあって
これ元気ないと読めないタイプの本ですね
目次見てみると結構気合がいるというか
紹介文から結構
強いので
強いですね
全部面白そうなんだけれども
かなり
カロリーが高い
でもちょっと
言いましょう
こう見ていくと面白いですね
大体1年に1冊ぐらいのペース
結構なテンポ
こう見ていくと
コーヒー飲み
2014年の観光のコーヒー飲みが
異彩を放っています
コーヒー飲み
コーヒー文化ショー
こちらによる奮闘期すごいですね
コーヒー文化の妙味を初夏に紹介する
フランコ体制かストロー体制になってすぐ
コーヒー文化ですね
レズビアンスとアイデンティティーズ
すごいですね楽さが
この振り幅は面白いですね
分厚さを感じますね
出版社で追っていくのがかなり
良さそうなラインナップですね
出版社で言うと私は空き書房にばっかり
お金を払ってる気がしますね
空き書房は何やってたかな
感覚のエデンですか
感覚のエデンは空き書房です
本の話すると宣伝ばっかりしちゃうので
やめます
ぜひ読んでくださいしかないんですけど基本
気づいたらここの本ばっかり
そうありますよね
1:24:00
販売については
感想というか意見としては
僕も結構今語り尽くせたかなと
思います
じゃあ一旦録音としては
ここまでにしておこうかと
思います
問題なく公開できそうな
本当に楽屋出版さんの中の
語られている方であるとか
また鍋さんに届くと良いなと
本当に届いてほしいですね
それこそ僕この前
双子のライオンドさんがやられている
渋谷のラジオに出させていただいて
そこでちょろっと今読んでいる本
ちょうど今日のこのために読んでいたので
紹介したのが渡辺さんに届いて
すごい嬉しかったので
より一層がっつり喋っているのがあるぞ
というところで
約1時間半がっつり喋ってますよ
届くと嬉しいなと
本当に嬉しいですね
というところで
一旦ここまでにしたいと思います
三上 森町さぶろうでした
どうもありがとうございました