ダニエル・カーネマンの人生と業績
つい最近、2024年3月27日に、心理学者のダニエル・カーネマンが90歳で亡くなりました。
有名な学者ですから、知っている人も多いと思いますが、カーネマンは、エイモス・トベルスキーと共に行動経済学の基礎を築いた人物で、2002年にノーベル経済学賞を受賞しています。
伝統的な経済学では、人間は合理的な行動をとるという前提でものを考えるんですけれども、実際には、人間は場合によっては非合理な行動をすることがあって、そういった人間の性質を明らかにしていって、こういう心理学の理論を経済学と統合したという人です。
カーネマンが明らかにしたものとして、有名なものとして、例えば、損失回避の原則というのがあります。
これは、人間は損失を避けるために同等の利益を得ることよりも多くの努力をするというものです。
つまり、損失を受けるということに対して非常に強い嫌悪感を人間は持っていて、リスクを避ける行動をとりがちということなんです。
具体的には、ギャンブルとか投資みたいな状況で選択肢があるとします。
一方は、100万円が無条件に手に入るというもので、もう一方はコインを投げて表なら200万円、裏だったら0円という、そういうケースです。
こういう場合に、期待値はどちらの選択肢も100万円ですから、どちらでもいいというのが合理的な考えです。
でも実際は、ほとんどの人は100万円無条件でもらえる方を選びます。僕も選ぶのであればそうです。
これは、確実に100万円手に入るという利益があるときに、それが得られないというリスクを回避するという性質が人間にはあるからというわけなんです。
他にもこんなふうに、はっとするようなことをたくさん明らかにしている人なんですけれども、僕が特に印象に残っているものとして、お金と幸せとの関係に関する研究があります。
お金で幸せは買えるのか、収入が増えれば幸せになれるのかというのは、よくある問いなわけなんですけれども、単に抽象的なことではなくて、どんな生き方をするかにとって重要な問題なわけなんです。
カーネマンは同じくノーベル賞受賞者であるアンガス・ディートンと大規模な調査を行って、この点を解析した研究を2010年に発表しています。
お金と幸福の関係に関する研究
その結果では、年収75,000ドルくらいまでは年収が増えれば増えるほど幸福度も増えるんだけど、そこで頭打ちになって、75,000ドルよりも年収が増えても、そこから先は幸福度は増えないということでした。
この75,000ドルというのが日本円でいくらくらいかというと、10年以上前の研究ですし、物価との兼ね合いもあるので、はっきりとは言えないんですけれども、金持ちではないけど平均よりは上で、普通にしていれば生活にそんなに困ることはないというぐらいの年収で、
日本だったら500万円と1000万円の間のどこかだと思います。
もちろん地域とかにもよるんですけれども、生活に困るくらいの年収だとやっぱり幸福度は低くて、平均以下の年収であればお金が増えるにつれて幸福も増えていくわけなんですけれども、
日々お金に困らないくらいのお金があれば、その先は身につけている服の値段とか車の大きさが変わったとしても、幸福度は変わらないということを示していたわけなんです。
でも、2021年にペンシルバニア大学のシニアフェロー、マシュ・キリングワースによって、カーネマント・ディートンの論文と異なった結論の論文が発表されます。
同じように大規模な調査を行って、年収と幸福度の関係を調べたんですけど、キリングワースの論文では、一貫して年収とともに幸福度が上昇しているということを示していました。
つまり、7万5千ドル以下の部分は同じなんですけど、この研究はカーネマント・ディートンの主要な結論である、7万5千ドル以上ではもう幸福度は増えないというところが違っていて、ノーベル賞受賞者2人の論文を真っ向から否定する論文をキリングワースは発表していたわけです。
この論文のタイトルもその点を意識したもので、収入で幸福度は上昇する、7万5千ドルを超えても、というものでした。
今日はこの対立の結末について話していきます。
ホットサイエンティストへようこそ、サトシです。
さて、もう少しカーネマント・キリングワースの発見について詳しく見ていきます。
カーネマント・ディートンの2010年の論文ですが、年収7万5千ドルまでは年収の増加とともに幸福度も上昇するということでした。
ちなみに年収と幸福度が単純に比例しているわけではなくて、年収の対数、ログを取ったものと幸福度が比例しているということでした。
だから年収が1万ドルから2万ドルになった時の幸福度の上昇分と、2万ドルから4万ドルになった時の上昇分が同じであるということなんです。
でも、7万5千ドルを超えるともう幸福度は増えないというのがカーネマントの結果で、
2021年のキリングワースの結果では、7万5千ドルを超えても年収のログを取ったものと幸福度は比例し続けるということだったんです。
だから、カーネマントキリングワースの論文は同じような調査をしているんだけど、違った結論に到達していたわけです。
こういうふうに意見、立場の相違がある場合には、お互いを批判しあって無視するとか、そういうことになりがちではないかと思うんですけど、
この件に関しては決着をつけるために、敵対的共同研究という手法が取られました。
つまり、対立する立場の人が協力をして、公平に科学的に争点を検証しようということです。
このために、カーネマントキリングワース、そして朝廷社としてペンシルベニア大学のバーバラ・メラーズが参加して、2つの研究の検証が行われ、この結果が2023年3月のアメリカアカデミー企業PNASに発表されています。
まず、両者が合意したのは、2010年のカーネマンディートンの論文も、2021年のキリングワースの論文も、研究法には問題がなく、いずれの研究もちゃんとした研究であるという点です。
カーネマンディートンの論文では、年収とともに幸福度が上昇しているけど、年収7万5千ドルになると、幸福度が頭打ちになるということでした。
この頭打ちの効果というのも、十分にはっきりとしたものであるということも、両者は同意しています。
でも、キリングワースの論文の方では、この頭打ちが見られないわけなんです。
ということは、何か研究の条件に違いがあって、この頭打ちの効果がキリングワースの方では見えなくなっているという可能性が考えられるわけで、それを探してみるということになりました。
条件の違いなんですけど、キリングワースの方がより感度の良い幸福度の調べ方をしているということだったんです。
その解説記事なんかを読むと書いてあったのが、キリングワースの方はちゃんと幸福度が調べられているんですけれども、
カーネマンの方は確かに幸福度を調べているんだけれども、幸福度が頭打ちになりやすい調べ方をしていて、結果としては不幸ではない度合いを調べているようなテストだったということなんです。
ちょっと意味が分かりにくいと思うんですけれども、キリングワースが認知機能テストに例えていました。
その認知症かどうかを調べるためのテストでは、健康な人はほとんどみんな満点を取って、認知症の人だけが悪い点を取るようなテストが行われるんですね。
だから認知機能のテストだから、認知機能の高さを判別するのかと思うかもしれないんですけれども、実際は認知機能が悪いことを検出するテストになっているわけです。
こういった場合は、それが目的だからこれでいいんですけれども、同じようにカーネマンの論文のテストでは、不幸な人を見つけるようなテストになっていた面があるかもしれないということだったわけです。
カーネマンの論文の結論というのは、年収が増えると幸福度が増えるけど、年収7万5千ドル以上ではもう増えないということだったんですけど、
もしこのテストが不幸な人を測っているんであれば、結論が変わってくるんですね。
だから年収が増えると不幸な人は減っていくんだけど、年収7万5千ドル以上ではもう減らないっていう、こういうものになります。
つまり、お金があっても変わらないでずっと不幸なままっていう人が少しいるっていう意味合いになってくるわけです。
これを踏まえて、キリングワースの論文のデータをもう一度詳しく見ていきました。
具体的には、データの中で幸福度が下から20%の人だけ、つまり不幸な人だけを見ていったんです。
そうすると、不幸な人のデータでは、ある年収以上になると幸福度の上昇が見られなかったんです。
つまり、不幸な人はある年収を超えるともう幸せにならないっていうことです。
ちなみにこの年収っていうのが10万ドルだったんですね。
カーネマンの研究と結果の整合性
カーネマンの研究が行われた2010年から、キリングワースの2021年までの物価の上昇を考えると、カーネマンの7万5千ドルっていうのと同じような金額であるということです。
さらに、不幸ではない人ではどうだったかっていうのも見ていってます。
中程度の幸福度の人では、その10万ドルを超えても、それ以下と同じように幸福度が上昇していました。
さらに、幸福度が上位の人では、10万ドルを超えると、そこまでよりもさらに幸福度が上昇していくっていうことも示しています。
すべてを平均すると、特に境目なしに一貫して、年収とともに幸福度が上昇するというわけなんです。
というわけで、カーネマンの論文では幸福度の低い人だけを検出するような調査になっていて、キリングワースのデータを不幸せな人だけ抽出して調べたら同じ結果だったというわけで、
結果の整合性は取れたということです。
だから今回の解析を踏まえた新たな結論はこんな感じです。
幸せな人ではどこまでもお金で幸せが買えるけど、不幸な人がお金で幸せを買えるのはある程度の年収までであると。
そういうことです。
ただそういうと、多くの人には幸せになるためには年収を追い求め続けるべきっていう風に聞こえるので、補足をさせてください。
まず今回の研究は2つの矛盾する研究があって、それを説明できる理屈を探したっていうものなので、無理やりな結論を出しやすい状況と言えると感じます。
それからもう一個重要な点ですが、元々の2つの研究の結論っていうのはそんなには違わないと思うんです。
キリングワースの研究ですが、年収が増えると平均として幸福度も増えるんですけど、年収の対数、年収のログを取ったものと幸福度が比例しているんです。
共同研究と研究者の背景
年収300万円の人が600万円になったときに幸福度が増えるけど、それと同じだけ幸福度をさらに増やすためには、次は1200万円まで上げないといけないわけですね。
つまり100万円年収が上がったときにどれだけ幸福度が増えるかについては、年収が増えるごとに減っていくわけです。
自分で経営をしている人とかはわからないですけど、少なくとも会社なんかに雇用されている人は年収ってそんな倍々に増えていくものではないわけで、
お金で買える幸せの量っていうのは年収が増えるごとに減っていくっていうことなんです。
というか、同じだけの幸福度を増やすための金額っていうのがどんどん増えていくんで、それだけの金額を稼ぐのがどんどん難しくなっていくわけです。
だから、キリングワースの研究もカーネマンの研究も、現実的には年収が増えることによってだんだんお金で買える幸福が減っていくっていう結論だと思うんですね。
なので、今回の研究も単純に年収が増えればいつまでも幸せが増えるっていうことを言ってるわけではなくて、やっぱりある程度を超えるとお金で幸せを買うのは難しくなるよということのようです。
それからもう一個注目すべき点があるんですね。
今回の研究では矛盾する結果を発表した首長の異なる2人の学者が共同研究を行っています。
私自身この分野の常識を知らないですし、誰が主導でこの研究を行ったかわからないので何とも言えないんですけど、
普通でも立場が違う人と共同研究をするっていうのはやりにくいし、プライドがかかって感情的になりやすいと思うんです。
個人的な見解ですけど、特にカーネマンはノーベル賞受賞者っていう権威のある立場なので、キリングワースの研究を無視することも十分できたと思うんですね。
でも共同研究をして自分の研究の弱かった部分を含めて発表しているわけです。
その行動経済学の知識とされるもので、カーネマン自身が広めたものの中にも後に否定されているものとか、そんなには大きな効果がないとされているものが結構あるそうなんです。
そういった考えを広めたことを反省していたという話もあって、今回の研究も有名になった自身の過去の研究に問題があったかを確認したということです。
この研究が行われた時にカーネマンはすでに80代後半で、結果としてもう死の直前だったわけです。
でも自分の名声のためでなくて、むしろその反対になっても真実の追求のために労を惜しまないというのは立派だと思います。
いやむしろ逆で、お金も名声も手に入れて、もう成果が必要なくなった後でも、まだそうやってただそれだけのためにやりたいと思える仕事があるなんて幸福な人生だったんだなって思いました。
じゃあ今日はこれで終わりにしたいと思います。最後までお付き合いいただいてありがとうございました。