喋ってるお前は誰なんだよ問題について
こんにちは、こんばんは、otsuneです。 今日は、ポッドキャストをよく聞いている俺がいつも思っている、
そもそもこの番組で喋ってるお前は誰なんだよ問題について話してみたいと思います。 地上波AMラジオで芸人さんやミュージシャンが新番組、
ラジオの番組とかを始めるとき、 例えば、ざっくりと松竹芸能の誰々ですとか、
歌手の何々ですっていうふうに短い自己紹介でトークを始めるっていうスタートが大半だと思うんですけど、
あれは名刺を持ち歩かないで顔を見たら誰なのかすぐわかるっていう有名人とか芸能人の文化であって、
僕とかを含む素人のポッドキャストとかネットラジオで話しても、聞いているリスナー側としてはちょっと掴みどころがないんじゃないかなって思ってるんですよね。
それに有名な芸人さんであっても、放送回数が進んでいくうちにだんだんフリートークで子供の頃の話とか、
この職業を選んだきっかけっていう身の上話をいずれするようになって、
それで喋っている人の人間像が立体的に伝わって浮かび上がって、より親近感が出てくるようなっていう現象があるんですよね。
インタビューは吉田豪さんが有名人とよく対談して、本を書いたりとか、もしくはテレビとかに発表したりするんですけど、
普通のインタビュアーの人とはあまり語られないちょっと際どい話を聞き出したりとかしていて、かなり面白いんですよね。
リスナーというか読者の立場からすると、そういう立体的な人間の話を知りたいなっていう需要は結構大きいんじゃないかな。
僕もそうですけど、別に芸能人でもなんでもない素人のポッドキャストや配信こそ身の上話っていうのは省略しないで、
割と大きく長めにやったほうがいいんじゃないかなと思っています。
でも最近のVTuberとかアバターを使ったライバーさんみたいな配信者の文化圏だと、
例えば設定で愛の妖精とか、来栖川エレクトロニクスのメイドロボですみたいなキャラクターのロールプレイをしたいっていう、
人間の身バレをせずに暇つぶし雑談をしゃべりを視聴者としたいよっていう風習もあるので、
身の上話をしないっていう風習にもある程度メリットとか理由があったりするとは思うので、
どっちかっていうと自由に選択する話かなと思いますね。
パソコン少年時代の話
早速ですが、まず自分のことからお前は誰なんだよの身の上話を始めてみます。
私は1971年生まれて神奈川県横浜市神奈川区に生まれて、しばらく横浜で育ったんですけど、
6歳の時に親が横須賀市にマイホームを購入して、そこから横須賀市に引っ越しをしたんですね。
父親は犬のマークの音響機器メーカーに勤務してて、スピーカー事業部でエンジニアをしていたんで、
家には親父の工具とかジャンクパーツ、抵抗とかね、いろいろなボリュームやら、電線やら何やらっていうのがたくさん転がっていて、
あとは本棚に講談社ブルーバックスがあったりとか、日経サイエンスって科学雑誌、当時日経っていう雑誌名じゃなくてただのサイエンスっていう名前でしたけど、
それの定期講読をしたり、あと学研の図鑑でいうとか、「宇宙」とか「放送と通信」みたいな学研の図鑑を買ってもらったりとか、
そんな割と工作系とか科学が興味を持ってる、そんな子供時代だったんですよね。
1981年頃、80年かな、9歳10歳ぐらいの頃に、日本電機NECのPC-8001っていう、今で言うパソコン、当時はマイコンピューターって言ってますけど、
パソコンを父親が買ってきたんですよね。16万8千円ぐらい、1981年の円の価値で16万8千円だと、そこそこインフレ率を考えると高額な商品だと思うんですけど、
それを買ってきて、自宅にマイコンを遊ぶっていうことができるようになったんですよね。
PC-8001にはN-BASICっていうマイクロソフトが作ったベーシック言語っていうものが入り込んでいて、
それをμPD780っていうNECのZ-80互換CPUが積んであったんですよね。
だから主にベーシック言語とZ-80の機械語でプログラミングをする。
それも月刊ASCIIとか月刊I/Oっていう雑誌が、今でもどっちもまだ発売されてますけど、
それを当時、月500円ぐらいでしたね、1冊。
それを買って、そこに掲載されていたPC-8001用のゲームみたいなものがあったら、
必死にダンプリストって言うんですけど、リストが載ってて、それをカチャカチャカチャカチャ、写経のように入力して、
それで一通り遊んでみた後、ちょっと気に食わないところがあったら改造してみたりとか、
もうちょっとここを、例えばインベーダーゲームみたいなゲームがあったとしたら、
自分の残機が3になっているところを10にしてみたり、みたいなことを数値を書き換えて改造して遊んでたりしたんですよね。
当時、8ビットのパソコンがいろいろな機種出てて、
例えば富士通だったら、FM-8っていうパソコンがNECとライバル状態になってて、
日立とかもFP1000とかを出してたかな、FP1100とか、
いろんな機種がそれぞれ、家電メーカーとか、CASIOとかも出してたりとか、
いろんなメーカーがいろんなパソコンを出してたんですよね。
FM-8は6809っていう、CPU、MPUって呼んでましたけど、
それの機械語がZ-80とは全く違ってて、間接アドレッシングモードっていうものが充実してて、
すごい直交性に優れてて、設計の筋が良いなとかっていう思いがありますね。
僕は小学生だったので、学校の授業中にノートの代わりに方眼紙を出して、
鉛筆の手書きでZ-80の機械語とかをしこしこ書いて、
手書きでプログラミングをしてたんですね。
それをある程度書けたら、それを家に持って帰って放課後に帰宅したら、
すぐPC-8001を立ち上げて、ノートに自分が鉛筆でプログラミングしたコードを入力して遊ぶっていう、
そんなパソコン少年だったんですよね。
1985年ぐらいは中学生ぐらいになった時の話になるうちにいますけど、
そんなマイコン少年というかパソコン少年だった。
学年に当時はパソコンが家にあるっていうようなのが、
1クラス50人×6クラスが300人ぐらいいるとしたら、
3人か4人ぐらい家にパソコンがありますよっていうぐらいの珍しい趣味だったんですよね。
その中の一人に大河内君という同じ学年のクラスメイトがいて、
何やら大河内君のお父さんはプログラマーをやってると。
家にApple ][とMacintoshがあるよと。
興味があるなら見に来たらって誘ってくれたんですよね。
当時家にパソコンがあるパソコン少年っていうだけで同じ共通の趣味を持ってる。
1組の大河内君は家にパソコンがあるらしいよみたいな口づてで、
それがみんなが知るっていうような状況だったんで、
俺は家にNECのPC-8001があってパソコン好きだよとか言うと、
じゃあApple ][とマッキントッシュ見に来なよというわけで、
飛んでいったんですね。
当時月刊ASCIIっていう雑誌を読んでたんで、
マッキントッシュっていうものがApple社から発売されましたと。
GUIというグラフィックユーザーインターフェース。
マッキントッシュとApple IIc
今はアイコンとかマウスとかゴミ箱とかそういうのGUIが当たり前だった。
そのGUIっていうインターフェースをLisaとかっていうのが前にはあったんですけど、
その次にマッキントッシュっていうものを作りましたよ。
Appleがっていう記事を読んでたんですよね。
そういうことがあるってことは知識では知ってたんだけど、
当然肉眼で本物のMacを見たことはなかったんで、
横須賀市って東京都内ならともかく神奈川県の超郊外のところで、
マッキントッシュがそんな近所にあるんだ、
じゃあすっ飛んで見に行こうって見に行ったんですよ。
その大河内くんのお父さんっていうのは、
後々わかったことですけど、
SweetJamっていう当時の初代MacOSを日本語対応させるっていうシステムを作ってた人だったんですよね。
マッキントッシュ初代とかMac512Kみたいなバージョン2というか2代目マッキントッシュみたいな。
英語しか使えなかったっていう時代が結構長かったらしいですよね。
今みたいに日本語対応とか日本語の漢字が表示できるっていうようなシステムがなかったんで、
JIS第一水準漢字とか第二水準漢字、ShiftJISとか色々ありますけど、
そんなものをソフトウェア的に表示するみたいなシステムを作ってたお父さんだったんですよね。
そのお父さんがMacのいろいろな説明とかをしてくれたりだとか、
GUIってダブルクリックしてて、当時MacPaintとかでひたすらいたずら書きをして、
マウスとかって面白いなみたいな使い方はしてなかったんですけど、
パソコン少年、何人かで見学しに行ったんだけど、
じゃあよかったらApple //cっていうポータブルApple ][っていうね、
持ち運びができるApple ][のコンパクト版って言われる白いやつがあったので、
これをしばらく貸してあげるよ。
2人、鈴木君と俺とで交互に1週間ずつ交互にApple //cをテレコで借りようっていうことになって、
Apple ][を借りて家に持って帰ったんですよね。
さすがにApple //cだけがあっても何かできることっていうのが限られちゃうので、
どうしようかなと思ったら、当時の自分のお小遣いで、
Ultima 4っていう、今はUltima OnlineっていうMMORPGか、
あれのご先祖様でUltima 4っていうApple ][用のゲームだったんですけども、
それのUltima 4 Quest of the AvatarっていうRPGのゲームソフトだったんで、
それを自分の自腹のお小遣いで買って、借りてきたApple //cで遊んでた。
その当時のパソコンはPC-8001もそうだったんですけども、
ゲーム体験とRPGの流行
結構、ホビーパソコンとかホビーマイコンっていうのは、
テレビに接続して使うことを想定してたんですよね。
パソコン専用RGBモニターって、今は液晶モニターが下手すると、
2万円とか1万9000円とかそんなぐらいで買えたりするんですけど、
当時、1985年ぐらい、今みたいに安価には買えなくて、
16万とか20万ぐらいするパソコン本体と同じか、
それ以上の値段をしたんですよね。
当然、Apple //c用のRGBモニターなんてものは高くて買えないしないから、
粗大ごみで拾ってきたテレビにApple ][を繋いだり、
もしくはPC-8001で使っていたグリーンモニターって言われる、
色は出ないんだけれども、緑色だけでグレースケールみたいな階調が出る、
あれのモニターに繋いでUltima IVを遊んでましたよね。
そんなこんなで、例えば月刊ASCIIとか、
それの派生雑誌のちょっとポップなお気軽なパソコン雑誌である、
月刊LOGiNみたいなものがアスキーから出るようになったんですけど、
そこでテーブルトークRPG、もしくはロールプレイングゲームですよね。
RPGの特集とかをやっていて、
今まで普通のシューティングゲームとか、ウォーシミュレーションゲームとか、
アドベンチャーゲームみたいなものが謎解きゲームみたいなものですよね。
たくさんあったんだけども、新しいジャンルのゲームが最近流行ってると。
それがWizardryっていうRPGゲームですね。
Wizardryであったり、Ultimaであったりっていうのが今アメリカでものすごい大ブームになってるんで、
これっていうのは面白いから、日本のゲーマーもパソコン少年も、
遊んだほうがいいよって。
でもApple ][を持っているパソコン少年なんて限られていたし、
英語がわからないと遊べないからっていうんで、
PC-88とかPC-98用に日本のゲーム製作会社がある種システムというか、
パクって夢幻の心臓みたいなRPGゲーム、和製RPGって言われてますけど、
そういうものを作っていたっていう時代がありましたよね。
この辺りでちょっと、もう16分経っちゃうんで、
身の上話はパート1ということにして、この続きはまた今度にいたします。
それでは。