広島での被害
スピーカー 1
毎日があの日。毎日が8月6日。
始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
8月6日だから原爆かな?
スピーカー 1
そう、今日は原爆をやりたいと思います。
スピーカー 2
いいね。なんかもう多分こういうさ、
おときんのやっぱり歴史を語る上でさ、
外せないテーマではあると思うから、近代史っていう側面で見たときに。
スピーカー 1
そうだね。ただ今までね、これ今おときんやって3年目だけど、
今回広島・長崎の原爆のことなんだけど、
ここは触れてなかったからね、今まで。
スピーカー 2
まあそうだね、原爆のその10日っていうところに関してはあんま触れなかったね。
スピーカー 1
そう、今回はね、ちょっと一つのテーマとしては大きすぎるんで、
原爆の中のその人的被害っていうところに絞ってちょっと話したいと思います。
あ、で、冒頭のね、言葉はね、
埼玉敏子さんっていう方が、彼女ね、97歳まで生きたんだけども、
晩年ね、病院のベッドでこう絞り出すように言ってた言葉がすごい印象的だったんで、ちょっと言ったんだけど、
彼女はね、あの広島出身で、原爆によって母親とかお兄さんとか親族13人を亡くしてるんだよね。
そうそう、で、戦後広島市に原爆供養棟が建てられて、
彼女はそこでね、毎日通い続けて掃除をして、
またあの原爆供養棟内にある約7万って言われる身元不明の犠牲者の遺骨を、
ご遺族の元へ返そうと探し続けるっていう活動もしてた人なんでね。
そうそう、まあちょっとそんな言葉を紹介して本題に移りたいと思います。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
あ、でもしね、ちょっと今回当時の人の証言を織り混ぜながら話すんで、
気分が悪くなったりとか、あの辛くなったらちょっと無理して聞かなくてもいいので。
スピーカー 2
いや、聞きましょう。そういう証言だからこそ、ちゃんと聞いて後世に残すことが価値があると思うんで。
スピーカー 1
まああの、お任せします。
はい。
1945年8月6日に広島、で、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされたんだよね。
スピーカー 3
うん。
そう、で、これは歴史上初めて原爆が戦争で使われた日でもあるんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、亡くなった人の数っていうのは、1945年末時点で広島で約14万人、
スピーカー 3
長崎で約7万人っていう風に言われてるんだけど、
うん。
スピーカー 1
ただね、これ実際のところ、現在でも原爆によって亡くなった人の数については、正確にはわかってないのが実情なんだよね。
スピーカー 2
うん、そうだね。
スピーカー 1
そうそう、それほど亡くなった人の数が把握できないほど大きな被害だったとも言えるんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、ここからの説明はね、広島であったことをちょっと中心に話したいと思います。
うん。
で、8月6日午前8時15分に、米軍機が広島の上空高度9600mから原子爆弾を投下したんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、地上から600m付近上空で爆破して、で、その様子はね、ピカドンって言われたりするんだけど、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
白い閃光がピカッと走って、ドーンと強烈な地響きと爆風が広島市を襲ったんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、まずちょっと爆風からなんだけど、爆発点は数十万気圧っていう超高気圧になって、
スピーカー 3
周りの空気が急激に膨張して、衝撃波がまず発生するんだよね。
うん。
で、その後って強烈な爆風が吹き抜けたんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、爆心地から100m地点での爆風っていうのは、秒速ね、約280mに達したっていう風に考えられてるの。
スピーカー 3
うん。
これ、台風とかでさ、秒速20mでも人は立っていられないような状況だから、
うん。
このね、秒速約280mっていうのが、いかにすごい数字かっていうことなんだよね。
うん。
スピーカー 1
そうそう。で、この爆風によって人々は、もう吹き飛ばされて即死または負傷して、
スピーカー 3
倒壊した建物の下敷きになって、圧死した人も多くいたんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、爆心地500m圏内では、爆風によって大半の建築物は一瞬のうちに破壊されて、
木造建築は、そのすべてが全壊してる。
スピーカー 3
うん。
原爆の威力と被害の拡大
スピーカー 3
そう。で、次に熱線って言われるものなんだけど、
うん。
爆心地周辺の地上の表面温度は、約ね、3000から4000℃にも達したって言われてるの。
うん。
スピーカー 1
これはね、鉄が溶ける温度が約1500℃だから、異常なほどの高温だったってことがわかるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、爆心地から半径2km以内の地域のオークが消失して、
スピーカー 3
焼け跡は異常な高熱によって溶けて、まるでね、溶岩のようだったっていう風に言われてるの。
うん。
スピーカー 1
で、この熱線によって焼かれた人々は、重度の火傷を負って、多くの人がこれも亡くなってるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
そう。で、このようなね、原爆の破壊力によって、
スピーカー 3
爆心地1.2kmでは、その日のうちにほぼ半分の人が亡くなってるんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、それよりも爆心地に近い地域では、80から100%の人が亡くなったとされてる。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、ちょっとね、ここで原爆が落とされた直後のね、実際の目撃証言を話したいんだけども、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
彼は被害に遭った人々を見てね、こういう風に表現をしてるんだけど、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
それは人間ではなかった。
人間の形はしていたが、全体が真っ黒で、裸の胸から腰から無数のボロ切れが垂れ下がり、
手先から黒い水が滴り落ちているっていう風に言ってるんだけど、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
このボロ切れって思っていたものは、人間の皮膚なんだよね。
スピーカー 3
うんうん。
で、この黒い水っていうのは血液のことで、
うん。
もうこんな状況になってるってことで、
うん。
スピーカー 1
で、あとね、異様に大きな頭、膨れ上がった両目、顔半分まで腫れ上がった上下の唇、
焼けただれた頭に一筋の毛髪もない、火の中を這うように赤く焼けた肉体がうごめいているっていうような証言もあったりするの。
スピーカー 3
うん。
これ、ほんの一部分のね、描写をちょっと抜き取ったんだけども、これだけでも壮絶なね、状況がわかるかなと思うんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、広島に原爆を落とした直後に、当時ね、アメリカ大統領のハリー・トルーマンが世界に向けて声明を出してるんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、彼はね、この中で、この爆弾にはトリニトロトルエン2万トンよりもさらに強力であるっていう風に伝えてるの。
うん。
スピーカー 1
このね、トリニトロトルエンっていうのは化学物質で、火薬の主成分に使われるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、さらにね、彼は続けて言ったんだけど、戦死状最大の爆弾であるイギリスのグランドスラムの2000倍以上の爆破力と発表してるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
このね、グランドスラムっていうのは、1944年にイギリス空軍が使用した超大型爆弾で、それまで世界で最大とされていた爆弾だったんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、このグランドスラムの2000倍以上の爆破力っていう、まあとんでもない数字なんだけど、
スピーカー 3
うん。
で、この声明ではさ、こういったように爆弾の威力のみが強調された内容になってるんだよね。
うんうん。
スピーカー 1
だけど、この原子爆弾っていうのは、ただの破壊力の大きい爆弾っていうものではないんだよね。
スピーカー 3
うん。
ちょっとそれについてはね、実際のエピソードに触れながら話していこうと思います。
原爆の人体への影響
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
まずちょっと一つ目がね、広島で数少ない現場で治療に当たった医師のね、実際の証言なんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
これはね、広島に原爆が落とされる3日前に結婚した夫婦がいて、
うん。
旦那はね、広島に配属されてる兵士だった。
うん。
で、原爆が落とされた日、出勤途中で夫婦は別々だったんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
そう。で、午前8時15分に突然原爆が落とされて、
2人ともね、かなりの火傷と外傷を負って、
スピーカー 3
偶然にも同じ小学校の校庭まで逃げてきて、そこで2人は横たわってた。
うん。
スピーカー 1
ただ、あまりに変わり果てた2人の要望にお互い気づかずに数日が過ぎて、
スピーカー 3
少しずつこう動けるようになった時に、声でお互いが初めて気づいたんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、こうして2人は無事の再会を喜んで、
スピーカー 3
このね、奇跡の再会っていうのは、周りの人にこう生きる喜びを与えた出来事として話題になったんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、そんな2人は日に日に回復していって、
スピーカー 3
ふるさとのね、熊本に帰ることにしたんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、8月末頃にお世話になったね、医師の方に別れの挨拶をしに行ったんだよね。
スピーカー 3
うんうん。
スピーカー 1
で、その時に夫の方が突然うずくまって血を吐いたんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、病院に運ばれて翌朝必死にすがる夫人の目からも血の涙が出てきたんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、髪の毛が抜け始めて、2人の夫婦はその翌日に亡くなってる。
うん。
っていうエピソードと、もう一つね、ある若い兵士なんだけども、
うん。
スピーカー 1
この人はね、激しい火傷はあったんだけども、命に危険があるものではなかった。
うん。
で、周りにね、冗談を言うほど元気になってきたんだけども、
ある日全身に汗をかいて発熱して、げっそりとね、頬もこけて、腰体が悪化していったんだよね。
スピーカー 3
うんうん。
で、顔から胸部にかけて皮膚にね、無数の紫色の反転ができてきた。
うん。
スピーカー 1
そう。で、しばらくして肛門から出血をして、そればかりでなく目尻、鼻、口内からも血が吹き出してきたんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、髪の毛はごそっと抜け落ちて、血の海の中、彼は亡くなったっていうのがある。
うん。
で、この2つのエピソードは別に特別な事例じゃなくて、似たような事例はね、いくつも確認されてるんだよね。
うん。
で、これね、原子爆弾10日から1ヶ月近く経ってから急に腰体が悪化する人が出始めたんだよね。
うんうん。
この無傷だった人も含めて、ある日ね、突然亡くなる恐怖っていうのが、当初ね、これが何なのか分からなかったんだよね。
うん。
スピーカー 1
ただ、分かってきたのは、爆心地に近い人からその症状が現れて、今日はあの家までの人が亡くなった。
スピーカー 3
翌日はその家より100メートル離れた家の人が亡くなるっていう風に、それが爆心地から縁を描くように拡大していっていたんだよね。
うんうん。
で、理由が分からない人たちの中では、悪いガスを吸ったせいだとか、爆心地近くのカボチャを食べたからじゃないかっていう噂が流れたんだよね。
うん。
で、治療に当たっていた医師は、セキリのような伝染病を疑ったんだよね。
うん。
なぜなら、このほとんどの症例に共通して、血便のような症状が見られたんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、セキリは感染症で腸に炎症を起こして、激しい腹痛と血便が見られるのが特徴だったから、この症状が疑わしいと思ったんだけども、
スピーカー 3
ただ、症状は似てるんだけども、なんか違うというか疑わしかったんで、秘密裏に亡くなった人の死体解剖を行った医師もいたんだよね。
うん。
スピーカー 1
解剖の結果、セキリに見られるような腸の炎症が確認できなかったんだよね。
スピーカー 3
うん。
別の調査でも、これは大本営から依頼されて、京都大学の医学部とか理学部の教授らで、8月10日以降に行われた調査なんだけども、
うん。
3人の遺体にメスを入れて解剖が行われた。
うん。
被爆者の健康影響
スピーカー 3
すると、全身のあらゆる臓器から出血をしてたんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、赤血球、白血球、血小板といった全身の血球が著しく減少しているのを確認したんだよね。
スピーカー 3
例えば、白血球が少ないと免疫機能を失って、外敵に対して無防備な状態になるため、病原体に感染しやすいんだよね。
うん。
スピーカー 1
それと、血小板が少ないってことは、出血を止血する役割が失われてるってことなんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
さらに調べていくと、脾臓っていう臓器の部分が小さくなってた。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
脾臓は古くなった赤血球を処分したり、血液を貯蔵したりする役割とか、免疫機能とも深く関わっている部分なんだよね。
スピーカー 3
うん。
そう、こういった明らかに正常でない異変が体の中で起こってたんだよね。
うん。
で、調査によって分かってきたことは、X線の大量に照射された時の結果に類似してるってことが分かってきたんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、そしてこれが原爆によってもたらされた放射線が原因っていうことが、後々分かってくるんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、この原爆の放射線によって人体細胞を破壊して、変質させて、様々な症状が起こってた。
うん。
で、この放射線を大量に浴びた結果起こる症状を原爆症って言うんだよね。
うん。
この原爆症は原爆10日から4ヶ月より前の初期に起こった症状を急性障害って言って、
うん。
それより後、後障害って今ではこう呼ばれてるんだよね。
うん。
で、これまで話してきたエピソードとかは急性障害で、人によっては症状は多少異なるんだけど、最初は吐き気とか頭痛、下痢、発熱などこう体に違和感を感じるんだよね。
うん。
で、10日過ぎあたりに脱毛が起こって、その後歯茎が出血、皮膚に赤紫の反転ができる。
うん。
この赤紫の反転ができるってことはさ、血液が血管の外に漏れ出てるっていう状態なんだよね。
うん。
スピーカー 1
そう。で、こういったものが急性障害と言われるもので、この爆心地近くをさ、治療だったり調査にあたった医師や研究者もその後にね、残留放射線で多くが亡くなってたりするんだよね。
スピーカー 3
うん。
この残留放射線は原爆が炸裂した時に放射線が土や建物などに放射されて、その物質から出る放射線のことなんだけど、
うん。
スピーカー 1
爆心地より離れたところから救助とか復興のために訪れた人たちも、この残留放射線を浴びて原爆症を発症してるケースが多くある。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、話はね、ちょっと戦後に移るんだけど、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
日本がさ、太平洋戦争を降伏して、戦後、米軍の調査団が広島長崎の原爆地に訪れて調査を行ったんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、その指揮官のトーマス・ファレルっていう人が調査の結果を報告したんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、この人は、人的被害の大部分は爆発、被産物、火災によってもたらされたものと考えられる。
すでに広島長崎では、原爆症で死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において原爆放射能で苦しんでいるものはいないっていうふうに結論付けたんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、これはね、広島長崎の現状を見れば、どう見ても虚偽の報告なんだよね。
うん。
スピーカー 1
原爆症で苦しんでる人は当時も大勢いるし、その後の歴史が証明してるんだよね。
スピーカー 3
うん。
報道の規制と医療資料
スピーカー 1
戦後、日本は連合軍の統治下に置かれて、GHQによるプレスコードって言って言論統制が行われたんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、日本のメディアは広島や長崎についての記事を書いたりとか、放送したりってすることを禁じられて、外国のメディアも広島と長崎は立ち入り禁止地域になったんだよね。
うん。
こういったね、報道規制が全面的に解除されるのは、1952年、日本の試験が回復されてからなんだよね。
うん。
スピーカー 1
それだけでなく、日本の医師・研究者がそれまでに調査した膨大な原爆被害についての資料が、米軍によって没収されているんだよね。
スピーカー 3
うんうん。
スピーカー 1
そう。で、没収された資料は、アメリカ陸軍病理学研究所に保管されて、その間の資料がね、日本の被爆者医療に役立つってことはなかったんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
そう。で、これらの資料が日本側に返却されたのは、28年後の1973年になってからのことなんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、戦後、こういったアメリカ国民に伝えられたのっていうのは、原爆を投下した様子だったり、キノコグモの姿、広島と長崎の荒廃した風景が新聞や雑誌に発表はされてるんだよね。
うん。
そう。ただ、アメリカの人々が目にしなかったものがあって、それはさ、積み重なるように真っ黒に焼け焦げた人々だったり、髪の毛がごっそり抜け落ちて、出血が止まらず苦しみながら亡くなっていった人々だったり、何千人もの誰だか特定もできない死体を焼く姿っていうのは伝えられなかったんだよね。
うん。
で、アメリカは原爆がもたらす放射線の影響を知らなかったわけではないんだよね。
うん。
スピーカー 1
第二次世界大戦中にアメリカが行った原爆製造計画のことをマンハッタン計画って言うんだけど、この中でさ、余命数ヶ月の人に対して承諾なしに放射線被爆の人体実験も行われてるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
その結果、放射線の危険性はある程度知ってはいたんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
じゃあ、なぜアメリカは原爆の被害を正確に伝えようとしなかったのかっていうと、アメリカにとって、やっぱりこの原爆による残虐性が世界に伝えられるのが都合が悪かったんだよね。
スピーカー 3
うん。
そう。で、ただこれはね、後々あまりの被害の大きさもあって隠し通せなくなってくるんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、そんなアメリカでさえも、原爆によって数年後、数十年後も続くこの原爆による被害の影響については、もしかしたら想像できていなかったかもしれないんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
原爆の放射線の影響によって現れた後生涯についてちょっと話したいんだけど、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
生き延びられた被爆者の体調っていうのは、時の経過とともに徐々に回復していくっていうふうに思われてたんだけど、
スピーカー 3
うん。
数年たって別の症状が現れてきたんだよね。
うん。
被爆者の中には、2から3年後に白血病患者が増え始めたんだよね。
うん。
原爆の後遺症
スピーカー 3
で、爆心地から1キロ以内で被爆した人たちの間では、白血病の発症率は通常の10から50倍の高い確率であることが確認されてる。
うん。
スピーカー 1
で、白血病に続いて5年を経過したぐらいから、がんになる人が増え始めたんだよね。
スピーカー 3
うんうん。
これ、個人差はあるんだけど、がんの種類で言うと、20年後に乳がんや肺がん、30年後に胃がんや血腸がん、40年後に皮膚がんっていったような発症が目立つようになった。
うん。
スピーカー 1
で、がんの発症時期に差異がこうやってあるのは、臓器によって感受性が異なるからなんだよね。
スピーカー 3
うんうん。
そうそう。これはね、いずれも放射線によって染色体が傷ついて、被爆者の高齢化に伴って体内のいろいろな臓器をがん化させるっていう多重がんを引き起こしてるってことがわかってきたんだよね。
うんうん。
さらに原爆が落とされた時に、母親のお腹にいた子供たちの中には体内被爆をして、頭が異常に小さく生まれてくる小頭症っていうのも確認されてるんだよね。
うん。
で、それ以外にも肝機能障害だったり、生殖機能不全、貧血、倦怠感っていったような放射線によって様々な体の異常が引き起こされてるんだよね。
うんうん。
スピーカー 1
最後に言った倦怠感なんだけど、これとっても厄介で、検査をしても数値や画像で異常を確認できないんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、医学的にも解明されてなくて、だけど被爆者の多くにこの異常な倦怠感や微熱が続いて、経営作業でさえ困難になってるっていう人がいるんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、こういった人はね、見た目は病人らしく見えなくて、ブラブラしてるように見えるんで、いつしかブラブラ病っていうふうに呼ばれたんだよね。
スピーカー 3
うん。
そう、この言葉ね、非常にちょっと差別的な言葉なんだけど、被爆者に対しての理解がされてないってことがわかる言葉でもあるんで、あえてちょっと紹介をしました。
うんうん。
スピーカー 1
で、他にはね、原爆の爆風で体に突き刺さったガラス片に苦労する人もいるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
原爆がさ、こう炸裂した時にものすごい爆風とともに、建物一帯のガラスが割れて、無数のガラス片が人に突き刺さったんだよね。
スピーカー 3
うん。
そう、で、ある医師の証言なんだけど、ガラス片がただ皮膚に突き刺さってるだけじゃなくて、筋肉を貫いて刺さってるっていうふうに言ってるんだよね。
うん。
彼はね、こんなに深くガラス片が入り込んでるのは見たことがないっていうふうに言ってた。
うん。
スピーカー 1
で、外から見えるものはさ、大人が力いっぱい引き抜けばガラス片は抜けるケースが多かったんだけど、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
体の中に入り込んだガラス片っていうのは、そのまま残り続けるんだよね。
スピーカー 3
うんうん。
そう、で、人によって数百のガラス片が体内に入り込んでいて、それがね、体のどこかで熱を帯びて可能するんだよね。
うん。
で、その都度、摘出手術を受け続けてるっていう人は今でもいるんだよね。
うん。
スピーカー 1
で、しかもね、このガラス片っていうのは放射線を浴びていて、放射性物質になってるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
だからね、単なる体内異物じゃなくて、内部被爆を起こしてるんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、そのため、傷も治りにくくて可能しやすいっていう現象が起こってきてる。
あー。
スピーカー 1
で、原爆はさ、体のこういった傷だけでなく、心にもさ、深い傷を残してるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
目の前でさ、多くの人がさ、壮絶な死を目撃した映像がさ、今でもフラッシュバックされる時があって、
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
さらにさ、被爆者の3人に1人が罪の意識を持ってることが判明してるんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
これはね、自分だけが助かったとか、水を求めてる人に答えてあげられなかったっていうような、この罪の意識を持ってる人がいるんだよね。
スピーカー 3
うん。
で、2023年3月末の時点で、被爆者の健康手帳を持ってる被爆者の数っていうのは、約11万3千人いるんだよね。
うん。
スピーカー 1
平均年齢はね、85歳で、原爆による影響っていうのは、今でも終わってないんだよね。
スピーカー 3
うん。
スピーカー 1
で、この回はさ、ちょうど8月に配信を開始したんだけど、
約80年前のさ、8月にこういうことがあったんだってことを、ちょっと考えるきっかけになればいいなと思って、今回は話しました。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
そうだね、やっぱり原爆つったらさ、裸足の原が有名だからさ、裸足の原でさ、だいたい、その今尾形郎が言った原爆症に関する、まあ原爆の被害っていう部分に関してはさ、それに全部網羅されてるような感じのところはあったけど、
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
まあやっぱりあれだよね、伝え聞いているレベルでしかやっぱ知らないわけだからさ、今尾生きてる人っていうのは、あのほとんどもうやっぱり亡くなっちゃってる人が多くてさ、さっきほら、原爆の被害のさ、後遺症とかで手帳持ってる人は85歳ぐらいが平均だっつってたじゃん。
スピーカー 1
はいはい。
原爆の人的被害
スピーカー 2
そう、っていう感じで、やっぱりもうさ、生きてさ、証言できる人っていうのが減ってきちゃってるっていうことが、まあ一番なんだろうね、問題なのかなって。だって結局さ、生で聞いた話と伝え聞いた話だと全然リアリティが違うからさ、
スピーカー 1
ああ、そうだね。
スピーカー 2
うん、だからやっぱりそこはこうね、後世に残る人っていうのはどう伝えていくかっていう、だから結局もうさ、いつかどこかで全員亡くなっちゃうわけじゃん、その原爆を直接被害受けた人っていうのは。
スピーカー 1
うんうん。
で、その時にじゃあ、それを伝え聞いた人がどこまでその更に後世に伝えていけるかっていうところがやっぱり大事なんじゃないかなって。まあもちろんさ、その原爆ドームとかさ、平和記念資料館とかさ、いろいろそういう形でさ、原爆の被害っていうのは残してるわけじゃん。
うんうん。
スピーカー 2
でもほら、人間っていうのは過ちを繰り返すわけだから、またいつかどこかでそんなことを忘れられて、同じことをやる国が出てくるっていうね、まあやっぱそうならないように、まあ日本は唯一の被爆国だとも言われるぐらいだし、やっぱり日本として世界にそういう発信っていうかさ、伝えていくことっていうのができるのがやっぱり一番いいのかなとは思った。
スピーカー 1
ああ、そうだね。今も毎年もう数千人台で被爆者の方っていうのはなくなっているんでね。そうそう、だから毎年多いごとにどんどん少なくなって、今広島とか行っても語り部の人とかがさ、直接話してくれたりとかのがあるけどさ、そういうのもさ、語り部は残るけど直接のその被爆者っていう人が語るっていうのは、どんどん聞けなくなってくるっていうのは思うよね。
うん、そうだね。で、やっぱりさ、もう実際ある程度こう成人してた人がさ、被爆してっていう方ってもうほぼほぼ、まあ何人かいる、まだ生き残っているけど、あのやっぱりほぼほぼもう年齢的になくなっちゃってるわけじゃん。ああ、そうだね。そうそう、だから当時子供でしたとかさ、やっぱりなんだろうな、その本当に全体の状況を見通して伝えられる人っていうのがもうどんどん減ってきちゃってて。ああ、そうだね。
スピーカー 2
ね、子供だとさ、やっぱりどうしても親が亡くなっちゃったとかさ、まあすごい大きな怪我とかさ、辛い思いをしたっていうところがフォーカスされちゃって、どうしてもこう俯瞰してみるっていうかさ、ちょっとやっぱりそこの部分がどんどんどんどんこうなくなってきちゃうのかなっていうのがやっぱり一番懸念してるところで。はいはい。
ね、だから生々しい証言はギリギリ残ってるけど、やっぱりその、なんて言えばいいんだろうね、ちょっとうまく言えないんだけど、なんかこう証言が寄りすぎちゃってるっていうのもやっぱりどんどんどんどんさ、そうすると今度共感が得られなくなっちゃうわけよ。ああ。
スピーカー 1
そう、だからそこもやっぱりバランス難しいなと思ってて、まあ結局一番初めに言った通りさ、その後世にどう伝えていくかの部分がやっぱり大事だと思うから、そこをね、しっかり考えていけることがいいのかなと思った。はい。じゃあちょっと今日はですね、原爆っていうテーマで、その中でも人的被害について中心に話してみました。はい。
で、先日ちょっとご連絡した大人のね、近代史グッズが発売して、これ発売してまだ2日ぐらいしか経ってない収録なんだけど、数十点ぐらいね、もう現在で買ってくれてる人がいて、あのいや、買ってくれる人いないかなってちょっと正直思ったんだけど嬉しい。
ちょっと心配だったよね、うん、ほんと。そうそう。いや、もうありがとうございます。ありがとうございます。本当に感謝です。で、8月6日までTシャツに関してはセールをね、ちょうどやってるんで、この時期に少し安く買えるので、もしよかったら覗いてみてください。うん、すずりがセールやってますんで、よろしくお願いします。はい、リンクは概要欄に貼っておきます。
スピーカー 2
それでは今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。ありがとうございました。