2020-12-06 29:12

#35/20/12/6 十字架とパレード

コロサイ-15からの礼拝メッセージ。2020年12月6日録音。私たちを罪に定める債務証書を無効にし、私たちを支配する闇の勢力を無力化する十字架につて学びましょう。
00:04
二章、十三節から十五節
取り除いてくださいました。 そして様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの外宣の行列に捕虜として加えて、晒し者にされました。
以上です。 今日はこのところから、十字架とパレードと題して御言葉を取り切ります。
みなさん、おはようございます。 12月に入りました。
アドベント第2週日ということで、クリスマス前の準備の第2週の日曜日です。 寒さ、
また気温の変動などで体調崩す方が多くて、なかなか集えない方もいらっしゃいますけれども、 その中で共に集まりながら、礼拝ができる幸いを感謝しています。
ずっと日常生活を送っていると、私たちは目の前や自分の身の回りのことに囚われがちですけれども、例えば新型コロナウイルスに関しても、
いろいろな世界的な視野ですとか、自分の身の回りではなくて、病院関係のいろいろな逼迫した状況などを見ると、なかなか難しいなということがわかります。
まあ、そのように全体的な視野が大事ということの中に、この聖書の学びにもありましてですね、
コロサエビトの手紙は非常に中身が濃いので、数節ずつを丁寧に学んでいますけれども、
ちょっとだけ全体をまた帰り見ていきたいと思いますけれども、 この手紙の冒頭でパウロは自分の祈りについて言及しています。そしてその祈りはですね、
パウロ自身のこの手紙の意図にも関係しているかと思いますが、1章の9節でこう書いていますね。
どうかあなた方があらゆる霊的な知恵と理解力によって、 神の御心に関する真の知識に満たされますようにと言っています。
誠の知識に満たされるということが、パウロのこの手紙を書いた意図です。
神様のあるいは聖者の真理、奥義ともここでも言われていますけれども、 それを知ることが私たちを守ることになるんですね。
異端から守ったり、不必要な在籍官から私たちを守ります。 また、
03:02
彼はですね、この手紙のもう一つのテーマとして続けてこう書いています。
1章13から14節。 神は私たちを暗闇の圧勢から救い出して、愛する巫女の御支配の中に移してくださいました。
この巫女のうちにあって私たちは贖い、すなわち罪の許しを得ています。 このイエス様にある罪の許しという大きなテーマ、
それに関連して、暗闇の圧勢から私たちは救い出されて、 巫女イエス様の支配の中に入ったということ、これも大きなこの手紙のテーマです。
それと先ほど言いましたが、 神の御心に関する本当の知識に満たされますようにということで、この手紙が書かれています。
こういうことを鑑みながら、パウロはですね、 この巫女の御支配に移されて、罪が許されているということを、
今日の朗読した聖書の箇所で、 ビジュアルに訴えて、視覚的にですね、私たちに語りかけているんです。
殺されの人たちに語りかけているんです。 そうして強い印象を私たちに与えています。
今日はですね、先週学んだことや全体的なことを少し、 まず最初に振り返ります。その一点に続いて、今日の聖書の箇所から具体的なことを2点学ぶ、
3つの点からいつも通り学んでいきましょう。 まず最初、先週との兼ね合いですが、
バブテスマとの関係です。 バブテスマは別の言い方をすれば、私たちのあるいはあなたの実際的な立場、
アイデンティティとも言えるかもしれません。 そのバブテスマの意味、それは私たちがイエス様を信じて、
神様の国の民となり、そしてキリストの体である教会に属するものとなった、 これらの仮名の儀式がバブテスマの意味ということがありましたね。
そしてそのバブテスマには同時に、目に見えないイエス様の真理を、 あるいは私たちに起こったことを具体的に表す意味があったということです。
それは例えば、イエス様と結び合わされて結婚した。 そしてイエス様と共に葬られた。水の中に入った。
そしてイエス様と共に蘇った。 水から上がって、その姿がイエス様と共に新しく生まれ変わった。
墓から蘇った。そういう意味があったと話しました。 このように、私たちは
イエス様と共に葬られることによって、罪に対して死んで、私たち罪が死ぬまで、 実はやめられないという、そういう罪の性質があっても、
死んだ者は罪と関係ないですから、立場的には無罪方面になっているわけです。 さあ、ちょっとここで考えてみてください。
06:02
そこに、私たちの、あるいはあなたの釈要書を持った弁護士がやってきたとしましょう。
皆さん、ラジオとか聴かないですか? ラジオを聴いていると、今一番多いコマーシャルは、借金の返済ですね。法律事務所の返済。
借金の返済のコマーシャルがすごく多いんですけども、法律事務所から、弁護士なり司法人士なりが、 釈要書を持って、あなたの元を訪れました。
そしてその仮に、その弁護士が実は、 借金が終わっているあなたにも関わらず、
闇の勢力の手先の弁護士で、仮にですよ、 あなたを脅迫して、
その闇の勢力は自分たちの言いなりにしようと企んでいると考えてください。 その手先として、その弁護士が釈要書を持って、あなたの元を訪れます。
そして、その文書をもとにですね、「借金を返せ!」と言って、あなたを攻め立てるわけです。
法律的根拠のある文書というのは力がありますよね。 例えば、あなたが免罪であったとしても、逮捕状を持って警察が、
機関が訪れたらですね、私たちはその逮捕状をもとに出頭しなければいけない。 このように法律的効力を持った文書には力があるわけですね。
これをですね、今日の神の真理に当てはめて考えるとですね、
私たちは罪に対して死んでいる、 無罪訪問になったとしても、
もし罪の債務証書を突きつけられたら、 私たちの心は動揺する、
親ぐ感じる、 そういうことがあるかということなんですね。
その上で今日のパウロの続きの御言葉に意味が出てくるわけです。
すみません、さっきの見せられなかった絵ですけどね。イエス様とともにバーヴテスマを受けた。
そしてその、 債務証書ということで今日の御言葉が意味を持ってきます。前に掲示しましたが、
2章の13節の先週見た鈴木から読んでみましょう。 祝はこれ神様です。
神は私たちのすべての背きを許し、 私たちに不利な様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、
それを十字架に釘付けにして取り除いて下さいました。
このありやりと目に見えるような描写で、パウロは、 交流債の人々も私たちも、
罪の借金から無罪方面であるということを、 法律的な神の立法の根拠を示す形によって、
09:01
私たちに解き明かしているわけです。
皆さんイエス様の十字架の 絵を見たことありますか?
彫刻見たことありますか? 一例としてこういう絵を用意しました。
このような罪状が書いてあります。
これはラテン語でインリと書いてあります。
インリというのは、当時のローマの言葉、 ラテン語で、
イエス様、ナザレのイエス、 ユダヤ人の王という意味なんですね。
実際、聖書にも4つの副印象を見ると、 イエス様の罪状書には、
ユダヤ人の王と書かれてあった、と あるわけです。
十字架にかかった人の罪がここに 書かれるわけです。
しかし、この罪状書は、
パウロに言わせれば、あるいは神の立法の観点からすると、
私たちを責め立てている債務証書だったんです。
私たちを、あるいはあなたを責め立てている罪ゆえに、
イエス様が十字架についたという、 そういう罪状書、債務証書なんですね。
このパウロの書いた御言葉、ここの言葉ですね、
様々な規定で、私たちを責め立てている債務証書、
それどういう意味があるか。
いろいろな意味がある中で、一つは、 ユダヤ教の立法です。
殺されの人たちを責め立てていた、 謝ったユダヤ教徒や、それを元にしたカルトは、
旧約聖書の立法やユダヤ人の一体を守らないと、 あなたは本当のクリスチャンじゃない、罪が許されない、
そういうことを言って、彼らを責めていました。
それは今の私たちにも、当てはまる攻撃になるわけです。
そういうふうに、人に責められたり、カルトに責められたり、
この教団の決まりを全部守らないと、 地獄に行くと脅されたりするかもしれません。
あるいはですね、これはですね、 聖書を知らないユダヤ人でない違法人、
その心にある良心の咎めとも言えるんですね。 パウロはローマ人の手紙の中でこういうことを書いています。
ちょっと長いんですけども、2章の14から15節。
立法を持たない違法人が、私たちですね、 殺され人の人もそうです。立法を持たない違法人が、
生まれつきのままで立法の命じる行いをする場合は、 立法を持たなくても、旧約聖書の立法を持たなくても、
自分自身が神に対する立法なのです。 彼らはこのようにして、立法の命じる行いが、
12:05
彼らの心に書かれていることを示しています。 彼らの良心も一緒になって明かしし、また、
彼らの思いは互いに責めあったり、 また弁明しあったりしています。
ある神学者は言うんですね。なぜ人間は神に作られたか、そう言えるか。 その一つはですね、
世界共通の倫理観があるでしょう。例えば、人を殺してはいけない。 そんなこと言われなくてもわかっているけど、
なんでそれが、世界共通の倫理としてダメなんだと言えるんでしょうか。 あと盗んではいけないとか、それも
どこの国の人であってもいけないってわかりますよね。 なぜですか。
それはですね、 人間の心に神が作った良心というものがあるという、そういう証拠だって言うんです。
何やともあれ、ここにいる私たち例外なく、 ユダヤ人でもないですし、
多くの場合は聖書のバックグラウンドがなく育っていますが、 良心の咎めというものを、
倫理的な咎めというものを感じるわけですね。 そういうことで私たちは、
まるで書かれた債務証書によって、 責め立てられている。
そうパーラは表現しているんです。 そして、そういうようなですね、ユダヤ教、聖書に関わらず、良心の咎めというものがあって、
それが私たちに、ある面、 債務証書として突きつけられた時に、
私たちは、 この心に責めを感じるわけです。
しかしパーラは言っています。 十字架上のイエス様の罪状書き、それには、この
あらゆる罪の債務証書、その内容が書かれて、 釘付けにされましたとパーラは言っているわけです。
こうやってイエス様は、私たちの罪を十字架の上で、 贖ってくださった、償ってくださったのですね。
ある面、 この私たちの前に、
あなたの前に、罪の債務証書を持った、 悪の手先の弁護士が来た場合、
困ってしまいます。でも、 例えばそこにイエス様が現れて、その債務証書を取り上げてですね、
ビリビリ破ってしまう。 そしたらもうその債務証書は無効になるわけですよね。
イエス様の十字架の贖いというのは、そういう意味があるわけです。
私たちは先ほども言いましたが、 イエス様、シンジ、バブテスマ、オーケイ、イエス様と結ばれて、罪に死んで、
15:03
立場として、アイデンティティとして、神様の前で、 罪がないものとされました。
と同時に、パーラがここで書いているように、 イエス様の十字架によって、罪の債務証書が釘付けにされて、
神の立法、あるいは霊の掟といいますか、 そのような神の掟の法律的な正しい根拠を持ってですね、
法律的神の手段の中においても、 私たちは神の前で無罪訪面とされている。
そのことをこの御言葉は示しているわけです。 パーラは先ほども申し上げましたけれども、
冒頭の聖句で、こう述べていましたね。 それが今の真理を表しています。
コロサ1章13から14節。
神は私たちを暗闇の圧勢から救い出して、 愛する御子の御支配の中に移して下さいました。
この御子のうちにあって私たちは、 贖いすなわち、罪の許しを得ています。
なぜなら、債務証書が十字架の上で、 釘付けにされたからです。
そう結論付けることができるわけです。
ですから、もし私たちの両親が、 あなたの両親が攻め立てる時に、
また、仮に闇の勢力というものがあるとするならば、 そのようなものに攻め立てられていると感じる時に、
こう宣言して下さい。 私はイエス様の十字架によって、
私の立場としても、神の律法に基づいても、 罪の許しを得ているんだ、と。
私はイエス様の十字架によって、私の立場としても、 そして神の律法に基づいても、
神の法律の根拠に基づいても、 罪の許しを得ているのだ、と。
そのように自信を持って宣言して下さい。
神の奥義の真理は、私たちをこのように救うわけですし、 自由にするわけです。
2番目、最初の視覚的な訴えは、
サイム・ショウショが十字架で 釘付けにされたということです。
2番目のイメージ、 実はそれは今の
サイム・ショウショの話の続きになっているんですね。 パウロは2章の15節で、
続けてこう述べています。
釘付けにしました。そして、
様々な支配と権威の武装を解除し、
それらをキリストの外宣の行列に捕虜として加え、 晒し者にされました。
18:00
十字架と復活に関わるさらなる真理、見心がここで告げられています。
さっきも言いましたが、法律的にサイム・ショウショが取り除けられた。
そうやって罪が解決されただけではありません。
神様は、私たちを、あなたを責め立てている
悪の超本人をさばいてくださった。
ある面、その勢力を骨抜きにされたということなんです。
先ほどの悪の手先の悪徳弁護士の続きをしましょう。
サイム・ショウショを破られたら、
その弁護士はそれを持って、罪の借金の返済を迫ることができないわけです。
すると、闇の組織というのは知恵がありますから、 いろんな手段を持ち出てくるわけですね。
皆さん、こういうメールを受けたことがあります。 私は携帯にある時、ショートメールが入って、
不在でしたので、お荷物が届きましたから、
ここのリンク先を見てくださいというメールが来て、
一回ちょっと開いていたことがあったんですけど、すぐ閉じました。
調べたら、それはいわゆるフィッシングメールですよね。
皆さんとメールやり取りしてますけども、
毎日ですね、
文字通り10つ以上、
Amazonとか、楽天とかですね、
PayPalとか、そこのですね、
メールが何種類も来るんですよ。 アカウントの更新をお願いしますとか、
銀行の名前でも来るわけです。
自分が属している銀行、属していない銀行、
本当に毎日10つ、20つ、平気でですね、メールで、
アカウント情報の更新とか来るわけですよね。
つまり、闇の勢力というのは、
手を買い、品を買い、私たちを騙そうとしたり、
あるいはコントロールしようとしてくるわけです。
そんな中ですね、時々テレビでこういうニュースを見ますよね。
振込詐欺の、この、
アジトが暴かれて、
何十人単位で逮捕されたという、
そういうニュース見たことはありませんが、
文字通りですね、警察に連行されていく、そういう映像が流れます。
本来ならばですね、その手先だけじゃなくて、大元締めまで
逮捕されて、
そしてその組織が潰される必要があるわけです。
そういう映像を見て私たちは、まあ、
安心することができるわけです。
実はですね、
パウロの時代、
テレビなんかありませんね。
パウロは当時よく知られた
イメージを使って、
私たちに訴えています。殺された人たちに訴えています。
実はこの15節はこういうイメージです。
外戦の行列というのはですね、ある英語の制服では
in a triumphal parade
トリアンファルパレードというのは、勝利のパレードというんです。
ローマ軍が
当時勝利をすると
21:00
パレードをしました。
でも戦争というのも今はいけないですし、
だけど当時よく知られたイメージだから使われているんです。
レリーフにもあるんですね。こうやって
ローマ軍の勝利の
パレードがあって、
いわゆる
戦利品が載っているわけです。
仮にですね、
戦争は否定しますけども、仮に
この敵を攻めてくる敵の軍隊があって、
敵の国があって、
その戦争に勝利したといった場合、当時はテレビがない
わけですから、どうやってしたかというと
勝利の外戦パレードで知るんです。
文字通り捕虜を
ある
戦車というか馬車に乗せて、晒し物にするんです。
それとかですね、敵の将軍を晒し物にします。
もっと言うならば
敵の国の王を
こういうものに乗せて晒し物にします。
何がわかったかというと
完全に敵の勢力は滅んだということを
当時の人たちに印象付けたわけです。
ですからパウラーはこの表現を用いることによって
あなたを攻め立てている悪の勢力は
この外戦のパレードに
捕虜として
晒し物になって
負けたんだということを
はっきりと伝えているわけですね。
今どっかの国の
大統領選挙もようやくですね
カリフォルニア州で勝利が決まったといって
新しい大統領が正式に就任することが決まったようですね。
今の大統領は
晒し物になるのを恐れてからテレビに出てきません。
こうやって
明確な勝利宣言
そこには敵の大将の
敗北の
その姿が
晒される必要があったわけです。
パールはこのような表現を用いることによって
生き生きと
殺されの人々にそして私たちに
私たちを攻め立てている
闇の勢力が
滅ぼされた
あるいは骨抜きにされたということを
伝えているわけです。
実はですね学者の間では議論があって
支配と権威
何かという議論です。
一説によると
当時の
様々ないつも言っている
異端の宗教
あるいは彼らが当時信じていた
悪の霊の
勢力
という
捉え方ができるようです。
またある学者はですね
実際の政治的な勢力
ローマかもしれません
クリスチャンを迫害していた
文字通り政府の気候を言っていたかもしれません。
どっちかというと
両方
捉えていいと
私たちに当てはめるならばもし
あなたが私たちが
24:01
そういう私たちを攻める悪の勢力に
不安を感じるならば
そういう悪の勢力は
イエス様の十字架によって敗北して
負けて晒し者になっていると覚えてください。
あるいは何らかの人間的な気候
それははっきり言うことできません。
国家かもしれません。
他のものかもしれません。人間的な勢力によってあなたの
存在が脅かされているならば
それはですね
実は例の世界もそうですけど
まだ完全には敗北見えないかもしれません。
よく言いますけどもイエス様が再臨するまで完全な勝利は
完成しないと言われています。
先ほども言いましたが神の奥義の真理は
イエス様が十字架で復活で勝利したから
それは
骨抜きにされているし
将来完全なる敗北が訪れてそういう闇の勢力
人間的なものであり霊のものであれ
敗北イエスの足の下にひれ伏し
償いを
受けるんだということ
それが神の真理です。
ですからパウロは
そういうことを
理解しながらですねこの手紙の冒頭でも先ほども申し上げましたが
神はこう述べていますね神は私たちを
暗闇の圧勢から救い出して
愛する御子の御支配の中に移して下さいましたと言っているわけです。
私たちはイエス様を信じイエス様と結び合わされバブレスを負けて
立場的にも罪許され
新しく生きるものとなりましたが
債務証書が十字架で無効にされて
神の法律の中
立法においても
無罪本面となっています。それどころか私たちを攻め立てるあらゆる
悪の勢力は
イエス様の十字架と復活によって
その足元を支配下に置かれて
敗北者として晒し者にされているわけですね
そんなことをパウロは殺されの人たちに伝えながら
別の手紙の中で
こう約束しているわけです。最後に聖書の約束を見て終わりにしましょう。
ローマ人の手紙の8章の33節から37節を抜粋しました
このイエス様の約束を
27:24
心に留めながら日々歩んでいくお互いでありたいと思います
お祈りしましょう
天の父なる神様
皆を賛美いたします
私たちはイエス様を信じ
イエス様と結び合わされ
罪に対して死に
あなたに対して生きるものとされました
しかし
弱さの上に
財政機関を
逃し去ることができなかったり
実際に
罪に手を染めてしまうことがあるかもしれません
そんな時に私たちは
良心の咎めを覚え
また悪しき力の責めを感じることがあるかもしれません
日々の生活の中でまた
人間関係の中で
責めを覚えることがあるかもしれません
大きな国の中で
弱さ
買い見られないという
敗北感を感じるかもしれません
しかし主は
あらゆる悪しき勢力を
十字架の上に
その足元へと従わせてくださった
圧倒的な勝利者であることを感謝します
そのあなたの勝利を
得たものとして私たちも
この地上のうちを
この地上の上を
歩むことができるその幸いを感謝いたします
どうかこれらのあなたの真理に
心と目が開かれながら
歩んでいくことができるように
どうか導いてください
この願いと感謝を
私たちの救い主
主イエス様のお名前によってお祈りします
アーメン
それではしばらくお祈りしましょう
29:12

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