2022-03-13 27:46

#97/22/3/13 計り知れない衝撃

ガラテヤ-17からの礼拝説教。2022年3月13日録音。ユダヤ人キリスト者の中には、異邦人もユダヤ教の律法を守り割礼を受けなければならないと主張する人々が少なからずいました。極端な人々の中には偽教師になる人まで現れました。パウロはキリストの福音故に異邦人にその必要はないと教えていました。ですから「パウロこそ偽教師である。ユダヤ教からキリスト教につながる人々の承認を得ていない故に彼には何の権威もない」と批判されていたのです。1.ユダヤ教と何か、2.パウロの劇的な変化の理由、3.回心の経験に立ち返る、という3つの点から学びましょう。

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それでは、ガラテアビトの手紙、1章13節から17節をお読みします。
ユダヤ教のうちにあったかつての私の生き方を、あなた方はすでに聞いています。
私は激しく神の教会を迫害し、それを滅ぼそうとしました。
また、私は自分の同胞で、同じ世代の多くの人に比べ、遥かにユダヤ教に進んでおり、
先祖の伝承に一一倍熱心でした。 しかし、母の胎にある時から私を選び出し、
恵みをもって召してくださった神が、違法人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに掲示することを良しとされた時、
私は血肉に相談することをせず、私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに登ることもせず、
すぐアラビアに出て行き、再びダマスクに戻りました。
以上です。 今日はこのところから、
測り知れない衝撃と題して御言葉を取り継ぎます。 皆さん、おはようございます。
3月も早いもので、第二日曜日、聖日となりました。 だいぶ暖かくなってきまして、楽になってきました。
今日はガラテア人の手紙から3回目の学びです。 今日は少し先週に続いて、
歴史的な手紙の背景に触れます。
後でも触れますけれども、 復習になりますが、このガラテアというのは、
ここですね。今のトルコの真ん中のあたり。 パウルは第一次電動旅行、第二次電動旅行で、
こっちからですね、 フィシデアのアントヨケから入ってですね、
イコニウムとかリステラ、デルベ、このあたりを第一次、失礼しました。
第一次、第二次、選挙旅行で旅行して、 その時にできた教会にあてた手紙です。
この背景にはですね、 この当時、このエルサレムですね。
このエルサレムを中心に、 最初はユダヤ人の人がクリスチャンになったわけです。
そうすると彼らはですね、違法人がクリスチャンになった時にも、 ユダヤ教の立法を守れと、
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割礼を受けろ、食べ物の規定を守れという、 そう主張した人が少なからずいたんですね。
で、その極端な人たちの中には、 ガラティア人の手紙の背景にもなった、
偽教師がいて、そしてガラティア人の人々が、 パウロがこんなにも早く福音から離れていくのに驚いたと言わしめたですね。
そういう違反する人も少なからず、 ガラティアの教会の中で出てきた。
そんなことでパウロはこの手紙を書いています。 そしてもう一つの背景はですね、
パウロに対してこのエルサレム教会の中で、 あるいは偽教師がですね、彼の使徒としての権威を認めない。
そして彼の語った福音、立法否定するので認めない。 そういう批判があって、それに応えるためにパウロがこの手紙を書きました。
で、その中にはですね、 パウロこそ偽教師だと。
ユダヤ教からキリスト教につながる、そういう人々の承認を受けてない。 組織の認証を受けてない。
だから何の経緯もないと批判されていたので、 この前にも書いてあるように、パウロは自分は違うんだよと。
神ご自身とイエス様ご自身から直接違法人への人として任命されて、 その福音を掲示され、
委ねられたと主張しているんですね。 そして今日はその証拠の一つに、
その出会いの衝撃、何かというと、彼の変わりようがあまりにも劇的であった。 そのことを今日は主張しているんです。
彼はですね、自分に反対する人たち以上にユダヤ教に熱心で、 教会をそれ以外滅ぼそうとしていたって言うんですね。
その変わりようが大きいから、私は神から直接掲示を受けたんだ、 ということを彼は言おうとしているわけですね。
今日は3つの点から見ていきますが、 まずパウロが言うユダヤ教とは何か。
2番目はですね、パウロの劇的変化の理由。 そして最後はですね、カイシに立ち返るということを見ていきます。
まず最初、ユダヤ教、ユダヤ教と聞きますし、パウロも言っていますが、 それは一体何でしょうか?ということを見ていきましょう。
もう一度読める方、1章13節読んでみましょうか。
ユダヤ教のうちにあったかつての私の生き方を、あなた方はすでに聞いています。
私は激しく神の教会を迫害し、それを滅ぼそうとしました。
ここの絵はおそらくステパノの巡教、使徒の働き、発祥の出来事かと思います。
これは青年パウロなのではないかと言われていますけれども、 パウロが実際にステパノに手を下したかは、歴史上の証拠はないんです。
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でもですね、このようにパウロが教会を迫害したと言っている。
そこでパウロはユダヤ教に熱心だ。 そして次の14節にもですね、
同胞で同じ世代の多くの人に比べ遥かにユダヤ教に住んでいた。 先祖の伝承に一一倍熱心だと言っていたんです。
ユダヤ教について背景を正しく知って捉えていきましょう。 そのまず背景はですね、こういう時代的、歴史的なものがあったんですね。
遡ること、パウロの時代から200年ほど前、紀元前2世紀に エルサレムを含むユダヤ地方はギリシャの支配下にあったんです。
アレキサンダー大王という人が有名でしたね。 だから新白聖書も今、この当時ギリシャ語で書かれていました。
ローマはラテン語でした。 その時に紀元前175年から163年に悪名高い
アンテオコス4世という王がギリシャを支配したんです。 彼はですね、自分をエピファネーヤって言ってですね
目に見えない神が形をとって現れた存在だと、イエス様みたいに、そうやって主張したんです。
その中でユダヤ人を激しく弾圧したんですね。 その方法はユダヤ人をギリシャ人に変えようとしたんです。
具体的に何かというと、彼らの宗教、それにまつわる食生活やすべてのものを否定したんですね。
例えばエルサレム神殿、それをですね、ゼウスの神殿に変えてしまいました。
そして食事の規定がいっぱいありましたね。食べていけないものとか。 また安息日と活礼を守るということがあったんですが、そのようなユダヤ人の習慣を守るものを
殺しました。処刑しました。 こういう出来事が実際あったんですね。例えば豚肉を食べてはいけないという規定があった。
そして豚肉を食べさせようとしたんですね。 お母さんと7人の息子たちがいたんですが、豚肉を食べないのであれば殺すよと言った。
そしてお母さんも子供たちも拒否した。 お母さんを脅すためにですね、母親の前で一番年上の息子から殺し始めたんです。
でも母親は死んでもいいから守りなさいと言って、そして豚肉を食べない、神に背かないということで豚肉を食べないということを主張した子供全員7人が殺されて、最後に母親も殺されてしまった。
それくらい彼ら彼女らは固くこの教えを守ったわけです。 この出来事に象徴されていることはこういうことなんですね。
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つまりかつてユダヤ人、神の民は神の立法に背いて、その地域の偶像に染まってしまいましたね。
それにより神の裁きを受けてバビロン保守、アシリア保守ということが起こりました。 その反省からおおよそイエス様が来られる400年くらい前、
紀元前400年くらいからこういう習慣が強くなったんですけれども、 自分のイスラエルに帰った彼らは徹底的に立法の一部や
このユダヤ教の一体を守る。そしてそれを守ることによって自分は違法人と区別するというそういう価値観があった。
言い換えると立法の一部を守る立法の一部をですね、 違法人と区別するためにこの利用した。
そういう背景があったわけです。 そして今も言ったようにそのを守るためにまさに死守するために命も投げ出しましたが、
反対にユダヤ人の中でそれを守らない者たちを責めて本当に守らなければ彼らを殺したんです。
守らない同胞を手にかけた。
実はそういう背景の中でパウロも育ってパリサイ人だって彼は言ってるわけですね。
さっきも言いましたがパウロは14節で同胞に負けないぐらい自分は熱心だったと言っていたわけです。
この理論からパウロがなぜ教会を滅ぼそうとしたかということがわかってきます。
パウロはユダヤ人のクリスチャンで立法を守らない人を迫害したんです。
もっと言えばですね、ちょっと専門用語ですけど、 ギリシャ語を話すユダヤ人がたくさんいました。ディアスポラ。
彼らは例えば外国に育った前、ヨシア氏は別として日系アメリカ人、
4世、5世になると日本人の顔をしてますけど、日本人の文化を持っていない人多いですよね。
そのようにギリシャ語を話すユダヤ人は立法と関係なく育っていたわけです。
でもそういう人たちがイエス様を信じて神の民に新しく加わった時に、ユダヤ人の習慣を持っていませんよね。
だから当時のユダヤ人からクリスチャンになった人たち、 純粋なユダヤ教の背景になってクリスチャンになった人たちは、
このディアスポラのギリシャ語を話すユダヤ人にも立法を守らせて割礼を受けさせろ、そして違法人も同じようにしろということを教えたわけです。
でもパウロはイエス様がすべてを完成したから、違法人はもちろんユダヤ人もこの立法を守らなくてもいいと言ったんですけれども、
戒心前のパウロはこの熱心なユダヤ教徒でしたから、
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ギリシャ語を話すユダヤ人が神の教会に加わったにも関わらず立法を守らない、それが許せなかったんです。
パウロにとって、 ギリシャ語を話すユダヤ人がクリスチャンになった時に、彼らが立法を守らないというのは、
かつて命がけで守った立法を内側主論する裏切り者の同胞だったわけです。 だから教会、特にギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャン、立法を内側主論する彼らを迫害した、
これがこのパウロのかつての生き様、そういう背景があったわけです。 そしてパウロはそれほど自分は熱心だったけれども変わった。
どのように変わったか。 そういう人間は殺されても良いとパウロは思ったんですけども、
イエス様の啓示を受けて、 彼はですね、
先週話したイエス様との出会い、 その中で自分のしていたことは、
神の教会を迫害していたんだ、 そのことに気がついたんですね。
先週、 使徒の働きのハッシュを9章見ましたけれども、
パウロは今日のところでもそのことを告白しています。 ここにも前にも示してありますけど、パウロにとって
立法を破って神を冒涜していると思っていた教会こそが実は 神の教会だったんだと、
イエス様と出会って気がついたっていうんですね。 実は先週のことをパウロは使徒の26章14節で振り返って、
自分の啓示の出来事をパウロは後々使徒の働きの中で振り返って、 イエス様は自分にこう語ったと証言しています。
ちょっと読める方、これを読んでみましょうか。使徒16章14節、 イエス様のパウロへの言葉です。
サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。 棘のついた棒を蹴るのは、あなたにとって痛いことだ。
これ何を言ってるか。イエス様はパウロに、当時サウロの名前でしたけど、 こう言ったんですね。
あなたが迫害している教会は私自身であるんだよ。 そしてそうすることはあなたにとってもいだれなんだよ。
イエス様は直接パウロに幻の中で示したということなんですね。 先週も言いましたが、ぜひ皆さんすぐ読みますから、使徒の9章を読んでみてください。
自分が迫害していた、この裏切り者だと思っていた人たちは、 まさに自分が使えてきた神の教会であったと気づいた。
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今日のところに神の教会を滅ぼそうとしたとパウロは告げて、 自分はそうやって神に背いたものだったんだと告白しているわけです。
それが今日はまず皆さんに気に留めておいていただきたい最初の背景。 ユダヤ教迫害者パウロの背景だったわけです。
2番目、ではパウロの劇的変化の理由ということを見ていきましょう。 パウロは今日のところの続き1章15、16節でこのように述べていますね。読める方、失礼しました。
1章15、16、前にもあります。読んでみましょう。
しかし母の胎にある時から私を選び出し、 恵みをもって召してくださった神が、
違法人の間に巫女の福音を伝えるため、 巫女を私の家に刑事することを良しとされた。
この衝撃的な出会いをパウロは簡潔にまとめているわけです。
パウロは自分がこの劇的に戒心して違法人の使徒とされた。 その理由、それはですね、自分は人間の組織じゃない、
神ご自身に選ばれ任命されたんだって言ってるんですね。 ここで興味深いことは、実はこの言葉、
1章15、16節には 旧約聖者の大事な言葉の背景があるんです。
それは旧約の偉大な預言者イザヤとエレミアが神に召し出されて、 預言者となった時のこの出来事と重ね合わせてパウロは
このことを述べているんですね。その見言葉を引用していました。 ちょっと長いんですが見てください。
イザヤの49章、1節6節の伐推です。
主は生まれる前から私を召し、母の胎内にいた時から私の名を呼ばれた、主は言われる。
あなたが私の下辺であるのは、ヤクブの諸部族をただせ、 イスラエルのうちの残されている者たちを飼い出せるという小さなことのためだけではない。
私はあなたを国々の光とし、地の果てにまで私の救いをもたらすものとする。
エレミアへの証明の言葉1章5節、ちょっと読んでみましょうか。
私はあなたを胎内に形作る前からあなたを知り、 あなたが母の胎を出る前からあなたを性別し、国々への預言者と定めていた。
共通のことが分かりましたね。
違法人宣言を書いてあります。イザエの49の1節6節では、
保守にある神の旅、ヤクブの部族イスラエルを 立ち返らせるためだけじゃなくて、
18:01
それは小さなことだよと。
そうぐれじゃなくて、もっと国々の光、地の果てに救いをもたらす、
つまり違法人まであなたによって救われる、 あなたは救いのメッセージをもたらすとこの当時から言われていました。
エレミアの証明にも、なぜエレミアを選んだかというと、
国々への預言者、つまりこれは違法人も含めた預言者とする。
この時から違法人選挙がビジョンにあったわけです。
これがパウロとの共通点。 そしてもう一個の共通点は皆さん気がついたですね。
母の体内にいた時から、体内に形作る前から、
私はあなたを知って、あなたを選んだという、神の恵みです。
神の恵みというのはですね、一方的に私たちを、パウロを、エレミアを、イザエを、
気がつく前から選ぶという、それが神の選びです。
これはですね、一つ言えることは、パウロは批判されているけど、私は神に直接呼ばれました。
しかもそれは、私はこの旧約聖者のきちんとした預言者の証明の流れから、
それを引き継いで人となっているんだという、やはり神から承認されたということを彼はここで立証しているわけです。
そしてもう一つ、私たちに関係する見方を変えればですね、
神様はですね、いいですか、ずっと前から私たちの救いのために取り計らってくださっているんです。
私も昨日ですね、歩きながら、風呂入りながらよく考えたんですよ。
パウロが福音を理法人に伝えたから、日本人の私たちまで届いたんだなって。
そしてしかもそれは、パウロが生まれる前から神様はパウロを選んでいたんだなという不思議な説理。
しかも、もっと遡れるということがわかったんですよね。
イザヤは紀元前740年ぐらいに生まれたんですから、
おおよそ今から3000年前に少なくとも、
神様はもう、理法人の救い、私たちの救いのことを考えて、預言者を召していたということです。
私たちここに集っている一人一人は、私はそうですが、
自分が選んで教会に行った、クリスチャイになったという人がいるかもしれません。
あるいはもう、親がクリスチャンだから教会に来始めて、クリスチャイになったという人もいるかもしれません。
でも、そういうものじゃなくて、
それを突き抜けたもう少なくとも3000年も前からですね、
私たちは救いの計画に入っているという、
その自分の意思、あるいは家族の意思を超えた中で、
21:02
今自分が信仰を持っている、守らされているという、そういう尊さというんですかね。
それに気が付きましょう。
あと思ったのは、新型コロナウイルスがなかなか覚められない。
2年以上経ちました。長いです。
でも私たちはもう3000年というですね、以上の長さの中で救いに選ばれているわけですから、
この時代の流れを神とともに見守っていくということができるんじゃないかと思いました。
このような不思議な時代を経た神のご計画があって、
今自分が神の民とされているということにも、ぜひ思いを馳せていきましょう。
最後、簡単にいきます。
これさっきですね。
3番目はですね、ちょっとポイント書くの忘れましたけど、
私たちはパウロのように怪神の計画に、失礼しました。
3番目は、パウロのように怪神の経験に立ち返る時が必要だというんですね。
このパウロが自分の証明について今語りました。
パウロの怪神の経験をある学者はですね、
刑事の計り知れない衝撃と言っているんです。
隠されていた福音の真理の衝撃が、
パウロにとってはかり知れないものであったんだ。
だからパウロが教会を迫害する者から、
自分の命もとして福音を伝える者に変えられたんだ。
それははかり知れない衝撃なんだというんですね。
そしてそのイエス様とのダマスコの土壌での出会いが、
パウロの信仰の進学の方向づけをしたというんです。
こういうふうにですね、パウロは自分の救いにおいて、
何らかの出発点や転換点を意識している。
それは怪神の瞬間や出来事とも言えるでしょう。
使徒の働きを読むとですね、少なくともパウロは2回振り返っているんです。
この自分がイエス様と出会った出来事。
そしてこのガラディア人の手紙でもですね、
自分の存在を守るために、立証するために、
この怪神の瞬間にまた言及しているんですね。
この怪神の瞬間や出来事、自分の出発点や転換点、
彼はそれを大事にしていたわけです。
しかしですね、私たちが受け取るべきに大切なことはですね、これです。
私たちにはパウロと同じ怪神の経験を求められてはいないということなんです。
つまりですね、私たちが1回ですね、
極悪人になって劇的な転換をしなきゃいけないということでもないんです。
自分は内側は悪いことがあったかもしれないけど、別に人も殺してないし、極悪人でもないな。
24:05
だからといって自分の救いを疑う必要はないです。
あるいはパウロのようなですね、光の中で幻を見るという、
奇跡的な救いの体験をしていない、それでもいいわけです。
そんなことパウロは別に聖書は求めているわけではない。
それを覚えておいてください。
でも大事なことはですね、少なくとも私たちにはそういう瞬間があったはずです。
イエス様が救い主である、そのことを新しく知った。
これは私のためだと知った、そういうことを知った瞬間があるはずです。
あるいはそれで心が動いた。
ああ、イエス様が私の救い主だと感動する。
そういう、こう言っていいか分かりませんが、
イエス様との出会いの瞬間を、心が動いた瞬間を、皆さんは覚えていると思います。
そういうことがあったと思うんですね。
それはある面、私たちの皆さんの救いの起点、転換器なんですね。
そしてこのパウロのように私たちも檻に触れて、そのような自分の始まり、転換点に立ち返っていく。
そして時にパウロのように困難の多い救いの道のりをですね、そういう時に立ち返りながら歩み続けていく。
それが実はクリスチャンとしての道行き、またパウロの足跡になる歩みでもあるわけです。
パウロはですね、実はその救いの始まりをある別の御言葉でですね、
信じ従う瞬間だ、信仰への従順だと表現しています。
イエス様、あなたは私の救い主ですという時、それは信仰によってイエス様に従う瞬間だ、始まりだと言うんですね。
そのことをパウロはローマの1章5節6節で言っています。
その御言葉を最後に読んで終わりにしましょう。
読んでみましょう、ちょっと長いですけどね。
3、この方、キリストによって私たちは恵みと人の務めを受けました。
皆のために、すべての違法人の中に信仰の従順をもたらすためです。
その違法人たちの中にあって、あなた方も召されてイエスキリストのものとなりました。
ローマ1章5節6節。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
今日はパウロの改新、改修の見事は出来事から学びました。
あなたがパウロを召し、また預言者イザヤ、エレミアを召し、私たちの救いを計画してくださってきたことを感謝いたします。
どうかその尊さに改めて感動を覚え、気付き歩むことができますように。
27:04
また私たちもパウロのように、あなたを新しく知った瞬間、あなたに喜びを覚えた出来事があるはずです。
どうかその時に立ち返りながら、先行き見えない今でありますけども、
あなたと共に救いの道を歩んでいくことができるように、どうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは皆さん、主にお答えして、しばらく黙祷の時間を持ちましょう。
1分ほど持ちましょう。
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