2020-07-05 26:52

#13 20/7/5不安の中の確かさ

第2テサロニケ-15からの礼拝説教。2020年7月5日録音。今の不安や不確かな将来という課題がある中で聖書が語る確かなものついて考えます。
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トヌケ2章13節から15節を読みます。
しかし、主に愛されている兄弟たち、私たちは、あなた方のことについて、いつも神に感謝しなければなりません。
神が、見た目による性別と、真理に対する信仰によって、あなた方を初音として救いに選ばれたからです。
そのために神は、私たちの福音によってあなた方をお召し、私たちの主イエスキリストの栄光に預からせて下さいました。
ですから兄弟たち、かたくたって語った言葉であれ、手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。
以上です。 今日は不安の中の確かさと題して御言葉を取り継ぎます。
おはようございます。 皆さんと今日も7月になりましたけどお会いできて、本当に共に礼拝できる幸いを感謝しています。
7月に入りましたが、7月1日はですね、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーが制限付きですけれども再開して、大きなユースになりましたね。
また昨日はサッカーJリーグのJ1も再開され、無観客ですけれども再開されたというニュースが話題になりました。
あのビュッセル神戸ですか、楽天がスポンサーの神戸ではですね、オンラインチケットで限定で1枚10万円というのをですね、売り出して即売されたそうです。
プレミアムのですね、好きな選手のプレミアム、レプリカユニフォームに選手のサインが入るとかですね、あと試合後に好きな選手とオンラインで対話することができるとかですね、そんなことも話題になりました。
そんな明るいニュースもありますけれども、7月2日の木曜日から東京のですね、感染者数が2ヶ月ぶりに100人超えた107人となったり、そういうことで100人超えが続いて不安もあるわけです。
そんな中、今日都知事選挙が行われますけれども、こういう亡くならないコロナに関する不安とテサルニケ教会の人たちの不安ということを共通点として私たちはこの御言葉から学んできました。
パウロはそういう迫害がますます激しくなって苦しみが覚められず、将来に対する不安もあった教会の人々に慰めた励ましのメッセージをこの手紙を通して送ったんですね。
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しかし彼の励まし方はいわゆる植物的ではないんですね。もう迫害がなくなるなんてことは言ってないです。
あるいはそういういわゆるご利益信仰的な励ましではない、環境や状況が変わるというですね、環境主体の励ましではなくて神由来の神様がおられるからというそういうタイプの励ましの仕方です。
あるいは手三理家の人たちが能力が素晴らしいから大丈夫だ、そういう彼らの能力由来の励まし方ではなくて、彼らに神様が何をしているかという、やはり神由来の励まし方をもってこの手紙を送っているのが特徴です。
そういう励まし方というのは一見何も見えないですけれども、実は確かで深いです。
そして、ありでには普遍的です。時代や場所を超えています。だから私たちも学ぶ励ましの言葉として受け取ることができるのかと思います。
今日はそんな中、今読んだ御言葉から三つの言葉に注目して学びます。
初穂という言葉、選びという言葉、そしてイエス様の愛というその三点を取り上げて御言葉に耳を傾けましょう。
まず最初ですね、何回も出ますけど、セソニック教会というのは今でいうギリシャ、ここにある教会ですけれども、私たちにもパウロを通して神様を語っている。
初穂という言葉は、皆さんの神科学聖書最新版ですと13節に出てきます。
読んでみますけれども、私たちはあなた方のことについていつも神に感謝しなければなりません。神があなた方を初穂として救いに選ばれたからです。
古い聖書を持っている方は違いに気づいたかもしれませんね。ここね、初めから救いに選んでいると書いてあります。
初めからというのが初穂というふうに新しい訳になっているところが注目点です。
短い話をまとめますけど、学者の中で議論して、やはりここは初めから救いに選ばれているというよりも、初穂として選ばれているという言葉の方がふさわしいという、パウロの意図が伝わるということです。
初穂というと、言葉からの励まし、ちょっと前後関係を簡単に説明しますけれども、2章の2節から新しいセクションが始まって、17節まで続くんですけれども、今日の部分はその締めくくりです。
そして2章の問題の一つは、彼らを苦しめている迫害者たちと、その背後にある悪しき力の末路を丸め、神の裁きを語ることによって励ましているんです。
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そしてそれとのコントラストですね、それとの対比で、あなた方は神様からこんなに尊くされているということを語ってますよ、その中の最初の言葉が初穂です。
初穂というのは、私たちに、聖書のこの中では、麦を言うんです、大麦、初穂の祭りというのは大麦の祭りですけれども、私たちから言えば、いわゆる初物ですね、さっき間違えて出しましたけれど、こういう絵があります。
これは、旬がいつかというと、ここのブドウとか梨とか、あ、ブドウとか梨とか桃の旬は8月なんですね。
だから、今、もうこれが出てきたら、皆さんが食べている果物は初物です。
それとからんけいする初穂という、そういう言葉、その意味がどうして励ましになるかということをちょっと学んでみましょう。
実は、テザーニギの教会の人たちは何回も言わせるように、迫害と苦しみから、今自分の信仰生活を守ることが精一杯でした。
自分の命がかかっている、将来に不安がある。
でも、彼らが初穂であるということは、こういう意味です。
今後、彼ら以外に新しくイエス様を救い主として信じる人がまた生まれてくるよという意味が込められています。
だから、彼らにとっては自分の信仰を守ることが精一杯どころか、周りが敵だらけでした。
そんな中、常識的に考えたら、そんなつらい水に飛び込んでくる人はいないはずです。
信じればまた迫害に遭うわけですから。
それにもかかわらず、信じたら御利益を得られるどころか、困難が待っている、そういう中にもかかわらず、
新しくイエス様を救い主として信じる人がこれから起こる、そういうことがこの初穂という言葉に込められています。
さっきこの初穂の話をしましたが、初物というのはどうですか。
ちょっと高いですよね。
時に酸っぱかったりします。
でも、シーズンに入るともっと甘くなります。
そしてもっとおいしくなるどころか、安くなるわけですよね。
だから初物というと、私も食べ物を配る仕事をしていますけれども、初物ですよというと、なんかウキウキしますよね。
そういう将来に対する期待感が、初穂、初物という言葉には含まれています。
将来の実りを期待させるという、期待や励ましがこの初穂という言葉になるわけです。
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天三陸の兄弟姉妹は、自分の信仰が精一杯かもしれません。しかしあなた方は初穂です。
これからあなた方以外に新しく生まれてくる実があるのですという、そういう期待と励ましを込めたメッセージが、初穂というパウロの言葉にあるわけです。
ですから今、この初穂、初物の希望の言葉、これはコロナ禍の中で精一杯今を生きてイエス様に縋っている、
私たちも受け取ることができる、希望の言葉であるわけなんですね。
さあ、それと関連して、次は選びという言葉を見ていきましょう。
選びという言葉、それ大事なことはですね、
新しく人がイエス様を信じて救われていく、新しく人がイエス様を信じて神様の民になるということは、
全く神様の働きであるということなんですね。
どうでしょう、自分が生き残ることが精一杯の中で、
他の人々に、例えばイエス様のことを紹介する、それはハードルが高いと言えますね。
また、クリスチャンというのは、聖書の神様が本当にいるということをこの世に明かしする存在です。
将来が不安で、自分の今が精一杯の中で、自分がこの聖書の神様が本当にいるんだという、そういう証拠になっている、
そういう確信を持てる方もいれば、持てない方もいるかもしれません。
でも、何かも言いますけれども、このイエス様を信じる、
それは、徹頭徹尾神様の働き、それは私たちの仕事ではないということなんですね。
ここに御言葉をもう一回書いておきました。パウルはこう言っています。
私たちは、あなた方のことについて、いつも神に感謝しなければなりません。
神が、見た目による性別と信じに対する信仰によって、あなた方を初穂として救いに選ばれたからです。とある通りです。
パウルたちは、神様にいつも感謝するその追い目を追っている。なぜならば、
神様があなた方を初穂として救いに選んでくださったからです。というこの選び。
ここの長い文章は、一人の人がイエス様を信じて、救いに預かるプロセスが書いてあります。
イエス様を信じると、精霊が働いて、その人が清められます。罪が清められます。
12:01
そして、この世から清められた神の民となります。
そして、イエス様を信じた人は、何を信じるかというと、真理に対する信仰。
イエス様が救い主であるという真理を信じることができる。
そして、その人たちは初穂となる。神の民となる。
そこには神の選びがある。
その救いには神の選びがある。そういう論理なんです。
神様があなた方を救いに選んでくださった。
神様があなた方を精霊によって清く分かってくださった。
清別してくださった。
そして、あなた方は真理を信じたかもしれないけれども、それは
神様があなた方に働きかけたから、あなた方はそのイエス様の救いの真理を信じることができた。
とにかく主語が徹頭徹尾、神様、神様、神様なんですね。
すべて神様の選びの中で起こった。
これはですね、クリスチャン生活が長い人とかは思うかもしれませんし、
私も長年牧師をやっていて、あることに気づくんですね。
それは、一人の人がイエス様を神様が自分の救い主だと信じることは本当に難しいことです。
頭で分かっていても、それを信じることが難しい。
あるいは、そのことを事実に受け入れること自体も難しいです。
それはですね、人間技では不可能に近いというか、ほぼ不可能ですね。
まさにその人が、イエス様に救いがあるというその聖書の真理を悟ることができる。
イエス様が救い主だというその人に確信が与えられる。
それは、聖霊なる神様の働き。
そして神様がその人を救いに選んでくださったからに他ならない、ということを実感しています。
パウルは、この苦難と不安の中にあるテサノイ家の供養会の人々。
彼らにですね、もう一回自分たちが今ここで神様を信じていることの不思議さや尊さに気づくように、
この手紙を励ましとして書いているのでしょう。
彼らの反対者たちのように、迫害というですね、彼らを反対する人たち。
彼らは、パウルがさっきもその前で言ってますけど、彼らは悪しき者に欺かれている。
そしてそれだけじゃなくて、ますます悪い者を愛している。
そして偽物の宗教に騙されて、破滅に向かっている。
そしてどんどんどんどん悪を愛して、あなた方を迫害している。
15:04
彼らの行く先は破滅だ。
そういう人たちがいる中で、一方あなた方は当たり前にイエス様を救い主として信じているでしょう。
イエス様を礼拝して、パウルや聖書の言うその真理に耳を傾けて受け入れているでしょう。
それはまさに神様があなた方を選んでくださった、そういう奇跡に過ぎないんだ。
奇跡に他ならないんだ。そういう神に選ばれている確たる証拠だ。
そのようにパウルは励ましているわけですね。
よく言いますけど、さっきサッカーの話をしましたが、国の代表選手に選ばれるというのは、名誉であり嬉しいことですね。
今よく言うラグビーとか野球とかサッカーだけじゃなくて、ゲームの世界でもですね、この世界選手権がその代表に選ばれたというのは名誉なことです。
そういうものは普通能力によって選ばれます。
でもそうじゃなくて、まず私たちは能力とかそういうものではなくて、一方的に神様に選ばれている。
その神様が選んでくださった、それはですね、実は不安の中で、私たちが抱く将来に対する不確かさの中でですね、私たちが確証できる確かさ。
神に選ばれているというメッセージは、私たちが受け取るべき確かなメッセージである。
そのことを、みことばからぜひ私たちも味わいたいものです。
最後にイエス様の愛ということを見ていきましょう。
自分がこのイエス様に愛されている、それをどのように実感するんでしょうかね。
パウロはこのテサノニケの兄弟姉妹に対して、兄弟姉妹たちと呼びかけています。
ここでは省いていますけれども、皆さんの元の聖書には13節の頭にこうありますよね。
しかし、主に愛されている兄弟姉妹たちと、パウロは呼びかけています。
この手紙を受け取ったクリスチャンの人たちは、日々増し加わっている迫害や将来への不安が覚められない中、どうやってイエス様の愛を実感できたんでしょうか。
それはですね、今2番目のところで述べたように、人間は例えば信じることができないイエス様を信じている。
そうやって神様に選んでもらっている。
それゆえにイエス様を救い主として信じ、今も諦めずに信じ続けていることができる。
18:05
それが実は神に、イエス様にも愛されている証拠になるんだと、パウロは言いたいわけです。
聖書ではですね、そういう愛を神様が秘域しているという愛ですね。
なんかこう昔、2つにグループ分かれてゲームとかするときに、ジャンケンで誰を取るかとかやりますよね。
その時にやっぱり自分の気に入った人が自分のチームに入ってほしいわけじゃないですか、ジャンケンで取り合いしたりする。
神様というのはまさに、私たち一人一人をですね、自分の家族に引き入れたい、そういう秘域にしたいという愛を持って見ておられるわけです。
さらに注目すべきは、ここでパウロが込めた言葉の深い意味、聖書の背景なんですね。
実はこの主に愛されている兄弟姉妹というのは、イスラエルの歴史に関わりがあります。
旧約聖書の歴史に関わりがある、特別な響きのある言葉なんです。
旧約聖書に神明記という言葉があるんですね。
7章の7節から8節、皆さんがよく知っているシツエジプトの出来事がありますよね。
その出来事の後、砂漠で彷徨って、これから約束の地に40年かけてやっと入ろうという時に、神様がイスラエルの民、神の民に語りかけた言葉です。
こんな言葉です。
主があなた方を恋したって、あなた方を選ばれたのは、あなた方がどの民よりも数が多かったからではない。
しかし主があなた方を愛されたから、またあなた方の先祖たちに誓われた誓いを守られたからである。
民が多かったから選んだのではないというのは、あなた方の能力とか権力ゆえに選ばれたんじゃないんだよ、と言っているんです。
そうではなくても、他でもなくて、主があなた方を愛されたからに他ならないんだ。
何度もあらので、背いた彼らを主が愛された、それだけじゃなくて、誓いを守った、それはよく言う誠実な愛です。
真実な、約束を違わない、そういう神の真実さが現れています。
愛する兄弟姉妹というパウロの言葉には、このイスラエルの民の歴史、神の民の歴史の重みがあるんですね。
先週ちょっと話しましたけど、私たちは日本人ですけども、どこの国にいようが、神の民という何千年の歴史の中にある、その中に繰り入れられているといったとおりです。
そしてさらにパウロは、もっと深い愛着を込めて、愛する兄弟姉妹と言っているんです。
21:02
パウロにとって特別な響きのある言葉なんです。
同じ新明紀のその後、33章の12節に、こういう言葉があります。前に記しました。ここに書いてあるとおりです。
ベニヤミンについて言った、主に愛されている者、彼は安らかに主の傍に住まい、
いつまでも彼をかばう、彼が主の肩の間に住むかのように。
これはですね、ちょっと難しいことを簡単に言いますけど、イスラエルは十二部族があるんです。
それで新しい地に入っていくにあたって、イスラエルの十二部族、それぞれに神様がこういう約束やメッセージを語っているよ、ということが記されています。
ちなみにイエス様の先祖はユダ族ですね。
ベニヤミン族、ベニヤミンって英語で何て言うか知ってます?
そう、ベンジャミン。ベンジャミンっていうのは、英語のこの聖書の言葉の由来です。
だから男の人でベンさんって言うでしょ?ベンさんっていうのはこのベンジャミンの略称です。
それはそれとしまして、そしてこのベニヤミンっていうのは何かっていうと、実はパウロの先祖です。
パウロは自分がベニヤミン族に属しているということを誇りに思っていました。
よくテレビ出てみると、戦国武将の先祖出てきますよね。
この間も徳川家康の先祖出てきて、家康みたいにまるまるしたほっとりした感じのおじさん出てきましたけど。
テレビで例えば芸人で言えば芸人というか、よくみんなは織田信成、織田信長の子孫で出てきますよね。
そういう戦国武将の家系の人っていうのは、何かすごい日本人には言葉で表せない凄さとか憧れがあります。
ベニヤミンっていうのは何かっていうと、イスラエルが王を立てた時に初代の王様がこのベニヤミン族が出ているんです、サウル王。
その後変わりましたけど。だからイスラエルの初代王の部族だっていうことは大きな誇りなんです。
パウロはかつてそれを誇りにしていました。
そしてそれを、違法人、ユダヤ人じゃないテサノネ家の人々に送っているんです。
ベニヤ民族の同じ同胞の兄弟姉妹よ、それは私の親戚って言ってるんですよ、パウロが。
そしてその言葉は違法人の私たちにも当てはまって、私たち日本人であろうがアジア人であろうが、実はパウロと同じ親戚なんです。
あの大伝道者のパウロと。それぐらいの親密さを持って、愛する兄弟姉妹、私の家族よとパウロはテサノネ家の人々に呼びかけて、
だから今苦しくても神に選ばれているから大丈夫です、神に愛されているから大丈夫ですと、励ましのメッセージを送っているわけですね。
24:01
そしてその部族というのはですね、あるちょっと人間的なアイデンティティがあるかもしれませんが、でも一番知っていただきたいのは、
パウロが自分の親戚と思うぐらい、テサノネ家の兄弟姉妹に仲間意識を持っているということなんですね。
テサノネ家の兄弟姉妹も、もしかしたら私たちももしかしたら孤独だと思っていても、パウロと同じ国の同胞だ。
そしてパウロが言う家族というのは私たちも、そして
場所と時間を超えた世界中のですね、歴史上のたくさんの家族が私たちの中に、周りにいるという仲間がたくさんいると断言されているんですね。
そして今私たちはこの2020年7月5日にイエス様を信じるものとしてここにいますけれども、
コロナ禍の中で自分の生活を保つことが精一杯かもしれません。
本当に礼拝やっていてもですね、マスクしながらやったりとか、小さい声で歌ったりとか、それだけでも気遣うんです。ある意味信仰を守るだけでも精一杯ですけれども、
でも、初音となって私たちが見えないところでやがて、新しくイエス様を救い主として信じる人を神様が選んで、
実りを与えてくださる、そういう約束が今日の御言葉から聞こえてくるわけです。
このような神様の選びやイエス様の愛にこそ、私たちが不安の中で得られる確かな希望がある、そのことをお互い覚えていきたいと思います。お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。様々な不安が冷めやらない、
私たちはいつの時代で何をしていても、そのような不確かさ、不安を覚えながら歩む時がありますけれども、
パウルを通してあなたが御言葉を持って、あなたの確かさ、神に愛され選ばれている、その幸いを告げてくださり感謝いたします。
新しい月が始まり、新しい週が始まりました。どうぞ私たち一人一人が、この新しい歩みの中で、
あなたご自身から、あなたの御言葉からまた確かな希望を得ながら、そしてあなたにある実りを期待しながら、日々歩んでいくことができるようにどうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、週イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
26:52

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