2020-08-30 25:35

#21 20/8/30 信仰・愛・希望

コロサイ1:3-6からの礼拝メッセージ。2020年8月30日録音。揺るがない拠り所、愛と希望について。
00:05
新約聖書、コロサエリトへの手紙、失礼しました。1章、1章の3節から6節を読みします。
私たちは、あなた方のことを祈る時に、いつも私たちの主イエスキリストの父なる神に感謝しています。
キリストイエスに対するあなた方の信仰と、すべての生徒に対して、あなた方が抱いている愛について聞いたからです。
それらは、あなた方のために、天に蓄えられている望みに基づくもので、あなた方はこの望みの言葉を、あなた方に届いた福音の真理の言葉によって聞きました。
この福音は、あなた方が神の恵みを聞いて、本当に理解した時以来、世界中で起こっているように、あなた方の間でも身を結び、成長しています。
以上です。今日はこのところから、信仰、愛、希望と題して御言葉を取り付けます。
皆さん、おはようございます。暑い日が続いております。
ちょっと、しばらく涼しい時もあったような気がしましたけども、昨日、今日とまた、暑さがぶり返してきましたね。
それでもまだ、朝夕少し涼しかったり、風が秋らしい、そんな時がお感じられて、秋の足音も聞こえるようです。
今日は本題に入る前に、一枚の両面塗りのですね、殺さえ人への手紙、公害というのを配りました。
その意見の時にも配りましたけども、一応、この手紙のアウトライン、私なりに作ってみたものです。
いろんな学者とか作った人によって諸説あるんですけども、一応こんな感じでまとめてみましたので、何かの参考にしてもらえればと思いますので、ぜひ持ち帰ってください。
さあ、今日はこの殺さえ人の手紙の第2回目の学びですね。
前に取り上げた手紙、ピリピリ人の手紙やテスラルリ家の手紙のように、パウロは冒頭でクリスチャンの方通りの挨拶をした後に、感謝の祈りをですね、告げています。
私たちはあなた方のために神に感謝している。その私たちというのは一緒にいるテモテ。テモテとパウロがこの殺さえの兄弟姉妹のために神に感謝している。
それは多分辞書を見ますけども、7節にあるようなエパフラスという伝令がですね、パウロのもとに届いて、彼からですね、この殺さえの教会のですね、健全な信仰を知ったからです。
03:04
こちらに用意しましたけれども、3つのことを感謝しているんですね。
学者に言わせれば、キリスト教の恵みの三大特質、トライアドと英語で言いますけどね、信仰、愛、希望です。
有名な第一コリントの13章の愛の手紙でもですね、いつまでも残るものは信仰と希望と愛ですという言葉がありますけれども、
パウロの手紙によく出てくる、このクリスチャンの3つの大事な要素、そこから今日学んでいくんですけれども、
ところでですね、このパウロはいつもお見せしているように、文字通り福音を伝えるべくですね、旅行したんです。電動旅行と言われているんですね。
さっき見たこのコロサイというのはここに書いてないんですけれども、だいたいこの辺りです。
エペソビトの手紙はここなんですけれども、この辺り。
パウロはこのローマから手紙をコロサイに書きました。
ちなみに前に見たテサロニケ教会はここですね。その前のピリッピ教会はここです。
ヨーロッパ、これは今のトルコ、ショーアジアの教会です。
で、パウロは文字通りですね、選挙旅行をしました。
3回の電動旅行と、4回目はですね、この点々にあるように、ローマに裁判で訴えて誤装された、4度の旅をしました。
4回の旅の合計のキロ数は、諸説ありますけれども、おおよそ5000km、4回。
徒歩とか、今みたいに、飛行機も新幹線もないですから。
どんな感じ5000kmってイメージあるかというと、
あれ、あ、これか。
このですね、東京から5000kmっていうと、タイのバンコク、ベトナムの、
今日来ていない人はいますけど、ベトナムのホーチミンまで5000km。
北はですね、ロシアのノボシビリスクとか。
もうちょっとこっち行くとですね、
北米のアラスカ州のアンカレッジの近くまで、
大体これくらいの距離をパウロは生涯かけて、徒歩と馬と船とで旅した。
まさに彼の生涯は選挙のための旅行の生涯だったわけです。
実は皆さんも気が付いていると思いますけれども、
聖書ではクリスチャンの歩みを旅と名づらえていますよね。
毎日の生活をパウロも歩きなさいと言って、
日々の生活を歩むと、ペリパテオ、歩むというふうに例えられています。
そのようにですね、今日の3つの大事な言葉を人生の道行きに名づらえて、
06:04
信仰について、愛について、希望について、
共に今日学んでいきたいと思います。この3点。
まず最初ですね、イエス・キリストに対するあなた方の信仰という言葉です。
前にも掲示しましたが、パウロは冒頭こう書いていますね。
私たちはあなた方のことを祈るときにいつも、
私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
なぜなら、キリストイエスに対するあなた方の信仰と後で言いますが、
全ての生徒に対してあなた方がいわれている愛について聞いたからです。
まずイエス様への信仰という点を最初に見ましょう。
ではその救い主イエス様を信じる信仰とは一体どういうことか。
信仰とは何か、よく言われていますけれども、
それは一言で言えば、イエス様を信じて生きる人生そのものを信仰と言います。
自分の拠り所としてイエス様に頼る人生、それをクリスチャンの信仰と言います。
その信仰生活、教長と読んだ6節では、福音が実を結んでいると言い方をしています。
成長しているその証に彼らのイエス様を信じる愛みがあるとパウロは感謝しているわけですね。
ところで皆さんね、旅を英語で言うとなんて言いますか?
トラベルですよね。トラベルはトラブルって聞いたことあります?
トラベルはトラブルというように、旅には問題がつきものです。
突然のことが起こるわけです、ハプニングが。
例えば8月28日に突然首相が辞めるというニュースが入ったり、
車を運転していました私、ラジオを聴いて。
ただですね、ラジオのDJが臨時ニュースがありますと言ってですね、
いわゆる英語で言うブレーキングニュースと言ってですね、
その首相の退陣が発表されたわけです。
それはさておきまして、例えばこんな絵を用意しましたけど、
旅路でね、怖い吊り橋です。
こういう吊り橋を渡らなきゃいけなかったり、本当に渡ってるわけですよ。
絶対僕はできませんけどね。
こういう怖い橋を旅の中で渡らなきゃいけないかもしれませんし、
こういう大きい岩がですね、行く手を阻むかもしれません。
あるいは暴風に見舞われることがあるかもしれません。
その都度私たちは助けを求める。
そして極端な場合はですね、このレスキュー隊とかですね、
救急隊を呼ばなきゃいけない。
そういうことがあるわけですよね。
私たちも人生の旅路において、毎日の歩みにおいて、
様々な問題や課題に直面します。
そしてその都度、救い主イエス様が自分を助けてくださるという、
09:04
そういう信頼があるから、イエス様に祈るわけですよね。
自分の問題をイエス様に打ち明ける。
これがまた祈りの生活でもあるわけです。
そして以前にも言いましたが、主なるイエス様、
旧約聖書の主イエス様という信じますけれども、
その主について旧約聖書の紙片はこういう約束というか、
勧めを神の民私たちにしています。
前に掲示しましたが、詩編の37編4節5節、
あなたの道を主に委ねよう、主に信頼せよ、主が成し遂げてくださる。
有名な詩編です。
主に委ねなさいと委ねるというのはですね、ちょっと難しい話しますけど、
旧約聖書にギリシャ語で書いてある旧約聖書があるんですね。
それではアポカリプトといって目標で使われている、
隠れているものを明らかにするという意味があるんです。
だからあなたの道、あなたの人生の問題や悩みを
つまびらかに神の前に明らかにしなさいという意味なんです。
お祈りの中で自分の抱えている問題を包み隠さず主に打ち明けなさい。
そう進めているんですね。
そのように主イエス様に信頼しなさいと進めているわけです。
これはもちろんですね、皆さん知っているように私たちは何もしなくていいことではないんですね。
もちろん私たちも神様に信頼して皆さんがそれぞれの職場とかですね、生活しているようにベストを尽くすわけですよね。
でもベストを尽くしてもやはり私たちは神様の助けを必要とするわけです。
ですからイエス様に最善を尽くしながら助けを求めて祈りを求めていくわけです。
自分の問題や課題をつまびらかに祈りのうちにイエス様に打ち明けるわけですね。
すると主が成し遂げてくださるということがそれぞれ皆さん課題があるかと思いますけれども
主が解決してくださる、力を与えてくださる、そういう信頼があって祈るわけですね。
これがイエス様をよりどころとする人生、イエス様を信じる信仰生活です。
今まさにコロナ禍の中において困命の時代と言われてますよね。
何をよりどころとしていいか迷うことがあるかもしれません。
しかし私はもう30年以上イエス様を信じてきて、本当にイエス様を信じてきてよかったと今実感するわけです。
確かによりどころとしてイエス様を信頼しますと言えることは幸いなことです。
12:00
先週少しお話しした平安のイエス様が私たちと共にいてくださる、イエス様が私たちの道行きに伴ってくださるという約束があります。
その共におられるイエス様に頼るのが私たちの人生の旅路ですよね。
そしていつも言いますように聖書の伝統や神の旅の歴史がその主に信頼する歩みの確かさを証しているわけです。
ですから安心して私たちはイエス様をよりどころとして今を生きることができるわけです。
最初の点はこの主をよりどころとするイエス様を信じる信仰の歩みということでした。
二番目、すべての生徒に対してあなた方が抱いている愛、ちょっと戻しますが、パウロが神に感謝している二つ目の内容はすべての生徒に対してあなた方が抱いている愛について聞いたからです。
愛ということですね。私たちの信仰の旅路、人生の旅は孤独ではありません。
共に旅をする仲間や家族がいるわけですよね。
しかし旅の同行者が問題を抱える場合があります。病気をしたりとか、あるいは仕事で悩んだりとか。
その中で私たちの助けを必要とする場合があるかもしれませんね。
そういう風に旅で言えば道に迷う人、あるいは病気や怪我で道行きに遅れてくる、そういう同行者がいるかもしれません。
その時あなたはもちろん手を貸すかもしれません。
手を貸すだけではなくて、歩みが遅くなる同行者に対して忍耐が必要となるでしょう。
今のコロナ禍において、ストレスが増えて怒りっぽくなったという人、
忍耐が、観忍袋の方が蹴りやすくなった人がいると言います。
でも忍耐が必要な時があるわけですね。
このような今の状況で、人間関係もやっぱり試されているわけですよね。
このように愛が試され、その愛が必要とされているのが今です。
そして当然、私自身も、自分自身も誰かに世話をしてもらったり、手をかけてもらって、今があるわけですよね。
この兄弟愛について、パウロはこの殺された人の手紙の後半で詳しく述べていますから、
今後の学びに委ねます。今は詳しく触れません。
でも大事なことはですね、イエス様を信じる信仰というのは、人間関係にも現れてくるということです。
そして、その後で詳しく取り上げる御言葉をですね、とりあえず今日は紹介して、第二のポイントは終わりたいと思います。
15:02
三章の十二節、十四節は後で詳しく取り扱いますが、パウロはこう進めています。
それゆえ、神に選ばれた者、聖なる愛されている者として、あなた方は深い同情心、慈愛、謙遜、入和、寛容を身につけなさい。
互いに忍び合い、誰かが他の人に不満を抱くことがあっても、互いに許し合いなさい。
主があなた方を許して下さったように、あなた方もそうしなさい。
そして、これらすべての上に愛をつけなさい。愛は結び延びとして完全なものです。
人生の旅路、日々の生活を送る上で、このようなパウロの愛の勧めが大きな参考になることでしょう。
最後のポイントです。福音の恵み、天にある希望です。
どんな旅にもですね、目的地があるわけですね。
ハワイで毎年ホノルルマラソンが開かれていて、今年の開催が誤っていましたが、一応開催するそうです。
でも、皆さん分かりますよね。ハワイに行ったら、まず2週間ホテルにいなきゃいけない。
そしてマラソンに出て、帰ってきて、また2週間じっとしてなきゃいけないわけです。
1ヶ月ですね、ゆっくり時間をとって、お金がある人なら参加できるようですけども、皆さんができればぜひ行ってください。私は行けないと思います。
それはともあれ、旅には目的地がある。そして良い終わりが、良いゴールがあるわけです。
それを知っているからこそ、辛い旅路も続けることができるわけです。
そして私たちの旅のゴール、クリスチャンの旅のゴールは、天国ですね。
天国の希望が私たちの先の望みであるわけです。
そこでやがてイエス様が私たちを迎えてくださるという、そういう希望があるわけですね。
その希望があるから、道中の問題の中でもイエス様に信頼して、
共におられるイエス様と共に旅をすることができるし、
同伴している家族や、また仲間のいたわりや配慮をすることができるわけです。
この希望という根拠があるからこそ、神を信頼し、互いに愛し合うことができる、
そのようにパウロは述べているんですね。
今日見ているところの続き一章の誤説、
それらは、というのが何か、
イエス様に対する信仰と、兄弟姉妹に対するあなたの愛は、
あなた方のために、天に蓄えられている望みに基づくもので、
あなた方はこの望みのことを、あなた方に届いた福音の真理の言葉によって聞きました。
18:00
と言っているわけですね。
望みがあるから、私たちは信仰と愛に生きることができる、とパウロは言うわけです。
天に蓄えられている望み、それが旅のゴール、
私たちの信仰の道を支える、と言うんですね。
ある学者は、この希望はイエス様の復活と深く関わっている、と言うんですね。
希望にはイエス様の復活が深く関わる。
学者の言葉はここに引用しましたけど、なぜかここがあります。
イエスの復活は、福音の中心的主題だ。
それは、死に対する勝利の約束が、良き知らせの一部だからだ、と言うですね。
このコロナ禍において、命や人生のしまい方ということも注目されています。
私よく、今でも忘れられないのが、3月ぐらいですか、
50代の会社員の方が家で埼玉で亡くなっていた。
50代でも新型コロナウイルスで命を失ってしまうんだ、ということ。
すごく心に残っていることを覚えています。
そんな中で、いわゆる死生観ということが今見直されていますけれども、
まさに、私たちの福音の中心はイエス様の復活、
そこに死に対する勝利の約束があるからだ、というわけですね。
皆さんも今分かったように、救い主イエス様を信じた私たち、
それは私たちには、この同じ復活の命の希望が与えられているわけです。
私たちがたとえこの世の地上の生涯を終えても、
復活に預かることができるという希望です。
でも実はですね、聖書を詳しく調べても、
復活の体がどうなっているかということは詳しく分からないんです。
どこに私たちは住むのかとか、どういう状態なのかということが分からなくて、
もうキリスト教の2000年の歴史の中で真面目に学者が議論していることなんです。
でも確実に分かっていることは、たとえ私たちはこの世の地上の生涯を終えても、
やがて神様とイエス様と共に命を流らえることができるという、
そういう希望があるということなんですね。
そのところではですね、
罪に悩まないし、悩みも苦しみも病もない、そういう希望があるんです。
新約聖書の最後の目視録にこういう言葉があります。
前に掲示しました。
見よ、神の幕屋が人と共にある。
つまり神が共に人と住んでいるということです。その時には。
その最後の時ですね、永遠の命の希望についてですが、
21:00
神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。
また、神ご自身が彼らと共におられて、
彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださる。
もはや死もなく悲しみ、叫び、苦しみもない。
なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである。
これがイエス様を信じる私たちに与えられている復活の希望です。
そしてこの復活の希望の先駆けとして、
イエス様はよみがえって、今は天で父なる神様の右に座しておられる。
そのことをパウロはこのコロサイ人の手紙の中で告げています。
三章の一節です。前に掲示しましたが、こういう言葉です。
こういうわけで、もしあなた方がキリストと共によみがえらされたのなら、
上にあるものを求めなさい。
そこにはキリストが神の右に座を占めておられます。
コロサイ三の一。
ここで興味深いのは、イエス様を信じた私たちは、
キリストと共にもうすでによみがえらされたと言われているのです。
だからもう死後の新しい命の保障がされているということなんですね。
そしてそういう私たちは、イエス様が座しておられる、
天にあるものを求めなさい。
上にあるものを求め続けていきなさいと言って、
旅路のゴールが天国、上にあるものを求めるようにと設定されて命じられているわけですよね。
そしてこの希望を胸に、このゴールを目指して旅路を歩むのが、
クリスチャンの歩みだということです。
昨日明るいニュースがありましたね。
この池井理香子選手、ちょっと写真ぼやけてしまいましたが、
白血病を公表して、1年7ヶ月ぶりに初めて大会に出ました。
私も我が娘のようにですね、昨日ニュースを見て胸の高まりを抑えられませんでした。
彼女はつらい糖病生活と厳しいリハビリ、
この懸垂になっている画像も動画も出てましたけども、厳しいリハビリを経てきたわけです。
すごく痩せてしまいましたよね。
でも彼女には、レースに出て勝ちたいというゴールがあった。
だからこのつらい日々を乗り越えることができたわけです。
そして昨日見事に目標タイムをクリアして、50m自由形で優勝できたわけですよね。
私たちもこの将来の良い希望やゴールを目指して歩んでいきたいものです。
そしてパウルはこの殺される人の手紙の中で、イエス様にある希望の意味、その奥深さをさらに詳しく解き明かしてくれているわけです。
24:03
私たちもこの手紙を学び続けて、イエス様にある希望をますます知って、この世の旅路を歩んでいくお互いでありたいと思います。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
あなたが私たちを救ってくださいました。
それで終わりではなくて、私たちがイエス様を救い主として信じ、この世の旅路を続けることができるよう、この道行きを与えてくださっていることを感謝いたします。
どうかその旅路においてあなたを信頼しながら、また共に旅をする兄弟姉妹家族を神様に会って愛しながら歩んでいくことができますように。
その旅路の中でどうぞ、私たちが目指すべき天の御国、将来与えられているその希望を捉えて日々歩むことができるように、どうか導いてください。
これらの思いと願いを、また感謝を込めて、私たちの救い主、主イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン
それではしばらくいつものように黙祷しましょう。
どうぞ。
何か委ねるべきことがあれば、イエス様に祈りの中で委ねてください。
感謝することがあれば、イエス様に感謝しましょう。
様々な思いをしばらく主に委ね、献身の思いをまた主にお捧げください。
25:35

コメント

スクロール