2022-03-27 25:33

#/98/22/3/27 ダマスコとイスラエルで

ガラテヤ-24からの礼拝説教。2022年3月27日録音。3月27日現在ロシアのウクライナ侵攻は1か月を過ぎましたが停戦の兆しが見えません。一日も早い解決を願っております。そのニュースの中でウクライナの都市の名前が出てきますがなかなかイメージがわかないかもしれません。今日の朗読箇所にもいくつかの地名が出てきます。この手紙でパウロは自分の回心後の足取りを比較的詳しく伝えています。その中で自分が人間の権威ではなくイエス様から直接任命されたということを立証しているのです。今日扱う箇所で次のことが読み取れます。「権威ある使徒とは2人しか会わなかった。そして彼らからイエス様の地上の生涯について聞いた」。そのことを少し詳しく取り上げ、1.パウロの行った場所2.あった人々、3.聞いたことから学びましょう。

00:05
読みます。ガラテア人への手紙、1章18節から24節 それから3年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに登り、彼のもとに15日間滞在しました。
しかし、主の兄弟ヤコブは別として、他の人たちには誰にも会いませんでした。
神の御前で言いますが、私があなた方に書いていることに偽りはありません。 それから私はシリア及びキリキアの地方に行きました。
それで私は、キリストにあるユダヤの諸教会には、顔を知られることはありませんでした。 ただ人々は、
以前私たちを迫害した者が、その時滅ぼそうとした信仰を、今は述べ伝えていると聞いて、私のことで神を崇めていました。
以上です。 今日はこのところから、
ダマスコとイスラエルでと題して見言葉を取り継ぎます。 皆さんおはようございます。
先週は火曜日に、二座式では雪が降りました。びっくりしてしまいました。
そして、昨日と今日と比較的雨も降ったり、不安定な天候で体調を崩す方も多いかと思いますが、
共に学べる、見言葉から聞けること、礼拝を持てることを感謝しております。
今、3月27日で今年度最後の礼拝ですが、今日現在ですね、まだウクライナへのロシアの侵攻、1ヶ月過ぎて、まだ先が見えていない状態ですね。
この地図を見ますとですね、日本がここで、ウクライナ国会がここですね。この辺りがウクライナですね。
いろいろですね、都市の名前が出てきます。キエフとかね、オデッサー、私なんか行ったことあるので、なじみ深いんですけども、他の名前なかなかですね、いろんな都市の名前が出てきてもピンとこないかもしれません。
今日の朗読した箇所にもいくつか地名が出てきます。
で、ガラテアビトの手紙の特徴は、パウロが自分の、特に会心後の足取りを割と詳しく書いている。そして地名が出てくる。それが一つの特徴なんですね。
彼はそういうことを話すことによって、自分がこの与えられている権威は人間からではなくて、神ご自身、イエス様ご自身から福音を掲示され、そして違法人選挙に召された。
そのことを強く、これらの自分の道のりを通してですね、証明しようとしているわけなんですね。
03:01
最初にですね、今日扱う箇所の要約を言いますけど、そこでパウロはですね、こういうことを言っています。
人からの権威は授かっていないけれども、使徒ですね、いわゆる英語のアポストル。使徒には二人だけ会いました。二人しか会わなかったということ。
そこでイエス様の生涯について聞いたということ。そういうことを今日の箇所でパウロは簡単に述べています。
そのことを今日少し詳しく取り上げていきます。
3つの点から取り上げるんですけども、最初はパウロが行った場所。2番目はパウロが会った人々。そして3番目は彼が聞いた内容、そのことをですね、ともに取り上げていきたいと思います。
これパウロの電動旅行の絵ですけどね。ガラティア地方というのはここですね。国会がここで、この上が今話題になっているオデッサとかあってウクライナがある。こういう図になってますけど。
まず最初、さっきも言いましたけどね、パウロは使徒とは二人しか会わなかった。そういうことで地上の生涯について聞いたということです。
まず最初の点はですね、パウロが行った場所です。アラビアとダマスコ、そしてエルサレムとシリア・キリキア地方というふうに言っています。
今日読んだ箇所の一つ前の17節から21節まで、その足取りがたどれるところを抜粋していましたので、ちょっと見てみましょう。読んでみますね。
私より先に人となった人たちに会うために、エルサレムに登ることもせず、つまりダマスコで主に会った後ですね、会心後すぐにはエルサレムに登りませんでしたよ。
その代わり、ダマスコからすぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。
それから3年後に私はケファーを訪ねて、エルサレムに登り、それから私はシリア及びキリキアの地方に行きましたと言っているわけです。
今日は図を用いながら足取りを見ていくんですけれども、まずパウロが会心したダマスコですね、これ現在シリアのダマスカスと言われています。
アレッポとかの攻撃が有名でしたけれども、数年前まで内戦が非常に盛んで、それこそロシアなんかもミサイルを撃ち込んだりしていましたけれども、
2019年でしたかね、停戦が合意して、このシリアの内戦が今落ち着いている状況です。
岩でもダマスカスと言われていますけれども、そこにはまっすぐという通りがあって、パウロが会心したであろうという場所も辿ることができます。
06:03
このシリアアラブ共和国の今でいうダマスコでパウロはイエス様と出会いました。
その後ここで見言葉にありますが、エルサレムにまず登って人たちに権威をもらわないで、そういうことじゃなくて、まずアラビアに下りました。
そしてその後すぐにダマスコに戻ったというんですね。
アラビアに行ってダマスコに戻った。
そこで足掛け3年ダマスコで過ごしてですね、後でも詳しく言いますけれども、その後エルサレムに3年ほどいた後ですね、
足掛け3年いた後エルサレムに下って、ペテロとヤクブに会って、またそこからですね、
彼はエルサレムでも命を狙われたので、このキリキア、シリアキリキア地方、彼の生まれ故郷のタルソスにですね、戻った。
それが共和の箇所の大まかな彼の行程です。
もうちょっとこれは詳しく学んでいきますけれども、
パウロはですね、まずダマスコ、アラビア、そしてまたダマスコに戻った後、
ダマスコでですね、約3年半、3年弱ですね、その地で、
違法人選挙、あるいはギリシャ語を話すユダヤ人にイエス様のことを述べ伝えたんですね。
で、迫害者のパウロが福音を述べ伝えていることをダマスコの人たちは見て聞いてですね、すごく驚いたわけです。
そしてその時の様子を、使徒の9章の21・22節でこう書いてるんですね。
これを聞いた人々はみんな驚いてこう言った。
この人、パウロ、サウロは、エルサレムでこのミナを呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。
ここへやってきたのも、彼らを縛って西市長たちのところへ引いていくためではないのですか。
しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、
ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせたと言っているんですね。
そしてこのダマスコのユダヤ人たちはパウロを殺そうとしたわけです。
そしてパウロはですね、この図にありますが、
弟子たちに夜中にですね、カゴに吊り下げられて、城壁の外に下ろして逃がしてもらった。
よく時代劇でもですね、あるいはハリウッド映画でも、
命狙われた人がですね、夜脱走するなんて一瞬ワクワクしますけど、
そのようにサウロはカゴに吊り下げられて逃れた。
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そして彼はどうしたかというと、その後ですね、エルサレムに登っていったわけです。
ダマスコからエルサレムに登っていった。
そしてエルサレムで何をしたかというと、そこでパウロはやはり宣教をしたんですね。
ちょっと読める方、読んでみましょうか。縦で読みにくいかもしれません。
そしてギリシャ語を使うユダヤ人たちと語ったり論じたりしていた。
しかし彼らはサウロを殺そうと狙っていた。
兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリアに連れて下り、タルソへ送り出した。
ここでもですね、福音の宣教の故に彼は命を狙われて、
パウロのサウロの仲間たちは彼をですね、逃した。
カイザリア、ここにまずユダヤのカイザリア人を逃して、
そしてこのタルソ、彼の生まれ故郷に送った。
これがですね、タルソというのは今日の御言葉にあるように、シリア・キリキア地方なんですね。
パウロはそこに逃れていったわけです。
ここのタルソというのはパウロが生まれた生まれ故郷ですね。
で、どういうことか。
これこそはですね、いつも言ってますが、
1の9章に順番が書いてありますから、ぜひ読んでください。
そしてパウロはですね、迫害者、キリスト社の命を狙う者から、
今度は逆にユダヤ人から命を狙われる者になってしまったわけですね。
戒心前はユダヤ教の権威を持っていた、安定的な地位を確保していたパウロだったんですが、
イエス様を信じて福音に生きるようになってから彼は反対に、
命を狙われて旅から旅へと移動する人生が始まったというわけです。
それはですね、イエス様の十字架を背負って旅する、
私たちクリスチャンの生き様とも共通しているわけですね。
そのことを心に留めながら、困難の中でも人生の旅路を、
神と共に、お互いでやりたいと思います。
3番目、パウロが会った人々を少し触れていきます。
ペテロとシュの兄弟ヤコブでした。
ちょっと読める方、1章18節19節読んでみましょう。
それから3年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに登り、
彼の元に15日間滞在しました。
しかし、シュの兄弟ヤコブは別として、他の人たちには誰にも会いませんでした。
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パウロはですね、ダマスコからエルサレムに登った、
そして15日間そこに滞在して、
ペテロ、ケファと言われているペテロですね、
それでシュの兄弟ヤコブに会ったわけです。
ここで言うケファというのはですね、イエス様の弟子のペテロのことです。
ペテロというのは、当時の公用語のギリシャ語の名前でペテロと言ったんです。
それ、岩という意味です。
ケファというのは、イエス様や弟子たちが使っていたアラム語の読み方で、
それもケファというのは岩という意味なんですね。
この岩の上に私は教会を建てますといった言葉が有名です。
パウロはこのケファと呼ばれているペテロと会った。
そしてヤコブはイエス様の弟、シュの兄弟というのはイエス様の弟のヤコブと言わずもがな、
この二人は有名な人たちだったんです。
なぜパウロはこの二人の名前を出したかというとですね、
彼は嘘をつきたくなかったんです。
彼はですね、いや私は一切人からの承認を得ていませんと言ったけれども、
いや私は誰にもあってません。
人となるために誰にもあってませんという嘘はつきたくなかった。
だから、いや私はエルサレムに行って名ざたる人たちに会いましたよ。
ただしそれはペテロとヤコブの二人だけだったんですよ。
そういうふうに真実に証言しているわけなんです。
このイエス様の一番で人も言われたペテロ、
そしてイエス様の弟と考えられているヤコブは、
イエス様とのつながりからエルサレム教会で非常に有名な人だったんですね。
だから人から見たら、
パウロはペテロとヤコブだったじゃないか、
うちろ指さされたかもしれない、
そういうことがないように彼は二人で会ったことを証言したわけです。
だけどパウロは、
その二人以外、私はエルサレム教会にその当時顔見知りはいませんでした、
というようなことを言っていますね。
そのことをこういうふうに言い換えています。
今日の一書二十二節でこう言っているんですね。
それで私はキリストにあるユダヤの諸教会、
エルサレム教会、ケンやるユダヤの教会には
顔を知られることはありませんでした。
顔を知られることはないというのは別の言い方をするとね、
面識がないということです。
つまりペテロとヤコブ以外に私は面識がなく、
そしてその二人との面会も最低限であったんですよって言って、
エルサレム教会でたった二人の人にしか会っていないんですよって告げています。
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だから私は別に人から承認を受けて人になったわけでもないんですよと強調しているわけですね。
しかも二人に会ったのも十五日間、たったの二週間だけエルサレムに滞在したに過ぎないんですよ。
そのように彼は言ってですね、
自分の滞在期間の短さと会った人の少なさを語ることによって
自分の人としての権威は人間ではなく神様から直接授かったと言っているんです。
パウロは三回電動旅行をしていますけど、
ここで話していることはですね、電動旅行に出る前の出来事、
イエス様を信じたすぐ後の三年四年の出来事を
彼はこうやって証言しているわけなんですね。
それは一つの、皆さん教養として知っておいてください。
そして最後三番目。
じゃあパウロがヤコブとペテロと何を話したか。
パウロの聞いたことは何だったか。
それはイエス様の十字架と復活の物語だったってことなんです。
ここでですね、二人の人と会った大事な理由がありました。
それはペテロとヤコブの二人から
イエス様の地上の生涯についておそらく聞いたんじゃないかと。
福音書を見るとペテロがいつもイエス様と一緒にいたことがわかりますね。
ヤコブもイエス様のおそらく弟だったと言われている。
そういう身近にいた二人からイエス様の地上の生涯を聞いた。
特にですね、イエス様の受難、十字架、そして復活の出来事を聞いたのではないかと言われています。
イエス様の受難、鞭打ち、逮捕、裏切られたこと、そして不当な裁判、
そして十字架の局形、生々しい出来事を、
イエス様の十字架の物語を目撃症人からパウロは直接聞いたかもしれません。
そしてペテロもヤコブも復活のイエス様に出会いましたね。
その衝撃の出会いをパウロは直接聞いたと思われています。
実はですね、福音書を読むとわかると思うんですけど、
イエス様の兄弟はみんなイエス様のことを信じなかったわけです。
ある聖書の箇所ではマリアとイエス様の兄弟たちがですね、
イエス様の気が触れたと思って、
戦況旅行中のイエス様を連れ戻そうとしたって物語が出てきますよね。
でもそんな中でもヤコブは復活のイエス様と出会って、
イエス様がメシアだということを知って、キリスト社になって、
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初代教会の名だたる人の一人になったわけです。
それがイエス様の弟ヤコブだったわけですね。
何度もお話ししましたけども、パウロは直接イエス様から、
神様から福音を掲示されました。
立法を守れないユダヤ違法人も、イエス様の十字架を信じるだけで
罪が許され清められて、神のためにされるという福音を聞いたんです。
直接掲示の光の中でそのことがパウロに教えられたとも考えられています。
けれども大事なことはですね、
直接神様から彼は聞いたとしてもですね、
復活の証人、イエス様の目撃証人であるペテロとヤコブから、
直接イエス様の物語を聞いて、
リアルな話を聞くことによって、彼は自分の福音、自分の信仰、
そこにさらなる深い確証を得て、
より現実的なものとして捉えることができたわけですね。
生々しい十字架の話を直接ペテロとヤコブから彼は聞いて、
自分がイエス様から直接聞いた福音を、
より現実味のあるものとして捉えたようなんですね。
おそらくその時の聞いたイエス様の物語を基にパウロは、
第一コリントの15章の3節から8節の有名な復活の記述を書いているように思われます。
ちょっと長いんですけど読んでみますね。
私があなた方に最も大切なこととして伝えたのは、
私も受けたことであって次のことです。
キリストは聖書に書いてある通りに、
私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、
また聖書に書いてある通りに三日目に蘇られたこと、
またケファ、ペテロに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後キリストはヤコブに現れ、
そして最後に突き垂らずで生まれたもののような私にも現れて下さいました。
第一コリントの15章からの罰罪です。
先ほども言いましたが、パウロは自分が直接刑事された福音に
ペテロとヤコブからイエス様のリアルな話を聞くことで
さらなる深い確証を得て福音がより現実的なものとなったわけですね。
何が言えるか。
それは直接イエス様から福音を聞いたパウロでさえ、
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福音を刑事されたパウロでさえ、
イエス様の十字架の物語、復活の物語を生で聞く必要があった。
それは注目に値することです。
ですから私たちも聖書から直接福音書からイエス様の物語を聞き、
私たちの信仰を確かなよりどころの上に築くことが必要なわけなんですね。
今年の受難週は4月第2の10日の日曜から始まります。
4月17日の日曜日がイースターですね。
その期間どうでしょう。
パウロのように聖書を通してイエス様の受難の物語や復活の物語に触れてみてはいかがでしょうか。
例えば福音書ですと、
簡潔に読みやすいのはマルコの福音書の14章以下、
イエス様の受難と復活のことが簡潔に書いてあります。
詳しい描写ですとですね、
マタイの26章以下とかルカの22章以下に書かれています。
ちょっと違う視点のヨハネの福音書では、
18章以下にイエス様の受難と復活の物語が記されているわけなんですね。
私たちはパウロと同じように自分の個人的な体験として、
イエス様を救い主と信じ、
救いを体験しますね。
イエス様が本当に私の救い主だと心に迫ってくる。
でも同時にパウロのように、
イエス様の受難と復活の物語を外から聞く必要がある。
もし私たちがですね、
聖書の言葉を通して、
イエス様とそこで出会うとき、
そこで私たちはより確かな信仰の拠り所を得ることができるわけです。
自分の感情とか経験も大事ですけど、
それと同時に聖書を信仰の拠り所とすることができるわけですね。
実は私たちが聖書を読んで、
心を動かされるということは、
それはですね、パウロのように直接聖書から神の言葉を聞く、
それと同じ体験をしているとも言えるわけなんですね。
ぜひ皆さんの日々の生活の中で、
御言葉を通してこの復活のイエス様と出会う、
そのイエス様を知る経験を積まれてほしい、
そのように願うわけです。
最後にパウロが語った大事な御言葉を読んで終わりにしましょう。
24:02
ローマ10章17節です。
読んでみましょう。3、はい。
信仰は聞くことから始まります。
聞くことは、キリストについての御言葉を通して実現するのです。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
パウロは自分の戒心、またその後の旅路を通して、
自らの福音やまた人の権威の確かさを明かししました。
その中でイエス様の復活、受難の物語を聞き、
より自分の救いの拠り所を確かなものにすることができたようです。
どうぞ私たちも与えられた救いを聖書の言葉を通して、
また聖書を通してイエス様の受難、イエス様の復活に出会うことによって、
聖書の拠り所とした確かな真空を築くことができるようにどうか導いてください。
この願いと感謝を私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは皆様、1分ほど主に応えてお祈りしてください。
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