2021-10-17 27:32

#77 21/10/17 一致を保つために

エペソ4:1-6からの礼拝説教。2021年10月17日録音。1.召しにふさわしく歩むことについて、2.一致を保つために必要な謙遜を含む4つの品性、3.御霊の与えて下さった一致を保つ、の3点から学びましょう。

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エペソビットの手紙、四章、一節から六節をお読みします。
さて、主にある囚人の私は、あなた方に勧めます。
あなた方は、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
謙遜と乳和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに絶え忍び、
平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。
あなた方が召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、
身体は一つ、御霊は一つです。主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内におられる、すべてのものの父である神は、ただ一人です。
以上です。
今日はこのところから、一致を保つために、と題して御答を取り継ぎます。
皆さん、おはようございます。
今日は雨降りの朝となりましたが、教会でまたそれぞれの場所で、
共に詩を礼拝できること、また詩の御言葉に耳を傾けることができることを感謝しています。
今日からですね、エピソディットの手紙は、この4章後半に入ります。
前半を受けて、この後半4章から6節では、
クリスチャンがどう生きるべきか、そのままある人に言わせれば、倫理的な基準が教えられています。
今日はその一番最初、御霊の一致を保つということについて学んでいきます。
それはですね、後で見ますが、まず飯にふさわしく歩むということ、それが第一点の今日の学びですが、
6章までの大前提である、飯にふさわしく歩むということについて最初に学び、
その次は2番目は、一致を保つために必要な謙遜を含む4つの品性を学びます。
そして3番目にはですね、この御霊の与えてくださった一致を保つということはどういうことか、
その3点を学んでいきます。
まず、クリスチャンの基本となる大切な言葉、信仰の態度、飯にふさわしく歩むということを学びます。
読める方、前にも示しましたが、4章1節もう一度読んでみましょうか。
さて、主にある囚人の私は、あなた方に勧めます。あなた方は召されたその飯にふさわしく歩みなさい。
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詳しく触れませんが、パウロは自分の言葉を主にある囚人と言っています。
これはですね、福音の故にイエス様と一緒に牢に入っているということで、
これからパウロが教える上での彼の権威を表しているんですね。
だからよく聞いてください、そういう願蓄があります。
先ほども言いましたように、1章から3章においてパウロは、
神様が私たちに与えてくださったすべての霊的な祝福、それを語ってきましたね。
1章3節に始まっています。
そして、そのことを受けて、3章までの間にずっと語りながら、3章の最後で、
神の栄光が教会、すなわち私たちとイエス・キリストによって永遠まであらわされますように、
先週学んだようにパウロはその祈りを締めくくっています。
神様はこのように、ご自分の栄光のために私たちクリスチャンを選んでくださった。
そしてそのクリスチャンも私たちも、神の子としてご自分の栄光のために、
そしてご自分の祝福を与えるために選んでくださった。
ある意味特権を受けたんですね。
そして神の新しい民としてくださったわけです。
そして何度も言いますが、それを受けてパウロは、
エピソードのクリスチャンに対して、そして21世紀の私たちに対して、
それを召しにふさわしく歩みなさいと教えているんです。
このふさわしく歩む、英語でwordy to言うんですけど、
このふさわしく歩む、これはパウロ特有の言い方であって、
飯というのは、招くという字にあるように特別に呼び出す、
特権や祝福がそこにがんちくされています。
この絵、誰かわかりますかね。
横綱白鳳が何をしているか。
白鳳が猫だましをしている絵だそうです。
猫だましをする白鳳。
つい先日引退した白鳳について、
彼は横綱の品格にそぐわなかったという話題が沸騰していましたね。
今でもそうかもしれません。
なぜそんな話題になるかというと、
横綱というのは、勝ち星をたくさん上げる、優勝回数を上げるということも大前提なんですが、
いわゆる横綱審議委員会、横審が認めて初めて横綱になれるわけです。
ある意味上の経緯の人が認めるから、彼は横綱になれたわけなんですね。
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だからその選ばれたものとして、
指名されたものとして、
それにふさわしい言動が求められるということで、品格が問われるわけです。
勝てばいいということじゃないんですね。
これはまさにクリスチャンの飯に似ているんですね。
しかし私たち横綱や一般人と違うのは、
何かにふさわしく、あるいはクリスチャンにふさわしく生きなさいという時に、
気をつけなきゃいけないのは、
誰かにクリスチャンのくせにって、後ろ指さされるのが怖いからとか、
あるいは自分の何か信念から、
それも大切かもしれませんが、
自分の信念からクリスチャンにふさわしく生きるということだけではないんですね。
それ以上に大事なことは、私たちクリスチャンには、
神様に選んでいただいたという特権と祝福があるわけですよね。
そしてイエス様の日姿に変えられていくというゴールがあるわけですね。
そして神の栄光を表すという使命があるわけです。
この特権や祝福、あるいはゴールや使命があるからこそ、
私たちはそれらにふさわしく歩む。
そのようにパウロは教えているわけです。
そしてパウロはこの六章まで、
具体的なふさわしい歩み方ということを一つ一つ説いていくわけです。
繰り返しになりますが、
飯にふさわしく歩むとはですね、
神様に選ばれた民として、
それに見合った言動に生きるということです。
この大切な信仰の基本、
信仰生活の基本をぜひ覚えてください。
飯にふさわしく歩むということは生きることなので、
この飯にふさわしく歩みなさいという意味するところを、
私たちクリスチャンとしてまず覚えておきましょう。
その前提でパウロは具体的な、
まあ固い言葉かもしれませんが、
倫理基準や行動指針を私たちに、
エブスの人々に語っていくわけです。
その2番目は、
謙遜と乳和と寛容と忍耐ということですね。
これ読める方、四章二節から三節、
ちょっと声に出して読んでみましょうか。
謙遜と乳和の限りを尽くし、寛容を示し、
愛をもって互いに忍び、平和の絆で結ばれて、
見た目による一致を熱心に保ちなさい。
ここにはですね、基本的には四つの言葉があるんです。
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ギリシャ語では、頭にオールって書いてあるんですね。
だから尽くしって書いてあるんですけども、
あらゆる謙遜、乳和、寛容、忍耐を尽くしてって言ってるんですね。
実はその目的、3番目に見ますけども、
それはこの見た目による一致を保つため。
見た目による一致を保つためという、あるメインテーマです。
2番目のポイントとして、この四つの言葉を取り上げますが、
パウルはここでですね、大雑把に言うとちょっと失礼かもしれませんが、
こういうことを言いたいんですね。
見た目の一致を保って、神の召しにふさわしく歩むために、
私たちは謙遜で争わず、怒らない、乳和な態度で生きるよう求められているということですね。
それはそれとして、一個一個ちょっと見てみましょう。
前に書きましたけども、
謙遜とは英語ではHumilityとかModestyという意味で、
いわゆるまさに減り下った態度です。
乳和は英語でMeeknessと言ってですね、
思いやりとか慈悲深さ、優しさを表します。
寛容はですね、英語の訳ではForbearance、Patienceという意味でですね、
こういう状況ですね、
怒りを誘発されるような悪に対して、
その復讐を遅らせることなどを表します。
松坂大輔からですね、リベンジ、祝福、
祝福じゃない、復讐ですね。
復讐という言葉がリベンジと言って流行りましたけど、
その怒って復讐したくなること、それを遅らせる、
それを寛容、Forbearance、Patienceですね。
4つ目の忍耐、英語ではEndurance、
あるいはPut up withという言葉でも表されますが、
ある学者によればですね、互いに欠点を補うことである。
相手に欠点があっても、いわゆる忍耐深く愛することをやめないということなんですね。
この見事はちょっと前に見てください。
ここでも、愛を持ってってありますよね。
しばらく前も、愛に基礎を置いているあなた方が、
とパウロは2章、3章述べていましたが、
これら全てに愛という基準がある。
相手のことを思うという基準があって、
これらの4つのことをパウロは述べているわけです。
それはそれとしまして、先ほども言いましたが、
時間があればぜひレジュメを見ながらですね、
一個一個しっかりこれらの言葉と向き合ったり、
目指してほしいんですけれども、
これらの4つの言葉でパウロが言いたいことは、
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一致を保つために、
謙遜で争わず、怒らない、にゆわな態度を、
エペソの教会に、私たちそれぞれに求めているということなんですね。
パウロの教えは基本的には、
クリスチャンに向けて、教会でのその人の在り方、
クリスチャンの人間関係を生きる秘訣を言っているんですけれども、
皆さん気が付いたかもしれませんが、
これは私たちが教会の外の人と関わるとき、
家族であれ、職場であれ、友達であれ、
そういう時にやはり大事な品声となってくるかもしれません。
あるいは、何か目的に向かって努力をするとき、
これらの忍耐、寛容ということも役立ちますね。
ちなみに、4番のエンディワーという、
忍耐のエンディワーというのが、
難しいことを忍耐深くやり抜くときにも使われる言葉です。
何はともあれ、これらは私たちクリスチャン同士の
人間関係の一致を保つ上でパワー力を教えていますが、
私たちが日常生活で神の栄光を表す上でも、
他の人と接する上でも、もちろん意味のある教えなんですね。
そして、とても大事なこと、実はこれらの品声は、
イエス様のうちに見出されますね。
ご覧ください。ピリピの2章の3節から5節で、
パウロも教えています。
ちょっと長いかもしれませんが、
読める方一緒に読んでみましょうか。
3、何事でも自己中心や虚栄からすることなく、
減り下って互いに人を自分よりも優れたものと思いなさい。
自分のことだけではなく、他の人のことも変えりみなさい。
あなた方の間ではそのような心構えでいなさい。
それはキリストイエスのうちにも見られるものです。
これは5節までですけれども、
ぜひ時間をとってピリピの2章の11節まで読んでください。
そこにイエス様の美しい生き様がですね、
詩のように詩として書かれています。
またイエス様のこういう言葉がありますね。有名な言葉です。
また絵の11章28節から30節、
読める方また一緒に読んでみましょうか。
3、すべて疲れた人、重荷を負っている人は、
私のところに来なさい。
私があなた方を休ませてあげます。
私は心優しく減り下っているから、
あなた方も私の首輝を負って、私から学びなさい。
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そうすれば魂に安らぎが来ます。
私の首輝は負いやすく、私の荷は軽いからです。
イエス様はですね、言ってみれば、極端な言い方をすれば、
いわゆるパワハラをする上司とかですね、
そういう方ではなくて、
この乳まな、心優しく減り下った主人であり、
そして負いやすく軽い荷を負わせてくださる。
そういうお方と。
私たちはこのイエス様に支えられて、
イエス様に姿になるべく、また召されているわけですね。
これ2番目。
3番目。
では今日の本題とも言うべき、
三魂の一致を熱心に保ちなさいということを見ていきましょう。
今見たこの2節の4つの品性というのは、
三魂の一致を保つ、
まさに飯にふさわしく歩む上で必要なことです。
この三魂の一致を保つという目的の中で、
パウルはこの4つの品性を語ったんですが、
もう一度4章3節読めるかで読んでみましょう。
3、はい。
平和の絆で結ばれて、三魂による一致を熱心に保ちなさい。
この言葉の背景を皆さん思い出してください。
1章からずっと語ってきましたが、
エベソの教会にはある衝突の危険や問題がありましたね。
それは、ユダヤ人クリスチャンと、
違法人クリスチャンの関係でした。
ユダヤ人クリスチャンは、その背景は立法を持っていた。
旧約聖書の規定を守っていた。
滑稜などが代表する例ですけれども、
だからそういう背景がない、
違法人のクリスチャンである、
エベソの人々、彼ら彼女らにその立法を守れ。
そういう風に生きないと、本当のクリスチャンじゃない。
そういうことを言っていたことが大きいかもしれません。
そういう可能性が大きいわけですね。
反対に、違法人のクリスチャンは、
このエベソの人々はですね、
ユダヤ人に対して何を言っているんだ。
そんなようなことで、
何か分裂や東派心の危険があったこともあって、
パウロがこの手紙を書いたとも言われています。
しかし、パウロは今まで参照まで述べてきたように、
イエス様が隔ての壁を取り壊した。
だから、違法人、ユダヤ人、
当然私たち日本人も、いろんな外国の人も、
同じ神の民となり、一つの体となって、
一つの神の都となる。
そういうことを教えてきましたね。
それを踏まえて、一致の根拠として、
パウロは今日読んだとこの4章4から6節で、
7回もですね、
一つという言葉を繰り返して強調しているんですね。
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ちょっと掲示しないので、聖書から読んでみますね。
4章の4節。
あなたがとのめされたその飯の望みが、
一つであったのと同じように、
体は一つ、見たまは一つです。
主は一人、信仰は一つ、
バブテスマは一つです。
全てのものの上にあり、
全てのものを貫き、
全てのものの内におられる、
全てのものの父である神は、
ただ一人です。
最後に、この全ての源である、
全ての源である唯一の父なる神を宣言して、
一致の根拠を言っているわけです。
ちなみに細かいことになりますけれどもね、
ギリシャ語にはですね、
男性・女性という形があるんですね。
男性系・女性系。
パウロ一という言葉にも、
男性系・女性系・中性系というのがあるんですけれども、
パウロはそれら三つの性を、
二つずつ使って、
こうやってバランスよくそういうことを、
散りばめながらですね、
ある意味、効果的に、
私たちはこの根拠である、
これらの一つの根拠から、
一つ一致を熱心保つんだよ、
と教えているわけです。
さらに、今のはちょっとした、
余談と言いますか、
話ですけれども、
とても大事なことがあるんですね。
それは、一致というのはですね、
全員が同じ人になることではありません。
野球もですね、
ユニフォームという同じものを着ますけど、
全員がピッチャーだったら大変ですよね。
全員がキャッチャーだったらですね、
急に全員グラウンド座るとか、
恐ろしいことが起こりますけれども、
同じユニフォームを着ていても、
みんな違うプレーをするわけです。
でも一つのチームです。
このエプソの教会のように、
ユダヤ人、イホウ人、
それぞれが違う背景を持っていましたね。
そして私たちも、
それほど違わないかもしれませんが、
出身の地域が違ったり、
育った家庭環境が違ったり、
教育や仕事など違ったり、
いろんな価値観の違いを持ちながら、
一つの体、
教会に属するものとなったわけですね。
このニーザ式バブテスト教会をはじめ、
世界一つの教会のメンバーになったわけです。
このことに関して、
間違いを起こさないようにということに関して、
ある学者は、
パウルの態度をこのように解説しているんですね。
前に掲示しました回避確保の中ですね。
違いが単に表面的なことや、
自己中心的な個人主義に
個人主義に固守する会員に対して、
クリスチャーに対して、
21:00
パウルは不要な壁を破り、
純粋な交わりが回復するために、
骨を折ってロークしたということです。
何が言いたいかというと、
単なる表面的なことや、
自己中心的な個人主義に固執する、
そうし合って、
信仰の本質に関わらないことや、
自己中心主義による違いに
こだわってはいけないということなんですね。
そういうものを差し置いて、
クリスチャーは一致を保つ。
そうパウルは教えているんですね。
そして、もう一つ大切なことがあるんです。
このパウルの教え、前にも掲示しましたが、
この言葉に注目してください。
パウルはここでは、
保ちなさいと言っているんです、一致を。
一致を作りなさいと言っていないんです。
キープしなさい。
つまりそれは、
与えられたものをキープせよという意味なんですね。
見た場によって一致が与えられていて、
私たちは一致を作り出せるものじゃないという前提なんです。
難しいかもしれませんが、
こう言うと分かるかもしれません。
まず私たちは、自分のことを考えてください。
イエス様を救い主だと信じることができた。
バブテスムを受けたいと思ったのは、
私たちの意志も理解力もありますけれども、
それ以上に、
精霊が働いたからですよね。
精霊が働いて心が動かされたからです。
そして、当然イエス様を救い主と信じ、
罪の許しを受け入れ、
神のために加えられた。
それも精霊が働いてくださったからです。
精霊というのは、私たちの信仰の実質なんですね。
何度も言いますけれども、
自分の力でイエス様の十字架を理解し、
悟ることはできないわけなんです。
精霊が働いたから、
また精霊が働いてくださるから、
私たちは聖書から学ぶ喜びを知り、
祈りの深みを知り、
そして自分が変えられているという、
そういうことを体験するわけなんです。
この体験、精霊の体験が一致を作り出している。
こうやって精霊が一致を作り出しているんですね。
もう少しわかりやすい例を言うと、
去年クリスマスバブティス様式がありましたね。
その時に救いの証をすると、
みんな感動するんです。なぜか。
それは共感するからです。
それを聞いた一人一人が、
自分も精霊によってイエスさんを信じ、
バブティス様に導かれたんだということを思い出す。
そういう精霊の体験をお互い持っているから、
その救いの証を聞いて、
みんな共感し、感動するわけですよね。
24:01
繰り返しますが、その他、
聖書の言葉でこういう風に励まされた、
祈りの中でこうやって慰められたという、
そういう証に対する共感も同じことです。
このように私たちは、
精霊によって同じ体験をしているから、
いろいろな違いがあっても、
この一致を精霊によって与えてもらっている。
精霊が一致を作ったと言えるわけです。
だから、また繰り返しますが、パウロは、
私たちエヴェソの人々に、
見た目による一致を作りなさいじゃなくて、
見た目による一致を、与えられた一致を、
熱心に保ちなさい、キープしなさい、
と教えるわけです。
だから私たちがしてはならないこと、
学者は言うんですね。
反対に私たちができることは、
この一致を壊すことだ、と言うんです。
だから私たちにしてはいけないのは、
先ほども言いましたが、
自己中心や本質的でない、
些細な違いを持ち出して、
この一致を壊すことなんですね。
そういう危険があったり、
私もそうですが、
罪の肉という問題があります。
自己中心のもの、牧師であっても、
やっぱりそういうものがあるんです。
だからこそパウロは、
熱心に保ちなさい、
努力して一致を保てるように生きなさい、
と教えるわけです。
そして私たちがこの
主に召されたものとして、
忍耐と寛容に生きる時に、
主の召しにふさわしく、
私たちが生きる時に、
精霊は私たちを、またイエス様の身姿へと
変え続けてくださり、
この一致を保ちともに歩む、
お互い教会としてくださるんですね。
イエス様の弟のヤコブという人が書いた手紙から、
その最後の御言葉を読んで、
御言葉の時に終わりにしたいと思います。
読める方、レジュミネーはないので、
一枚の啓示をともに読んでみましょう。
お祈りしましょう。
私たちを選び、あなたの子として、
祝福と特権のうちに、
お導きくださったことを感謝します。
あなたの栄光を表す体の一つとして、
私たち一人一人を、また教会を
選び出してくださったことを感謝いたします。
どうぞ私たちが、
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あなたが与えてくださる品性を目指し磨きながら、
見た目によって与えてくださった一致を
保つことができるように、どうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、
主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは1分ほど、それぞれ神様に応えて
祈る時間を持ちましょう。
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