2023-08-27 32:08

#173 信仰が救った 23/8/27

マルコ-34からの礼拝説教。2023年8月27日録音。新型コロナウイルスが5類になって初めての夏、観光地もかつての賑わいを取り戻したと聞きます。京都市ではオーバーツーリズムが問題視されています。今日の箇所でも人混みの中で起こったイエス様の癒しが取り上げられています。
先々週からお伝えしているようにイエス様の奇跡物語が別の段階、新しいフェーズに入り今日の奇跡も今までの癒しとは違う側面があります。特に今日は1人の女性の癒しについて取り上げます。この出来事の背景やその意味を知るときに、私たちがイエス様を信頼することの素晴らしさが新たに伝わってきます。まず最初に文化的宗教的背景として「1.この女性の苦しみの深さ」を、その上で2.イエス様の思い、3.この女性の信頼の3点から学びます。


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マルコ5章21節から34節
イエスが再び船で向こう岸に渡られると、大勢の群衆が身元に集まってきた。
イエスは湖のほとりにおられた。すると、カイドオツカサの一人でヤイロという人が来て、
イエスを見ると、その足元にひれ伏して、こう懇願した。
私の小さい娘が死にかけています。娘が救われて生きられるように、どうかおいでになって、娘の上に手を置いてやってください。
そこでイエスはヤイロと一緒に行かれた。すると、大勢の群衆がイエスについてきて、イエスに押し迫った。
そこに12年の間、長血を患っている女の人がいた。
彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っているものをすべて使い果たしたが、何の甲斐もなく、むしろもっと悪くなっていた。
彼女はイエスのことを聞き、群衆と共にやってきて、後ろからイエスの衣に触れた。
あの方の衣にでも触れば、私は救われると思っていたからである。
すると、すぐに血の源が渇いて、病気が癒されたことを体に感じた。
イエスも自分の内から力が出ていったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。
誰が私の衣に触ったのですか?
すると弟子たちはイエスに言った。
ご覧の通り、群衆があなたに押し迫っています。
それでも誰が私に触ったのかとおっしゃるのですか?
しかし、イエスは周囲を見渡して、誰が触ったのかを知ろうとされた。
彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
イエスは彼女に言われた。
娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して生きなさい。苦しむことなく健やかでいなさい。
以上です。
今日はこのところから、「信仰が救った。」と題して御言葉を取り継ぎます。
皆さん、おはようございます。
毎週行っておりますが、暑い日が続いておりますね。
各地のきなみ、観測史上最高の平均気温、8月を記録しているということ、
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特に日本海側で観測史上最高の平均気温、最高気温を記録しているという話もありました。
私も毎週同じところに仕事に行くんですけど、体調を崩している方が本当に多いです。
暑さの原因かと思いますけれども。
そんな中でありますけれども、また皆様とお礼拝できることを嬉しく思います。
そんな暑い夏ではありますけれども、テレビでよく話題になっているのはですね、
新型コロナ以来4年ぶりに全てのことが、
今朝で言えば、コシガヤのババオーダリが4年ぶりに100%解禁になったとか、
秋田の花火大会が4年ぶりに100%観客入れて再開したとか、
音楽のフェスでもそうだとかあります。
そんなことが言われている中で、例えば京都ですね。
オーバーツーリズムといって、観光客が溢れている。
私も中学旅行以外に10年ぐらい前でしょうか、一人で京都に行ったことがありますけれども、
地元の人が言うにはですね、バスで乗り継いで移動するんですけど、
一番良い移動手段は自転車ですよって言われたんですね。
自由にあちこち行けるから、なるほどと思いながら10年近く行けてませんが、
京都に住むある方はですね、バスにも乗れない。
車も動かない。タクシーも来ない。本当に迷惑だって、はっきりおっしゃっていました。
まあそれはそれともかくですね、こういう群衆が締めく中で、
今日はイエス様の奇跡が行われたという、そういう話です。
先々週からお話ししてますが、イエス様の奇跡が新しい段階に入った、
今風で言うと新しいフェーズに入ったということで、
しばらく前は湖を沈めたイエス様、レビアタン、龍の頭を砕くようなですね、
水の中の悪魔を砕くような、その天地万物を支配し治めるイエス様ということが明らかになりました。
先週は悪霊を追い出すというものでしたけど、規模の面で違いましたね。
2000から4000のレギオンという悪霊に疲れた男を癒した。
しかもそれが違法人の地という、初めてここの絵にも出てきますが、
外国ですね、カペナーモというところからゲラサという、
このデカポリス地方で初めて違法人の地で身業が行われたという、そういう新しいフェーズでした。
今日の奇跡、有名なお話で、12年間長地を患っていた女性の癒しという話です。
これは有名な話で皆様ご存知かと思いますが、
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この出来事の背景とか、もしかしたらマルクが伝えたかった強調点というものが見え隠れしています。
そういうものを私たちが知ることによって、今までよく馴染んできたこの話が、
私たちの信仰を新たにする、新しく神聖にイエスさんを信頼する、
そんなところにつながるのではないかと思って、今日この話を取り上げていきます。
まず、いつも通り、この部分を知るために文化的な背景ということを最初に取り上げます。
そしてその後、話そのものから2つの点、合計3つのことをここから見ていきましょう。
まず最初はですね、文化的な背景、この女性の苦しみの深さということです。
読める方、ここから私、私最初に読みましょうね。5章の25、27。
イエス様が言った、そこに12年の間、長地を患っている女の人がいた。
ここから読んでみましょうか、彼女から。3、はい。
彼女はイエスのことを聞き、軍師とともにやってきて、後ろからイエスの衣に触れた。
これはですね、繰り返しますけれども、
日本とイスラエルの地理的関係がありますけれども、日本、そしてイスラエル。
その中の先週は、このゲラサ人の地というイホウ人の場所に、
イエス様は自分のフィールドのカペナウムから移動して、
ここで悪霊の追い出しの奇跡を行った。
ここで先週の話をすると、ある意味は追い出されたわけですね。
そこからまた船に乗って自分のフィールドに戻った、このカペナウムでの出来事です。
そしてこのカペナウムでは、イエス様が癒しをなさるということが大評判ですから、
イエス様がつくや稲や、非常に多くの人が、先ほどの京都ではありませんけれども、押し寄せてきた。
そこにカイドウカネニンという、ユダヤ人の礼拝堂の管理者の、すごく地位のある男性が、
自分の小さい娘がまさに死にそうだから、
イエス様、早く来て手を置いて救ってくださいと懇願したわけですね。
新型コロナウイルス、一応ごろいになったとは言うもののですね、
その頃から、そして今は熱中症ということで、よく救急搬送の問題が取り付けされますよね。
救急車が来ても、その患者さんを受け入れる病院がなかなか見つからない。
皆さんどうですかね。私も毎日車で歩いていますが、1軒2軒どころか3軒救急車とすれ違うという日もザラではありません。
そういう中で、一刻も早く病院に、この瀕死の状態の患者を運ぶべく救急車でさえ、受け入れる場所がない。
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そういう差し迫った状況と同じように、このイエス様はですね、
まさに息を引き取ろうとしている街道管理者の娘の下に弟子たちと向かったわけです。
そんな中ですね、一人の女性によって足止めされてしまったわけですよね。
この女性、何が起こっているか。実はこの女性も命の危機に瀕していたことがわかります。
12年間長血が患っていた、女性の付きのものがですね、12年間止まらない。
学者によると、それこそ彼女も瀕死の状態にあったと言われています。
そして聖書に書いてありますけれども、26節こういうふうに書いてありますよね。
彼女は多くの医者からひどい目に合わされて、持っているものをすべて使い果たしたが、何の甲斐もなくむしろもっと悪くなっていた。
余談ですけど、ルカの福音書にも同じ記事があるんです。
ルカの職業は何だと言われているか知ってます?医者ですよね。
だからルカの福音書にはですね、ここの医者からひどい目に合わされているというのはないんです。
マルコの福音書というのは短いんですけれども、一番最初に書かれた福音書として非常にビビッとな。
この箇所もですね、詳しくギリシャ語で見ると本当に生き生きした表現があふれている。
そういう生き生きした箇所です。
とにかく、彼女がまず医療的にひどい状態、措置が施されている。
当時、こんな治療法がですね、この病気にあったそうなんですけど、ある説によると、
例えば、ワインで煮たネギを血の流れよ止まれという命令とともに、
医者が投与するという治療法があるとかですね。
あと、ダチョウの卵の胚を布に入れて持ち歩きなさいと。
あるいはですね、ゴムと何だったかな、苗がか何かを粉にしてそれをワインに混ぜて飲めとか、
そういう治療法が言われていて、ユダヤ教の文献では、
医者というのは悪魔よりひどいとかですね、そういう悪口が書いてあったんです。
それはそれとしまして、医療的にもそして経済的にも大きなダメージをこの女性は受けていたことがわかります。
それだけではないんですね。
もっと彼女を苦しめているものが、もっとでかいですね。
もう一つ彼女を苦しめているものがありました。
それは文化的な背景を知らないと理解できないことです。
どういうことか。
それはですね、なぜ彼女は誰にも気がつかれないように触ったか。
そして治っても何も言わなかったかということに隠れています。
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何だかわかります。
なぜ黙っていった。
なぜ群衆に死にるともあるとも。
これはですね、しばらく前に見たツアラとの癒しと関係があります。
これあくまでも当時のユダヤ教の考えですけれども、
そういう好きなものがある女性は宗教的に穢れていて、その人に触った人も穢れて、いわゆる街道に出れないとか宗教行事に預かれないということがわかりました。
私ね、こういうことを聞いたことがあるんです。
もう20年か30年近く前なんですけれども、イスラエルで伝道している宗教師の人の話を聞きました。
その当時でもまだでもですね、タクシーの愛乗りというのがあったそうです。
その時代、今でもですね、現代でもこういうことが受け継がれていて、
ユダヤ教のラビーというのがいるんですね、今。
いろんな漁業士恰好した人はいるじゃないですか。
ユダヤ教の厳格な教師みたいな。
そういう方がタクシーに乗っていると、愛乗りタクシーに必ず女性は乗らないそうなんです。絶対に乗らない。
なぜかというと、先ほど言った理由があって、荒の献牛をかけられたり、その方をいわゆる宗教的に怪我してはいけないということがあって、
そういうユダヤ教のラビーがいると、女性はタクシーに乗らない、あるいは乗ってきたらそこから席を譲るということが今でも行われているそうです。
いろんな問題があることは確かかもしれませんが、とりあえず背景として知っておいてください。
そういうことがあるので、もし彼女の病状が京都並みの大群衆の中でみんな押し合い、へし合いしてイエス様とワンス様が移動している中で、
彼女の存在がバレたらつまみ出されるわけですよね。
ベダをしたら袋叩きになって命を失うかもしれない。だから彼女は黙っていたということなんです。
それはどういうことかというと、12年間そういう状態が続いていたということは、12年間この人との関わりが持てなかった。
この間のサーラとの人と同じで、人との接触を避けなければいけなかった。
あるいは避けるべく場所に滞在せざるを得なかったわけなんですね。
このように12年間事実上人との関わりが途絶えていた彼女。
彼女は医療、経済のみならず、社会的人間関係という面でも孤独という苦しみを経験している。
病気、経済、孤独、あるいは密同模様の苦しみに遭っていたということで、
この彼女の苦しみの深さということが背景からわかってくるわけです。
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そしてその彼女に対して、2番目、イエス様の思いはどうであったか。
彼女は自分の体が癒されたことを感じて、しかも黙っていました。
そうしたらイエス様は、誰が私に触ったのですか、とあたりをご覧になった。
それを聞いた弟子たちがイエス様にこう言いました。
すると弟子たちはイエスに言った。
ご覧の通り、群衆があなたに押し迫っています。
それでも誰が私に触ったのかとおっしゃるのですか。
しかしイエスは周囲を見回して、誰が触ったのかを知ろうとされた。
これは明らかに、その女性を探し当てた。
繰り返しますが、この女性は自分の状態が知られたらとんでもないことになると知っていたので、
黙っていました。
それでもイエス様はあえてその女性に癒されたことを告白させる、その言葉を待っていたわけですね。
何か、そこの背景に何があるのか。
それはイエス様が弱いものを慈しみながら、
しかし正しい道に導きたい、正しく教えたい愛と正しさ、教育的配慮と慈愛、
そういうものがここから見て取れます。
どういうことでしょうか。
一つ目の理由、それは彼女の信仰を健全なものにしようとしたから、
イエス様は彼女に告白させたんです。
どういうことか。
彼女は着物さえ触れば救われるという立派な信仰なんです。
でもそれで終わったら迷信で終わるんです。
これは学者が言っています。
着物だけ触ったら癒されるといって、触って治ってその場を立ち去ってそのままで終わったら、
彼女の信仰は迷信で終わってしまう。
何がここからわかるか。
イエス様をはっきりと彼女が認めて、
イエス様によって救われましたという信仰告白をすることによって、
そしてこのイエス様との人格的なやり取りがある。
それによって初めて彼女の信仰が健全になるということなんです。
私たちも何がわかるかというと、
一人分かりの信仰では不健全だということなんですね。
みなさん礼拝にどういう形であれ努っておられますね。
これは一人分かりではない。
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そして聖書を読んで、なんとなくこの彼女のように、
イエス様に触れば治るだけではなくて、
聖書を読んでこのイエス様の御言葉をいただく。
聖書からきちんと学ぶという。
そのようなイエス様との御言葉や祈りを通して、
あるいは教会の礼拝で賛美をしたり、
そして聖書から学んだり、
何をしているかというと、
目に見えないイエス様とそれで人格的な触れ合いを持っている。
それだけではなくて、
キリスト教の2000年の正当的な伝統にきちんと根差して、
信仰を保っているということになるんですね。
そういう意味でイエス様は女性を、
なんとなく曖昧な信仰のまま立ち去らせることはせずに、
彼女に信仰の告白を促して、
そしてイエス様との人格的な関わりを持たせて、
彼女の信仰を公にし健全なものにしたということが、
一つ目の理由として挙げられます。
そしてもう一つの理由は、
彼女の社会的な関わりを回復するというものがありました。
先ほど申し上げましたように、
この女性は12年間、
この理由から社会との関わりが断絶していたわけですね。
そして宗教的な穢れの中で孤独を感じていた、
あるいは孤独な場所に置かれていた彼女がですね、
公に癒されたと宣言することによって、
彼女自身もそれをおそらくみんなの前で告白していますし、
イエス様も後で見ますが、祝福の言葉を述べています。
それが公然と人々の前でなされることによって、
彼女がいわゆる共同体の中での交わりを回復したということがわかるわけです。
このようにイエス様が、
彼女が他の人との関わりを持てるように気づいたということが、
このやりとりから見てとれます。
このイエス様と女性の心の通うやりとりが、
生き生きと最後に描かれていますね。
もう彼女は黙っていくことができないと思って、
33節終わります。
彼女は自分の身に起こったことを知り、
恐れおののきながらすみ出て、
イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
この真実というのは真理、
21:01
起こったことの真理とかですね、
あるいはちょっと広く読むと、
イエスが救い主だという真理かもしれません。
そのことをすべて話した。
そしてそのことを話した彼女に対して、
イエス様はこのような言葉をかけられました。
イエスは彼女に言われた。
ここで読んでみましょうか。
3、はい。
娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。
安心して生きなさい。
苦しむことなく健やかでいなさい。
みんなが聞いている前で、
彼女が救われ癒されたことを宣言し、
そして病が癒され、これからも救われなさいという、
これはヘブライ語のシャロームという言葉です。
神様と人との関わりの中で、平和の中で生きなさいという、
そういうイエス様の温かい言葉を持って、
病気からも救われ、社会の中でも救われて、
彼女をイエス様が送り出したことがわかります。
最後、この女性の信頼、信仰とあえて言わずに信頼と書きました。
そのことを読みましょう。
この女性の信頼。
先ほども一番最初に見ましたけれども、
彼女がやってきた理由、それはイエスのことを聞き、
群衆とともにやってきて、後ろからイエスの衣に触れた。
その方の衣にでも触れれば、私は救われると思っていたからである。
これは彼女の心の声、信仰の思いなんですけれども、
元々の言葉で見ると、イエス様が触れば治るけれども、
衣に触っても治るという、そういうことがうまく言えないのですが、
ありありと生き生きと書かれているのがわかります。
今日注目すべき点はもう一つ、それは彼女の信仰です。
どういうことか、彼女がイエス様を信頼していたという点を、
やはり最後にみんなで味わっていきたいと思います。
それがわかるのは、イエス様自身が彼女の信仰、イエス様を信頼していた。
あの衣にでも触れれば、あの方によって私は救われるという、
それを尊い信仰だということで、
イエス様を実は尊重していたこともここからわかるわけなんです。
そして娘よ、あなたの信仰があなたを救ったと言ってくださったわけですね。
繰り返します。
今日の箇所が新しいフェーズ、今までの奇跡物語とどう違うか気がついたでしょうか。
何か違う点ありません?
24:01
言うとわかる。何だと思うかもしれない。
まずですね、彼女の病気が見えない。
サーラトというのは見えないとは言いませんけど、
呉の追い出しが一番多いんですけど、見えるわけですね、症状が。
でも彼女の病気も見えないし、治ったことも見えないという点。
中部の人が屋根から吊り下ろされた時も、
あなたの罪許されたと言って男の人立って歩いてたじゃないですか。
でもこれは全くその状況が見えてないという点がまず他のことと違います。
そしてもう一つ大事な点はですね、
これはですね、彼女の信仰の姿勢がはっきり書いてあることです。
あの方の衣にでも触れば私は救われるという、
彼女の信仰がはっきり書いてある点が違います。
今までイエス様の奇跡物語でいろんな会話がなされてきました。
でもほとんどまともな会話はないんです。
一番会話してたのは誰かわかります?イエスさん。
悪霊でしょ。悪魔。悪霊との会話が一番多いじゃないですか。
お前と私に何の関係があるんだって言われたりとかですね。黙れ。
唯一あるとすれば、サーラトに侵された人ですね。
あなたの御心なら私を清めてくださいという。
それやっぱり彼も孤独を感じていたからかもしれませんけども、
ここでは今までと違う点は、彼女の声が聞こえている。
イエス様との対話がここで成り立っているという点で、
ある面、違うフェーズというか、他の奇跡と違って際立っていると思えるんですね。
その上でもう一つこの文脈から見ると、この前の二つの奇跡。
前の前の奇跡は、湖を渡った奇跡ですよね。
海の中に住んでいる竜やレビアタンの頭を踏み砕くという、
そういうイエス様の天地万物を作って、そしてそれを収める創造者としての偉大さということがそこで示されました。
そして先週見たのは、一つ二つの悪霊ではなくて、
二千もの悪霊を制することができたという、
やはりそういう面でも規模の大きなイエス様の権威というものが示されました。
その上でここでは、そのイエス様を信頼するということが出てきている。
それはどういうことか。
おそらく、新たにこのイエス様の偉大さが違う段階で示された中で、
この女のように私たちももっと大胆に、このイエス様の偉大さを知って、
イエス様に信頼しましょうという、ある招きではないのかなと私は見て取るわけなんです。
どうでしょうか。
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この彼女は、彼女の迷信的とも言えましたけれども、
イエス様によって彼女の信仰がたっといとされて、
そして告白に導かれて、祝福の地に追い出されていきました。
そこからもう一つ、彼女は大胆な信仰を持っていながら、でも迷信的でしたよね。
そして大胆にイエス様の足に触れていったにも関わらず、それが言えなかった。
自分の病気も治ったことも言えなかったという、臆病な面もありましたよね。
そういう大胆さと臆病さが悩ませになって、
さらには迷信的な信仰と、またイエス様への健全な信仰という、
そういうアンビバレントと言っていいのか分かりませんけれども、
この女性の心情や状態というのはですね、
思いが定まらない私たちとか、一筋縄ではいかない私たちの心に似ていないのかなと思うわけです。
大胆であり臆病。迷信的っぽいけれども、イエス様もそう予算されるような信仰を見せる。
私たちのそういう揺れ動く信仰と似ているのではないかと思うわけですね。
しかしそんな弱いともですね、
弱いともですね、
迷信とも弱いとも強いとも受け取れて、確信がある、でも迷っている、
そういう揺れ動く女性に対してイエス様は避難せず足を止めて癒してください。
これドクターヘリの写真、あえて出しましたけど、
救急車やドクターヘリに乗っているお医者さん、一刻も早く患者を救うために病院に向かいたい。
そんな中に別の患者が飛び込んできて私を助けてくださいって言われるとすごく困ると思うんですよね。
でもイエス様はそんな救急搬送の途中にあるドクターヘリのお医者さんのような差し迫った状況にもかかわらず、
この足止めをさせた女性にですね、癒しを施し、しかも丁寧に彼女に接して、
信仰告白に導いて、そして信仰を立て直して、祝福の言葉で送り出すという、
そういうイエス様のご配慮ということが今日の話から見取れるのではないかと思うわけです。
そんな忙しいから後でと言わずにですね、私たちに振り向いてくださるこのイエス様、
そして私たちの信仰を間違っているよと言って頭こなしに批判するのではなくて、
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正しい信仰へと導いてくださる、養ってくださるイエス様、
そして救い、私たちを祝福のうちに送り出してくださるイエス様、
そのイエス様にですね、もう一度新たに大胆にですね、信頼していくお互いでありたいと思います。
最後にもう一度彼女とイエス様のやり取りを見て終わりにしましょう。
彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、
イエスの前にヘレフし、真実をすべて話した。イエスは彼女に言われた。
ここから読んでみましょう。
娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。
安心していきなさい。苦しむことなく健やかでいなさい。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
イエス様、あなたは揺れ動く私たちの心をご存知であります。
あなたにすがりたいと思いながら、あなたの見舞いで人々の前で怯える、
私たちのそのような揺れ動く心骨もご存知です。
そんな私たちに対してあなたは救いの手を差し伸べ、また大胆に語らせ、
祝福のうちに、平安のうちに送り出してくださることを感謝いたします。
どうぞあなたは、今目に見えませんが、
よみがえられた救い主として、この礼拝において、
また日々の私たちの生活において出会ってくださいます。
どうぞそのイエス様を私たちが覚えながら、大胆にあなたに信頼し、
あなたから学び、あなたと共に歩んでいくお互いでありますよう、どうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それでは一分ほど、御言葉に応えて、黙祷する時間を持ちましょう。
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