2020-11-08 32:22

#31/20/11/8 知識の宝

コロサイ2:1-5からのメッセージ。2020年11月8日録音。不確かな情報に揺さぶられず、堅固な歩みをするために。
00:07
新約聖書、コロサエビの手紙2章1節から5節を読みします。
私が、あなた方やラボデキアの人たちのために、そのほか、私と直接顔を合わせたことがない人たちのために、どんなに苦闘しているか知ってほしいと思います。
私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて、心に励ましを受け、さらに理解することで豊かな全き確信に達し、民の奥義であるキリストを知るようになるためです。
このキリストのうちに、知恵と知識の宝が全て隠されています。
私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、誰もあなた方を惑わすことのないようにするためです。
私は肉体においては離れていても、霊においてはあなた方と共にいて、あなた方の秩序とキリストに対する堅い信仰を見て喜んでいます。
以上です。
今日はここから、知識の宝を題して二言葉を取り継ぎます。
みなさんおはようございます。
1月に入りましたが、比較的暖かい日が続いておりまして、助かっておりますね。
殺される人の手紙を学んできましたが、今日から2章に入ります。
先週、新型コロナウイルスの世界的な拡大、また日本の拡大の中で北海道の拡大が大きくなっているということで話題になりました。
昨日のニュースで、札幌近郊の千歳空港で何人かがインタビューを受けていまして、その中である若い夫婦が小さいお子さんを連れてインタビューを受けていました。
何を知ったかというと、6月に生まれた孫を初めて自分の親に見せに行く。
5ヶ月経ったお孫さんを初めてようやく北海道のおじいちゃんおばあちゃんに会わせることができると喜んでいました。
これに象徴されているように、今はこのコロナの影響で直接顔を見ることができない、そういう世の中ですね。
また、テレビ電話なんかがありますが、ましてやパウロの時代にはそのようなものがなかったわけですから、なおさら会うことが難しかったわけです。
先ほども言いましたが、おそらくこの時パウロはエペソにいて、
140、150キロ離れたラオデキア教会、その他顔を見たことがないラオデキアだけでなくて、
この手紙の受け取りというのをですね、このコロサイ教会、ラオデキア合意、近隣の教会の人たちのことを会ったことがないけれども、
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祈りのうちで覚えながら、まさに身体はそこにないが、霊において共にいると、そのように伝えています。
そして、その会えない人たちに対して彼がどれほど苦闘してイエス様の福音を伝えようとしているか、
そのことを知ってくださいと、パウロは今日のところで述べています。
ここはですね、先週の御言葉から続いていて、この苦闘という言葉が鍵となっていて、
一つは、キリストの奥義、私たちのうちにおられるキリスト、栄光の望み、この神の奥義のキリストということが引き続きテーマになっています。
そのイエス様を知らせるために彼は奮闘していると、
それはコロサイの兄弟姉妹の信仰が固く立つように、その点から1点これから学びますし、
その前に彼らが愛において結び合わされているという、そのためにその点から学びますし、
そして最後は、この全ての秘訣である知識の宝、イエス様を知ることができるように彼は奮闘しているということですね。
これら3点から学びます。
まず、愛における結びつきと秩序ということです。
この先ほど申し上げましたように、パウロは2章の1節2節ここに述べています。前に掲示しました。
私があなた方やおらわできある人たちのために、そのほか私と直接顔を合わせたことがない人たちのために、どんなに苦闘しているか知ってほしいと思います。
私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて、心に励ましを受け、さらに理解することで、
自分自身を信じながら全く確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです、と書いてあります。
この愛のうちに結び合わされるということを最初見ていきましょう。
パウロのこの苦闘の第一の理由、コロサイ教会の兄弟姉妹が愛において結びつくということです。
しかしですね、素晴らしいことになっていることをパウロはエパフラスから聞いて喜んでいると一生でも言っていますし、その後に言っています。
実は今日読んだこの5節にも彼の喜びが見て取れます。前にまた掲示しました。
私は肉体において働いていても、礼においては、祈りや気遣いにおいては、あなた方と共にいて、あなた方の秩序と、失礼しました。
あなた方の秩序と、キリストに対する堅い信仰を見て喜んでいます。
この愛による結びつきと、実はこの秩序という言葉は関連して考えられます。
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愛において結び合って秩序正しく教会が守られていることを喜んでいる。
実はですね、この秩序という言葉は少し今の私たちが否定的に思うかもしれませんが、当時の軍隊用語から派生した言葉です。
軍隊が対立を組んで、いわゆる一種乱れる形で行進している様子、それがこの秩序という言葉に現れています。
なぜその言葉が使われているか、愛の結びつきと関係しているか。
それはですね、この際教会の兄弟姉妹が教えの風に吹き回されて、混乱してしまっていない、そうやって一致しているということです。
教えの風に吹き回されてですね、あなたは間違っている、私が正しいということで互いに批判しあって秩序が乱れている、そういうことがないんだ。
対立が乱れることなく愛において結びついているんだ、それを喜んでいるとパーラが言っているんですね。
この愛における結びつき、それは何かというと、イエス様の模範に習う愛です。
それはクリスチャンの生きるべき姿ですけれども、じゃあイエス様の愛とはどんな愛ですかというと、いろんな愛の形があります。
でもここでパーラが特にこの文脈で強調している愛、それは自分のことだけじゃなくて、他の人のことも変えりみる愛だ、そういう類の愛です。
学者がそう言っています。
そしてパーラは他の手紙の中で同じことを言っています。
ちょっとこちらをご覧ください。
フィリピートの手紙の2章の3節から5節、同じパーラが書いた手紙ですけれども、そこでこう言っています。
何事でも自己中心や教えからすることなく、えり下って互いに人を自分よりも優れたものと思いなさい。
自分のことだけではなく他の人のことも変えりみなさい。
それはキリストイエスの血にも見られるものです。
こういう愛です。
この今のコロナ禍の中でいつも私も気をつけますけれども、やはり自分のことで精一杯になりがちですね。
でもクリスチャンというのは、自分の存在は他の人のためにもあるんだということを考えて生きている存在です。
自分の成すべきことはしながらも、他の人に対する責任に自分は生かされるべき存在だということを意識している存在です。
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そのように配慮や気遣いを、特に教会の兄弟姉妹に対して、あるいは身近な人に対してする、そういう集まりがクリスチャンの共同体であるわけです。
後で詳しく見ますが、パールはこのクローサエビトの手紙の後半部分でこう述べています。
3章の12から14節でこう述べています。ちょっと長いんですけど読んでいますね。
それゆえ神に選ばれたもの、聖なる愛されているものとして、あなた方は深い同情心、慈愛、謙遜、乳和、寛容を身につけなさい。
互いに忍び合い、誰かの他の人に不満を抱くことがあっても互いに許し合いなさい。
主があなた方を許してくださったように、あなた方もそうしなさい。
これらすべての上に愛をつけなさい。愛は結びのみとして完全なものです。
こうやって愛で結んで締めくくっているわけですね。
ちょっと皆さんのレジュメに書いてないんですけども、後々同じクローサエの手紙から読んでほしいんですが、
パウロが老くしながら奮闘して教えた理由、それはこの兄弟姉妹が愛において結び合わされていく。
時代の教えの風に吹き回されずに、秩序をもって歩んでいくためだ、と言うんですね。
当時は流行りの異端、今でいうカルトによって、クローサエ教会の人々がかき回される危険があったんです。
イエス様を信じるだけでは不十分だ。こういう戒律を守りなさい。こういう神秘体験をしなさい。
いや、そうじゃないんだ、とパウロが教えているわけです。
間違った条文法によってですね、人々が扇動されて秩序が乱れて混乱する。
どうですか、この今のアメリカの大統領選挙を見ていると、それがありありとしてますよね。
ですからパウロは秩序を守る、愛において結び合うことを大事にしました。
そのために必要なことがあるんですけども、もう一つパウロが目指したことを学んでいきましょう。
それは、まったく確信と固い信仰ということです。
そのパウロの目指したところ、もう一度御言葉に振り返って見てみますけども、
2章の2節。
私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされている頃に励ましを受け、
さらに理解することで、豊かなまったく確信に達し、神のおかげであるキリストを知るようになるためです。
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この豊かなまったく確信と並んで大事なことは、神のおかげであるキリストを知るということ、
ちゃんとした理解をするということであります。
この2つは切っても切れないんですけども、
先ほどの誤った情報でアメリカで混乱が起きているように、
曖昧な情報とか、私たちの理解が不十分だと、私たちは確信が持てずに揺さぶられてしまいます。
何度も言いますが、今のウイルス感染についても、曖昧な状況で不安になりますね。
先ほども言いましたが、コロサイ教会の人たちの危機、それは、
当時の流行りのギリシャ哲学とか、あるいはリュウダヤ教の伝統といわれた旧約聖書の極端な適用、
そういうものが合わさった異端、今でいうカルト、その教えに惑わされていたんですね。
そして、こういう神秘に出会わないと、このリュウダヤ教の戒律を守らないと救われないし、
クリスチャンとして十分じゃないという、そういう教えの風に吹き回されていたわけです。
そして、信仰が揺るぐ危険があったんですね。
しかし、パウロの奮闘が身を結んだんです。
パウロが牢獄しながら奮闘して、正しくイエス様をしっかり伝えた。
それが彼らに受け入れられたわけですね。それを喜んで。
先ほど2章5節、もう一度見ますけれども、そのありさまをパウロはこう表現して喜んでいます。
私は肉体においては離れていても、祈りや手紙によって、霊においてあなた方と共にいます。
そしてあなた方の秩序と、キリストに対する堅い信仰を見て喜んでいます。
実はこの堅いという言葉も先ほどの秩序と並んで、やはり軍隊の用語から派生した言葉です。
もともとはこういう意味です。これ分かりますか、何か。
こういうものを、なんていうか、これは奴隷と言います。
そのローマ軍が進軍していくときに、奴隷を設けて相手の攻撃を避けた。守りを固めた。
日本の城でもそうはありますし、今私たちに面しやすいのはこういう堤防ですね。
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産兵ありますけれども、高い堤防によって津波から街を守るという。
これが堅い信仰の背後にあるイメージです。
私たちもこの防御のとなる堅い信仰を身につけることによって、
偽りの教えや時代の風が吹きつけても、あるいは誠しやかな宗教的な議論、
そういうものが押し寄せてきても、しっかりとイエス様を信じて動じることがないわけです。
私たちのバクテスト連合が属している日本福音同盟というのがあって、たまにいろんなメールが回ってくるんです。
数日前に、異端に対して警戒してくださいというメールが回ってきました。
中国を発端とする全能教とかいうのがあるそうです。
詳しいことは無機にして、いろんなリストを通してクリスチャンの方と個人的に何かし合う。
そしてLINEとかメールを交換し合って、仲良くなって。
うちの教会に来てくださいということで、簡単に言うとマインドコントロールしたりする。
中国やアメリカで話題になっていて、そのトラブルで命を落とす人もいるそうです。
最初は親切ですし、そして教会や牧師の悪口を言って、ありもしないまさにフェイクですね。
そういうことを言って、こっちに本当のことがあるんだよと言って誘うそうです。
今でもそういうものがはみこっていて、私たちを揺さぶろうとしているんです。
ですから私たちがイエスさんをしっかり知った中で、この堅い信仰、そこに立つ必要があるわけですね。
それでは最後に、その堅い信仰のためにパウロが言う、知識の宝であるキリストを知るということについて見ていきましょう。
今日のカギの御言葉、2章3節ですね。
パウロが目的の3番目でこう言っています。
私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて、心に励まし受け、
さらに理解することで豊かな全き確信に達し、神の国であるキリストを知るようになるためです。
そしてこのキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されていますとパウロが言っているんですね。
この最後、3番目は、知恵と知識の宝、キリストということを見ていきましょう。
18:03
何度か申し上げましたように、このコロサイビトの手紙をある学者が一言でまとめると、キリストの奥義が書かれているんですね。
ちなみにさっき読んだペリビトの手紙は信仰の奥義が書かれている。
同じエピソドビトの手紙は教会の奥義が書かれている。
このコロサイビトの手紙の特徴は、キリストの奥義が書かれている。
実はこの鍵となるイエス様の中に知識の宝がすべて隠されている。
この言葉はですね、パウロが理大教のある伝統的な文書から引用したそうです。
それがこちらです。
知恵は人間にとって尽きることのない宝であり、
それを手に入れた者は、知恵の教えがもたらす賜物を通して、
神に引き合わされ、神の友とされる。
この知恵をきちんと得た者、
知識によってきちんと整えられた人は、
神様と引き合わされ、神の友となる。
そしてパウロはここから派生して、
神の奥義であるイエス様、知識の宝であるイエス様が示されています。
イエス様を知った私たちは、
まさにイエス様を知ることによって神様に引き合わされますよ。
イエス様を知ることによって神の友とされているんですよ。
そういうふうに述べているんですね。
ここで大事なことはですね、
イエス様がすべてで、イエス様を知っていれば十分です。
そのイエス様のうちに知恵と知識の宝がすべて隠れているからですね。
でも大事なことはですね、奥義として隠されている部分もあるということです。
隠されているということはどういうことですか?
探し続けないといけないんです。
探し物は何ですかって要するに疑われますけど、
探し続けることが必要なんですね。
探し続けるということをですね、パオロはやはり先ほどの御言葉で
こう言っているんですね。
さらに理解することで豊かな全き確信に達するという、
理解を深めていくということと、
探すということをおそらく関連させながら語っていると思います。
豊かな全き確信。
理解を深めるということが必要です。
つまりどういうことでしょうか。
私たちはこれからどうやってイエス様を知っていくのかということが大切だということです。
21:01
別の言い方をすれば、
イエス様を正しく知ること、
イエス様を豊かに知ること、
十分にイエス様を知ること、それが大事だ。
中途半端に知るのではなくて、
しっかりとイエス様を知ることが大事だということです。
それによって今まで第一大義典で述べたように、
私たちが健全な人になって、
愛と秩序によって結び合わされてもいくし、
完全な確信に至って、
健吾な信仰を持つことができるということです。
その秘訣は、イエス様を正しく豊かに知り続けるということだということですね。
ですから、私もそうですけど、こう考えましょう。
私たちは一回イエス様を信じて救われてクリスチャンになります。
そしてその証としてバブテスナを受けます。
しかし、そこが終わりではなくて、
そのようにして永遠の命を授かったら、
そこからイエス様を知り続ける旅が始まったということです。
旅が始まったんです、そこから。
その信仰の旅路はこういう意味ですよね。
生涯かけて、知識の宝であるイエス様を探し続けていく旅だ。
そろそろ年末になってくると何がありますか?
年末に大きいことがあるでしょ?
年末ジャンボ宝くじ。
私、買ったことないんですけどね。
景品でもらって100円とか当たったことあります。
宝くじ何億円当たるのは難しいんですけど、
イエス様の宝に巡り合うということは誰でもできることなんです。
イエス様を信じて探し求めれば。
ハズレがありません。
その宝探しの一環として私たちは聖書に触れ続けるわけです。
日々聖書を読むということはそういうことです。
宝探しをしているんです。
知識の宝であるイエス様をそこの中に私たちは見出すんです。
私、聖書を準備していてもどかしいことがあります。
それはですね、この短い1節2節3節4節の中にも
いっぱいですね、素晴らしいことが含まれていて
それで祈っているとですね、その素晴らしさがこみ上げてくるんですよ。
でもね、それを伝えきる時間もなければもちろん力量もないんです。
本当にもどかしくてですね、
何とかしてこの素晴らしさにこの御言葉を聞く人が出会ってくださいと
精霊に頼って祈るしかないんですね。
でもなんて言いますか、それほど豊かな御言葉なんです。
だから皆さんにもそれぞれ祈ったり、
心に御言葉を蓄えることによってこの宝と出会ってほしいんですよ。
24:01
だから聖書を読んでくださいと言うんですね。
皆さんから直接でもいいですし、
SNSとかLINEやメールでもいいんですけど
聖書のこういう意味がどういうことですかって聞かれたいですよ。
聞かれたら喜んで答えます。
この意味が分かりませんとか。
ここはどういうことでしょうかということですね。
聖書を読んで質問してくださるとですね、
すぐに答えられません。
でも本当それは嬉しいし、答えたいと思っています。
そのように皆さん、いろんな形で聖書に触れ続けてほしいですし、
自分もそうしているんですけど、
反省しながら自分の聖書を聞き直すんです、何度か。
そうすると、こういうことがあったなって、
また何か新たな発見もあるので、
ぜひレジュメを読み返したりとかですね。
ご自立でありますけどレジュメを読み返したり、
聖書を聞き直したりして、
気づかなかった意味にも出会ってほしいわけです。
そして知る宝探しのもう一つの方法をいくつかある中で、
やはり祈りですね、お祈り。
絶えず祈りなさいというのは、生活の中で何か、
何でも気軽に神様に祈る。
いろんなことを祈れると、本当に皆さんの中には危機的な状況にある方もいるかもしれません。
そのことを心から、イエス様助けてくださいと祈ることもできるでしょう。
本当に些細なことでもいいです。
昨日ね、私、白いマスクしてますけど、黒いマスクをAmazonで買ったんですよね。
10月17日に。
絶対無くしてはいけないからって、
しまったらどこにしまったかわからなくなっちゃったんですよ。
ふらついてる方はですね、ちょっと私と近いと思いますね。
で、私無くさないようにクリアファイルに挟んで、
しまっているのと、
あ、ちょっと最近自分の部屋の大掃除してひっくり返してですね、
ひっくり返って半分ぐらいしか治ってないんです。
で、ああ、このファイルに挟んであるな、
ちょっと葬儀の方針があるから、
マスクまた1250円かけて買わなきゃなと思って、
探しても見つからないから、
たまたまかもしれませんよ。
でも昨日、本当にですね、最後、
これ無かったら買いますって膝まづいて、
イエス様、マスクが今日見つからなかったら買いますってですね、
説教準備しながら探したんですよ。
ファイル、もう一回ファイル見てもなかった。
でね、パソコン台があって探してるんですけど、
なんかね、パソコン台の下、
頭に来たんですよね、頭に。
いや、無いだろうなと思って、
パソコン台の下見たら、そこにフォード落ちてたんですよ。
で、「やったー!」って喜んで、
家に犬がいるもんですから、家に犬しかいないもんですから、
良かったねとかってですね、喜びを分かっちゃったわけですね。
で、まあ、そういうことで何が言いたいかっていうと、
教会学校のキャンプとかでも同じようなことがあってですね、
見つかってみんなびっくりしたりとかあったんですけど、
27:02
見つからないこともあります。
でも、とにかく、ちっちゃなことでもいいですから、
本当に神様助けてくださいって祈ると、
復活のイエス様のこの救いを体験できるわけですよ。
まあ、本当にマスクのつまらない話かもしれませんが、
皆さんは本当に身を削るような苦しみがあるかもしれませんけど、
その中でも何かイエス様に頼ってみたらどうでしょうか。
パウロはですね、前も言いましたが、
苦しみを通してさえもイエス様を知ると言っているんですね。
聖書の中に知るという言葉がいろんなゲリジャンがありますけど、
そのうちの一つは、体験を通して知るという言葉があるんです。
あるいは、人格的な交わりを通して知るという言葉があります。
まさに、聖書を通して祈りを通してイエス様の救いを知るときに、
私たちは体験や人格的な関わりを通してイエス様を知ることができるんですね。
それこそ、宝を見つけるような経験なんですよ。
まあ、いろんな皆さんなりの工夫があるかと思いますが、
広く、豊かに、正しくですね、イエス様を知り続ける、
そういう宝探しの進行の旅を諦めないでやめないでほしいと思うんです。
そして、本当にイエス様に出会うときに、宝に出会ったような喜び、
ああ、イエス様がいるんだという、そういう証を得ることができるわけですね。
そういう体験ができるように、自分のためにまた、
愛の交わりにある、共鳴し合うためにも、こう祈っていきましょう。
なかなか、お互い知る機会がコロナ禍でないんですけど、
文書なり何なりでお互いのことを知り合えばいいなと思いますけれども、
とにかく、教会の共鳴し合うためにも、祈っていきましょう。
最後に、このイエス様の宝に出会う、その御言葉、
そのようなことを表した御言葉を二つ読んで、この時間を終わりにしましょう。
イザヤ書、33章6節
知恵と知識とが、救いの富である。
死を恐れることが、その財宝である。
また、13章44節、イエス様のこと
天の御国は、派適に隠された宝のようなものです。
人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、
大喜びで帰り、持ち物を全部売り払って、その畑を買います。
私たちがイエス様、宝であるイエス様に出会いながら、
この信仰の旅を続けていく励ましを、お互いで歌いたいと思います。お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
30:00
神の御国であるイエス様、栄光の希望であるイエス様、
そのイエス様の地に、知恵と知識の宝が全て隠されている。
あなたのご約束を感謝いたします。
私たちはイエス様を信じ救われました。
どうかそのイエス様の宝を、それに出会う喜びを、
これからの日々の生活の中で、兄弟姉妹との交わりの中で、
あなたとの交わりの中で、知り続けることができるように導いてください。
今日から新しい週間が始まりましたが、
私たちそれぞれの歩みを、教会の歩みを導いてくださるように祈ります。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それではしばらくお祈りしましょう。
御子様を通して、心に生じた求め、感謝、そのことを応答しながら、
祈りましょう。献金の祈りの時間はありませんが、
主に自らを捧げる祈りの時ともしましょう。
アーメン
32:22

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