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それでは、お読みします。
コロサエビトへの手紙1章24節から29節
今私は、あなた方のために受ける苦しみを喜びとしています。
私はキリストの体、すなわち教会のために、自分の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
私は、神から委ねられた務めに従って、教会に使えるものとなりました。
あなた方に神の言葉を、すなわち世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、
今は、神の生徒たちに明らかにされた奥義を余すところなく伝えるためです。
この奥義が、違法人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、
神は生徒たちに知らせたいと思われました。
この奥義とは、あなた方の中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
私たちはこのキリストを述べ伝え、あらゆる知恵をもって、
すべての人を悟し、すべての人を教えています。
すべての人をキリストにあって、成熟した者として果たせるためです。
このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、老くしながら奮闘しています。
以上です。今日はこのところから、うちに働くキリストの力と題して御言葉を取り継ぎます。
みなさんおはようございます。
今日から早いもので、もう11月になりましたね。
年賀状の販売などもすでに始まっていますが、
昨日10月31日、東京では、その統計で新型コロナウイルスの感染者が200人を超え、
その感染者数200人超えが3日連続だということでも話題になりました。
また先週、フランスやドイツの動きが注目されましたね。
感染者数が爆発的に増えて、部分的なロックダウンをまた再開したということです。
大統領選も11月3日に控えています。
こういう中で様々な情報や思想が飛び交って、そして混乱や衝突も起こっています。
デモに反対する暴動とか、失礼しました、ロックダウンに反対する暴動とかですね、
大統領選に絡んだ様々な動きがあります。
そしてそういう中で、いろんな思想や価値観がぶつかっていますが、
実はこの手紙の受け手の協会、いつもこうやって出していますけれども、
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コロサイギとの手紙の受け取り手のコロサイ地域、ここもですね、
今で言えば先進国のような人たちが、エリート的な人が住んでいて、
ギリシャ哲学のような知的な誘惑があったり、
ギリシャ哲学やユダヤ教とブレンドしたですね、
この新しい宗教の影響を受けていました。
ここでパウロの福音を聞いたエパフラストを通してクリスチャンが起こされました。
ちなみに、昨日地震のニュースがありましたね、英語界です。
この辺が震源でした。
英語界のエピソードですね、この辺りが震源だった。
トルコが非常に出てましたよね、この辺りが震源だったようですね。
この辺り震源で、私たちが今学んでいる教会はこのコロサイです。
とにかく、実は油断になりますけど、この手紙を受け取った数年後にですね、
この地域も同じクラスの大地震に見舞われたそうです。
そんなこともあってですね、思想的にも信仰的にも揺さぶられていたコロサイの教会に対して、
パウロはこの手紙を書きました。
揺るがない歩みをするために、私たちにも今、分別が求められています。
その揺るがない人として歩むために、パウロは成熟したクリスチャンを育てようと労苦していると、この手紙で書いています。
今日の冒頭でパウロはこう述べています。
1章28節前に記載しました。
今日学ぶところの最初の御言葉。
私たちはこのキリストを述べ伝え、あらゆる知恵を持って全ての人を悟し、全ての人を教えています。
全ての人をキリストにあって成熟した者として立たせるためです。
そういう懇命の時代にあって揺るがない人というのをパウロに言わせれば、成熟した大人のクリスチャンだと言えるんですね。
今日はこの成熟した者というところから始まって、3つの点からともに学んでいきましょう。
まず成熟した人とはどんな人か。
実はこのパウロの言葉、関係代名詞が英語でいうと使われていまして、
このキリストを述べ伝えているという、どのキリストかというと、それは先週お話しした
この1章28の直前の1章27節の言葉の、このキリストを受けているんですね。読んでいますね。
この奥義が違法人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は生徒たちに知らせたいと思われました。
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この奥義とは、あなた方の中におられるキリスト栄光の望みのことです。
うちにおられるキリスト栄光の望み、 そのキリストを述べ伝えているとパウロは言っているんですね。
そしてその理由はですね、キリストを述べ伝えて、
頃からの人々も私たちも含めて、全ての人を悟す。悟すというのが間違いを正すという意味だそうです。
間違いを正して、教えるというのは、正しいことを教えて良い方に導くという意味です。
そのようにしてイエス様を述べ伝えて、 イエス様にある成人、成熟した者として育てようとしているというのがパウロの意図だそうです。
先週お話ししたプロセスと関係しています。後でネジミナトで参考してほしいんですが、
いわゆる栄華を目指した成果というプロセスと関係しています。
栄華というのは私たちがイエス様と会って、罪のない姿に変えられることです。
そしてそこに行く途上が成果ですね。この地上の歩みの中で、罪がありながらも清められ続けていくのが成果です。
その成熟した者というのはそれと関係しています。
今このコロナ禍の中でストレスが増えていますね。 その中でどのように人が反応するかということが話題になります。
大人げない言動も取り上げられることがいろいろあるわけですよね。
そこで皆さん自分について考えてみたらどうでしょう。皆さんは自分が成熟した人であるということができるでしょうか。
自分は大人であると言えるでしょうかね。
まあ、10代なりに、
その上ならその上なりにあなたは人間として成熟していますかと問われたらどう答えるでしょう。
実は成熟した人というのは、
いろんなイメージがありますけれども、私たちはパウロに悟されるように正しい、間違いを正して正しい捉え方をしなければいけません。
人格や品性は完成していなくても成熟していく必要があるということですけれども、その成熟。
パウロを研究しているある学者はですね、このように言っています。ちょっと前に掲示しました。
パウロが考えている成熟した者とはこういう人です。
成熟の印は後で読んでほしいんですが、第1ポリント13章が教える愛や、
パウロも含む他人の敬意に対する敬意や、
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自らの不完全さの自覚にこそある、そういうものを兼ね備えている人が成熟した人だったんですね。
還元すると言い換えると、パウロにとって成熟なキリスト者とは、
既に賜っている見た目に従って生きる人であるということですね。
ちょっとこの詳しく学んでいきますけれども、
パウロはここで言っているフィリピンの3章15節前後で、こう言い換えています。
御言葉から引用します。ちょっと長いんですけど、こういう考えですね。
成熟した人。私は既に得たのでもなく、既に完全にされているのでもありません。
ただ捉えようとして追求しているのです。
そしてそれを完成を得るようにと、キリストイエスが私を捉えてくださったのです。
ただ私はこの一時に励んでいます。
すなわち後ろのものを忘れ、過去の栄光や過去の失敗を忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、キリストイエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目指して一心に走っているのです。
ですから聖人である者は皆、このような考え方をしましょう。
完成していないということを認めて、栄冠を目指してひたむきにイエス様に頼って前進するということが聖人の考え方だというですね。
ぜひまた家に帰ってこの見方をゆっくり取り組んでほしいんですけれども。
これらを基に成熟した人について考えてください。ちょっとわかりやすくわとめてみました。前にも掲示してありますから見てください。
成熟な人とは、不完全な自分を認めて受け入れている人です。
成熟した人は、自分が一番偉いというプライドを捨てて、他者への敬意を抱く人です。
今起こっている様々な人種間の衝突などにも当てはめられるかもしれません。
私たち個人の考えにも当てはめられるかもしれません。
そしてこれ、イエス様とその御言葉にももちろん敬意を抱く人で、
さらに、精霊が与えられることを信じて、その精霊の命に頼る人、これが成熟した人だということです。
ぜひ皆さんこのようなことを心に留めながら、成熟を目指して、
うちなりイエス様に信頼したいようにいきましょう。しかし、先ほど言いました、この先週話した成果の道、
これには苦労や苦しみが伴うわけですね。
先週見た通り、またさっきピービーの3章を取り上げましたが、
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パウロも正直にですね、自分の辛さとか労苦を打ち明けているわけです。
どうですか、この偉大な大使とパウロ、キリスト教が世界に広まったその中で働きをしたパウロも、
自分の弱さに葛藤していたっていうんです。それを正直に隠さず、こうやって手紙でシェアしている。
それはですね、少なからず慰めや励ましになるんじゃないでしょうか。
そして先ほど読んだ、今日の箇所でもパウロはこのように自分の弱さについて討論していますね。
苦労についてこう打ち明けています。29節。
このために私は、自分のうちに力強く働く、
キリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。
労苦しながら奮闘しているという。そういうことをパウロは述べています。
この労苦しながら奮闘しているという言葉はですね、
今でいうと、すごく強い、しつこい言い方なんですね。
どういう考えがあるかというと、運動選手が
ハードなトレーニングに臨んだり、この競技している様子です。
先週、ソフトバンクウォークスとジャイアンツの優勝が決まってしまって、
がっかりしている人は喜んでいる人もいるかもしれませんが、
例えば野球選手が、あるいはラグビー選手がウエイトのトレーニングをしていますよね。
ベンチプレスをして持ち上げている、歯を縛っている姿。
あるいはマラソン選手とか競兵選手が一生懸命ゴールを目指して進んでいる姿。
そしてゴールして口を大きく開けて、肩で息をしている、あのような姿をロークしながら奮闘しているという様を表しているそうです。
パウロの時代もそういう運動競技、マラソンなどもあったようですけれども、そこからイメージしているかもしれませんね。
そのロークしながら奮闘している様というのは、実はパウロの生活や人生そのものも表しているんですね。
どういうことか。 まずパウロが選挙者、キリストの伝道者として白岩やいろんなロークをしているということも大前提ですが、
彼のライフスタイルそのものも表しているんです。 具体的にはですね、
この手紙を書いていることもそうです。 牧中の中から、おそらく前ローマというやつがあって、そこからですね、手紙を書くこと。
そしてまた、 パウロは牧師として人々を気遣っていました。多くの人々への気遣い。
その気遣いというのは牧師や伝道者のみならず、皆さんが親であれば子供に対して、子であれば親や家族に対して持っている気遣い、
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あるいは人としてですね、友達に対する気遣い、そういう人に対する気遣いもこのロークに含まれているんです。
またパウロ自身もいわゆるテントメーカーとしてですね、 自分の生活の糧を得るために仕事をしていました。
そのロークについては、前に見た エサメケの手紙で紹介した通りですけども、そういう
選挙の家に仕事をしているというローク、それはですね、また皆さんと同じように日々仕事をしている中で経験するロークとも共通しています。
そしてこれは学者に言わせれば、彼の学問的な作業、知的作業、信学について、聖書について学ぶというそういう苦労も含まれているようです。
それは皆さん、学問を勉強しますね、学生であれば勉強しますし、社会に出てもいろんな仕事のスキルを上げるために勉強しなければならない、
そういう学問的なロークも含まれています。そして当然、祈りにおけるローク、そして信仰についての議論です。
他の聖書、ここもそうですね、間違った遺談と信仰について議論する、そういうハードワークにもこのロークと奮闘が含まれているわけです。
そして先ほども言いましたが、人生の、彼の選挙旅行ということもそのロークに含まれているわけです。
それは皆さんの様々な人生の歩みと共通するロークであります。
とにかくこれらは何を示すかというと、神様に頼って生きる生き方というのは、こういうものではないよということが言えます。
それはどういうものではないかというと、単なる神様が恵んでくださる、
だからラッキーな出来事が起こると言って、それを期待して何もしないという言い方ではないということなんですね。
そうではなくて、私たちは神様に頼りながら、私たち自身も努力をしたり、
ロークをするということが欠かせないということを、これは表しているわけです。
ロークしながら奮闘する、それは神の恵みに頼りながらも、自ら努力をしたり、ハードワークに勤しむ、それが欠かせない。
そういうことがパウロの生き様や言葉に見て取れるわけなんです。
それでは最後ですが、このロークしながら奮闘していく私たち。
大事なことはですね、パウロは続けて、こういう意味も込めて言っているということなんです。
この1章29節の言葉の背後には、こういうことが含まれています。
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自分の中でイエス様が力強く働いてくださっているから、だから私もロークしながら奮闘することができるんだ、という、そういうパウロの信仰の姿勢です。
私がロークしながら奮闘できるのはなぜか、それは、私の中でイエス様がその力強く働いてくださっているから、
だからこそ私はロークしながら奮闘できるんだ、ある人が言うには、これは人間100%神様100%ということができるかと思います。
実はその、何て言うんでしょうかね、神の働き、イエス様がうちで働いているということをパウロは、この29節の言葉遣いの中で強調しています。
日本語で読んだらわからないんですけども、まず、キリストの力によってという、力という言葉がここに込められています。
デュナミスという言葉ですね。ダイナマイトとかダイナミックの元になった、このデュナミスという力という言葉が入っています。
それからですね、力強く働くという、この働くという言葉が実はギリシャ語では2回使われているんです。
力強くイエス様が働いているから、私もそのイエス様の力によって働くことができるというような、とにかく働くということが2回使われていて、
このパウロの中でダイナミックにイエス様が働いている様子をパウロは伝えているわけです。
その、うちのあるイエス様のダイナミックな力こそ、先週見た私たちのうちにおられるキリスト、栄光の望みだ、というんですね。
そのパウロの信仰室について、パウロの研究者、ある学者はこう述べています。
ちょっと長いんですけども、前に掲示しました。
パウロはそうやって神様を体験しているというんですね。
そのパウロは、神の体験を語る際に、神の恵みと力について2点を強調している。
一つは、日々の生活の中で自分を支えてくださる、神の恵みと力である。
それ、さっき言ったことですね。仕事とか、勉強とか。
もう一つは、自分を内側から変える、神の恵みと力である。
パウロの思想において、恵みと力がおおよそ道義語として扱われていることは、
福音が救いをもたらす神の力であることと、変容をもたらす内側から人を変える神の力ですね。
その力が、人類の弱さを超えたところで稼働することが明らかだからだ、と言います。
ちょっと難しいんですが、パウロは、恵みと力を同じような意味として使っている。
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なぜならば、弱い私たちを支えて、自分の弱さを超えたところで、
神の力が働いて、私たちを変えることができるんだ。
だから、弱さに働く恵みと、私たちを変える力を合わせて、同じように使っているんですね。
とにかく、私たちの内側に住んでいるイエス様、
精霊によって住んでいるイエス様は、私たちの内側で働いて、
私たちを内側から変容させてくださるお方なんだ、ということで。
この内側の栄光の望み、イエス様の力、精霊の命ということを実感できる人もいれば、
なかなか実感できない時もあるかもしれません。
しかし、それは私たちを内側から変える、とてつもない大きな力なんですね。
実はですね、私たちの体の中で起きている、いわゆる生命活動、
それも私たちは実感できないかもしれません。
しかし、私たちの体の中で、とてつもない命、力が働いて、
私たちの生命が維持されているんですね。
こんな、見たことあるかもしれませんが、
私たちの体の中のこれ、細胞です。
よくね、単細胞なんで払われますけど、私たちは単細胞ではありません。
私たちの体の中にこの細胞があって、
だいたいですね、10兆個から30兆個あるんですって、この細胞が私たちの体の中に。
10兆個、30兆個、超たくさんあるなんてね、親父が言うけど言いませんけども、
その10兆個としてどれくらい乗るのかっていうと、例えば、
1個を1gとしますね。
そうすると1個1g乗った10兆個になると、10万トンになるんだよ。
10万トンってどれくらいかって、ウルトラマンの怪獣ぐらいだと思いますけど、
10万トンってどれくらいだと思います。
東京タワー何等分かっていうと、
10万トンっていうと東京タワーですね、2500個分の量です。
スカイツリーでさえですね、250個分。
それぐらいの量の細胞がまず私たちの体の中にあるんです。
そしてその細胞の中にですね、今いろいろ新型コロナウイルスとかその薬のことで話題になりますよね、
DNA、コロナはRNAでの変異なんで、変異しやすいって言うんですけども、
いわゆる細胞の中に、ここにですね、DNAっていうのがあるんです。
遺伝子である、を含むDNA。DNAっていうのはこういう螺旋状になっているんですね。
日野先生の声をかいてると出てきますけど、実はこれ、
これ1個1ミクロン、10ミクロンか、10ミクロンの中にこれが入ってるんですけど、
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この1個の細胞の中のこのDNAの長さって何メートルかわかりますかね?
言っちゃった。この10ミクロンのこの中のDNAの長さは、
2メートル。この10ミクロンの中に2メートルのDNAが入っている。
それをですね、このDNAを1個2メートルと考えて、
約10兆個の細胞の中に全部入っているでしょ?
その2メートルを10兆個並べるとどれくらいの長さになるか想像できますか?
月と地球の間を往復することができるんです。何回往復できる距離になるか。
8000回。1人の人間の中、皆さんの体の中に、
月と地球を8000回往復する長さのDNAが入っているんです。
実はこの細胞分裂って聞いたことありますよね。
この細胞分裂が体の中で起こっているんですね。
1秒間で、この細胞分裂がどれくらい起こっているかわかります?
何百回。1秒間で、私たちの体の中で1秒間ですよ。
何百万個の細胞が分裂しているんです。
今も何百万の細胞が分裂しているんですよ。
この間、仕事中に5歳の女の子に会ったんですけどね。
生後5ヶ月の女の子に会ったんです。
5ヶ月の女の子とお母さんと話したら、5ヶ月の女の子がお母さんの顔を見て笑うんですよ。
生後5ヶ月でお母さんがわかる。
脳の細胞がそれだけ発達しているからです。
私たちは1日何百万の細胞分裂を繰り返して、脳みそをはじめ、心臓や腸や臓器が古びないように再生されているわけです。
どういうことかというと、このDNAが
1秒間に2000キロメートル以上の新しいDNAが体の中で再生されているんです。
私たちの体の中で1秒間に何百万という細胞が今も分裂していて、
2000キロメートル以上の新しいDNAが再生され続けているんです。
実感してます?
今、脳で分裂したとかないでしょ?
でもそれを実感していなくても、それほど驚くべきことが私たちの体の中で今も起こり続けているんです。
これをある科学者はまさに神の御業だと言います。
そのことになぞらえて考えてもわかると思いますが、
実は私たちのこの霊の部分、その内なる部分でまさに
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精霊なる神様、イエス様が私たちの内側で私たちを新しく作り変え続けてくださっているんですね。
私たちは細胞分裂が終わらないように肉の糧を毎日食べますけれども、私たちの心の糧、霊の糧は聖書ですね。
聖書の言葉を食べる。呼吸するように私たちは神に祈るわけです。
そして家族で養われているように私たちも神の家族である教会の交わりを通して、
一つの教会、世界的教会の交わりの中で私たちは養われているわけですね。
とにかく今日、私も驚いたんですけども、もう一度見直していきたいのはですね、
私たちの内なる栄光の望みイエス様、精霊によって私たちの内側で新しい再創造の働きが今も起こり続けていて、
弱い私たちをイエス様は生まれ変わり続けさせてください。
そして私たちが成熟したものとして愛に続けることができるように今も働いてくださっているわけですよね。
だから私たちはそのイエス様に信頼して、私たちもパウロのように老くしながら奮闘し続けることができるんです。
苦しい時にですね、私の中で今精霊様が働いてくださっているんだ、
そう自分に言い聞かせ神に信頼しながら、老くしながら奮闘し続けていくことができるわけです。
それが私たちにもできる気絶者の望みであるわけですね。
最後に一つ見事を共に読んで終わりにしましょう。
第2コリント4章6節から7節、このパウロの弱さの中における彼の告白ですね。
前に掲示しましょう。
光が闇の中から輝き出よ、と言われた神は私たちの心を照らし、
キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
私たちはこの宝を土の器の中に入れているのです。
それはこの計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかにされるためです。
この内なるイエス様に頼りながら、今週も読んでいきましょう。お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
違法人の間でこの奥義がどのような偉大なものであるか、あなたは私たち生徒に示してくださいました。
私たちの内なる望み、イエス様が私たちの心に、私たちの命の内に与えられている幸いを感謝いたします。
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それを実感することは時に簡単ではないかもしれません。
しかし、御言葉にとどまり、祈りのうちにあなたに思いを馳せる時に、私たちの内なるお精霊の働きを知ることができます。
どうぞ日々の生活の中で、復活のイエス様の新しい命を体験し続けることができるように、
そしてどうか私たち一人一人を、あなたにある聖人として会いましてくださるようお願いいたします。
この願いを、私たちの主イエスキリストのお名前によってお祈りします。
アーメン
それではしばらくお祈りしましょう。御言葉に応えて、それぞれの方、心にあることを主に祈りましょう。
献金の祈りはありませんが、どうぞ自らを捧げる祈りをまた共に捧げてください。