2020-07-19 30:07

#15 20/07/19 真実さに守られる

第2テサロニケ3:1-3からの礼拝メッセージ。 約束通り悪いものから守られるとは。2020年7月19日録音。
00:04
それでは、読みます。
テサロニケ人への手紙、第2、3章、1節から3節
最後に兄弟たち、私たちのために祈ってください。主の言葉が、あなた方のところと同じように、速やかに広まり、たっとばれるように。
また、私たちがひねくれた悪人どもから救い出されるように、祈ってください。
すべての人に信仰があるわけではないからです。しかし、主は真実な方です。あなた方を強くし、悪い者から守ってくださいます。
以上です。
今日はこのところから、真実さ、真実さに守られると題して御言葉を取り継ぎます。
皆さんおはようございます。
昨日まではっきりしない天気が続きましたけれども、今日はこのように晴れやかな朝になりましたね。
よく先週、いろんな方と会って挨拶したんですけど、いわゆる梅雨の晴れ間がないですねって言いましたけど、
まさに今日は梅雨の晴れ間となって、清々しい思いで皆さんとお会いできていることを本当に感謝します。
この世の中の流れに触れながら、いつも御言葉を取り継いでいますけど、
今日から大相撲が始まります。本来なら名古屋場所ですけれども、両国国技館で移動の制限をかけて開催すると。
そして先週はですね、GoToトラベルキャンペーン、それがですね、東京除外という形でスッタモンダした後、予定通り前倒しで実施されるということになりました。
しかし、感染者もですね、記録更新、沖波記録更新で不安が冷められない中ですね、
昨日のある長官にですね、東京都知事選と感染者数の関係を皮肉ってですね、ある線流が出てました。ちょっと紹介しますね。こんな線流です。
案の定選挙後増える感染者。案の定選挙後増える感染者。笑うには笑えない話ですけれども、
そういう中でやっぱり私たちも不安が冷められない中、今日もパウロの祈りのお願い、そしてそれに連なる約束、その御言葉から学びましょう。
まず今日はですね、神様は悪いものから守ってくださるということを見ます。
その中で悪いものとは何ですかという、そういうことを少し見ていきます。そして最後はその約束を保証する神様の真実さについて学びます。
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まず悪いものから守ってくださる神様です。
今日のこの最後の部分と言っていますが、この手紙の締めくくりに入っていくわけです。
そこでパウロは、これまで祈りをあなたのために捧げてきましたと言っていた教会の人々に、今度は私たちのために祈ってくださいとお願いしているわけですね。
その祈りの内容は三章の一節にあります。
一種の言葉があなた方のところと同じように広まるように、そして私たちが悪いものから救い出されるように、またその福音があがめられるというのはですね、たっ飛ばれるというのは、
その福音に応答して信じる人がさらに生み出されるように祈ってほしい、そういうのを要請しているわけですね。
しかし注目すべき点はですね、パウロは自分たちが強くされるように悪いものから守られるようにと祈ってくださいと要請するばかりか、
テサロニケのクリスチャンの人たちも悪いものから守られるようにとその約束を断言している。
神様はあなた方を強くして悪いものから守ってくださる、力強く宣言している点なんですね。
力強くしてくださる神様については先週見ましたこの2章の17節、ここありますね。
あなた方の心を慰め、強めて、あらゆる良い業と言葉にすすませてくださいますように。
神様があなた方の心を慰めて強めて、良き業に良い言葉に身を結ばせてくださいますようにといった。
それに続いて今日はこの神があなた方を強く守ってくださると断言しています。
何度も言っていますが、パウロは実際福音を伝える中でたくさんの苦難に遭いました。
人から苦しめられました。
この地図をいつも紹介していますけど、宛先はここのテサロニケの教会に宛てていた手紙です。
このコリントから書いた手紙です。
テサロニケにいる前にパウロたちを知らすとおそらく手も手もフィリピンにいました。
ここではですね、あることを発端に訴えられてローマの役人の下に引き出されて、
鞭打ちの刑にあって盗獄されました。
しかし神様によって救い出されました。
そしてこのテサロニケに来た時には何度も言いますが、
反対するユダヤ人たちに、このさぞなかされた町のブオートたちがパウロたちを殺そうとして、
パウロが滞在している家に押しかけてきたわけですね。
そして彼は命からから脱出させてもらって、ベリアという町に逃げ、
06:02
そして今ここで手紙を書いているコリントの町。
パウロは旧約聖書の背景があるユダヤ人の街道でいつも
イエス様の救い主とあることを明かしていましたが、
そこでユダヤ人たちが、イエスが救い主になるわけないと言って
反対して暴言を吐いた、そういう記録があります。
とにかく皆さんもぜひ時間をとって読んでいただきたいのですが、
使徒の働きの16から18章に書いています。
そしてそういう中で、パウロが今自分も直面している試練の中で、
テソナニ家のクリスチャンの人たちを兄弟姉妹、
同じ苦しみに遭う自分の仲間として呼びかけています。
福音宣教のチームメイトだと呼びかけています。
そして実はこのパウロの家族やパウロの仲間、チームメイトの中にですね、
今の私たちも招かれている。
そしてこのパウロを通して語られる神の見事を聞くことができるわけです。
ではパウロが言っている悪いものとは何でしょうか。
2種類あります。
3章の2節でパウロが守られるように祈ってくれと言っているのは、
ひねくれた悪人どもと言い方しています。
それはですね、その後にですね、
全ての人に信仰があるわけではないと言ってあるように、
イエス様を信じていない人々を指していました。
ただね、これは安直に、
イエス様を信じていない人イコール悪人だという決めつけはいけません。
パウロが言っているのは、さっきも言いましたが、
イエスが救い主であるわけがないと強く否定している人たち、
そういう人々がパウロの命を付け狙ったり、
パウロに危害を加えたりしているわけです。
そういう意味で彼にとっては、
彼を苦しめる悪人イコール、
イエスを信じない人というわけですね。
もし私たちにも、その信仰の上に誰かが危害を加えようとするならば、
私たちに、あなたに危害を加えようとする人がいるならば、
たとえそういう人がいたとしても、
神様は私たちを守って救い出してくださる。
神様は、そういう悪い者から私たちを、
危害を加えようとする者から、守り救い出してくださる。
そう聖書は宣言している、断言しているわけです。
次に、悪い者、今は危害を加える人間でしたけど、
二つ目の悪い者、
それは、三章三節でパウロが言っている、
目に見えない悪の存在です。
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三章三節で、
神様、三章三節でパウロはこう言っていますね、
しかし主は真実な方です。
あなた方を強くし、悪い者から守ってください。
乱外の中がある聖書には、悪い者のところに、
こういう説明が入っていますね。
悪から守ってくださる。
それは簡単に言うと、おそらく悪魔の存在だったんですね。
パウロは、悪魔とは明確にどんな存在なのかということを、
聖書では定義していません。
ですから私たちも必要以上に、
いわゆる悪魔というものがどんなものかを知る必要はないんです。
けれども、分かっていること、それは、
悪を図る人の背後に働いて、
あるいは何らかの力によって人に働いて、
パウロや私たちに悪影響を及ぼそうとする、
悪の力が存在するということです。
実はですね、皆さん気が付いていますか、
私たち毎週、この悪から守られるように祈っています。
主の祈りの中でこう祈っていますよね。
私たちを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。
これはギリシャ語で言うと、
アポリューサイヘマース、アポトゥーポネルーというんですね。
ポネルーというのが悪魔です。
このアポトゥーポネルーという、
同じ言葉がここのパウロの三章三節の、
悪いものから守ってくださるという言葉が使われています。
何をともあれ、悪いもの、目に見えない悪しき力と、
そのものがもたらす試練から、
私たちを救い出してください、守ってください。
そしてあなた方を守ってくださるとパウロは言っているわけです。
そう祈ると同時に、祈りを要請すると同時に、
あなた方を守る、私たちを守るとパウロは断言しているわけです。
ここで少し厳密な言葉を勉強しますけれども、
試練とは何でしょうか、試みとは何でしょうか。
それはイエス様を信じている人が、
その信仰を諦めるように悪しき力が働いている、
それを試練と言うんですね。
私たちが実際体験する試練の種類を特定することは難しいんですけれども、
ただ例えばですね、テソネケ教会が直面していた信仰の迫害、
それは信仰の試練とも言えます。
しかしですね、私たちが直面する苦しみとか、あるいは在籍感、
自分の罪を自分で許せない罪意識とかですね、快楽ですね。
でもそういうものは厳密に言うと試練にはならないというんですね。
どういうことかというと、私たちが例えば体験する迫害や苦しみ、
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あるいは在籍感や快楽、
そういうものを通して私たちが疑念を抱く。
つまりそういうものを通して、もし私たちがですね、
イエス様を救い主であると信じることを諦めようとする。
そうするならば、それが悪しき者による試みです。
わかりやすく言うと、例えば悪しき者が囁くとしたら、こう囁くんですね。
こんなことが起こるのであれば、イエス様を救い主と信じても意味がないだろうと。
もしそういう悪しき者が囁くとしたら、
それがですね、私たちに襲いかかる試練と言えるかもしれません。
しかしそこで大事なことは、私たちはそこで心をくじけたり、諦める必要はないんです。
悪いものから神様を持ってくださるとパウロは断言しています。
先週ですね、レオナルドという言葉から、ライオンのように強い心ということを話しました。
神様は私たちの心をライオンのように強くしてくださる。
あるいは試練の中で心がくじけそうな時に、私たちを慰めてくださる。
そう先週の祈りの中から学びました。
2章の16、17節、もう一回復習のために読んでいますが、
こう言ってますよね、パウロが。
どうか私たちの主イエス・キリストと私たちの父なる神、
すなわち私たちを愛し永遠の慰めと素晴らしい望みを恵みによって与えてくださった方御自身が、
あなた方の心を慰め、強めて、あらゆる良い技と言葉に進ませて下さいますように。
これをパウロは直前で祈っています。
そして今日見たところで、パウロはこう断言しているわけですね。
聖書は私たちに向かってこう断言しています。
3章3節、しかし主は真実な方です。
あなた方を強くし、悪い者から守って下さいます。
この決定的な約束に私たちは信頼し身を委ねることができるわけです。
その上で大事なことがあるわけです。
それは真実な神様、神様の真実さということです。
3章の3節の神の約束の確かさの拠り所で、
こう言ってますよね、主は真実な方です。
主はイエス様はという意味です。
イエス様は真実な方です。
15:00
だから守って下さるんだという主の真実さ。
このことは私がしばらく前から話しているこういう信仰と関係しています。
徹頭徹尾神様による私たちが救われるために選ばれたのは、
神様の徹頭徹尾の選びのおかげだ。
私たちがイエス様を信じて信仰生活を続けられるのも
やはり神様の守りと助けがあるからだ。
そういう神様の徹頭徹尾な力添えということに通じているわけです。
先ほどですね、パウロはテサの兄貴の人たちを、
そして私たちを仲間とみなしていると言いましたよね。
家族であり、福音選挙のチームメイトであり、
クリスチャンの仲間である。
その仲間意識は何千年も前まで遡るわけです。
それはイスラエルの神の民にも通ずる仲間というか、確かさに通ずるわけです。
どういうことでしょう。
それはですね、イスラエルを守ってくださった神様は、
今も私たちを守ってくださるという、そういう確かさにつながるんです。
この絵、何だか想像できますか。
英語で書いてありますけど。
この絵、海が割れていますね。
手を挙げているのは、モーセです。
シュツエジプトの物語です。
神の民イスラエルがエジプトで奴隷であった時に、
神様が彼らを救い出してくださいました。
絶対絶命、後ろからエジプト軍が追いかけてきた時に、
モーセが神に命じられて祈ると、
足の海が分かれて、その海の中をイスラエルが渡っていって助かりました。
追ってのエジプト軍は、この波に飲まれて滅んでしまいました。
そしてその後、40年間砂漠を旅したイスラエルの民を、
神様は食べ物を与え、水を与え、救い続けてくださいました。
これはですね、皆さん覚えておいてください。
シュツエジプトの物語というんです。
これは神の民の大脱出、大救出の物語です。
そしてそこからですね、
このシュツエジプトの救いの神様は、
今も私たちを救ってくださるんだという、
そういう信仰につながる物語です。
ただこの大事なこと、どうしてイスラエルの民が、
あるいは私たち神の民が救われるか、
それは彼らの良し悪しではなくて、
ひとえに神様の真実さ、真実さゆえだということです。
前も少し紹介しました、その出来事を、
18:03
後から振り返った聖書の言葉があります。
ここに記載しました。見てください。
神明記七章八節から九節。
読みますね。
主があなた方を恋したって、あなた方を選ばれたのは、
あなた方がどの民よりも数が多かったからではない、
つまりあなた方の私たちの能力、良し悪しではない。
しかし主があなた方を愛されたから、
またあなた方の先祖たちに誓われた誓いを守られたから、
主は力強い御手を持ってあなた方を連れ出し、
奴隷の家から、エジプトのパンの手から、
あなた方を贖い出された。
この先祖たちに誓われた誓いを守った、
約束を守ったということが神の真実さです。
これが何千年も前にした約束を神様は忘れずに、
誓いを守り続けるわけです。
結婚の制約とか、皆さんした人いるかもしれませんが、
10年前に、20年前に、30年前にした制約ですね。
皆さんしっかり守っていると思いますけれども、
それ以上に神様は何千年も前からの誓いを守って、
神の民を守る、真実な神だということです。
少し難しいことを言います。
ここに記載しましたが、
ある神学者が、その神様の真実さをこのように表しています。
神の義が、神の民への誠実さ、真実さとして理解される。
なぜなら、神の義は、イスラエルの不誠実さにも関わらず、
彼らを救出し、擁護することによって、
契約義務を遂行することだからだ。
ここにありますね。
彼らの不誠実さにも関わらず、救い出して守ることによって、
契約の義務を遂行する。
それが神の正しさであり、誠実さだというんですね。
約束を守ることができない人とか、
弱く無力な人に対して、
その人を愛するがゆえに、一方的に約束を実行する。
そこに神様の愛と誠実さが表れているんですね。
ちょっと皆さん考えてください。
仕事をやったことがある人ならば、能力級とかありますよね。
この世は、学校の成績から始まって、能力によって人を判断します。
人間同士を比べたら、その能力は上下があるでしょう。
でも、私たちが神様の前に立ったら、誰も神様に及ばない。
神様の前にその正しさを自分が測ったら、
どうやっても神の前に約束を守ってもらえるほど、
21:03
正しい人間になり得ないんですね。
しかし、神様は私たちの良し悪しではなくて、
一方的な神の愛と誠実さのゆえに、約束を違わず守ってくださるわけです。
実はですね、このテサルネ家の三章の二節三節、今日見ている聖書の箇所。
元のギリシャ語で見ると、とても面白いことが書いてあるんです。
三章の二節に最後にこうありますね。
全ての人に信仰があるわけではないからです。
三節、しかし主は真実な方です。
実はこの信仰と真実という言葉がギリシャ語では繋がっています。
そして同じ言葉です。
ちょっと難しいんですが、ここに記載してやります。
全ての人に信仰があるわけではないのです。
しかし主は真実な方です。
この信仰という言葉はギリシャ語ではどっちもですね、
信仰もピスティス、真実もピストス。
だからこのようにね、
ここで信仰という言葉が繋がっているんですね。
これ繋がることによって何をしているかというと、
不真実な人間と真実な神様の違いをパウロは浮き立たせているんです。
人間は不信仰で不真実です。
でも真実なるのは神様です。
そうやって迫ってくるわけですね。
このようにパウロがギリシャ語によって表現しているように、
人間は誰一人として神の前では真実とはありえません。
でも神様はそんな私たちに真実を尽くしてくださる。
約束を守ってくださる。
これが良い知らせ福音なんです。
最後にこのご自分を否定できない神の真実さということをさらに詳しく見ましょう。
この神の真実さ、人間の不真実さ、それを理解した上で、
パウロのこの手紙の別の言葉に注目しましょう。
パウロはテモテという弟子にあてた手紙にこう書いています。
ちなみにテモテはこのケサノリ家の手紙をケサノリ家に届けたパウロの弟子の一人です。
その手元にあててパウロはある牢屋から書いた手紙があって、
そこでこう言っているんですね。
ここに記載してあります。
2章13節
彼、イエス様、彼にはご自身を否むことができないからである。
24:05
主なる神はご自分を否むことができない。
これ大事な言葉なんで覚えていてください。
つまり神様は真実な神様なんで、自分を否定できない。
そういう意味です。
もっと難しくなっちゃいますけど、ある神学者はこれをこう表現しています。
神様はご自分の無限の尊さと麗しさと偉大さを否定するような仕方で行動することができないということだ。
これ難しいんですけども、神様はその自分の清さや偉大さを否定するような仕方で行動できない。
これは簡単に言うとですね、神様は決して嘘をつかないということです。
神様は決して嘘をつかない。
今日の話の流れで言えば、有言実行。神は必ず有言実行なるお方だ。
最近話題になっていることの一つに、東京オリンピックが延期になっていて、選手たちが苦しんでいるという話です。
昨日たまたまそんな番組を見ていたんですけど、卓球のハリモト選手。
もうトロってのはハリモトイサゴではありません。
ハリモト選手がですね、彼の苦しい胸の内をトロしていました。
オリンピックが一年延期になってどうなりましたかって言ったら、またこの苦しみが続くのかと思って、つらいです。
なぜかというと、僕は自分が金メダルを取れないことを知っています。
でも、インタビューの度に金メダルを取るって言い続けなきゃいけない。
それが苦しいですと言ったんですね。
僕は彼を否定しません。
彼は若干17歳ですよ。
17歳の若者にそんなことを思わせる。
それこそ可哀想だと思います。
でも、この彼の言葉に表れているように、これは人間のジレンマをよく表していますね。
有言実行の難しさ。
しかし、同時にこれは神の真実さ。
有言実行の神の真実さを表すたとえにもなっているかと思います。
ご自分を否定することができない神様の真実さ。
よくわかると思います。
金メダルを取ると言ったら必ず金メダルを取るのが神様ですね。
その上で聖書の約束にもう一度耳を傾けてみましょう。
パウロが今日の御言葉の最後でこう言っていますね。
聖書が宣言しています。
もう一度この言葉をその意味を捉えて味わってみましょう。
こう言っています。
主は真実な方です。
あなた方を強くし、悪い者から守って下さいます。
27:01
ここには主は真実な方ですから、あなた方を強くし、悪い者から必ず守って下さるという言葉が入るでしょう。
そして先ほど言いましたが、パウロはこの手紙を書いたコリントで福音のために反対にありました。
暴言を吐かれたとも書いてあります。
役人に訴えられたとも書いてあります。
その時にパウロが幻の中で神様の声を聞いたというんですね。
その声が聖書に記載されています。
こんな言葉です。
こちらに記載しました。
こんな言葉をパウロは神様からいただいた。
恐れないで語り続けなさい。
福音を語り続けなさい。
黙ってはいけない。
私があなたと共にいるのだ。
誰もあなたを襲って危害を加えるものはない。
この町には私の民がたくさんいるから。
イエス様が共にいて守って下さるから安心だというんです。
さらにそれだけじゃなくてあなたには孤独じゃない。
あなたの民がたくさんいる兄弟姉妹仲間はいるんだと語ってくださったわけです。
この苦しみの中でパウロがいただいた神の言葉を私たちも胸に留めながら
その神様を信頼し神の真実さを味わっていくお互いでありたいと思います。
お祈りしましょう。
天の神様皆を賛美いたします。
パウロは正しいことをしながらも苦しみに遭い暴言を吐かれ
命の危険に晒されました。
私たちは弱いものであり正しく生きることができません。
しかしそのような弱いものであっても
パウロのように主は私たちを必ず守って下さると約束して下さったことを感謝いたします。
どうぞ私たちの日々の生活の中で神の真実さを思い巡らし
真実な神様の素晴らしさを味わい
あなたの御言葉に身を傾け歩んでいくことができるように導いて下さい。
ここに集う一人一人がどうぞ御言葉によって語り
祈りに応えて下さる真実な神様
その神様の守り
神様が強めて下さるその心の強め
それを体験することができるようにどうか導いて下さい。
それによってどうぞ弱い私たちを通してイエス様の香りが放たれるようどうか導いて下さい。
この願いと感謝を私たちの主イエス様のお名前によってお祈りします。
30:01
アーメン
30:07

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