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2022-05-18 28:52

【601GMV】調子良くしたければ測らない

原因の特定に潜むリスク
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今朝ですね、情報管理ログさんというブログの日記にですね、ポッドキャストに臨むこと、この記事を読んだのは私2度目くらいなんですが、
あって、なるほどなと思ったんですよ。
私の聞いてくださっているのかどうかは、聞いてくださっているというような記事も見たような気もするんだけど、
なんかですね、私はこの僕がポッドキャストで喋っていることは、情報管理ログさん好みではないんじゃないかと思って、なくもないんですね。
だけどまあ、そんなことはわからないので、そんなことはわからないんですけどね。
で、なるほどと思ったのは、こういうことってまだできないんだなと。
私、あまり自分のとかはしっかり聞いていないのと、人のも滅多に聞かないので、全く聞かないわけじゃないんですけどね。
ああいうことを考えたことがなかったんですよ。どうやれば便利に聞けるとか。
で、シリーズは連番になっているといいとかそうだなと思ったし、
ブックマークした場所って残らないのかな?ちょっとそこはわからなかったんですけれども、
まあそういうこともあり、あと書き起こしですよね。いわゆるテープ起こしってやつですが、
あれ今、勝手にクラウドの方でやってくれて、すごい精度が上がってきているので、
それもあるといいなと私も思うんですけれども、
じゃあやるかというと、なかなかそういうところに行き着けない気がするんですね。
で、まず一番無理なのがシリーズ化というやつで、なぜならば、
これをシリーズ、つまりこれは例えばちょっと昔のというと、
イブホワイトシリーズとかホワイトブラックシリーズみたいなのがあるといいということだと思うんですが、
そのようなものを機としてないんですよ。
これからイブブラックシリーズで5回やるぞみたいなのが全くなくて、
私これ何の計画性もなく喋っておりまして、今も今日何を喋るかは全然考えていなくてですね。
さっきたまたま情報管理ログさんにそういえばポッドキャストのことが書いてあったのを今思い出したんですよ。
読んだのは朝の6時半頃で、多分娘の送り出す頃ですから、
その合間を縫うようにして、リーダーというやつでひどい読んでるんですけど、
そこに何か書いてあったというのを今思い出して、今喋ってるんですよ。
03:00
だから今日これから喋ることから、それこそポッドキャスト改善シリーズになるかもしれないし、
ならないかもしれないんですよ。
それを事前に5回これからやるぞみたいなのが全く脳内にないから、やりようがないんですよね。
終わってみればシリーズだったということはあるのかもしれないんですけどね。
だけど私の中ではこれシリーズになってないので、
例えばイブホワイトの話とかも必要に応じて出てきているのであって、
イブホワイトシリーズとかをやってるっていう機はないから、
人が聞けばそういう認識になる可能性はありますが、
自分の中ではそういう認識はないんですよね。
やたらと話題になっているものっていくつかあるじゃないですか。
甘えの構造シリーズとかタスクシュートシリーズとか、
私はそういう意識が全くないので、
多分他の人が区切ることは可能だろうと思うんですけど、
私自身が区切ることは不可能だと思うんですね。
大体聞き返したりはしませんし。
とりあえずそういうことで、
他の点については、
多分直接ポッドゲストで収録せずに文字起こしとかすればいいんだろうなと思うんですけどね。
だけれども、他のやつでこっちに後から移すということをやりだすと、
私は面倒くさくてやめてしまう気がするという問題が一つと、
もう一つは、そもそもこれを文章にするんだったら、
最初から自分で文章で書くよっていう話もありますね。
何て言えばいいんですかね、
これに対して反対だとかなんとかいうことはないんですけど、
昔はやってたんですよ。
例えば、今も全くやらないとは言いませんが、
使い回しってしなくなったんですよ。
例えば仕事のに書いた記事が、
これは現行でここでも使えそうだから使うっていうのは、
有効活用感があるじゃないですか。
僕もそれはまだありますよ。
だけれども実際には絶対やる気がしないんだと思うんですね。
理由は簡単で、
都度都度僕は書くんですよ。
というわけでつまり、
他の媒体に移したくないという意識が働いているんですよね。
だから、全く同じ話はしないし、
全く同じような話だからといって、
それを違うところから引っ張って再生しようという気はないんですね。
これはもうですね、
これについて議論をしたいという気持ちもないんですよ。
他の人が使い回しをいっぱいしているのを見ても、
別になんとも感じないんですよね。
それがいいとか悪いとかは、
羨ましいとも思わないし、
よろしくないとも思わないんですよね。
つまり何にも思わなくなっちゃったんだよね。
自分は使い回さないんですよ。
理由は簡単で、
使い回したいというモチベーションがゼロだからですね。
これで文字通りゼロなんですよ。
1ぐらいはあるとかじゃないんですよね。
気がついたらやるかもしれないですよ。
06:02
でもそれはただそれだけのことであって、
毎度毎度それをしたいというような意欲はゼロなんですよ。
つまり、どこか別のところで昔に書いたものを書きたい、
もう一回書き直したいなというのと、
ここでしゃべっていることが
たまたま前にしゃべったことと全く同じでしたということは、
私の中ではもう全く違うことになっちゃったということです。
全く違うことだと思うんですけどね。
だからこれも書き起こすというのは、
つまり文章化していると検索しやすいっていうのは分かるんですよ、当然。
当たり前だと思うんだけれども、
そこは私は何と言うんですかね、
やっぱりそれだとすると書くよなという感じがします。
これと関係があるようなないような話で、
もはやこの話の出どころが予報管理局さんだった。
つまりこういう状態なんですよ、今の私の頭の中って。
だからさっき話そうとしたのはですね、
例えばテキストエディターってあるじゃないですか。
昔あれ、途中まで書いてあると続きが書きやすいよという
ライフハックを紹介したことがあったんですけど、
その時は私はそう思ってたんですけどね。
今はいつでも白紙に書くんですね。
もちろん本の原稿の続きを書かなきゃいけない時まで
お前は無視して書くぜみたいなことはしません。
そしたらやばいことになりますが、
ただ記事書くなりする時はこのポッドキャストと全く同じで
完全な白紙からスタートするんですね。
それでは書けないという人もいるんですが、
それで書けない時は私は書かなきゃいいと思っております。
つまりこのポッドキャストもそうで、
しゃべれない時はしゃべんなきゃいいと思うんですよね。
有料でやってるわけじゃないわけですし。
毎回同じタイミングでしゃべれなきゃいけないと思わない限りは
白紙から出てこないんだったらそれでいいような気がします。
だから私はいつも全部エディターを白紙にしておいて
そこから書くんですね。
他の方法を一切取らないんですが、
それがなかなか信じにくいという方が結構いらっしゃって、
どういう風に説明すればいいのかなと
今ちょっと考え始めつつですね、
ちょっと違う話をこれからしたいと思っております。
これからしたい話は数値化というか、数値化なんですね。
私はここから来てるんだと思うんだよね。
簡単さとかが言われるようになってるじゃないですか。
最近少しね、5月は不調になるとかね。
それなんですけど、私そういうのに対応意味がないので
今は体操強くなったんですよ。
簡単に言ってしまうと。
09:02
グッドワイルスのおかげですが、
どうしてなんだろうって思った時に
やっぱり数値化をしなくなったっていうのが絶大だなと思うんですね。
私も今残っている数値化は2つしかなくて
1つは家計簿、もう1つがタスクシートなんですよ。
家計簿も本当に家計簿を使って
タスクシートなんですよ。
家計簿も本当は読めたいんだけれども
正直ですね、私は確定進行が間際になって
焦るっていうのは嫌なんで
家計簿だけはつけとこうと
代わりに振り返ることはしないんですけどね。
いずれにしてもこれは
しなきゃしないほどいいんじゃないかと
最近は思うようになりました。
というのは
例えば睡眠時間を測る
あるいはそれこそ
血圧とか熱とか気圧とか
いちいち測るわけじゃないですか。
まず本当なのかどうかっていうのは怪しいですよね。
私ずっとアトピー持ちだったから
原因を突き止めることの
ほとんど不可能性みたいなものに
ぶち当たったんですよね。
アトピーっていろんな人がいるんだけど
いろんなアトピーの人がいるんですよ。
アトピーになってみれば分かるんだけど
本当治んない時は治んなくて
本当に困るんですよ。
どこの医者に行っても
言うことが完全に一致することはないんですね。
私これも驚いたんですよ。
驚くじゃないですか。
素朴に子供の頃とかは
同じ病気は同じ原因があって
同じ症状があって同じ治療法があると
思いたくなりますよね。
そんなに都合の良いものではないんですよ。
だったら治ってますよね。
だから治んないんですよね。
なの医者を笑うじゃないですけれども
台湾では注射すると治るんですよ。
注射すると多くの人が治るんだ
っていう話が書いてあったんですけど
本当か嘘か知りませんよ。
書いてあったんですよ。
でもそういうことは差もあるだろうな
と思うんですよ。
いくつかの病気ってのはプラシーボじゃないと
治んないっていうのはつまり
いわゆる自己治癒力とか言われているもので
治る時は治るし
現に私アトピー治ったんですよ。
なぜ治ったのかの説明はできないんですよ。
なぜ治ったのかの説明はできないです。
お医者さんは必ず何かは言ってくれます。
行けばね。
欲望の人じゃないと。
私相当行きましたからね。
大学病院からなんとかから。
いろんな少なくともそれは嘘だなっていう
情報もいっぱい手に入れて
結局わかったことは治んないということだったんですけども
今は治ったんですよ。
これをスピリチュアルでも宗教でも説明して
はいけません。
でも医者は説明してくれませんという時に
人はどうするんだろうという時に
原因を自分で突き止めようと
少なくとも一度はすると思いますね。
それで原因らしきものをいっぱい突き止めることになります。
っていうことを気圧とか間断さで
12:00
やらないほうがいいと私は思うんですよね。
でもまあやるんですけどね私たちは。
つまりそれどういうことでしょう。
って言うとですね。
私はアトピーだったから
そして治んなかったから
原因を突き止めたくなったわけですね。
これが人間の差がみたいなもんだと思うんです。
気圧など気温など
睡眠時間などを測りたくなり
そこに何かしらの原因を見つけたくなるというのは
つまり私不調ですって言ってるのと
あまり変わらんような日がするんですよ。
これをせずに済むなら
何測ろうと結構だと思うんだけど
どうせ何測ろうと結構なんですよ。
測るなんて完全に趣味領域ですから。
ただ私は測るのを一切やめたのは
今のような事情があるということなんですね。
測ってるということは
何かしらの原因を知りたいんですよ。
その原因は一つ嘘かもしれない。
もう一つその原因を測ってるせいで
不調を作り出すってことは
これ今の言い回しが多いんですよね。
これ以外言いようがないと思うんだけど
不調を作り出すというよりは
自分の不調を信じると
言った方がいいかもしれないですね。
自分の不調を信じてるんですよ。
私も自分のアトピーを信じてましたから。
信じなきゃ治るのかよって言われると困るんですよね。
そんなことはないです。
しかし嘘の原因を
これはとってもよくあることです。
嘘の原因を信じて
それに対処している限りは
その原因が本当の原因でない限りは
治んないんです。
私それが一番ひどい目にあったのが
名前は出しませんが
大学病院に行って
ダニだって言われてたんですよ。
血液検査をすっげえやられて
ダニがいかに多いかを
立証されたんですね。
だから家からダニを
退治するというミッションが始まっちゃったんですよ。
バルサンとかたきまくってですね。
多分あの時
私の実家の
今実家じゃない寺で
寺でダニ退治って超大変ですからね。
もうめちゃくちゃ頑張って
母親とか
せっついてやってもらって
やって
治んないわけですよ。
こういうことが起こると僕は思うんですよね。
ダニが原因だということになって
かつ
ダニを退治し始めると
もはやダニが原因になるんですよ。
この説明ね、ややこしいんですよね。
イリュージョンが現実になるっていうのは
ああいうことだと思うんですけども
ダニが原因だと思い込んだから
ダニが原因であることに決まったんですね。
で、問題なのは
本当にそうならば多分治るんだけど
本当はそうじゃないから
少なくともダニじゃなかったから
治んないわけですよ。
そうすると
どういうふうに言われると思うかというと
言っても言ってもいっぱい血を取られては
ダニが多いことを立証されるんですよ。
本当の話なんですよ、これは。
冗談みたいに聞こえるじゃないですか。
どう考えても
15:00
アホくさいじゃないですか。
僕はそれで結局病院行くのやめたんですけどね。
薬はいっぱい出されるんですよ。
めちゃくちゃダニをやっつけてくれる薬とか飲むと
めちゃくちゃ体調悪くなるんですよ。
本当に冗談みたいじゃないですか。
これを日本でも十分一流と言われる
大学の大学病院でやってくれたことですからね。
別に恨んでるわけでもなんでもないんで
私これ高校時代の話だったんですけど
今からもうだいぶ昔ですからね。
昔はそんなものですよ。
で、つまり私は原因の究明っていうのをやるのは
とってもまずいことなんだなということを
あの時学んだんですね。
だからどっちかというといい経験だったと思うんですよ。
めちゃくちゃひどい目に遭いましたけど
あれはきっといい経験だったと思うんですね。
まず原因の究明さえやってやれば問題解決するという考え方は
すごく疑わしいということと
もう一つは原因を究明するというプロセスの中で
私たちは原因を特定し始めるという
とんでもないことをやりだすんですね。
で、その原因が何度も言うけど
当たっていれば多分一定の効果は上がると思うんですけど
当たってないにもかかわらず
そこに原因を求めよう
つまりそれが原因であるのかそうでないのかは
そう簡単にわかることではないということです。
私、注射6本くらい行くたびに打たれては
なんとか検査をされていたんだから
つまり究明する精密度というのは
いくらでも押し進めていける部分があって
これは原因じゃないようですと言っても
相手が納得しないということになってくると
ダニだとはとても思えません。
ダニだということに決まっちゃってるから
そういうことが起こるんですよね。
そういうことが起こったために
どんどん事態は悪化していったわけですよ。
私はそれと同じことを
2001年以降ずっとやってたなと思うんですね。
いいことは結局私に限って言う限り
なかったなと思うんですよ。
今も、だからさっきも言ったんですが
スクシュートとかケーブル以外は
一切やめてるんです。
数値を測るということを。
そうすると何が起こったかというと
めちゃくちゃ元気になったということなんですよ。
自分の不調とか
自分の不調の原因を特定して
追求していくということは
自分が不調だということについての
確信を持っていくという意味にならざるを得ないんですね。
私も本当に
このグッドファイブスで腰痛が消えたというのは
本当に怪しいんですが
もうちょっと違う言い方をするならば
自分が腰痛であると信じるのをやめたら
腰痛が消えたと言っても
同じくらい怪しいですね。
でも、これ以上の異様はない気がするんですね。
腰が痛くなることはありますよ、今でも。
だけれども、自分が腰痛持ちであるということを
信じなくなればですね
18:01
腰の痛くない時がやってくるんですよ。
普通それを痛みが消えたって言うんですよ。
ところが腰痛持ちの人はそうは言わないんですよ。
たまたま今腰は痛くないって言うんですよ。
これ、よく考えるまでもないと思うんだけれども
よく考えると
デフォルトだと見ているかの違いでしかないじゃないですか。
壁に窓があるのか、窓に壁があるのか
みたいな話なんだけど
これは税金のギャグなんですけど
今のはダメですね。意味不明ですね。
何で言ったらいいんですかね。
線路に枕木ってありますけど
枕木の間に石があるというべきなのか
線路に枕木を置いてあるというべきなのか
みたいな話に近いと思うんですね。
地頭図ってやつですよね。
どっちが背景でどっちが前景なのかによって
見え方が変わってこざるを得ないんだけど
実体はどっちが背景でどっちが前景だってことはないわけですよね。
腰痛持ちがたまたま腰が痛くない日があるのかもしれないし
腰痛がない人がたまたま腰が痛い日もあるのかもしれないんですよ。
ずっと痛いって言う人はちょっと考えてください。
ただ、私はずっと痛かったんですよ。
だからこれはですね、木からでは説明しきれないかもしれないんだけど
やっぱり私たちは、いわゆる病は木からというやつの
木の方を軽く考えすぎてるんだと思うんですよね。
もうここ3年行ってませんからね。1回もですよ。
1回もですよ。コロナだったからと言えるんですけどね。
もう二度と行きたくないですよ。だって行くと痛くなるわけですから。
腕が悪いとかじゃないですよ。行った日は確実に腰も肩も軽くなります。
ただ、行くことによって私は自分が腰痛持ちであることを信じることになるんですよ。
こっちの方が怖いってことですね。
これはもう本当にあらゆる人に
これを言うとどうしても営業妨害みたくなるからね。
私は腰の先生がすごい好きだったんで、営業妨害したくはないんですよ。
彼は商売を繁盛してほしいんだけど、私は絶対に行きません。
絶対に行かなくはないな。びっくり腰になったらあそこに行きたいですね。
だから行きたいんですよ。行きたいんだけど、行くと腰痛持ちになっちゃうんですよ。
私の心ってその程度なんですね。
影響って受けますからね、どうしても。
台湾の人々が注射を打たれれば病気治ると信じている限り治るように
そういうことって起きちゃうから。
こういうお話はお医者さんは多分みんなご存知なんだと思うけど
あんまり好かないと思うんですけどね、私の考えでは。
でもこれは私の考えですからね。
測らないってのは不調の人にはお勧めしたいですね。
何一つ測らないという。
21:00
測れば測るほど、少なくとも自分が不調であるということを
意識せざるを得ない方向に向かっていくと思うんです。
ツイッター見るとすぐわかりますよ。
寒暖差と気圧。寒暖差はまだじゃん。
気圧なんて言ったらですね、気圧変わんないなんてないじゃないですか。
気圧って常に変わってるじゃないですか。
私、アマチュアの気圧計、なぜそんなものを買ったんだって話もあるんだけど
見ていて面白いなと思うぐらいめちゃくちゃ違うんですよ。
細かく言えばっていう意味ですよ。
ある意味では全く変わらないとも言えます。
ほぼ1気圧付近に常にありますよね。
台風とかになったらみんなめちゃくちゃ不調にならないとダメじゃないですか。
人によっては全然不調になりませんってのはおかしいですよね。
あれほど数字がはっきり変化する。
私今台風来たからといって、庭が荒れるとかいうのも心配はしますけど
気圧低くなって調子崩すなんてことは全然ないですから。
これ昔からないけれど。
信じることが全てじゃなくて、
例えば私も地方の空港で急降下とかを始めると頭痛くなりますよ。
あれならわかる。
あれぐらい明瞭な変化が超短時間で起これば、そりゃなりますよね。
なっても不審はないと。
例えば東北新幹線ってトンネルだらけなんだけど
トンネル出たり入ったりするうちに耳の調子がおかしくなるってのはあります。
あれは気からとかじゃないと思う。
でも、そんなですね。
昨日の鉄血ぐらいで調子悪くなんないですよ。
なんないと思っといた方がいいような気がします。
で、なるっていうことが確実であればそっちは対処すればいいと思うんですけれども、
わからないとか曖昧だっていう場合は、
多分全く意識しない方が絶対ベターなような気がします。
私は子供の時からあまりにも病気がちだったんで、
こういう人間って必ずやると思う。
必ずやんないかな。
少なくとも私と畑海人さんが全く同じようなことをやってるのを見て非常に共感したんですけど、
何しろ熱を出すんですよ。あえて。
学校休めますからね。
私は昭和の頃の小学校って定期的に休まないととても私みたいな人間やっていけないところだったんですよ。
成績が良かったんで定期的に休んでも何ら問題なかったんですね。
とにかく定期的に休んでて、
あの時代のカレンダーに休む日をチェックを入れてたんですよ。
ランダムにそれをするわけですね。
そうすることによって怪しくない上に定期的な休息を取れるじゃないですか。
それぐらい狙って熱を出すってことができるんですよ。
どうしてもできない時は体温計の摩擦をバーッと起こして、
7度3分くらいまではすぐ持っていくことができるんで、
24:00
それで休めるかどうかは大変微妙なんですけど、
よくやってましたね。冬だと簡単なんですよ。
ストーブの上の方に。
ストーブの上の方にやると40度とかサッといっちゃったりするんで、
そうすると結構後で下げなきゃならないんでめんどくさいんですけどね。
そんなようなことをやっていたのは今思うとすごく良くないかったなって思うんですよ。
何が良くないかっていうと自分を病気にしちゃうんですよね。
ああいうことをやっていると。
僕は何回か一生懸命けびょうをやっているうちに本当に風邪をひいたってことが数度ありました。
そういうことは起こるんですよ僕らは。
簡単に起こせるんで割と。
要注意だと思うんですよね。
気圧とか糖質とかいう話を。
糖質制限は一定の効果ある人には間違いなくあると思うし、
しなきゃいけない人はしなきゃいけないんですけど、
何でもないのか、少なくとも糖尿病の危険があるとか糖尿病ですとか言われてもいないのに、
血圧を測らない方が良いと私は今は思っています。
血圧も活かされて無理やり測られないから測らないですもん今や。
どうせ高くないのは知ってますけれども。
なんつうんですかね。
でも今言った通りです。
自分を不調にしたくなければですね。
やった方が良いよっていう方は当然いらっしゃいます。
ただ私はその人のいくつかの言動を必ずチェックはします。
チェックっていうのもあれだけどチェックはしてないんだけどね。
その人が何か面倒くさい、人間関係で面倒くさいみたいな話をされるとか、
あるいはちょっと簡単さで調子が悪くなってとかいう話をするならば、
その人のアドバイスは入れません。
理由は簡単で私よりも調子悪そうですからね。
測った方が良いよっていうのは、
測った方が調子が良くなるっていう意味じゃないとおかしいと思うんですよね。
私なんかしかも子供の頃、小学校ですよ。
幼稚園でもそうなんだけど出席日数が常に危ぶまれるほど
けびょうだけじゃないですよ。
病気がちだった人間で決して体が強くないのに
こんな私よりも調子の悪そうな人の健康上のアドバイスが役に立つとは思えないんですよ。
測るってのはどういうことなのか、
私は結構お医者さんレベルではないにせよ、
よくやってきている方だと思うので、
家計語だの時間語だの得意な方ですからね。
不得意な方じゃないから、
記録つけるなんてお手の物なんですよ。
言ってしまえば。
だから下手に記録つけるもんじゃないっていう風に思うんですよね。
最近面白いなと思ったのはAmazonで2冊まとめて本を見たんですよ。
一つは数値化を、2だったらとにかく数値化しろっていう、
どこからああいうのをリコメントしてくるんだろうと思う。
27:02
もう一つが測りすぎって本なんですよ。
両方あるんですよ、つまり。
多分今の世の中の数勢から言って測れって方がよっぽど強いと思うんですけれども、
測りすぎっていうのもあるわけですよね。
明らかに僕らのこの傾向っていうのは、
特に日本人が好きだと思うんですけど、
行き過ぎてると思うんですよね。
頭痛なんて本当に簡単に作り出せるんだなということを私先日知ったんで、
この話はしませんけれども、
頭痛持ちの方って結構いらっしゃると思うんで、
これ頭痛とる方法じゃないですかね、頭痛になる方法ですから。
私頭痛ってないんですよ、ほぼない。
熱出るとなりますけど、
ところが頭痛っていうのは作り出せるんだということを、
僕だけかもしれない、僕だけではないな、方法として、
方法っていうのか、心理的なマジックみたいなのが書いてあったから、
やろうと思えばできる人は多いと思うんですけどね、
やめた方がいいと思いません。
つまりこれは測るってことと深い関係があるんですよね、結局。
測るってことそのものではなくても同じですよ。
つまり自分が不調だと信じると。
そして言ってみればカラーバス効果なんですけれども、
核心バイアスっていう方が正式かな。
一定の原因を推定し、
その原因が原因であると特定できるような証拠集めを始めると。
これは放っておけば無意識がやってくれちゃうんですね。
そうするとそれと連動して、つまり気圧が低くなってきたから
頭が痛くなるっていうことが原因だと思いたければですね、
必ず体はそいつに応えてくれちゃうという、
そういうカラクリなんだと思う。
28:52

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