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おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1132回をお送りします。
2月6日、木曜日、ちょうど7時30分です。不思議ですね。
7時半ちょうどに始めようというつもりは全くないんですけれども、この辺はちょっとタスクシュートの恩恵にも預かっているとはいえ、ぴったりに始めて、ぴったりに始める縛りは実際はないんですけどね、ぴったりに始めております。
そして今日も、昨日よりも一段…まだ寒い。一段とじゃないけど。0.8度ぐらいだけど、でも寒いですね。マイナス2度になりました。
多分今が一番寒いだろうなという感じがします。天気図的にもそうですよね。ここまでは普通来ないような寒気がここまで下がってきたって感じがしますね。
こういう時、わからないですけど、私は住んだことがないんで、名古屋で雪が降るんだよなっていうのを時々思い出すんですよ。
名古屋って太平洋側の都市で、そういうところはだいたい雪降んないんですよね、あんまりね。
東北でも仙台ですら雪降りますけど、新潟みたいにめちゃくちゃ降ったりはしないんですよね。
やっぱり日本海側で山で雲が止められると。あれ私スキー場に行くから実際見たんですけど、雲が本当に止められるんだけど不思議な光景ですよね。
だって雲ずっと空の上の方まであるのに、なんでここ、山がこのぐらいあるともうここで止まっちゃうんだろうなっていう。
湿気すら来ないから関東地方は今20%とか、寒くて風が吹いて湿度がないんで火事が起こるわけですよ。
冬の江戸は火事がよく起きてたな、そういう理由なんですけど、いやもう本当にそういう地域なんですよね、この関東地方というのは、関東平野というのは。
乾いた風がビュービュー吹いて非常に寒々しいわけです。ただ天気はめちゃくちゃいいんですけどね、だいたい冬は。
これ、スタイフでよくこういう気候的話をするっていうのを聞くんですが、私は別に昔、小学校時代は将来は天気予報士になろうと思ってたぐらい気候的話がただ大好きなだけで、別にスタイフだから気候の話してるわけではないんですよ。
気がつくとそういう話をしがちというだけですね。
切り上げて先へ行きますね。
今ですね、3ヶ月チャレンジの2期目がちょうど始まって、2期目が始まると面白いなと思うのは、もう私は3ヶ月チャレンジの定義とかPRにはあまり興味を失ってるわけですね。
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やっぱりこれは新規が始まる直前に意識がすごく高くなっていって、始まった直後にはほぼ消滅するんですよ。
あれです、大学受験への興味は受かった瞬間に消えるのとほとんど同じで、3ヶ月チャレンジもやれやれ始まったかってなるともうPRのための文言とか定義が頭から飛ぶんですよね。
これちょっとあんまり良くないのかもしれないんだけど、別に私の中ではそうがなければ言葉の問題だからなっていうところはちょっとあるんですけど、
考えてみると始まった直後の方がそれを意識させられるんですよ。
3ヶ月チャレンジって実際のところどういうものなのというのが、特に新しく始められた方には当然心配になりますよね。
だからそういう話が始まるんだけど、私はもう1月の末日ぐらいでそれがピークを迎えちゃっているので、末日じゃないですけどね、1月下旬でそれをピークを迎えてしまうんで、
2月が始まるとなんか全然、これからはどういうふうにこれを実際に進めていくのかということでむしろ頭がいっぱいになって、
その2つ違わないんですよ、僕の中では。結局は同じなんだけど、表現が違って聞こえるということは起こり得るんですよね。
これがレターの告知とセミナーの中身の、聞いてる方にはもしかしたら疎後があるのかも。
やってる方は多くの場合、よほど嘘をつくつもりがない限り、やってる方は多分疎後ないんですけどね、これはね。
そういうちょっとした行き違いは起こり得るタイミング。これが3ヶ月チャレンジの始まりの頃ですね。
なのでちょっとそれを喋ろうと思っております。3ヶ月チャレンジ。本当はここで喋るモチベーションが高いかというとそうではないんですよ。
やっぱりこれはね、10期が始まる頃が一番喋るモチベーションが上がってきますからね。今9期始まったばっかりになって。
ある意味一番その3チャレンジについて喋りたいぜっていうモチベーションはむしろ下がりがちっていうタイミング。
今みたいな時はですね。あ、そうだ。告知しておかないと。もう5分経ってるじゃん。
告知です。3月15日土曜日に。もう今日明日には告知文をPTXから出しますが。
山崎孝明さんをお迎えしてですね。要するにメンタル、ビジネス心理的な話を。私の方としてはですよ。ビジネス心理的な話をします。
タイトルはまだ決めてないんですけど、「無理をしないとはどうすればいいのか?」これはね、実際に受けたご質問で。
そうか、無理をしないとはどうすればいい?なかなかシュールな質問だなぐらいに思った。
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そのクリティカルな感情を抱く。無理をしないとはどうするか。難しい話で、これは山崎さんに持っていくのに実に向いていると思うんですよね。
山崎孝明さんは公認心理師で心理症心理師の方で、精神分析の上げる聞き方とか、当事者と専門家とか、私からすると書いて欲しいタイトル、そのままのような本が出てくるので。
私は田畑海人さんの本は好きで大概買いますけど、山崎孝明さんに関しては私はどっちかしらもファン心理に近くてですね。
読もうと読むまいとは読むんだけど、読もうと読むまいと本は買うぞみたいなノリがありまして。
どっちかっていうと動画とかでは彼の出ている動画を見に行くみたいなタイプですね私はね。
あのやっぱりこう出して欲しい本がそのまま出てくるってそうあることじゃないんで。
例えば精神分析のある聞き方っていうのは私これタイトルがちょっとですね微妙にタイトルと中身に完全一致ではないような気がするところもある。
まあ全然不一致とかないですよ。専門家の書く本なんで、ビジネス書のような世界とはちょっと違うんでね。
まんまに近いタイトルってところあるんですけど、それだけに余計ですねそういうのが引っかかってくるんだなって思ったんですよ。
どっちかっていうとあれは日本の心理臨床の現実みたいな本なんですよね。
私はまさにそれが読みたかったからいよいよ ok なんですけれども、日本の心理臨床の現実ってめちゃくちゃ難しいんですよ。
誰にも書けないんじゃないかって僕本当思って、てか誰も書かないんじゃないかっていうのがね、私の思ってたところなんで。
これ書く人いるんだ。しかもすごいちゃんと書かれていて、ある意味読んでて怖くなるのは余計なお世話なんですけど、
山崎孝明さんが怖がればいいところを僕が勝手に怖がってるみたいなところあるんで。
だって別に僕心理臨床の世界の人じゃないんで、そこにどんなことが書かれていようと気にすることはないんですよね。
この辺が境界線のバウンダリーの曖昧さってやつなんでしょうけど、
僕はね、要するにあれですよ、プロ野球に異常に好きな人がプロ野球界の同行にヤキモキしてるみたいな、
お前がヤキモキしてもなみたいな、そういうやつ起こるわけですよ。
多分僕心理臨床界のファンなんでしょうね。
こういうところが私にはあるんだなっていうのをあの本を読んで痛感しました。
なんか意味もなくヤキモキする。でも意味ないよねっていう。
その流れそのものが起きてた頃、そもそも私子供だったとか生きてなかったとか、
ザラにある話なんで歴史に近いんですよ。
とにかく複雑なんですよ。
読んでも一言では伝えられないし、伝える気もしない。
伝えるのも私の仕事ではないんで、別にそれはいいんですけどね。
その山崎さんを3月15日にお招きし、リアルオンラインハイブリッドセミナーを開催します。
09:00
多分ね、3000円前後でやりますんで、これはもう3時間はやると思ってんで。
お得なんで、お得だと言い切ってしまうのはなぜかというと、
最悪赤になっても自分自腹で10万ぐらいは払うぞっていう気持ち。
山崎さんにってことじゃないですよ。
総額で10万ぐらいだったらもう丸々赤でもやるっていう趣味なんでほとんどね。
私はこれは、私にとってはですね、
3万円ぐらい払う価値があると。
でも誰もそう思わないだろうから、3000円ぐらいにしときますけれども。
本当に、何て言えばいいんですかね。
こういうのを何て言えばいいのかって口癖になっちゃってますけど、
日本の心理臨床について知っておくっていうのは、
例えば日本の死海市の世界について知っといた方がいいのか悪いのかは、
私は悪いってことはないと思うんだけどね。
歯医者に行くのに足しになるかというとわかんないんですけど、
心理臨床は絶対足しになるんですよ。
それはもう確実なんです。
でも僕らほとんど知らない。
なぜ知らないかというと、そんなの知らせてくれる人がいないから。
くれる人の一人が山崎さんですよ。
知ってる人はいっぱいいますよ、たぶん。
でも本に書いたりはしないんです。
書きたくないと思うし、書いても得にならないし、
一歩間違えて書いても損にしかならない恐れがあるので、
だから書かないんですよ、誰も。
そして、地味妄量としたものが見えないままなんですね。
で、見えなくてもいいじゃんって思われてるんだけど、
僕は絶対見えた方がいいと。
ただ、見せたくないと思ってる人がたぶんいっぱいいます。
いろんな理由でね。
で、私もこれを一言ではとてもじゃないけど、
何にも言えないんで。
例えばでも、例えばこういうことがありますよ。
臨床心理という言葉と心理臨床という言葉が、
なぜ日本には並行して存在しているのか。
だって臨床心理師っていらっしゃいますから。
心理臨床師っていませんからね。
臨床心理師はいる。
でも日本心理臨床学会とかって言うんですよ。
教会だったか忘れましたけどね。
認定してるのも、公認心理師認定してるのも、
そういうような名前だったような気が、
分かんないですけどね。
そういう、少なくとも心理臨床会って言うんですよ。
会話とかって言うんですよ。
でも臨床心理師がいるんですよ。
この2つの名称がなぜ混同してるんだっていうのだって、
説明しようと思ったら実は簡単じゃないんですよ。
で、どっちに行けばいいのって言っても、
たぶん我々は今どっちかに行くっていうよりは、
公認心理師のところに行くんですよ。
一体これは何なのっていう話なんですよ。
で、今出てきた3つ。
臨床心理、心理臨床、公認心理の3つの中に、
精神分析の背の字も出てこないんですよ。
精神ですという言葉がそもそも出てきてないじゃないですか。
これには全部訳があるんですよ。
でもその訳をかいつまんで、
分かりやすく説明できるような人は、
人はいるんですけど、
してくれる人はめちゃくちゃ少ないんですよ。
それにも訳がある。
僕はこれを心理カウンセリングに、
心理臨床、臨床心理なりを利用しようとしたときに、
日本人がですね、
日本人のそれらを利用しようとしたときに、
12:00
この知識は実はないというのは、
非常に微妙なポジションに自分を置くんだけど、
ということは僕ら全員、ほとんど全員、
いわゆる心理対人援助というの、
そういうものを利用しようとした人は、
全員微妙なポジションに置かれてるんですよ。
ということが、
精神分析のある聞き方という本によって、
多分それが日本で今一番よく分かるようになっている本なんですね。
こんなこと言われても訳わかんないと思うんですけど、
そういうのの著者をお招きするから、
僕にとっては非常に価値が高いものなんですよ。
とにかくカウンセリングを受けるというのはですね、
正規のカウンセリングを受けた方がいいですよっていう風に、
これもいいムーブメントだと思うんですよ。
思うんだけど、
そういうことをxなりnとなりで書いている方も、
僕は大概ちまちまちまちまそういうのを送ってるんですよ。
リストの中には今100名前後の方がいらっしゃるんだけれども、
そこのCMは欠かさず追い、
作っていらっしゃればホームページも欠かさず見て、
必ずプロフィールは見るっていうことを、
何のためにしてるのかよくわからないことをしてるんですけれども、
でもですね、
それは氷山の一角なんですよ、残念ながら。
みんながみんなそういうことをしてるわけじゃないし、
そういう風にPRされているにしてもですね、
それだけでは見えてこないものがたくさんなぜかあるんですよね。
たくさんあるんですよ。
だから受けるのはいいっていう話は、
いいとは思うんですけど、
そうはいっても大概の人にはいろんなハードルがありますし、
単純にお金と時間の制約もありますし、
ほとんどの日本人にとってコーチングとカウンセリングの違いっていうのは、
マイナスをゼロにするとかゼロをプラスにするとか、
そういう、
それって一見よくわかった気がしちゃうじゃないですか。
コーチングによってゼロをプラスにするんですけど、
カウンセリングっていうのは心理的な苦しさを抱えた人の
マイナスをゼロにします。
でも実際にどういう違いがあるのってなると、
すっごく困りません、それって。
やることそんなに本当に違うのかっていうと、
人によっては大変微妙になってくるわけですよ。
だってですよ、そもそも自分の状態は
マイナスなのかゼロなのかプラスなのかなんて、
そんなのは、所詮は例え話でしかないわけですよ。
私自身が
コーチングなりカウンセリング受けに行くと、
仮にするじゃないですか、
じゃあ私の心理状態はマイナスなの、ゼロなの、プラスなのって言うと、
健常だからゼロかプラスなのかもしれないけど、
いや実は肉親が精神障害を抱えていて、
ずっと引きこもっていて、これ本当ですからね、
っていう話をした場合はほぼマイナスからのスタートになりますよね。
相手がコーチだろうとカウンセラーだろうと。
で、私自身が
いやいや今ゼロじゃないんですけどお金がなくて
苦しいんですよって話をしたらこれはプラスでしょ。
扱うテーマによって
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私の状態はマイナスだったりプラスだったり
ゼロだったりになるわけですよ。
例えば今アトピー治ってますけど、アトピーいつ振り返すか心配なんです。
これはゼロなんですか、プラスなんですか、マイナスなんですか。
それはシチュエーションとかコンテクストによるじゃないですか。
で、例えば
わかんないですけど
何らかの人がですね、
それだったら
アトピーというものを気にしなくなる状態をゴールだとして
それに至るまでに
それを10段階だとすると今いくつですかと言い出したら
これは何かCBTっぽいのかコーチっぽいのかわかりませんけど
ゼロをプラスにする感じはしますよね。
でも私の中ではアトピーの心配とかって
すげえ無駄なことやってるんで
非常にマイナスをゼロにする感じしかしないんですよ。
で、これはただ未来志向の話を一見してますよね。
未来でもなんでもないと僕は思うんだけど
未来志向の話をしてると思い感じますよね。
私はそれでアトピーで全然治んなかったんだけど
で、そのアトピーを昔お父さんやお母さんどういう風にケアしてくれましたかって
これは過去の話をしてる感じがしますよ。
リキドーっぽい感じがしますよ。
でもこれ混ぜこぜにしますよ。
絶対どっちも出てくると思う。
どっちもじゃないな。
私のやり方だと絶対に10段階の目標設定とかワークとか一切やらないんで
今サンチャレの話に移ってますよ。
いつの間にかそうなるんですよ。私のこのポッドキャストはね。
結局のところ
そういうのはプラスだかマイナスだかゼロだかを決めるのは
あくまでも例え話でしかないと
私は思いますね。
そういうような話が出てくるにせよ来ないにせよ
こういう話は全て関係はしてくるんですね。
だから3時間儲けます。
本当は5時間くらいやりたいんだけど
僕の趣味に近い世界なんで
5時間やっても6時間やってもどうせ3000円とかになるじゃないですか。
ものには限界ってものがあるんで。回を開けようと。
山崎さんが付き合ってくださる限りにおいて回を開けて
今回やれれば私としては恩の字かな。
全部赤字でもいいやと思ってやるんで。
必ずやるつもりではいるんです。
山崎さんがやってくれる限りにおいてですね。
他の人とこれをやろうという気になかなかならないんですよね。
あそこまで本なんかに書いてくれる人っていうのは
そうザラにはいないと思っておりまして
さっきも言った通り書いてどういう得になるのかっていう
本が少々売れたくらいじゃ
ペイしない恐れがあるんですよね。
実際の当事者ではそれこそ当事者と専門家の
どっちでもないといえばどっちでもないんでね私はね。
単なる傍観的一ファンってやつなんで。
それにしてはのめり込んでるんですけれども
当事者的でもあるんですけれども
でも自分自身がその世界に
とことんお世話にならないと
極論私心理臨床会がこの世から消えたからって
18:00
私が困るかっていうと突然私は困らないこの人間ですから
だから
なんでここまでのめり込んでるのか自分でも
うまく説明はできないんですよ。長い説明になっちゃうんですけど。
そういうことで3月15日土曜日
よろしければ開けておいていただけると大変嬉しい
ということですね。私が嬉しい。
もう人が来てさえくれればいいやみたいに思ってますからね。
なんか無駄に箱だけ立派に従うんですよ。
趣味なんで、はっきり言って
趣味だけではないんだけれども趣味に近いという
なんか実績を出そうという気は全然ないんですよ。
関係者と会場費に全部消えて
自分は交通費は自腹で
その日はただ働きで全然そういうつもりでやろうと思っているんで
何がしたいのかな
何かがしたいんですよね
これよりやりたいことは私人生の中に何もないですもんね
多分ね
千葉ロッテが日本シリーズに出たらそっち優先するかもしれない
っていうレベルなんですけど残念ながらね
今年も佐々木老貴さんドシャズ行っちゃったし
その可能性は全く僕には感じられないんですよね
ファンが逃がすの段階で
自分の推しのチームの日本一が信じられないことほど悲しいことはないんですけど
吉井監督だから何かやってくれるだろうと思ってはいるんですよ
多分そんなこと思ってるのはロッテファンぐらいかもしれないんだけど
まあまあそう思ってはいるんですよ
今年は棚市が15勝ぐらいしてくれるんじゃないかとか
そういうね妄想だけはいくらでもたくましくしてるんです
それで日本一を夢見られないってのは厳しいですよね
まあいいですね
これはとりあえず置いておきましょう
3ヶ月チャレンジの本題に入りますと
3月15日土曜日はぜひ来てください
来なくてもいいけどオンラインで聞くか
事前に動画入手チケットを販売しておきますので
それはもう少しお値段下げますけど
ぜひ購入していただきたいと思っております
まあまあいいや
ということです
3ヶ月チャレンジの中身ですね
あれはですね私はこういうことなんですよ
目標設定しない
ということはつまりどういうことか
逆算しないもう散々この話題は出ましたね
J松崎さんとまだ出しますけど
逆算しないって何なのかってことですね
僕は逆算しないというのはPSポジションを出るって意味だと
この番組では言い切ります
Jさんとやってる3WAYS終わったね
J松崎とかああいうやつでね
PSポジションとか言い出すと
前はまたそういうことを言い出すんだからなって
Jさんも内心ヘキヘキすると思うんで
うんざりすると思うんで
やめましてここでだけ言う
青邪心を先に描くということは
現実操作的なんですよ
結局私は人に怒ったっていいと思うし
本当のところ
21:02
グッドバイブスを信奉している私として
そこはずれるけど人を攻撃したって
別にいいと思うんですよはっきり言って
それはそれで一つの
クラゾノ系統とは攻撃のないコミュニケーション
というのを打ち出しましたし
それはそうの方がいいと思いますけど
攻撃だって私からすればコミュニケーションの位置形態
これは絶対クラゾノさんは同意してくださらないと思うんですけど
攻撃というアクションによって
なんとか表現できる表現
その人にしてみると攻撃になっちゃうんですよ
見えくりかっちゃってるから
勘弁してくださいよっていう攻撃も世の中にはあるんですよ
あるんだってことを私としては思うんですね
あんまり私は攻撃的な方じゃないと思ってますけど
攻撃というコミュニケーションというのが
でも問題なのは攻撃には
非常に現実操作的なところがあるんですよ
そうですよねお前こういう考え方になれよ
ってわけじゃないですか
これはもうクラゾノさんのおっしゃる通りで
信頼が先にあるべきっていうのは
つまり現実というものを
位置から作り変える能力は
原理的に1個人が位置から現実を
作り変えるっていうのは無理なんですよね
それは無理ですよねだって我々現実界の中に
いるはずなんで多分私の現実認識によるとそうなんで
宇宙の中に我々いるじゃないですか
我々自身を変えずに宇宙だけ変えて
現実変えましょうみたいなそれは無理があるじゃないですか
大きさから言ってもその勢力から言っても
いろんな意味で無理じゃないですか
怒るって時にはでも僕らこれをやろうとしがちなんですよ
相手に変われって言ってるわけですからね
自分は変わらずに自分正しいっていうのが
おかしいって言うんじゃないですよねむしろ操作的であり
すぎるというのがおかしいということなんですよ
でここに逆説的なところなんですよ
これも蔵野さんがグッドバイブスでよく指摘したところなんですけど
現実を変えようとしている人は
弱い人なんですよ一見それが逆に見えるんだけど
赤ちゃんって現実を変えるしかできないから
彼らは泣くんですよ彼らあまりにも無力なんで
変わってください変わってくださいっていう
以外何もできないんですよ彼らにはね
それも変わってくださいとすら言えなくて泣くんですよ
だからお母さんという現実が変わってくれるわけですよね
変えてくれるあるいはとにかくお腹が空いた
ということすら分かってないんで
現実苦しいから変えてと変えて変えて変えて変えて変えて
なわけですよこれは無力な人のやることですよね
だから有力な人はそんなことをせずに
自分を変えておくわけですよ空腹なのが
自分ならば自分が満腹になるように
現実操作的というよりは現実交渉的になるわけ
赤ちゃんも結局は交渉してるんだけど
赤ちゃんにしてみるとですね交渉するとか
24:01
自分がどうあるとかいう認識はないもんだから
現実操作的になるしかないで現実操作的
ってのはつまり妄想分裂ポジションなんですよ多くの場合
現実に対して私の願望が優先されるべきだと
この願望というのがもう文字通り
イリュージョンなんで明らかに
例えば私で言うと彼女がいないときにね
すごく困っていたというか大学卒業する頃も大学に
入る前も困ってたんですけどしばらくずっと困っていて
絶望し続けてたわけですけど
それってつまりこういうことですよね誰か女の子は僕と付き合う
べきだとそういうことですよねそうなっちゃうじゃないですか
だけどこれはおかしいわけですよ
相手が付き合おうという気が持ってないのに私が脳内で
付き合ったほうがいい現実だからそれはあんたがそう
思ってるだけだってことなんですよでも人に攻撃する
人に対して何かを要求するって時は
必ずこの脳内にある妄想を
現実よりも優先するべきだという風に
言ってるわけですよそれが妥当な時は
確かにありますよ世の中的に見ればね
ヤングケアラーの人にとってがそうだっていうように
本来大人が親が動くべきところを自分が
動いてるのはおかしいから親に動いてほしいよね
という風に思うというのは当然あるんだけど
多くの場合PSポジションというのは
妥当性を欠くんですよ
それが相当の権力を持ってる人の場合特にそういう雰囲気を
帯びてくるんですよ昨日の合衆国大統領のような
ものですよね
他の国をあなたが所有するとかまずいっしょとか
そこに住んでる人全員どこかに
他のところに引っ越してもらうっていうのは
これまさに現実を動かそうとしてるじゃないですか
ものすごくPSポジションぽく見えるわけですよね
あなたの頭の中を現実に置き換えるのはいかんでしょう
でも
奥さんなり夫なりにガッと攻撃してる時には
これを大体やるんですよ
そこに妥当性があることもありますけれども
いずれにしても現実操作的なんですよ
超自我の権力を緊急発動するって感じがするんですよね
俺正しいから
お前らみんな言うことを聞けば現実はうまくいくんだ
いうことを黙って聞けよとそれがその通りであることも
ないわけじゃないです
あともう一つはという形でしかコミュニケーションが
そもそも取れないっていう心理状態に追い込まれてる人っています
だから私は攻撃もコミュニケーションの
位置形態いい形態じゃないけど位置形態ではあると
それしか現実や人と関わる方法を
知らない人にしてみるとこれしかやりようがない
っていう態度になっちゃうことはあると思うんですよね
赤ちゃんがその通りなんですよ
赤ちゃんがお母さんに向かって理不尽な
怒りを叩きつけてるのはあれ叩きつけてるんだけど
しょうがないんですよ他の方法知らないんだし
彼らは無力そのものだから
でも合衆国大統領は権力ありますけどね
やろうとしてることは自分の脳内を現実に追いかぶせる
27:01
っていうのはやっぱり
力のある人のやることでは本来ないんですよ
力がある人っていうのはもっと上手くやれるはずなんで
現実というものをもう少し交渉的に
現実との折り合いを上手くつけられるはずなんで
あるいは自分が動くことによって
自分変更で有力であるならば
自分が動くことによって
あるいは自分の心理状態を変化させることによって
現実というものがですね
まんべんなく上手く回るようにはできるはず
だからこっちがDポジションなんですよ
ただDに入ると
Dの入り口付近でまごまごしていることしか
僕もよくそうなりますができないとですね
抑制になっちゃうんですよ今度はね
現実に対して俺は何もできないから
ひたすら黙って耐えようみたいになると
だんだん落ち込んでくるじゃないですか
PSからDに移行したての時はなりやすいんですけど
本当はDに行ってやるべきことっていうのはあるわけですよ
他にもっと
という話がですね3ヶ月チャレンジではですね
PSとDというせっかく
精神分析というところにこんな記号化されたですね
これは情緒の話をしているわけね結局ね
やることって言うのかな
置かれている状況は変わらないわけですよ
一番最初に
受けた質問としてあるんですけど
我慢しないとか
無理をしないか無理をしないとはどうしたらいいのか
これはまさに情緒の問題を言っているわけですよ
無理をしないとは早く会社から帰ってくるとか
残業をしないとか
夫婦喧嘩しないとかそういう話をしているわけではないんですよ
あるいは夫婦のケアも程々にしておくとか
朝勝を辞めるとかそういうことを言っているわけではない
朝勝やろうが
奥さんのケアをひたすら自分が頑張ろうが
家事も仕事も両方やろうが
保育園にお迎えに行くのが自分がやろうが
それは無理とは言わないんですよ
それは無理だった場合はそれを辞めるってことも
もちろん選択肢に入ってくるんだけど
無理をしないというのは要するに私が言いたいのは
憎鬱にならないってことを言ってるだけなんです
これは気持ちの問題なんですよ
理にいても自分を責めないこれを無理しないと言っていると
無理をしないというのはつまり
無理をしてまで自分を犠牲にしないとか
無理をしてまで怒りを抑え込まないとか
無理をしないとはそういう意味なんですよ
つまり無理をしないから何をするってことではない
朝起きる時間の目覚ましを2時間遅らせてセットする
っていうのは無理をしないことの一種なんですけど
別にそれを私が推奨するわけではないってことですね
だから3カ月チャレンジはいかなる目標もセットしません
30:00
これは告知文にも書いたような気もするし
書いてないにしてもそういうニュアンスはあるはずなんですけど
目標というものはないんで私の頭の中には
だから3カ月チャレンジでは私を含めてですね
私も参加者さんに対していかなる目標を置いてもいません
この人こうなったらいいなとは思わない
一応僕はビオンを辛抱してるんでね
記憶なくは無理だけど記憶はあるけど
その人がどなたかは知ってるし
どういう話をしてきたかも一応記憶にありますけど
あまり過度に記憶しないまして欲望はしない
つまりその人にこうなってほしいとか
ああなってほしいというのは無意識にはきっとありますよ
会社に行けるようになったらいいなとか思ってるんでしょうけれども
でもなるべく欲望しない欲望しないというのは結局
自分が子供に向かって思うことなんですよね
この子はこうなってほしいとか
こういう大学に行ってほしいとか
学校行ってほしいとかも一切思わない
だから1日中スイッチをしていたりYouTube見ていても
何とも感じない僕は何とも感じないんだけど
そういうふうに愛したいってことなんですよね
YouTubeを見る時間を制限して
せめて外で遊んでほしいとかそういう欲望を持たない
つまり他者操作的にならないってことなんですよ
PSポジションというのは結局のところ他者操作的だと思うんですよ
現実操作的ですよね
いやガザ地区をきれいにして買い取って
みんなをいいところに引っ越させてあげるのはいいことじゃんって言われると
そうはならないと思うんだけど私は
そういうふうに言ったとしても
それは他者操作的だろうやっぱりと思うわけですよ
あれは難しい話ですよもちろんね
でもそんなことを言えば不登校の子がどうするべきであるみたいに
思うかどうかって難しい話じゃないですか
親にしてみればね
親にしてみれば自分の権力は合衆国大統領と違って
ほぼ家族内にしか及ばないんだから
せめてここだけは何とかしようと当然思うじゃないですか
他の人の他の人がですね
それこそ倉園慶三さんなりがいやお子さんは大丈夫ですよって言われても
私は心配なんだってことが起こるじゃないですか
でもですね私はあの
結局のところそのなんつうんですかね
何かをめでるとかっていう愛するって書いてめでるとかって言いますけど
めでるとかいう態度っていうのが私にとり得る
おそらくは最善の態度であって
何か操作しようとした時にそれより良くなることは滅多にないなっていう
あのねつまんない話をしているようなんだけど目高買うと思うんですよね
いやでもこの目高って結局川で泳いでる方がいいよなと
川の方が過酷な現実かもしれないけど
だいたい川にいる方が生き生きしてるなと
うちの水槽に持ってきてその方が生き生きして長生きはするんだけど
生き生きはしないなって感じがするんですよね
めでるっていうのは星とか
星とかを水槽の中に入れることができないじゃないですか
33:02
何が言いたいかっていうと
よかれと思ってやってることがいいことって滅多にないなってことなんですよ
不思議なんですけどねこれはね
だいたい虫籠の中に入れると死んじゃったり弱くなったりするんですよ
元気なくなったりね
あれとほぼ同じことを私は娘にやりそうな気がするんで
一見したところ怒ってでも言うことを聞かせた方がいいことがあるんだっていう
のって信じそうになるんだけど
私は疑わしいなって思うんですよね非常に疑わしいと思うんですよ
だいたいそれは嘘だったなって思うんですよ
だいたい目上の人が生きりたって言ってることっていうのは
何かその人にとっての脆弱さっていうもの
弱さってものを表しているんであって
放っておけない弱さみたいなものを意味していることが多くて
それはですね今特に私は感じるようになってきたんですよね
うちの母がまあもう80
何十って言うの忘れました米中88だよね
卒充80は卒充なのかな卒充のような気がし
違う30だ
まあそういう年なんですよ
そういう年になってもですね
まあ50アラフィフの娘をね
怒っちゃうんですよ私本当に危ないからやめてほしいんですよね
だってぶっ飛ばされたらどうするんだよっていう
ぶっ飛ばされたらもう一方的に殴られるしかないような体力差がありますからね
本当にすごい心配して
絶対怒らないようにと言ってくるんだけど怒っちゃうわけですよね
それぐらい怒るっていうことを
あの自分のオプションとして重要なオプションとして
持っちゃってるわけですよ
うちの母はねここには怒ればいいっていうね
そういう文化をね持っちゃってるんですよね
まあその80までそうやって生きてきた人間に対して怒るな
つったってねって思うんだけど
だけど怒って逆襲
いつ逆襲されちゃうもおかしくない心理状態なんでね
もうこれでな
いくらか理性を保っていて
このばあさんをあの力の限り殴ったらどうなるかっていうのだけは
前後の見栄えを持ってほしいと思うんですけど
現実検討式をつけてよねそこはっていう感じなんですけど
わからないんですよね何が起きるのかはね
だから怒っちゃダメだからと
本当にね口を一言言うだけでもね
相手に聞こえているニュアンスが変わるんで
怒るんなら私のことを
私のことを怒れよと
いくら怒ってもいいから聞いてやるからっていう感じなんだけど
向こうとしてはね別に私に対して今腹を全く立てないから
どうしようもないですよねこういうのってね
本当どうしようもないなって思うんだけれども
近くに住んでるわけじゃないですね
だからこの怒るということがいかに意味のないことかっていうことが
わからないままこの年まで迎えるってのは厳しいなっていう感じがするんですよね
36:02
全くただ自分を敷に近づけてる以外の
いかなる意味も持ってない恋になりつつあるんでね
本当にだってですよ
あの奥さんとかバカバカ平気で殴ったり罵ったりしている旦那さんいますけど
あなたその奥さんが同じ家に住んでる家で寝てるわけじゃないですか
寝てる時そんな武士じゃあるまいしね
さっきとか言っていきなり目立ちと醒まさないでしょどうせ
だからいかにそういう行為が危険性を帯びているかっていうことを
やっぱ考えるべきじゃないのかなって思うんですけれども
我々PSポジションにいるときは
多分ですね考える力
単純に言うと大脳神秘室の方が機能しないように停止させられるんですよね
麻痺するに近いパラライズしちゃうんですよ
だから考える能力を奪われた上で他者操作的になって怒鳴るわけですよ
怒鳴るってのは他者を動かすってことですよね
その人の心を入れ替えさせるとか考えを改めさせるとか
だいたい無理なんだけど
赤ちゃんが泣き喚くのと同じで
しかもそれは大変無力な人のやることだと思うんですけれども
そんなこと言われても怒るときは怒るんですよね
他者を操作するというのは絶対いいことだって信じてやろうとしちゃうんですよ
これをとにかくこれの火種になるようなものを一切一切できればですね
鎮火していくみたいな感じなんですよね
ある意味3ヶ月チャレンジというのは
つまりそれは青写真を描かない
逆算しないってことにつながるわけですよ
3ヶ月後にこうなっていたいっていうのを脳内に持ってしまうと
それはこの現実よりもいい現実だって
これが実現した方が絶対現実は良くなるんだっていうことが始まってしまうんですね
私はそれは合衆国大統領の脳内にあるものと変わらないと思うんですよね
みんなはそうじゃないつまり横暴だと言ったり反対するって言うんだけど
そうではないんですよね
僕の感じはやっぱりそうじゃなくて
脳内にあるものが現実よりいいんだって思えてしまう
確かにああいう瓦礫の山とか子供が亡くなった死体とかを見ると
そう思うのも無理はないところもあると思うんですよ
現実を変えようと
現実を変えようっていうのはですね
やっぱり僕はよっぽど
そして一人でやっちゃダメだと思うんですよね
他の人の話も聞かないと
つまりだからそういうふうにしていて
父として進まないとかいう話が起こるんだけど
そりゃしょうがないじゃないですか
ここは気長にいく必要があるんですよ
我々はやっぱり私ハンガリーに行って
この建物は平安時代に建てられ始めましたけど
まだ完成してません
これがいいと思うんですよね
最初は日本人なんで私も
そんな千年もかけて一つ建物建たないでどうなのって感じもするんだけど
39:00
考えてみると人間ってやっぱり
現実を請求に変えすぎですよね
すぐ変化させてしまう
から後先が難しくなるんですよ
地球が温まってくるとかね
よくわかんない結果を招くんだと思うんですよね
現実変えるんなら
変えるにしても
よっぽど慎重にいきませんとっていう
これはもう多分
精神分析云々とかグッドバイブス云々より
僕の気質ですよね
とにかく早く変化させられたものに
良いものはあまり多く見えないという
だからこれは何とも言いますが
緊急時はしょうがないですよ
例えば火事が起きてその火を消すっていうのは
現実を変えるのはあまり良くないとか
言ってる場合じゃないんで
火消すしかないです
つまり家の中で燃え盛ったら
一旦緊急的に
火消しに走るっていうのは
当然だと思うんですけれども
現実というのは私は
なるべく変えずにおきたいと
特に人に聞いた話の中で
これがその人の
青邪心というものが
絶対に今ある現実より
良いんだという思い込みによって
ほぼ100%その思い込みを
持っているならば
なるべくその思い込みの
少しずつ少しずつ
崩していく
その思い込みさえ無くなれば
やるべきこと変わるんで自然と
何をしましょうとか
ワークしましょうとか
アクションを洗い出しましょう
ってことをやらずと
そのイリュージョンが消えれば
行動は自然と取るべき行動は
見えてくるんですよ
そういうものなんですよね
だって私思うんですよ
うちの実家のことにしてみたって
罵り合ってなくたって
二つイリュージョンが消えるだけで
二人で仲良く旅行に
でも行くに決まってるんですよ
これが全然そうはならない
絶対そういうことはありえない
ってことになってるのは濃い
霧のようなイリュージョンが
脳内にぎっしり
埋まってるせいで僕もそれに
手出しができないんですよそれに下手に手を振れると
ぶっ飛ばされかねないんで
しょうがないんでそれも
その霧に付き合って
そうだよねそうだよねと
そうとはとても思えない話をひたすらそうだよねって
聞いてるしかないっていう
ところにこのイリュージョン
というものの難しさが難しさ
っていうのも不思議なんですけどそれは
絶対しないものなんでね
でもやっぱり合衆国大統領も脳内にあるわけですよね
こういう風になったらいいに
決まってるだろうっていうのがあるわけですよね
で世界中の人がそうじゃねえ
って思ってるんだけど
彼はなかなかそれを取り払う気がしない
んですよねなぜならば
そうやって勝ってきたからなんだと思うんですよ
まあでも
あれぐらい力を
持ってしまうとそれはそれでなかなか
難しいんだけど
力が全くない人の場合でも
つまり私の肉親のこと言ってるんだけど
力が全くない人の場合でも
私も力が全くないけど
私の家族なんてつまりみんな
力が全くないわけですけれども
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イリュージョンというものは
持っちゃってそうなると
意外に手は出せないんですよね
この人の権力次第ではなく
それぐらい
この他者操作を
するための
もとでってものはですね我々を
信じるに値すると思い込んで
思い込んでしまうその中の一つに
万能空想があるわけですよ
これが根強いわけですね
時間を損してはならないとか
お金を損してはならないと
お金があれば必ず
なんとかなるんだからつまり
相変わらず現実操作的なんだけど
現実を操作したり
いざとなったら現実を動かせるのは
お金だとか時間だとか
○○だっていうこの○○
私なんかは彼女だと
それを信じていたというね
別にこうおめでたいわけですけれども
でも万能空想っていうのは
大体むちゃくちゃなものなんですよ
それは本人には
そうは思えないから
そのように言うわけにはいかない
お金があったからといってその現実は
いかんとも動かしがたい部分は
いっぱいあるはずだという指摘も
非常にしにくい
結局のところは結局のところは
っていうやつになってしまいやすくて
結局のところは○○なんですよね
その○○がないから
今現実に我々は不幸だが
その○○さえあれば
現実に幸福になれるから
だからその○○が
今何をさておいても
必要であり現在は
それに比べてそれが欠乏してるからですね
現在は不幸である
これが逆算を作り出す
下地ですよね
これで下準備が整い○○を
手に入れるための
今は耐え忍ぶべき3ヶ月みたいな
逆算が始まっちゃうんですよ
3ヶ月間は
我慢しましょうねっていうようなのが
今の3ヶ月チャレンジの
1つのポイントなんですよね
ただそれを我慢するっていうのは
文字通り我慢なんで
情緒なんで
だから○○をしましょうっていうのは
一個もないわけです
できればできればですよ
何もしないほうがいいと思うんですよね
何かをするっていうのはアクションになってしまう
アクションっていうのはつまり
アクティングインもアクティングアウトもそうですけど
要は行動化なんで
つまりそれは我慢をすることができない
持ちこたえられない
自分のその辛さだと思っているもの
私の
憎しんがこれは辛い
ありえない現実だ
親はものすごく悪人で
私をこう横暴に搾取するばっかり
という親が
怒ったりするというのがどういう意味になるか
っていうのを伝えられないんだよね
なかなか3重ともなってきますと
本当に
本当に私の人生を
台無しにした
本当に心がねじ曲がっていて
陰室で
まるまるで
かんたかでっていう像を
親の上に
プロジェクションのように投げてるわけですよ
我々こういうことを会社の上司なり
会社の同僚なりにバンバンやるわけですよ
そして
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そうして出来上がった
正直こう言ってしまいたいんですけど
美音がこれを
ベータスクリーンと呼んだと思うんですよね
ベータ要素
貼り付けたいものは勝手に貼ってるだけなんですよ
我々の現実というのは
千切り絵みたいなものであって
いろんな断片を持ってるわけですよ
なんていうの
あるじゃないですか
部品っていうのテンプレートみたいなやつ
あるいはアイコンとかそういうものを組み合わせて
はいこういう絵を作りました
これが現実です
これをやるから信号機とかを見て
交差点とかをうまく使えるわけですよ
だからこの能力いるんですよ
いろんな断片を使って
それを組み合わせて
現実にこうするようにしてるわけですよ
現実ってものは
多分このテンプレートの組み合わせとは
何の関係もない姿をしてるんだけど
それはそれでいいんですよ
記号みたいなもんなんで
記号設置って言葉がありますけど
記号みたいなもんなんで
何種のかな
潜水艦のソナーとか
ああいう情報を
情報を現実に合うように
組織化して
その情報を脳が処理して現実に対応してる
みたいなそれが知覚っていう
形を取ってるわけですよね
だから
芸術って不思議ですよね
その情報というものを絵だとか言って
美だとか言うわけです
たまたまそういう情報の組み合わせになったら美しいみたいな
人間を思うらしいんですよね
そういうことをやってもいる
ということなんだけれども
それはそれとしてですね
象徴的な作用というもの
つまり
貼り絵なんですよ要するに
この貼り絵はテンプレートが暴走し始めると
現実と何の関係もなく
貼り付けることもできちゃうわけですよ
この上司はもう悪人のレッテル貼っとこう
みたいなちょっと嫌なことあったしね
っていうことになると
しかもこのレッテルを貼られると
そのレッテルにある程度合わせて動き出す
ということまで起こる東映同一化ですね
起こるんでますますややこしいですよ
その上司は
私に会うとパワハラを
本当に始めちゃうわけですよね
それは私がレッテル貼ったせいなんだけど
そういうことって起こるんですよ本当に
オカルトでも何でもなく
多分これをやるから余計人間社会
というものは円滑に進むはずなんだけど
ややこしくもなっていくわけですよね
Jマスザキさんは
佐々木称吾と相対しているJマスザキは
他の人と相対しているときとは
絶対に
相入れない部分というのを
表しているはずなんですね
佐々木称吾さんであろうと私の奥さんであろうとそうなんですよ
だからこそ
プロジェクションはやるべきじゃないし
どうしてもやるんだったら
いいプロジェクションだけにしておくのが
一番お得なんだけど
僕らなぜかそれができないんですよね
なぜか悪いオブジェクションを
貼っておいた方が安心だという
苗地キリンな考え
これは単なるフィルタリングでは済まないんですよ
投げちゃってるから悪くプロジェクトすれば
必ず相手は少し悪く
私に対して作用する
絶対にこれが僕に得になることは
ありえないのに
私たちはそれを
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保険とか安心のためとか
心理的安全性のためとか
なんとか言い出して物事をどんどん
悪くしていって現実がひどいんです
ってことを訴えがちなんですよ
これさえやめられれば
しかもこれは逆算なんですよ
我々はこのひどい現実を
さらに良くするためのイリュージョン
というのを頭の中でこじらえて
現実というものを改善する
案を作り出して
こいつをもっと心を入れ替えさせよう
こいつをもっと良いやつに変えていこう
っていうこれなんですよ結局逆算って
だから私逆算にはあらゆる意味で
同意できないんですよ
やってることの順序が明らかに倒作しているんで
でも僕らは
これをごく自然の行為だと思って
やっちゃうんですよね
そして現実を良くするために
良くするためには現実の悪い部分
ってものを認識しなければいけないので
現実を悪くしておくわけですよ
これさえやめられれば
これを全部やめられれば
グッドワイブスですよね
だからこれを全部やめられるということ
までは
私は3ヶ月では無理だという感じを
持っているので3ヶ月では
この方向を目指し続けた
先というものを
意識しながらこの方向を
目指し続けるみたいな
それを3ヶ月もやればですね
随分違ってくるのではなかろうかと
少なくとも見える現実が
変わるから変わるはずなので
現実の行動も変化するはずなので
そうすると現実そのものが
変わるはずなので
結局はある程度は望ましい方向に
この望ましいが問題ではあるんですけどね
だって望ましいって青写真だ
青写真を先に描かない
ということが
やっぱりいいと思うんですよね
それはなんだかんだ
欲望せずってことになっていくんだろうなと
だって欲望が青写真を作ってる
逆でもいいですけどね
青写真が欲望を作ってるとも言えるんで
とにかく先に旗を立てない
たとえ1分先でも旗を立てない
ということを
私は徹底しているつもりなんですけどね