1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
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2023-06-19 59:37

「辞めてやる!」と言っておきたい気持ちについて【GMV800】

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躁的防衛とは鬱になるのが怖いから元気でいる守りの構えのこと

サマリー

グッドモーニングボイスの800回記念のエピソードでは、グッドバイブステーマや精神分析に関するトークが続いています。軽層状態とは、気分が高揚し、解放的になり、考えが飛躍し、注意が散漫になる状態であり、また攻撃的になることもあります。この状態は社会的に好意的に見られますが、自分の振る舞いや人間関係をコントロールするために、さまざまな心理的な手段があることもあります。ビジネス書では、軽層状態になりやすい特徴や注意すべき点が取り上げられています。人が焦燥感や不安を感じる時には、自己防衛の態勢を取ることが大切です。自己防衛の心理を意識することで、より健康的な心の状態を保つことができます。

800回記念トーク
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日は6月19日月曜日、朝8時7分ですね。
遂に800回を一応、途中で数え間違えていない限りは800回を迎えることができまして、
これはもう間違いなく聞いていただいている皆様のおかげなので、大変ありがとうございます。
800回も聞きでゼロ人でできるわけないんですよ。
800回、これ1回あたりだいたい1時間弱だから、まあ1時間いってないんですけどね。
でも700時間は超えている気がする。
少なくとも600時間は超えてしまっていると思うんですよね。
600時間も誰も聞いていないことが100%明らかな中で、
喋れる人って多分初期じゃないと思うんですよね。
だからこれはもう今回も平均でだいたい今140ぐらいの方ということになっていて、
倉園さんと最近やった770何回の3セブンの回ね、あれが200を大きく超えて久しぶりにヒットなんですよね。
多分トータルでは500とかいくやつなんじゃないかと思ってるんですけど、
一番多いのは今やっぱりタスクシュートとグッドバイブスみたいなテーマで書いたやつで、
あれがやっぱり700回再生ぐらいかな。
ポッドキャストで食うぞみたいに食ってる人いるのか知りませんけど、
の人からすると700が一番多いって、よくそんなんで800回も続けられるなと思われると思うんですが、
僕からすると100を平均で超えていれば朝の8時から1時間ぐらいは喋ってられるというのが私なんですね。
これってもちろんご存じの通り、もともとグッドバイブスを、
倉園恵同さんのグッドバイブスをテーマにやっておりまして、
テーマに実践している私のトークってことになってますね。
その立て付けで始め、途中からもっと広範囲に精神分析を主に趣味的に喋る形になってますね。
その中でタスクシュートもちょくちょく登場すると。
だからだいたい僕の今のところのこの番組のテーマは、
特にそれについて言及があろうとなかろうと、
タスクシュート、グッドバイブス、精神分析、
今のは純不動で、何が前面に出るかその時々のトークの感覚によって決まる。
ただそれだけなんですね。
今日は800回を記念してグダグダトークでいこうと思っているんですね。
いつもと何も変わらんじゃないかと思われるかもしれませんけど、
いつもは一応今締めてるんですが、
今日は記念して今締めないと。
後ほど800回記念してイベント的なことをやろうかなと思ったんだけど、
777以外で特にこれといったイベントを一切してこなかったような気がするんで、
800回だけ急にするのもよくわからないなと思うんですよね。
1000回は何かしよう。
3.9と1000回とかは何かしようと思ったんですけど、
それってまだあと1年後くらいになっちゃいますもんね。
少なくとも今年の冬にそれは迎えていないはずで、
いろいろあると思うんですよね。
1000回まで続くのかっていうことももちろんありますし、
今日はとりあえずまずはグダグダ喋るということにしておこう。
このグダグダなんだけど、
これはですね、
直に私にコメントをいただく方には好評だからこうなるんですよ。
グダグダふざけんなと思う人がいらっしゃったら、
それをコメントに残してほしいんですよね。
別に僕そんなことじゃない。
もう全然傷つかないので、
いやいや長いしグダグダだし最低ですよっていうコメントは
コメントがあれば少し考えるわけですよ。
その人もリスナーさんなわけじゃないですか。
最低という意味にもかかわらず。
あとそのちょっと精神分析、
そういうのヤバいからやめといてくれないみたいなのも
言ってくれればね、考えるって。
コメントがない限りはそのような声はないものと
私は今見なっちゃいますから。
コメントグダグダとか長いのはいいっていう話を
僕は直に会って、
7、8人の方には伺って、
もうちょっといな。
伺ってるんで、
コメントってそれが全てですからね、ある意味ね。
あと直に残してくださるすごい方がいらっしゃるんだけど、
その人一人ですからね。
コメント直に私に残してくださるというのは。
これを含めて、
今までこの精神分析的だからいかんとか、
長すぎてダメだとか、
グダグダをなんとかしろっていうのは一個もないんですね。
一個でもあれば、
その方の意見は10%成分的にね、
だから10%ぐらい短くなる可能性はありますよね。
そんな感じ。
グダグダダメだっていうのが100人ぐらいになれば、
これ聞いてる方がだいたい1日普通は100なんで、
これはすごい考えるんだけど、
多分そういうことはないなって今思います。
100分の10でリアルにコメントくださってる方は、
みんなこれでいいっておっしゃるんで、
これでいいんだなっていうふうに思わざるを得ないじゃないですか。
これは僕が勝手に出してるものに違いはないんだけど、
リスナーさんありきのものですから、
やっぱり今となっては。
のものなので、
リスナーさんの聞こえてくる声をね、
中心に考えてやっていきたいと思っています。
だから今日は長くてグダグダになる予感がしている、
こういうことですね。
読書会のポジション
それで次にですね、
次も減ったくらいもないんですけど、
今日はGood Vibes編なんですよ、
通常であれば月曜日は。
火曜日にもあることも多いんですけどね、最近。
そうするとその次を100チャル編にするという流れにしているんだけど、
今日は800回とかぶっちゃうから、
Good Vibes編とは改めて言うのはやめようと。
やっぱりそのなんていうのかな、
記念会は総合会じゃないですか。
800回記念だから100チャル編ですとか言うのも、
ちょっと急に意味のない絞り込みみたいな感じになるんで、
800回記念なんで総合的にいこうと思っているんだけど、
先日ですね、
読書会になんとこう参加者が、
第1回、第2回とも参加者がゼロでないという、
僕の中では結構感動的なですね。
3ヶ月チャレンジの方には開放されておりますので、
3ヶ月チャレンジの方は参加していただければと思います。
開放されておりますので、
3ヶ月チャレンジの方は参加してくださるんですよ。
ここは大変ありがたいんだけど、
他の方が参加ゼロであったら、
続いたらこれちょっとまた検討しようと思ったんですけど、
ゼロじゃないので、
ちょっと形を変えてでも、
何らかの形でこれは続けていきたいなとは思っているんですが、
そこでですね、
お話を聞いてこれを聞いてますっていう方が、
これ聞いてない方は読書会に来ないかな、
みたいには思うんですよね。
いらっしゃらないんじゃないかなと思うんだけど、
ここで色々とお話を伺っているうちに、
改めてこの番組のポジションというものを、
意識するようになったんですよ。
端的に言って精神分析なんですね。
精神分析というものについて、
その方がどういう話をしたとかは、
ここで具体的な話はしませんが、
私が考えたことは、
つまり精神分析というのは、
やっぱり今のところまだマイナー すぎるんで これを喋ることの意味
は今のところあるというふうに 思うんですね 私自身は精神分析
を受けたこともなければやることも あり得ないんだけど 精神分析家
でももちろんないんですが いや 勝手にそういうことを喋ってる
のはよくないんで そういう番組 があるなら俺が喋るよっていう
方が出てきてくれて しかも超メジャー になれば別に私は違う話をしとけ
ば全然いいと思うんですけど そういう 流れになる気配がちっとも
見えてこないんですよね 僕あれ なんですよ youtubeとかpodcastで精神
分析というキーワードでガンガン かけてですね 割とこれは全然精神分析
っぽい話にならないだろうなと思 っても結構片っ端から聞いたり
してるんですよ 秘書からね ブログ とかも具体的な名前は今のところ
出しませんが だいたい読んでる と思いますよ 精神分析で本格的
になってる内容については 一応 僕 時々会報とか取り寄せて勝手に
読むんですよ 会員でもないくせに 手に入れる方法はないわけじゃない
ですよ ちょっとタガが付きます けど だからそういうことをやっても
いるんで 流勢が変わってくれば これのポジションも変えてもいい
だろうと思うんだけど 今のところ そういう気配は全くないなって
感じすらするので このままやって いくしかないだろうと 現状では
そういうふうに思ってやっております それがまず読書会ですごく考えた
ことなんですね 今のでどう伝わった か分かんないですけど そんなことを
考えましたと つらつらと ちょうど 昨日 Good Vibes Factory これもぜひここで
何度も何度も言っているので ほとんど もうこれを聞いたのが初めて
という人はいないと思うんですけど Factoryというのをやってますので こちら
も無料で1ヶ月体験ができますので ぜひお試しいただけるといいかな
と思っております Good Vibes Factory の月1回のセッションは 事実上
みんなの悩みをKurazonoさんに相談 するという体になっておりまして
昨日もまさにそういうグループ オンラインのディスカッション
みたいなものがあったんですけど その中でぶち切れるっていう表現
を久しぶりに聞いた気がしたんですよ この表現を聞いたときに僕はなるほど
切れるという表現と精神分析
って思ったんですよね それはつまり 切れるって言ってる人は切れてない
自分がそこにいるわけじゃない この辺にちょっと切れるって言葉
は臨床っぽさがあるんだなっていう のを不意に考えたんですよ その
ときの立て付けがKurazonoさんに 相談するっていう立て付けがそれを
連想させやすくしてたとは思うん だけど 不意に切れるっていうのは
つまりその人は俺は切れてるよ って言うってことは言ってない
かもしれないけど 切れてない人が そこにいるわけじゃないですか
それはすごく分析的な世界でも ありますよね 精神分析的な 非常
に初歩的っていうのはおかしい けど 基本的な話ではありますが
そこにいて話している人と そのとき 例えば切れてるって言っても
いきなりそこで凄み始めたりしない わけじゃないですか そしたら本当に
切れてるよねっていう だけれども その人が切れてるって言ったときに
それは嘘で切れてるわけじゃない ですよね その辺の表面に浮かび
上がってきている内容と裏でナレーション している内容 この話を読書会では
結構したんですけども 漫画でよく あるじゃないですか 引き出しで
怒鳴ってるんだけど 裏で割合冷静 に こんなことを言っちゃダメなの
にとか言ってる女性がいたりする 少女漫画って結構多いじゃない
ですか 少女漫画に限らず多いじゃない ですか 格闘中にナレーションしてる
じゃないですか 男の子のよく読む 漫画でもね 格闘中にあんなにナレーション
してるの 本質的に不可能ですよね 格闘中はおろか あのあれですよ
サッカー中とかでも無理じゃない ですか でもボール蹴ってる私と
何か考えてる私とあんな風になってない と思うんだけどリアルには ああいう
のって つまり僕はすごく精神分析 の世界では絶え間なく生じている
話に近いところがあるんだろう なと 精神分析はもっとこうなんて
言うんですかね というナレーション みたいなのがもっと意識できない
ところで通想低音っていうんですか ね そういう風に流れていく感じ
があるんだと思うんですけど この二重になってる感じ もしかする
としかも二重が二人いるから二重 二重になってる感じ このややこしい
感じがすごくなんていうんですか ね臨床っぽさというのを僕が感じる
一つのポイントなんですね 切れる っていう表現は割と新しい もう
今となっては古いんだけど でも 僕が最初に聞いたのは昭和の終わり
か平成の初めぐらいだったような 気がするんですよ ふざけた言葉
だなと思った記憶があるんですね 別に臨床の用語を使う必要はないん
ですが この切れるっていう言葉 を聞くと僕は必ず層っていう表現
を連想しちゃうんですね 層っていう のは非変にくちくちくち木のやつ
ですね 操縦の層の底辺が非変 になったやつで しかも同じ音
操縦の層ですよ 要するに 層っていう のは普通は防衛なんですね この
防衛っていうのも特に自我心理学 で得意とする表現だと思うんですけ
どアンナフロイトの 精神分析でいう 防衛っていうのは普通の意味の
「防衛」の意味と精神分析
防衛と逆なんで分かりにくいんですよ 普通 防衛といったら今のロシア
とウクライナがそうだけど 敵から つまり外からやってくるミサイル
を防衛するってことがまさに防衛 じゃないですか だけど精神分析
っていう防衛っていうのは 内側 から何かが飛び出してしまうの
を防衛してるんですよ 操縦防衛 なんていうのは本当に分かり
にくい表現で 操っていうのは今 言ったように切れるわけですよ
喉に元気みたいな 腹元気みたいな のもあるんだけど火がついてる
わけですよ でもちょっと火をつけて 見せてるみたいなところあるわけ
ね ドカーンと見せてやって 怯えろ みたいな そういう雰囲気があるん
ですよ だからどこかあれですよね 犬が吠えまくってるのってすごい
壮的な感じがなくはないんですよ ね どちらかっていうとああいう
ときに弱い犬ほどよく吠えるみたいな こと言われちゃうじゃないですか
そんなことはないんですけどね 結構めちゃくちゃ強い犬とかが
すっごい怖く吠えたりもするんで そんなに吠えてるからといって
侮っちゃいけないと 私はよく犬飼って たときに 昔犬飼ってたんですけど
思うんだけど とにかく吠えるわけですね 吠えるって言うじゃないですか
そもそも人に向かってもやつが 吠えてるとかそういう言い方する
じゃないですか つまりある意味 壮的 あれは防衛ですよね犬的には
ただ犬的防衛 あれは決してそうではない つまり何が言いたいかというと
あれはあくまでも外に向かってる わけですよね 犬としては一生懸命
頑張って 家から何かが飛び出す のを抑えようなんて別にそんな
ことは思っちゃいない でもあの態度 の中にはやっぱり哺乳類ってすごい
なと思うのは 爬虫類もそういうこと するのかもしれないけど 動物って
すごいなと思うのは 威嚇って行動 はなるべくなる物理的な衝突は
避けたいっていうニュアンスが そんな こと犬は考えてないと思うん
だけど そこはそういう何かあります よね 人間はもう少しやっぱり
頭が発達してるんで 壮的防衛 っていうのをやり出すんですよ
これはつまり自分のこの中にある ものが外に飛び出してしまうと
非常に厄介だから そうならない ようにある意味防衛しておこう
っていうのが精神分析でいう防衛 なんですね でもこういうことは
非常に普通にありますよね 威嚇で ことが収まるならそれに越した
ことはないっていうやつですよね ぶち切れたって言うってことが
できればぶち切れずに済ませたい っていうニュアンスがそこにある
わけですよ ニュアンスを外から 聞いてると感じるわけですね その
ようなことは別に臨床と何の関係 もなくむしろ日常茶飯事だと思うん
ですよ よく喧嘩の漫画とか見ている とそういうの出てきますよね
めちゃくちゃよく出てきますよね つまり傷つくんですよ 本当にやり
やっちゃった そこを避けるためにも 防衛しておく 脅迫症の防衛がちょっと
話がずれてるんですけど やっぱり そういうものを感じるんですよね
私も昔そういうのにちょっとハマり かけて困ったことが一時だいぶ
昔15、6歳の頃にあったんですけど 性欲が変なところに飛び出さない
ように変な儀式みたいなものを する あれ全く同じことがその通り
のことがババ・レイコさんの本で 教科書的に解説されていて こんな
にど真ん中なことを自分やっちゃ ってたんだと思ってちょっと恥ずかしく
なったんですけど 別にいいんですけど あるんですよ そういうのって こう
しておけばそれこそ立たないみたいな そういうことを自分で組み込ん
じゃうみたいなことができるんですよ これは脅迫性の防衛っていうふう
になってたし これ全然総的な防衛 じゃないと思うんですけど 何にしても
防衛っていうのはそういうこと なんですよ その側のいざこざに
発展しないように自分の振る舞い を何らかの形でコントロールする
か あるいは人間関係をコントロール するための心理的な手段みたいな
感じなんですね だから 総的な状態 っていうのは すごく防衛でよく
使われるんですよ これは別に臨床 とかまで全然行かない場合でも
しゅっちゅうそこら辺で見かけ いますし 電車の中で無駄に 無駄
にって言ってはいけないのかもしれない けど 無駄に乗車員の人に絡んでる
人とかっているじゃないですか 僕あれは全部 総的防衛で説明つく
だろうなっていう気は 全部はつかない かもしれないけど 大半つくだろう
なっていう気がするんだけど 最近 すごく世の中 急にこれに厳しく
なってきた面も感じるんですが 結構 言われますよね 祝っている人
は何とか腹だみたいなこと言って バッシングされるようになった
昔は結構僕は逆だった気がすら するんですよ 私 子供の頃は ああいう
意味のない威嚇をするっていうことは いいことだぐらいに昭和の40年代
は僕 覚えてないから50年代の中盤 ぐらい 本当に僕がちっちゃかった
頃 多分 そうだな 67歳の頃だった と思うんですけど 逆だった気が
するんですよね なんかある意味 男らしいみたいに思われてた だから
あの時代にあれをバンバンやって いて 割とある意味 何て言うんですか
称賛はされないんだけど でも割と 称賛されていたような 特に男の人
ですよね 今 同じようなことをやって めちゃくちゃ叩かれてたら 若干
良くないのかもしれないんですけど ね 私はそういうところ全然ない
方だし 何て言うんだろう 人に同情 しちゃう話なんですよ これは でも
あれは僕は想像体を自分で作り だから想的模型なんですよね 感じ
があっていいとは思わないんですよ 当時もそんなに見てて ほれぼれ
するわとかって思ったわけじゃないん ですよ うちの父の友達とかにそういう
威嚇や吠える行動について
人がいたんですけどね でもあれを ことさら批判してる人は誰もいなかった
気がするんですね ふいに思い出したん ですけど 遠畑海斗さんの野の医者
を笑う台の最後の方に野の医者の ビッグなのが出てくるんですよ
X氏とか書いてあって 名前もなし 書いてて この人 本当に実在するん
だろうか X氏ですからね X氏が最後に 言っていたのは すごくある意味
すごい興味深かったと同時に ちょっと 肩すかしをくらって 私の最終的に
理想とするのはその軽層状態です みたいな言い方をしていて えっ
って思ったんですよね 何 軽層なの みたいな こういうことを言ってはいけない
のかもしれない あの話の本筋を 見失ってるのかもしれないんですけど
でも やっぱりそう思ってしまった ことは確かで 軽層状態ってのは
あれなんですよね 今 ちょっと定義 を読んでみますね 層の定義から
行くんですけど 層状態はこんな 病気 これは社会福祉法人 正症界
正正解 正正解JPというところで 見つかると思うんですけど 簡単
に言いますと 引用ですよ 病的な までに気分が高揚して 解放的になったり
怒りっぽくなったりした状態の ことです 尊大な振る舞いをする
延々しゃべり続ける 考えが次々 飛躍する 注意が散漫になる 活発
に活動し 寝なくても平気なほど になる 焦燥感が目立つといった
様子も見られ ギャンブルや買い物 などの浪費が盛んになるといった
問題行動を伴うこともあります 症状はあるもの 社会的機能に著
じるしく障害をきたすほどでない 場合は軽層状態といいます 多くの
場合 鬱状態と層状態とが交代で 見られる層極性障害 層鬱病の
症状の一つとして現れます めっちゃ に攻撃的になることもあり 周囲
への影響も大きいものです 本人 にとっても単純に気分疎開という
わけではなく 情動の不安定さが かなり目立つので 早めに精神科
などの専門家に相立し 治療につなぐ 必要がありますと書いてあるわけ
ですね これ まずパッと思い出す のが 発達障害系とよく似てません
これ 僕 これ絶対意識してる人 いっぱいいるだろうと思うんですけど
今 これをしゃべるのが何かタブ なんですかね あんまり述べられて
ないですよね だいたいこの層極 って話が出てきたら 私のこの番組
ではやっぱりボーダーとかヒステリー っていう部分を意識せざるを得ない
と 私の番組 聞いていらっしゃる 方は でも それは私が勝手に言い
出したことじゃなくて やっぱり ババレーコさんの本とか いわゆる
自我心理学のほうでもあるんですよ ね バチッと2極に分かれてしまって
いわゆる良いものと悪いもの 良い 対象と悪い対象にバチッと分かれて
それに対抗する良い自分と悪い 自分っていうものにまた分かれる
と その時に良いほうが極度に理想 化されて 悪いほうがめちゃくちゃ
落としめられるんだけど 実は良い ものと悪いものは同一でしたみたいな
そういう話を ここでは盛んにして ますよね スプリッティングですね
この層極 そのまんまですよね そして それと つまり系層という状態
が似ている 似ているというか 系層 というのは つまりそれがマイルド
になったそうですよっていう話 になっていて その系層とおそらく
発達障害でよく言われている どんどん 考えが出てくる どんどん
考えが飛躍する 注意三万になり 焦燥感に駆られていて 時々攻撃
的になる あれって感じが僕はするん ですよ この種のものは いつも
読んでてするんですよ なんでこれの 関連性について触れないまま
両者別々のもののような歩き方 をしているのかが気になって仕方
軽層状態と注意欠陥障害・系層・発達障害
がないんですけどね 今の世の中 っていうか さっきの話 昭和50年代
ぐらいだったとしても あんまり 層状態をとやかく言う人はいなかった
今でもそうやってレストランで 言うっていうのは社会的にどうな
のって言われるようになったに せよ 軽層状態っていうのは結構
良しとされてますよね 思い出したん ですよ 戸畑さんのX誌も確か軽層
状態を目指すとか そういう理想 とするみたいなことを言ってた
と 軽層って空元気なんですよ 要 するに 気分重いわっていうこと
もありますよね Good Vibes的には また別の解釈が起こってくるけど
普通 世の中的に言うと月曜の朝 今 まさに月曜の朝 9時にこれから
なるんですか 気が重いわってなった とき いやいや 空元気でいきましょう
っていう それがX誌になる人の のの医者の大物中の大物の一つの
理想の在り方みたいになってる というのは なんつーんだろ え?っていう
感じがまず僕はしたんですね それ ライフハックよりも工夫がないん
だけど いいんだろうかみたいな のが一つありました もっと深い
話なのかもしれないけど でも 軽層 っていうのはX誌は別としても
世の中では全然いいことだと見 なされてますよね これが僕はすごい
ライフハックでもそうだし 非常 に気になるんですよね 社会的な
さっきのほら 層を軽くするって どういうことかというと 例えば
気分が高揚する いいこともされてます よね 開放的になる いいこと 誇り
っぽいっていうのはあれなんだけど ここを飛ばすと考えがどんどん
飛躍する つまりアイデアノート とかに来そうじゃないですか 考え
がどんどん飛躍するっていうのは 決して悪いことだってされてない
ですよね 発達生涯の本で有名な 借金玉さんのやつにも 僕に彼が
書いてたんですよ 私に取り柄が あるとすれば どんどん飛躍した
考えを持てるところとそっくり なんですよね 喋り続けるとは
彼も書いてたんですけど アウトプット 多いみたいな 僕のこのグダグダ
もそうだけど 注意が3万 これは もうみんな言いますよね そもそも
注意欠陥障害 ADHD 多動性注意欠陥障害 っていうところからあの話始まっている
ぐらいなんで 注意が3万になる 注意が3万になれば 当然 先送り
っていうものにつながってくる わけですよ この辺がビジネス書
が扱ってる部分なんですよ 先送り と注意3万 つまり せっかく考えた
アイデアとか これやればいいの にっていうのを忘れてしまって
それこそ何とかノートに書いて あるんだけど それは出てこず
全然違うほうに夢中になってる うちに そっちも忘れてっていう
話をしてるから これじゃ成果出ない から習慣化だよねっていうふう
になって 今度は行動科学が出て くるっていうのが 一つのビジネス
書の流れだと思うんですけれども 活発に活動するんですよ 睡眠
不足になる 寝なくても平気なんで 睡眠不足になるんですよ そして
焦燥感を持っていらっしゃるんですね いろんなイデアがあって 全部タスク
にしてみると もうこの1万5000行 のタスクを全部やってしまわない
焦燥感と自己防衛
と 私の人生が開けてこないとなる と それは焦燥もしますよね だから
そういうのが軽くて 必ずしも社会 的な問題 社会活動には影響しない
のを 焦燥という これは僕は世の中 で推奨されてる 買い物もそうですね
キャンブルはちょっと微妙なライン なんだけど 買い物に浪費するっていう
のも 消費行動がいっぱいある こういうのを どんどん考えを飛躍
させて ブログでバンバンアフィリエイト やって うまくいってるっていう
人の場合 決してそれを否定される ことはないと思いますし その行動
が問題行動だっていうふうにも 見なされないと思うんですよね
しかし 僕 それこそいろんなビジネス書も 職業から読んでましたから こうやって
ストレスが現代社会に上がります けれども そういうときには自分の
時間を奪うような 例えばセールス の電話とかかかってきたら ここと
ばかりにガンガンと鳴りまくり ましょうみたいな 独特のライフ
アップが書いてあったことがあって すごくあれも相的っていうもの
を思い出したんですよね つまり それは自分の中にあるいろんな
ものが不適切なところで飛び出して しまわないように ここで出して
おきましょうっていう防衛なんですよ 僕が感じたのは 防衛的だと
大臣無責っていうのはとにかく 防衛っていうのは外からのミサイル
を防衛するじゃないので 内側から の何か爆発とかを防衛するのが
相的防衛だと思うんですよね やっぱり 久しぶりに 久しぶりでもない
かな ドコン・ジョー・ガイルの娘で あのお父さん ドコン・ジョー・ガイル
書いた偉大なお父さんが あの人 結構困った人でもあるんだけど
家族にちょっとでもたしなめられる だから彼は大変傷つきやすいんですよね
ちょっとでも家族に否定されると いいんだぞ 俺はいつでも別れて
一人でやっていけるんだから 俺は 平気なんだからって言うんですよ
これが相的防衛なんですよ だいたい 彼は全然一人でやっていけない
し平気でもなんでもないんですよ そういうことを言うんですよね
さっきのブチ切れると似てると 僕は思うんですよね
平気だぞって言うことが大事なんですよ 平気だぞということによって
いやいや別れないでって言ってほしい わけじゃないですか 端的に言うと
そういうことですよね 平気だぞって 自分で思っておかないと
平気じゃなくなるのが怖いっていうのが 僕は相的防衛の究極的な問題というか
その人の抱えている辛さだと思うんですね 自分にも悪いところあるかな
と思ってるんですよ少しは少しはね これはクラゾノヘイドさんが言う
よくおっしゃる罪悪感なんだけど これを自分で持つのは持って
しかもそれによって鬱になるのが怖いんですよね 自分が何か言い過ぎたり
今の時代はそういう奥さんとかに無駄に いつの時代も同じだと思うんだけど
奥さんに無駄にガミガミ言うのは ダメなんだなと思うかもしれないんだけど
それを直さなきゃいけないとなってしまうと 自分っていう人間は要するにダメ人間だ
みたいに思うことになるじゃないですか そうすると抑鬱っぽくなる
これがとっても怖いんですよ この種のタイプにとっては
だからこの無双的な人は解放的になり 気分が高揚し誇りっぽくなったり
延々喋ったり尊大な振る舞いをするっていうのは そういうところから来るわけですね
こうしていないと鬱っぽくなるんですね そっちに対する恐怖感はすごいでかいんですよ
多分 なんでこうなるかっていうのもこの番組ではお馴染みなんだけど
自分の中に長寿がが かなり未熟な長寿ががありまして
わかるんですよ よくお父さんのつまりドコニョガエル描いた日語っていうのは
ほぼ母子家庭みたいな家庭で育って かなり解放的に育てられているんだけど
本当にそんなに裕福だったとはとても思えないんだけど でも大事に育てられてきていると思うんですね
そういう人にしてみると しかも絵で一発当ててドコニョガエルですからね
私が知ってるんで 読んだことなんて多分ないんですよね 漫画を
でも知ってるんですごいじゃないですか こういうふうに生きてきた人にしてみれば
長寿がっていうのはですね つまり長寿がってどういうふうにある意味成熟していくかというと
それはあれなんですよね 劣地暴行的世界ってやつ
長寿がも一番やっぱり日本でわかりやすいのは 相撲の世界だろうなって思うんですよね
いわゆる男社会ってやつですよね あそこで鍛えていくみたいなところ
それでも結構原始的なものになりやすいと思うんですよ 難しいんじゃないかって思うんですよね
長寿ががきちんと育っていくみたいな世界っていうのを作るのは 大体雑になってしまうところがある
技術は見て盗めみたいな そして理不尽に殴るみたいなね
そういうふうになりやすいところがあるんですよね これは扱いに困るっていうのかな
えっとなんつうんですかね 罪と罰の世界で組織を作り上げていって
その中で技術を磨いていって ある意味上の人は何をしてもいいみたいな
でもすごく身を慎んでるから 実際には何もしないみたいな そういう世界でしょ
これは容易に扱えるものじゃないと思うんですよ
これがすごく原始的になったものを 自分に抱えていることの辛さっていうのは
この番組でいつもお伝えしている通りで 自分が長寿がになってるときはいいんですよね
派閥的になってられるから つまり相的っていうの 特に系層っていうのは
それがうまくいってるときだと思う でも必ずしも気分が爽快じゃないのは当然で
だって自分は長寿がとイコールじゃないんだから あくまでも長寿がっていうのは投影するイメージですから
尊大に振る舞うお父さんみたいな感じだし 怒りっぽいお父さんみたいな感じだし
ある まああれですよ 非常にわかりやすく 今どうだか知りませんが私が子供の時には
新橋のサラリーマンって言われている人たちは みんなこういう状態を作り出すために
だからやっぱりX社はそういう意味では 正しいのかもしれなくて
要するにお酒を飲んで管をまくってやつですね あの状態になるためにお酒飲みにわざわざ行くわけじゃないですか
そうすると気分は高揚し 開放的になって時々怒ってる人いますよね
怒り情報とかって言うんですよね 尊大な振舞いをして延々しゃべり続けて
考えもどんどん飛躍して 注意は散漫になって
あんまり夜遅くまで起きていて焦燥感は知りませんけど こういうの全部ありますよね あの状態って
あの状態なんだと思うんですよね あれ長時間に自分を
いろんな行きがかり 本当は自分が良くないところも自分の欠点もあるんだけど
そこは全部アルコールの力で沈めて 全部自分と長時間を一体化させることで
こういうことをやってもいいんだ みたいな感じに持っていくわけですよね
冷めると鬱になっちゃいますよね つまり冷めるってことは自分は長時間じゃなかったということになって
今度はその自分の中の長時間に攻められる側になるんです これが怖いんだと思うんですよね
だから軽鬆状態をずっと維持するっていう必要が出てくる なるべく長時間側に長時間側に自分を寄せておき続ける必要があると
そうするとつまり 威嚇的になると思うんですよね 非常に
これしかないような気がするんですよ 俺は平気だと お前次第だみたいな そういうことを言うことによって
人間関係は いや俺は一人でもやっていけるんだからと言って繋ぐんですよ 一人でもやっていけるというのは本当のことじゃないんですね
だから僕は想定期防衛というのは人から本当に離れちゃうことではない それをやったら行動家だと思うんですね
長時間側に自分を寄せる
アクティングアウトっていうかな 行動家だと思うんですよ 離婚をしちゃうとか
本当にこれも今の若い人には通じない言葉なのかもしれないけど 昔の昭和のドラマではやたらと我慢に我慢を重ねてきた会社員が
字表を叩きつけるとかよくわかんないことを言い出すんですよ 僕それ実際に見たことは一度もないんだけど
なんか変な監視みたいなやつに 字表とか身体うかがいとか書いてあって 折ってあるやつを上司の机にポンって置いたりする
叩きつけてないじゃんとかって思うんだけど 見たことはないですよ 僕は本当に
倉殿さんならあるのかもしれないけど 僕はないですね 字表を叩きつけたシーンというのを見たことはないんですけれども
本当にそんなことを行われてるのかなと あれを見た時も思ったんだけど あれですよ
あれがまさにそう状態なんですね あの時はいや俺はもうこんなところやめてもやってけるんだって思ってるかもしれないけど
でも多分心の中の本音としては これを見てびっくりした上司が自分を引き止めてくれるっていうのを期待していると思うんですよね
これがぶち切れるってことだと思うんですよ だからここに二重性がありますよね
表現している行動と背景で動いている真理はまた別で そういうのは全部当然含み込まれているものだっていう
そういうのがあって当然だと思うんですよ これはもう臨床の中では絶対に登場することだと思うし
臨床じゃなくたって だからなんですけどね だから私はこのグダグダ番組で何を伝えたいかというと
そういうシーンに遭遇するじゃないですか 大学の先生とか大学の先生って絶対そうだと思うんですよ
だって私はまさに学生時代大学の先生相手にこれやってましたもんね 学校の先生もみんな同じじゃない
必ずこれやりますよね やらされますよね お父さん役というものをさせられますよね
エディフスコンプレックスに直面せざるを得なくなりますよね お家の正しさというものに飽きたらなくなった子供が
思春期になると絶対そうなるんですよ 当然ですよね 頭も良くなって社会能力が高くなってくるんだから
だから子供だって自分の長寿がに接近していって いやもう家出たって私平気だもんって
だいたい家を出ては絶対平気じゃない子ほどそう思いたくなるわけです その時に代わりのお父さんというものを手近に探し出すじゃないですか
うちのお父さんはダメで間違ってるけど本当に正しいお父さんがいるんだ その人にならしたがうんだみたいな
カウンセラーって絶対その大役にさせられるはずなんですよ あの問題が単純な場合にはもっと深刻な問題は無理ですよこんなんではでも一番
シンプルなところでは必ずこれが起こると思うんですよね だから相談ごとに近いものあののがない仕事ってとっても少ないですから
8私のそのやっていたタスクカフェ私が来たというか大橋さんが来たんだけど それのサブ講師私でしたけどどうしたってこういうことは起こりますよ
もっと複雑な形をとるにせよ必ず起こりますよねその話を全部 技術の中でのみこう処理してい
当時はそういうふうに頑張ってたんですけどそうしないといけないと思ってたからやっぱり えっとどんなに技術の中でのみここの問題を処理しようとしていてもなおですねその外側
外側へと出ちゃうってことはあるわけですよね 私もそのタスクカフェでも
あったんですよやっぱりこう8 タスクシュートもね8業を見ていると頭痛がしてくるんだと
通するんでやめたほうがいいですよって感じなんだけどあるわけですよねそういうこと こんなに何業も何業もやることがあって見るだけで頭が痛くなる
まあ言ってみればですねこれはその分析的なとか臨床的に言うと怒っているわけですよ 怒りがあるんですねその怒りはそれはもう倉野さんがよくおっしゃる通りで
えっとこんなにたくさんのリストを作って全部先送りしている私はダメ人間だという 罪悪感が生まれるんだけど
えっとそれは非常に辛いですよねそのまま行くと鬱になっちゃうから抑鬱的になっちゃう から
えっと この罪悪感を
総的に防衛しなければならない 普通にならないようにするために自分を元気にしておかなければいけない
元気にしておくと今度は怒りが湧いてくるわけですね えっと誰がこんなものをやれと言ったのか
誰がこんなリストを作るといいと言ったのかと先じゃないか この佐々木を何とかこう
8罰して思い知らせてやらないとダメだっていうことになるんですよ あんたのやってることはこんなに酷いことなのよっていう話を持っていくわけですね
で頭痛がするんですよどうしたらいいでしょうかねっていうこれでも あのアレアレですよねあのあなた何度そんなリスト作っていいと思ってるのとは言えないじゃない
ですか だったら作らなくても大丈夫ですって話になってしまうのでそれでは困るんでえっと自分が悪いことにもし
つつ相手を責めてくるっていうこうやや複雑な形はやっぱり ほらざるを得ない
その時にアジアちょっとリストを少なくしましょうとか技術できますからね 決してそこで精神分析始めませんから
8リストを少なくしましょうとかあの あんまり高すぐに出かけなくていいのは隠しておくと見えなくするかとかって言うわけですよね
自己防衛の心理
隠しておくといいんですよとか言っていやあのね 産業でもダメなんですみたいなここでも発砲塞がりっていうのは必須ですから
これ安易に私の言う話を聞き入れるわけにいかないわけですよ エリプスですからねこれはねえっとあなたが正しいのか私が正しいのかの世界に入っ
てるんでその場合私の正しさっていうのは私の長寿がなんて つまりうちの親が正しいのそれともあんたが正しいのっていう議論にこの場合は
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えっとあなた私を説得させられるほどのその正しさとか 結局人格みたいな話になってくるんだけど
持ってるのみたいなことになるわけですよこれ春季の8 金橋先生の世界ですよねこれは完全にえっと
それでやりやり合うというかやり合いはしないんだけどここで何中だかな 本能的にも私もえっとここでお父さんにさせられてたまるかっていうのが当時はありましたし
変異ですからねこれ完全にあの ねえそこでこう
思春期の反抗期の子供みたいな8話を絶対聞かされるわけじゃないですか あなたもお父さんなんかやめたあの違った先生やめちゃえばいいのにって金橋先生しょっちゅう言わ
れてましたけどそういうことになりますよね で僕の場合に何を言われるかというとあなたタスクシュートやめなさいということになるに決まっ
てるわけですからえっと そのそれには同時はとても付き合っていられないっていうふうに気持ちの上ではなるこれが
私の側の総的防衛なわけですよ でも付き合っていられないっていうふうに突き放すわけですねで以上のようなことは
ですね 臨床ではもう全部えっと
組み込みでやっているに決まっていると思うんですよね こんなのはこんなのはっていうのはあの
思春期の子供たちには失礼かもしれないけど要はこのぐらいのことはみんな通過して 生きていますから
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一定のそのなんつーのかな やりとりのやり方っていうのは当然みんな知ってると思うんですよね
これを8初めて聞きましたとかそんなことがあったんですねなんてことはありえないと思う 自分の思春期のことを振り返ってみればすぐわかると思うんですよね
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先生役の人が8あれですよなんか髪がみんなやたらとこう 縦に長く伸びた髪がぐるぐる巻きになってて太いズボンを履いていてなんか
鉛の入った市内とかを持ち歩いていて8バイクに乗ってる人たちなんでそこまで なっちゃうのかわかんないぐらいな
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それはど根性ガエルの娘のお父さん8 そんな俺に文句を言うんだったら俺は一人でやっていくからお前でていけみたいな言ってる
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そしてえっともう一つはあんたが正しいと俺はすごく傷ついて死にたくなるんだよって ことですよ
それがとっても嫌なんですよ それがとってもまあ嫌ですけどねそんな気持ちになるのは嫌だから8
法的に防衛しなければならない俺は一人でも平気なんだぞと えっと人の正しさなんかに従わないぞと
8それをどう表現するかの問題ですよ静かにそういうふうに威嚇するという言い方もあるし 地表を叩きつけるという言い方もあるし
8なんかこうチェーンを振り回して8爆音を鳴らすバイクに乗るという方法もあるんですよ でそれに対応する側の人たちはみんなお父さん代わりの役をさせられるわけですよね
8まあ 基本的にはうるせーよって言われるんだと思うんですよ
必ず言われるセリフとして8 でまぁもうちょっと込み入ってくるとあのロゴをとってよく読んだ方がいいです
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何起きてるのかわかんないですか ただおっぱいが出ないから噛んでみた
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いやだなぁ 思うわけですよ
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お父さん そういうものになるってことはおかしいだろうって思いますよね当然
自己クレームの必要性
だから我々は8本当は威嚇で済ませたいんですよ 切れるだの地表を叩きつけるだのって言って平気だぞっていうっていうここでやめて
おきたいって思ってるんですよ だったらそこまで行かなくても済むだろうにっていう自分っていうのは見つけ出せる気が
するんですよね今は 十分
そういうモデルに自分を流し込むっていうよりも遥かに手前のところでそうすれば ですね
8まあ冷静になれるというのかな 自分の罪悪に対してこの劣悪なモデルの処罰を
8自分に加えることはないと思うんですよね 別の言い方をするとここで自分にクレームを出すことはないと思うんですよ
そういう話ですね まあまとまりがつかないのがいいところですよねこのいいところなのかな
いいところではないんだろうけれどもまあそういうもんです 話もう少し8やってもいいかなと思ってるんだけども
要は ちょっと総的防衛というものは防衛なんですよっていう話がここまでのまとめかな
そんな感じを8今私は持っていますということです
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