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おはようございます、グッドモーニングバイオスです。
やめられなくなる小さな習慣という本を、僕の短著ではですね、現在紙の本になっている、たぶん最新の本なんですが、
ここに書いたことって、習慣化には報酬が必要だというですね、
イワン・パブロフの犬はちょっとですね、あれかなでもやっぱりベースはそこにありますね。
このようなことを最初に考えたのが、パブロフというわけでは全然ないです。
フロイトだってほぼ同じようなことを言ってますけど、動物でね、スケジュールを作ってまで実験した、
特にいわゆるBF好きな、鳩が信号をつつくと豆が出るんですけど、確か本当はそうだったはずなんですけど、
私の本でもネズミがレバーを倒すことにしてありますが、その方が絵になりますからね。
そういうやつです。
で、この報酬というものですね、この報酬が即座に出るほどいいわけですよ。
これも直感的に誰の感覚の中でも常識だと思うんですけど、
例えばレバーを倒しました。5日後に地図出ますでは、ネズミはですね、
なかなかレバーと地図が出たことの因果関係を体得で理解できないわけですよね。
で、これ結構大事なポイントでして、あの本の中ではそこまで明示的には書いてなかったかもしれませんけど、
これは大変大事なポイントで、私たち人間はだいたい行為と報酬の間の時間が相当経過があります。
給料でさえ最大1ヶ月は待つわけですよね。
これは仕事に対してダイレクトで給料出ているとは限りませんけれども、最大1ヶ月待つと。
どっちかというとだからですね、私たちは恐怖感情で習慣化してしまう傾向も強いんですよ。
何々されたくないから何々するみたいな。
これは怒られるとかが割と直後にくるから、そっちの傾向が強くなってしまうんですね。
ここに既にややこしさがありますよね。
じゃあ会社に行くことは報酬なのか罰なのかみたいな話あるじゃないですか。
話はないかもしれないですけど、そういう問題をここには抱え込むことになりますよね。
混ざっちゃうというのでね。
行けば怒られる、単純回避行動からすると行かないことには報酬が発生しますよね。
行けば怒られるとなると。
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行けばストレスが溜まる、同じことですが。
こうやって単純に考えてみると、そこには罰と報酬が両方セットになっている上に報酬はタイムラグがあるときているわけですよ。
いろいろあるんですが、Good Vibesの考えには。
僕はその一つにはですね、非常にこのBF好きな的に言えばですね、
ダイレクトでタイムラグなく報酬が手に入るというのを一つの大事なポイントに見ているという解釈もあるかなと思うんです。
今ここというのは、今ここで報酬を得るというのが大事なんですよ、割と感覚的にですね。
例えば、奥さん攻撃しないとか、全てをその場で許すとかいうのには報酬があるんですね。
しかもそこはタイムラグがないんですよ。
あとで攻撃するといった場合、攻撃が報酬になるというケースも実は滅多にないんですが、
仮にあったとしても、スッキリするとか流音が下がるってやつがあったとしても、タイムラグは絶対あるんですよ。
結構時間がかかるじゃないですか、リベンジってやつにはですね。
私たち人間の特徴として、このタイムラグを相当長く取れる。
人によっては充電とかでも取れちゃう。
それはもう習慣化の話とは違う気もしますけれども、何にしてもタイムラグを長く持つことができる。
これは記憶が極めて強いからなんですが、そういう傾向あるにせよ、
やっぱりですね、なるべく短い方が行動が繰り返しやすいのは確かだというのはありますよね。
もう一つは、なるべく正規強化って言うんですけど、なるべく確実に繰り返されるというのがいいわけですよ。
レバー倒しましたと。
でもたまには出るんだけど、これをランダム強化って言うんですけどね。
たまには出るけどいつもは出ないみたいなのはよろしくないと。
すいません、途中途切れておりまして、一瞬今漫画飽きました。
ちょっとどうしても対応しなければならないことが起きたんですね。
どこまで調べたかな。
だからそう、正規強化がいいわけです。
この正規強化というのはつまり毎度毎度出る。
2時間に一遍出るとか、2回に1回出るとか、あるいはランダムで出るとかじゃなくてですね。
必ず報酬がレギュラリーにって言うんですけれども、確実に倒せば出てくる。
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この形が一番良くて、でもよく考えてほしいんですけど、日常生活で正規強化ってほとんどありません。
そうですよね。何かをした場合の報酬が絶対100%であるというのは、もうそれだったらですね、その行為は必ずと言っていいほど習慣化されるし、
もしそんなのがあったら、その習慣離れるのは相当難しいことになりかねない。
で、実際にはそういうことってほとんど現実の世界ではないので、何かをすれば確実にその場でその都度絶対に報酬が出るなんてことは、
ちなみに給料は違いますよ。給料はあれはランダムではないけれども、さっきも言ったけどタイムラグがありますから、
しかも仕事そのものと給料がダイレクトで結びついているわけじゃないですよね。
まあ、結びついていない方がいいんですけどね。もしダイレクトで結びついていると、これをやったから100円、あっちやったから1000円とかいうことになっちゃって、
だいたいそれをやると給料が下がる上に非常に不安定になるので、普通そういうやり方はしません。
そうすると結局あれはスケジュール強化なんですよ。
月に1回という間隔が、これはランダムじゃなくて正規の間隔ですけど、決まってますけど、そういうものによって強化されているんですね。
で、この今ここのいいところは、常に絶対に正規強化になる上に、常に確実に報酬がゲットできると。
あるいはそういうふうに解釈をしていくことで、急速に自分をグッドバイブスの方向に持っていくことができるというふうにも考えられるんですね。
これはもう完全に行動心理学っていう分野での考え方で、散々今回まで話してきたような精神分析とはものすごく対極にあるんだけれども、
こっちからのアプローチでも一応、この間隔が成立するっていうアプローチを考えることができるわけです。
これがなかなか面白くてですね、例えば今週の日曜日にライブで構成というのをやります。
倉園圭祖さんが構成をしてくれるんですよ。
Googleドキュメントで文章を書くと、それをリアルタイムで構成してくれると。
ちょっと体験していただかないとですね、これのすごさってなかなかわかんないんですけど、
体験していただくときっとこれは損したと感じる人は多分いないと思います。
なぜかというと、まさに今言った正規強化がダイレクトでその場でどんどんどんどん提供されるんですね。
私たちの報酬の一つにですね、自己実現がその場でできると強い報酬感があるんです。
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タイムラグがないんですよ。
自分が表現したいと思う通りのものに近いものを表現できると、それが報酬になる。
で、それって表現した瞬間にも現れるわけです。
だからタイムラグってありえないんですね。
本ができて売れるとかは完全にタイムラグがあるんですけど、
書いた箸から自己表現が達成されていくっていうのはタイムラグがないんですよ。
多分好きな人がいくらでもツイートしてられるのはこういう理由によるところが大きいと思うんですね。
得になるわけじゃないじゃないですか。
人によっては時間を損してるっていうことになりますよね。
だからあれは自己表現の習慣化とみなすこともできる。
もちろんツイッターをビジネスにするっていうこともできる人はできるんですけど、そこまで行く人って滅多にいませんよね。
でもなんかありえないぐらいのツイート数の人って結構いますよね。
あれは寂しいからみたいな話もあるんですが、それだけじゃなくて多分ですね、
表現した瞬間にそれが自己表現になるので、一定の報酬がその場で瞬間的に確実に得られるっていうのが
やっぱり習慣化として定着する上では大きいのだと思うんですね。
だから逆に言うとツイート140時では自己表現ができないと感じる人にとってはですね、
あれが習慣化するのはすごく難しいと思うんです。
何の報酬もその場で戻ってくるわけじゃないので、何にも実感できないですよね。
特にやっぱりいいねの数とか、リツイートされないと報酬と感じられないという人にとってみればですね、
タイムラグがどうしたってありますから、全くつかないケースのほうがほとんどですから、
報酬がないと。報酬のあるなしというのはこういうふうに特に人間の場合は、
現実どう解釈するかに左右される部分がとても大きいので、
実際現実のどこに報酬を見出すかというのも人によって様々ですので、
やっぱりそこがですね、今ここという考え方の一つの強みかなと。
攻撃を返すとかリベンジするというのに比べても、許すというのはその場でできる上に確実にその場での報酬が発生するんですよ。
これも許すというのはもうすごく許しがたく我慢ならないことだという感じを抱いている人にしてみれば、
報酬一切発生しないので許すことが習慣化するはずはないんですね。
だから非常にここで大きな分岐点が分岐があってですね、許すことに報酬を感じられる人はものすごく簡単に許す習慣がつくし、許しまくれるわけですよね。極端に言うと。
だけどこのことに強い怒りや自分の正しさから考えて決して許せないという人にしてみればですね、
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決して許すということが習慣化のスタートラインに立つことも難しいという状態が続き得ると思うんです。
ここがやっぱり宗教だとかマインドフルネスだとかいう話の割と入っていきやすいケースと非常に入るのに困難なケースの分かれ道があるのかなというふうに思います。
やっぱりうさんくさいとか洗脳的だというふうに感じられるということの一つにはですね、ここに報酬が全くない場合は当然そういうことになるはずなんですよね。
何か殴られてもただただ耐え忍ぶみたいな、それでハッピーになれそうな人というのは明らかに頭がおかしくなっているから洗脳に違いないということになるじゃないですか。
ここはつまり、これも新しい概念なんですけど行動主義の中での。
報酬というものは解釈、特に人間の場合は解釈が入らざるを得ないので、それを報酬とみなすかみなさないかによって習慣化に向かうかどうかというのは大きな分岐があるわけです。
ちなみに行動動物になってくるとですね、例えば猫なんかも人に頭を撫でられるのを報酬とみなす猫もいればですね、それは気持ち悪いと感じる猫もいるみたいなんですよ。
主人を選ぶ猫みたいなのもいないわけじゃないという話もあるんですね。
真偽のことは知りません。ただ、そうであるとするならばですよ、そうは猫は考えないでしょうけど、撫でられて人間に懐いていく猫を見るとあれは洗脳されていると考えてもおかしくはないじゃないですか。
まあおかしいですけど、そんなこと考えるはずないですけど、そういうことなんですよ。撫でられても嬉しくもなんともない猫から見ればですね、あれは気色悪いと。
何もいいことが起こっているわけではない。餌もらっているわけではないしね。だからああいうものは認められないというふうに十分に頭が良ければね、そう考えるかもしれません。
そういう違いが発生し得るということですよね。この許すというのは本当に心理的にどう作用するか、人によって大きな違いが、そして大きく報酬だと感じられる人にはとても単に変えがたいものなんですよね。
だからやっぱりそこは、そういう報酬系というものを自分の中に備えているかどうかによって判断が分かれていくところだろうと。
ついでに言うとですね、私はタスクシュートについてもほぼ同じ感じを抱くんですね。このタスクシュートのいいところは、今ここと全く同じで、タイムラグがないってところにあるんです。
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どんなタスクを実行しても、つまり並んでいる全ての行動はですね、そこに満足を見出そうとする限り必ず満足できる、満足できないような行動はそこにはないっていう感じがあるんですよ。
撮ってしまった行動には常に目的があって、現実にそれをわざわざ行うということはですね、やっぱり何かやりたいという、やってよかったと思える何かがあってですね、だから私はレビューというのをほとんどしなくなったんですけど、レビューをしていたときに考えたことは、朝から晩までどれを見ても、やっぱりこれは繰り返し言ってもう言い飽きている感もありますが、飽きちゃダメなのかもしれないけど、やっぱり何度も言っているとそういうのって出てきちゃいますね。
一つ一つ、トイレに行くとか、トイレに行くは私、咄嗟に言う中ではとびきり多い気がしますが、食事の支度をするとか、全部ですね、非常に理にかなって見えるんですよ。
まあ時にというか仕事の前にYouTube見ちゃうということもありますが、見ちゃうというふうにその時思っても、後でそれを見てみると、やっぱりここでYouTube見るのは自然だなというのがあったりするし、やっぱり見て面白かった面がゼロであったら見ないんですよね。
あつ森やるとか野球見るとかも全部そうです。無駄だというのは、無駄だという価値観が社会にあるのはわかりますが、わかるし当然ですけれども、それはやっぱり他人の言うことであって、私の内面に詳しく尋ねてみればですね、野球見たかったとか見てよかったところは間違いなくあるというのが出てくるわけですね。
そうすると、間違いなく100%ダメだった行動というのが見出せなくなっていきます。ということは、安心してどの行動もやっておけばいいと。そうすることによって、農機とか金銭とかの困窮なり困難が未来に発生するかもしれませんが、しないかもしれないんですよ。そこはもうわからないと思うんですね。
で、そこについて思い悩むにしてもですね、やっぱり一個一個の行動に満足があったということは言えて、そうしないとどうしても大きなタイムラグばかりになってしまいます。
原稿を書くこと自体に即座に満足を得るのは困難になるじゃないですか。即座の満足という行為を認めにくくすればですね、自分で松森をやって、いややって良くなかったんだと、そういう評価を、いわゆる長官的な評価ばっかりしているとですね、本を書くということも書いた側から得る報酬に頼れなくなると思うんですよ。
というか頼れなくなっちゃうんですよ。長官的に見ればね、空の上から見れば書いている満足よりも本に仕上がった時の金銭的満足の方により快感を感じるべきでしょう。そういうふうになるじゃないですか。遠くから離れて見れば見るほどその視点は社会的なものになっていくので、そんな松森とかよりも本を書くべきだ。
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なぜなら、それで家族を養っていくんだからということになる。つまり、真っ黒で見れば見るほどそういう抽象的になっていくわけですよね。そういうふうに満足を捉えれば捉えるほど、すべての行動は未来のための行動になってしまう。そうするとタイムラグが大きくなるわけですよ。レバーを倒してもいつまでも地図の出ないレバーになってしまうんですよね。
そういう行動は習慣化しにくいし、繰り返しにくくなります。私は結局それをやることによってあらゆる行動が先送りされやすくなるという変な現象が起きると思うんですね。
それだったらですね、全行動についてその都度その都度報酬を確実に得ていった方が遥かに実は物事が進むんですよね。そのことをタスクシュートで私は実感したので、これをですね、いつもよくありがちな未来報酬型の築き上げていけば大きなプロジェクトが達成される系のですね、
未来報酬系のタイムラグの大きいものにわざわざしてしまいたくないというのがあります。これをすることによって仕事が進むはずだったツールが仕事が進まないツールに移り変わっていくんですよ。
こんな無駄なというか残念な話はないじゃないですか、というのが自分の感じなんですね。これをさらにですね、詳細に見ていっているのがグッドバイブスで、やっぱり言っていることはそういう視点を取ると、
穴肌近くてですね、あらゆる瞬間に満足をし得るという強い満足を受け得る要素というのが現実的な要因みたいな感じですけど、そういうものってあるので、本当にどんな瞬間にでもあるので、
どんな瞬間ごとに満足を得ていけばですね、つまり生きるってことの繰り返しが非常に好転的に回っていく、好転というのは要するに物事が好転するってやつですけど、感じが受けられるんですよね。
これをわざわざ遠いタイムラグの月に1回の給料に全部をかけるみたいな感じになってしまうと、日々が苦行みたいになっていってしまうので、その積み上げ方式みたいな考え方っていうのを、私はもう今になってはですね、あまりにも大変すぎて自分が取ることは考えられないし、
人に勧める気も全くしない。どうしてもそうするとですね、目標達成みたいな話はどうなるんだっていう話になるんだけど、よっぽど目標達成というものをセットすることがこのケースでは必須だという場合は使えばいいと思うんですけど、
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これは言ってみればですね、ここという時にだけ使う何かみたいな方にしておいたらいいと思うんですよね。何にでもかんにでもすぐ目標設定しがちじゃないですか。特にタスクとかいう話をした瞬間にそういうのが出てきますよね。プロジェクトとかゴールとか。ほとんどいらないと思うんですよ。
全く一個も認められないなんていう話じゃないんですけど、そんなにはいらないと思うんですね。
だから今回のこの件は全部行動科学から考えてみているっていう一つのgood vibesで、一つの試みなんですが、ぜひ一度ですね、報酬というものを意識し、かつそれをすぐ目の前に置けないかと考えると。
やると思うんですよ。絶対に犬とか猫をしつけるとなったらですね、報酬を1ヶ月も待たせるなんてナンセンスじゃないですか。でも私たち、頭がいいもんだから人間は。そういうことを平気でやるんですが、やっぱりですね、マシュマロテストを見てもそうなんですけど、タイムラグっていうのは生物には過酷なんですよね。
聴観的、聴観的ってすぐ言うんですけれども、あるいはトータルな目で見るとかね、未来を見通すみたいなのすぐ言うんですけど、どうやってそれをやってるんだと。空を飛べてるわけじゃないしですね、未来を見通せてるわけじゃないし、その聴観という言葉は完全に何かを騙していて、私たちはありと同然に近い視点しか持ってないと思うんですけれども、
ほとんどの場合、ダイエットとかをやるときにあれほど難しいのは、もう明らかじゃないですか、聴観的視点が本当に取れるなら、ダイエットなんてすごい簡単だと思うんですよ。確実に食べなければ痩せるわけですからね。
だけれども、ずっと流行ってるあの方式にしてもすごい高いですよね。あれほどのお金を払ってないと痩せるということすらできないというのは、いかにこの聴観的視点というものが実は私たちが持ってないものかという、私からすると痩せるなんて簡単なんですよ。
60キロを超えたことなんて人生でほとんどないわけですから、でもこれは私に聴観的視点があるわけでもなんでもないんですよ。私にとっては、食べなくても飢餓感なんて発生しないという、それだけなんですよ。それだって、ぐーっと食べなければ絶対飢餓的な状態になりますしね。
ただ食べないでいるということは、つまり私今運動もほとんどしてないけど体重は60キロ超えないんですね。食べないでいるということが、そういうある種の切迫した飢餓感みたいなものを僕は感じないんですね。
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多分それは、多分ですけれども、飢えたことがないからだと思うんですね。ダイエットしたことないですから、飢えたという体験自体がないんですね。だから多分、飢餓感みたいなものを私の脳は作り出さないんでしょう。
これは逆の話です。単純回避系が僕の脳には発生しない、あるいは単純回避がゆえに食べているわけです。飢餓感が怖いから、それを回避するために食べるという行動が習慣がすると。そういうものだと思うんですね。
そういうのは私ないんですよ。食に関しては抜死が働いた記憶が全くないので。だから楽なんですけれども。そういうことを考えただけでもですね、報酬のタイムラグを広くとるほど、物事を困難にすることはないと思います。たまーにはしょうがないと思うんですけどね。
オリンピックのアスリート、オリンピック目指すアスリートの人は長期的視点ではないと思いますけれども、4年後とか最大で目指しているわけだから、長期的視点をとるしかないですよね。ただこれが必要なのは本当に稀なケースだと、そういうことだと思います。