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2021-04-08 31:23

【GMV 354】自分も他人も彼らからの依頼も全てが同じ価値マックスだと仮定する

そうできれば燃え尽きなくなります
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーとですね、日曜日、ライブで公勢というのがある予定になっています。
これはフラザ野圭三さんと書き上げ塾というものをやっているんですけど、本一冊書くための講座ですね。
書き上げるための講座なんですが、本をね、ここに非常にやっぱり赤入れが入るんですよ、原稿に。
で、この原稿の赤い入れの部分だけを独立させて講座にしたのがライブで公勢。
えーと、書いたものを持ってきていただければ、その場でクラザ野さんが公勢してくださると、それをオンラインで受講できるという目の前でですね。
で、えーとですね、いまだに申し込みがなくて、今日ないとなくなってしまうんですね。
なので、気になっている方はぜひ、今日申し込んでいただけないと、多分なくなってしまう可能性があるということで、緊急的にお知らせしておこうと思います。
でですね、多分これ1回目はそこそこだったんですけどね、あの申し込み。
えーと、何が行われるのかちょっとわかんないという方もいらっしゃるかなと思いますのと、直されるのは嫌だという。
これはですね、もう嫌なことは嫌かもしれません。
ただ、えーとですね、直されることによって自分の文章から自分の個性が全部失われるといったことは、はっきり言って絶対起こらないので、
あのその辺、多分ですね、直されることがプライドに関わるということを除けば、一番気になるのは結局その辺のことだと思うんですよ。
もうよくはなるけど自分らしさがなくなるみたいな。
で、私は50冊ぐらい本を書いてきてですね、紙の本ですね、直された回数で言えば500回は言うに超えてるんですよ。
あの雑誌の原稿とか加えれば500回なんてもんじゃないですね。
えーと、何と言えばいいのかわかりませんが、ものすごい数なんですよ。
で、確かに上手くはなるんですよ。それだけ直されればですね。
で、で一番最初の最近、読み直す機会があったんで、ライフハックスという、今ではマイナー美心書かな、から出ていることになっている本を読み直してみて、
つくづくですね、変わってねえと思ったんですよ。変わってるんだけど、上手くはあの子よりはやっぱさすがになってるんですけど、
あの変わってないなって思うんですよね。それぐらい変わらないんですよ。あんなに直してきたにもかかわらず、
あの、文章なんて絵とかとは違ってそこまで個性が出なくても良さそうに思うんだけど、どう見てもやっぱ自分が書いたんですよね。
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あの、あるんですよ。自分の声なり自分の顔なり自分の文章なりというのは、
他の人にはわかんなくても即座に、もう2行読めば即座にわかっちゃうみたいなのがあって、
やっぱこれはですね、そういうものからもう自分の影みたいなもんで、逃れられないなっていう感じがあります。
なので少々個性をもらって、文章をブラッシュアップしたぐらいでは自分らしさというものがなくなったりはしないので、
その辺はお気になさなくても大丈夫かなっていうことも合わせてお伝えしておこうと思います。
でですね、えっと、最近、最近じゃなくて昨日一昨日ですね、えっと、
あのインターネットラジオを聞いてまして、休憩というのが話題になったんですね。
で、つくづくこの、私の知っている人たちというか仕事の人たちの休憩の話なんですが、
あの、このお人たちだったらそうだろうなという話でした。
つまり、そう簡単に休みは取れないぞ的な、ただこれはですね、えっと、割と典型的に日本人と言いますか、
あの、この番組でもお話しした気が済まないということと深い関係があって、
しかもその、彼らの性とか性癖とかではなくてですね、私たちみんながこの国にいる以上はですね、
受けてきた教育の効果が絶大なんですね、やっぱり。つくづく絶大だなと思いました。
えっと、仕事の今メインは3人で書いておりますが、3人とも僕が考えるに性格はかなり違うんですね。
それはライフワークが好きだとか、タスク管理が好きだとか、そういう文章をやたら書くとかですね、そういう共通効果あるにせよ、
性格っていうのは違うものです。だから、えっと、ほっといて育てればですね、同じようには考えるようにはならないんだけど、
えっと、ほっとい、ほっとかないんで、この国は良くも悪くもね、がっちり教え込むわけですよ。
その本人たちが気づく遥か手前の段階でがっちり教え込んじゃうんで、
えっと、常識というものがもう比較的ですね、特にこの3人のうちの1人は、いやでも3人とも同じかな、
でも、3人のうち少なくとも2人は、簡単に経緯に屈しないぞみたいなのも性格的にあるんですよ。
これも教育効果であるんだと思うんですよね。でも、がっちり日本人的な価値観が、
あの、心の底にインストールされていて、早すくはやっぱりですね、それに逆らうのは難しいというものを聞いててつくづく感じました。
つまり、ここに個性はないんだなってことなんですよ。
あの、私たちが休みにくいとか、霧の良いところまで行っちゃわないと気が済まないとか、
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先送りを繰り返してはダメになるとか、全部ものすごく日本人的で、
それぞれの人の個性というものがすっ飛んでしまうレベルであると。
もうまさにですね、
土井さんとか土井武雄さんが、だって書いたのは戦後から手がけて1970年とかですから、僕ら生まれた頃ですからね。
で、お好み圭吾さんとか、お好みさんはもう土井さんの先輩ですからね、多分。
先輩かとかはわかんないですけど、もうそういう世代の人ですよね。
まさに戦中派、戦前派みたいな。
書いている、その日本人に植え付けられた価値観というものを、
がっちり持って令和の時代に生きているという、この凄さですよね。
凄いなと思うわけです。
まあ要するに、フリーになっても休みが取れないわけですよ。
なぜならば、気が済まないからなんですよね。
そういう気的な表現を使うならばですね、気が済まない。
だって仕事は済むわけですからね。
で、他人に済まないって謝る必要もない。
この気がが付くか付かないかはデカいんですよ。
あの、私たちのこの仕事の3人はだいたいですね、
かなり似通った、性格的には似てないし、仕事のスタイルも似てないんですけど、
似通ったこう、仕事のパターンを持ってて多分、
あんまりですね厳しい取り立てを受けるような仕事を受けてないんですね。
まあ原稿の依頼とか、本の本多分書かれている人もいるから、
締め切りはあるし、間に合わないといけないんですけど、
多分絶対間に合うペースで書いているんですよ。
だからすみませんと言う必要はないんですね。
だから他人に済まないなって思う必要も多分持ってない。
でも気が済まないんですよ。
この気がが大事なんですよ。
だって気は自分の中にしかないんでね。
この自分の中にあるものを済ませられないっていうのは最強じゃないですか。
まあ言い方によっては最悪じゃないですか。
つまり気が済まないからやるってことになってしまうと、はとめは効かないわけですよね。
他人に済みませんと言えば済むわけですよ。
これは甘えと言うんだけど、今日はこの話をするんですけどね。
他人に済みませんと言えばこの国で大体済むことになっているんですよ。
これで済ませないようにすればするほど多分この国危うくなってくると思いますね。
他人に済まないんですと私が考えてますということによって済むんですよね。
それが女性コンプレックスってものだと思うんですよ。
お母さん済みませんって言えばいいんですよ。
ひどいことをしてるんですよ、アジア製は。
お父さん殺してる、つまりお母さんの恋人殺してるわけですから。
その上お母さん殺そうとした。
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でも済みませんって言えば済むんですよ。
そこに大きなポイントがあるんだけど、
自分の気が済まないとなってしまうともうどうしようもない。
それを許せる人っていないじゃないですか。
まあ自分なんですけどね。
ここに大きなポイントがほんとあるんですけども。
だから気が済まないから仕事に区切りをつけてしまいたい。
って脅迫的に進めていくと仕事はそれは進むわけですよね。
昔戦後の復興期に特幹工事というものが流行りましたが、
まさにみんなが気が済まない気が済まないでガンガンガンガン仕事するから
どんどんどんどん復興も進んだし、
まあいいことづくみに思えたんですけど、
やめられないんですよ、それらの人たちは。
気が済まないから夜の3時まで仕事をするとか。
私が子供の頃もいましたからね、やっぱりお父さん帰ってこないと。
夜中になっても帰ってこないと。
お疲れ様ね、みたいなことをお母さんが言ってくれる、
あの僕家的な専業主婦の時代ですよ。
お疲れ様ですよね、ほんとにね。
で、当時はいろいろなものがなかったので、
鬱になったとかいう言葉すらなかったので、
結構そのまま燃え尽き症候群とかわからないこと言われて、
どうなったのかもわかんないっていう、
結構怖いことがあったはずなんですよね。
で、それも何もかもですね、必ずしも上司がやれやれと言うとか、
会社がブラックだということだけではなくて、
やっぱり気が済まないからやっちゃうというのは、
止めようがないですからね。
気が済まないから手を洗う。
気が済まないからコンロの火を何度も確認する。
何度もってのはこれはすごい回数なんですよ。
何千回とっていう話なんですよ。
いかにこの気が済まないというのが、
止めるのが難しいものであるか。
これとセットで気にしないというのがありますよね。
でも気になっちゃうわけですよ。
これもセットですね。
全部そういうふうに回るんですよね。
これはもちろん日本人は気を使って表現しているだけで、
これを専門用語で脅迫神経症という、
仕事に関しても変わらないわけですね。
これで止められるとは思わないんですけど、
私はグッドバイブスということで、
それまでの価値観と変わったというわけじゃないんですけど、
心掛けとして大きく変わったのはですね、
自分も他人も、そして自分も他人もだけでいいですね。
自分も他人も価値マックスだというこの番組では、
何度も言い尽くしていてかつ響いているかどうかは、
ちょっとまだグレーだなって思っている場がありますね。
言葉じゃないんですけどね。
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この価値マックスというのはしばしば体験するし、
それに沿って私たちはだいぶ生きているとは思うんですね。
だっていきなり他人攻撃したりしないですよね。
コンビニに行ってちょっと気に入らないから、
バリゾーンをふっかけようとかしないじゃないですか。
私たちはちゃんと人を低調に扱うという習慣は身についていると思うんですよ。
これがですね、例えば、
自分の子が生まれた直後だとかいう時に、
最大限発揮されるんですよ。
多くの場合はね、自分の子が生まれた直後、私もそれを経験したんですよ。
最近で言うとですよ。
それだけじゃないんだけど、最近で言うとそれを経験すると。
その時に、低調に扱うべきだという確信を持っている人間が一人でもいるものは、
価値マックスだという風にしてしまわないと、
生きていけないんだなっていう感じを抱くんですね。
だってこういう風に価値マックスだと、
自分の子供を思った人は世の中に大勢いるはずですよ。
ってことは、それらの子供はみんな価値マックスですよ。
ってことは、自分も価値マックスのはずじゃないですか。
ってことは、みんな平等ですよね。
ということは、
全てのタスクは価値マックスじゃないとおかしいと思うんですよ。
だぜならそれは価値マックスの人からの依頼だから。
これ前提を踏み外したら意味がなくなるんですね。
価値マックスの人たちからの依頼のはずなんですよ、タスクというのは。
自分のためにやるやつはというと、
自分という価値マックスの人が出した依頼なんですよ。
だから例外ないんですね。
ここに上下をつけるということは、
認められないということになるはず。
価値が全部マックスのことをやるんだから、
それをやる自分はもちろん価値マックスじゃないですか。
もうこの辺はですね、そう感じられるとか感じられないというのをすっ飛ばして、
そういうことにしてしまった方が、
一旦これを受け入れる経験を何度かしているなら、
手っ取り早いんですよね。
私は娘を抱っこしたときに、
それを確信して以来、
少なくともこのことに疑いは抱かないようにしてたんですよ。
感情がついてこないことはありますよ。
これは無駄だとしか思えんってことはあります、
人から頼まれたことでね。
前提としての価値はマックスのはずだと。
そういうふうになってきたときに、
必ず発生するはずの問題があるんですよ。
それは現在やっていることと、
突如として頼まれたこと。
多くの人が割り込みというやつ。
人によっては横割りというやつはどうなるのかと。
私はですね、
これはGood Vibesではっきりしたことなんですよ。
それまではどうしたものかと思ってたんだけど、
Good Vibesでは即座にそっちをやるっていうのがあるんですよね。
多分これは依頼を受けたときというのに、
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現実がそこにあるからなんだと思うんです。
だから依頼を受けたという現実を最優先すると。
言ってみればその前にやっていた依頼事項は中断せざるを得ませんが、
それは多分タイムラグが許されている行為だから、
中断するんですよね。
そして価値マックスでそっちに行くと。
ここで休憩というのが出てくるんですけど、
休憩取れるはずなんですよね。
なぜなら依頼というものはですね、
そんなに一人の人間を24時間365日徹底的に拘束するということは多分あり得ない。
このことはですね、私はなんとなく確信があって、
なぜかというとうちの父が休憩のない人生を生きてきているからなんですよ。
坊主に休憩はないんですよ。
坊主というのは24時間365日で依頼に対応することが義務付けられている職業です。
あれ楽だっていう人がね、
何故か昔小学校の先生とかにもいっぱいいたんですけど、
とてつもなく大変だと思うんですよね。
休日というものはないんですよ。
大体において休日になればなるほどうちは人が来る家、寺っていうのがそういうところなんで、
休日というものはないんですね。平日も平日で、休日も平日なんですよ。
で、寝ているからとかは関係ないんですよ。
だって寝てたところに、すいません父が亡くなりました。葬式をお願いします。
電話来るじゃないですか。
いつ死ぬかなんていうのは定かじゃないんだから当然電話来ますよね。
だから24時間365日なんですよ。まさに救急24時の世界なんですよ。
で、そういう人たちだけじゃないですよ。
例えばこうホームレスのおじさんみたいな人が門をダンダンダン叩いて、
すいません、もう死にそうですから何とかしてください。
父は起きて対応しますよ。
それ仕事ですからね。
いや、今寝てるから帰りなさいって言えないじゃないですか。坊主だから。
これがつまり24時間365日体制なんですよ。
だから昔ね、父は好きだったから私と連れてよく家族旅行とかでスキーとか行ってくれたんですけど、
電話がかかってきて葬式が入りました。
速攻帰って葬式行ってましたからね。
どういう状況でどこにいても。そういうものなんですよ。
だから父に休憩がないかというとそれは全然ないです。
めちゃくちゃ休んでる感が子供から見てもありました。
つまり24時間365日体制であるということと休日が全く取れないということはイコールじゃないんですね。
ただ休日が設定できないというだけの話であって、
いつでも仕事する体制だけどいつでも休めるんですよ。
休んでる時は。あるわけだから。
そうじゃないと死んじゃいますよね、やっぱり。
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で、多分気が済む済まないとかもあんまりない職業なんですよ。
そういう意味ではあまり僕は坊さんが忙しすぎて燃え尽きましたとかいう話は聞いたことがないんですね。
これは結構大事な点で、だって葬式というのは葬式をやったら終わるわけですよね。
気が済まないからここまでやるとかはないんですよ、そういうもの。
全くそういうのがないかというとなくはないんですよ。
お盆の時の当場とかね、めちゃくちゃな数来たりするんで。
私もやってまして、毎日200本ずつ書くみたいな、そういうノルマをですね。
かしてやってた時もありますが、かなり特殊な状況で、普通の世の中はないんですね。
だから、気が済まないから仕事をするというシステムは必ずしも存在しなくて、その世界には。
依頼を受けたらすると。
そういうのがやっぱり私の家の、家全体がそうだったんで。
私の感覚の中では割とこれを取り入れるのは難しくないと。
逆に言うと、自分で作ったなんとかプロジェクトのために今日はここまでやるという方が、よっぽど身につけづらいんですね。
そういう観点は私の生まれてきた、生活してきた世界にはなかったものなので。
休憩もさることながらですね、楽さをつけないというのがすごいやっぱり、私の感じでは大事なんですよ。
誰からの依頼であるから、この仕事には価値があるとかないとか言わないと。
特に今の時代で言うとあれですよね、対価が発生するかしないか。
そして対価がほんのちょっとしか発生しないのに、やたら時間がかかる仕事は価値がないみたいな。
あれがですね、やっぱり無くなると楽かなと思います。
家事とか特にそうですよね、事実上消費に近いものなので、対価が発生するわけがないんですよ。
で、それをやっていると損だという観念がどうしても広がってしまいやすいんですけども、
だから休憩が取れなくなるんですよ、いよいよね。
家事をやっている間は休憩にならないみたいなのって出てくるじゃないですか。
それはもう心の、気持ちの問題に限りなく近くて、それこそ気が済まないレベルの話で、
すっごい一生懸命子供に勉強を教えて、家のこともやったんだけど、
今日は仕事をしていない気がするとかね、言うじゃないですか。
あれさえなければですね、非常に良いと思うんですね。
私はその休憩も休日も一切儲けてませんが、それはつまりこういうことなんですよ。
自分の価値がマックスならば、仕事をしていても休憩をとっていても同じだと思うんですね。
それは自分の体からの依頼なのか、他人からの依頼なのかであって、
自分の体であれ、他人からであれ、価値は同じなので、多分意味も同じであり、
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結局は本質的に何ら違うことをしていないはずなので、どっちをやっていれば楽だということはないはずだと思うんです。
突き詰めて言えば。だから前提が大事なんですよ。
本当に価値がマックスだというふうに、頭だけでもいいから常に言えるのかってことなんですよね。
感情がついてこなくても、これに対して例外を設けることはしないかどうかってことだと思うんです。
僕はしなくなったんですよ。なぜならここに例外を設けちゃうと上下ができるじゃないですか。
だいぶ昔にセミナーで倉園さんが、何度かこの話されてますけど、
上下ができるということは認めがたいという話を、それをやっちゃうと自分の価値がどこかで転落するリスクを必ず負うことになりますよね。
上下があるってことは今は上かもしれないけど、上下があるんだから絶対下になる可能性がゼロであるとは言い切れなくなるじゃないですか。
自分の価値がですね。だから誰の価値もMAXじゃないと困るんですよ。
で、誰の価値もMAXであるということは全ての仕事、仕事だけじゃなく休憩を含めて活動の価値も全部同じだと困るんですよ。
どれかが上だっていうことを認められるということは、誰かが上だってことを認められるってことのはずですよ。絶対に。
父見ててツクツク思いますもん。芸家から頼む。そういうことあるんですよ。芸家というのはつまり、宗教のトップですね。これはすごい人なんですよ、やっぱり。
だって日本だけでも1000の寺がある宗教で、
1000年近く続いている宗教のトップですからね。からお願いされたことなのか、それともホームレスの人が門を叩いてご飯くださいって言った依頼なのか、どっちが上ですかっていうことを考えちゃダメなんですよね。
そしたらあんな職業は成り立たないです。どっちも同じですよ。
こういうふうに思うならば、自分のこの活動の今やっていることの価値と、あの時やっている時の価値みたいな話にならないと思うんですね。
ならないことによって休憩を取らないとダメ、燃え尽きるみたいなのとは縁が切れると思うんですよ。
何やってても同じのはずなんで、何やってても同じということは、気が済むまでやらなくちゃダメだってことには絶対ならないんですよ。
気は関係ないですよね、本当は。大事なのは依頼だけですよね。
で、このエイトっていうやつなんですけど、ちなみに考えてるんですよ。
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私、前に思ったことがあるんですね。これは全然関係ない、すげーダセーなんだけど。
エイトがなくて綺麗ですねっていう話を何度か聞いて、エイトって言わない話とかセミナーとか講演聞きに行きたくないなって思った記憶があって、
これは言い訳がましく聞こえるかもしれないんですが、その場にいてくれない人の話は聞きたくないと思いません。
何かこう会話をしているのにですね、目の前で、その人は私が好きそうなことは言ってくれるんだけど原稿読んでるんですよ。嫌じゃないですか。
私、たまに学校の先生がですね、いいんですよ。先生だし、やるのはわかるんだけど、本の朗読とかしてくれる人いたんですよね。
あれ好きになれないんですよ。どんなに上手に朗読されてもですね、あんたの話を聞きたいのに人の話を読まないでくれって思うんですよね。
そういう時ほど淀みなくできるじゃないですか。上手い人は特にそうです。
でも、淀みがないというのって、えーと、えーとですよ、これね。
嫌なんですよね。淀みがないというのは気持ちが悪い、素晴らしい増加を見せられているような感じがする。
どうしてもやっぱり増加よりは生の方がいいような気がします。完全に脱線なんですけど。
でもこれがつまりリアルってことだと思うんですよね。このようなことは何かを読んでりゃ絶対に言わずに済みます。
今の話は、今までの話と何の関係もないし、すごい無駄な感じがしたし、今、今しがたのこの脱線のせいで、えー、
元々何の話をしてたのか忘れかけてますからね。脳はシングルタスクなんで。
で、えーと依頼ですよ。だから、マックスであるという仮定が大事だと思うんです。
自分がもうマックスなのだと、そう感じられようと感じられないと、目の前の人もマックスなのだと、
そう感じられなかったとしてもですね、それがもう例外なくですね、
ツイッターで陰口を叩かれているだとしても相手の価値はマックスだと、そして自分の価値もマックスだと、これが減ることは一切ない。
そうしないと大変なことになるとやっぱり思うんですね。ブラックライブズマターですよ。
絶対にダメだと思うんですよね。それをやってしまったら。かつていいこと起きたこと一回もないですよね。この上下を作ってしまって。
なんとしても上下を作りたいっていう、なんか何かの不思議とあってですね。
自分は上でいたい。それは当然そうですね。上下ができれば。でもそれは、自分が下になる恐れを作り出すことになる。
そのことをですね、依頼の先送りごときで、そのリスクを負いたくないと思うんですよ。
27:05
だからどうしてもやっぱり僕は長期計画みたいなのも、もう婚輪剤やめてるみたいな勢いなんですね。
長期計画っていうことは、それはやっぱりどう見ても100日かかるこの1日目は、100日後の何かのための行為なんですよね。
休憩の方が仕事よりいいっていうのが、気が済むまでやって、気がすっかり済んだら気持ちよくテレビを見ましょうみたいな、
まさにラジオでお二人で話されていた高等理のことを何度も僕は学校で聞きました。何度も聞きました。
絶対やめた方がいいと思うんですよ。千朗さんも言ってました。先に宿題を済ませましょう。
絶対僕はね、いいと思わないんですよね。それは二重に良くないと思うんですよ。
それって宿題に価値があり、テレビに価値ないって話ですよね、一つには。
でもそれはある種の自由主義的な価値なんですよね。でも実は休憩に価値があります。
絶対上下ができますよね。同時に2個できてしまいます。
一つは仕事の方が価値があるから先にしなさい。でも仕事をした後の休みの価値を高めるために先に嫌な仕事をやりなさい。
僕はそれがですね、なんかね、いろんなところで無駄に猛威を振るっている気がして仕方ないんですよね。
仕事も休憩も同じなはずなんですよ。同じぐらい気分良くできるはずなんですよね。
で、マックスに気分良くできるはずなんですよ。前提が狂ってなければ、前提がつまり正しければ。
前提ってのは何かというと、すべての仕事の行為の価値が同じで、すべての人の価値がマックスで同じだという、これがもし正しいならばわかんないですよ、本当のことは。
これはクラゾンさんがそうおっしゃったっていう話らしい。仏教にもそういうことは書いてあるし、いろんなところに書いてあるけど正しいっていう保証を誰かがしてくれたわけではないですからね。
言った人たちは正しいと言うかもしれないけど、保証をしてくれるわけじゃないんで。
だけども、私の場合はそれをそう思っていた方が世の中、明らかにいい感じで回るっていうのと、自分の子供に関してはこれは譲るような、譲れないやっぱりっていうのがありますね。
自分の子は誰かより価値が低いとか、到底認めがたい。そうすると自分もそうなるじゃないですか。必然的にね。
ここを動かさないようにすれば、Aをやった後のBになったら価値が高くなるとか、AはBよりもそもそも価値が高いっていうことは成り立たないんですよ。
多分なんですよね。多分そうだと思うっていうのがあります。
父は、そりゃあホームレスに世の中に起こされて、対応させられて、そのこと自体をいやー素晴らしい経験だったとは言いません。父はそういう性格じゃないからね。
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全くなって言うよ、それは。でも、多分ずっと寝てるより良かったんだろうなと、子供心には思いました。
そうであってほしいってこととは違うんですよ。対応してるのは父であって私じゃないからね。
もうですね、やっぱり多分そうなんだろうと思うんですよね。
これがもちろん最高位の人からの依頼であればね、パッと目を覚まして、父であってもですね、パッと目を覚まして全くとは言わないんですけれどもね。
でもその差は支えがさないような気がします。
で、こういうふうに思うとですね、ぐっすり寝ていた方がいいとか、仕事をしている方がいいとか言うことは何もないと思うんですよね。
全く等価だと思うし、全く等価だと感じるのが多分一番実情に合っているはずだと思う。
でもやっぱり寝起きを起こされて苦しいとか腹立たしいというのはあるんだけど、これがつまりイリュージョンということなんだと。
イリュージョンがなければ等価であるということに狂いはないと思うんですね。
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