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2025-02-10 16:22

18|白菊手向けた「バシー海峡」、福岡県の戦没者慰霊巡拝団が台湾を訪問【うちにも戦争があった(後編)】

西日本新聞の記者たちが、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me Podcast」。




今回は「知られざる『輸送船の悲劇』、海上護衛戦の実態」の後編です。昨年11月、福岡県の戦没者慰霊巡拝団が台湾を訪れました。バシー海峡で戦死した輸送船乗組員の遺族も参加。遺族の取材をした後藤希記者に話を聞きます。





◆出演:久知邦(報道センター)、後藤希(台北駐在)横山智徳(MC/メディア戦略局)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)




◆収録日:2025年1月20日




◆うちにも戦争があった




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◆収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)

サマリー

福岡県の戦没者慰霊巡拝団が台湾を訪れ、バシー海峡で追悼式を行っています。この活動を通じて、戦争の歴史や遺族の思いが語られ、台湾との交流が深まっています。このエピソードでは、福岡県の戦没者慰霊巡拝団が台湾を訪問し、バシー海峡の戦没者を追悼する様子が紹介されています。また、台湾の人々が日本の戦没者を追悼する姿勢に対する感謝や、戦後の証言を伝える重要性についても触れられています。

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西日本新聞Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今年は終戦から80年になる年でして、西日本新聞では、うちにも戦争があったというキャンペーン報道をやっています。
今回は前回に引き続き、その取材をしているお二人に来てもらっています。
報道センターの久志智国さんと、今、台北に駐在している後藤臨さんです。
お二人ともよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
後藤さん、前回全然出番なかったんですけど、今回は後藤さんの出番がたくさんある回なんで、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ちなみに、今回は西日本新聞me Podcastとしては初めてですね、オンラインで台湾と日本とつないで番組をしてるんですけども、
海外勤務、何年目なんですか、今。羨ましいですね。
そうですね、私、海外は1年10ヶ月ぐらいになります。
じゃああれですか、以前2年ぐらい前に北九州でご一緒しましたねって言った後の移動が台湾だった。
そうです、北九州から台湾に入りました。
そうなんですね。
ちなみに今、収録日は1月20日なんですけど、台湾気候はどうなんですか。
台湾は、今日は19度ぐらいあってですね、ちょっと暖かいです。
暖かいですね、やっぱいいですね。
いや、でもですね、普段は結構寒いんですよ。15度ぐらいあっても台湾結構湿度が高いのと、あとは暖房がないので、とても冷えるんです。
暖房ないって、部屋に暖房ないし、結構オフィスとか街を歩いてても暖房がないってことなんですか。
はい、そうです。バスでも柔軟度の時に、バスは冷房がついてます。
南国ならではですね。
へー、そうなんですね。
ちなみに、普段どんな取材を今、台湾でされてるんです。
普段は駐台関係とか、あとは最近TSMC、半導体企業のTSMCが熊本に進出した関係で、九州と台湾の交流がすごく増えているので、そういった交流行事とかの取材をすることが多いです。
駐台関係というのは、中国台湾関係ですね。
TSMCは、僕も知ってます。世界的半導体メーカーで、iPhoneなんか作ってる裏側、全部あの人たちがやってるみたいな会社ですよね。
そうですね。
ちょっと違いますかね。
半導体を作っている会社です。
そうですよね。
ちなみにですね、さっきもちょっと休憩中話をしましたけど、物価ってどうなんですか。
昔、本当に大昔、僕台湾旅行したときは、何でも安かった思いがあるんですけど、今はどうなんだろうと思って。
そうですね。物価はすごく上がっていて、年々、私が駐在している2年足らずの間でも、お弁当がもともと110円、500円ぐらいだったお弁当が、もう130円、40円とかにどんどん上がっていってですね。
今は、なので130円になると600円ぐらいになるんですけど、もうどんどん値段が上がっているような状態です。
で、さらに円安もとても進んでいるので、生活費はとてもかかりますね。
家賃は福岡より高いって聞きましたけど。
そうですね。相場としては東京都心と同じくらいだというふうに言われています。
住まれんですね。
そうですね。
そうですか。
はい。
そろそろ本題に移りましょうかね。ありがとうございます。
台湾での慰霊活動
それこそ、前回少しご紹介いただきましたけども、昨年11月に福岡から台湾に何人か福岡の方が来られたという話だったんですけども、どういった方たちが来られたんですか。
はい、そうですね。
昨年来られたのは福岡県潜没者慰霊巡回団の方が来られたんですけれども、11月の初めに台湾の各地を回って、潜没者の慰霊をされていました。
そうなんですね。そこを同行されたというか取材されたんですね。
そうですね。私はそのうちの1日、台湾の最南端のバシー海峡が見えるところで追悼式をされたときに私は取材をさせていただきました。
ちなみに、来られたご遺族の方たちって、おいくつぐらいの方たち。
多かったのは潜没者の孫にあたる世代の方で、40、50代の方が多かったと思います。
じゃあ僕ら世代ですね。確かに僕も祖父、祖母はいわゆる戦争体験者というか、もう亡くなりましたけど生きていれば同じぐらいの年になるのかな。だから40、50代で孫、そうなんですね。何人ぐらいの方が来られたんですか。
そうですね。十数名の方が来られました。潜没者のお子さん世代の方も何人か来られてはいました。
お子さん世代って言って70代とかですかね。
そうですね。
バシー海峡まで船で行かれたんですか、その方たちは。
そうですね。まず台湾の最南端の平島県という場所があるんですけれども。
平島県ってのは福岡県みたいな話の県なんですね。
そうですね。台湾の自治体の一つに平島という場所があるんですけれども、それの一番先っぽの岬のところに海が見える場所に超恩寺というお寺が建てられていまして、まずそこで追悼式をしました。
その追悼式の後、参加者の皆さんがチャーター船で船に出まして、海の上からお花を海に投げて喧嘩をするという慰霊をしていました。
そうなんですね。ちなみにこの先ほど言われた福岡県の潜没者慰霊準備団の皆さんっていうのは、毎年のように台湾にこうやって来られて、そういった活動されていらっしゃるんですか。
福岡県の慰霊準備団の方は台湾に毎年というわけではないぐらいです。東南アジアとか中国とか福岡県の潜没者の方がいらっしゃる場所に定期的に訪れて追悼式をされているようです。
なるほど。毎年台湾に来ているというよりも、毎年というか定期的にどこかに行かれて同じように慰霊をされていると。
そうですね。
遺族の思い
台湾に来られたのは久しぶり?
台湾は12年ぶりに来られたそうです。
そうですか。ちなみにそのお子さんとかお孫さんたちとお話しされたと思うんですけども、どんなお話を聞かれましたか。
そうですね。例えばお一人は潜没者の孫にあたる方だったんですけれども、その方はおじいさんが輸送船の機関長をされていて、そのおじいさんが乗られてた船は東南アジアで石油を積んでシンガポールから文字港に帰る途中だったそうです。
その中で1944年の7月にアメリカの潜水艦の航来が命中して潜没してしまったということでした。
そのおじいさんのお話しとして、おじいさんの娘であるお母さんに、日本を絶つ前にピアノを買ってくるよというふうに約束をされていたそうです。
だから娘にってことですね。
そうですね。娘さんにピアノを買ってくる約束をされていたそうなんですけれども、海に沈んでしまったということで、その参加された潜没者の方にとってのお母さんから、今でもバシー海峡にピアノが沈んでいると思うというようなお話を聞かれていたということでした。
やっぱピアノ積んで帰ってきたんでしょうね。
そうですね。娘さん思いの愛しいお父さんだったということで。
その方がまた他におっしゃっていたことは、亡くなった船の機関長の方の娘さんの名前に太平洋の洋という漢字を付けていらっしゃったそうです。
なのでとても海にも思い出があるし、そのお名前をご本人がとても思い出のある様子でお子さんとかに語っていらっしゃったということをおっしゃっていました。
超音寺の歴史
そうなんですね。
台湾の最南端の超音寺で追悼式を行われたと聞いたんですけど、この超音寺というのはどういった建物なんですか。
超音寺はバシー海峡で戦時中船を撃沈されたんですけれども、救死に一生を得て12日間漂流をして生還をした中島秀次さんという方が、1981年に建設をされたお寺になります。
なるほど。これは日本の方が建てられたお寺なんですね。
そうですね。日本人の生存者の方が。
それにしても12日間、生きてらっしゃいましたよね。
本当に奇跡的だったと思います。
日本の方が建てられたのは1981年ですから、40年ぐらい前の話ですよね。
そうですね。
立派に残ってますね、40年前ですけど。
この建てられている場所が、とても台風がよく通る場所で、しかも海に面している場所ということで、すごく傷みやすいそうなんですけれども、台湾の方が傷んだ建物を、資材を通じて修復をされて、ここまで残ってきたという歴史があります。
建物を見ても綺麗だから、40年前に建てられたような雰囲気でも綺麗だし、最近建てたかなぐらいの綺麗さですし、確かに海の近くだったら守っていくのも大変だったでしょうけどね。
そうですね。とても雨漏りとかもよくしているそうです。
へえ、そうなんですね。それこそ、翔英さんという方が守ってこられたってことなんですね。
はい、翔歳英という方が。
翔歳英、読みきりませんでした。
高雄市というところが台湾の南部にあるんですけれども、そこの高雄市でお土産屋さんを経営されている翔さんという方が、資材を通じてずっと守っておられています。
へえ、どういった思いだったんでしょうね。
バシー海峡の追悼祭
そうですね。取材のときにおっしゃっていたのは、本当に中島さんの思いが込められた、その追悼の場っていうのをなくしてはいけないというふうにおっしゃってました。
翔さんが中島さんとお話をされたときに、翔さん頼むよというふうに電話でおっしゃっていたということで、その思いを忘れることなくずっと継がれているということです。
それで2015年以降は、日本の有志の方たちがこの寺で追悼をされているってことなんですか。
そうですね。2015年からバシー海峡戦亡地裁慰霊祭という慰霊祭が、日大の有志の方が毎年開催をされているんですけれども、この場所が超恩寺川の会場になっています。
そうか。先ほど言われた福岡の方がバシー海峡、今回台湾に来られたのは、いわゆる久しぶりですけども、そうではなくて、また別のバシー海峡を選抜した慰霊祭っていうのは、日大の有志の方たちで毎年行われているってことなんですね。
そうですね。はい。
なるほど。ありがとうございました。今回取材をずっと台湾でされて、何か感じたこと、感想みたいなことがあれば教えてもらえませんか。
まずは福岡県の遺族の方が来られたときには、それこそ前回のお話でもバシー海峡のことをあまり知られていないというようなお話があったと思うんですけれども、
福岡県の遺族の方ももっと早く。
いろんなことを聞いておけばよかったというふうに言われていた方もいらっしゃいました。
はい。
1580年で今のうちに聞けるお話は本当に聞いておきたいなということを私も思いました。
そうですよね。前回の日立さんの取材された川崎さんにしても、当時16歳だった少年は96歳に当然なっているわけですし、
そういった意味では、僕らがいわゆる新聞社として取材が、当時を知る人たちに取材ができるチャンスというか、制限時間はあるっていうことですもんね、実際。
そうですね。はい。
台湾の方のお話を聞いたときには本当に台湾の方が日本人の犠牲者、戦没者の追悼の場を資材を投じて守り続けてくださっているということで、本当に頭が上がらない思いがしました。
日本のメディアとして、やはりこの施設のことを日本の方にもっと伝えなければいけないなというふうに思いました。
そうですよね。台湾の方が日本の方のためにずっと守ってくださってるんですもんね。
そうですね。
それを知りませんっていうのも失礼な話ですもんね。
台湾とのつながり
そうですね。はい。
ありがとうございます。
ひさしさんは、内戦の取材は昨年8月からっていうような話もされてましたけども、結構長いこといわゆる戦争であったり平和であったり、そういうことを長崎勤務自体は原爆などの取材も続けてますけども、ご感想などあれば。
そうですね。長崎原爆の取材をしてたときは、戦後68年ぐらいだったと思うんですね。67年、68年ぐらい。
12、3年前。
そうですね。それぐらいになりますね。
その時は90代の方で戦争経験されている方とかは、すごく戦地の濃い話をしてくださってたんです。
ただ今、同じ90代の方って言っても、戦地に行かれている方ってほとんどいなくなっているんですし、川崎さんは16歳で行ってたから戦場の話ができましたけど、学生であれば行ってない方もいますし、その100歳越えてご存命の方であれば話してくれますけど、そういう方ってやっぱりどんどんどんどん少なくなってますから、もう今年本当いよいよ勝負だなというふうには感じてます。
一つでも多くの証言を聞いてですね、戦争のこの実態、バシー会見も一つですけど、背景も含めてきちんと伝えていきたいなと思ってます。
わかりました。そうですよね。戦後80年っていうのは、そういった年であるということですよね。
ありがとうございました。
西日本新聞ではですね、終戦80年に向けた連載、うちにも戦争があった、を今継続して報道しております。記事の本数はすでに50本を超えております。
スマホアプリ西日本新聞MEでは過去の記事も含めてすべてを読みいただけます。
今回概要欄にうち戦の特集のページをリンクに貼っておきますので、よかったらご覧ください。
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よかったら他の番組も聞いてみてください。ここまで聞いていただきありがとうございます。
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本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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