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銭湯って言うと、なんとなく下町にあるイメージをする方も多いんじゃないかなと思います。
確かにこれイメージ通りで、実は東京23区でも銭湯の件数それぞれ調べてみたんですけど、
東京の中心に行くほど銭湯が少なくて、東京の周りに行くほど銭湯の数が多くなるんですね。
例えば足立区、葛飾区、江戸川区、東京の中心に行くほど銭湯が少なくて、
東京の中心に行くほど銭湯の数が多くなるんですね。
例えば足立区、葛飾区、江戸川区なんかは今でも25件以上の銭湯が残っています。
今日ご紹介するのは、そんな下町の銭湯について昭和の文豪が記した記録を見つけたので、
その記録と現在の令和になってからの東京下町の銭湯風景、どんな風に変わっているのか、それについてお話ししたいと思います。
今回のお話はホームページにコラムを掲載してますので、文章で読みたい方は概要欄からチェックしてみてください。
さて昭和の文豪、誰かというと田村隆一さんという方です。
私も知らなかったんですけど、きっとご存じない方もいるんじゃないかなと思います。
昭和の時代のですね、詩人ですね。谷川俊太郎さんとか、そんな感じですね。詩人の方です。
その方が書いた本で、スコッチと銭湯という本があります。
これタイトルいいですよね。スコッチと銭湯。
このタイトルからわかる通り、田村隆一さんという詩人の方はお酒が大好き、スコッチ大好き、そして銭湯も大好きといった方なんですよね。
遊び人っていうのかな、お酒飲んで銭湯入って詩を書くっていう風流人っていう感じの方でした。
この本が書かれたのがですね、だいたい1970年代のことです。
昭和50年代、40年代、50年代くらいですかね。
昭和の時代です。
この本の中にですね、銭湯についてこんな記載がありました。ちょっと読み上げますね。
そして眼下に荒川と江戸川に挟まれた葛飾の起伏の全くない平野部が現れ、
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その平面には2階建ての小さな民家と町工場とが肩を寄せ合うようにして、ぎっしりと立ち並び、
高いものといったら消防署のひどみやぐら、それと町工場と銭湯の煙突ぐらいなもので、
おまけに何とか言うと書いてある銭湯の煙突の数が実にまた多いのである。
これが田村隆一さんのスコッツと銭湯に描かれている東京下町の銭湯の風景の一節です。
荒川と江戸川に挟まれたてはちょうど葛飾区のエリアですね。
ここに煙突がたくさん見えると。
町工場の煙突もあるし、それよりも目につくのが銭湯の煙突。
何々言って書かれた銭湯の煙突の数が実にまた多いというふうに言っています。
これ、千代田線に乗って千代田線から北千住すぎるとJRの常磐線直通で行ってますよね。
多分その電車に乗って電車から見た風景のことを書いてるんですけど、千代田線は地下鉄なので地下通ってますよね。
北千住あたりから地上に出るんですけど、地上に出た途端に煙突が見える景色が広がってる。
これが印象的だったっていう風に言ってるんですよね。
こんな景色が昔は見れたかもしれないけれども、今一体どうなってるのか。
絶対そんな煙突ボコボコっていう感じはないよなぁと思いつつ。
だって令和ですからね。そんなことはないよなぁと思いつつ。
まあ下町だからもしかしたらちょっとはそんな景色も残ってるかもしれないっていうそういう期待も込めて、
今令和3年ですけれども、その下町の銭湯の風景を実際に見に行ってみました。
さてここからは令和の私が見た下町の銭湯風景です。
実際に同じ電車に乗って北千住を過ぎてもですね、煙突っていうのは見当たらなかったんですよね。
確かにその高い建物っていうのは都心に比べるとすごく少ないんですよ。
タワワンがね駅前にポツポツとは立ってはいるんですけど、
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一軒家とかまあ町工場みたいな低い建物が多い印象でした。
煙突全然見えなくてですね、電車に乗ってる時に目立ってた高い建物といえば、
亀有のホワイト餃子のですね、ホワイト餃子って知ってますか?
皮が分厚いね、コロンとした餃子でおなじみのホワイト餃子のですね、
ピンク色の煙突みたいな看板がゴニョキって出てるんですけど、それぐらいですね。
それはちょっと一瞬煙突かなって思っちゃうんですけど、ホワイト餃子なんですけど、
目立っているゴニョキっとしたものといえばホワイト餃子の看板ぐらいで、
あとは目立ったその煙突っぽいものっていうのは何にもなかったです。
実際にその昭和のね、1970年代の煙突の風景。
田村隆一さんは町工場と銭湯の煙突が多いって言ってましたけど、
本当に実際どういう風な景色だったのかなっていうのを、区の資料とかですね、都市計画の資料とかを当たってみました。
それでわかったんですけど、田村隆一さんの言うような町工場の煙突っていうのはかなり少なくなっていたようです。
1960年代ぐらいまでは確かにこの葛飾エリアっていうのは工場がすごく多かったんですね。
それから北千住のエリアにはもっと有名な火力発電所があってですね。
火力発電所があったんですよ、なんと。
はい、荒川の土手にですね。
で、それが煙突がこう4本におきにおきっと出てですね、かなりその土地の名物煙突だったようです。
お化け煙突っていう愛称で親しまれていたんですけれども、なんでお化け煙突かっていうと、
4本煙突が立ってるんですけど、ひし形に立ってるんですね。
で、ひし形に立ってると見る角度によって煙突同士が重なり合いますよね。
だからA地点から見た人は煙突は4本だよって言うんですけど、ちょっと角度を変えてB地点から煙突を見た人は、
え、煙突4本もないよ、2本しかないよ。
で、またC地点から見ると、いや煙突3本あったよとかですね。
見る位置によって見える煙突の数が違って見えるので、出たり消えたりする煙突がね。
っていうのでお化け煙突っていう名前がついていたそうです。
で、これね当時の写真とか見ると子供たちがね、荒川の土手からお化け煙突を興味深そうに眺めている写真が残ってたりしてですね、
地元の象徴だったことが伺えます。
ただですね、この北千住のお化け煙突も1960年代にはなくなってるんですよね。
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っていうのも昭和40年代、1960年代には四日市禅則、これ社会の授業でやりましたよね。
こういった公害の問題から公害対策の法律が整備されました。
なので、お化け煙突の火力発電所の他にもですね、ガス製造の工場があったりとか、毛織物の工場があったりとか、
そういった煙突が建っていた工場っていうのはこのエリアいくつかあったんですけど、
いずれも1960年代に創業停止になったりとか、建て替えで移転されたりとか、そういったことで煙突はなくなりました。
なので田村隆一さんが電車の窓から見た煙突っていうのは、工場も多少残っていたかもしれないですけれども、
そのほとんどが銭湯の煙突だったんじゃないかなと思います。
ではここからは現在、令和3年の東京下町の銭湯の煙突がどれぐらい残っているかですよね。
実際に田村隆一さんと似たようなルートで、この荒川と江戸川の間を歩いてみました。
そうするとですね、なんとぶらぶら無計画に歩いているにもかかわらず、煙突のある銭湯に2軒も出くわしました。
ゴール地点で、これは意図的に行ったんですけど、ゴール地点で銭湯に行ったので、そこの銭湯にも煙突があったので、合計3軒の煙突のある銭湯に出会いました。
ただ無計画にぶらぶら歩いているだけで、荒川から江戸川の間で2軒か見つけたんですけど、
2軒も銭湯に出くわすって結構珍しいと思いました。
これはやっぱり葛飾区にまだ銭湯がたくさん残っているからかなと思います。
田村隆一さんのスコッチと銭湯が描かれた1970年代っていうのは、東京23区の銭湯の数はおよそ2000軒ぐらいありました。
2000軒です。結構多いです。
これが今何軒になっているかというと、現在は23区で約400軒ぐらいまで減少しています。
なので各区にそれぞれ20軒ぐらいですよね。
それぐらいしか残ってないんです。
そんなに銭湯の数が減ってしまったにも関わらず、やっぱり銭湯にばったり出くわすことができる葛飾区っていうのは銭湯がまだ多く残っています。
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しかも銭湯の煙突があるって結構珍しいんですよね。
煙突は薪燃料みたいな、廃煙が必要な燃料でお湯を沸かす施設にしかついてないので、
薪を使うっていうのはすごく珍しくて、今だと石油とかガスですよね。廃煙が必要ないんです。
高い銭湯の煙突っていうのはほとんど見られなくなってきました。
それでも葛飾区にはブラブラ歩いてるだけで2つも銭湯煙突を見ることができたので、これは貴重だなと思いました。
ちなみにですね、薪炊きの銭湯お湯っていうのは湯冷めしにくくて芯から温まりやすいっていう風に言われてるんですね。
本当かどうかはわかんないんですけど、なんかちょっと科学的根拠あるのかっていう感じしますよね。
だって沸いたお湯は沸いたお湯じゃんって思うんですけど、そういう風に言われてるんです。
なので文字見つけたらですね、貴重なのでぜひ入ってみてほしいと思います。
さて、昭和の詩人田村隆一さんの著書スコッツと銭湯の中ではですね、田村隆一さんただ銭湯に入っているだけではありませんでした。
このエッセイの時にですね、荒川を渡って江戸川を見に行って、その後ですね、江戸川近くの柴又、寅さんの柴又ですよね。
行ってですね、柴又の商店街に大石湯っていう銭湯があって、そこに入るっていう描写があるんですね。
で、もちろんと言っていいか悲しいかな、大石湯はですね、だいぶ前に廃業してしまっているので、今は柴又の駅近くに銭湯はありません。
昭和50年代には大石湯というのがあって、大石湯に入り、そして風呂上りにですね、場所を移動して、
なんと男はつらい世の山田陽次監督と会って一杯やるっていう風に描かれてるんですね。贅沢ですよね。
で、このエッセイの最初から巻き戻してお話しすると、まず寅さんを見るんですよ。寅さんの17作目、夕焼け小焼けっていう作品があって、それを都内の映画館で見る。
そして江戸川が見たくなって、そこで千代田線に乗って北千住を越えて、荒川を越えて江戸川の近くまで行くと。
寅さんの大石湯に寄ってですね、それで柴又池近くの大石湯で一風呂浴びて、その後に山田陽次監督と対談するっていう一日の流れが描かれているんです。
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で、これすっごい贅沢な一日なんですよね。
で、田村隆一さんはお風呂に入ってね、銭湯に入って、結構なんか上機嫌なんですよ。
ちょっとめんどくさい感じの上機嫌なんですよね。なんか一人でご機嫌なんですよ。
一方の山田陽次監督は一緒にお風呂に入ってたわけじゃなくて、風呂上がりの田村隆一さんと後から合流してるんです。
だから山田陽次監督は言ってしまえばシラフなんですね。
田村氏はご機嫌なんですけど、山田陽次監督はなぜか結構萎縮してるというか、なんかこういう方だったのかなーって意外な感じだったんですけど、すごい小さくなってるんですよ。
だから田村隆一さんがご機嫌なこと言っても、はーとかあーどうもみたいな感じで結構萎縮してるような感じで描かれてるんですね。
その2人の対比がすごく面白くて、田村隆一さんは先頭範囲になってるんですよね。
で、お風呂に入ると気分が良くなる、上機嫌になって饒舌になるっていうのは、これは本当にそうだなと思います。
それがねお風呂屋さんの効能というか良い効果。
これは先頭に入る人はみんな感じてることなんじゃないかなと思います。
そんなね風呂屋さんの上機嫌になれるっていう効能がよく現れている場面だなと思いました。
ここからちょっと突っ込んでですね、今回東京下町の先頭風景を見てきて感じたことをちょっとお話しさせてもらいたいと思います。
田村隆一さんは本の中でこんなことも言ってるんですね。
ちょっと読み上げますね。
先頭の消滅は肉性を超えた情報によって操作される非印象的灰色の都市の出現である。
今ね令和になって23区の先頭の数約400件まで減ってますけど、
昭和50年代まだ未宣言のね先頭は東京23区にあったにも関わらず、すでに先頭が少なくなってきていた時代なんですね。
未宣言でも少なくなってた。
下町にはまだ残ってるけど東京の中心地は先頭が少なくなってきたよっていう時代でした。
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先頭の消滅は灰色の都市の出現であるっていう風に言ってるんです。
肉性がね感じられなくなったつまり人々の行き遣いが感じられなくなったよね。
先頭が消えたことでっていうのを主人の田村隆一さんは嘆いています。
ちょっと思い出してみてほしいんですけど、今週赤の他人と肉性の交流しましたか?
これなかなかないんじゃないでしょうか。
赤の他人ですよね。家族とか友人それから職場の人とかそういった限定的なコミュニティではあると思うんです。
ただそうじゃなくてそれ以外に生の声で生の声なんでSNSとかそういうことではないです。
肉性のねやりとりがあったかどうかこれは一切なかったっていう人がほとんどなんじゃないかなと思います。
そもそも赤の他人、見ず知らずの人と会話をするなんてないですよね。
これはよっぽど社交的な人じゃないとそんなことってそもそもないよっていう感じじゃないかなって思います。
なんですけど先頭では不思議なことに言い合わせた人同士の会話が発生することがあるんですよ。
これがね。なので実際に私この田村隆一さんのスコッチと先頭に描かれた東京のね東側の下町の先頭風景を取材しに行ったついでに
最後北千住の宝屋さんっていうところにお邪魔しました。
ここねずっと行きたかったんです。すっごいいいとこですよ。円川があるんですよ。
まあこの円川がいいんです。売店でビール売ってますから風呂上がりにビール買って円川で飲んでみてください。
で、その宝屋さんにお邪魔したんですよ。
そしたらお昼の3時過ぎぐらいだったんですよね。
先頭ってだいたい3時からオープンするので3時ぐらいに行くと地元のお年寄りが一気にバーって回転もまって入るんですけど
常連さんたくさんいらっしゃいました。
サウナがねちょっとこう閉まりづらかったりとかですね。あとは浪流できるんですけどなんかあのちょっと遠慮してしなかったですね最初。
そしたら一緒にサウナに入った常連さんがですね。ドアこうやって閉めるのよとか浪流もしてくれたりしてですね。
いろいろお作法を教えていただきました。
これが水知らずの一つの肉性の交流ですよね。
こういうのが起きるんですよね。
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で最後私が水風呂に入っててですね水風呂から出ようかなってしたら一緒にサウナに入っていた常連の方が
もう帰っちゃうのみたいな感じで声をかけてくれてまたねってあのすっごい笑顔で言ってくださったんですよ。
それがすっごく嬉しくてですね。
初めて会った人でしかもその水知らずの若者。若者って自分で言うのもあれですけどその常連さんからしたらだいぶ若輩者ですよ。
そういった水知らずの若者にまたねって声かけてくれるってなんかとってもあったかい交流だなって思いました。
こういうのが先頭だとたまに起こるんですよね。
本当にこのこんな下町のあったかい交流あるんだっていう感じのことがあるんですよ実際に。
こういう経験は私先頭で何度もしてます。
こういった緩やかな交流が詩人田村隆一さんの言う肉性のコミュニティの魅力なんじゃないかなって思います。
例えばですね先頭と似たような都市型のスパありますよね。
今すごい増えてます。
あとサウナ施設もどんどん新規オープンしてます。
そういうところって肉性の交流があるかっていうとないですよね。
私は少なくとも経験したことはないです。
そこにですねたとえ美しくデザインされたコミュニティスペースがあったとしても
あの設けてるとこ多いんですよね今は。
なんですけどそれってグループで訪れた人のための閉じたコミュニティスペースなんじゃないかなっていう風に思わざるを得ないですよね。
なんとなく田村隆一さんの言う肉性のコミュニティとは違うような気がしています。
それで今回考えてみたんですけど
おそらくコミュニティっていうのは歴史が必要。
それからもう一つ必要なのは常連さんの存在。
この2つが絶対必要なんじゃないかなと思いました。
コミュニティとは歴史と常連さんが必要。
コミュニティっていう言葉をひも解いてみるとこれは共同社会っていう意味ですよね。
先頭中心にして結合している集団。
これが先頭コミュニティ、共同先頭っていう共同社会を築いているっていう風に言えるんじゃないかなと思いました。
これを結びつきの弱い流動的な都市型施設、都市型のスパみたいなところでやろうとすると
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それはコミュニティ、共同社会は生まれにくいよねって思いました。
それって当然のことじゃないですか。
コミュニティってなんとなく人が集まって会話していればいいみたいな感じのイメージがあるんですけど
コミュニティとは共同社会であるっていう風に再認識すると
それは流動的なものの中に本当に生まれるんだろうかっていう気はしています。
なのでやっぱり先頭コミュニティっていうのは歴史と常連さんっていうコミュニティに必要な2つの要素がしっかりとそこにあるわけなんで
これはもう貴重です。
一朝一夕で出来上がるものではないからこそ
この貴重な先頭コミュニティっていうものを一回失っちゃうと再建するのはまた歴史と常連さんが必要になるんですよね。
なので貴重なコミュニティである先頭をこれ以上失ってはいけないなという風に強く思いました。
というわけで今日のテーマは昭和の文豪が見た東京下町の先頭でした。
このポッドキャストニューヨークシティではサウナ先頭スパなどの公衆浴場の無駄話を配信しています。
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それではまた次回バイバイ