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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは、下の方向がちょっと違う話、地図も読み物だからの9回目です。
札幌の中心部の街中をよく知っている方だったら、
5番の目の道路が途中で斜めに曲がっているところを知っていると思います。
それが原因で南3条から南13条には西19丁目が存在しなかったりもします。
ここでは西18丁目の杉が西20丁目なんですね。
なぜこんな風になったのかというのが結構面白いんです。
札幌の中心部は一番最初に創生川が設計されたようで、
これは南北方向に流れる川なんですが、真北に向かって流れているわけではなく、
真北から半時計回りに9度傾いているんです。
この川に沿って5番の目の南北の道路が作られました。
これは山に突き当たる丸山地区までほぼ守られています。
一方、中心部の南西方向にある山花地区では、
メインストリートが真北から半時計回りに5度傾いて作られました。
現在の石山通りがそのメインストリートにあたります。
傾きが4度違うわけですね。
札幌の街が設計された明治諸島は、
西の広がりはせいぜい今の東町の裏手あたりまでで、
南の広がりは今の鈴木のあたりまで。
南西の山花地区は山花村として離れていました。
それぞれ街並みが発展していったので、発展とともに街並みが接触することになりました。
その接触したあたりで道路が斜めに曲がっているんですね。
すすき野から支田に乗って2つ目の東本願寺前あたりから、
次の山花九条の間は微妙にくねっていて、
五番の目じゃないことを結構感じる場所になっています。
このそばにある広大な敷地を持つ東本願寺は、
広建てから東八戸、定山渓を経て札幌に至る道路の開作を主導しました。
なぜお寺が道路を作ったのかということについては、
ぜひwikipediaの本願寺道路の項目を読んでみてください。
歴史のリアリズムを感じることができると思います。
北海道開拓は様々な人々の血と汗がにじむ働きによってなされてきたんですね。
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今日もワクワクする日でありますように、
千葉直樹でした。ではまた。