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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に、様々な話をしています。
今回のタイトルは、「特急のページがあるね。時刻表は読物だからな。」の17回目です。
前回は時刻表に載っている料金表の話をしました。
今回は、時刻表の最初の方に載っている特急のページの話をします。
僕が持っている復刻版時刻表は、日本交通公社の1968年10月号、1978年10月号、1988年3月号の3冊です。
それと、最近のJTB版2022年6月号を持っています。
これらを並べて見ていて面白いなと思ったのが、作品地図のすぐ後ろくらいにある特急のページでした。
鉄道のダイヤは歴史的に、東京から見た遠方にできるだけ早く着く列車から組まれています。
鉄道が最も速い交通手段だった頃の史上名台の一つが、日本の隅々までの速達性だったからです。
そういう流れからか、各線区の時刻表が始まる前に、遠くへ向かう一番速い列車のページが掲載されています。
1968年には東海道新幹線が開業していますから、まずは新幹線が乗っていて、ついでそこから先に向かう特急列車が新幹線連絡として乗っています。
まだ九州や北海道は新幹線は遠かったので、その次に来るのが九州連絡、東北北海道方面連絡という流れです。
当時の遠距離列車の花形は寝台特急でした。
格は落ちますが、長距離急行列車も型を並べています。
10年後の1978年には新幹線が博多まで開業していて、少し様子が変わります。
この頃には比較的短距離を行き来する便数が多いL特急が登場しました。
それで東海道山陽新幹線の次にL特急のページがあり、その次に長距離を走る寝台特急のページ、そして各方面への連絡早見表という順番になっています。
東京より北には新幹線はありませんでしたから、東京から北海道への連絡早見表は圧巻で、上野から青函連絡線を挟んで北海道は、輪っか内・根室・阿波市里に到達するための乗り継ぎが掲載されています。
さらに10年後の1988年では、東北上越新幹線が開業していて、新幹線のページが増えています。
その次に来るのが昼間の特急、次に寝台特急、さらに各方面への連絡早見表と続きます。
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青函トンネルの開業で北海道連絡から連絡線がなくなっています。
2022年6月号では新幹線のバリエーションが増えていますので、各方面の新幹線のページが結構あり、その後に全国の特急のページが続いています。
今は夜行の特急列車自体がほとんど走っていなくて、寝台付きの定期特急列車は四国と三塩出雲に向かうサンライズだけになってしまいました。
このように特急列車の変遷を見ていくと、徐々に鉄道に遠距離測達性を求める時代が過去のものになったように感じます。
それは新幹線も例外ではありません。測達性を求めるなら空港をハブとした交通網が合理的なのでしょう。
1988年には北海道連絡早見表の中に千歳空港駅が入っており、今は連絡早見表自体がなくなっています。
ちょっと寂しいですが、旅客の遠距離交通手段としての鉄道は終わりを迎えているように思います。
鉄道は、輸送手段のフェールセーフという側面のある新幹線と、大都市圏を中心とした地域交通だけで生き残ることになるような気がします。
今ここで話すことがほとんど歴史の中の時刻表であるということは、ある意味、未来の時刻表語りの姿を表しているのかもしれません。
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今日もワクワクする日でありますように。千葉直樹でした。ではまた。