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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に、様々な話をしています。
今回お話しするのは、
Adoの歌から古のお寺を想像する
Adoの歌から古のお寺を想像する、うっせえわ、というものです。
木曜日は、日頃考えていることを適当に話しています。
先週も昨日もAdoの話をしたのですが、今日もAdoの話をしてしまいます。
どれだけAdoが好きなんだって思うでしょうけど、好きなものは好きなのです。
Adoの歌を聴くというか、ミュージックビデオを見ていて、うっせえわが聞こえてくるといつも考えることがあります。
これはお経だよなって。
お経と言っても、周波によって違うでしょうから、一概に言えるわけではないのですが、
うっせえわって、木々を叩いて、要所要所で鐘鳴らしたりして歌っても合いそうじゃないですか。
別に茶化しているわけじゃなくて、お経ってそもそも歌なんだろうなーってよく思うのです。
御葬式とか法人の時に、折りたたんだお経が配られることがあると思います。
もちろんそこにはお経が書かれていますが、中には楽譜のようになっているものがあります。
声を伸ばすとか、高くするとか低くするとかを、お経の文字の横にふりがなのように書かれていたりするんです。
それを見ながらお坊さんの読経を聞いていると、記号通りにきちんと正確に発生していることがわかります。
なぜそんな風になっているかというと、歌にするとお経が覚えやすいからなのでしょう。
大きいお寺に行くと、たくさんのお坊さんが声を揃えて読経することもあります。
これは合唱といっていい素晴らしさのことがあります。きっと上手い人とそうではない人がいそうな感じですよね。
そしてそれは、昔はすごいエンタメだったんだろうなぁとも想像してしまいます。
美声で朗々とお経を歌い、かっこいいMCまでやってしまうお坊さんは大人気だったでしょう。
毎月ライブがあり、時にはゲストが呼ばれ、月に何回かはでかいライブがある感じ。
テレビなんかない時代には人が集まったに違いありません。
きっとお経は人々の叫びを表現したもので、アドの歌もまさに同じような叫びを表現しているのでしょう。
流行りの楽曲を聴いてお寺を思い浮かべるっていうのも変な感じですが、
人間の根源的なところには歌があって、全く違う世界のようでつながっているって考えると、
それほど不思議じゃないなぁ、なんて一人で面白がっているのです。
皆さんはどんなふうに思うでしょうか。
今回は、アドの歌から古のお寺を想像する、「うっせぇわ!」という話をしました。
今日はここまで。
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今日もワクワクする日でありますように。
柴直樹でした。ではまた。