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おはようございます、なっちゃのです。今日はですね、またあのギター買ってジャーンでやってレッスン通って渋谷公会堂目指してたっていうことの続編を喋っていこうと思います。
ちょっと前置きというか、これまでの流れを簡単にもう一度喋らせてください。
私はノーフィクションライターの中村敦彦さんのライトアップ講座を受けていて、前回の講座で、今よりもう一つ上のステージに行こうというテーマで、個別アドバイスを受講生それぞれで受けることがありました。
私は今介護業界にいるので、介護のウェブライターやりなよっていうことを言っていただいて、私は左翼って言われてしまうくらいなんですけど、人の痛みに触れるみたいなことをテーマにしたかったんですけど、介護のウェブライターをやるって、
例えばニコニコデイサービスの山田さんに介護のやりがいをインタビューするみたいなことをやってるんだったら、今までのように自分の気になるテーマを自主規格としてノートに上げていく方がやりたいことに近づけるんじゃないかみたいなことを思って、どういうふうに時間を使ったらいいですかみたいな相談をしたんですね。
中村さんに改めて気になるテーマをインタビューして書くことを仕事にしたいっていうことを伝えたら、それって著者になることだから無理だよって一刀両断されたんですね。
なんかもうそれを言われた時は、そんな大それたこと言ってるつもりなかったんですけど、みたいな感じで急激に恥ずかしくなってしまって、だから自分の言葉できちんと自分の思い描いていることを伝えることができずに、そこは終わってしまったわけなんですよね。
で、中村さんからしたらプロで食べていくことの厳しさとか、専門分野からフィールドを広げるとか、そういうことを全く考えられてない時点で夢見がちで世間知らずなことを言ってるヤバいやつっていうことで、もちろんそういう側面もあったので、本当にそれは真摯に受け止めた次第だったんですね。
で、だからボイシーで副業中の話が1週間も経ってないかな、4、5日前とかにあるんですけど、その放送を聞いた時は本当に己の身の程知らずぶりに赤面オブ赤面だったんですよっていうのが、渋谷公会の目指してたっていう風な配信でした。
で、その後もですね、中厚ボイシーを聞いていて、ちょっとしんどくなってしまったんですよね。運気が下がったとかまで言われちゃったんですよ。
で、まあ自分としてはそんなに言われるほどのことじゃない気がすると思って、でもきちんと自分のこと伝えてなかったなっていうふうに思ったので、もう一度自分が考えていることを伝えさせてもらうっていう機会をもらいました。
で、副業中のボイシーでも個別アドバイスでもプロになるとはどういうことかと、プロになるためには専門分野が必要ということを言われていて、私はプロになるって作家になりたいことって言われてしまったんですけどもちろんそこは目指してなくて、
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人の痛みに触れるようなこととか手に汗握るようなことをインタビューして書くっていうことが仕事になれば嬉しいなっていうふうに思ってました。
本なんてもちろんのこと、媒体の選択権はこちらにないっていうふうに思ってたので、別に本当にそんな名立たるウェブサイトとか、例えば何ですか日経オンラインとか朝日新聞のオンラインとかそういうことに乗りたいみたいなふうにはもちろんいきなり思ってなくて、
あんまり読まれないかもしれないけど、自分としては読まれるっていうことよりも、読まれるっていうことよりもっていうこともないんですけど、書きたいことを書けるっていう場所があれば嬉しいなっていうふうに思ってたんですね。
で、副業に関してもいきなり会社を辞めてノンフィクションライターに俺はなるってつもりももうとうないので、細々とでも書きたいことを書ければ嬉しいっていう意味で言っていました。
でもそれと同時に書きたいテーマを扱いたいっていうことがそもそも生ぬるいし、専門分野からフィールドを広げるっていう鉄則を無視した発言だったんで、こんなにも不甲斐なかったかなってすごく自分が嫌になったんですね。
で、だから今の気持ちは介護でまずはできることからライターを挑戦してみて、良くも悪くも感触を確かめながら今後のことは考えていきたいっていう話をしました。
で、中田さんもそういうことだったらこうした方がいいっていうことを具体的に教えてもらって、なんかここしごんちガツンとしたストレスを何とか受けたんですけど、そこから抜け出せたな、抜け出せたなっていうか別に現状は何も変わってないんですけど、自分の心持ちとしてはそういう気持ちがあります。
で、ちょっとまだまだ自分語りさせてください。痛みに触れるようなことがしたいって、なんかまた最後のようなこと言ってしまうんですけど、ちょっとどういうことから始まったかって、私大学生の時にミナマタ病、四大公害病のミナマタ病とかハンセン病とか、
あとは3.11の福島原発のこととかですね、そういうことを結構ガッツリもう寝泊まり、研究室で寝泊まりとかしながら勉強してきてたんですよね。
で、それぞれ1週間とか1週間を毎年行くとかいう感じで滞在して、当事者の方に会ったりとか支援者に話を聞いたりみたいな勉強をしていました。
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で、その時の担当教授がすごく肩書とか見れば偉い方なんですよ。宮崎駿とかと一緒に仕事しているような人なんですけど、そういう人が現場で汗水垂らしてフィールドに積極的に出て、生の話をたくさんたくさん聞いてるんですよね。
で、学生のことを面白がってすぐにフィールドに連れ出して一緒に楽しみながら学んでるみたいな方だったんです。で、その姿勢を見てすごくかっこいいなって思っていて、一つ一つのことを真摯に向き合うことを近くで見てしまったわけなんですよね。
で、私の場合は介護とはいえ株式会社に勤めてるんですけど、常に営業目標とか人手不足ですから採用のこととかせっせせっせ追い立てられながら仕事をしていて、雑誌本主義みたいな仕事内容だけ見れば、そういう感じで入居率とか毎日気にしているような仕事なんですよ。
で、仕事っていうのは基本的にはそういうことなんだと思うんですけど、特にそういう色が強い部門にいたんですね。で、そういう毎日を過ごしているうちに学生時代に見た教授とか含めて患者の方とか涙流れに話された当事者の人たちとか、あの人たちのことをずっと忘れたくないなーみたいな気持ちがずっとどっかであったんですよね。
だからどうにかそういうことに触れる側面を持っておきたいっていうのがなんかちょっと根底にあったんじゃないかなっていうふうに今何か思い出しました。
で、それと自分の名前で何か仕事をするみたいなことができたら、今まで自分のことあまり好きじゃなくて幸福感とか得づらかったんですけど、挑戦したこと自体は認めてあげられるかなみたいな気持ちでインタビューライターをやりたかったんですよね。
で、政治とか制度とか何かを批判するのではなく、その声に耳を傾けられるみたいなことができたら幸福にも染まらずにいられるかなってちょっと自信ないですけど、思っているので、いるのでというかいます。
はいというねあのかなりダラダラダラダラ自分語りをしてしまって本当にすいません。
えっとまあなんか中続さんにいろいろ話しながら自分の気持ちがきちんとわかったので良かったなというふうに思ってちょっと今日はこれを撮ってみました。
はいそれではまた。