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2023-10-02 12:01

#2192 自動書記について from Radiotalk

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#2192 自動書記について
・自動書記とは?→直感に従って書くこと
・直感で表現する重要性
・モーニングページ、即興演奏、オートマティズム

#202310n
00:01
はいこんにちは、なおくんです。今日は2023年の10月の2日、月曜日でございます。はい、今日もよろしくお願いします。
今週も一週間頑張っていきましょう。ということで、今日のテーマはですね、自動書記について話したいと思います。
はい、自動書記って何ぞやって話なと思うんですけども、僕もあまり詳しくは知らないんですけども、
あの、なんか自分に質問をしてですね、自分に何かこう、例えば何かこういう悩みがあるんですけれども、これについてどういうふうにしたらいいでしょうか、みたいに自分で自分に問いかけて、
そしたらしばらくすると、なんかこうトランス状態に近い状態になって、うわーっとこう自分でも思ってもないようなことがガーッと自動的にね、
筆記されるみたいな、そういうなんかね、あの手法のことを自動書記って言うんですけども、まぁその厳密な定義があるわけではないと思うんですけど、要は何が言いたいかというと、
直感で降りてきた言葉をそのまんま書き知るっていう、まぁことですね、これをね、ちょっとまぁ怪しく言うとですね、チャネルリングとかですね、
あとはイタコ?イタコが降りてきて、神のメッセージを下ろすとかですね、そういった言い方をするようなこともあると思うんですけれども、
要はね、全部同じことを言っていると思うんですよ。 で、このね、移動書記っていうね、この感覚、僕もね、わかんないけど、なんかその感覚は
わかる気はするし、なんかそういう感じでものをクリエイティブにできたらめちゃくちゃ楽しいだろうなっていうふうには思ってるんですよ。
で、このね、自動書記っていうのはね、書くことに限らず、いろんな分野でそれに近いことがね、言われてるなって最近ね、ちょっとね、あの思ったんですよ。
で、何でかっていうと、ここ最近抽象画にハマっててですね、あの、
いろんなね、その抽象画に取り組んだ人たちの発言とか、そういうなんか考察みたいな動画とか、YouTubeとかで見たりとか、いろいろ調べてるんですけども、
そういう中でね、オートマティスムっていうね、考え方があるらしくて、それはまさに自動書記みたいな感じで、もう何も考えずにインスピレーションでこう、わーっと書いていくみたいな、それがなんか偶然性を生んで
なんかすごい、今までの壁をぶち破るじゃないですけど、そういったクリエイティビティのあるものができるみたいなことを言ってて、
これってまさに自動書記みたいなもんだなっていうふうに思ったりとか、あとはね、モーニングページっていうね、あの、自己啓発の
世界で有名なね、メソッドがあるんですけれども、モーニングページっていうのは、朝起きて、朝起きてばっかの時に何も考えずに
何も考えずにノートに3ページぐらいね、とりあえず今考えていることをバババババババッと書いていきましょう、みたいなメソッドなんですよ。
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で、今何も書くことがないっていうことであれば、何も書くことがないということをひたすらノートに書き続けましょう、みたいな。
で、そうするうちにだんだんとひらめきが起きてきて、なんかこう自分の浮きから湧き出てくるものが書けますよ、みたいなメソッドなんですけども、
これもね、たぶんね、自動表記に近い概念なのかなというふうに思ってますね。
要はその思考ですね、人間の脳みたいなものを思考を挟まずに直感で降りてきたものを表現するっていう点においては、たぶんね、全部ね、同じことを言ってるんじゃないかなって思ってるんですよ。
音楽にもね、即興演奏っていうのがありますけど、それもその頭でごちゃごちゃ考えずに自分でこう感じたことをそのまんま
表現するっていう、そういうことだと思うんですけど、なんかこれがね、すごい
人間が本当に求めてることなんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。 だからこの自動書記っていうね、この一つのキーワードはその自動書記そのものを言ってるわけじゃなくて
なんていうかね、その インスピレーションでひらめいたことをですね、そのまんま表現するっていうことがすごく楽しいし
心地いいことなんじゃないかなというふうに思って、この今のトークも自動書記のように喋ってますね。 だからラジオトークもね、基本的に僕はその
思ったまま喋ってるんですよね。 思ったまま喋れれば一番気持ちいいんですけど、なんかそうするとちょっとまとまりのない話になっちゃったりもするので
構成を事前に考えたりもしてるんだけど、やっぱりね、自動書記みたいに なんか何も考えずに余計なことを考えずに、直感でひらめいたことをバンバンバンバン言ってる時の方が
たまにね、すごい良いこと言えたなっていう時があるんですよ。で、そういう時って大体こうなんかゾーンに入っているというか、自動書記モードで喋っている時が多くてですね。
まあそれを 待つために
喋っているみたいなところはあるかもしれないですね。 だから今もこの先どう着地するか全然考えずに喋っているので
この話がただのグダグダトークで終わるかもしれないし、途中でなんかね、そういえばそういうことかっていうことがね、出てくるかもしれないんですけども
なんかそういう感覚で常にいろんなクリエイティビティ、 クリエイティブな活動ができたらいいかなっていうふうにね、思ってますね。
まあだからいかにこう理性をぶち破るかっていう、なんか人間の活動の歴史なのかなと思うんですね。
いや音楽もさ、絵画もさ、結局なんか頭でさ、こうすればいいものができるんじゃないかなっていうことを人間は
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構築してきたわけなんですよね。その音楽理論にしろ、その絵画のなんか遠近法とかさ、そういう絵画にも、絵画の世界にもいろんな技術みたいなものがあってさ。
それを教える学校みたいなものが登場して、誰でもね、そのメソッドというものを学習すれば、一定程度の割合で再現性のある
まあテクニックみたいなものを身につけることができます。 でもさ、身につけた先にさ、結局さ、みんなさ、工業製品のように同じものしか作れなくなるみたいなことになるわけじゃないですか。
で、自分の表現したものってなんだったっけみたいなことにぶち当たるわけですよ。
で、そうした時に結局行き当たる先っていうのは、やっぱりなんていうか直感なんでね、直感で
閃いたものをいかにこう素直に出せるかっていうところに行き着くわけで。 そこで邪魔するのがセオリーとかですね、その常識なんですよね。
こうしてはならないというか、普通はこうすべきだろうとか、こんな 稚拙な表現をしてたら世間から笑い物にされるのではないかとか
なんかさ、自分で自由を得るためにもっといいものが描きたいって思って、もっといいものを表現したいと思って、いろんなことを勉強した結果、結局自分が縛られてしまうんだけど
そうじゃないんですよね。そうすると、なんか本当につまんなくなっていくというか、工業製品を作っているような感じのクリエイティブになっちゃうんですよね。
だからそこからいかに出せるかっていうのは
やっぱりまず一つは正解を求めないということですね。正解を得るために勉強してきたわけじゃないということ。
自由になるために勉強してきたことということを今一度思い出すことと、あとはその直感で閃いたものをなるべくフィルターを通さずに
表現すること。そういうふうに考えるとさ、なんか勉強することって意味ないんじゃないかなっていうふうに思う瞬間も正直あるわけじゃないですか。
だったらじゃあ赤ちゃんとか子供が自由に表現したものの方が価値があるのかって言うと、決してそうではないですよね。
そうではないんですよ。
中途半端に勉強してしまうと、のびのびできる赤ちゃんとか子供の表現が、なんか時に無性に羨ましいって思う瞬間があるんですよね。
なんか勉強して自分でこれ、何のためにやってきたんだろう。
なんか自分の表現がどんどんつまらなくなってくるんですよ。そうした時にじゃあもうまっすぐな状態だから、結構良かったんじゃないかって思うと、決してそうではない。
それはこれで真っ赤な状態っていうのは、こういうふうに表現したいんだけどどうすればいいのかわかんないっていう悩みがあるんですよね。
その悩みを解消するために僕らは勉強してきたわけなんですよ。
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だからそれを統合すればいいんですよね。だから子供の頃には技術不足で表現したいことが表現できないというジレンマがあった。
熟達すれば表現したいことが表現できるんだけど、表現したいということに素直に従えなくなってしまったという。
だからそこをうまく埋めれば最強の状態ができるわけですよね。表現したいことがありかつ表現したい技術もあるということなんですよ。
だから練習をするときというか表現の技術を身につけるときはあくまで理性的になって、実際表現をするときはもうそういった理性を一旦忘れて、
感性のみに従って理性で学んだことが勝手に出てくるという状態に近いですかね。感覚的には。
英語を勉強していて、いざ英語をしゃべるときは文法とか余計に考えずに自然と出てきちゃったみたいな。それが本当の実力であり表現なんですよね。
なんかそういう感覚に近いような気がしますね。
うまくまとまらないですけど。だからそう、勉強は無駄ではない。勉強すればするほどオートマティスム、要は自動書きで出てくる表現がより
深いものになるという感じですかね。だから子供が本当に何も知らない子供が適当に書いたものっていうのは、それは自由に溢れている。自由度に溢れているけど深みはないんですよね。
それを見て何かを感じるってことはあんまりなくて、それは本当に何も考えてないからなんですよね。
本当に勉強した人が自由に書いたものになんで感動するかって言ったら、やっぱりその人の技術とか人間みっていうのが
もう嫌でも溢れてきちゃうんですね。その嫌でも溢れてきてしまった人間みとか技術っていうものに人は多分感動するんだと思うんですね。
それは作家自身もコントロールができないんですよ。っていう、なんかそういうものを表現できるようになりたいですね。
っていうことを思いました。この今やってることも完全に自動書きですので、今自分が思ったことを本当に何の経過もなく喋ったらこういう風になっちゃったっていう感じなんですね。
いや、怖いですよね、ある意味。自分がなんかぼんやり考えてることがパッと出ちゃうので。
まあ、だからね、ラジオトークもね、こういう感じで自動書きみたいな感じで、つらつらとね、本当に落書きをメモするみたいな感覚で喋っていけたらいいかなっていうふうに思ってます。
まあ聞いててもね、もしかしたらなんだこの話、結局なんだったのみたいなことになるかもしれないけど、まあまあなんかそれもいいんじゃないかなと。
まあ、なんていうか、こんなんでいいんだっていう風な自由を与えることができればいいかななんて思ったりしてます。
はい、ということで今回は自動書きについて話しました。
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