ウェブアプリケーションの制作とアーキテクチャの変化
こんにちは、栗林健太郎です。しばらくポッドキャストを配信していなかったので、何か話してみようかなと思っています。
と言っても、今日は本当に何にも考えていなくて、というのも最近この2週間ぐらいですかね、
自分の空いている時間は、あるウェブアプリケーションを書いていて、それに時間をほとんど使っていたので、
あまり制作的なことをやっていなかったというのもありますし、
でもウェブアプリケーションを作るというのは、自分の職業柄、制作の最たることであるので、
ずっと制作していましたということではあるのかもしれないですが、
そんなわけで、ポッドキャストにするような、そういう類のことをあまりしていなかったなというふうに思ったりしています。
このポッドキャストで、技術的なことを詳しく話すみたいなのは、あまりやってもしょうがないなという気はしているので、
しかと言うと、趣味みたいなこととか、個人的な考えみたいなことを話そうと思っているので、
技術の話はあまりしないんですけど、何の話をしようかな。
そんなわけで、開発のことをやっているんですね。
技術の話はしないということを言いましたが、
ただ、久しぶりにWebアプリケーションをそこそこのボリュームで、と言ってもまだそんなでもないですけど、
ある程度書いてみて、今回Next.jsっていうJavaScriptやTypeScriptのフレームワークを使ってみているんですけど、
一言で言うと、昔取った金塚みたいなのでやっていると良くないですねっていうことを思って、
ただ新しいフレームワークを使ったからっていうだけじゃなくて、
Webアプリケーションのアーキテクチャみたいなのが大きく変わっているんだなみたいなのを、
読み物とかで読んだりとかはしているんですけど、
実際自分で書いてみて気づいたことっていうのは結構いろいろあってですね、
フレームワークの使い方とか、道具がいろいろあるなみたいなのは、
そういうのはやればすぐキャッチアップできるような話なんで、
あんまりそういうことについて、それはそれですごいなみたいなことがいっぱいあるんですけど、
それはあんまりそこまでではないんですが、
例えば、今バーセルっていうホスティングサービスにデプロイしてみたりしているんですけど、
そのバーセルというホスティングサービスの構成であるとか、
あるいはマイクロサービス的に開発プラットフォームとかインフラのSaaS化みたいなのが進んでいて、
いろんなものを組み合わせて使うんですけど、
例えばデータベースみたいなものもSaaSみたいな形で提供されていることが最近は多いですよね。
そういうものってリージョン離れたりするとレイテンシーが大きくなるんで、
そういうのってどうするんだろうなみたいなのをちょっと思ったりはしたことがあった気がするけど、
あんまり自分で使っていなかったんで、作り手側として考えることがなかったというか、
もちろんユーザーとしてっていうのはあるんですけど、
一応クラウドプラットフォームみたいなのを提供している会社で人間がやっているんで、
そういう視点を持ってもよかったのに、あんまりそういうことを考えていなかったなというのもあるし、
あといわゆるデータベースのSaaSみたいなののアーキテクチャー、あんまり詳しくは話さないですけど、
それ自体がそんなことやっているんだみたいな、今ってそういう感じでやっているんだみたいな面白いアーキテクチャーになっていて、
そういうの全然知らないで今まで過ごしてきたなみたいなことを思ったりして、
結構それは最近知った中ではだいぶ驚いたことの一つだったりしましたね。
そんな感じでWebアプリを実現するためのアーキテクチャーみたいなのが随分変わってきていて、
その辺にあまり具体的に作るという流度で関わってきてはあまりいなかったんで、
そういうところをキャッチアップしていかないとやばいなみたいなことをちょっと思ったりしています。
最近そうやって過ごしているんですけど、コードを書いているとどうしてもすごい集中しちゃって、
書けられる時間が短いというのもあるんですけど、その中でできる限り始める前にこれはやり切ろうと思って、
寝るまでにこれをやり切ろうと思って進めたりするんで、それでつるつるいけばいいんですけど、
コーディングによる身体の不調
なかなかうまいこといかないからううううってなりながらやっているんですけど、
そうするとすごい首が凝ってですね、よく頭痛がするんですよね。
なので最近は本当にコードを書く前からですけど、毎週頭痛になって2日ぐらい頭痛があってつらいみたいな日々が続いております。
毎週整体に行ってマッサージしてもらっているんですけど、
だいたい首がすごい張っていてですね、それで首をぐりぐりってやってもらってある程度解放されるんですが、
この間顔のマッサージをしてもらったときに顔の口筋、噛む筋肉というのがすごい張っていると言われて、
なんか歯を食いしばっちゃっているらしいんですよね。
たぶん集中しているときとかにぐーって歯を食いしばりながら画面を見つめているみたいな感じなんだと思うんですけど、
おそらくはそういうことで、そこから首とか頭の張りとかそういうところにいて頭痛になるんじゃないかみたいなことを言われましてですね、
それで早速そのこと自体に気づかないといけないんで、食いしばっているなみたいなことに気づこうと思ってやってたんですけど、
最初のうちはなんか今食いしばっているんじゃないのみたいなことを自覚できたりしたんですけど、
ついついのめり込んじゃうとそれすらも忘れちゃって、また次の日頭痛になるみたいなのが先週の頭ぐらいになってですね、
なかなかメタ認知するっていうのは難しいなと思ったりしているところです。
結構精神の動きみたいなもの、自分の考えの動きとかはこのBotcastでも話してますけど、
手帳にいろいろメモしてるんで、あのときああいうことを思ったなとか、こういうことを言ったけどよくなかったなとか、
そういうのはだんだん気づけるようになってきたかなっていう感じはするんですけど、ただその肉体的なことっていうのはまたちょっと難しいですよね。
マインドフル瞑想みたいなもので、何か雑念が出てきたぞとか、そういうものに気づいたりとか、
あるいはそこからもう一歩進んで、もうちょっと思考のプロセスに気づいていくみたいなことはある程度できると思うんですけど、
身体の癖みたいな、身体的な動きとか食いしばりみたいな、動きとも言えないような癖みたいなものですよね。
そういったものに気づくというのはかなり難しいし、気づいたからといってなかなか改められないんですよね。
思考とかももちろん気づいたからといってすぐに改められるものではないんですけど、自分にとっては思考とかよりもずっと難しいなというふうに思っていて、
考え方だけじゃなく身体的なことにもマインドフルであるほうがいいなと。
具体的には頭痛をなくしたいというのがあるので、そういうことのためにもやっていきたいんですけどね。
運動とジムの問題
運動をすればいいんですけど、運動をするだけでは多分よくならない。
いや、よくなるのかもしれない。運動さえすれば全て解決するのかもしれないですね。
運動をしろという話ですね。運動をしたいんですけどね。
ジム契約してて、アニタイムフィットネスという月学生の24時間の何回行ってもいい契約してるんですけど、ほとんど行けてないですね。
一回やめちゃうといろいろめんどくさいかなと思って、ずっとお金だけ払い続けているという非常にもったいない状態になっておりまして、
そういうのは無駄遣いは良くないと思いますけどね。
サブスクみたいなのもついついそのときの勢いで契約しちゃうんですけど、
趣味とかが変わったり関心事が変わると忘れちゃってお金だけ払ってるみたいなことが結構あって、
何ヶ月かに一回思い立ってですね、契約したりいろいろしてるんですけど、
それでもまたまだそういうのがいろいろあるんじゃないかなと思ったりしますね。
そういうのも習慣づけて毎月でもいいのかもしれないし、そういう感じでカレンダーとかに入れてやろう、今思いつきました。
カレンダーにサブスクを見直す日みたいなのを入れて毎月繰り返し予定にして、そのときにちゃんと見返すようにしよう。
そうすると無駄にお金を使うこともないですね。いいですね。
そうやってカレンダーにどんどん入れていって、どんどん行動を自動化していく方が効率的にできるんじゃないでしょうか。
AIエージェントが助けてくれる時代
自分の行動はGoogleカレンダーに入っているのを、仕事の場合はそのままやっていくみたいなことが多かったりしますけど、
今後はAIとかがそういうのを助けてくれるみたいな時代になってくるんでしょうね。
早くそうなってほしいですよね。
AIエージェントみたいなのがいて、それがあれこれ、あれあれこれ言ってきたりとか、そんな感じになるといいなと思ったりしてますけどね。
AIエージェントという話で言うと、この間、妻の友人、フランス人の友人に会う機会があって、おしゃべりしてたんですけど、
おしゃべりって言ったらもちろん、僕はフランス語全くできませんので、Google翻訳でおしゃべりしてたんですね。
その人たちとは2018年にも会ってて、その時はGoogle翻訳はそこまで優秀じゃなくて、
音声認識の品質もまだまだだったし、翻訳もよくわかんない感じになっていて、あんまり使えるっていうものじゃなかったんですけど、
今はすごいですよね。ほとんどそこなくフランスの方と、向こうも日本語全然できないんで、あんまり違和感なく。
時々、なんかよくわかんないなっていう日本語が出てきて、それはお互い様だと思うんですけど、お互いそういうこともあったんですけど、
ただ、その時は言い回しを変えてみたりしてやれば通じたんで。
2018年から2023年、この5年間の間に機械翻訳のレベルというのは非常に上がりましたよね。
それはDeepLっていうアプリがありますけど、あれが出てきた以降ぐらいに飛躍的にレベルが上がってきたなっていう感じがありますよね。
翻訳もそうやってどんどんできるんで、AIエージェントみたいなのがずっとメガネとかにビーって表示されていて、
それで外部の外国語の音声を聞き取って、ババーっとメガネの中に字として出してくれるみたいな、そんなような形が多分そんなに遠くないうちに来るんだろうなという感じはしましたよね。
ただ、とはいっても、それはあくまで情報やり取りしているっていう話であって、
情報やり取りすればいいんですけど、ただ、その言語を使って話すっていうことっていうのはやっぱり音訳でなんかやるっていうのとはちょっと違う体験なのかなという気もするよなといったところで、
とはいえ、例えば今自分は海外の日本語以外の言葉で書かれた本っていうのは基本的には音訳を通して読んでいて、原記書で読めたらいいなとは思うけど、そういうこともなかなかできないんで音訳で読んでるんですけど、
それでそんなに不自由がないというか、不自由はもちろんないんですけど、その原書で読まないとダメだみたいなことを思ったりするわけではあんまりないし、
でも詩とかはやっぱり日本語に訳されたもので読んでもどうなんだろうなって気はしますけれども、それを言い出したら原理的にはどういう文章であってもそうなわけですけど、
でもとはいえ普通に日本語で読んで楽しんでいるわけで、情報やり取りするだけじゃんみたいなことをさっき言いましたけど、別にそれでいいじゃんっていう感じもしますよね。
たださっきの食い縛りとかもそうですけど、言語を使うっていうのもある種の身体的な操作で、理屈がわかっていればできるっていうものでもないし、
僕は英語の発音とかが結構苦手で、どうしてもうまく、発音だけじゃなくてイントネーションとかリズムとかそういうのを含めてですけど、英語の発話っていうのがなかなかできないなと思ってるんですけど、
そういうのも聞いていればこういう感じなのかっていうのは思いますけど、自分でいざやろうと思うと全然その通りには真似できないわけですよね。
そういうのも身体的な動作っていうのがわかっていてもその通りにはできないということなわけですけど、
でもそう思うとあれですよね、思考のプロセスみたいなのも自分では自分の癖とかに気づいて改めたりとかしてるつもりなんだろうけど、
本当は客観的に見るとちゃんとできてないみたいなことも多いかもしれないですね。
そう思うと同じような話なんじゃないかなという気もしたりします。
というわけでもうだいぶ長々と喋ってしまったので、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。さようなら。