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こんにちは、横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
今回も、世界一周の船旅にお付き合いいただき、ありがとうございます。
それでは今回は、7月12日出港から72日目、キューバ🇺ハバナ後編をお送りいたします。
昨夜就寝したのは午前1時を過ぎていたが、せっかくのハバナ、観光しないわけにはいかない。
朝は7時30分に船内放送で目が覚めた。
お腹が空いていたので、コーヒーにミルクを入れて、チョコレートを一かけら口に放り込んで、いざ出発。
8時半すぎに外へ出ると、スコールでもあったのか、むっとするようなものすごい湿度が、途端に体にまとわりついてくる。
太陽も朝から元気いっぱいだ。
この視界に映る全てを明るく強く照らし出すような光を投げかけてくる。
とにかく朝の気候地のミッションといえば、パン屋探しが基本の世界のパンを食べよう企画の私たち。
昨日見たパン屋さんを探しつつ、パンはねぇかぁと血まなこになって旧市街を散策していく。
すると簡単な屋台でよく見かけるハムとチーズのバケットサンド、
その他ロールケーキの中に蜜が入った、いかにも甘そうな菓子パンが、嘘か本当かわからないけれど、キューバのサンドイッチはほぼほぼこのスタイルしかないのだそうだ。
相変わらずお釣りのルールがよくわからない。
まあ良しとしましょう。
ロールケーキのような菓子パンの生地はスポンジとカステラの間のような感じで、周りには蜜もしくはジャムが入っていて、正体不明なのだがこれはこれでとても美味しい。
周りはサラメがついていて、ふわふわあっさりとした甘さだった。
この後国会岸道をずっと奥へ行ったところにある、昨日も行ったパン屋さんまで歩いていく。
昨日は偶然辿り着いたので、行こうと思ってもなかなか辿り着けるものではない。
あっちかな、この景色見た気がするとかなんとか言いながら、なんとか到着しました。
英語があんまり通じない店員さんと、身振り手振りでジェスチャーをしながら小さなケーキやクッキー、タルト、ちょうど1ドルになるように買った。
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昨日と今日でUSドルを払った結果、戻ってきたペソ札とコインは使えないと言われてしまったので、お釣りがもう出ないように、1ドルになるように計算して買ってみた。
シュー菓子、カステラ、ホームメイドのクッキー3つ、ジャム入りのミニケーキ、クリームの真ん中に、まだ謎のジャム。
これはこの国ではケーキやお菓子のスタンダードなものだろうか、とっても甘いんだが、その中に酸味もあり、キウイのジャムのような味がする。
同じく1ドルだった大きなふわふわのパンを買った。
一口サイズに簡単にちぎることができる大きなちぎりパンだ。
香辛料か着色料のせい?
普通のパンよりもだいぶ黄色みがかかっていて、味も少しヨーロッパのパンとは違うかな。しっとりふわふわ。
近くの公園のベンチで、ああだこうだと言いながら、みんなでお菓子やパンを食べて、よし出発。
まずはすぐ近くにある国会議事堂へ。
サンダルをけちって、外から威厳のある建物を楽しみ、その後は革命博物館。
ゲバロの顔が堂々と描かれている革命広場へと向かった。
途中市場のようなところに立ち寄ると、野菜や果物をたくさん売っている。
中を覗くとみんながこっちを向いて手を振り、話しかけてくる。
きっとこれ買っていかないか?と言ってるんだろう。
お客さんの一人でが、私たちを一人のおじさんの前に手招きして連れて行き、バナナを渡してきた。
えー何だろうこれ?と困惑していると、どうやらそのおじさんからのプレゼントのようだ、ということがわかるんだけど、その後は全くわからない。
バナナはプレゼントというのはわかったとして、その後ブドウをビニール袋に入れようとしている。
え?そんな大きなブドウ買わないよ。
言葉が全くわからないというストレスを新大陸ではよく感じることとなった。
拙いけれどスペイン語に比べたら英語は理解ができるからこんなに全くわからないということはないんだけれど。
グラシアス、アディオスと知っている限りのスペイン語を並べて市場を後にすることにした。
すぐ前にある革命博物館は大きく立派な建物で、昔は大統領府であっという。
カバンを預け貴重品を持ち、4ドルを支払って入場する。
英語でところどころ解説はあったものの、もともとの知識があまりしっかり入っていないので理解が追いつかないことが悔やまれる。
いろいろな人の遺品、手紙、手記、新聞記事、書類、写真、それらが所さましと展示されている。
内容は半分もわからなかったけれど、それらがキューバの激動の時代を見抜けてきた代物だということはガラスケース越しにも伝わってくる。
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バティスタやカストロ、チェ・ゲバラのものくらいしかわからなくて、他にもたくさんの事件と人物たちがこのキューバ革命の立役者となったのに、そんな人たちの存在はほとんど知らなかった自分が少し悔しい。
日本は遠く、キューバは小さな国だけれど、この国がここまで来るのに何度も何度も血を流し、傷ついて立ち上げた国だということは私にもわかった。
わからないながらも2時間ほどかけて博物館を巡った。
チェ・ゲバラとカストロがキューバ東海岸に着眼した時のボート、グランマ号が見えたことは印象的だった。
絵は描きや映像での映像資料の中でも釣りをするゲバラの姿が猫されているが、このグランマ号を使っていたようだ。
グランマ号の周りは銃弾跡も生々し、戦車や飛行機、ジープ、ミサイルなども展示したり、このミサイルは本物だろうか、レプリカだろうかとひそひそ私たちは話し合った。
これがそのまま飛んできただけでも相当なものだけれど、実際には爆発するんだから、それを想像するだけでゾッとする。
こんな恐ろしいものが、旅会、人の命を、大切なものを奪っていく戦争というものは、なんと悲しく恐ろしいものだろう。
名前をチラッとした、聞いたことがなかった、この革命の功労者にすっかり引き込まれた私は、帰国してすぐチェ・ゲバラとキューバ革命に関する本を読むことになった、というのは言うまでもない。
イケメンはやてな近代史への興味まで掻き立てるのだ。
私は歴史が好きだけれど、歴史に名を刻む人間になりたいと思ったことはない。
おそらく歴史上の偉人たちもそうだったんだと思う。
人は話していることだけを見たり聞いたり、後世に残したりするものではなく、その人の生き方、その行動を見ているんだ。
その人の行動が、生き方が、言葉を紡ぎ、顔や体を作り、人を寄せ、後に残すのだ。
生きてきたこれまでの軌跡を振り返った時、後悔しないような選択をしていきたいと思う。
革命博物館から外に出ると、相変わらずすごい暑さ。
12時も回っていたので、チェックを入れていたオープンカフェのレストランに、コングレスを食べに行くことにした。
レストランに入り、コングレスとツナのサラダしか頼まなかったら、店員さんは変な顔をしていた。
というのも、注文した品物が届いてびっくり。
コングレスは見た目が日本のお赤飯そのもの。
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赤いご飯に小豆とお肉のようなものが入っている。
でもパサパサしていて味は特になく、炒めてあるようだった。
どうやら肉や魚料理の付け合わせとして食べるもののようだ。
だからこそ店員が、「え?これだけなの?」と、けげんな顔をしたのかもしれない。
それでもメイン料理を頼む気にはなれなくて、どうせ食べるなら昨日のアイスをまた食べたいとみんなが言うので、
昨日立ち寄ったアイス屋さんまで歩くことにした。
昨日と同じアイス屋さんのはずなのに、ストロベリー味が増えていて、昨日は1つ1ドルと言われたのに、
今日は1つ買って1ドルを払ったらお釣りが来た。
どういうことなの?
またコインが増えて、なんとか銀貨が使えないかなと、昨日通り過ぎた揚げ物の屋台に寄ってみると、
4つで1ドルという、1つ0.25ドルということなので、
1つだけくださいと25セントコインを出すと、これは使えないと言われる。
おいこれは、昨日は他の店で絵はがきを買ったんですけど、一体全体どういうことなの?
目的はコインを使うこと。
ここまででわかったことは、ペソのキューバコインは使えないけれど、セントのUSコインは使える様子。
ただし、店またはその店の人による伝統の表記は数字のみなので、セントなのかペソなのかがわかりづらい。
この国の通貨への理解は、日本に住む私たちには難しい理由の1つが後になってわかった。
私が旅をした2002年当時、観光客や外国人が使うダカンペソと、現地人の使うジンミンペソに分かれていて、
ジンミンペソは観光客は使えないのだった。
だが、この制度は2021年に二重通貨は一本化されたという。
とはいえ、迷うのもまた楽しい迷路のような路地を抜けてのんびり街を散策した。
オールドハバナの旧市街はとても美しく整えられていて、
強い日差しを避けられるように計算された建物と道幅で構成されている。
サイドカーのついた古そうな方のバイクにまたがりながら、浜木を吹かしているおじさんがとてもええになった。
1982年に世界文化遺産に登録されたオールドハバナと洋裁群。
それらはスペインコロニアルド町の建物が立ち並び、街中にはアメリカンクラシックカーが走り、植物は熱帯性の強くたくましく生き生きとした鮮やかな緑や色彩、
そして照りつける明るい太陽と真っ青な海、どこを切り取っても絵画や映画の舞台にふさわしい。
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街中には音楽が行き交う人々には目が合えば笑顔を見せてくれる。
一度だけ街中を散策しているときに裏道の方に入ってしまった。
かなり古く暗い印象のあるどうやら団地のような場所だった。
子供たちがバスケットボール遊びをしていたが、私たちのような観光客がここまで来るのは珍しかったんだろう。
スペイン語で何やら話しかけてきた。
当時わからなかったけれど彼らの目線が友達の一人が履いていた真っ赤なナイキのスニーカーに釘付けだった反面、
彼らの見なりが珍しかったこと、笑顔が眩しかったこと、どうやらマクドナルドを食べたことがあるかと聞いているようだったことは20年経っても忘れられない鮮やかな記憶だ。
身振り手振りで街中に戻るにはどうしたらいいかと聞くと少年たちはワーワー言いながら身振り手振りで教えてくれた。
旧市街をゆっくり歩いていたら次はピザを食べられる気している人に目がつい寄せられる。
ピザはパンの仲間だから食べておいた方がいいよねと食いしん坊な私たちはピザを探して歩く。
さっきのアイス屋さんのすぐ先に見つけた。
ピッザ0.5ドルと書いてある。
使えるかなコイン。
ドキドキしながら25セントコインを2枚出すと丘から熱々のピザを持ってきてくれた。
やったー。
セントコイン使えたぞー。
友達と飛び上がって喜んでしまった私たちをお店の店員さんはそんなにお腹が空いていたのかかわいそうにという顔で見守っていた。
ピザはやや小振りで生地はふわふわのパンのような生地。
トマトソースチーズたっぷりの至ってシンプルな味。
熱々とろーりとっても美味しい。
あまりに美味しそうにワーワー言いながら店先で食べていたからか通りがかった2人組の若者が一口くれよと口を刺してやってきたので
いいよとちぎってあげようとしたら熱くて到底ちぎれない。
アクセントをしていると笑っていいよいいよと。
冗談だったことに原因全然気がつかない私でした。
食べすぎてお腹いっぱい。
港へ戻りつつ美しく異世界に迷い込んだかのようなオールド羽花を名残惜しみながら
この時間が止まったような街並みを目に焼き付ける。
旧市街のはずれに免税店があり。
ここでキューバの名産ラム羽花クラブとゲバラのキーホルダーを買って早めに船に戻った。
あまりに熱くて脱水状態。
日本とは違って自販機がその辺りにあるという国は少ない。
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そしてペットボトルを買うとなるとまたコインが増えてしまうのではないかという思惑から船に戻ってフリードリンクをいただくことにしたのだった。
出港までの間少し部屋で休んでシャワーを浴び18時半の出港とともに敵へ。
ここ羽花では数名のゲスト乗船客が下船することとなった。
サルサダンス教室を開いてくれたドミンゴ先生もその一人。
楽しい陽気なキューバ人の池王子はキューバの印象そのものだった。
この日は出港を見ながらバーベキューのデッキディナー。
お肉は硬かったけれどこの映画の中のような素晴らしい街並みと港を見ながら夕ご飯を食べられるのは最高の気分だった。
とはいえ私たちのお目当ては焼肉ではなくてこの羽花で仕入れたと放送があった極上のアイスクリーム。
あんなに連日アイスを食べたのに私でもアイスに群がる私たち。
私は3回友達の中には7回もおかわりをしたという子もいた。
間違いなくキューバで最高に美味しかったものはと聞かれたらみんなアイスクリームと答えるはずだ。
上海ベトナムリビアキューバ
世界各地の社会主義国を回ってきたけれどそれぞれの印象は全く違う。
上海は中国の中でも有数の経済特区として社会主義を全く感じさせない市場経済の自由化の進んだ都市だった。
確か中国って社会主義だったよねと仲間うちで確認し合う場面もあったほどだ。
ベトナムは滞在時間が本当に短かったのもあるがそれでも商店や物人の動きも多く外資系企業も多く見かけた。
まさに発展途上と言える活気のある国だった。
リビアではカダフィーという強力な権力者指導者の下一つの国そして敬虔なイスラム国家としてのイスラム教の国というイメージが強かった。
それでも旧市街の中にもたくさんの商店専門店雑貨店が抜きをつらねえ。
閉まっているところも多かったけれどスークという昔ながらの市場では公益都市として古くから文明と歴史を感じるような商業活動が行われていた。
日本のポケットモンスターやコナンなどのキャラクター製品も売られていた。
キューバではそういった普通の人々の経済活動や暮らしというものが私にはよく見えなかった。
仕事をしているのはタクシーやお土産屋さん警察官で道端に座っていたり歌や音楽を奏でている人たちは一体何をしているんだろう。
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いわゆる会社サラリーマンというようなスーツ姿の人たちや建物もあまりない。
新市街に集中しているんだろうか。
そしてとにかく物が少ない種類もないサンドイッチはみんな三角かバケットに挟まれたハムとチーズだけのものがほとんどだしアイスクリームもあんなに美味しいのに種類は数種類のみで至ってシンプル。
姉さんの恨むしは見かけたものは羽花クラブという銘柄のみで熟成度合いでランクと値段が変わるという仕組み。競争する必要がないからだろうか。それとも観光客は入手できるものが決まっているんだろうか。
必要な生活物資は配給でもらえるということらしいが、具体的に何をどのくらいもらえるのかまではわからなかったし、配給を行っているような光景は私たちが滞在中は見られなかった。
キューバでは教育は中学までは無料、その上の大学も行きたい人は試験を通過して行くことができる。
医療も無償だ。教育と医療はキューバが最も力を入れているものだ。
社会主義といってもそれは中国もベトナムもリビアンもキューバもそれぞれ違う。
アメリカはキューバと未だに仲が悪いと言われているが、民間レベルで言えばそれはどうなんだろうというところもある。
コカ・コーラの空き瓶に群がりマクドナルドに憧れているような子どもたちはアメリカをどう思っているんだろう。
国家による配給や保障、教育、医療、管理の制度は人間の生活、ギリギリで生きる人々にとってはありがたく、革命当時、人々は軍事政権による政治と貧困にあえて喘いでいた。
革命の後、アメリカによる経済封鎖は緩やかになってきて、独自の社会主義路線で生き続けているこの国が平和な時代を迎え、この後どうなっていくのか。
その意味を踏まえてもとても興味深い国だと思った。
そんなことを考えながら船はとうとう出航した。
ボーンという汽笛の後、大きな音量で音楽がかかり、ゆっくりゆっくりオールドハワナの美しい街並みが遠ざかっていく。
船の出航はゆっくり見えていても、景色は確実に、街並みはどんどんと遠ざかっていく。
さよならキューバ、さよならハワナ、私にとっては未知の国でした。
けれど素晴らしい、とても陽気でとても明るく、生きとし生きるものが生き生きとしている、そんな印象の国でした。
またいつか必ず訪れたい国の一つにもなりました。
今回も最後まで聞いていただきありがとうございました。
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それでは次回の船旅をしばしお待ちください。