2022-01-19 15:48

108日間世界一周の船旅🚢🌎✈【リビア🇱🇾トリポリ《前編》】

間が空いてしまって申し訳ごさいません🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️💦
砂漠のイスラム教国家、【リビア🇱🇾】
この国はとても印象深い国でした🤗

長くなりますので、前編は【世界遺産・サブラタ遺跡】まで
後編は明日、続けて配信させて頂きます🙇‍♀️
(1週間サボったから……🤦‍♀️)

【お知らせ】💖
明日1月20(木) 9時50分~10時50分

《獣医師と飼い主さんが仲良く雑談するラジオ》
アトリエ タロウさんと、恒例の月イチコラボ❣️

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テーマは【感じたことある❓犬の不思議な共感力・共鳴力】

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00:06
こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生です。
大変長らくお待たせいたしました。
世界一周の船旅、空いてしまって申し訳ございません。
待っていてくださった皆様、申し訳ございません。
ここまで遅くなってしまった言い訳としては、リビア以降の写真が見当たらなくて、うおうさおしていました。
さて、言い訳はこのくらいにして、世界一周の船旅の配信、リビア編スタートです。
6月6日、船はクロアチアアドリア海の神獣、トブロブニクを出航し、翌日は1日船の上で過ごしました。
次の日は、とうとう正体不明のイスラム大国、リビア。
リビアは2011年、当時のカダフィー政権とリビア国民協議会の内戦が勃発し、カダフィー政権は崩壊しています。
ですので、当時私が訪れた時の状況と今では全く異なっていると思います。
6月7日の午後、メインキャビンで異例のリビア上陸説明会が行われました。
しかも下船をする全ての乗客が必須参加ということから、この異例さが伝わります。
この説明会に参加した時の私の日記からバイス抜粋します。
リビアは社会主義、厳酷なイスラムの国。
当時は遊牧民出身、中東の強権と呼ばれるカダフィー大佐による独裁国家。
今回の旅の中では一番厳しい国だ。
まず、女性のヌードは愚か、水着の写真集も持ち込み禁止。
アルコール、豚肉商品も禁止で、自分の部屋に置いておくのもダメなので、
一箇所に集めて部屋ごと出国するまでは封鎖。
男の子たちは大変だろうな。提出するっていうのも恥ずかしいだろうな。
バーの営業ももちろんなし。
日中にはリビア当局による客室の抜き打ち検査があり、
蒸気の品が見つかったら最悪、船長は逮捕。
さらに女性の肌の露出についてはかなり厳しく注意をされました。
市内での女性の一人歩き、女性での集団でも襲われることがあるので、なるべく避けてくださいとのこと。
現地交流のツアーでさえ、交流相手の男性に気をつけるようにと言われていました。
とにかく女性は老いも若きも、必ず男性と一緒に行動することと厳重注意。
事前の上陸説明会で散々脅され、少し沈黙な気分で翌日6月8日にリビア、トリポリに入港しました。
03:09
港の写真は撮影禁止。
リビアはピースボートでも2度目の帰港地。スタッフたちも緊張しているのがわかる。
前回の帰港の時には、リビアの独裁者と言われるカダフィー大佐が、
日本から来たという客船にどんな若者たちが乗っているのか話してみたいということで、
ピースボートスタッフのチーム以下、チーフ以下数名がカダフィー大佐に呼ばれて、
午前2、はず3時、越境したため出港が大幅に遅くなったという逸話があり、
今回は何が起きるんだろうという緊張感が船全体に漂っているのがわかりました。
何だってそんな難関な土地に帰港することを選んだんだろうと、
頭がはてなマークで一杯になっていた私ですが、
このリビアでの思い出は今もなおしっかりと心に焼き付いているほど強烈なものになりました。
朝食を済ませて、9時15分にメインサロンに集合。
ターミナルに降りると、リビアの民族衣装を着た学隊が迎えてくれていた。
荷物チェックも今までの国とあまり変わりはない。
そういえば前回の寄港の時には、自由行動の人には通行証を配って各地でチェックが入っていたらしいけれど、
それも今回はないようだった。
港の領外所で10ドルを監禁。
当然のことながら街中に領外所はない。
いいねで買えるしかないけれど、そもそも通貨の価値さえわからないのだから仕方ない。
まずバスに乗り、1時間半ほどかけてサブラタ遺跡へ向かいました。
一般道でもバスは100キロ以上出ていて、この速度でも1時間以上かかるとのこと。
ちなみにリビアの道路に速度制限はないそうで、すべて自己責任ということでした。
10時45分頃、サブラタ遺跡に到着。
リビアは社会主義国、しかも人口は1000万人以下。
国民全員が直接政治に参加する人民会議というようなものが存在して、国が政治が動いている。
ずっと国を閉ざしていたため、観光業はほとんど発展しておらず、
だからサブラタ遺跡やレプテスマグナといった偉大な過去の遺産がそのまま残っている。
リビアの国民性として他の文化との融合、保護することによって地獄を発展させてきたという国だから、大切に保存されてはいる。
現状では2016年に世界遺産委員会より、サブラタの高校遺跡は危機遺産リストに登録されています。
06:02
内戦による貴重な世界遺産の保全ができなくなっているため、風化、劣化が激しいのだそうです。
今は私が訪れた時と景観が変わっているかもしれません。
サブラタ遺跡を目の前にして、観光地下が進んでいない古代遺跡の貴重さと重厚感、偉大さがどんなものなのかをひしひしと感じました。
背景に真っ青な青を背負う古代遺跡、その海は見渡す限り人工物が見えることもなく、時々白波が音を立てて崖にぶつかり砕ける。
人ひとり、21世紀の建物は何一つ視野の中に入ってくることはない。海沿いの地に広がる遺跡群。
特にロープやフェンスで囲われているわけでも、注意書きや説明書きがされているわけでも、厳しい警告歌に覚われているわけでもなく、ただただそこに広がっているだけ。
その中を自由にさまようのは何とも不思議な感覚だ。
ふと振り返ると物陰に当時の人の姿が見えてきそうだ。
たくさんの建物の跡が当時のそのままの姿、そのままの位置で何千年との時を経てきたのだ。
ところどころローマの様式を思わせる大理石の円柱、アーチ、柱の土台が目につく。
この広大な遺跡はカルタゴの永世都市のひとつサブラタ市のもので、
紀元前8世紀から9世紀にフィニキア人の手によって作られたことが基盤となった。
第三ポエニキ戦争でカルタゴがローマ帝国に敗れたことによりローマ帝国の支配下に移り、
その後ビザンツ帝国の支配も受けたことから、遺跡の教会跡にはビザンツ文化を代表するモザイクの床がきれいに色彩を保って残っている。
各国の支配下で栄えたサブラタも365年の大地震によってほとんど全部が崩れてしまい廃墟と化してしまう。
その後実に20世紀に入ってからイタリアによるこの地のローマ回帰運動により修復が始まったのだそうだ。
まずは遠景劇場へ。これはローマ時代に建てられたもので実に大きな劇場だ。
外側から見るとずいぶん修復されているのがわかる。
イタリア人の修復師たちがここでも仕事をしていた。
中に入ると一段低くなったオーケストラの演奏場所。
ツジバチ状に広がっている観客席。
その向かいには大理石の円柱とアーチで作られたビップ用の高い寺席。
素晴らしい大理石の建物が残っている。
この遠景劇場はローマ時代のものでオペラやミュージカルが上映されていたらしい。
09:05
現地のガイドさんが劇場の舞台に立って解説を始めると驚くくらい声が響いて聞こえる。
マイクもないのにこの音響効果はすごい。
2000年以上も前の昔の人たちがこれを考えて作ったというのだから、
当時の人の知恵は素晴らしいものだ。
何枚も写真を撮ったけれど、この広大な遺跡の一部しか切り取れないのが悔しい。
遠景劇場の大理石の彫刻。
少しオレンジがかったマーブル状の円柱は実に美しいもので、
脆そうに見えるのにしっかりと当時の姿のままを現代に伝えてくれているから貴重な品だ。
あまりに美しく保存状態がいいのでパルテノン神殿の円柱のように修復されたものかなと思いきや、
ローマ時代のものそのままと聞いた時には驚きと感動が胸をついた。
巨大な遠景劇場や周囲の遺跡群をゆっくり歩き、廃墟である通りを歩いて海のそばへと移動する。
次に訪れたのはいくつかある教会のうち一つの教会の跡。
柱や壁はとっくに前に崩れて、教会らしき建物の面影は今はなく、
海風と明るい太陽に照らされている、瓦礫の残骸が横たわっているだけだ。
その廃墟の中にも人類の軌跡を見て取ることはできる。
地面に残るのはビザンツ様式のモザイク画。
今残っているものはその一部ということだが、
博物館には完全に大きな形のモザイク画の遺跡が展示されているということだ。
次に訪れたのがローマ時代の浴場とトイレ。
ローマ式浴場は出る前の前でも日焼け日本で知られるようになった。
実際は湯船というよりもサウネ的なものの方がこちらでは一般的だったようです。
海に面していて浴場の入り口には濡れた衣服をまとったビーナス像のレプリカが置いてあった。
この本物は博物館に置かれているということで、後で見るのが楽しみになった。
ローマ式のトイレは白い大理石のベンチに穴がずらっとと間隔に空いていて、排泄物が下の通路に落ちるようになっている。
よく考えてあり、今の洋式便利所と似ているけれど、いわゆるベンチで隣どの仕切りも壁も扉もない。
もしかしたら2000年前にはあったのかな。
いくつかこうしたトイレがあるらしく、いわゆる公衆便所的なもの。
12:00
日によって各場所の男女の仕様が入れ替わったらしい。
最後はサブラタ市の政治の中枢、今でいう国会議事堂のようなところで、今はただっぴろい広場。
遺跡のかけらや枯れた下草と乾いた大地が見渡せるだけだったけれど、
周囲に残る円柱や大理石の演説台の跡を見ると、当時の人々が頭を寄せ合って会議をしている姿が浮かび上がってくるようだ。
日陰もない青空の下、けれど風は涼しくて気持ちがいい。
太陽は砂漠の国らしくギラギラと容赦なく眩しくて暑い。
時が止まったような廃墟の遺跡を後ろ側へ引っ越されつつ後にする。
そしてそのまま隣接する博物館へ。
博物館はそれほど大きくはなく、左右と中央のゾーンに分かれていた。
右のゾーンには遺跡から出土された品々が展示されている。
特に印象深いのは、今でも見かけそうなアロマポット、ガラスのベルト。
これは歩くと音がして居場所が分かるんだそうだ。
先の尖ったメイキャップ用品、ヘアピン。
私は最初、爪楊枝ですか?とガイドさんに聞いたら、ガイドさんに笑われてしまった。
どうやら今で言うアイラインを入れるものらしい。
アイライン入れたことないから爪楊枝かと思ってしまった。
中央のゾーンには、入ってびっくり、床と壁の両側いっぱいに細かいモザイクのタイルが貼られている。
先ほどガイドさんが言っていた、教会の床にあったモザイクのすべてがここに貼られていた。
一枚の絵のようになっていて、その前景が見渡せる。
ミサンツ様式を色濃く反映する。
ブドウの木が2本絡まり合って空へ伸びている構図をもとに、たくさんの種類の鳥たちが描かれ、
中央には再生と復活の伝説を持つフェニックス。
四方に永遠の象徴、愚弱が描かれた豪華絢爛なモザイクが。
彩色されたタイルは年代をいくつも超えて多少色褪せてはいるものの、
はっきりとその色の形を今に伝えてくれている。
しかもこの素晴らしく細かい美しいタイルはすべて本物、当時そのままのものだと言うから驚きだ。
砂漠の果てに忘れられた都市の過去の遺産は、
だからこそ完璧な形でその反映を今に伝えてくれているのだ。
この旅のみならず、過去の人々が残した偉大な遺跡をたくさん見てきたけれど、
このサワラタ遺跡ほど神秘的で非現実の場所はインドのエローラ・セックス寺院ぐらいだったろうか。
15:05
この立地、鉄カスで残されて風景と時間の中に完全に孤立している遺跡は、
とても人々の心を掴むものだろう。
私も例外なく心を掴まれた旅人の一人だった。
サブラタ遺跡での過去の現在を行き来する時間を終えて、
私たちは再びバスに揺られてドリプリ市内へ戻りました。
長くなりそうなので、ドリプリ市内の観光の様子は次回にお届けいたします。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
15:48

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