2022-01-20 14:18

世界一周の船旅🚢🌎✈【リビア🇱🇾トリポリ】《後編》

ありがとう、リビア🇱🇾
さよなら、リビア🇱🇾
サムネの左側に居る、ヒゲのおじさんが
パン🍞🍞の人でした❗️
右の2人は……🤔🤔🤔❓❓❓❓

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00:06
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
さて、今日はリビアの後編をお伝えしたいと思います。
6月8日、船はクロアチア・ドブルブニクを出航し、地中海の対岸にあたるリビアへ。
チュニジアとイジプトに挟まれたこの砂漠の大国は、日本人旅行者にとってはあまりに未知のイスラム国家でした。
世界遺産・サブラタ遺跡の散策を終え、私たちはリビアの首都・トリポリ市内へと戻り、昼食をとりました。
1時間半のドライブを終え、遅めのランチとなったレストランはとても立派で、オープンテラスは海に面していました。
ビリッと辛い、マカロニのようなパスタが入ったリビア風のトマトスープから始まり、これでもかと思うほどの大量のサラダ。
一体このために何本のキュウリが収穫されたんだろう。
メインディッシュは大きな魚のぶつ切りクリルにフライドポテト、サフラン風味の野菜炒め、バターライスのワンプレート、ソードフィッシュということだったけれど、もしかしたらタイなのかな。
大味だけれど焼きすぎず、レアすぎず、とても美味しかった。
でも醤油と大根おろしも欲しかったな。
デザートにフルーツポンチが出たけれど、お腹がいっぱいで食べきれないほど。
そしてモロッコ文化圏の名物ドリンクミントティーが出たけれど、このミントティー、こちらの方々はミントの葉をこれでもかというほどの大量の砂糖を入れて作るので、甘くて甘くて飲めたものではなかった。
ゆっくりとランチをしてトリポリの旧市街の観光へ。
旧市街はドブロクペニクのように城壁に囲まれていて、中は路地がいくえにも混じり合い、迷路のような造りになっている。
ガイドさんについて千年前からあるといわれるモスクの中を見学。
初めてのモスクというものに入ったかもしれない。
目の前に広がる異空間に簡単なため息が思わず口から漏れ出た。
美しいタイルに施された繊細なミニアチュールが壁面を彩り、天井からはいくつもシャンデリアが下がっている。
床には様々な色の絨毯が敷かれ、神学者であるウラマーがコーランを読み上げるための高台と椅子がモスクの隅に移られてある。
ローマ時代のキリスト教の教会やビザンツ様式とも全く異なった造り。
初めて見るイスラム式装飾のその壮大さと緻密さにあっという間に心を奪われた。
イスラム教は偶像粋拝禁止、なのでキリスト教の教会やヨーロッパの絵画のような神様や聖人の絵画や彫刻は禁止されている。
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全く人物画がないというわけではないけれど、正面を向いていなかったり、その絵画は西洋絵画に比べれば少し滑稽で、稚拙にさえ見えてしまうこともある。
けれど、イスラム美術の真髄は、その文字装飾技術と幾何学模様の美しさ、圧倒的なタイルの緻密さ、隙間のない壁面、完璧な対照的装飾の美しさ。
ひとたびモスクの入り口をくぐれば、その存在感とお祈りの時間を告げるアザーンの独特で神秘的なコア色に皆さんも魅了されること間違いないと思います。
モスクでは想像に反して写真撮影が許可されていたので、思う存分写真を撮りました。
もちろんモスク内に入るとき、女性は髪の毛を隠さなくてはならず、私は持っていたストールを頭からかぶった。ピンクだったけれど色は関係ないようでした。
ガイドさんについて迷いそうな路地をいくつも曲がりくねり、旧市街の生活の様子、そしてスークに立ち寄った。
スークはイスラムの市場のことでバダールとも呼ばれる。アラビアンナイトの世界さながら、千夜一夜物語に紛れ込んだかのような光景に思わず足を止めてしまう。
なおこ、迷子になるよ、と何度友達に言われたことだろう。できるなら迷子になってみたかった。
途中、隣のかまどで作った焼きたてパンを売っている小さな路面のパン屋さんの前を通った。
丸い大きな香辛料のついたパンは、リビアの伝統的なパンらしい。
一緒にツアーに参加していた友達と、後で自由行動のとき、絶対このパンを買いに来ようね、と固く誓い合った。
なんたって私は自主企画、世界のパン屋さんのパンを食べる、というミッションがあるのだ。
数区はシエスタの時間にあたるタイミングもあって、閉じている店も多かったけれど、アーチ型のアーケードの通りの中にずらりと店が並んでいた。
金細工の店が多く、ショーケースには王女様でも買いに来るのか?と思うほど、素晴らしいアクセサリーの数々が並んでいて、思わずため息。
リビアは石油産出国で、人々の生活水準、教育水準は高く、国としても豊かだと聞いた。
結婚するときは、花嫁に指輪、ブレスレット、ネックレス、イヤリングといった一式の金細工をプレゼントするのが習わしで、この通りに並ぶ宝石店は、それらの婚礼品を主に扱う店の通りだった。
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さらには、絹に金紙、銀紙を織り込んだ布からドレスを作り、その上にクリスタル、宝石、ビーズ、パールを散りばめた民族衣装のベストや肩掛けを葬る。
こうしたウェディングドレスも夫が支払い、仕立てる。
そのための仕立て屋さんがずらりと並ぶ一角は、キラキラ輝いていて、鮮やかな色彩の布の数々が視界を奪った。
皆さんもぜひ、リビア民族衣装と検索をしてみてください。
色とりどりで美しい民族衣装の数々が見られると思いますよ。
革命の象徴的な場所として有名な緑の広場で一度集合し、ここでツアーは解散となりました。
私と2人の女友達、一応のために1人の男の子についてきてもらって、4人で自由行動を開始。
もちろん目指すのは先ほどのスークの中のパン屋さん。
女性だけでは歩かないように、襲われるよ、などと散々脅されてきたけれど、恐ろしい雰囲気はなく、
みんな、珍しげにこちらを見てくるものの、ハロー、チャイナ、ジャポン、などと笑顔でちょっとはにかみながら話しかけてくれるだけ。
私たちの世界一周のときには、ちょうどワールドカップが開催されていて、その世界での認知度の高さを知ることになった。
リビアでも、ジャポン、フットボールと大にぎわい。
中には、なんで日本がワールドカップに出ているのに、悠長に旅行なんかしているんだ、とまで言われたこともありましたよ。
さすが、世界一人気のスポーツですね。
くねくねと元来た道を、ああでもない、こうでもないとたどりながら、ようやく先ほどのパン屋さんに到着。
友達とショーケースを覗き込みながら、これは何が入っているんだろう、あれはどんな味がするパンなんだろう、と頭をひなっていた。
なぜなら、お店のショーケースには、値札もパンの種類も書いておらず、雑多にパンが積まれているだけ。
売り場のおじさんは全く英語ができないようで、私たちもどうやって気になる買い物をしたらいいのか、少し離れて様子を見ていたところ、現地のおじさんがパンを買いに来た。
おじさんは英語がわかるらしく、ショーケース内をちらちら見ながら妄想を膨らませている東洋人観光客の私たちに、ジャポン、おお、と笑顔を向けてくれた。
やった、英語がわかる人が来たから通訳してもらおう、と、つーつーしいと根性が働き、私はおじさんに、これはどんな味のパンなの、とショーケースを指差した。
そうするとおじさんは、私が気になっていたパンと、友達が気になっていたパンを一つずつ出してくれるよう、お店の少年に言い、私たちに差し出した、食べてごらん、と。
え、いいの?恐る恐る一口ずつちぎって食べてみると、片方はドライフルーツ、片方はチョコ入りのパンだった。
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おじさんに通訳を手伝ってもらい、私と友達は、大きな平べったいデニッシュパンとチョコ入りのパン、クロワッサンの形をしたパンを選んで、袋に入れてもらった。
店番の少年がそれらに追加して、先ほど味見をした二つのパンも突っ込む。
これで一体いくらになるか。
盛られたとしても元の値段がわからないから、もはやいい値で買うしかないか。
交渉の見せ所だと身構えていると、通訳をしてくれたおじさんが、店番の少年にお金を払ったのだった。
一瞬、私と友達は何が起きたのかわからず、時が止まった。
え?それ、おじさんが持って帰っちゃうの?というのが第一に浮かんだ私自身を、しんそこ殴り倒してやりたいと、数秒後の私は切実に思った。
なんと、説明・注文・通訳をしてくれたそのおじさんは、「お金はいらないよ。僕が払うから。」と言って、さらに大量のパンを追加して、私たち一人一人にプレゼントしてくれたのだ。
え?どういうこと?パンで見売りはしないぞ?と思っていたら、彼はにこやかに、「日本はとてもいい国だと聞いている。
日本の人たちに、ぜひリビアはいいところだから、安心して遊びに来てくれと伝えてほしい。」とカタコトの英語で伝えてくれた。
なんて素敵な言葉と、粋なお土産なんだろう。最高なのは、パンと共にいただいたリビアの心だった。
おじさんはパン屋の三軒ぐらい隣の工場の主人のようで、そこまで行ってみんなで一緒に記念撮影をしてもらった。
サムネはその時の写真です。
彼の姿が見えなくなるまで、サンキューを繰り返し、手を振りながら大量のパンをそれぞれの手に、温かい気持ちと共に心に抱いて、緑の広場まで戻りました。
最後に立ち寄ったのは小さな駄菓子屋さん。こちらでもう一つのミッションである、コーヒーとお菓子を買って、船への披露に着くことに。
ここで見たお菓子の中にも、名探偵コナンが書かれたパッケージのお菓子があったのですが、不思議なことにこのコナン、真っ赤でした。
何だろう、リビアのコナンは常に怒っているのかな。
船に戻る道すがらも、たくさんの人たちが声をかけてくれる。多くは、ジャパン、フットボール、頑張れ!というもの。
全くサッカーに興味がなかった私ですが、どうやら日本船が近かったようです。
船が止まっている波止場に戻ると、民族衣装を着た楽隊が私たちの船出を祝って、伝統音楽と踊りを奏でてくれていた。
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これはピースボート側も予測していなかったことらしい。カダフィー大佐はこの時も粋なサプライズをしてくれたのだ。
乗船客がタラップを登って船に登る入り口で、一人一人に現地の衣装を身に着けた人たちが、バラの花を一輪ずつ渡してくれた。
リビアに、「またどうぞ、お越しください。」とカタコトの日本語で話しかけてくれた。
なぜか、目が潤むほど嬉しかった。
21時、リビア出港。
さよなら、リビア。
怖い怖いと思っていた厳格なイスラム社会主義国は、旅人に優しい温かい国だった。
期待をしていなかった分、その優しさが一番身に染みた国でもありました。
数年後、私はリビアで革命が起きたことを知りました。
2011年、カタフィー政権は崩壊し、私たちが笑顔で、「ジャパンフットボール!」の言葉に手を振ったあの緑の広場が、内戦で砲弾が飛び交うのをテレビ画面で見て、信じられない気持ちになったことを今も覚えています。
内戦の混乱、続く紛争で、私たちが訪れたあのサブラタ遺跡は危機遺産に認定されました。
リビアの内戦からも、はや10年の月日が経ちました。
今、あの場所は、ガイドさんは、パン屋の少年は、工場の優しいおじさんは、薔薇を手渡してくれたおじさんは、どこでどうしているんでしょうか。
優しい気持ちと思い出をくれた彼らが、穏やかで平和な日々を過ごしているようにと、願ってやみません。
本日も最後まで聞いていただき、ありがとうございました。
次回は、ジブラルタル海峡を回って、スペイン、ビルバオへ。
また、船旅にお付き合いいただけたら幸いです。
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