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はい、sasayukiです。ながらキャストを始めます。 この番組は58歳の私、sasayukiの声のブログです。
通勤途中に歩きながら録音してますので、息がハァハァ上がったり、周りの雑音や騒音が入ったりしますけども、ご容赦ください。
今日はですね、
ポッドキャストで ゲームデザインの話という番組がありまして、それがなかなか面白いので
ちょっと感想回というか、それを聞いて思ったことなんかをお話ししようと思います。
そもそもゲームデザインって何っていう話になっちゃうと、これ沼なので、本当にさらっていこうと思うんですけど、
とりあえず僕が話そうとしているのはボードゲームとかカードゲームと言われる類のもので、
まあ広く言うとテーブルゲーム、チェスや人生ゲーム、将棋、オセロ、UNO
そういったものから、ドイツゲームですね。僕がよく紹介するようなもの。
今は日本でも例えばハーっていうゲームとかね、いろんなゲームがありますけども、
そういったゲームのことを一応考えようと思っています。デジタルゲームはちょっとごめんなさい。
全然わかんないので置いといて。そこで言うゲームデザインっていうのは主にそのゲームのルールを考える部分だと僕は考えております。
例えばサイコロを振って出た目進んで止まったところの指示に従うとかね。
同じマスに止まった場合はこういうことをするとか、こういう場所に止まったときはアクションカードを引くとか、
そういったルールの部分ですね。それを考えるのがゲームデザインで、
例えば箱のデザインとかも同じデザインですけど、一応そっちは別にしておきます。
今ざっくりゲームデザインでって話をしたんですが、実際はいろいろなんだろう、もやもやしているものはあります。
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僕の中でデザインってなんだっていうと、僕の考えなんだけど、課題解決の手段という風に位置づけているんですね。
例えばユーザーにとって使いやすくするためのデザインっていう風に考えたときに、
プロダクトデザインがあったり、あるいはUIとかユーザーインタフェースのデザインであったり、
あるいは売り場で目立つようにするためにパッケージデザインがある。
つまりこれは売るためのデザインですよね。
っていう風に考えていくと、ひとつの課題を解決する手法であるという思いがあってですね。
ゲームのデザインっていったときに、じゃあ課題はなんだっていうことになりますよね。
沼に今入ろうとしてるんですけども、おそらくその参加者に楽しんでもらうっていうことかなと思うんですね。
楽しい時間を過ごしてもらうためにゲームをデザインする。
これはものすごい漠然としてるんだよね。
ただ、どういう風に楽しんでもらうっていうところまで定義付けをしていく必要があるとは思います。
例えば、ものすごい心理戦でヒリヒリするような楽しみを感じさせるためにゲームをデザインするみたいなことになるのかなと思うんですけども。
さっき言ったように、ゲームってサイコロ振って進む、同じマスに止まったら元々いた人をスタートまで戻しちゃうのかとかね、いろんな方法がありますね。
別に2人同じマスに行ってもいい、それを考えるのがある意味ルールを考えることでゲームデザインなのかなとは思うんですけども。
そもそもスゴロク的なものにするの?もしくはカードで遊ぶの?もしくはアクション系で?
例えばおはじき的なもので遊ぶ?めちゃくちゃ広いんですよね、ジャンルが。
ジャンルと言うと変かな?楽しみ方?
だからそういう意味では課題というか設定?どういう楽しみを提供するのかっていうところがまずあった上で、どういうプロダクト?
プロダクトって言うと変なのか?やっぱりどういうルール、ゲームにしていくのかっていうのを考える。
そこまで明示的にはっきり人は考えてるんでしょうかね、ゲームデザイナーさんは。
逆に聞いてみたいんですけどね。
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もし、いわゆる本当に世の中にあるような商品作りっていう風に考えるのであれば、
こういう今時代でこういう需要がある、こういうニーズがある。
もしくはシーズがあるみたいな中でこういうゲームを作ると、
おはようございます。みんな楽しく遊べるんじゃないか。
だからこういう方向性で作ろうみたいな風に考えていくんでしょうかね。
それはそれで面白くないような気もするんですけどね。
さて、今回のこの聞いてたポッドキャストは非常に面白かったんですけども、
それについてちょっと細かくコメントするには、
情報量が多すぎてまだ僕も頭が整理できてないです。
気になったところだけつまみ食い的に言おうと思うんですけども、
ゲームデザインっていうものにもっと注目してほしいっていう気持ちが
たぶん溢れてたお話じゃないかなと思うんですね。
その流れでワインの話とかラーメンの話とか出てきて、
例えばうんち教を語ることができるっていうある種の文化とか、
あるいは評論が成り立つ世界っていうのがあるのかなと思うんですけども、
果たしてボードゲームにそういったものがあるのかっていうところかなと思うんですね。
例えばなんですけども、映画とか小説っていうものに対して
そのメカニクス、皆さんがおっしゃっていたメカニクスとかデザインっていった部分が
果たして語られるのかっていうと、
そこはあまり出てこないかなとは思うんですよね。
たぶんシナリオを書く人とかは、
当然そういう視点で映画を見てるでしょうから、
ここの構成がとかって言うんじゃないでしょうか。
ただ一般に映画を見て楽しんでる人は、
一般に映画を見て楽しんでる人は、
そこまで深く立ち入るのかなというふうに考えると、
そこはあまりないんじゃないかなっていう気はしますよね。
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物語、シナリオの構築っていうのはあくまでも
作り手からの視点であって、
楽しんでる側はそこまで考える必要もない気はします。
もしかすると特定の作品とかね、
アニメの方に行くと、例えばエヴァンゲリオンなんかは
そういう形で語られる気がしますけれどもね。
でも例えば小説に関しても、
そういった構成みたいなところを論じることっていうのは
なさそうですよね。
ボードゲームってある種、時間を作ってるっていう見方ができますよね。
体験、テーブルを囲んだ4人が
1時間の物語を体験する。
そういう1つの空間、時空間をそこに表出させるというか
生まれさせるものじゃないかなっていう気もしてるんですけど、
ただ筋書きはないんですよね。
どのようにその物語が動いていくかっていうのは
プレイヤーが決める。
本当に一期一会の時間を作ってるんじゃないかなと思っていて。
映画とはそこが決定的に違いますよね。
そこでも物語は体験しているんだけども、
それはもう型が決まっていて、
結末も決まっている。
だからそれを受動的に楽しんでいくわけですけども、
ボードゲーム、テーブルゲームをやるってことは
それを参加者として、あるいは
ロールプレイングゲームじゃないんだけども
1人の主人公としてその物語に参加している。
となると、ゲームデザイナーって何をしているかっていうと
舞台なりメカニクス、あるいはアルゴリズム。
こういう時にはこうなるっていった
世界の仕組みを作る。
そこで人々はルールの中で
遊びながら楽しい時間を過ごすっていうことなんでしょうね。
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そこで人々が興味があるのは
それが楽しいかどうかっていうことだったり
あるいはその世界観が美しいとか
カードが綺麗だとか
そういった表層的な目に見えるもの。
あるいはメカニック、本当にこれは物理的な
サイコロだとか、そこで振るもの、そこで動かすもの
っていった物理的に触れるものの感触とか
そういった部分での良し悪しみたいなものは
かなり敏感に感じると思うんですけども
そのルールの部分で
ルール、デザインの部分がどうなのか
っていうことに関してはなかなか気づきにくいんでしょうね。
でもそれは良いことだと思うんですけどね。
そのルールがギックシャクしていない
その世界観の中でスムースに動いてれば動いているほど
そのデザインは意識に昇ってこないっていう意味ではね。
ただおそらくなんだけどここのルールきついなーみたいな
例えばさっき言った
自分がもともといたマスに後ろから誰かが追いついてきて
同じマスに止まったらスタートに戻されちゃう
なんていうルールがあった場合に
そういう目に会うとさ
うわーこれはきついなーみたいな気持ちになるじゃないですか。
ただそこからまた巻き返しができるとか
そこの辺がきついかどうか
短期的にはそうだけどちゃんと巻き返せるような仕組みになっていれば
多分そんなに不満は出ないけど
それが挽回できないようなダメージだと
このルールは厳しいなーみたいな感想は出るかもしれないですね。
そういう意味では走行で
上手くいっていない時に
初めてルールが意識に昇るのかもしれないですね。
だからよくできたゲームデザインっていうものほど
無意識に楽しく遊べちゃう
ということかもしれないですね。
はい、そんなわけでね
今日はゲームデザインの話という
ポッドキャストを聞いて
思ったことをふわふわっとお話ししています。
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さっきの流れの中で
音楽に関しても
分析的に話すことってほぼないし
だいたいこの会話ってできないよね。
できる人が限られちゃう。
例えば
このコード進行がいいよね。
1645なんだけど
ここで1回転調して2に入るのがいいよねとか
2マイナーじゃなくて2に行くっていう
メジャーに入るのがいいなんていう話をしたって
通じる人って
そういう勉強した人だけなので
たまたま僕は身近にそういう人がいるんで
ここの進行面白いよねみたいな話は
確かにできる。
ですけども
通常一般の人はそんなことは気にせず
でもそこの展開は確実に感じているわけですよね。
だからやっぱり作りってなんだよな。
分析的に見たがるっていうのは
この感覚なんだろうみたいな。
僕の場合も
ギター弾いたりしてたんで
そこは気になるのでどうしても
探ったりしますよね。
ここからこういったから
こういう感覚なんだみたいなことを
確かめて納得したりすることはありますね。
だからやっぱり
それを再現したいとか
自分の手で操りたいとか
自分の中にエッセンスみたいなのを取り込みたい
なんて思った時に自分なりに
この進行はこうなんだみたいな風に
把握するんだろうなと思います。
でも今回のポッドキャストのタイトルになっている
要はみんなゲームデザインに興味ないんじゃないかっていうのは
やっぱりその通りだなと僕は思いますし
それでいいんじゃないかって思っちゃうと怒られそうだな。
でもプレイして楽しむっていうことと
そうやって分析的に見る
ゲームデザインの話をするっていうことは
分析的に見るっていうことの一つなのかなっていう気は
しますね。
だからそれが成り立っている領域あるいは評論的なものと
ゲームとボードゲームとの違いみたいなところは
見ていくと面白いのかなっていう気もします。
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話の中に出ていたM-1みたいな
そういうコンテストとそこに論評が入ってくることによって
解像度、批評なり認識なりの解像度が上がっていくっていう話は
非常に面白いですよね。確かにそうだなと思います。
ボードゲームでもそれがやれたらいいなと思うんですが
ちょっと難しい部分もあるなとは思いますね。
漫才はそこでネタを披露すれば
5分とか10分とかわからないけど決まった時間で終わるので
それに対して批評ができると思うんですが
ボードゲームって誰が批評するんだって話があって
しかもその時のメンバーによって
みんなよく知ってるように面白さって全然変わっちゃうわけですよね。
一つのゲームに対するプレーを評論することができると思うんですよ。
例えばカタンをやってるっていう
ここにいるメンバー4人のプレーに対して何らかのコメントをする
そこの技術的な問題とか戦略戦術の評論っていうのは可能だなと思うんですけど
このカタンというゲームそのものを語るっていうのは
どうやったらできるんだろう?
それはなんだろう?
すごい最初の原点に帰って
そもそもそれって難しいよねっていう気も今したんですけどね。
さっき言ったようにやるメンバーによっても楽しさって全然変わるんで
それを置いてそのプレーを横に置いといて
ルールブックだけ見て論評できるのかな?
それもやっぱり難しいですね。
結局のところやってみて分かる。
ただやってみたとして再現性がない部分があるので
その時その時で経験が違うって考えた時に
その触れ幅を含めての論評というか語るっていうことになるわけですよね。
なんとなくお礼には難しくてもやもやしちゃいますね。
中途半端な話になりましたが今日はここまでです。
じゃあまたね。
またね。