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はい、おはようございます。まこやんです。今からできる小さなことで、明日をちょっと幸せにする、そんな配信をしております。
本日のテーマはですね、学ぶことがつまらなくなってしまう理由です。 学ぶこと、勉強だったりね、人生だったり、学びといってもね、
知識とかね、スキル以外にも、やっぱり経験とか、様々なところでね、学びっていうのはあるかと思います。
で、今ね、その学びを、
自分はね、すごく楽しんでいる、楽しんでいるというか、楽しむことがね、できるようになったんですけれども、
これは、逆に言うと、今まで学びを楽しめなかったんですよね。
で、あのー、なんで、今40なんですけど、40になってようやくそのことにね、
気づき、今までなぜ、そういうことができなかったのかなってね、思い返した時に、
いくつかの理由があるなってことでね、今日はその理由をちょっとお話ししていこうかなと思います。
3つお話ししていこうかなと思います。 1つ目がネガティブなイメージ。
2つ目が目的の欠如。 3つ目が環境の影響です。
1つ目のネガティブなイメージなんですけども、もうこれは、今のね、あの子たちはちょっとわかんないんですけど、自分たちの時っていうのは、
勉強、学校では、もうやらされるもの、記憶しろとかね、
まあもう、なんていうかな、押し付け的な感じで育ってきたんですよね。
当然ながら宿題とかを出されて、これをね、夏休み中に終わらせなさい。で、終わらなかったら、
じゃあ、あのー、校庭でね、走らされたり草むしりしてこいとか、遠くの方から挨拶してこい、聞こえなかったらずっとやってろみたいなね。
なんかよくわからない罰みたいなのがついてて、もうなんていうのかね、何のためにやってんだろうっていうのはね、よくわからなかったんですよね。
点数をただね、いい点取るためぐらいにしか思ってなかったですし、
まあやっぱりそういうものって、もう小さい頃に植え付けられちゃってたのもあって、勉強は楽しくないっていう、そもそもね、そこからスタートしてるんですよね。
で、社会に行ってても同じで、やっぱり会社とかにね、新しく入った時に仕事を覚えるんだけれども、
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まあやっぱりね、もうこうしなさい、これはダメ、あれはダメって言って、仕事を覚えて、で、多少なりのね、楽しみっていうのは若干あったけれども、
でもそれでもやっぱりやらされて、お金ももらってるのでね、それは仕事としてなんであれだったんですけども、やっぱりそれでも楽しみなんてやっぱりなかったんですよね。
仕事もやっぱりね、行きたくない日なんて毎日行きたくなかったですし、なんで毎日植え付け部が憂鬱すぎてね、もう日曜日がずっと続けばいいのにってね、思った時期もやっぱりほぼほぼでしたね。
まあそんなこともありながらね、こう体調崩したりしてね、こう鬱っぽくなってもう引きこもりになってね、まあそういう事態もあったんですけれども、まあでもそういうのをね、いろいろこう経験していく中で、あの考え方とかもね、まあ変わっていったっていうのも自分の中ではね、あったりするんですけれども。
で、このネガティブなイメージっていうのはもう勉強、学びっていうのはもうそもそもイメージ的に悪いもの、辛いもの、嫌なものっていうふうな植え付けがあったりするんですよね。
で、ちょっとまずね、その原因を2つ目言っちゃいますね。目的の欠如ということなんですけど、これはあの、さっきちょっとねお話ししたんですけど、勉強することが目的ではなくて、テストで例えばね、テストでいい点数を取る、いい点数を取るってことが目的だったとします。
そうすると、勉強っていうところが目的化してしまって、その先にね、自分がどういうことが起きる利益じゃないですけど、メリットというかね、そこの成長っていう部分が見れなくなってしまうっていうことなんですよね。
勉強、例えば勉強とすることとしたら、勉強することっていうことが目的になっちゃってて、勉強し終わったで終わっちゃうってことですね。今日はもう1時間勉強したって言ったらそこで終わっちゃうってことです。
本当はその先にテストを受けたときに、点数が10点伸びたとか、そこが成長、自分がこの間よりも成長したとかね、1つ2つ単語を覚えたとかっていうところがポイントなのに、勉強自体が目的化してしまってて、そこで成長とか、
その結果っていうのが見えづらくなってるっていうことなんですよね。そのためにモチベーションも上がらなくなってしまったり、何のためにやってるんだろうとかね、つまらない退屈とかね、やっぱりこう感じてしまうっていうことなんですよね。
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3つ目が環境の影響ですね。これがあるのかな、自分の時ですよね。本当にそういう人がいなかったんですけど、勉強を楽しんでる人が周りにいないっていうことなんですよね。
自分の周りっていうのはやっぱりどうサボるか、どうその宿題とかを終わらせて楽しいことをするか、もうそっちばっかだったんですよ。勉強が楽しいなんて思う人がいなくて、点数が悪くて赤点取っても周りがね、みんなそうだからみんなと一緒にいる方が楽しいってなっちゃってね。
そっちに行ってしまったりして、学びなんてことは何のためにあるのかもわかんないし、そんな会話すらも本当になかったですね。高校までですけど、高校出るまでは本当になかったです。
実際、学校とか田舎なんでね、うちのほう本当に田舎なんで、偏差値とかもすごい低いですし、本当に誰でも入れるような高校だったので、それぞれでいろんな楽しみがあったんですけど、そういう勉強とか学びっていう意味では、そういう環境が影響してしまうっていうこともあるかと思います。
家族なんかにもこれは同じような感じで、勉強を家に帰っても家族は宿題やりなさい、ゲームはさせないみたいな感じでいずれと言われ続けてきたんですけど、やっぱりそこも違う環境。
例えば、一つ数学だけはもう少し好きだったんですよ。この数学っていうのは、覚えてるのは小っちゃいとき、本当に小さいときに足し算をね、うちの兄がいたんですけど、兄が勉強をしてるときに見て、自分がわからずにその答えを解いたというかね、たぶん適当に言ったら当たっただけなんですけど、1たす1は2みたいな感じで、
全く知らない、たぶん2歳のレベルだと思うんですけどね、その数式なんて全然わからないし。で、言ったときに周りからものすごい褒められてたんですよ。で、それがすごく覚えてて、で、それって解くとすごい難しい問題に解くと、そのギャップというかね、なんでできるのって、なんでそれがわかるのっていうふうに喜ばれたんですよね。
その問題を解いたことに対しての満足感とかっていうよりかは、それで周りが驚いて楽しくなってくれるんだっていうほうがすごい覚えてて、あ、だったらそういうのってみんなが解けない解決というかね。
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そこまでは当時は思ってないですけど、解くとみんな喜んでくれるんだなっていうので、数学はね、本当に好きになったんですよね。でもそのきっかけがなかったら、たぶん数学なんて好きになることはまずなかったなって、その一点だけだったんですよね。
で、こういうのもやっぱり環境だと思うんですよ。例えば数学でなくてもね、英語だとして英語を覚えたけれども、例えばそれを、前に海外の人がうちの地元のコンビニにいて道を聞かれたんですよね。
でも自分答えられなくてちょっとわからないって言ったけれども、仮にその時に勉強がちょっと得意な子がいて、なんとなく伝えて、それでその人を解決してあげたら、その人は英語をもっと好きになったりするきっかけかもしれないんですよね。っていうふうに、環境の影響っていうのも少なからずあるんじゃないかなっていうことなんですよね。
今回ね、ちょっと学びがつまらなくなってしまう三つを挙げさせてもらったんですけど、逆に言えばですね、勉強とか学びとやらされるっていう、今でもね、会社勤めとかしてると、やっぱり上司とかからね、これをやっといてくれとか無茶難題を言われるケースってまだあると思います。
うちの会社でもやっぱりあったりして、部下とかもヒーヒー言ったりするときもあるんですけど、それをね、ちょっとだけね、自分の思考をちょっと入れてあげる。
例えば、これを教授に仕上げておいてくれって言ったときに、「いやー、こんな忙しくてできないよ。」って思うかもしれないんだけども、逆にじゃあこれをやったら評価もらえるんじゃないかとか。
じゃあ逆にもっとね、教授と言ったけど、反日でおごらせたらどうリアクションくるのかなとかね。それは勝手に自分の中の達成感じゃないですけど、そういうのとかを変換して取り組むだけでも、それがもしできたときとかやったときに、実際自分の中で残るものっていうのは全然違うものになると思うんですよね。
やらされる側ではなくて、自らそれを自分の中に取り込んじゃう。一度受け入れて、それを自分の中でフィルター通して、この中で自分のプラスになるものは何かなっていうのをちょっと見つけるだけで全然違うかなっていうふうに思うんですよね。
あとは簡単にできるとかって言えば、やっぱり自分もやってますけどゴミ拾いとかかな。会社とかのゴミとかも今よく拾うようになったんですけど、別にこれは誰のためとかではないですね。ただ単に自分がやってるっていうだけなんですけど、それをやるだけで、その一つゴミ一つに対しての学びっていうのは結構あったりするんですよ。
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何があるかって言うと、当然きれいなほうがいいっていうのもあるんだけども、なんでこの人はここにゴミを捨てたんだろうってふと思うんですよね。
じゃあゴミ箱がなかったからなのか、ちょうどいいタイミングでそこでご飯を食べたのかわからないですけどね。いろいろあるんですけど、それを一つ取るとその原因とかが見えてくるんですよね。
その会社でここにゴミが溜まる理由とかが見えてくる。例えばそこに捨てちゃいけない表記がないのとか、そもそもこのゴミのゴミ箱の数が少ないのとか、ルールが足りてないのかとかね。
そういうのをちょっと見ていくだけでも、この改善が役に立つのかなとかね。そういうふうになってくると勝手に自分の中で成長していくというか、視野が広がっていくような気がして、そういうのも楽しくなってくるんですよね。
今まではやらされてる人生、40年生きてきて大半がそうでした。言われたままに動くこともほぼほぼでしたし、自分の意思で行動することっていうのはあまりなかったのかなっていうふうな感じがしてて。
ただ今40歳過ぎて、なぜかそういうことを出会えたきっかけっていうのは、スタイフとかの配信を始めてたり、SNSの配信を始めてたりしてから変わり始めたことなので、すごく今年ちょうど1年ぐらいになりますけども、すごくこの1年はとても良かったなって思ってます。
なのでこの学びっていうのは、本当に小さなことでも全然スタートできて、それに気づくだけで全然変わっていくと自分は本当にこの1年思ったので、つまらなくなってしまう。そこにはちゃんと理由があって。
もしこういう毎日嫌だなってなった時でも、少し自分の中の感情とか思いっていうのを整理してあげると、少し見え方も変わってくるのかなということで、今日はお話しさせていただきました。
ちょっと長くなっちゃったんですけども、ここまで聞いてくださいまして、ありがとうございます。最後ですね、金曜日、体調に気をつけて頑張っていきましょう。はい、では行ってきます。