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リュースタイルの知的迷走ラジオ、夕方のお話です。
今日のフィードを見てみると、皆さん、12年前の東日本大震災のその時のことを放送されていらっしゃいますね。
皆さんそれぞれに物語があると思います。 僕もですね、去年の3月11日にこの件について話をしたと思うんですけど、
もう一度ですね、また今日もその話をしたいなというふうに思っています。 それは、
今一番大事なのは警察と消防のお世話にならないことだという話です。 12年前の3月11日の夜は、おそらくも日本国中の人がみんな
暗く沈んだ気持ちで何度も何度も繰り返される津波の映像を見ていたんじゃないかなと思うんですよね。
私もたまたま実家に帰っていたんですけれども、そこで目が離せなかったですね。 同じ画像が何度も何度も繰り返されるんですけれども、
何度繰り返されても目が離せなかった。 その見るたびにどんどんどんどん気持ちが落ちていったのを覚えています。
そして、何もできない自分というものへの無力感とかですね、
そういう気持ちに苛まれていった、そういうようなのは僕だけじゃなかったと思うんですけれども。
金曜日の夜だったんですよね。 次の日の土曜と日曜の2日間はかなりどんよりした気持ちで過ごしていたというふうに思っています。
その時ですね、ミクシーですね。 当時まだミクシーを使っていたんですよ。2011年の3月ですね。
まだミクシーを使っていた時代だったんですけど、そこにね、私の教え子さんがこんなツイートをしたんですよ。
みんなこんな時一番大事なのは警察や消防、救急車などの世話にならないことだよ。
僕たちがその人たちの世話にならないようにすることによって、その警察や消防や救急車やそういうような力が全て
現地に行ってもらうことができるんだからと。 僕たちがいらないことをしてそういうもののお世話になってしまうと、現地の人たちを助ける力が減ってしまうよ。
そういうような言葉だったんですね。 僕はそれを聞いた時にですね、ものすごく気持ちが楽になったんですよね。
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そうだと、僕にできることってあるじゃないかと。 祝々と正しい生活をして、そして少しでもそのようなリソースを僕らが使ってしまわないことだというふうに思ったんですね。
それで僕もその言葉を当時使い始めていたツイッターだとか、またミクシーだとかで別の人にそれを伝えたんですね。
すると別の世代の教え子さんたちから、はいという返事が勢いよく返ってきたことを覚えています。
何もできないことの無力感に苛まれたり、自分がその立場だったら一体どうだろうかと心が落ち込んでいたり、そういうようなことでもたくさんの人たちが苦しんでいた。
もちろん一番苦しんでいたのは現地の人たちなんですけれども、その場にいなかった人たちもかなり心が傷ついていたんですね。
でもその気持ちをですね、きれいに前向きにする方法があるんだなって思いましたね。
ただ落ち込んでいるんじゃなくて、まっとうにきちっと暮らしていくことだと、そういうことだったんだなと思いました。
2日後の月曜日、震災後初の学校の登校日だったんですけれども、確かその日に全部の子どもを集めて校長先生がお話になったんですよね。
子どもたちもかなり傷ついていたり、気持ちが落ちていたりというようなことがありました。
そういう子どもたちのケアをしなければならないんですけれども、それにはやはり私たち自身が親とか教師とか、そういう者たちがね、やっぱり気持ちをしっかりと持っておかないといけないということだというふうに思ったんですね。
ちょうど僕はその時にね、ある言葉を学んだんですよ。何かで、何かの本か何かで学んだんですよね。
共感疲労という言葉です。共感するあまりに自分が疲弊してしまうという。今でこそ結構いろいろな場で使われるようになったけれども、僕はその時にね、初めてそれを聞いて、そして今の自分の心情というのは共感した上での疲労だったんだというね、そのことをすごく思ったんです。
で、その共感疲労をしないこと、自分は自分として淡々と、そして最初のね、私の教え子さんの話がそこで生きてくるんですよね。共感して疲労してしまわないで、自分の今できる最善の生活をしていくことという、そのことをですね、子どもたちにも伝えていこうよというふうにお話を職員の会議の中でしたことがあります。
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共感疲労に子どもたちが陥らないように、今自分たちができる最善の生活を一生懸命やっていこうよと、そのようにね、先生たちと一緒に子どもたちに力をつけていこう、勇気をつけていこうという、そのようなことをした覚えがありました。
あれからもうね、12年経ったんだなぁと思いました。あっという間の12年だけれども、当事者の方々にとっては長い長い12年だったろうなぁというふうにね、思うところです。はい、毎日をね、誠実に誠実に生きていきたいなぁというふうに思っているところです。それでは、また何か始めたのりゅうスタイルでした。