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リュースタイルのハッピーライフコーチング。この番組は、プロコーチのリュースタイルが、あなたのシニアライフを、そしてこれからシニアになる、あなたのプレシニアライフを元気にする、様々なライフハックについて、時には博多弁で語る番組です。
さて、おとといのワープロの話から始まって、昨日ですね、インターネットというものの衝撃の話をしたんですけれども、
今日はその3回目ですね。タイトルは、ホームページが世界の人々を情報の発信者に変えてしまったというような、そういうタイトルになっているというふうに思います。
インターネットというものを知った時の一番の衝撃っていうのは、ホームページというものを見た時なんですね。
インターネットって、それまでのパソコン通信と大きく違っていたのは何かというと、それぞれのホストコンピューター同士がつながったというイメージで考えてもらうといいですね、という話をしていたと思うんですね。
それまでは大きな大きなホストコンピューター、ニフティサーブとかPC版みたいな、そういうようなところに何万というようなパソコンが電話でつながっていると。
だから中央に大きなホストコンピューターがあって、そこに何万というようなパソコンがぶら下がっている状況だというようなことを考えてもらったらいいと思うんですけど、
まさに中央集権的な何者でもないようなものですね。そういうようなクラゲみたいなものですね。クラゲみたいなものがたくさんあるわけですけれども、
そのクラゲ的なやつのホストコンピューターは、そこの中に情報が置かれていて、そこを見に行くわけですから、たくさん情報が置かれているホストコンピューターにたくさん人が集まるわけですよね。
なので僕たちというのは、どれに属するかな、どこに行った方がその情報がたくさん得られるかなというようなことを考えて、ここのホストがいいだろうなというところに入っていくわけなので、たくさん情報があるところにやっぱり行きたいじゃないですか。
だからどんどん情報が集まるところにはどんどんどんどん集まるので、そうやって日本ではPC版とかニフティサーブみたいな2大ホストコンピューター的な状況になっていたわけですけれども、大事なのはそれらがつながっていないということですね。
ところがインターネットになった途端にそれがつながるようになったという、これがパソコン通信とインターネットの大きな違いで、当初僕らはその概念というのは全く理解できなかったわけですけれどもね。
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そしてそれにさらに驚きを僕らに与えたのがホームページというものだったんです。ホームページというのは画面上のあちこちにリンクがあるじゃないですか。あちこちのリンクをクリックしたら別のページに飛ぶじゃないですか。
いわゆるハイパーリンクというやつですね。ハイパーリンクの仕組み自体は昔から80年代の終わりから世の中に広まっていたので、Macのハイパーカードとか、そういうものもあって僕はすごく憧れていたんですよ。
画面上の文字をリンクにしてそれをクリックしたら別のところへ飛んでいくというような、なんてすごいんだと。好きな言葉を文字をボタンにできるわけですよね、ハイパーリンクというのは。それをクリックしたらそこへ行く、そのボタンによってつながるという、まさに知的なデータベースを構築していけるものだったわけですよね。
なので僕は一生懸命80年代の後半から市太郎の文書にあるソフトを使いながらハイパーリンク機能を付与していくというようなことに挑戦をしていたわけですよ。
後年そのワードの中に、挿入の中にハイパーリンクというのができて、好きな文字をリンクにすることによって他のワード文書だとか、同じワード文書の中の別のこの箇所とか自由自在に飛ばせるようになって、本当に僕が喉から手が欲しかったような仕組みが実装されるのは90年代の終わりぐらいなんですけれども、
そのようなものっていうのは実はローカルだったんですよ。もうパソコンの中だけで完結しているものだったんです。
ところがそれがネットの上でそれがあるということに最初にびっくりしたんです。90年代の中頃に初めてインターネットというものの画面をテレビで見たときに、
なんじゃこりゃと。なんでその画面全体がアクティブになっているのかと。言っていることがわからないでしょう。画面全体がアクティブっていうのはね。どの画面の中のどこでも押せるということ自体が驚愕だったんですよね。
どういうことかというと、この辺全然僕が言っていることはきっとお分かりにならないと思うんですけど、当たり前じゃんと思っていると思うんですけど、90年代の中頃ぐらいまでパソコン通信のヘビーユーザーにとっては通信しているときに何かできる箇所、つまりアクティブの箇所というのは一番下の一行だけだったんです。
で、文書というのは下から上にどんどんスクロールしていく形でどんどん表示されていって読むものだったんですよ。まだ画像みたいな重たいものは入れられないからね。テキストが下から上にずっとスクロールしていくものだったんですよね。
今一番下の読んでいる行というのが一行上に上がって次の行が画面の下から出てきた瞬間、さっきの一行というのはもう見えているだけの昔のものになっちゃうんですよ。
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例えばですね、イエスかノーかとか次どこ行きますかとかいうようなイエスはノーとか問いがあるじゃないですか。そこにイエスって答えるとするじゃないですか。そしてエンターキーを押した瞬間、じゃあイエスの次のコマンドが発動されて次の文面が出てきたりするわけですよね。
その時になっていや間違えた、さっきのはノーだったって言ってもね、もう前の上の行に戻れないんですよ。もはや過去のものであって呼び戻すことができないんですよね。もう一番下だけがアクティブだから。
一行でも上に行ったらもうメモリの中に存在しているだけの何ももう手を出すことができないようなものだったわけですよ。だから私たちにとって情報にアクセスするというのは下から上にどんどんスクロールしながら読むことであって、そして何かアクションが起こせるのは一番下の一行だけだったということなんですね。
だからそれが画面上全体にそのリンクが置いて、どこを押してもリンクが通るという状況がいかにびっくりしたかというのは、今の説明でもしかしたらわかっていただけるかなというふうに思うんですけど、こういう驚きというのを語れる人間というのはね、もういなくなっていっているはずです。
あれがインターネットのあちこちにリンクボタンがあって好きなところを押せるということがいかに驚きなのかというのは、それを語れる人というのはね、もうあんまりいなくなってきているんじゃないかなというふうに思うんですよね。
それがね、僕にとってはもうものすごい驚愕であり、そしてやりたい、これを自分でも作りたいって思ったわけですよ。それまではね、PC版とかNifty Subとかのホストのコンピューターの中の場所をお借りして、そこにテキストを保存してくるということしかできなかったんですよね。
ところが今やプロバイダーから与えられた自分だけの場所、そこにその紙芝居みたいな一枚の絵としてのホームページを置いておけるという、これが何を意味するかというと、これまで他のコンピューターとかに曲がりするような形でテキストを置いていたものを自分の場所にそれを置いて、
そして自由に人から見てもらう。そしてその自分の作ったもの自体がウェブの一つになっていって、いろんな人たちから見られるようになるという、つまり情報の発信者になれるという、そういうことだったんですよ。
情報の発信者になれるんですよね。そしてそれをいつでも変えられる。そしていつでも見てもらえるし、いつでもこちらが追記できるしね。そういうものが手に入るようになったということが大きな変革だったんですよね。
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だから情報を発信するという概念を一気に変えてしまったというより、世界中の人がみんな情報の発信者になっていける端緒だったんですね。まだGoogleどころかYahooもないですよ。96年ぐらいですから、僕が初めて作ったのはね。検索という概念もないです。
ツイッターもないから拡散することもできないので、作ったホームページが見られているかどうかなんてね、全くわからないんですよね。人に教えることすらできないと。そういうような時代だったんですけれども、GoogleとかYahooが出てきて、ようやく検索という概念が広がり出して、2000年代初頭のホームページブームが一気に劣るずれるようになるという、そういう時代のお話でした。
ブログ前夜の話ですね。
それでは、また何か始めたのりゅうスタイルでした。