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どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、福住職をしております。
今日は、完璧主義を手放す ―仏教から学ぶ「ほどほどのすすめ」というテーマでお送りしたいと思います。
皆さんは、こんな経験ありませんでしょうか?
例えば、会社での資料、特にプレゼンの資料、ミーティングとかで使う資料ですよね。
それを何度も何度も何度も修正をして、ついつい映画をほかしてしまう。
あるいはね、徹夜をしちゃうとかね、そういったこと。
あとは、家事の完璧さというのを求めすぎる。
掃除とか、窓枠の端っこの方まで細かいところまで掃除をしてしまって、いつの間にか時間がなくなってしまう。
休憩もできない、なんてことがあったりとか。
他にも、SNSの投稿ですよね。文章の細かいところ。
言葉遣いでやったりとか、開業の位置とかね、丸の位置とか。
そんなところをね、ついつい細かく見てしまって、必要以上に時間をかけてしまったりとか、そういったことがあるかなと思います。
これらは現代社会でよく見られる、完璧主義の表れなんですよね。
なので今日は、この完璧主義から自由になるヒントというもの。
これをですね、仏教の教えから探っていきたいというふうに思います。
完璧主義というのは、一見すると良い性質のように感じますけども、でも実際には大きな代償を伴うことが多いんです。
例えば、体への影響ですよね。
常に100点を求め続けるということ。
そうすることでね、熱気が悪くなってしまったりとか、体にストレスがかかってしまったりとか、
あとはね、燃え尽き症候群につながってしまったりとか、やり切った後に何だかやる気が出なくなっちゃう。
そういったこともあったりすると思います。
他にも人間関係において、自分に厳しい人というのは、周りの人にも厳しくなりがちですよね。
周りの人に厳しい人は、周りの人との圧力、関係性を悪くしてしまうという原因になりかねないんですよね。
他にも、意外かもしれませんけども、完璧主義というものは実は生産性を下げるということもあるんです。
完璧にね、なかなか準備が整わないから、なかなか始められないなんていうふうに思ってしまうことはあると思うんですけど、
そういう思考というものが行動の圧迫性となっている。
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結果的に生産性が下がっているということなんですよね。
ではね、ここで仏教の重要な教えの一つ、中道について考えてみたいと思います。
中道というのは、真ん中の中に道と書いて中道ですね。
これはですね、お釈迦様が極端に走ることを今示したことを表した言葉です。
要するに極端をやめて、ほどほどというものが良いよというふうに説いたということですね。
これは現代の完璧主義にも通じる教えなのかなというふうに言えると思います。
いい加減という言葉ありますよね。
これはですね、物事の適度な状態というのを指すんですね。
ちょうど良いという意味です。
現代だとね、どちらかというと少しネガティブな意味で使われることが多いでしょうかね。
例えば、いい加減なやつというと大雑把な人みたいに使ったりもしますし、
いい加減にしなさいみたいな、そういう怒り方というのはどう過ぎているというような言い方ですよね。
なのでちょっとネガティブなニュアンスを感じるかもしれませんけれども、本来は物事の適度な状態、ちょうど良いという状態をいい加減と言うんですよね。
このいい加減というのが仏教においては良い状態というふうに考えているんですよね。
では、具体的にどうすれば完璧主義から開放されるのでしょうか。
第一に、完璧の基準を見直すことというところから始めるのが良いと思います。
これで十分というラインを意識的に下げてみるということですよね。
ハードルを下げると言った方がわかりやすいかな。
完璧じゃなくてもいい、失敗前提でというふうに思っていればいいということですよね。
第二に、小さな失敗を練習の機会として受け入れるということですね。
要するにこれは失敗をしても世界は終わらない、失敗をしても自分は死なないということ。
むしろその経験が新たな気づきをもたらす、成功の源になるということなんです。
では第三に、日々の生活にマインドフルネスを取り入れてみる。
今この瞬間に意識を向けることということ。
そういったことを日常的に取り入れることで、必要以上の思い込みというものから開放されるということなんですよね。
今日のポイントをまとめたいと思います。
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完璧主義というのは必ずしも悪いものではないということなんですが、
仏教の徳、中道の考えを参考にいい加減を見つけていくということが大切なんです。
明日からできることとしては、まずはこれくらいでいいかなという自分に許可を出すというところから、
始めてみるというのが良いのかなと思います。
明日は先延ばし癖を克服するということをテーマに、
完璧主義とも深く関連する行動の先延ばしについて考えていきたいなと思います。
では今日のお話はここで終わりたいと思います。
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では蓮城院副住職の幸文でした。ではではまたね。