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どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、福住職をしております。
今日は、2月の15日です。
もう夕方ですけども、
今日のこの2月の15日はどういう日かという、そんなお話をしたいと思います。
2月15日は、仏教にとってとても大事な日なんですね。
なぜかというと、仏教を開きになったお釈迦様。
お釈迦様が亡くなった日なんですよ。
つまり、明日。
なので、明日を供養する儀式を、日本中のお寺、あるいは世界中のお寺で行っております。
その儀式のことを、涅槃会と言うんですよね。
聞いたことありますかね、皆さん。
あんまりメジャーなイベントと言っちゃうと、あまりよろしくないですね。
メジャーな行事ではないと思いますので、一般的にはね。
仏教会にとっては大変メジャーなイベントですけど、
一般の方の認識としては、そんなに有名な儀式ではないのかなというところで、
あとはその涅槃会にちなんで、亡くなった方から何を私たちは学ぶのかという、
そういったことをお話をしていきたいと思います。
まずはですね、涅槃会を簡単に紹介したいと思います。
涅槃会というのは、お釈迦様が亡くなった2月15日にね、
その教えを忍ぶ、その教えを振り返って、
その教えを振り返って、そして私たち自身がその教えに対してね、
私たちの在り方、教えに沿った丁寧な生き方ができているのかということを振り返る大切な儀式というわけなんですよね。
そんなわけで、そういった涅槃会というものをとても大事にしているわけなんですが、
我々の宗派、総統宗、我々というちょっとあれかな、
私が所属しているお寺の宗派は総統宗という宗派ですね。
この総統宗においての涅槃会のやり方、いろいろあるんですけども、
代表的なのは、涅槃図というものを掲げます。
お寺の本堂にね、涅槃図というのはでっかい絵を掲げるんですよ。
掛け軸みたいになってくるくるってなっているやつをね。
それを掲げるんですね。
涅槃図ってどういうものかというと、詳しくはちょっと調べていただければ一目瞭然なんですが、
言葉で説明しますと、お釈迦様。
亡くなったお釈迦様ですね。
そのお釈迦様が横たわっている状態。
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そこにいろんな人が囲んでいるという、そういう図なんですよね。
囲んでいる人たちは誰かというと、お弟子さん。
お釈迦様お弟子さんがいっぱいいたと言われております。
伝説では500とか600とか言われておりますけれども、
そのお釈迦様と、そして他にもお釈迦様に関係する人たち。
おそらく信者の方ですよね。
詳しいことはちょっと私もよく分かっていないんですけども、
ともかくお釈迦様の信者の方、そういった方々と弟子たちが
お釈迦様の亡くなった姿、横たわっている姿に周りを囲んで悲しんでおります。
他にも動物たちもいるんですよね。
また動物の他にも空の方を見上げると、神様の使いみたいな人たち。
仏教では天武と呼ばれる人たちと呼んでおりますけれども、
大石天とか、そういった何々天ってつくやつですね。
そういった方々もお釈迦様の隣中に駆けつけているというわけですね。
それぐらい偉大な人が亡くなってみんな悲しみに明け暮れているという図。
それがネハン図と言います。
このネハン図というものを曹洞宗の場合は本堂に掲げて、
そしてネハン図の前にお団子をお供えするんですね。
ネハン団子と呼ばれるものですね。
そういった将棍、飾りですね。
飾り付けをすると、お釈迦様の亡くなった日、
ネハン絵の際はそういうネハン図とお団子を飾り付けするというわけです。
他にも、優位経行という特別な経を読むんですね。
優位経行というと、これもあまり聞いたことがないですよね。
どちらかというと、
有名ではないかな、きっと。
その辺の感覚は一般の方と、私はお坊さんですから感覚がずれているので何とも言えないんですけども。
おそらくメジャーではないお経だと思います。
そのお経を読むんですね。
ただですね、総統集の場合は結構読む機会が多いんですよ。
というのは、お葬式の時に読むお経なんですよね。
お葬式とか、あとはおつやに読むお経ですので、割と総統集では読むお経ですね。
そんな優位経行というお経なんですけども、その優位経行に書かれていることというのが、
とてもお釈迦様の教えというもののエッセンスがギュギュギュッと詰まっているお経なんですよね。
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なぜかというと、このお経はお釈迦様が亡くなった時、亡くなる寸前かな、
弟子たちに対して最後の説法をするという場面を描いたお経なんですよ。
つまり物語なんですよね。
お釈迦様はね、もう死去を悟って、もう間もなく自分の命は亡くなるなって悟って、
自分の教えというものを全て伝えきるために弟子たちに丁寧に確認して、
まだわからないことないかということを確認して、そして最後の説法をするということなんですよね。
その中の内容がね、いろいろあるんですけども、お釈迦様の集大成ですよ、いわば。
お釈迦様は悟りを開いてから亡くなるまで45年ですので、その45年間の中で使われたいろんな教えですよね。
そこをギュッとパッケージングした、ちょっと安っぽくなっちゃいますけど、
それが有経行というお経ですね。
その有経行の中で、私は特に気に入っているところがあって、そこをお伝えしたいんです。
その有経行の最後の方に、これは最後の説法であるというシーンがあるんですよ。
それは何かというと、今まさに命が尽きようとしている、お釈迦様自身の命が尽きようとしている、
これが最後の説法だと言うんですよ。
どういうことかなというと、この世の中というのは諸行無常であるということを、
そのお釈迦様の死をもって伝えるということなんですよね。
たとえお釈迦様のような、すごく素晴らしい立派な人だとしても、
あとは国を治める王様だとしても、大事な恋人だとしても、
大切な我が子だとしても、命は尽きて、そして自然に帰ってしまうんだと。
これが世の中の理論なんだということを、お釈迦様は自分自身の体をもって伝える、
最後の教えなんだということで、そういう場面があるんですよ。
すごく言葉が出てこないんですけども、
やっぱり自分が大切な人が、そうやって目の前で言われたら何も言えないですよね。
それをきちんと受け止めるしかないですよね、私たちは。
悲しんでいる場合じゃないんだということですよね。
だって命がなくなっちゃうというのは自然の説にですから。
悲しんだところでどうにもならない。
だけども、私たちはそれでも悲しいんですよ。
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大切な人を失ってしまう、大切な人と別れてしまうということは。
だけどお釈迦様はそこを潜めて、悲しむ必要はないと、
これはあくまでも自然の説意だと、
言葉になるんだということを言って、それを伝えるという場面があって、
それがとても感動的なんですね。
というわけで、いつも私は、自分の身近で大切な人が亡くなった時、
友人であったりとか、親戚であったり、両親は幸いなことに健在ですから、
ともかく私の知っている人で亡くなった時に、いつもこの場面を思い出します。
もちろん諸行無常も思い出すんですけど、そうじゃなくて、
大切なのはこの亡くなった方から私は何を受け取ったのかなというところを思い出すんですよね。
つまり亡くなった人が生前行ってきた言動とかから、
自分はどんな影響を受けてきたのかなというところを思い出すんですね。
それを思い出して、それを受け取ってきたというものを今後の自分の人生において大切に生かしていくことができるのであれば、
きっと亡くなった悲しみが自分の人生を豊かにする材料になるわけですよね。
というわけで、その亡くなった悲しみが自分の喜びに変わるというところです。
それは言葉で言うと簡単に聞こえますけど、実際は難しいんですが、
ただ悲しみを乗り越える方法として、私はいつもそのようにしております。
なので、今日聞いてくれた方、もちろん身内の不幸というのはもしあったときは悲しいと思います。
でも、そのときによくよく思ってほしいのは、
大切な人がいなくなってしまったときに、自分は一体何をこの人から受け取ったんだというところ。
そこをよくよく思い出してみてください。
そのときに自分が受け取ったものを確認することができるのであれば、
きっとその悲しみが自分の人生の道しるべとして輝くかと思います。
急には難しいと思うんですけれども、
幸福保障がこんなことを言っていたなということを少しでも思い出していただければ幸いです。
というわけで、今日は亡くなった人から私たちは何を学ぶのかというお話をさせていただきました。
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では、蓮城院副住職の幸文でした。ではまたね。